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Matildas 準々決勝で散る だけど五輪予選では強敵となりそう Sweden 3-1 Australia 10.JUL Augsburg

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なでしこがドイツを破った翌日 Augsburg でスウェーデンはオーストラリアを 3-1 で降し準決勝を決めた。
前回に続いて2大会連続で1次リーグを突破したオーストラリア女子代表 Matildas としてはドイツが日本に敗れた事により準決勝に進出出来れば昨年の AFC Asian Cupで勝っている日本が相手なので決勝進出がかなり現実味を帯びて来る。
女子サッカーを興隆させる絶好の機会となるのは日本だけでは無く大会参加国全てが思うところ。
それだけに準々決勝での敗戦は残念であっただろう。
試合後地元紙にドイツが日本に敗れた事によりオーストラリアが決勝進出への道が大きく拓かれたがその道はスウェーデンが替りに歩む事に…. と言う行を見つけた。 
まぁそれを胸算用と言うのだろうし、なでしこがスウェーデンをあれだけ圧倒したのを見てみなどう思ったのだろうか….

あの Matildas が小さく見える….

スウェーデンの第一印象は何と言っても“背が高い..” だった。あの Matildas の選手達を大きいと思わせない様な体格で、Matildas が攻勢に出ている時は彼女達の”スピード“が目立っていた。 
だからスウェーデンとの準決勝戦が決まった時は早いパス回しと運動量という当たり前の“特徴”が“武器”になるかと思った。

Matildas はノルウェー戦からメンバーを2人替えて来た。 ボランチの1人 Clare Polkighorn に替えて179cm長身の Emily van Egmund を。ノルウェー戦では右SBに起用された16歳の“FW選手”Caitlin Foord が2列目に上がりSBにはEllyse Perry がそれぞれスタメンに起用された。
対戦相手によってフォーメーションを大きく替える Matildas の Tom Sermanni 監督だがこの試合はノルウェー戦とあまり変わらない布陣。ノルウェー、スウェーデンともに Scandinavia の強豪であるがノルウェーは攻撃陣は Pedersen ( 173cm ) , 得点を決めた Thorsen が176cm と長身の選手もいるがDFラインはみな170cm以下の選手。スウェーデンはエース Lotta Schelin が179cm をはじめ CB Charlott Rohin , Sara Larsson ( 共に174cm ) ボランチの2人 Lisa Dahlkvist 173cm , Caroline Seger 176cm と170cm以上の選手が8人揃っていた。平均身長ではオーストラリアを 6cm も上回っていたらしい。

オーストラリアにはショッピングモール等の開発を手掛けている Westfield 社がスポンサーになっている7つのクラブチームで編成されている全国女子リーグ Westfield W-League が発足しており Matildas には登録メンバー21人のうち19人が国内リーグのメンバー。 Westfield 社は女子代表 Matildas のスポンサーにもなっておりオーストラリア女子代表チームは Westfield Matildas と呼ばれている。



スウェーデン戦で2列目左でスタメン出場した Heather Garriok が海外組の1人でスウェーデンの LaB Malmo でプレーしてる。
前日のオーストラリア地元紙では Garriok からスウェーデン選手達の情報が得られるのではとの記事があったが
今大会のスウェーデン代表メンバーでは Lisa Nilsen が彼女と “ Team Mate “ であったがオーストラリア戦はベンチスタートであった。そしてエースの Schelin はフランスの Olympique Lyonnais でプレーをしており他に5人の選手が“海外組”オーストラリア戦では他に2人 ( MF Sjogran : Sky Blue USA, 右 SB Thunebro 1 FFC Frankfurt ) がスウェーデン国外でプレーする選手だった。



Defensive lapses cost Matildas dearly as luck finally run out
Matildas は 1-3 で敗れて前回の成績を上回れなかった。4年前は準々決勝戦でブラジル戦は2点を先に失いながらも一旦は同点に追いつく等死闘を演じた。敗れはしたが史上初めて1次リーグを突破し Women’s World Cup に何かを残した。その前年にはドイツで Socceroos が日本を破り1次リーグを突破しオーストラリア大陸にサッカーをアピールする事が出来た。
今大会も1次リーグを突破したが準々決勝の敗戦は少し悔いが残るものでは無かったか….



立ち上がり16分で2失点。 

Matildas の立ち上がりは悪くは無かった。しかしゴール前に入れたロブが簡単に跳ね返され、そこから繋がれて自軍ゴール近くまで持って来られるシーンが続きなかなかリズムを掴めなかったと思う。そして11分Schelin が左SB Segar からのロングフィード受けドリブルで左サイドを上がりマークに入った Ellys Perry をかわして中に入れると走り込んだ Sjogran がフリーで受け GK Barbieri の右を破ってゴールポスト付近に蹴り込みスウェーデンが先制ゴールを上げた。オーストラリアの CB Kim Caroll と Servet Uzunlar は完全にスウェーデンの FW Oqvist, MF Forsberg がPA内に走り込んでおりマークに気を取られ走り込んで来た Sjogran をフリーにしてしまっていた。 



その直後にも Forsberg が右サイドから上げたクロスに Sjogran がシュートに持ち込むが Perry が身体を張ってクリアー。しかしその前にバウンドを合わせ損なって Sjogran にシュートを許したのも Perry だった。
不安定な守備は追加点を許す。 16分GKを Dahlkuvist がヘッドで左サイドに流すと走り込んだ Sjorgen が Perry を振り切りクロスを入れると中盤から走り込んだ Dahlkuvist が正面からフリーでヘッドを今大会3ゴール目を叩きこみリードを広げられた。 この時スウェーデンは Oqvist と Schelin もゴール前に走り込んでおり誰もマークが付いていなかった。 守備的能力を買われてスタメンに起用された Perry だが立て続けに失点に繋がるクロスを上げられてしまった。



ゴールを決めた後にスウェーデン選手達が輪になって踊るのであるが日本戦でも踊られるのか..とこの時不安に思った。 



Schelin はその直後にも右サイドに回りファーサイドでフリーでいた Oqvist に早いクロスを入れヘディングシュートを導く等シュートだけでなく良いクロスを上げるところも披露した。
Matildas は1次リーグで得点に良く絡んだ16歳の Caitlin Ford, 20歳の Kyah Simon, そして Lisa De Vanna がPA内になかなか入れないし大柄なスウェーデンDF陣に抑え込まれてしまう。思い通りに行かない Simon はイエローカードを受けてしまった。
それでも30分頃を過ぎると午後1時キックオフの高温下の試合のせいかスウェーデンの運動量が落ちて来た様に見えた。そして観衆はオーストラリアがチャンスになると手拍子で後押しをするのに勇気付けられたかオーストラリアがボールをキープする時間が増える。 De Vanna にボールが入るとボールがキープできるのでフォローが入れば…と思う。そして両サイドバックの裏のスペース突けば…と思った。そしてちょっと縦パスが目立ち過ぎ、その割にはスウェーデンの攻撃を警戒してかボランチの2人 McCallum と van Egmond がなかなか上がって来なかった。
そして40分CKを得た Matildas はMcCallum が入れたショートCKをフリーで受けた Perry が左足を振り抜くとファーサイドの上隅に直接放り込み1点差とした。スウェーデンDF陣は誰もショートCKを警戒していなかったが素晴らしいシュートだった。初先発の Perry は2失点に絡んでしまったが自ら1点を還した。





スウェーデンはCKやFKの相手セットプレー時もゾーンで守っていた。体格差のもっとある、なでしこ相手でもこういう守備をするのか…と思った。
その後も観衆はオーストラリアがボールを持つと大歓声を送り後押しをした。 
前半を終わってボール支配率ではオーストラリアが56%でスウェーデンを上回りシュート数もスウェーデン6に対してオーストラリアが5.枠内シュートもスウェーデン3, オーストラリア2と健闘していた。



後半の Matildas に期待が出来るとこの時思った。どちらかと言えばこの時準決勝の相手はオーストラリアにならないかな…と思った。

またもミスから失点….

後半は Matildas が左サイドを良く突いてスウェーデンゴール前に迫るシーンが演じられる等主導権を握りつつあった。そして運動量でスウェーデンを上回りスウェーデンボールとなっても2人、3人で相手を取り囲んでいた。
だがまたもミスから失点をしてしまう。 53分 Svensson のスローインに走りこんだ Oqvist に競った Kim Carroll が GK Barbie にバックパスを送るがこれが中途半端で Schelin に拾われてしまい、そのままフリーでドリブルシュートを決められリードをまた2点差に広げられてしまった。
オーストラリアは開始早々にもバックパスからあわやのピンチを招いていたが今大会バックパスからの失点が本当に目立つ勿体ない試合展開の連続だった。それが準々決勝戦でも出てしまった…..



判官贔屓?の観客はこの失点で一層 Matildas 達を後押しする。ピッチ上でも Garriock, De Vanna にボールが入ると期待が出来る。
17歳の Van Egmond を下げて Polkinghorne をそして右SB の Perry を下げて Tameka Butt を投入する。
これで 16歳のFoord を右SB に下げてブラジル戦では先発した Butt を2列目右に入れた。
62分には Polkinghorn からボールを受けた Butt がクロスを入れる。ファーサイドの Simon がフリーでヘッドを放つがゴール枠を外れる。ファーサイドをヘッドで狙った方が良かったか….
66分にはGarriock のスルーパスに走り込んだ De Vanna がキャッチに入ったGK Lindahl を外して放ったシュートが外れる。中には Simon がフリーでいたのだけど….
スウェーデンベンチのこのピンチの直後に2列目右のForsberg を下げてボランチの Nilla Fischer を入れる。どうやらアンカーの位置に入れボランチはSeger, Dhalkvist と2人とも残す様だ。
70分にはCKから Butt がヘッドを放つがGK Lindahl の正面に。オーストラリアは175cm CBの Carroll がセットプレー時には上がって来る様になった。彼女が一番ゴールを決めたかっただろう。



78分オーストラリアは最後の交替選手 Sally Shipard が McCallum に替って投入され CHFに入る。今大会のオーストララリア代表は4年前の経験者が6人いるが Shipard はその1人。ブラジル戦以来の出場。怪我が完治していなかったらしい。髪型もショートに変えたなぁ…
スウェーデンも82分 FW Oqvist を下げて Edlund を入れる。同じFW選手の交替だった。
試合終盤になってオーストラリア Garriock, スウェーデン Fischer にイエローがそれぞれ出され次の日本戦には出られなくなた。
87分FKに Simon がGK Lindahl とLarsson と縺れながら飛び込むがゴールネットに届かない。オーストラリアは Foord のドリブルが冴えて来るがPA外からのシュートが目立つ。5年前は日本相手に Socceroos が8分で3連続ゴールを上げたのだけど….
ロスタイム3分を終わってもスコアーは動かず、日本との準決勝戦の相手はスウェーデンとなった。



準決勝戦はもっともっと苦戦をするかと思ったけど.. それだけに決勝戦が楽しみだし、心配でもある….

敗れたオーストラリアはミスにより失点が目立った大会だった。しかし平均年齢は21.9歳と若く、Perry,Butt, Simon らは20歳、Kerry は17歳。そしてFoord は16歳。 
大会後に中国で行われるロンドン五輪予選では最も強敵となる事は間違いない。 それから今後数年間も…..

今度オーストラリアに行ったときには女子の試合も見てみようかな…でも1人で観戦していたら怪しい人と思われるか?? 


なでしこ戴冠 !! 素晴らしき日本女性よ五輪も金で二冠達成だ!!  Japan 2-2 ( PK 3-1 ) USA 17 July

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なでしこが世界女王の座に就いて1週間が経った。日本列島はなでしこフィーバー。3月に襲った大震災と津波以降閉塞感から解放されない日本に素晴らしいニュースを齎してくれている。彼女達の快挙に勇気付けられたと語る被災者の方々の声も…
佐々木監督が“日本からの声援が力になった。”と試合語っておられたが力を貰ったのはテレビを見ている側だと思う。
日本時間18日早朝からの生中継が終わり、何故かとてつもない疲労感と虚脱感と安堵感に包まれこの試合のDVDを再び見る事が出来たのは約1週間経ってからだった。そして今日もテレビはなでしこ達を映し続けている…..

スウェーデンを降して決勝戦進出を決めた翌日に行われた準決勝戦のもう1試合でアメリカがフランスを降し決勝戦の日米対決が決まった。 あぁ…アメリカか…1次リーグ最終戦でスウェーデンに敗れた為決勝戦までアメリカとは当たなくて済むと思ったけど(その前にドイツとの対戦があったが。)やっぱりアメリカが来たか…と思った。北京五輪では1次リーグと準決勝戦で2連敗。それでなくても過去24回対戦して未勝利。アメリカこそ世界の女子サッカーを牽引していた国。五輪は2連覇中。ワールドカップは1991年と1999年大会に優勝しており前回、前々回は3位。だからそろそろ優勝する“順番”かな..と思っていた。
ただ今大会は北中米地区予選でカナダ、メキシコに次いで3位となり欧州大陸予選5位のイタリアとの大陸間プレーオフを制してようやく6大会連続のワールドカップ出場を決めた。 1次リーグでもスウェーデンに敗れる等今一の評価だった。準々決勝のブラジル戦ではリードを許し延長ロスタイムで Abby Wambach のゴールで追い付きPK戦の末勝利を収め準決勝のフランス戦でも結果は 3-1 であったが試合内容はフランスの方が良いゲーム運びであった。
日本はドイツを破っているのでこのアメリカ戦は過去の日米対決よりはチャンスありと胸算用していいた。

試合中継のあった日本時間の7月18日は海の日で祝日だったがもし祝日でなくても私は会社をやすんでまでこの試合をテレビ観戦したと思う。 
注目のスタメン。日本は川澄、安藤の2トップでスウェーデン戦と同じスタメン。アメリカはフランス戦スタメンだった Amy Rodrigez ではなく Megan Rapino を起用し2列目右に置いた。おそらく 163cm のRodrigez よりも Rapino の上背170cmを生かしたかったのだろう。アメリカはCBの Rachel Buehler 164cm, 大ベテランChristie Rampone が168cm とスウェーデン、ドイツと比較すると“小柄”であるが前線の FW Wambach 181cm をはじめ上述した Rapino, Lauren Cheney 173cm そしてボランチ Carli Lloyd 172cm、Shannou Boxx 173cm と中盤より前に長身選手を並べた布陣。 
北京五輪準決勝の日本戦にはGK Solo, DF Rampone, MF Boxx, O’Reilly, Lloyd, FW Cheney ら 6選手が出場していた。
Wambach は北京五輪直前のブラジルとの親善試合で脚を骨折し北京五輪はプレー出来なかったが Wambach 抜きでも優勝したのか…と思った。



なでしこは澤をはじめ安藤、大野、宮間、阪口、近賀そして岩清水が北京五輪準決勝戦出場経験者。他に永里そして丸山が交替出場をしており海堀は控えGkだった。
監督も Pia Sundhage , 佐々木則夫 共に同じ監督が引き続き指揮をとっており、お互いに手の内を知っている….と思った。

試合前のセレモニーが終わっていよいよキックオフ。こういう試合まで我が代表が残っているなんてと感慨にふけりそうになた。
なでしこのキックオフで始まった決勝戦は開始早々に Rapinoのロングフィードに走り込んだ Cheney が岩清水を振り切りシュートに持ち込んだのを火ぶたにアメリカの猛攻が始まる。そのシュートはCKとなりそこから Wambach がヘッドで狙う。1分39秒には Boxx がドリブルシュート。 7分56秒、右サイド Boxx から Rapino に渡り近賀と競りながら Wambach に送られ岩清水と競りながらミドルを放つがバーの上に越えてくれた。8分56秒には Cheney, Lloyd と渡りまたも Wambach が熊谷がマークに入る前にミドルを撃つ。11分38秒, 16分37秒には連続して Rapinoe に危ないシュートを撃たれる。後に撃たれたシュートはポストに当たった。 アメリカは Rapinoe ( 左 ) O’Reilly ( 右 ) がそれぞれワイドに開きボランチの Lloyd, Boxx が前にどんどん出て来る。そしてDFラインの押し上げも早く前後をコンパクトに保ち常に数的優位を創る。
セットプレー、特にCKでは 181cm のWambach にボールが飛ぶと 171cm の熊谷をはじめ3人くらいで止めにかからねばならない。
なでしこは横パスは繋がるが縦パスが入らない。そしてマイボールになるとそこに数人のアメリカ選手がすぐに寄って来る。特に澤に対するマークは厳しい。 28分4秒、近賀から安藤に通そうとしたパスがカットされカウンター攻撃に移られ一旦は岩清水が Cheney を止めたがこぼれ球を Wambach に拾われ放たれたシュートは海堀を破った。しかし弾道はクロスバーを直撃してくれた。
劣勢のなでしこは21分30秒に大野がミドルを放ったのが最初のシュートらしいシュート。だが立ち上がりからのアメリカの攻撃を何とか凌ぎ続け30分には右サイドでルーズボールを拾った大野が川澄に送り安藤に絶妙のスルーパスを送るがここはGK Hope Solo がキャッチ。 Solo は36分48秒に阪口から DF の背後に回った安藤に送ったミドルパスを判断良く前に出て掴む等さすが代表歴101試合というところを見せた。
この日のアメリカのスタメンンの中で代表歴が100試合を越えたは GK Solo の他に FW Wambach ( 163 試合 ) MF O’Reilly ( 149 試合 ) ボランチ Lloyd ( 117 試合 ) Boxx ( 151 試合 ) そしてCBの Ramponic 主将が何と241試合とベテラン揃い。
しかし立ち上がりからの猛攻にの関わらずこれまで負けた事の無かったなでしこ相手にゴールを奪えず逆に35分を過ぎてからなでしこの方がボールを回すようになったという経過に終了前には Kriger が澤を , Cheney が岩清水を連続してファールで倒すなどかなりフラストレーションが溜まった様だった。    
なでしこは前半ロスタイムに近賀がこの試合初めてオーバーラップを見せる等無得点に終わったが後半は何とか期待出来そうな前半の終わり方だった。

後半に入りアメリカベンチは Cheney を下げて準決勝のフランス戦でダメ押しの3点目を決めた Alex Morgan を投入し1トップの Wambach の後方、トップ下に置いた。 Morgan はこれで今大会コロンビア戦を除く全ての試合に途中出場を果たした事になった。その Morgan は47分に早速仕事をする。右サイド O’Reilly がスローインを Wambach に当てて返して貰い鮫島をかわして入れたクロスに Morgan がネアーサイドに走り込みシュートを放つとポストを直撃する。こぼれ球に Wanbach が突進するがその前に澤がクリアー。 後半開始早々の危ないシーンだった。51分澤と競りながらボランチの Lloyd が放ったドリブルシュートがサイドネットを直撃。その直後には大野のドリブルをストップした Rapinoe が前線に送ると Wambach が熊谷と競りながらシュートに持ち込むがゴールインには至らない。
アメリカは攻守の切り替えが早く後半に入り Krieger ( 右 ) と Le Peilbet ( 左 ) の両サイドバックが高い位置を取り始めた。なでしこも近賀が上がって来る様になったのだけど….
63分にはまたも Wambach が CB Buehler のクロスにヘッドで合わせる。ここは海堀が後方に上手く飛んでクリアーしたが何とかWambach は止められないか…と思う。
劣勢のなでしこは66分安藤、大野に替えて永里、丸山を投入し2トップに置く。そして川澄を2列目右に置く。 前線で永里を起点にする為だろう…と思ったが、遂にアメリカが均衡を破ってしまう。
永里がアメリカゴール前にドリブルで持ち込むが複数のアメリカ選手達に取り囲まれ奪われる。そして Rapinoe が前線に大きくフィードするとバウンドを利用して Morgan が上手く熊谷の前を遮りながら左斜め前に走り込みフリーで放ったミドルが海堀の守るゴールの右下のネットに吸い込まれ攻勢を続けていたアメリカが先制ゴールを挙げた。後半から出来ていいたとはいえ元短距離選手だった Morgan の俊足にやられた。 Morgan は長髪でなかなか可愛らしいと思っていたけどここは要らん事をしてくれたなぁ…と思った。 



先制ゴールを喫したなでしこは澤が高い位置を取る。そして両サイドバック(右、近賀。左、鮫島) が上がって来る。前に出なければならなくなっていたのだ。 そしていつ3人目、恐らく岩渕であろう、が投入されるのだろう…と思った。
早い時間に同点にしないと試合巧者のアメリカは自軍ゴール前に幾つも鍵をかけて来る。早いうちに…と思っていると81分、川澄からボールを受けた永里が右サイドを上がり低い弾道のクロスをアメリカゴール前に送る。そこに Buehler と丸山が縺れ込みボールがこぼれる。一旦は先に立ちあがった Buehler が蹴り出すとそこに戻った Kriger に当たり走り込んだ宮間の前に。宮間は落ち着いて左足のアウトステップで Solo の守るゴールに押し込みなでしこが遂に同点に追い付いた。 
相手PA内での素晴らしい粘りであった。 



残り試合は10分程度。両チームとも延長戦は避けたかっただろう。お互いに次の1点を目指す。アメリカは Wambach を前線に残しロングボールを放り込む。なでしこはサイド攻撃が顕著に。 89分には近賀が右サイドを抉りライナーのクロスを入れるが僅かに走り込んだ丸山に合わない。リプレーを見ると Kriger がユニフォームを引っ張っている。 
アメリカもロスタイムに入り波状攻撃を見せるがなでしこも必死の守り。そして2分あったロスタイムも過ぎ試合は延長戦に突入した。 

延長に入ると有利なのはなでしこだと思った。準決勝戦から間隔が1日長くしかも準決勝戦もフランクフルトで試合をしており移動も無い。先にリードすれば….と期待するが現実は甘くは無い。
開始からアメリカがエンジンを入れ直したかのごとくロングボールを多用して攻勢に出る。攻撃の中心となっているのは Wambach と Morgan 。94分54秒には Wambach からのボールを受けた Morgan が岩清水、熊谷のマークを受けながらもシュートに持ち込み99分7秒には Lloyd からのボールを受けた O’Reilly がドリブルで上がり鮫島、澤のマークを引きつけ中の Lloyd に送るが熊谷がタイトにマークに着いてシュートを撃たせない。ただなでしこ達も脚が止まって来たか中盤でドリブルに入られてもなかなか当たりに行けなくなって来た。
そして104分なでしこPA内に侵入を許すが外にクリアーする。だがそのボールを拾われ再び左サイドから Morgan にクロスを上げれれるとフリーで構えていた Wambach か頭で押し込み再びアメリカにリードをもたらした。



それまで上手くマークに着いていた熊谷だったが、そのマークを外す為に後ろにポジションをずらした Wambach の位置取りが良かった。 残り試合は15分強。この時点で多くの合衆国国民がアメリカの優勝が決まったと思っただろう。



延長後半に入るとアメリカは脚の早い Morgan を1トップにして Wambach は2列目に下がった。そして前線から当たらずゆっくりと左右一杯にボールを回す様になった。 何とか追い付きたいなでしこは108分54秒澤からボールを受けた川澄が上がりそこから丸山に繋ぎシュートを撃つがクロスバーを越える。 
111分35秒、左サイド宮間が上げたクロスに川澄と澤が飛び込むが当たらない。だが Lloyd と Buehler が交錯して右サイドにボールがこぼれたところを近賀が拾って逆サイドの永里に折り返す。永里はフリーだったけど放ったヘッドは外れてしまった。
残り時間が10分を切った。なでしこベンチはいつ岩渕を入れるのだろう。あのマラドーナの様なドリブルでアメリカゴールに…これしかもう残されていないのに…と思うが….
113分アメリカベンチは Rapinoe を下げて Tobin Heath を投入する。岩渕はまだ入らないのだろうか….
114分38秒中盤の澤からロングフィードがアメリカゴール前に送られる。そこに近賀が走り込むバウンドを利用して GK Solo をかわすが少し弾み過ぎたか最後のステップが追い付かずベテラン Rampone 主将にクリアーされる。 先ほどの永里のヘッドにしろこのシーンにしろ…これでなでしこの運も尽きたか…と私は半ばあきらめに入った。
そしてピッチサイドにはようやく岩渕が現れた。 マラド〜ナ とつぶやくが、ちょっと遅いンとちゃうか…とも思う。
だがここからドラマが始まった。ピッチ上では Solo と Boxx が倒れて動けない。さっきのプレーで交錯したらしい。治療の間宮間、阪口、澤がなにやら話している。そこに Wambach が近寄って来る。おそらく治療の為にもう少し待ってくれ…と声をかけたのだろう…そして116分ようやく宮間がCKをセットする。そしてニァーサイドに低い弾道で蹴ったボールがどう躍り上ったかそのままアメリカゴールに突き刺さった。



まさに起死回生。夢の様な同点ゴールだったけど決めたのは誰だろう?アメリカの選手に当たったか?と一瞬思ったが決めたのは澤だった。 CKに向かって走り込み慌ててマークに入った Buehler よりも一瞬早く出した右脚に当たって角度が変わってそのままゴールネットを揺さぶったのだった。 Solo は同じくマークに入った Lloyd とHeath が一瞬ブラインドになったのではないだろうか?? でもあんな角度からゴールを決めるなんてどんな技術を持っているんだろう?そしてこういう時間帯に。こういう場面で、こういう舞台で…と後に何十回とテレビで映し出されるシーンを見る度にそう思う様になった。
118分34秒、遂に岩渕が丸山に替って投入される。 よし、マラドーナ、ドリブル突破で3点目だ…と呟くがその直後アメリカは攻撃に転じて右サイドからのクロスに Wambach が岩清水を背負いながらダイレクトでシュートを放つが僅かにクロスバーを越えてくれて胸をなでおろす。120分を過ぎあとロスタイムは…と思い始めた時に中盤から Lloyd が前線にフィード。そこに Morgan がフリーで中央から走り込む。あぁやられる…と思うと岩清水が必死のタックルを入れて止める。そしてホイッスルが鳴る。あぁいやな位置で..と思うとドイツ人の Steinhaus 主審は何と岩清水に一発レッドを提示してしまう。おい嘘やろ?ボールやろ?と声をだしてしまう。



恐らく最後のワンプレーであろう。そこに Boxx, Kloyd, Rampone が集まる。 Steinhaus 主審は壁を下げさせる。 何とか凌いでくれよ..と思う中ゴール前に入った Wambach の足元にボールは入るが何とかクリアー。だがその前にオフサイドがあったらしく122分23秒 延長後半の終了のホイッスルが鳴り響いた……

PK 戦に入る前に円陣を組むなでしこ達。佐々木監督の表情をみると微笑んでいる。選手達も。こりゃぁ行けるぞこのPK…と期待をした。 そしてここからは海堀が主役だった。



アメリカ1人目 Boxx のPKを左に飛んで脚でストップすると2人目の Lloyd は上に大きく外す。3人目の Heath は右に倒れ込んでまたもストップ。 なでしこは最初の宮間がゆっくりと右下に決めると GK Solo は一歩も動けない。思わず“エンド〜”と声が出る。2人目永里のPKは右に飛んだSolo に止められたが3人目阪口は左隅に蹴り込む。Solo は動きを読んでいたのでちょっとアブなかったが…そして続くアメリカ4人目 Wambach は失敗すれば終わりなのだけどほぼ中央にライナーで蹴り込み執念を見せる。そしてなでしこ4人目の熊谷は前に出て威嚇する Solo を無視してやや右にライナーで蹴り込んで激戦に終止符を打った。

テレビ画面に映っている映像が本物だろうか…としばらく信じられなかった。 
表彰式に主役になっているなでしこ達を見て、これまでワールドカップでは他国が優勝した時の表彰式しか見た事がなかったが今は我が日本代表が表彰されているのだ…と思うと女子サッカーの積み重ねて来た事を思い出した。
1990年アジア大会ではベスト8止まりの男子に対してメダルを獲得し1991年男子より先にワールドカップの出場権を勝ち取り北京五輪では準決勝に進出。昨年のアジア大会では金メダル。なのにマスコミや“サッカージャーナリスト”達は彼女を知らない。
なでしこリーグの存在すら知らせない。 
北京五輪での女子ソフトボール金メダルに続いて今度は女子サッカーがアメリカの牙城を切り崩した。

何と素晴らしき日本女性…

連日のなでしこ報道が続くが9月には中国でロンドン五輪予選が開催される。また中国かよ???? アジアからの出場枠は僅かに2カ国のみ。 是非とも出場権を手に入れ五輪金メダルを勝ち取り2冠達成を実現して欲しい。

そして今の思いは…. 早くなでしこリーグを観に行きたい…….


なでしこフィーバー。女子サッカーにもっと注目を !!

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なでしこ達が凱旋帰国を果たして2週間近くが経とうとしている。
今やマスコミの話題は彼女達無くして語れない様だ。決勝戦の翌週にはなでしこリーグがCSで無料放送された。
INAC神戸レオネッサ対ジェフ市原・千葉レディース戦はスタジアムに17,000 人もの人達が脚を運んだ。スタジアムにはサッカーをしている少女達の姿もちらほら。 すばらしい出来事ただ思う。
まぁこの試合のメンバーを観れば当たり前か….首位を行く INAC 神戸にはGK 海堀、DF 田中明日菜、近賀、FW 大野、高畑MF川澄そして澤穂希そして千葉の方には丸山が、なでしこジャパンのメンバーがこれだけ並んでいたのだ。今のJ-League で代表がこれだけそろうのはどのチームの対戦だろう....

だけど澤が前にテレビで言っていた、“私達は勝たなきゃ注目されない。注目されないと競技を続けていけない…”
数年前駒場競技場になでしこリーグの観戦に行った。我が故郷からスペランツァFC高槻がやってきたからだった。
なでしこリーグのプログラムを見て少し驚いたのは殆どの選手達がしかも代表クラスの選手も含めて“副業”を持っている事だった。いや言ってみればそちらが“本業”だったのかもしれない……

意外と知られていない なでしこジャパン“極貧”残酷物語
日刊ゲンダイ 7月15日(金)  勝利給、日当、ボーナスも雀の涙
サッカー女子W杯ドイツ大会4強で時ならぬ「なでしこブーム」である。中でも主将のMF沢穂希、強豪ドイツ相手に決勝弾を決めたFW丸山桂里奈がメディアからも大注目だ。
W杯ベスト16止まりの男子に比べ、確かに女子のベスト4は快挙のひと言に尽きる。しかし、待遇面は大きな隔たりがある。さらに所属クラブの待遇も「プロ契約は数えるほど。無報酬が当たり前の世界」(マスコミ関係者)と大半の女子サッカー選手は、極貧生活に喘いでいるのである。
「丸山と美人SBとして人気急上昇中の鮫島彩は東京電力マリーゼでプレーして、身分は東京電力本社の社員で勤務先は福島第1原発。各サッカー部員には年俸500万円前後が保証され、女子リーグの中では群を抜いて待遇が良かった。しかし、原発事故でチームは休止となり、鮫島は米国女子リーグに移籍。サラリーは月額30万円のようです」(前出の関係者)
丸山は09年に東電マリーゼを離れ、米国リーグを経て10年9月に移籍したジェフ千葉での収入は微々たるものとみられている。練習が午後7時45分からというのも「選手たちはコンビニのレジ打ちなどバイトが忙しく、夜にならないと全員が集まれない」(サッカー記者)からである。
今季前に沢と右SB近賀ゆかりが日テレ・ベレーザから神戸に移籍したが、これはベレーザが昨季限りでプロ契約を廃止したから。もっとも好条件の沢でも年俸360万円程度といわれている。
サッカー協会からの報奨金は、W杯で男子は優勝3500万円(女子150万円)、準優勝2500万円(100万円)、3位1500万円(75万円)、4位800万円(50万円)と決められ、8強400万円と16強200万円は男子のみ。勝利ボーナスも、男子は南アW杯で1勝当たり200万円が支給されたが、女子の場合は「勝利ボーナスは10万円しか出ない」(前出の記者)ともっぱら。
男子には、W杯予選でも勝利ボーナス50万円が出た。南アW杯総額ボーナスが2000万円超が「7人いた」(放送関係者)といわれている。
なでしこにも男子と同額のボーナスを払ってやるべきではないか――。

大会後なでしこ達の報奨金はいくらになったのだろうか…仮にも世界一のタイトルを勝ち取ったのだ。それ相応のものはあげても良いのではないか? 
また原発事故が原因でチーム活動が休止となった東電マレーゼ。鮫島や丸山の様に代表クラスで次の所属先が決まった選手達はいいだろうけど、全員がどうなったのだろう… レベルの違いこそ大きく隔たりがあるが学生を卒業してからも競技を続けた経験のある私はそちらの方が心配になるなぁ…..

今回で6回目となる女子のワールドカップ。今大会は欧州で開催された事もあり世界に結構なインパクトを与えた様だ。

Women’s football has improved hugely over the years but it lacks exposure

女子ワールドカップが本日始まった。私は心から England がどう戦うかを見るのが楽しみでならない。ここ数年私がみた女子サッカーは果てしなく変化している。例え国内リーグ戦の Bristol Ladies 対 Chelsea Ladies の試合でさえ6,7年前に観戦した England の国際試合よりもハイクオリティーな内容だった。それが将来への良い前兆だ。
しかし私の試合内容が変わっていると言う認知にも関わらず多くの仲間達が同調するかは解らない。男子選手達が本当に女子サッカーに就いて語るとは思えないし彼らの多くが今週から始まる女子ワールドカップを観るとも思えない。
問題はずっと今も繰り返して言われる様なマスコミへの露出が欠けている事だ。もし男子選手に女子サッカーに就いてのコメントを求めても賞賛の意を表さないだろうがそれは彼らがゲームを観た事がないからだろう。

シーズン開幕中、新しい Super League が始まっても最も入場しやすいスポーツイベントでは無い。ESPN で生中継される2,3の試合や FA Cup の決勝戦は別にして試合中何が起こったかを調べるのが大編困難だ。明らかにわたしこそ Sky Sports News の結果をしっかりと見る人間であろうが試合を観るどころか普通の人達は結果を知る事だけが容易だろう。

数週間前私は Bristol Ladies の試合の経過を探っていたがどこにも見つからなかった。 FA の Web Site を見ても何もなかった。私は Twitter でもなく試合結果を知る為だけに登録もしたくないのでギャンブルのサイトにアクセスしてようやく途中経過を少し知る事が出来た。しかし試合終了のホイッスルが吹かれるや否やそのサイトは閉じられてしまったので最終結果を知るには Bristol Ladies のGK Siobhan Chamberlain のテキストを偶然見つけるまで待たねばならなかった。
私からすればそれはたるんだ考えだ。 協会は女子サッカーの試合を宣伝したい。しかし彼らはファンがフォローし易い様に充分な宣伝をしていない。

宣伝プロモーションは1つのカギだ。私は翌シーズンに向けて Bristol Ladies をより知らしめるべく機会を創りたい。今年女子 FA Cup 決勝戦に進出した事は我々にとって彼女達をハーフタイムにピッチに送り出しファンにゲームを観戦してもらう事を促す完璧な機会である。
何人かのドイツ女子選手達は Playboy に写真を載せる等もっと過激なアプローチを行っている。これは肝をつぶすほどの驚きだったそうだ。 私は男子選手が同じ様な写真を撮った事で何か問題になったなんてここ数年見た事が無い。選手達の名声を高める為の一部である。


このコラムはトップスター達は男子選手であってもマスコミの触媒の働きをするものであって Eric Cantona も同様にPaco Rabanne の為にファッションショーの張り出し舞台に立った事や、David Beckham やFreddie Ljungbergがブリーフ1枚姿での被写体になったり昨年のワールドカップの宣伝の為にDidier Drogba や Cristiano Ronaldo が雑誌のカバーページにパンツ1枚でおのおののセクシーさを前面に出していた事も指摘しており、この女子ワールドカップもドイツ選手達のセクシーショットの宣伝のお陰か700,000 枚の前売り券が販売済みで決勝戦をはじめ売り切れの試合もあった事を後述している。
そして女子サッカーのレベルアップの象徴として数年前まではピッチの中盤からのシュートがそのまま直接ゴールインする事が多々あったが今はフィジカルもずっと向上し Briston のGK Siobhan Chamberlineは180cmと非常に長身で Arsenal ( もちろん女子)GK Emma Byrne も183cmありVan der Sar の様に見えるとも述べられていた。
今大会で選手達のスタンダードがかなり向上した事も特筆すべき事の一つであったらしい。



England がなでしこを破り準々決勝進出を決めそのフランス戦の中継を巡り英国国会議員を巻き込んでの騒動があったらしい。

BBC under pressure to show women's World Cup quarter-final

労働党のAndy Burnham国会議員は BBC の放送編成委員長であるMark Thompsonに番組の再編成を促す書簡を送ると発表したらしい。
フランスとの準々決勝戦は午後5時からで BBC は tele text で試合の経過を知らせるが BBC1, BBC2 は共に中継せず午後10時45分にハイライトを放送する事になっていた。  BBC1 はゴルフの Scottish Open を BBC2 はコメディー番組の Porridge と Flog It の再放送を予定していた。BBCは同じ系列で同時にスポーツ中継は行わないと言っていた。
“Mark Thompson は TELE TEXT とWEB SITEのサービスでは不充分であると言う事を理解すべきだ。この事に就いての私の観点は若い人達がよりスポーツに関心を持ち多くの女の子達がスポーツを始めるきっかけになると言う事だ。国を代表する放送局としてBBCは適切な戦略を持つべきだ。キックオフまでまだ24時間ある。番組を再編成する時間はある。少なくとも生中継を放映すべきだ。 Porridge や Flog It が放映されるなんて信じられない。”
BBCのスポークスウーマンは 93%の国民は TELE TEXT で経過が解る上に契約上ゴルフ中継を行わねばならないと述べている。”
またこの番組編成に就いては WSFF (Women's Sport and Fitness Foundation ) も黙ってはいなかった。
“ワールドカップ準々決勝戦を通じてファンが増える事を考えればもし BBC が番組再調整の方法を見つけられれば女子スポーツに於いて前例の無い大きな後押しとなる。 BBCが他のスポーツに就いての功績は尊重しよう。しかしこれはワールドカップの準々決勝戦である。女子スポーツの最高点である。 国家が彼女達を全面的に後押ししている事をHope Powell 監督へ示す最もクリアーなメッセージとなる。” こう語ったのは WSFF Chief Exective のMrs. Sue Tibballs であった。
WSFF はもしテレビがもっと取り上げさえしてくれれば61%のスポーツファンがより女性スポーツに興味を持っただろうと結果が出ていると述べている。
BBC 側は契約の問題から Scottish Open を中継せねばならないが TELE TEXT で90%の視聴者が経過を知る事が出来ると答えており BBC2 では PM11:35 からハイライトを放送すると主張するがそれまで特に小さな子供が起きているかどうか解らないとの反論も受けている。
“たった120万人のファンが 2009年の女子欧州選手権決勝戦をテレビ観戦したった70万人が日本戦のダイジェストを見たにすぎない。その一方で400万人がドイツのテレビ局が中継する試合を観戦した。これはそれだけ要求があると言う事だ。であるから BBC に再編を促す。” Tibballs氏はこう語った。 今夏から セミプロリーグ FA Women’s Super League が開幕する….

フランスとのPK戦まで縺れ込んだ激戦をBBCは中継したのだろうか….BBCの事だから自分で決めた事は絶対に?
曲げないと思う。だけど最近の England は男子でもなかなかベスト8の壁を破れない。
そう考えれば国会議員までもこう発言するのは解るなぁ…でも日本の議員さん達はどんな反応するのか??? 





前回に引き続き1次リーグ突破を果たした Australia 女子代表Matildas。16歳の FW Caitlin Foord や 17歳の MF van Egmond をはじめ20歳以下の選手が7人も含まれており将来が楽しみというより9月からのロンドン五輪予選からなでしこの前に立ちはだかりそうなメンバーが揃っている。しかし Matildas のこれまでの道のりも決して平坦では無かった。

It's been a long road to recognition as Matildas face their shot at glory

オーストラリア女子代表が結成された時はまだお粗末なものだった。1975年の Asian Cup で3位になったが3年後に Sutherland's Seymour Park で New Zealand 代表と対戦して 2-2 で引き分けたがその間1度もチームは結成されなかった。
1978年台湾で開催された World Women’s International Tournament に招待されたがここに出場した代表チームはオーストラリアだけだったのでここでの試合は代表Aマッチとしては数えられない。この当時のチームは New South Wales 州と Western Australia 州でプレーする選手が主体であった。
組織は大変ルーズなもので1983年まで New Zealand 代表 Football Ferns 以外のチームとは対戦した事が無かった。そして1986年までどの大会にも参加した事は無かった。
そして1995年5回目の挑戦で Oceania Women's Championships で優勝を果たし遂に同年のワールドカップ出場権を勝ち取った。
当時オセアニア地区では女子サッカーはニュージーランドの方が強く1991年の第1回ワールドカップにはニュージーランドが出場している。
1987年当時18歳だった DF Amy Taylor は代表に召集されたがしかしそれはひどい運営だったらしい。
“我々は男子選手のお下がりのユニフォームを着て練習していた。しかしその当時決して不平を言わなかった。 我々は殆どだれにも認知されていなかった。そして選手達の努力に対して何の償還もなかったしかしわえ我々はただ出来るだけベストを尽くした。 だれもがプロ意識を持ち続けようとした。”時が経つにつれ Matildas への期待は高まりそして要求は高まり続けた。



“スポーツは常にプロフェッショナルなコーチングスタッフと練習用具が備わっていなければならない、しかし自分の現役時代を考えれば期待のレベルは本当に高くなった。我々には今日の選手達に施される様な報酬のシステムは無かった。そしれこんなに多くの試合は組まれなかった。そしてフルタイムでトレーニングできるような環境にはなかった。今日我々が見られるようになるまでに長い道のりがあった…
費用をねん出する為に Matildas は 2000年にヌードカレンダーを発行する事もした。今は Wollongong のWIN TV でスポーツアンカーを行っている Taylor はしかめっ面をしてその時の事を思い出す。

“私は今の選手達がその功績を認められている事は素晴らしい事だと思う。”と今の選手が当時の様な芸当をする必要が無くなった事に安堵をおぼえるかとの問いにこう答えた。
今の選手達が成し得た事で主役になるのは素晴らしいと思うがその価値が報いられたのには少し時間がかかったと思う。 Taylor はこうも付け加えた。
まだ幾人かの人達はそれが充分でないと信じている。これまで何試合もの Matildas や W-Leagueの試合を見て来たベテランABC の解説者 Peter Wilkins はメディアの取り扱いがかわいそうであると述べている。
“これまでメディアが正当な扱いをしていたとは思えない。 多くのメディアが Matildas は過去に”見降した。“扱いしかしてこなかった。メディアは先を見越すよりも反作用的な反応しかしなかった。それが女子サッカーの100%であった。今でも尚女性は football なんかするべきではない、一般の人達は構わなくても良いと言う時代錯誤も甚だしい恐るべき汚名がある。”
Wilkins はオーストラリア人はここ近年で Matildas が成し遂げた事はSocceroos が成し得た事と同等の価値があると認めねばならないとも述べている。
“我々はドイツやアメリカでなくオーストラリアで彼女達がこれだけ前進したという事を誇りに思う。”とも言った。

   

シドニー五輪前に The Matildas – A New Fashion in Football というタイトルのヌードカレンダーが発売された。カバーには Amy Taylor が載り他にはTracie McGovern, Sunni Hughes, Kim Revell, Alison Forman, Sharon Black, Cheryl Salisbury, Alicia Ferguson, Katrina Boyd, Sarah Cooper, Cas Ambrose, Traci Bartlett そして Bridgett Starr らがヌードを披露した。しかしこの中で実際にシドニー五輪メンバーに入ったのは Tracie McGovern, Kim Revell, Katrina Boyd, Sarah Cooper, Cas Ambrose, Traci Bartlett の6人は五輪メンバーには残れなかった。 Sarah Cooper とTraci Bartlett の2人は前年アメリカで開催されたワールドカップメンバーだった。
このカレンダーの被写体になった選手達が日本のカゴメのCF に起用されたのを憶えている方もおられると思う。
丁度私が商用でオーストラリア大陸を行き来し始めた時だった。 Salisbury が写っていたのか….あの時探し出して購入すれば良かったなぁ……



なでしこ達はさすがにカレンダーにはなっていないが世界中でサッカーを続けようとする女子選手達がこの様に苦労を重ねて来たのだ….と誰もが知るべきだろう。



Quality of play in Women's World Cup takes the sport further
女子サッカーの為にこの次は?それは早く、ネアンデルタール人達が“誰が気にする?”とぶつくさ言う前に、我々がここで声高にそして明確に述べる事が重要で。ここ数週間 Louisa Necib や Lotta Schelin や Lauren Cheneyらが繰り広げる素晴らしい技術を映し出したテレビの前に座っていた小さな女の子達にとって重要で。
Abby Wambach そして Alex Morgan そして Hope Solo らが日曜日の試合で勝利を挙げる事を見ようとしていたアメリカ大陸中のファン達にとって重要で。澤穂希や海堀あゆみそして宮間あやらが優勝のお立ち台に上がっているのを見て“ 私が今日出来たはずだったのに。”と思う世界中の全ての選手達にとって重要で。
Martas 、Kelly Smiths そして Maribel Dominguezes と言った世界の間で重要で。ここに将来があると言う事を望んでいる。彼女達はワールドカップや五輪の金メダルを目指していると言う事を世界の人達に知って欲しい。
誰も女子サッカーが衰退しつつある事を示唆されていない。その反対が事実だ。しかし知って欲しい。経った20年前には女子のワールドカップは無くてたった15年前五輪には女子サッカー種目が存在しなかった。
まだ比較的幼児期にあるスポーツではあるが今栄光の賞が追加された既に豊かな多彩な歴史を持つスポーツで有ると言う事だ。
ドイツ国内9都市で32試合が行われ日曜日に閉幕した第6回女子ワールドカップで最も有望で有った事はトーナメントのプレーの質であった。
アメリカ代表 MF 選手として1991年大会優勝メンバーで2003年大会にはアメリカチームのコーチとして参加したApril Heinrichs はこの3週間ドイツで“今まで見た中で最高のサッカーを見た”と述べた。
それはかつてCarin Jennings, Michelle Akers, Mia Hamm, Kristine Lilly そしてアメリカを代表する伝説の選手と共にプレーした事のある女子選手からの言葉だった。
何よりもバラエティーに富んだフォーメーションやプレースタイルがあった。と Heinrich は FIFA.com に述べた。
“日本を見れば卓越したパスサッカーがありフランスチームはほぼ2タッチでボールを回しアメリカにはダイナミックなダイレクトプレーがあった。”
恐らくより良いコーチの存在が、恐らくより多くの国々がスポーツに対して真剣に取り組みだして多くの人達が関心を持ち始めたから、恐らくチーム間の競争が激しくなったから選手達の質は飛躍的に向上したのであろう。
2003年大会で優勝したドイツチームの Tina Theune コーチによればそれは続くであろうとの事である。
私はペースを読んだりプレーの質を上げる事がだんだんと選手達にとって重要なことになると思う。 Thenue はFIFA.com でこう語った。そして“フィジカルの強さは単にこれ以上伸びない。”
“最初のタッチを向上させたりそれを予想したりと言ったインテリジェンスフットボールがこれから結果を左右する重要な要素となるだろう。しかし同時に困難な場面でいかに自信を持つかとか最初に良い動きをすると言った技術も重要である。”
これが現在の何分の1秒かで状況が変わる今日のゲームでだんだんと重要になるであろう。そしてそれらが状況を変えてしまう。
日本が勝利した日曜日、スウェーデン人の Pia Sundhageアメリカ代表監督は悲しそうにうなずきながらもある事を認めていた。
日本のプレーは何かがあった。 彼女達は例えリードされていてもボールさばきに自信を持っていいた。それは女子サッカーに於いては好ましい事の1つだ。"



不運な事に次回のワールドカップでは少しプレーの質が落ちるだろう。 事実 FIFA は次回のワールドカップから出場枠を 16に増やす事をほぼ決定している。恐らく中国やデンマーク、イタリアと言ったチームがワールドカップに出て来るだろう。 16カ国から20カ国に増やす方がより懸命だと思われるがそうでない。
“今や出場枠を16から24に拡大する適切な時期に来ている。それが女子サッカーの為に新しい市場を開く事となる。” FIFA の会長でマーケティングとお金に就いて偉大な人間である Sepp Blatter 氏はこう述べている。
悲しい事に男子も女子もワールドカップに於いては2004年に女子のゲームではショートパンツをはくべきと示唆した事が唯一の貢献といわれている Blatter の災いは避ける事が出来ない。
フランクフルトで土曜日に述べられた事に就いては Blatter は何とか無意味な事の為に自分のスタンダードの限界を越えようとする。
“女子サッカーは今やグローバルになった。決勝戦は日の出る極東のチームが西に遠征して来ており両陣営の観客の為に繰り広げられる。”と述べた。
残念な事に Blatter 自信の太陽は何のサインも示しておらず、フランスチームを4位に導き Bulatter と異なり自分の考えを発言に組み込む Bruno Bini 監督の話を聞いている方がずっとましな事だ。
“それは非常にファンタスティックな冒険であった。何においても私が持ち帰りたかったのは我々が繰り広げた女子サッカーは興味を示される事であると言う事だった。
“この様な厳しい時代の中でチームを見て- 21人の組まれたメンバーと目立たないコーチによって- 彼女達がハートを掛けてピッチで繰り広げた事は本当に多くの人達に影響を与えたと思われる。”
今や2011年の女子ワールドカップは歴史である。そして人々に影響を与えたそのやり方が来るべき次の大会でも見られるだろう。



今大会では32試合中4点差以上の得点差がついた試合は全32試合中 France 4-0 Canada, Japan 4-0 Mexico の2試合のみ。
1991年の第一回大会では出場国が12カ国全26試合中 Sweden 8-0 Japan 筆頭に4点差以上の大差のついた試合が7試合もあり準々決勝戦ですら USA 7-0 台湾という試合があった。 翌95年大会も Norway 8-0 Nigeria を筆頭に5試合、参加国が16に拡大され試合数が32と現行の通りとなった99年大会も8試合が4点差以上ついた試合で 2003 年、2007年大会はそれが5試合まで減った。
だが2007年大会は1次リーグでドイツがアルゼンチンを 11-0 で破った試合があった。
今大会は大陸予選を突破してきた参加国間の差が劇的に縮まっている事が証明された。
だがそれが24カ国になるとどうなるのだろう....

欲しかったSports Illustrated 7月25日号を商用先のニュージーランドで入手した。
女子ワールドカップの事が書かれており澤の同点ゴールの写真が見開きで掲載されている。この写真おそらくスポ・イラ誌の独占ではないか???
なでしこ達は海外の方が高く評価されているのか...でもその方が彼女たちの価値をさらに高めるものと思う。

でも彼女たちはもう次の大会ロンドン五輪予選を見据えているだろう。

試合終了のホイッスルは次の試合開始の合図でもある.... 彼女たちが一番知っていることだと思う.....

72回目の日韓対決…韓国のスタメンは….

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8月1日新藤義孝、稲田朋美、佐藤正久の日本の国会議員3議員は午前11時10分ごろ、金浦空港に到着。入国審査場で手続きを行おうとしたが、出入国管理事務所の関係者達に「入国禁止」の方針について説明され12時40分発の全日空(ANA)便で日本に帰るよう勧告された。国会議員3名は帰国勧告を拒否するも結局当地に足を入れる事は出来ずに日本に帰国する事となった。その件に就き韓国側のマスコミの反応はどうだったのだろう…..

独島:韓国政府、自民党議員3人に入国禁止を通知

【郭彰烈(クァク・チャンリョル)記者/キム・ソンモ記者】 「竹島(独島)は日本の領土だ」と主張し、韓国入りした自民党所属の議員3人に対し、韓国政府は「入国禁止」を通知し、日本に戻るよう勧告した。しかし、議員らは空港で自らの主張を繰り返し、日本行きの航空機への搭乗を拒否した。
 鬱陵島を訪問するとしていた新藤義孝、稲田朋美、佐藤正久の3議員は1日午前11時10分ごろ、金浦空港に到着。入国審査場で手続きを行おうとしたが、法務部(省に相当)出入国管理事務所の関係者たちは議員らを「送還待機室」に案内し「入国禁止」の方針について説明した。そして、12時40分発の全日空(ANA)便で日本に帰るよう勧告した。
 しかし、議員らは登場を拒否。日本大使館を通じ、今回の事態に対する韓国政府の立場を尋ねた。 いつ日本に戻るかは不透明な状況だ。
  
【社説】日本では良識ある政治家の代が途絶えたのか
 
日本の自民党は、所属議員4人が来月1日に鬱陵島を訪問し、韓国の領土内で独島(日本名:竹島)が日本領だということを調査、広報する計画を予定通り実行すると発表した。党指導部は訪問を延期するよう説得したが、4人は受け入れず、個人の資格で韓国を訪問する意向を表明している。これは、止めるふりをして行けと背中を押す二重プレーだ。日本政府はすでに、韓国警察庁と外交通商部(省に相当)に4人の身辺保護を要請した。わが民族が数百年にわたり見てきた手法を、日本政府と与野党が、独島を舞台に合同で演出しているようなものだ。
 自民党国家戦略本部は、今月19日に発表した「日本再興」と題する中長期戦略報告書で、外交安全保障政策の中核として領土主権保護と防衛力強化を掲げ、独島が日本の領土だということを国際社会に知らせ、適切に管理していくことが日本の長期的国益だと主張した。自民党が党内に領土特別委員会を設置し、その特別委員会に所属する議員らを鬱陵島に派遣するのは、このような策略の実行であって、数人の突出した議員による逸脱した行動ではない。
 今まで韓国政府は、日本が騒いでいるからと言って、独島を韓国が統治している現実は変わらないという観点から、独島を紛争化しようとする日本の意図に巻き込まれるのは賢明ではないとの判断の下、慎重に対応してきた。しかし、日本の言動は次第に露骨になり、手法も荒くなってきた。議会ではそれでも、日本の友邦国である韓国が実際に統治している韓国の領土「独島」をめぐり、外部勢力が独島をミサイル攻撃した場合はどうするつもりなのか、など隣国の主権を侵害するような質問をためらわないほどになった。こうした日本の言動を踏まえ、われわれは独島に日本の右翼行動隊が上陸する、といった最悪の挑発行為に備えるべきだ。
 韓国政府は日本の議員が実際に韓国を訪れた場合、空港の入国審査場で入国を拒否するとの姿勢を示しており、このような行動が両国の関係を大きく悪化させることを警告した。韓日両国は、内部的に自由貿易協定(FTA)の推進を論議中で、中国の軍事的、経済的な浮上がますます明確になる中で、北東アジアの平和の秩序を定着させるために協力しなければならない関係にある。
 日本は中世から現代まで、国内で高まった不満や圧力を隣国に対する挑発をもって解消してきた国家体質により、自国民と隣国民を幾度となく不幸に陥れてきた。日本の行動が韓国国民にこうした日本の過去を連想させるほど、両国の前に横たわるあらゆる未来志向的課題は後退せざるを得ない。日本の良識ある政治家は、今こそ彼らの代が途絶えたわけではないということを示すべきだ。



上記の記事は共に朝鮮日報日本語版電子版に掲載されていたもの。 自分がハングルを理解すればもっともっと読む事も出来たのだろうけど….
竹島問題の諸悪の根源は何と言っても日本政府のこれまでの弱腰の対応。 学生時代フォークランド紛争が起こり英国政府がその領有権を見事に守った時、イギリス人の教授が私達にこう言った。 “他国の領土は簡単に奪えないと言う事ですよ。”
だけど韓国のマスコミよ、もっと正しく自国民に伝えるが良い。 北東アジアの平和秩序を定着させるのにどの様な日韓の協力が必要なんだ? まさか南北朝鮮が分断されたのは日韓併合が原因と本当に思っているのか?日本人は誰も金日成に急襲を示唆した事はないし、そうかと思えば南北問題は南北間で解決すると言ったり…..
国内で高まった不満や圧力を隣国に対する挑発をもって解消してきた国家体質により….とあるけど、自国の経済状態が芳しくなくなって来たり、政権の支持率が低下する度に竹島問題をあおるのはそちら。 日本政府にもその半分でも煽って欲しいものだ….
1980年全斗換政権がスタートした時、光州事件が起こった時、日本に突然5年間に亘る総額60億ドルの借款を依頼して来てそれを断ると当時政府の強い影響を受けざるを得なかった韓国テレビ局は一斉に反日ドラマを放映続けた。

今フジテレビが韓流ドラマを放映し続ける以上に。 でもこの韓流ドラマは面白いんだよなぁ…… 韓国の女優は可愛いなぁ….でも歳のせいかなかなか名前が覚えられない……



明日札幌で行われる日韓戦。一時は何年も対戦が無い時があったがここ数年は東アジア選手権対戦が続いている。 
しかし日本の勝利は2005年の大田で行われた東アジア選手権以来御無沙汰だ。どうも日本は対韓国戦となると…..
かつては1959年のローマ五輪予選から1974年の日韓定期戦まで15年間勝星無いと言う期間があった。
あの世界の釜本を擁しても韓国戦の勝利はこの 4-1 で勝利した日韓定期戦だけだった。
これまでの対戦成績は日本の11勝38敗22分。( PK 戦は公式記録は引分け )ただB代表で1967年8月1日に台湾で行われた Asian Cup 地区予選で韓国相手に 2-1 で勝利を収めた試合がある。

韓国に対日本戦に“苦手意識”を植え付けさせる為にもこれから連勝を重ねて欲しいものだ……

7月27日 対日本戦24名を発表。

趙広来韓国代表監督は日韓戦(韓日戦)のメンバーを発表した。 Glasgow Celtic でプレーする車ドゥリをはじめ Asian Cup では召集出来なかった朴主永をはじめ海外組が9人含まれていた。そしてJ-League でプレーする選手は昨年ワールドカップメンバーから外れた李根鍋ら5人が選ばれた。かつて愛するサンガでプレーした郭泰輝、李正秀の2人も召集された。
趙広来監督は日本戦に臨むにあたり「スピードとの戦いに勝たなくてはいけない」と記者会見で強調したらしい。
HSV Hamburg でプレーする孫興民に就いては将来の代表を担う選手にと期待しているらしく朴周昊、金英権の選出は
「惜しくもホン・ジョンホを招集できなかった。そういった部分をカバーするために、朴周昊 ( パク・チュホ) を左のサイドバックに置いて金英権(キム・ヨングォン)をセンターバックで起用する考えだ。」
新潟でプレーする曹永哲の選出は
「キム・ジェソンと悩んだ末に、チョ・ヨンチョルを選抜した。日本でも試合経験が豊富で、チャ・ドゥリの代わりができる。攻撃的な面を評価し選出した」
とそれぞれ記者会見で答えた。
そして昨年の AFC U-19 で日本を粉砕し Sunderland への移籍も決まった池東元はこの時点では日本戦の起用は所属先の Sunderland で開幕戦で起用されるならそちらを優先させると。まだ移籍が完了していない朴主永を招集した理由は
「朴主永はまだチームが決まっていない。本人と昨日電話で会話をした。一人で個人練習をしているが、コンディション管理に関して不安を覚えている。早く韓国に帰ってきてコーチングスタッフと一緒に練習することを要請した。パク・ジュヨンは先に韓国に帰ってきて練習を行なうようだ」 と述べた。
ベテラン李東國に就いては
「李東國は一生懸命な選手だ。しかし、最近の試合ではコンディションが少し落ちている。前線に若くいい選手が多く、韓日戦は除外した。孫興民が前線でいい活躍を見せてくれているし、ワールドカップ予選前に備えて若い選手を起用するのが妥当だと考えた」
しかし朴智星、李栄杓ら2002年組が代表から引退し 1998年大会経験者の李東國に次のワールドカップのチャンスは多くあるだろうか….
金信ウクは最近のK-League で良いパフォーマンスを見せていた事が召集のきっかけで日本戦の起用も示唆していたらしい。

日本は女子がワールドカップで優勝し、男子サッカーもその勢いに乗ろうとしている。最大限に準備をする
趙広来監督はこの様にも話したらしい。

当初の召集メンバーは下記の通りだった。


GK
チョンソンリョン/鄭成龍(水原) キムジンヒョン/金鎭鉉(C大阪) キムヨングァン/金永光(蔚山)

DF
パクチュホ/朴周昊( Basel ), カクテヒ/郭泰輝(蔚山), イジェソン/李宰誠(蔚山), キムヨングォン/金英權(大宮)
パクウォンジェ/朴源載(全北), イジョンス/李正秀(アルサド), チョヨンチョル/曹永哲(新潟), チャドゥリ/車杜里(セルティック)

MF
イヨンレ/李容来(水原), キムボギョン/金甫ギョン(C大阪), キムジョンウ/金正友(尚州) チドンウォン/池東元( Sunderland ) クジャチョル/具滋哲( Wolfsburg ) キソンヨン/奇誠庸( Glasgow Celtic )イチョンヨン/李青龍( Bolton ) ユンビッカラム/尹比家林(慶南), ナムテヒ/南泰煕(バレンシエン)

FW
パクチュヨン/朴主永(モナコ), イグンホ/李根鎬(G大阪), ソンフンミン/孫興民(ハンブルク) キムシンウク/金信ウク(蔚山)


相次ぐ欧州組の離脱…..


趙広来韓国代表監督は8月6日、 Budesliga の開幕戦 Borsia Dorutmund 戦を高熱の為に欠場した孫興民を招集しないことを決定した。
「孫興民が韓日戦に出場できるコンディションではない以上、選手保護ということから招集を見送るのが正しい判断だと思う。コーチングスタッフと相談した後に、韓日戦に無理させてまで招集するよりかは、コンディションを優先的に考慮して招集しないことを決定した。孫興民がワールドカップアジア3次予選で活躍することを期待している。今は自分のコンディションを気遣うことに集中してほしい」と付け加えた。そして替りに水原でプレーするパク・ヒョンボム(水原)が招集された。
パク・ヒョンボムは194cmの長身ミッドフィルダーで、昨季は済州ユナイテッドのKリーグ準優勝に大きく貢献した選手だ。空中戦に強く守備的ミッドフィルダーとして強い存在感を見せ、時には攻撃参加で得点を決める能力も兼ね備えている。今シーズンKリーグでは6得点2アシストを記録している。日本のCBは対応出来るだろうか…..
孫興民の他にも車杜里、李青竜の2人が怪我で離脱。李青龍は7月31日の所属先の Boltonでの親善試合で脛骨を骨折すると言う重傷を負い日本戦どころか今シーズン一杯プレーが出来るか危ぶまれ9月から始まるワールドカップアジア地区3次予選もプレー出来るかわからないらしい。 親善試合で重傷を負わせられるとはちょっと対戦相手も悪質過ぎないか???
また池東元も所属先の Sunderland 首脳陣が開幕戦で起用すると決めた事から来日を見送る事に。 池東元は今行われている FIFA U-20 も出場していなかったのか…..
相次ぐ欧州組みの離脱に趙広来監督は「これらの選手がいなくても、韓国サッカーは弱くはならない」と述べた。



日本戦の予想スタメンは下記の通り….ではないかと思う…..

Asian Cup の時は池東元のワントップに朴智星, 具滋哲, 李青龍の3人が2列目に入ったが具滋哲以外はもうメンバーにいない。
明日の日本戦にはAsian Cup には合流しなかったFW 朴主永のワントップに2列目は左にG大阪で好調の李根鍋、真ん中にかつて名古屋でプレーした金正友。そして右には具滋哲が入ると予想する。 Asian Cup では具滋哲が真ん中だった。ボランチには奇誠庸そしてもう1人は尹比家林か Asian Cup に続いて李容来か? セレッソで活躍する金甫ギュンか?趙広来監督は車杜里をこのポジションで使いたかったのではないか?? 
CBには個人的には李正秀と郭泰輝の元愛するサンガでプレーした2人を起用して欲しい。 Asian Cup では李正秀が累積警告で出場出来ず郭泰輝は1次リーグで退場を食らう等大会を通して調子が今一だった。Asian Cup では黄載元と趙容亨がCBだった。李正秀は守備から攻撃に転ずる時の起点になるCB。趙広来監督の記者会見でのコメントから金英権がもう1人のCBか。
サイドバックは右サイドバックには曹永哲、左サイドには朴周昊。心配なのはDFラインがこの4人で構成された事が無い事だ。


朴主永

李根鍋  金正友  具滋哲

寄誠庸 李容来

朴周昊 李正秀 金英権 曹永哲

GK 鄭成龍

昨年ワールドカップでチームをベスト16に導いた許丁茂前監督から任務を引き継いだ趙広来監督70年代から前任の許丁茂氏らと共に10年以上も韓国代表としてプレー。1986年メキシコ大会メンバーでもあった。1978年、1986年アジア大会優勝のメンバーでもある。思い出すのは、何度も云うが1980年3月マレーシア、クアラルンプールで開催されたモスクワ五輪予選。初戦で韓国と当たった日本は 1-3 で敗れたのだけどその時に2点決めたのが趙広来。(後1点は許丁茂)1978年のムルデカ大会の日本戦でもゴールを決めている。(試合は韓国が 4-0 で勝利。)
しかし監督に就任してからは日本代表とは2戦2分(1PK負) でまだ勝ち星は無い。しかし我が日本代表も1998年ダイナスティカップで勝利を収めて以来日本開催の“日韓戦”は2分3敗と未勝利。反対にアウェーでの“韓日戦”ではどういう訳かここ5試合で2勝2敗1分けと5分の戦績を残している。お互いアウェーが得意なのかもしれないがザッケローニジャパンは宿敵を相手に結果を出してほしい。 

だけど試合は北海道….前に地方で行った時…1991年熊本で行われた日韓戦も 0-1 で敗れたなぁ…あの時は地元以外はテレビ中継すらなかった。 松永、井原、北澤、反町、武田、ラモス、カズ役者は揃っていた。 Kirin Cup でリネカー擁する Tottenham Hot Supers を 4-0 で破り初優勝を収め期待をしていたのに、韓国も崔淳鍋らが出場しない事がわかり、日本もチャンスだと思っていたのにそんな悪条件の中でもしっかりと勝つのが韓国だった。 

今回は香川、本田、岡崎、森本…. 彼らが韓国陣内で躍動する事を祈る。 

史上最強の代表チーム…と断言したくなるなぁ… 日本代表 3-0 韓国代表 10 AUG. 2011

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8月10日の日韓戦をテレビ観戦して…初めて日韓戦をテレビ観戦した時を思い出した。
1972年9月14日東京国立競技場で開催された第1回日韓定期戦だった。
この年からサッカーというよりも日本代表の試合に興味を持ち出した。それは同年5月26日にサントスが来日。あの神様ペレが出場したその試合を見てからだった。ペレが2ゴールを決めたのを憶えている。
そしてそれから数試合日本代表の試合のテレビ中継を見た。
資料によるとサントスとの親善試合の後日韓定期戦までの3ヶ月半の間に日本代表はムルデカ大会で7試合そしてその直後にシンガポールで開催されたペスタスカン大会で行われた2試合を含め15試合もこなしていた。国内で行われた試合が6試合あるので何度かテレビ中継もあったわけで試合終了直前にPK戦で敗れた試合 ( 後で解ったがそれは Coventry City との試合だった) 等記憶にあるがどれも負け試合だった。
そして9月14日に韓国を迎えてのゲームを前に、“韓国には勝つだろうなぁ…” とNHK が生中継するこの試合を楽しみに見ていたが試合前に前年に韓国で行われたミュンヘン五輪予選の韓日戦( それも後で知った。)の映像が流れ
”この試合の前に両国は既に出場権を失っていました…“と紹介し、過去の対韓国戦をボードで映し出された時に
”この様に過去日本が3度勝っただけで他は全て韓国の勝利か引分けです….” と言っていたのも憶えている。
その3度はメルボルン五輪、ローマ五輪の両予選と1967年B代表が Asian Cup 予選で韓国A代表に勝った試合だった。
この日韓定期戦はミュンヘン五輪予選で共にマレーシアに敗れた為に日韓の強化の為に始まったと後で知った。
そしてこの第一回定期戦は釜本の先制ゴールで始まり韓国が連続ゴールで日本を逆転、“あぁ日本はブラジルや欧州のチームばかりでなく韓国にも勝てないのかぁ….”と思っていた終了間際に釜本がシュートを韓国ゴールに蹴り込み引き分けた。その釜本のシュートは今でも覚えている。稲妻の様に早くあっという間にゴールネットに突き刺さった記憶がある….

あれから39年間、日本が韓国に優位に立った時があった記憶は無い。確かに1974年の第3回日韓定期戦で韓国を 4-1 で破ったがこの試合の事はずっと後で知ったし、モントリオール五輪予選 ( 1-3, 2-2 ) ワールドカップアルゼンチン大会予選 ( 0-0, 0-1 ) 1978年アジア大会 ( 1-3 ) モスクワ五輪予選 ( 1-3 ) 。
その後1982年アジア大会 ( 2-1 ) 1984年日韓定期戦 ( 2-1 ) での勝利を収める事が出来たがワールドカップメキシコ大会予選 ( 1-2, 0-1 )で敗れ以降90年代初旬には韓国に相手にされなくなっているのではないか…と思うくらいの差をつけられた気がしてならなかった。
しかし遂に1992年のダイナスティカップで好勝負を演じると ( 0-0, 2-2 PK勝) 1993年ドーハで行われたワールドカップアメリカ大会予選では遂に King Kazu のゴールで1-0 で勝利を収める。しかしそれ以降も韓国に対日苦手意識を植え付ける事は出来ていない…
それだけに今回の勝利は本当に対韓国戦に向けて非常に良い結果をもたらすのではないか…との期待を感じさせてくれた…

車杜里先発…

注目の両国のスタメン。まず韓国は右SB に車杜里がスタメンに。怪我で離脱していると思っていたのに…だけどこれでこちらのサイドから攻撃が出来ると思った。そしてフォーメーションだが 4-2-3-1 ではなく 4-1-4-1 。DF陣は左SBに大宮所属の金英権。愛する京都でプレーした李正秀と組む CBは残念ながらもう1人の愛する京都の卒業生郭泰輝では無く蔚山所属の李宰誠。
朴周昊、曹永哲といった J-League でプレーする、またはかつてプレーした選手達はベンチスタートだった。
でも李宰誠と金英権。身長だけをみるとポジションが反対に見えたけどなぁ…
1ボランチには Celtic でプレーする奇誠庸。(また猿の真似でもするのか見ものだったけどそんな彼のゴールシーンは皆目見られなかった。)朴主永のワントップの後方に並ぶMF4人は右サイドにトップ下と予想した今シーズンから長谷部の同僚となる具滋哲、左サイドにはG大阪でプレーする李根鍋。真ん中には金正友と李容来。水原所属の李容来は奇誠庸とボランチを組むと思ったんだけどなぁ… 。スタメンの中で欧州組みは4人、 J-League 組みは2人。そして他にも J-League 経験者は李正秀と金正友 ( 名古屋。現在光州尚武 ) がいた。
代表から引退した朴智星そして李栄杓、そして怪我で離脱した李青龍 ( Bolton ) の抜けた穴は最後まで埋まらなかった様だった。

北京五輪メンバーが中心。だから豪華メンバー…

欧州組み6人 ( 岡崎、本田、香川、長谷部、吉田、内田 ) そしてワントップには李忠成が起用された。2列目には右から香川( Dortmund ) 本田 ( CSKA Moscow ) 岡崎 ( Stuttgart ) が並ぶ非常に豪華なメンバー。 
ボランチには遠藤 ( G 大阪 ) と長谷部 ( Wolfsburg ) DFラインは肩の手術で不在だった長友に替って駒野( 磐田 ) がスタメン。右SBには11月の韓国戦以来の駒野、CB はVVV Venlo の吉田とFC東京の今野。伊野波、栗原は起用されなかった。
闘莉王はどうなるのだろう…
それにしてもマスコミをはじめ谷底の世代なんてボロクソに言っていた1次リーグ3連敗に終わった北京五輪。そのメンバーから5人 ( 李、香川、本田、岡崎、内田 、吉田 )がこの試合のスタメン。そして今や代表の中心選手。他にも家長、柏木、細貝そして長友…。あれからたった3年しか経っていない。確かに我が国には言論の自由は認められている….

                 
GK 1 鄭成龍(水原) 184/85 DF 22車杜里( Celtic)181/79, 14 李正秀(Al-Saad)185/76, 3 李宰誠(蔚山)180/75,
4 金英権(大宮)187/74, MF 16 奇誠庸(Celtic)186/75, 13 具滋哲(Wolfsburg)182/73, 8 金正友(光州尚武) 182/71,
6 李容来(水原) 175/71, 11 李根鍋(G大阪)177/75, FW 10 朴主永 ( AS Monaco ) 183/72

         

GK 1 川島 (Lierse) 186/80 DF 3 駒野 (磐田) 172/76, 15 今野(FC東京) 178/73,20 吉田 (VVV)189/80,
6 内田 (Schalke) 176/67, MF 7 遠藤 (G大阪) 178/75, 17 長谷部 (Wolfsburg) 177/65, 10 香川 (Dortmund) 172/63,
18 本田 (CSKA Moscow) 182/76, 9 岡崎 (Stuttgart) 174/75, FW19 李忠成 ( 広島 ) 182/73


松田直樹を偲んで…そして日本の猛攻…
試合前国歌斉唱(このシーンはテレビ中継されず)に続いて6日前に亡くなった松田直樹選手の為に黙とうがささげられた。
地元開催の夢のワールドカップ。あの時の事を思い出すととても幸せな気分になる。それからもう9年が経った。まだまだこれから人生が続く選手だったのに残念だ。それとともに自身の健康も..と思わせられた。
この日のピッチ上のメンバーで2002年大会の経験者は車杜里と松田だけになってしまっていた……

韓国のキックオフで始まった試合は開始から日本がシュートシーンを見せる。1分15秒長谷部のパスを受けた本田がDF3人に囲まれながら岡崎にパスを出しシュートを導き、3分24秒にはワンタッチパスを繋いで本田が今度はシュートを放ち
CKを得ると遠藤が入れたCKに逆サイドから走り込んだ長谷部が折り返し攻撃参加した吉田に送るが惜しくも合わない。
その後は車杜里が攻撃に絡み韓国のシュートシーンが演出される。6分37秒、奇誠庸から具滋哲に送られ右サイドを上がった車杜里を経て金正友に渡り上げられたクロスに李根鍋がヘッドを放ちクロスバーを越え、7分29秒には車杜里が2002大会を彷彿させるドリブルシュートを放つがこれはGK川島正面。この時間帯車杜里のマークが少し甘い様に見えた。
これがワールドカップ予選を含めた何かの大会であれば両チームとも相手の立ち上がりの様子をもっと見たかもしれない
その後は本田、香川を中心として前線でボールが廻る様になる。本田にボールが入るとマークが次々に寄って来るが上手くかわし囲まれても振り切るシーンが最後まで目立った。17分15秒にはついに奇誠庸が止めたチャージにイエローカードが出された。
それでも今度は朴主永、李根鍋が攻撃に絡み韓国がシュートシーンを見せる。18分15秒には朴主永からボールを受けた李根鍋が左サイドから挙げたクロスに金正友がフリーでヘッドを放つが駒野が身体を入れてゴール枠を外させ、20分47秒にも右サイドから李根鍋が起点となり李容来に渡り逆サイドに走り込んだ朴主永が駒野がマークに入る前にシュートを放つがサイドネットを直撃した。 
22分を過ぎると日本のワンタッチパスがどんどんつながり日本が主導権を握る。 23分には本田が内田とワンツーで抜けるところを李根鍋が倒した。当然イエローが出されると思ったがウズベキスタン人のイルマトフ主審はカードを出さなかった。
24分韓国は金英権が怪我でベンチに下がり朴源載(全北)が投入される。金英権は3日後の清水戦も欠場してしまった。この交替も韓国に苦戦を招いた一因となっただろう。
24分41秒から日本は3連続CKのチャンスを得たがゴールは奪えなかったが韓国を完全に自軍ゴール前に釘付けにしていた。31分54秒にはカウンターから香川がドルブルで突破し李忠成に送り朴源載をかわしてシュートを放つが惜しくも決まらない。先制ゴールが生まれそうな雰囲気が続く中34分、韓国はカウンターに転じたが李根鍋からボールを奪った遠藤が(2人ともガンバだけど。)相手DFを引きつけ右サイドから中に入れると李忠成がワンタッチで角度を変えると走り込んで受けた香川が朴主永と李正秀をかわして撃ったシュートが韓国ゴールに突き刺さった。




10分42秒と21分37秒(この時は鄭成龍がナイスセーブ)に惜しいシュートを放っていた香川が3度目の正直で決めてくれた。
昔の代表は優勢に試合を進めているうちに何とか得点をと思っていても反対に失点を喫する事が多かったが最近はゴールを決めてくれる時の方が多いと思わせられる。
先制ゴール直後に岡崎がベンチに下がりC大阪の清武が投入された。 岡崎は18分に足を痛めていた…帰国後のMenchengladbach戦は欠場した。
すると今度は12分前に投入された朴源載がベンチに下がってしまった。遠藤の放ったシュートを顔面に受けたその後遺症らしい。次に投入された右SBはかつて中田浩二が所属したスイス Basel でプレーする朴周昊。磐田、鹿島でもプレーした選手。スタメンかなぁ…とも思っていたのだけど。この日対峙したかつての僚友内田の印象はどうだったのだろう。
40分長谷部からボールを受けた清武が李宰誠がマークに入る前に李忠成に送り中央の本田に折り返すが本田のシュートは惜しくも決まらない。 本田の表情から得点を決めたいと言う気持ちが溢れ出る。
その1分後今度は中央やや右の朴主永が中央から朴周昊のパスを受けてシュートに持ち込むがゴールポストの右に外れて行く。
このシーン、後方から入れられたボールに一旦駒野が追い付いたが後方から追った李根鍋にかかとを踏まれて転倒。こぼれ球は吉田がヘッドでCKに逃れようとするが李根鍋の駒野へのプレーがファールに取られたと思った吉田がボールを拾いに行った李根鍋を追うのを止めたがイルマトフ主審は笛を吹かずプレーは続けられ李根鍋が朴周昊に折り返し繋がれシュートに持ち込まれた。
ワールドカップ予選でアジアの主審はこういうときでも笛を吹かない時があるので最後まで…と解説者も言っていた。 
そして前半は日本リードで終えた。日本リードで前半を終えたのは…あの1998年の Dynasty Cup 以来かな….
でも久々と言うよりも初めて日本が韓国をほぼ45分間圧倒し続けたのを見た。

 

2追加ゴールそして完封勝ち!

1失点後韓国は朴主永と李根鍋のポジションが入れ替り李根鍋がワントップに入った。朴主永は後半見せ場を創れず58分にはベンチに下がった。これまで各年代代表の試合を含めて何度か彼に苦しめられたがこの試合はまだ来シーズンの所属先が決まっていない中個人練習は続けていたのだろうが調整不足も否めなかっただろう。



日本は先制ゴール後ワントップの李忠成を残してブロックを創って引いていたが後半開始からは再び総攻撃を仕掛けた。
早々に李忠成が倒されて得たFKを本田が直接狙うが壁に当たってCK。遠藤が入れたCKは吉田がヘッドを放つが惜しくも決まらない。その直後には右サイドでスローインを受けた清武が中に入れると李忠成がスルーをし香川のショットを導くが車杜里に当たり決まらない。48分22秒には内田のスローインを李忠成がヘッドで落とし清武が拾って本田に渡すがシュートにやや力が無くGK鄭成龍の正面に。49分6秒には吉田からボールを受けた李忠成を李宰誠が倒してイエローが出される。
劣勢の韓国は52分に李容来、李根鍋を下げ金信旭を1トップに入れて2列目にC大阪の金甫?を投入し打開を測るが、その直後に日本に追加点が生まれる。遠藤からボールを受けた香川が左サイドを上がった駒野に送り朴主永をかわしてシュートを放つ。鄭成龍が何とか弾き出すもこぼれ球を拾った清武が中央の本田に送ると本田が数歩バックしながらも放ったシュートは韓国ゴールに突き刺さった。
本田の喜びようを見ると本当にゴールに飢えていたと思った。それは対韓国戦へのゴールだろうか…




その3分後遠藤が奇誠庸からボールを奪うと李忠成、本田を経由して香川に送られ更に右サイドを上がった清武に繋ぐ。清武はそのままドリブルで上がり入れたクロスに香川が走り込んで合わせてリードを3点差に広げるゴールが決まった。
そして長谷部に促されて選手達が天を指さした。 松田にも届いたと思う。



自分は韓国相手に3点目を奪うのを見たのは初めてだった。
それにしても韓国DF陣、李正秀、李宰誠そして金正友は完全にマークが遅れていた。 

3点差をつけられた韓国は58分朴主永に替って尹比家林が入る。196cm長身の金信旭が1トップ。2列目には右から具滋哲、トップ下に金正友、左に金甫?が入りボランチに奇誠庸と尹比家林が入った。奇誠庸は比較的前に出て来る様になった。
こうなると日本に是非4点目を、出来れば李忠成に決めて欲しいと思ったが57分内田のクロスにそして65分10分前に駒野に替って左SBに入った槙野のクロスに合わせたヘッドは惜しくも決まらなかった。

  

70分には相手からボールを奪った内田が李忠成とパス交換で抜け出しほぼ中央をドリブルで突破。マークに入った李宰誠、奇誠庸を振り切り放ったドリブルシュートはGK鄭成龍も破ったが右ポストを直撃する惜しいシュートに終わった。これが決まって入れば歴史的な4点差になっていたのに…..
韓国も対日本戦で何とかリードを縮め様とワントップの金信旭にボールを集めゴールを狙う。59分16秒には金正友からのロビングに金信旭が飛び込むが吉田が身体を入れて思う様にヘッドを撃たせない。71分30秒には65分に遠藤に替ってボランチに入っていた阿部のファールで得たFKを奇誠庸がゴール前に放り込み具滋哲がフリーでヘッドを放つがゴールポストの左に外れる。73分20秒には車杜里のクロスに金信旭がシュートを放とうとするもここも吉田が身体を張りシュートコースを外させる。3点差がついていたと言う事もあるが、韓国の決定力不足、そしてこの試合の結果を物語るシーンであった。



後半は車杜里が一人気を吐くシーンが何度かあった。昨年は2大会ぶりにワールドカップ出場を果たした。父親車範根には何度も日本はやられてばかりで本人も“もっとも印象に残っている日韓戦は1972年のアジアユース準決勝戦。代表との試合で接戦だった記憶が無い。”と言われてしまったが、子息はそうは思わなくなっただろう。
結局スコアーは動かず日本が6年振り、そしてホームでは13年振りの勝利を収めた。



2010年2月の東アジア選手権、5月のキリンチャンレンジカップでの連敗、試合内容と比較するマスコミも多いがその試合は共に韓国の方が日本戦の前に試合を入れておりコンディションに差があった。コンディションさえ同じなら昨年10月のソウルでの韓日戦も Asian Cup でも試合内容は互角以上。

韓国はやはり李栄杓の抜けたSBの人材不足そして朴智星の存在が埋まらない事が改めて浮き彫りにされた。
それにしても韓国の選手達、一体どうしたのだろう?いつもの様にがつがつと当たって来る印象が薄かった。それは日本の各選手達のテクニックが完全に韓国の選手達の当たりを凌駕していたと言う事もあるが、コンディションが整わなかったのか?
今回は日本が3点差の勝利だったが、李青龍、池東元がいたら、そしてもう少し他の選手達のコンディションが上がっていればもう少し違った結果になっていたかもしれない。



試合後長谷部が “これで韓国に対日本戦へ苦手意識が植え付けられれば。”と語っていたがそれはこの次の試合結果に委ねられると思う。日本はまだ韓国戦に“連勝”した事が2度しかない。
1974年9月28日に 東京国立競技場で4-1 で勝利を収めた次の韓国戦は翌年8月9日マレーシアで行われたムルデカ大会。車範根、金在漢、李栄武、朴成華、趙栄増、朴商寅そして復帰した金鎮国らを加える等大敗した日韓戦から選手10人を入れ替えた韓国は車範根の3ゴールで 1-3 で完敗し更に約1カ月後韓国ソウルで行われた韓日定期戦でも 3-0 で日本を破り半年後国立競技場で行われたモントリオール五輪予選でも 2-0 で日本を破り ( 翌週ソウルで行われた同予選では釜本の2ゴールで 2-2 の引分け )完敗を完全に払拭されてしまった。

次にいつ韓国と対戦するか解らないがもう一度完勝を収め今度こそこれまでの立ち位置を逆転させてほしい。

いやその前に9月2日に朝鮮民主主義人民共和国を破って対南北朝鮮に連勝を収めてほしい。


日韓戦 朝鮮日報 日本語版から

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先週末、いつもの様に残業を終えようやく自宅に辿りつこうとした時に携帯が鳴った。
着信番号を見ると韓国からだった。でも韓国に居る人にあまり知り合いはいないんだけどなぁ….
電話の主は2年前にオーストラリアとドイツの見本市で知り合った韓国の方だった。私の名刺をしっかりと持っていてくれて日本に出張に来られたこの機会にわざわざ連絡をしてくれたのだ。
電話で翌日に会う場所と時間を決めて電話を切った。 
そして翌日….都心は集中豪雨に見舞われた…..

札幌での日韓戦から10日近くが経とうとするがその試合の話題は尽きない。
私もこの試合は何度も繰り返して見たい試合の1つだ。 
試合後韓国ではどう報道されたのだろう……

サッカー:日本に0−3で完敗 、37年ぶりの屈辱
相手はアルゼンチンでもブラジルでもなかった。明らかに韓日戦だったが、韓国は信じ難いほど日本にいいようにやられた。韓日戦の中でも最悪の勝負として記憶されるであろう「札幌ショック」だった。
 趙広来(チョ・グァンレ)監督率いる韓国代表は10日、札幌ドームで行われた日本との親善試合で、0−3と完敗した。韓国サッカーは、日本が誇る欧州組の香川真司(ドルトムント)に2ゴール、本田圭佑(CSKAモスクワ)に1ゴールを許し、あっけなく崩れた。3点差での敗戦は、1974年に東京で行われた韓日定期戦で1−4で敗れて以来のことだ。
 韓国は朴主永(パク・チュヨン)=ASモナコ=をワントップに据え、李根鎬(イ・グノ)=ガンバ大阪=が左サイド、具滋哲(ク・ジャチョル)=ボルフスブルク=が右サイドの攻撃をそれぞれ担った。日本は先発11人のうち7人が欧州組で、本田、香川、岡崎慎司=シュツットガルト=が攻撃陣を構成し、ワントップには在日韓国人4世で2007年に日本国籍を取得した李忠成(イ・チュンソン、日本名:り・ただなり)が入った。
 序盤から日本に押されていた韓国は前半25分、左サイドの金英権(キム・ヨングォン)=大宮=が足首を痛めて退場すると、守備が大きく乱れた。このチャンスを日本は逃さなかった。前半35分、李根鎬が左サイドでボールを奪われると遠藤に突破を許し、ボールを受けた香川がゴールを決めた。
 後半に入り、日本の攻撃はいっそう威力を増した。後半8分に本田、同10分には香川が相次いでゴールを決めた。本田と香川はずば抜けた個人技で自在に動き回り、韓国の守備陣をほんろうした。これまで激しいライバル争いを演じてきた両国だが、バランスが日本に傾いていることを思わせる場面だった。
ミックスゾーンで取材を受けた韓国の選手たちも、完敗を認めた。車ドゥリが「あらゆる面で韓国が負けたゲーム」と話すと、金英権は「うまい。日本は本当にうまい」と語った。香川は「日本がパスするたびにスペースが生まれた。韓国の選手たちは日本に付いてこられなかった」とコメントした。
 1年3か月前はこうではなかった。昨年5月、ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会直前に埼玉スタジアムで行われた親善試合では、韓国が日本を圧倒し、2−0で勝った。この試合でDF4人をかわして先制点を挙げた朴智星(パク・チソン)=マンチェスター・ユナイテッド=は「日本サッカーは後退している感じ」とコメントした。「アジアでナンバーワンのスター」の気迫に、日本は完全に押されていた。
 日本サッカーに変化が訪れたのは、W杯南アフリカ大会以降だ。香川をはじめ長谷部誠=ボルフスブルク=、長友佑都=インテル=、内田篤人=シャルケ=らが欧州の舞台で主力として大活躍した。とりわけ昨シーズン、ブンデスリーガで上半期の最優秀選手(MVP)に選ばれドルトムントを優勝に導いた香川の存在は、多くの選手がドイツに進出する起爆剤の役割を果たした。日本代表のザッケローニ監督は、今回の韓日戦に欧州組14人を招集した。そのうち6人がブンデスリーガの選手で、この日は4人が先発した。
 一方の韓国は、アジア・カップを最後に朴智星と李栄杓(イ・ヨンピョ)が代表を引退した上、李青竜(イ・チョンヨン)=ボルトン=はけがで戦列を離れ、チ・ドンウォン=サンダーランド=は所属チームの事情でこの日の試合に出場できなかった。
 日本でサッカーコラムニストとして活動する吉崎氏は「日本サッカーは本来の美しいスタイルに欧州組が多数加わったことで、パワーアップして全盛期を迎えている。弱点といわれていた決定力も、欧州レベルに近づいている。一方の韓国は、朴智星が代表を引退して以降、変化に十分に対処できていないようだ」と指摘した。
 W杯への8大会連続出場を目指す韓国代表は来月2日、アジア3次予選の第1戦でレバノンと対戦する。




趙監督「日本は中盤が素晴らしい」

2000年以降の韓日戦、韓国はアウェーで負けなし
日本列島がこれまでになくサッカーで熱くなっている。今年1月、イタリア人のアルベルト・ザッケローニ監督率いる男子代表がアジア・カップで優勝したのに続き、先月には女子代表が女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で奇跡のような優勝を成し遂げた。
 W杯アジア3次予選を控えた日本は、今年6月に強豪チェコと0−0で引き分けるなど、世界レベルの実力をつけてファンの期待を集めている。その勢いに乗りたいザッケローニ監督はきょう午後7時30分、札幌ドームで行われる韓日戦に、海外組を総動員する。出場メンバー23人のうち14人が欧州でプレーする選手たちだ。
 日本代表の現在の戦力は、歴代最高レベルと評価されている。韓国代表の趙広来(チョ・グァンレ)監督は「日本は世界レベルに近づいている。特に中盤でのプレーは素晴らしい」と話した。わずか1年3か月前、W杯南アフリカ大会の前に行われた親善試合では、朴智星(パク・チソン)を擁する韓国に0−2で敗れ、日本の取材陣は「日本は韓国の相手にならない」とうなだれていたが、今回は「確実に韓国を下すチャンス」というムードが広がっている。
 実力が上がっている理由はやはり欧州組だ。本田圭佑(CSKAモスクワ)や香川真司(ドルトムント)らが欧州の舞台で大活躍し、日本の攻撃力はワンランク上がった。本田はロシア・リーグで6ゴール(14試合)を挙げる活躍を見せる一方、香川は昨シーズン、ドルトムントをブンデスリーガ優勝に導き、6日のリーグ開幕戦でも活躍して好調ぶりをアピールした。
 韓国が常に優位とされてきたワントップのポジションでも、FW李忠成(イ・チュンソン、日本名:り・ただなり)が頭角を現し、日本にとって好材料となっている。李忠成は在日韓国人4世で、2007年に日本国籍を取得。今シーズンはJリーグで得点ランキング首位タイ(10ゴール)につけ、日本サッカーの慢性的な弱点だった決定力不足を解決するFWに挙げられている。また、今月4日、元日本代表の松田直樹選手が急性心筋梗塞で急死したこともあり、日本代表の決意はいっそう強くなっている。
 韓国は朴智星、李栄杓(イ・ヨンピョ)が代表を引退した上、李青竜(イ・チョンヨン)=ボルトン=、チ・ドンウォン=サンダーランド=、孫興民(ソン・フンミン)=ハンブルガーSV=が欠場するため、客観的に見ても戦力で日本に劣ると指摘されているが、韓国の選手たちは自信を見せている。趙監督は今回の試合で朴主永(パク・チュヨン)=ASモナコ=を前線に、李根鎬(イ・グノ)=ガンバ大阪=を左、具滋哲(ク・ジャチョル)=ボルフスブルク=を右にそれぞれ配し、日本のゴールを脅かす考えだ。ユース代表時代「日本キラー」と呼ばれた朴主永の足に注目が集まる。また、けがの李青竜に変わって右サイドのFWに入る具滋哲がどれだけ活躍できるのかも、勝負の大きな鍵になりそうだ。
 韓国は2000年代に入り、日本でのアウェー戦で3勝2分けと1度も黒星がない。朴主永は「日本での試合に向かう際はいつも、選手たちの決意が普段とは違う。韓日戦は結局、精神力の戦い」と語った。


サッカー:趙広来監督「サッカー人生最悪の瞬間」

日本に37年ぶり「屈辱的敗北」趙広来監督インタビュー
日本、欧州組14人で布陣「低めのシュートを見よ、日本は世界レベル」
「ロングボール・サッカーには戻さない」
「次はもっと徹底して準備、こんな試合は二度としない」

目も当てられないくらいゴールを入れられて、言葉が出ない。組織力が一瞬のうちにガラガラと音を立てて崩れてしまった。韓国サッカーがこのように崩れてはいけないのに…わたしのサッカー人生で最悪の瞬間だった

 10日、日本との親善試合で0−3という惨敗を喫し、「札幌の恥辱」という辛酸をなめた趙広来(チョ・グァンレ)韓国サッカー代表監督(57)の顔は憔悴(しょうすい)しきり、目は血走っていた。趙監督は一睡もできていないという。11日に札幌から仁川国際空港に到着するまで趙監督に同行取材したが、口数は少なかった。彼は「敗軍の将」だった。
 韓国のサッカーは1974年に東京で行われた韓日定期戦で1−4と敗戦して以来、37年ぶりに日本に3点差をつけられて負けた。スコアよりもっと屈辱的なのは試合内容だった。日本は組織力はもちろん、個人技でも韓国を圧倒した。2ゴールを決めた日本の「ゴールゲッター」香川真司(22)=ドルトムント=は「韓国人選手たちは日本人選手に付いてこられなかった」と語った。
 趙監督は「以前は韓国が技術面で少し劣勢でも、精神力と決定力で日本に勝つことができたが、今はそういう時代ではない。香川の低めを突くシュートを見てほしい。日本は決定力まで備えたチームになった」と言った。
 日本が急成長した原動力は、やはり欧州組の活躍だろう。昨年のワールドカップ時は4人にすぎなかった日本の欧州組は、今回の韓日戦の時点で14人に増えていた。
 昨シーズンにドイツでデビュー、一気に前半戦のMVPになり、センセーションを巻き起こした香川の活躍が、日本人選手の「ブンデスリーガ進出ラッシュ」に火を付けた。日本のJリーグはブンデスリーガと協約を結び選手情報を共有するなど、選手のヨーロッパ進出に力を入れている。韓日戦ベストイレブンのうち7人が欧州組だった。
 ミックスゾーンで取材を受けた韓国の選手たちも、完敗を認めた。車ドゥリが「あらゆる面で韓国が負けたゲーム」と話すと、金英権は「うまい。日本は本当にうまい」と語った。香川は「日本がパスするたびにスペースが生まれた。韓国の選手たちは日本に付いてこられなかった」とコメントした。
 1年3か月前はこうではなかった。昨年5月、ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会直前に埼玉スタジアムで行われた親善試合では、韓国が日本を圧倒し、2−0で勝った。この試合でDF4人をかわして先制点を挙げた朴智星(パク・チソン)=マンチェスター・ユナイテッド=は「日本サッカーは後退している感じ」とコメントした。「アジアでナンバーワンのスター」の気迫に、日本は完全に押されていた。
 日本サッカーに変化が訪れたのは、W杯南アフリカ大会以降だ。香川をはじめ長谷部誠=ボルフスブルク=、長友佑都=インテル=、内田篤人=シャルケ=らが欧州の舞台で主力として大活躍した。とりわけ昨シーズン、ブンデスリーガで上半期の最優秀選手(MVP)に選ばれドルトムントを優勝に導いた香川の存在は、多くの選手がドイツに進出する起爆剤の役割を果たした。日本代表のザッケローニ監督は、今回の韓日戦に欧州組14人を招集した。そのうち6人がブンデスリーガの選手で、この日は4人が先発した。
 一方の韓国は、アジア・カップを最後に朴智星と李栄杓(イ・ヨンピョ)が代表を引退した上、李青竜(イ・チョンヨン)=ボルトン=はけがで戦列を離れ、チ・ドンウォン=サンダーランド=は所属チームの事情でこの日の試合に出場できなかった。
 日本でサッカーコラムニストとして活動する吉崎氏は「日本サッカーは本来の美しいスタイルに欧州組が多数加わったことで、パワーアップして全盛期を迎えている。弱点といわれていた決定力も、欧州レベルに近づいている。一方の韓国は、朴智星が代表を引退して以降、変化に十分に対処できていないようだ」と指摘した。
 W杯への8大会連続出場を目指す韓国代表は来月2日、アジア3次予選の第1戦でレバノンと対戦する。
サッカー:「日本の実力を認めて変わるべき」

「技術を磨かなければ日本に勝てない」

過渡期の韓国代表、パスサッカーが定着すれば状況に変化も「日本は確実に以前より強くなった」。

KリーグFCソウルの崔竜洙(チェ・ヨンス)監督代行は11日、親善試合で韓国代表を0−3の惨敗に追い込んだ日本について、こう評価した。崔監督代行は現役時代、韓国代表として韓日戦に数回出場した上、2001年から6年にわたりJリーグの京都パープルサンガ、ジュビロ磐田などで活躍(原文ママ)した「知日派」だ。崔監督代行は「私がプレーしていたころも、体力と精神力では韓国が上回っていたが、テクニックの面では劣っていたのが事実。最近は日本も体力と精神力が強くなり、怖いチームに変わった」と語った。今や日本の方が優勢であることを認め、韓国も世界の舞台で通用する先進的なテクニックサッカーを目指すべきとの指摘だ。
 札幌ドームに登場した日本代表は確実に変化していた。もはや昨年5月に韓国に0−2で敗れた日本ではなかった。中盤でのパス回しでボール支配率を高め、攻撃の際にはDF陣を瞬時に崩して得点を挙げた。日本サッカーをこうしたカラーに染めているのは「欧州組」で、今回の日本代表に14人も招集された。韓国は李青竜(イ・チョンヨン)=ボルトン=やチ・ドンウォン=サンダーランド=を欠き、欧州組は6人にとどまったが、日本はその倍以上だったわけだ。さらに日本の欧州組は、大半が所属チームの主力として活躍している。
 日本は選手層だけでなく、客観的な数字でも韓国を圧倒している。日本は国際サッカー連盟(FIFA)ランキング16位で、韓国(28位)を12ランクも上回る。韓国がFIFAランキングで日本より上位だったのは、7年前の2004年7月(韓国20位、日本24位)が最後だ。また、韓国は1960年以降、アジア・カップで優勝していないが、日本は2000年以降、3回制覇(2000年、04年、11年)している。
 昨年から日本代表を指揮するイタリア出身のアルベルト・ザッケローニ監督は、多彩な攻撃戦術を駆使している。日本のサッカー専門誌「サッカーマガジン」や総合スポーツ雑誌「Number」に、韓国と日本のサッカーについてのコラムを連載している吉崎英治氏(37)は「ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会以降、日本はザッケローニ監督の下で、美しくまとまったサッカーにスルーパスや突破のようなカラーを加えた。一方、韓国は闘志やスピード、体力を強調する従来のスタイルを完全に捨て去り、趙監督式のパスサッカーをスタートさせたようだ」と指摘した。また「2000年代初めの日本サッカーは、小野伸二らが中心となって韓国に競り勝っていたが、02年のW杯では韓国に押されていた。韓国が、今取り組んでいるテクニックサッカーを完成させれば、状況はまた変わってくるかもしれない」と話した。
 専門家は「これからは精神力や闘志だけのサッカーではなく、テクニックサッカーを目指すべき」と口をそろえる。世宗大のイ・ヨンス教授は「韓国は特有のプレスやスピーディーで短いパス、FWとMF陣の有機的な動きを生かしたサッカーをしなければ日本との競争に勝てない」と指摘した。




これまでの韓国戦を振り返ると常に一歩先を行っている様に思えた。例え日本が五輪やワールドカップに出場出来る様になっても、日本は出られても韓国はアジア予選の壁に阻まれたという事は無かった。 U20, U-17 レベルになると1990年代以降では日本の戦績が韓国を上回る様になったがU-20 では2大会連続で韓国に直接対決で敗れて世界の舞台に上がれなかった。 生きるか死ぬかの試合を制してこそ、と思うのだけどまだ韓国が1枚とは言わなくても 0.5枚は上手ではないかと思っていた。
1980年代に入り日本選手達の技術は飛躍的に進歩した。それまでの数人の選手を除いて五輪予選等のアジアの戦いでは韓国や中近東勢は愚かマレーシアやインドネシアといって東南アジア勢を相手にしても優位に立っているとは言い難かった。1980年末に香港で行われたワールドカップ予選で日本代表はテクニックの高いパフォーマンスを見せたらしい。そして技術面では中国、北朝鮮相手に五分以上の戦いを見せ1982年アジア大会で韓国に勝利を収めこれでいよいよ対韓国戦はと思った1983年の日韓定期戦。1-0でリードしながら終了直前金景浩に同点ゴールを喫し、テレビを見ていた私は“これでロス五輪予選はまた苦戦するかもなぁ..” と思ったのを憶えている。
圧倒的にあった日韓の差はなかなか縮まらず、今度こそと思っていても91年の日韓定期戦の様に 0-1 で敗れたり、ドーハでのワールドカップ予選で勝利し次も勝てば日韓の立ち場はかなり変わるだろうと期待した広島アジア大会の準決勝戦でも終了直前黄善洪のPKで敗れたり。 最後は韓国の勝負強さを見せられ続けて来た。
日本がアジアで頭一つ抜けた存在になる為には次に韓国と対戦した時にしっかりと勝利を収める事だ。
そしてその次はオーストラリアだ…..


サッカー:李忠成の父「昔は韓国応援したが…」

世界で最も見返りを求めない愛は両親の愛だ。昔は「子の口に飯が入っていくことと、川から分かれた水が水田に流れ込むことよりいいことはない」と言ったものだ。10日、札幌ドームに一人の父親がやって来た。
 李忠成(り・ただなり、25)=広島=の父・鉄泰さん(53)だ。鉄泰さんは、東京都西東京市で飲食店を経営しているほか、日本産のマグロを韓国に輸出する貿易業もしている。
この日、生まれて初めて韓日戦にスタメン出場する息子の姿を見るため、札幌を訪れた。韓国の報道陣からインタビューを受けた鉄泰さんは、息子があれほど夢見ていた国家代表の主力FWになったのにもかかわらず、笑顔がなかった。いや、笑うことができなかった。
 在日韓国人3世として日本で生まれ育ちながら、祖国である韓国にも、生活の基盤である日本にも歓迎されなかった。他人には分からない痛みが分かるからこそ、2007年に在日韓国人4世である息子の日本国籍取得を許した。
 「韓日戦があると、忠成が幼稚園のころから、一緒に東京の国立競技場に行っていました。そして、二人でのどが張り裂けんばかりに『大韓民国』と叫びました。今は忠成が日の丸を付けてプレーするようになったので…」
 鉄泰さんの言葉は途切れてしまった。
 それでも、自分なりの意義を見いだそうとしていた。鉄泰さんは「忠成は日本代表チームで唯一の韓国系日本人として『李』という姓をユニホームに付けています。これは日本のサッカーの新たな歴史です。父親として息子が一生懸命プレーしてくれることを望んでいますが、相手が韓国だからか、わたしの気持ちはかなり重いですね」と言った。
 「韓国でも忠成のことをよく思っていない人は多いでしょうが、日本でもまだ日本代表としての忠成をよく思っていない人が多いです。これから韓日両国で忠成を高く評価する人が増えればいいですね」
 李忠成は2004年にU-19韓国代表候補になり、合宿訓練に参加したが、韓国代表には選ばれなかった。07年に日本国籍を取得した後、日本の五輪代表チームで活躍し、今年1月にはカタールで行われたAFCアジアカップ2011で初めて日本のA代表になった。




韓国マスコミが注目したもう一つのトピックは李忠成がこの試合に出て来るかという事だった。
1月の Asian Cup では途中出場直前まで行ったが、投入直前に長谷部が負傷して急遽本田拓也が投入され出番が回って来なかったが今回は堂々のスタメン出場だった。

14年ほど前,昔いた職場に在日韓国人の先輩がおられた。国立大学の朝鮮語学科の卒業生で韓国やアメリカに留学され英語も非常に流暢に話される人だった。スポーツも好きな方でインターネットの発達しない時代に韓国のアップデートなスポーツ事情をよく教えてくれた。当時はワールドカップフランス大会のアジア地区予選が行われていて苦戦する日本代表の叩きぶりに私達と一緒に“ワールドカップ行けないんとちゃうか?”と嘆いていた。仲の良かった私は普通に
“先輩、韓国応援しなくて良いんですか?”と訊ねると
“俺は日本で生まれて日本で育ったから日本人と一緒や。”と即答された。
そしてサッカーのみならず日韓対決があった後は日本が勝っても韓国が勝っても引き分けてもいつも韓国の取引先の人達に色々言われていたらしい。 ラモスが帰化した時も“何故日本は日本人だけで韓国と戦わない?”とずいぶん筋違いな事を言われたらしい。
先輩の色々な話を聞いて在日韓国人は韓国で必ずしも100%歓迎されている訳ではないと言う事が解った。
同様の事は海外に渡って成功した韓国人にも言えるらしい。 韓国から移民して事業を成功された方が言っていた。
“もう韓国に里帰りをしたくない。 名前しか知らない親戚が押し寄せて来ては子供の留学の受け入れをしてくれとか何かをせがんできて断ればとたんに機嫌が悪くなる。それに海外での成功をこんなに妬まれるとは思わなかった。”
記憶に新しい2006年トリノ五輪の男子モーグルスキーで銅メダルを勝ち取ったアメリカ代表のトビードーソン選手の事も。
親に捨てられ釜山の孤児院で育ち1992年アメリカでスキー教室を営む夫婦に養子として引き取られアメリカ代表でメダリストになり“生みの親を探したい。”と言うや否や200人もの韓国人が生みの親と名乗り出した….. “等分韓国には行かない。”と漏らしたドーソン選手の心中を察するのは難しくない。
結果を出したいと最も強い思いでこの試合に臨んだのは李忠成だっただろう。
それだけに李忠成のゴールを見たかった。しかし2得点をアシストしたのは李忠成。

かれこそこの試合の Man of the Match にふさわしいと思った。 

日韓戦 朝鮮日報 韓国語版から

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折角韓国からお客さんが来て連絡をくれて会ってもお互いに日本語、韓国語を良く理解出来ないので突っ込んだ話が出来ない。でも顔を合わせるだけで伝えたい事は良く解るのだけど。せめて英語を解ってくれればなぁ….
それでも10日の日韓戦の事は話が出来た。李青龍の怪我が痛かったと話していたけどもう日本の方がずっと素晴らしいと言ってくれた。それが本当なら良いんだけど…

最近は翻訳ソフトなる便利なものがある。そして更に google 翻訳でもかなりレベルの高い翻訳がなされどんな言語でも英語までなら完璧に近い翻訳になって出てくることも。まだ日本語は英語ほどではないけど…
しかしその方が良い。不完全のままでないと私の様に外国語を勉強して来た人間の存在価値が無くなってしまうから…… 下記の記事は日韓戦後に朝鮮日報韓国語版から日本語版に載っていなかった記事を拾って Google翻訳で訳したもの。 韓国語が解れば微調整できるのだけどその辺はご勘弁願いたい。

한국축구, 떠난 박지성을 잊어라

韓国サッカー、去った朴智星を忘れろ

趙広来韓国代表が日本に0対3の惨敗を喫した事から国家代表を引退した朴智星 (30 •マンチェスターユナイテッド)の名前が頭を持ち上げる。 端的な例として、日本に負けた試合のメンバーにも入っていない朴智星が人気検索語に急上昇した。 また、ネットユーザーのコメントの中には朴智星がなくなったという式文がたくさん上って来た。

朴智星が今回の韓 - 日戦に出場した場合、試合の内容と結果が違っていただろう。 実際に日本の選手は朴智星に対する恐れがある。 日本のメディアは試合後、朴智星がない韓国が揺れてしまったと評価した。

▶7ヶ月の間に朴智星の不在は、忘れられていた

趙広来監督は去った朴智星を呼び戻す事が出来る。 しかし、冷静に考えれば、朴智星を忘れなければ韓国サッカーが発展することができない。 朴智星がすぐにでも引退宣言を撤回して戻って復讐をしてくれたら心を持ち直す事ができる。 しかし、それは韓国サッカーの発展を遅らせることになってしまう。

朴智星は今年2月カタールのアジアカップを終えて、代表引退を宣言した。 右膝が頻繁に悩みを起こしている状況で Manchester United のクラブの試合に集中したいというのが理由だった。 そして33歳になる2014年のブラジルワールドカップの時は今のような競技力を維持しにくいと考えた。 そのため、若い後輩たちに機会を与えるのが正しいとした。 それでも朴智星の復帰の可能性を完全に断念したわけではない。 韓国サッカーが本当に危機に陥ったとき、国民が朴智星を望めば、復帰を提案することができると趙広来A代表チーム監督は言った。
朴智星が引退してから韓国代表は5回の親善試合で3勝1分け1敗を記録した。 今回の日本戦での敗北まで連勝中だった。 朴智星の抜けた穴はそうすぐに埋まるのかという疑問まで聞いた。 朴智星がなくてもうまくいくという考えまで出た。
順調だった趙広来政権に急制動がかかった。 拙戦の末に負けたのはいうまでもない。
しかし、韓国サッカーが、朴智星を探すほど崩壊したわけではない。 まだ朴智星が救助の為に出場するような大きな危機ではない。 まだ趙広来政権下では次の公式戦は始まっていない。来月2日、レバノン戦からワールドカップブラジル大会アジア地区3次予選が始まる。



▶今の危機は、朴智星が出る時期ではない

趙広来代表は韓 - 日戦で一つの確かな教訓を得た。 朴智星が代表チームを去った7ヶ月の間、"第2の朴智星"とする代わりに育ててことができなかった点だ。 朴智星は、引退記者会見で、自分の後継者と金甫?、孫興民 等の名前を言った。 趙広来監督は、池東元を朴智星のポジションで起用してみた。 朴智星が着けていたキャプテンマークは朴主永に渡した。 移籍するチームを探す為に訓練もまともにできなかったと言った朴主永が見せたパフォーマンスとリーダーシップは残念な結果に終わった。 誰もが最高としたが、そのリーダーシップが消えて、現在、代表チームには、危機の状況下で中心になって立ち向かってくれるリーダーがいない。

結局、時間が必要だ。 むやみに待つことはできない。 韓国サッカーは、ブラジルのW杯本大会までの3年以内に、"ポスト朴智星"を見つけて成長させなければならない。 韓国が格下だと思っていた日本のサッカーは中田英寿が2002年の引退以来、中村俊輔が舵を取ったし、今では本田と長谷部が主軸になっている。 香川の成長の非常に著しい。

▶ニューキャプテン朴主永がすぐに立て

韓国サッカーの朴智星の代わりを見つけられずにさまよってい続けたならば、日本とは全く別の凋落の道を辿ってしまう。
その典型的な事例がジダンが抜けたフランスのサッカーだ。 2006年のドイツワールドカップ準優勝以来、ジダンが引退したフランスは、2010年のFIFAワールドカップでは1次リーグ脱落という悲惨な結果を生んだ。 フランスに未だ存続しているその陰から抜け出すのは容易ではない。

朴主永が急いで主将の真の姿を示さなければならない。 そのために朴主永は急いで自分の所属先を定めなければならない。 そうすれば、競技力をきちんと維持することができる。 そうすれば、代表チームの後輩たちも朴主永を尊敬のまなざしで見る。 主将が、所属先を数ヶ月も探しているということは恥ずかしいことである。

また、朴智星の後継者として有力な候補に上がった朴主永は、プロ意識を持って急速に世界的水準に成長していかなければならない。 現在の実力に満足してはならない。 朴智星の抜けた穴をきちんと埋められない場合は、再び朴智星が帰ってくると、それより加えたチヨクスロンことはないだろう。 朴智星は、救世主として代表に帰って来た日があって韓国は日本にあった'8月10日の屈辱"を払拭することができる。



かつて愛する京都でプレーした朴智星が代表から引退して日韓戦は韓国の1分1敗。 今回の惨敗を見て朴智星復活を求める声がどれだけ高まっているのだろう?
朴智星は1人で局面を変える力があった。それはサッカーのみならず全ての球技で必要な選手だ。
日本もかつてフランスワールドカップ予選で苦戦を繰り返していた時にラモスを復帰させろとかジーコをテクニカルアドヴァイザーにしてベンチに置けとか当時磐田でプレーしていいた現役セレソンのドゥンガにアドヴァイスを求めよとか滅茶苦茶な意見が飛び交った。最終的に加茂監督更迭の後を受けた岡田監督がUAE 戦から北澤をトップ下に置くフォーメーションに変更し前線でボールが良く回る様になり最後の2試合、韓国、カザフスタン戦に連勝しジョホールバルでイランを破り悲願のワールドカップ初出場を決めた。 まさか朴智星が代表に復帰するとは考えにくいが…でもアルゼンチンもマラドーナが復帰したしなぁ….




下記の記事は日本語版に掲載されていた記事。

サッカー:あまりに大きかった朴智星の穴=韓日戦

リーダー不在で右往左往
朴智星(パク・チソン)=マンチェスター・ユナイテッド、以下マンU=は韓国代表を引退してもなお、話題に上ることが多い。
 韓国は10日、朴智星が代表を引退してから初となる韓日戦で0−3と完敗し、朴智星の存在がいかに大きかったかを実感した。
 昨年5月に行われた日本との親善試合で、朴智星はDF4人を交わして先制ゴールを決めると、ゆっくりと日本の観客席を見詰めた。その気迫に驚いた埼玉スタジアムは、しんと静まり返った。試合後、日本の取材陣は日本サッカーに対してコメントを求めようと、朴智星の周囲に殺到した。
 それから1年3カ月。朴智星のいない韓国代表は、全く異なる様子を見せた。朴智星はサイドと中央を駆け回り、攻撃と守備の双方に積極的に参加する「酸素タンク」だったが、その存在のない韓国はプレスが甘く、攻守の切り替えも遅かった。
 韓国代表の趙広来(チョ・グァンレ)監督は「朴智星が抜けたのは、チームの実力という面でも損失だが、もっと大きな問題は、朴智星に匹敵するリーダーが見つからないことだ」と語った。2008年10月から今年2月まで代表の主将を務めた朴智星は、ソフトなカリスマ性でチームを引っ張った。練習時間の調整などについて監督に直接意見するなど、選手とコーチ陣の間で橋渡しの役割を十分に果たした。朴智星を中心に固くまとまった韓国は、昨年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会で、自国開催以外での初のベスト16という快挙を成し遂げた。
確固としたリーダーがいない韓国サッカーは、今回の韓日戦で日本の波状攻撃に簡単に揺さぶられた。日本のファンは試合後「朴智星のいない韓国は、ライバルではない」「朴智星がいないのでラクな試合だった」などと冷笑混じりにコメントした。

「朴智星のいない韓国は、ライバルではない」「朴智星がいないのでラクな試合だった」と言った人はいたかもしれないが新聞記事にする程の事かなぁ….
朴智星もさることながらもっと深刻な問題はサイドバックのタレント不足だろう。 李栄杓が代表から退き、良い後継者がなかなか見つからないらしい。今回は金英権と車杜里が起用されたが金英権はどちらかと言えばCBタイプの選手。だが金英権が怪我で25分にベンチに退き替って入った朴源載が12分で怪我で下がってしまいDF面でパニックになってしまった。これは八百長問題で召集出来なかった洪正好の離脱(実際は不起訴になった)が痛かった。どちらかと言えば攻撃面で定評のあ新潟の曹永哲をサイドバックに回すほど(実際は起用されなかった)であった。そして左サイドに車杜里を起用した事により両SBに守備の面で不安最後まで抱えていた。
守備面での不安はMFも同じだった。 李青龍、孫興民、池東元の3人が召集出来なかった事から具滋哲を2列目右サイドで使わざるを得なく、金正友と李根鍋を2列目に並べたが共に Asian Cup ではメンバーに漏れた選手。李容来がボランチというよりも2列目に近い位置に入り奇誠庸の1ボランチの様な形が続いていたがこれにより香川をはじめ日本のMF陣に自由に中盤を制圧され常に後手を踏んでいた事が苦戦の原因でもあった。
反対にいえば 李青龍、孫興民、池東元、洪正好らがメンバーに居ればこんなに苦戦はしなかったとも言えるかもしれない。




[한일전]한국, 한-일전 57년 역사상 첫 0대3 치욕패
【日韓戦】韓国、韓 - 日戦57年の歴史上初めて、0対3の敗戦

韓国サッカーの恥辱の日だった。

趙広来監督が率いる韓国A代表チームが、日本の札幌ドームで開催されたた韓 日戦で0対3で大敗した。
3点差の敗北は、1974年第3回韓日定期戦で1対4で敗北した後、37年ぶりだ。 1ゴールも挙げられずにゴ3点差で負けたのは、1954年に初めて対決して以来75番目の試合ぶりのことだ。

完全に翻弄された一戦だった。 攻撃から守備まで、すべての選手たちが右往左往している。 実力の敗北だった。

日本が主導権を握って振り切った。 短いパスを使用して主導権を握った。
韓国は李根鎬からのパスを受けた車ドゥリのシュート以外にこれといったパフォーマンスを見せることができなかった。
韓国はプレスも、パスもしっかりされていない。

先制点は日本だった。 前半34分、香川が初ゴールを決めた。 遠藤のパスを受けた香川は李正秀をかわした後に、右足でシュートを決めてリードをした。

後半に入って韓国の守備は力なく崩れた。 後半序盤から揺れていた。 後半7分に追加点が決まった。 駒野のシュートがGK鄭成龍の手に当たってこぼれたところをPAの右角にいた香川が左足で軽く渡した。本田は間髪いれずに左足でシュートを放つとゴールネットを割った。 2分後、日本のゴールがまた決まった。 香川であった。 右サイドから清武があげたクロスをゴール前に走り込み右足で軽く方向を変えて入れた。 3点差を付けられた韓国の選手たちは更に浮足立った。本田に続けてシュートを撃たれた。後半25分には内田に1対1でシュートに持ち込まれた。 このシュートはゴールポストに当たって決まらなかった。

韓国にもチャンスはあった。 しかし、慢性的な決定不足が明らかになった。 後半27分には具滋哲が直接フリーキックをそのままヘディングシュートを放ったが、惜しくも外れた。 31分具滋哲はまたチャンスを逃した。 ゴールキーパーと1対1になるチャンスであったがシュートは浮かしてしまった。

以来、韓国選手はミドルシュートを乱発して自ら崩れ去った。 空にポンポンとシュートを撃ちあげると共に韓国サッカーの夢も虚空に飛んだ。


[박재호의 현장속으로]한국 삿포로에서 무너지다
[朴主永 試合の現場から]韓国札幌で崩壊だ

日本が韓国を打ち負かそうと決意して試合に臨んだことを韓-日戦の3時間前札幌ドームに入ると、すぐに知ることができた。 選手たちの覚悟の表れた動画が試合開始1時間前から順番に大型電光掲示板で流れた。
日本サッカー協会は、今回の韓-日戦の広報にものすごい神経を使ったという裏付けだった。 入場券 4万枚が売り切れた。 スタンドで空席を見つけることができなかった。 競技前、札幌ドームの外ではダフ屋と切符を買うために行き来する日本のファンたちで大変な混雑を成した。

競技前にはびっくりイベントもあった。 ある中年男性がグラウンドに入ると、札幌ドームの観客席から歓声があふれた。 佐々木則夫サッカー日本代表監督だった。 佐々木監督は、女子W杯優勝で、日本に"なでしこジャパン"ブームを巻き起こした主人公だ。 佐々木監督は、直接ファンに女子W杯優勝報告と感謝の挨拶をした。 それとともに、"今日の日本代表チームの善戦を祈願する"とし、ファイトを叫んだ。 観客席は、再度ヒートアップした。

日本の刺激パレードはここで終わらなかった。

今月初めに練習中、急性心筋梗塞で倒れ、死亡した元日本代表の松田の葬儀は二日前のことだった。 この日の競技前韓-日両国の選手たちは、冥福を祈る黙祷をした。 日本の選手たちは試合前から、"松田のために"と叫び、試合前に黙祷を捧げた。

実はこの日の試合に先立ち、日本サッカー協会は、韓国の五輪代表チームも呼んで、"ダブル韓-日戦"を開催したがった。 しかし、韓国は、五輪代表選手の多くは、A代表チームに属しているなど、物理的に困難があって難色を示した。 結局、この日、日本オリンピック代表チームは、エジプトの五輪代表を呼んで韓-日戦に先立って"オープニングゲーム"との評価試合を行った。 日本がエジプトに2対1で勝った。 この日の札幌ドームには7時間以上も日本のサッカーファンたちであふれていた。
日本代表サポーター"ウルトラニッポン"は最初から、"KING OF ASIA"と書いた文言を掲げた。 韓国を越えてアジアトップに立たうとする彼らの夢だった。
この日の試合はサッカーを超えて全面戦争、白兵戦だった。 タックルの強さと体当たりが通常の親善試合では絶対見られないレベルだった。 グラウンドの芝が原因で選手達がコントロールを失う場面が出てきたりもした。 金英権は、衝突時に左足首を痛めてしまい、朴周栄は相手シュートを顔面に受けて救急車に乗って病院でMRI撮影をした。

常に日本戦となると一層力を出した韓国。 1998年3月に東京で開かれたダイナスティカップで日本は韓国を相手に2対1で勝って以来、13年以上もホームで韓国を破ったことがなかった。 この日の試合前まで韓国はアウェーの韓-日戦で3勝2分で絶対的な優位を保っていた。

しかし、日本は緻密に韓国を崩す準備をしていた。 雰囲気作りだけでなく、それに対応する力も育てていた。 香川の先制ゴールに続き、本田のゴール、そして香川の3点目のゴールまで。 ゴールを作り出す過程が韓国の選手たちをより一層当惑させた。

札幌ドーム4万人余りの日本ファンが一斉に上げた歓声がこだましてずっと空がぐるぐる回った。 580人余りの"レッドデビルズ"の応援団は、韓国の選手たちが劣勢になればなるほど、より大きく"大〜韓民国"を叫んで、太鼓を打ち、鉦を打った。 しかし、この日だけはもう韓国がアジアの盟主ではなかった。



快勝の陰に隠れて日本も問題が無かったわけではないだろう。欠場した長友に替って駒野が起用されたが対戦相手がこの日の“韓国の様な”チームばかりでは無い。長友の替りが完全に務まるかわわからない。 そしてCBの高さもだ。
前回のワールドカップ予選ではセットプレーから闘莉王や中澤が高さを生かしたヘッドで何度も決勝点を齎してくれた。
ザッケローニ体制になりCBは入れ替えられている。吉田、今野、岩政、栗原…ワールドカップ予選を突破する為に闘莉王、中澤に匹敵するCBコンビは完成するのだろうか?最もこの2人はまだまだ代表から退く歳では無いと思うけど。
それから遠藤のバックアップは誰が担うのであろう? 遠藤が73分に退いた後に 3-0 でリードしていた事もあるがチャンスが激減したことも気になる。

キムチやマッコリ、韓国海苔、たっぷりとお土産を頂き堅い握手、抱擁をかわして分かれる時にお互いに誓った事は“次に会う迄にはお互いに韓国語、日本語をもっと勉強して、それぞれ相手の言葉で話せるようにしましょう….”
次に会う迄には、…そう今度こそ絶対に。新聞記事なんかを読めればもっと日韓戦も楽しめるしなぁ…. 次の日韓戦迄にも…. でも2週間もしないうちに今度は北朝鮮戦だ。 もっと早く勉強を始めておればなぁ…の後悔の方がまだ残っているんだよなぁ…. でも俺はラジオ講座を聴き続けているんだぞ…


勝負強さ備えて”アジアのドイツ” に 日本 1-0 北朝鮮 2.Sep. 2011

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88分46秒。交替出場の朴成哲のミドルはGK川島の正面に。そして川島から繋がれたボールは遠藤、長谷部に繋げられ右サイドを上がった内田に。内田が入れたクロスはGK 李明國が飛び込んでパンチで弾き出す。そのこぼれ球を拾った香川がシュート体勢に入るが安英学が必死のクリアー。またそれを今度は遠藤が拾って内田に渡し入れたクロスはDFに当たってCKに。
ここで北朝鮮ベンチは鄭大成を下げてアンチョルヒョクを入れる。後で解ったのだがアンチョルヒョクはFW登録の選手。日本のロングボール対策にセレッソ大阪でプレーする190cmのキムソンギを入れるかと思ったのだけど…それにしても相手CKでよく選手を変えるなぁ…とも思った。
そのCKから内田が放ったシュートは大きくクロスバーを外れた。デジタルは45分を回ったがロスタイム5分と表示された。北朝鮮の選手達は何度も倒れていたしなぁ….
46分7秒、北朝鮮のスローインに駒野と競ったアンチョルヒョクのプレーがファールに取られる。目の前で見ていたユンジョンス北朝鮮監督が主審に抗議するが勿論判定は変わらない。そこで得たFKから繋いでまたも内田が入れたクロスはハーフナーが朴南哲と競りながら落としたところを香川がシュート体勢に入るが肝心のシュートが撃てなくてクリアーされるがここのこぼれ球も駒野が拾って右サイドから中に入れるとハーフナーを越えて清武に渡りそして中の香川に送られるが香川のシュートはDFに当たってCKに。CKから今度は今野が狙いすまして放ったショットはクロスバーを叩いてしまう。この日のさいたまスタジアムのゴールポスト、クロスバーは完全に北朝鮮の味方をしていたようだった。だがそのこぼれ球はジョンイルガンがゴーラインの方にクリアーしたのでまたもCKを得る。そのCKを受けた長谷部が入れたクロスにまたも香川がワンタッチで素晴らしいシュートを放つがここはGKリミョングックの超ファインセーブに阻まれる。李明國は朴南哲とハイタッチをかわしていいた。この試合もこれで運が尽きたか…と思うもデジタルは47分50秒。まだ時間は残されていた。遠藤のCKを受けた長谷部が清武に渡し中に放り込むと今度は内田が飛び込む。だがここもジョンイルガンに当たってCKに。この4分間で4本目のCKだった。ここさいたまスタジアムでは2005年に行われたワールドカップ予選の北朝鮮戦でもロスタイムに大黒の決勝ゴールが決まり劇的な勝利を収めた事がずっと頭にあったのでこの試合でも…と希望は捨てていなかったが、もうこれが最後のチャンスかも…とも思ったCK、長谷部が右サイドでキープしまたも清武に渡す。清武がクロスを入れると次に私の目に飛び込んだのは北朝鮮ゴールネット中央にシュートが突き刺さるシーンだった。ブルーのユニフォームの選手達がピッチ上で狂喜乱舞している。 競技場を埋め尽くした大観衆から割れんばかりの歓声が上がり、私の周囲の人達が誰彼となくお互いにハイタッチをかわし始めた。



決めたの誰ですかねぇ〜…

吉田…みたいですよ….

スクリーンのリプレーを見るとCB 李光川と朴南哲の間に挟まれながらの高い打点で放たれた吉田のヘッドが映し出された…
嬉しさもそうだけどむしろ安堵感が沸き上がった。あぁ良かった〜。おもわず小声で呟いた。
北朝鮮のサポーター席を見ると対照的に全く動きが無かった…..スクリーンには鄭大成の表情が映し出された。



そして50分54秒。主審のホイッスルが鳴り響き、再び大歓声が沸き上がった。 GKリミョンクックが座り込んでしまった。
何度も倒れて起き上るのに時間を掛けていたのは時間稼ぎでは無く、前半36分に駒野のCKを直接キャッチし着地した時に本当に脚を痛めた為であった事は試合後のユンジョンス監督のコメントで知った。
それにしても日本は何度ロスタイムで貴重なゴールを決めたのだろう….かつてはドーハのイラク戦に象徴される様に終了直前に痛い失点を喫していたのに…それだけ激戦を積み重ねて来た日本代表に勝負強さが備わりつつある証拠だろうか….ドイツ代表がそうで有る様に…..

http://www.youtube.com/watch?v=ZzjW62PBxUI&feature=related


南アフリカ大会で大いに期待されていたオーストラリア Socceroos が初戦のドイツ戦で完敗を喫し、ニュージーランドがイタリアの猛攻を凌いで引分けに持ち込み、日本がデンマークに完勝し、次に激戦の末にパラグアイにPK戦で敗れ、ドイツがイングランド、アルゼンチンを連続して粉砕し、ブラジルがオランダの速攻の前に沈みそしてスペインが欧州選手権に続いてビッグタイトルを勝ち取ったワールドカップが終了してから1年2カ月程度しか経っていないのにもう次のワールドカップに向けての長い戦いが始まった。
3次予選のホームゲームが関東地区で開催されるのは最初の北朝鮮戦のみであった。
8月10日の日韓戦も関東地区以外の開催だったのでこの試合は是非現場で観戦したかった。 
何とか入手したチケットはカテゴリー3。しかも2枚バラバラだった。高校1年になった息子に。

席が離れているけどもうかまへんやろ? と訊くと、あっさりと

いいよ。その方が…. と言われてしまった。

高校生くらいになるともう親とはスポーツ観戦等したがらないか??とすこし“不安”であったがワールドカップ予選という事としばらくさいたまスタジアムで代表の試合がなさそうという事もあり、昨年5月の韓国戦以来の親子観戦となった。
私が高校生の時は親父に野球観戦を含めたスポーツ観戦等誘われなかったし、誘われても断っていたとだろうなぁ…

北朝鮮戦と言えば6年前ワールドカップドイツ大会出場を目指すジーコジャパンが同じさいたまスタジアムで対戦してるが、あの時はミサイル実験をするとかしないとかでまた拉致家族の問題もあり結構な話題となっていた。試合前に中国で合宿する北朝鮮チームの模様も伝えられたが今回はそこまで加熱した報道は無かった。
懸念されるのは拉致問題に今の民主党政権が関心を示していないと言う事。 遂に首相も替ったけど野田新首相はどれだけ拉致問題に取り組むのだろう…元日教組の親玉を執行部に入れている事が大変心配だ….まさか日本側から“拉致問題は既に解決済みです。昔は日本の方が連れて行っていましたから….”なんて言い出さないだろうか….



心配された台風12号(だったっけ??)も関東地方にはまだ上陸せず試合は予定通り行われる事に。だけど雨が降って重馬場になるとパス回しをする日本には不利な条件と思った。
観客席はかなり上段の方。テレビと違って全体のフォーメーションの動きはじっくりと見れるが最近は目が悪くなったので背番号が見づらい。特に北朝鮮の選手達は鄭大成ら在日の選手以外は顔の区別がつかないので最後まで誰がどうしたかは解らなかった。でもGK以外はこの試合印象に残るパフォーマンスをした選手はいなかった。



本田と長友が怪我で不在の日本代表は左SBに韓国戦に続いて駒野がそしてワントップの李忠成の後ろのトップ下には地元浦和レッズの柏木が入った。こうして見ると昨年のワールドカップの主力メンバーはGK川島をはじめ5人しかピッチにいなかった。
一方の北朝鮮は世代交代が報道されていたがスタメンを見ると左SBの全光益2列目右の Jong Il Guan そして仙台でプレーする梁勇基以外は全て昨年のワールドカップメンバーだった。ただ全光益は2005年FIFA U-17, 2007年 U-20 を経験した23歳の選手で Jong Il Guan は昨年の AFC U-19 決勝戦のオーストラリア戦で3ゴールを叩きこんだ選手と共に若い選手。
北朝鮮のユンジョンス監督は一旦代表監督を退いてユースレベルの指導をして再びこのワールドカップ予選から代表監督に返り咲いた監督。このチームの中にも五輪世代が5人含まれている。そして梁勇基は本当に良く頑張って代表に戻ってきたと思った。
息子のもっとも警戒する選手は梁勇基であった。



そして鄭大成、安英学の在日選手もスタメンに名を連ねた。
6月に貴陽で行われた中国戦出場のメンバーから7人の選手( GK 李明國、DF全光益、CB朴南哲、李光川、ボランチ李哲民、FWJong Il Guan そして梁勇基)がこの試合のスタメンに起用された。

日本のワントップ李忠成も韓国戦に続いて存在感を見せたかっただろう。
鄭大成らがスクリーンに映るとブーイングが発せられたがさすがに李忠成の時は北朝鮮側から声は上がらなかった。



選手の入場に続いてまず北朝鮮の国歌が演奏された。北朝鮮サポーター席から国歌が少し漏れ聞こえて来た。1989年ワールドカップイタリア大会予選の時は国立競技場で在日でものすごい応援団が形成され、人文字や試合中ずっと吹奏楽器で応援歌が流されていた。あれから22年も経ったのか….と成長の無い自分を改めて感じた。



続いて君が代は秋川雅史の独唱。前にも聴いた事あるなぁ…と思っているとこれでサッカーの試合の国歌独唱は4回目との事だった。

北朝鮮のキックオフで始まった試合。 開始1分、全光益が遠藤を倒してFKを得てそのFKを地元でプレーする柏木がゴール前に入れるが惜しくも走り込んだ吉田に合わない。これは幸先のいいスタートと思うもその直後にJong Il Guan が右サイドを突破し至近距離でシュートを放つがサイドネット直撃するがその前に駒野が倒された時点で線審が旗を上げていた。しかしJong Il Guan のスピードを見せられた気がした。
日本は立ち上がり柏木がよく攻撃にからんている様だったが息子に言わすと“柏木 REDS ではあのポジションをやっていないから良いパフォーマンスは出来なかった。 REDS でもあのポジションをやらせれば良いのに….” と試合後言っていた。年々子供に教えられる事が多くなって来る…
10分を過ぎると強い雨が降り出して席からも雨粒が解る様になった。この時屋根で完全に覆われているカテゴリー3の席で良かったと思った。



しかしこの豪雨の中でもボールを支配するのは日本の方だった。こういう時直接FKを得られればなぁ…と思った。2001年FIFA Confederations Cup のオーストラリア戦の様に。
日本はボールは完全に支配しているのだが北朝鮮は日本ボールになると2列目の3人、Jong Il Guan 、朴南哲、梁勇基がボランチの位置に下がり鄭大成を残して 5-5-1 の布陣になるのでゴール前でパスがなかなか通らない。 
李忠成が裏に入ったり、ゴール前に空いた位置に入り込みそこに香川からボールが入り走り込んだ柏木に落とす等揺さぶりをかけるが簡単に決定機を作らせてはくれなかった。 



北朝鮮は鄭大成とJong Il Guan または朴南哲が2トップを組むと思ったけど鄭大成の1トップ。守勢に入るのは早かったけどカウンター時は鄭大成へのサポートが遅く日本ゴール前に迫られるシーンは少なかった。恐らくアウェーゲームでまずは勝点1と考えたのだろう。20分に内田が全光益をかわして上げたクロスを李忠成が車正赫と競りながら落としたところに柏木、香川が寄るがシュートを撃てず李光川にクリアーされた。 21分には駒野がFKを逆サイドに入れ岡崎が全光益と競りながら落とし柏木が狙うが岡崎のプレーがファールに取られた。北朝鮮のDFラインは左SBの全光益だけが170cmと上背が無いので右からのクロスが目に付いた。
25分を過ぎると北朝鮮にファールが増えて来た。そして雨も完全に止んだ。攻勢にうちに先制ゴールが欲しいと思ったが足元へのパスが多く遠藤、長谷部にしっかりと密着マーク着かれておりその後31分カウンターから柏木の素晴らしいロビングに裏に走り込んだ李忠成がフリーでヘッドで狙うも決まらず32分に香川が素晴らしいドリブルシュートを見せたがポストの右に外れる等前半を無得点で終えた。
北朝鮮も左サイドの梁勇基、全光益の2人は完全に岡崎の動きに抑えられており日本ゴールを脅かすシーンは見られなかった。しかし前半の結果だけを見ると北朝鮮の思惑通りと思った。



両チームともにメンバー交代なく始まった後半。46分に岡崎からボールを受けた長谷部がミドルシュートを放ち、49分40秒には駒野とのパス交換で左サイドをJong Il Guan のマークを振り払い抜け出した香川が入れたクロスに岡崎がダイビングヘッドを試みるが僅かに合わない。クリアーボールを拾われ更に劣勢続きの北朝鮮ベンチは56分FW朴南哲に替えてスイス Basel でプレーする186cm 長身FW18歳のパククァンリョンを投入した。これで2トップにするかパククァンリョンの1トップにするかと思ったけど交替直後は鄭大世の1トップでパククァンリョンは2列目のトップ下に入った。 FC Basel には韓国人左SBの朴柱昊がいるけど2人は会話をする事があるのだろうか?今度スイス行った時に訊いてみよう….(答えてくれないか??)

攻めあぐねる日本は59分に柏木を下げて清武を投入し2列目右に入り香川をトップ下に入った。地元でプレーする柏木、ちょっと存在を示せなかったか…原口元気が出て来る事を息子は試合前祈っていた。




60分パククァンリョンとJong Il Guan のコンビでボールを繋がれ最後は李哲民からボールを受けた梁勇基が正面からシュートを撃たれるがここは吉田に当たってCK。梁勇基が上げたCKに逆サイドから飛び込んできたパククァンリョンが迫力のある飛び込みを見せるがここは吉田が遅れながらも身体を寄せてジャストミートを防いだ。この試合最も危ないシーンだった。
その直後からも日本は攻撃に転じ清武が連続シュートを見せるが車正赫に当たる等してゴールネットに至らない。このシュートを導き出したのはトップ下に入った香川の動きから。
北朝鮮も鄭大成が強引なミドルを放ったり69分にはカウンターからパククァンリョンに渡り後ろに戻したJong Il Guan がシュート体勢に入ったが距離があったか前線に出したスルーパスはそのまま川島の手中に収まった。
残り20分となり日本ベンチは2人目の交替選手李忠成に替えて何とハーフナーマイクを投入した。ハーフナーと言えば父親ティド=ハーフナーが日本リーグ時代に来日しマツダに入団し当時のサッカーファンで話題となった。子を持つ親としては選手よりもティドの心境の方が良く理解できる。もし本田の怪我が無ければ召集されただろうか…彼も何か持っているのかもしれない。



そのハーフナーにいきなりボールが入り北朝鮮ゴール前に迫り最後は長谷部が李哲民に倒されゴール正面絶好の位置でFKを得る。遠藤が狙うが惜しくもポストの左上に外れた。 72分42秒には内田のクロスを朴南哲を跳ね飛ばしてハーフナーがヘッドを放つがクリスバーを越えた。73分33秒には長谷部がドリブルで上がり相手DFを引きつけハーフナーに送り強烈なミドルを放つが今度はクルスバーを直撃する。そしてセーブに飛んだGK李明國がなかなか起き上れずUAE人の Ali Hawad Al Badwawi 主審はイエローカードを提示した。

北朝鮮ベンチは77分にボランチの李哲民を下げて20歳のFW朴成哲を入れる。 FIFA U-20 に出場した選手だけどどうしてボランチを下げたのだろう。これで日本の中盤が更にスペースが出来ると思った。
北朝鮮は鄭大世のワントップからパククァンリョンと2トップになったり鄭大成が2列目に入ったりするようになった。そしてJong Il Guan が前に出て来た。勝点3を取りに来るのだろうか。DFラインも80分を過ぎてから最終ラインを少し上げて来た。
ハーフナー対策だろうか….
80分に長谷部が右サイドをドリブルで粘りCKを得る。そこから繋いで香川が上げたところに岡崎がヘッドを放つがまたも李明國がファインセーブで弾き出す。82分15秒には遠藤のFKからファーサイドのハーフナーが放ったヘッドは李明國の正面に。
83分パククァンリョンが遠藤に入れたスライディングに一発レッドが出される。完全にスパイクの底面を向けてのスライディングだった。
パククァンリョンはなかなかピッチを去らない。スタンドからはブーイングが沸き起こる。劣勢の北朝鮮は1人少なくなってしまったがこれで完全に専守体制に入ると思った。そして得点は更に厳しくなるかもと思った。
88分清武の右からのクロスを香川が落とすがクリアーされ、続いて駒野のアーリークロスは李明國の正面に。 残り時間が1分半を切った。ロスタイムは何分あるのかなぁ….
でも日本はここ数年ロスタイムに何度もゴールを決めている。自分の中では得点の予感はあった。 朴成哲が強引にロングを放つが川島の正面に。しかし北朝鮮は勝つ必要はないこのままの状態で終われば良いのだ。北朝鮮ベンチは交替選手を準備する。あぁ明らかに時間稼ぎだなぁ…




競技場から駐車場に向かう道、土壇場でのドラマに酔いしれた青いレプリカを着る人達の幸福感が手に取る様に解った。
本当に良かったぁ〜と言うのが本音だった。
“女の人殆ど背番号6のユニフォーム着てたよ。”
“6番、誰やった…”
“内田。“
“そうかぁ…原口は出番なかったなぁ。”
“次はいつさいスタで試合あんの?”
“最終予選まで無いぞ。”
“来年かぁ….”
“勝ち抜けるかわからんぞ。“
“そんなことないよ。”

こんな会話を息子としながら帰った。 本当に幸せな時代だ。代表は強くなった、女の子もサッカーやスポーツに興味持つ様になったし。 雨にたたられなかったし…

そして翌日私は商用で南半球に飛び立った。 なでしこの五輪予選突破とウズベキスタン戦のドローを知った。こういう結果もリアルタイムで解る様になった。 でもやっぱり試合はライブで見たいなぁ…。よし息子よ次は平壌に遠征だ....


IRB World Cup 開幕…. 高温と雨と寒さとの….

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9月9日、IRB World Cup, ワールドカップラグビーが開幕した。
私の涙を誘ったカナダ戦の大西の同点conversion kick 、Wallabies, All Blacks が相次いで散り潮が引く様にワールドカップ狂想曲が収まった前回のワールドカップからもう4年が経過した。
そして今、私は4年前に続いてここ南半球に居る。今回はニュージーランドがホスト国。当地での開催は第1回大会以来24年振りであるが単独開催は初めて。24年前と異なり最近はラグビーもプロ化が進んでおり第2回大会以降は第3回1995年南アフリカ大会こそ決勝に進出したが優勝は無く Tri Nations のライバル国オーストラリアが1991, 1999 年大会、南アフリカが1995年、2007年大会と2回ずつ優勝しておりこの地元で開催されるワールドカップでは優勝以外に成功は無いと地元の人達は考えていると言っても過言ではないだろう。
同様の事が2014年 FIFA World Cup のホスト国であるブラジルにも言えるだろうがこちらの方はもっと深刻だろう。

大学時代、英会話の授業で討論があった。外国人の教授が五輪種目(丁度ロス五輪が終わって間が無かった。)が議題となり何故ラグビーが五輪種目に無いのか、との話しになった。私はかつてラグビーが五輪種目で有った事は知っていたし、ラグビーの国家代表試合、所謂テストマッチは公式にはニュートラルの地で行わない事が慣例となっていて、何より当時はまだ世界選手権が行われていなかったから今は五輪種目に適用されていないと発言したかったが教授は私を指してくれず、指された学生達は
“競技場が足らないから”( そんなわけないだろ。そんな国は五輪を開催出来ない。)
“時間が掛かるから” ( サッカーの方が前後半5分ずつ長いぞ。)
“人数が多いから”  ( 確かに多いけど人数で採用するか否かは討議しないだろう…)
とか言っていた。
“体力を使うから試合間を開けなければならない。だから大会期間中に日程を終了できない。”
というまともな意見もあったけど、結局教授はプロ化がどうのこうの…と言っていた。ある意味当たっていたかもしれない。

当時学生スポーツの花形は何と言ってもラグビーであった。大学選手権3連覇を果たす等同じ京都の同志社大学が全盛期で当時岩倉にあった練習場では女の子が多く“見学”に来ていた。私の大学からも“見学”に行く女学生がいた。自分の大学にもラグビー部はあったが学生リーグにも参加しない弱小部であった。毎年リーグに参加しない大学同士で“リーグ戦”を行っていた。それでもラグビー部員達の方が私より女学生に人気だった。俺は陸上競技で日本インカレ常連だったのに….
冬になると横縞のラガージャージーがファッション的人気がありラグビー選手でもないのに着ている男性が多かった。中にはおそろいで着ているカップルも目に付いた。女の子か横縞のジャージーを着ると可愛くも見えたなぁ..
ラグビーは大学スポーツとして当時”女性に認められた”競技だった。
でもスポーツもしない男子学生が“早稲田カラー”や“慶応カラー”とか言って着てどういう神経しとんのかいな…と当時スポーツ現役学生だった私は思った。そして当時最高に強かった新日鉄釜石の真っ赤なジャージーを着る学生はいなかったけど...
それだけラグビーは人気がありサッカーなど誰も気に掛けなかった。1983年にはアームズパークでウェールズを相手に日本代表は大健闘をし1989年には秩父宮でスコットランド相手に歴史的勝利を挙げていた。
それが競技戦績も人気もこんなに大逆転するとは夢にも思わなかった……

オーストラリア シドニーでの激務を終えて早朝7時前のタスマニア海峡を越えてニュージーランドの最大都市 Auckland に渡ったのは9月10日。 North Shore で日本代表がフランス戦を行う日であった。 機内は黄色い Wallabies ジャージーを着る人が多かった。翌日 North Shore で行われるイタリア戦が目的だろう。 いつもオーストラリアに出張に来ると All Blacks のヤッケを着ているのだけどこの日ばかりは赤と白の桜のエンブレムの入った日本代表のジャージーを着た。と言っても少し古いデザインだけど。 でもこれが日本代表だとは誰も解らなかっただろうなぁ….
斜め後ろの座席からフランス語が漏れ聞こえて来た。どうやら彼らもワールドカップ観戦が目的であった。次第に彼らは早朝だと言うのに会話の声が大きくなり、途中気流の悪いところを通過しシートベルト着用の機内アナウンスがなされてもお構いなし。 Cabin Attendant がベルト着用を悟に来てもわざと言葉が解らないふりをするがここは経験豊かなスチュワーデス。
“ English is international language !! “ というと周りの乗客に大受けしていた。
Auckland に到着して機内から出る前に私の着ていたジャージーの桜のマークを指して
“ Je suis japonais, please do not give us so much hard time. ”
と言うと彼らに受けて皆と握手を交わした。他の乗客たちも笑っていた。
フランス人達、余裕だなぁ….と少し羨ましく思った。

そしていつもは時間が掛かるパスポートコントロールに向かったがこの日はほぼカウンター全席に係官が座っておりすぐにそこを通る事が出来た。結構待たされることもあるのだけど。そして荷物をピックアップし再び荷物検査もスムースに通り航空機を出てからあっとう云う間に空港の外に出られた。 これもワールドカップ効果なのだろうか…..
更に驚いたのは天気の良さと気温の高さ。 雨のシドニーとは大違いの快晴のポカポカ陽気だった。
市内に向かうバス停に向かったがここでもバスのチケット売り場が設けられていた。 こんなの見るのも初めてだった。
バス停には Wallabies のジャージーやマフラーや帽子を身に付けた人達が10人くらいいてワールドカップの雰囲気を醸し出してくれる。5年前にドイツに行った時と雰囲気がだんだん似て来てワクワクして来た。
バスが市内に近づくにつれて All Blacks の旗のみでなく大会参加国の国旗が見られるようになる。でも日の丸は少なかったなぁ..

 

ホテルでチェックインを済ませ、まず最初の仕事、チケットのピックアップに出掛けた。 競技場でも事前購入したチケットは受け取れるのであるが e-mail で“なるべくチケットはピックアップしてから競技場に…”てなお願が書いてあった。まぁスタジアムで長蛇の列に着くよりましか…と思ったがその判断は間違えであった。 チケットの受け取りが出来るカウンターのある市内の名所 Sky Tower まではホテルから徒歩10分も掛からなかったがカウンターの前は既に長蛇の列。しかもカウンターには係員が2名しかおらずなかなか順番が回って来なかった。私の後ろにいたフランス人カップル(2人とも英語を話しれくれたけどどちらかと言えば彼女の方がよく英語を理解していた。)と“遅いねぇ〜”ってな話をして時間を潰したりして30分以上も待ってようやくチケットを手にする事が出来た。
でも実際に手にした時は待ち時間の事も忘れて嬉しかったけど….
競技場に到着した時チケットを受け取る窓口に人は並んでいなかった。 こっちの方が圧倒的に早かった見たいだった….

そしてホテルに戻ったが街行く日本人の姿がチケットを取りに来た時よりもかなり増えていた。それにフランス人も。
いよいよワールドカップ本番(と言っても前日開幕したのだけど…) と気持ちを引き締める事に。(あまり関係なかったか?)
最近ニュージーランドでは中国、韓国からの移民が増え自分が従事するレストラン産業では日本人経営よりも新規参入し店舗の数では今や和食スタイルのレストランでさえ中国、韓国系が圧倒している。
しかしこのワールドカップ期間だけはアジアを代表の常連である日本人として胸を張っていられると嬉しく思った。



チケット受け取りに時間を費やし過ぎたのでホテルに戻ってすぐに競技場までの無料シャトルバス乗り場に行かねばならなかった。でもバス乗り場もホテルのすぐ近くで助かった。 チケットを見せればバスは無料との事だったけどバス停の係員も運転手もチケット等見ずに乗車させていた。
一番後部座席に座ると横の二席が空いたままそこに座る乗客がなかなか来ない。そして出発前に日本人らしき女性が小さな女の子を連れていたので手招きして席が空いている事を教えた。その親子が横に座りずいぶん丁寧にお礼を言われてしまった。
そして女の子を膝の上に座らせるともうひとつ空いている席に今度は Kiwi らしき男性が座った。隣の日本人女性の御主人であった。 あぁまた日本女性が海外に流出していたのか…



競技場に着くまでの約半時間、この日本人御婦人としばし歓談をした。 そしてバスの中を見回すと日本人も全体の3分の1程度はいた。 フランス人らしき集団も多くこの時間から飲んでるのも多かった。
バスが競技場近くに広場に到着し競技場に向かうがその間もフランス人達が何やら歌っている。歌う歌が無い日本人達からは沈黙しか…. ワールドカップドイツ大会の時もクロアチアサポーター達が試合前から電車の中で大声で歌っており何か歌える歌は…とすこし無念に思った事を思い出した。 こんな時は何を歌えばいいのだろう…10分ほど歩くと競技場入り口に。 そして大会プログラムを購入しようとするが販売されているプログラムはこの日の Match Day Program ( とは書いていなかったけど。)のみだった。 毎試合発行してより多く収入を増やそうと言う考えか?? 価格は1冊 NZ$15.00 ( 約960円程度 ) だった。

席は最前列だったけど階席だった。カテゴリー A だったけど…しかしフィールドを一望でき全体のフォーメーションはよく解る席であった。ピッチでは日本代表の選手達がアップをしていた。そして John Kirwan 監督の“雄姿”は遠くからでもすぐに解った。



ピッチの中央には試合前のセレモニーに使われるのだろう太鼓が準備されていた。
その和太鼓を打つのは6人の日本人女性と1人の日本人男性だった。そしていよいよその演奏が始まろうとし会場から拍手が沸いた時にフランス選手団がアップの為にピッチに登場したので更なる大歓声が沸き上がった。観客の数はフランス人達の方が多かったと思う。太鼓の音がかき消される様で残念だったがここはラグビーワールドカップ。選手達の方が優先されるべき場所だった。
それから黄色のレプリカを着た Aussie も多かった。明日のイタリア戦の下見か…



それでも途中からはしっかりと素晴らしい太鼓の音が競技場に鳴り響き、演奏が終わった時は観客席から大きな拍手が送られた。
隣に座っていた Kiwi の老夫婦に和太鼓に着いて質問されたけど知識が無いのでしっかりと教えられなかった。 やっぱり日本の事はしっかりと説明出来ないとだめだなぁ…



両チームアップを終えて控室に戻るとまたも大歓声が起こる。 とにかく“試合”が最後まで続いてくれる事を祈った。
勝てるとは思わなかったけど大差がつかない事を祈った。
そしてマオリの衣装を着た男性が出て来て大きな笛を吹いた。これは人を呼び出す儀式であると隣の男性が教えてくれた。
そして日仏両チームの選手が国旗に続いて大歓声を浴びて入場してくる。先に君が代の斉唱が始まる。私も当然君が代を歌ったが斉唱しているのはピッチ上の地元の合唱団。日本人が歌っているのかと思う程見事な素晴らしい君が代だった。
続いてフランス国歌 La Marseillaise が合唱されるがこれは観客の大合唱にかき消されてしまった。



試合は途中まで“予想外の接戦” だった。
痛かったのは立ち上がり連続トライで 0-14 とされた事。先制のトライは倒れたままの? David Yachivili がこぼれ球をトライした Julien Pierre にパスを出したもので本来なら笛を吹かれるプレー。 その後好位置で得たPGを ?ジェームス=アリッジが外してしまいその直後のトライを決められたのだがこれはアレッジが?平に出したパスを? Trinh-Doc にインターセプトされ独走のトライを喫したもの。このPGを失敗した後のトライが痛かった。
18分に得たPGを今度はアリッジは決めた 3-14 としたがその後も連続して PG を決められ 3-20 と点差が開いた31分に素晴らしい攻撃からアリッジがトライを決め 8-14 とした。この時は周りにいた Kiwi 達も大きな拍手を送ってくれ、周囲の人達とハイタッチをかわした。しかしこの conversion kick をアリッジが決められなかった。 前半二つのプレースキックが決まらなかったのが痛かった。



それでも後半に入って優勢に試合を進めたのは日本だった。スクラムになる度に“チャチャチャニッポン”の掛け声が沸き上がり Kiwi や Aussie の人達も熱心に“ニッポン!ニッポン!”と応援しれくれた。
50分に素晴らしい突破を見せアリッジがトライを決め更に conversion kick を決め遂に 21-25 と迫った時は場内は何とも言えない雰囲気になった。フランス人サポーター以外の全てが日本に大声援を送ってくれていた見たいだった。
しかし67分にPGを決められ、71分に Lionel Nallet にトライを奪われると更に2トライを喫し試合が終われば 21-47 と“ダブルスコアー”になっていた。 
最後に何とか1トライをと選手達はフランス陣内でプレーする時間が長かったのだけどその分裏を取られた見たいだった。
ノーサードの笛が鳴り日本に健闘をたたえる拍手が送られた。周囲の人々も私に色々声を掛けてくれた。
嬉しかったけどこれが実力差だと思った。



帰りのバス停に向かう時フランス人達がまた合唱しながら歩いていた。 悔しかったので La Marseillaise をわざと彼らの前で口ずさみそれに合わせてフランス人達が歌い出したあと1小節歌わせてから大声で “ All You need is love ! All you need is love ! Love love is all you need is !! “ と続けると彼らに滅茶苦茶受けた。 一矢報いた感じがした。(関係ないか)
バスは比較的早く来て日本人、フランス人、地元 Kiwi そして Aussie と呉越同舟乗り合わせシティーに向かった。
バスの中でも色々会話が弾んだ。 勝利に安心したのかフランス人達は日本の健闘をたたえた。ある女性は “ congratulation “ と日本人に声を掛けていたけど、それは正しい単語とは思えなかった。だけど悪気が無いのは解っていた。
“ nice game ! “ と話しかけるフランス人に ” nice game for France. That all “ と言うと
“ Come on !! Japan was excellent .” と続ける。 “ France 47 Japan 21. France Won, Japan defeated “ と言い、我々には Tri Nations も Six Nations も無い。ワールドカップ以外世界の列強と戦う機会が無い。 経験が不足は否めない。それが今日の試合結果だ。 てな話をすると大きくみな頷いていた。



“しかし日本は football でも大きな躍進を遂げた。だから Rugby でも出来ると思う。”とフランス人男性が言ってくれた。
すると正面のフランス人女性が“ 女子はワールドカップで優勝したね。”と言ってくれたらもう1人の男性がそうなのか?と言っていたので彼女はフランス語で説明していた。
私は隣の男性に“ football なら男子も女子も自信がある。”というと、彼は同意してくれて今の男子サッカーフランス代表に就いて首を振りながら次の欧州選手権を嘆いていた。
そしてバスがシティに到着し、周囲の人達と握手を交わし下車した。皆“ nice game だった。次のゲームも good luck . ところでどこと対戦するんだ?”と訊くので“ All Blacks “ というと。 Oh No…でも本当に good luck を…と言っていた。
少々の good luck ではなぁ…
街はフランス人達の喜びの騒動が繰り広げられていた。そして日本人を見つけると皆握手を求めたり一緒に写真を撮ったり。
中には日仏入り乱れて大騒ぎしている集団も。 土曜日と言う事もあり街には若い人たちも。女の子の集団が私が着ていた日本のジャージを見つけ一斉に大声を挙げながら駆け寄ってきた。 日本は凄かった、惜しかったと言いながら。そして I love Japan と良いながら彼女達の携帯、いやスマートフォンで何枚も一緒に写真を撮られた…..
試合には負けたけど途中までは接戦だったから良かったと思った。恐らくフランス人はみなこの試合に勝つと思っていただろうし日本人も勝てると思った人は少なかっただろうなぁ…でもワールドカップの雰囲気は楽しめたぞ…



現地に在留する日本人の知人とそれから食事に出掛けた。彼も家族で試合を観に行ったらしい。久々に熱く大声援を送ったと言っていた。そしてすぐ近くのテーブルにも日本人がおられそのうちに1人は彼の知人だった。その人達も試合観戦に言っていたらしい。
その中に日本代表のレプリカを着た方がいた。かつて明治大学でラグビーをされていた方との事で試合の事に就いて色々意見を聞いた。開始の連続トライ、特に二つ目のトライが痛かった、そして日本が最初のPGと続いて conversion kick を失敗したのも痛かったとも言っていた。“格下のチームはキックを外してはだめなんですよ。”とも教えてれて色々勉強になった。
明治大学時代はレギュラーになれなかったけど4年間ラグビーを続けて良かった。とも言っていた。そして自分も陸上をやっていた事を話して学生スポーツの話題で大いに盛り上がった。 スポーツを続けていて良かったなぁ…とここでも思った。

翌日から地元新聞は日本の健闘をたたえる記事が多かった。テレビでもそうだったけどこの日最も注目を集めたのは England vs Argentina 戦だった。  England の Wilkinson がPGを2本外した事や England の苦戦が翌日の話題の主役だった。
日本が注目してもらうには….次の All Blacks 戦で…と思ったけど、1995年見たいに145失点もして話題になるのは勘弁してほしいなぁ…と思った…..
( 試合の詳細はまたレポートします。 誰も見ないか…. )  

勇敢に最後まで..だったと思う  Japan 7-83 New Zealand 16th September

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今大会の組み分けが発表された時にまず思ったのは、“また All Blacks かよ….何点取られるンやろ…”

初めて New Zealand の地を訪れたのは1999年の4月だった。そしてタクシーの運転手にこう言われた。

“どこから来たんだ?”
“日本から。”
“日本?あぁ前のワールドカップのスコアーを憶えているか?”
“憶えている 17-145 だろ?”
“そうか日本は17点も取ったのか?”

マオリ系の運転手だった。もう前のワールドカップはとっくに終わって次のワールドカップが数カ月後に控えているという時期だったのに…ここで日本はそういう見られ方をしているのかぁ…と思った。今でも同じ質問は受ける…
“145点も取られたのは All Blacks が100%の力を出してくれたから。日本相手では50%の力でも勝てるのにフルパワーを出してくれた事に感謝しているよ。“と答えるのが精一杯だった。 あの時こう答えたらと後悔している。

“ワールドカップだろ?日本はアルゼンチンに 0-1 で惜敗した。ニュージーランドなんて出ていたか?あぁあれはサッカーのワールドカップだった。4年も前のワールドカップは憶えていないなぁ…..”

6日前のフランス戦を観て、世界の列強相手でもある程度戦える事が解った。
そして All Blacks の Graham Henry監督は日本戦は何人かの主力を休ませると言っていた。 更に試合の前日、既にスタメンとベンチ入り選手が発表された後に Richard McCaw が怪我の為に日本戦を欠場するとの“吉報”もあった。
これで16年前の様に145点も取られる事は…何とか100失点未満に…と思った。
しかし日本側も John Kirwan 監督が5日後のトンガ戦を見越して James Alridge ら主力を休ませるとのコメントをオーストラリア紙上に見つけた。 あぁ..これでまた大量失点の懸念がまた大きくなって来た。

Auckland から約100km程度離れた街 Hamilton に取引先のTさんに連れて行って頂いた。 勿論仕事もきちんとして。
前から Hamilton は行ってみたい街であった。人口は15万人程度らしいが日本ではお目にかかれない立派な綺麗なショッピングモールもあった。 
“雨が降らないと良いですがね…” とTさんが言った。そしてもっと寒くなる事も案じた。初戦のフランス戦はものすごく良い天気だったのになぁ…
競技場入りする前に何かを食べに街の中心街に出た。もう完全に黒一色。まさに “All Blacks ”だった。ここはニュージーランド当たり前の事だけど….それでも日本人サポーターの方々も少なくはなくお互いに連帯感が生まれた。そしてこう言いあった。

“頑張りましょうね。” 



まぁ頑張るのは選手達だけど出来ればこの試合で日本の存在感を見せてくれればと思った。フランス戦の様に….
そして Kiwi の子供にはこう尋ねた。

”今日 All Blacks は日本に何トライくれるの?”

競技場であるWaikato Stadium はさすがにワールドカップを開催するだけあって立派な競技場。日本にこれだけの競技場があるのは Hamilton よりももっと大きな都市でないと…さすがラグビー大国。羨ましく思った。
座席はこの試合もカテゴリーAをTさんが準備してくれた。前の方には日本の応援団が陣取るが周囲は Kiwi 達ばかり。
完全アウェーと思った。Kiwi 達も“ Hey Japan !! ”と街中でも声を掛けて来るが様相は余裕100%と言ったとろか?
“余裕ですね…羨ましい。“とその度に Tさんと言い合った。誰も日本に負けるとは思っていなかっただろうなぁ…



この試合もフランス戦同様に和太鼓のデモンストレーションが試合前にピッチで繰り広げられた。
メンバーの中にはTさんの知り合いもおられるらしかった。 



素晴らしい和太鼓のパフォーマンスも終わり、選手達が大歓声に包まれ控室に戻りそしていよいよ試合開始時間が近づく。
両チーム選手達が再び大歓声に包まれて入場し整列しニュージーランドの John Philip Key 首相とラグビーではお馴染みの閣僚森元首相が震災、被災のコメントを述べて1分間の黙祷に入った。 前の週に Christchurch に行った時にまだ被災の爪跡が深くはっきりと残っていたのを見てさすがの私も本当に言葉を失った……

両国国歌が斉唱される。今度はここの地元合唱団の声を聞きながら君が代を口ずさんだ。 
そしていよいよ恒例の HAKA が始まる。ワールドカップで日本相手に行われる HAKA に嬉しさを感じた。そして思った。
試合前の素晴らしい和太鼓の音の様に健闘しれくれるよ… 怯むなよ何点取られても最後まで勇敢に闘ってくれよ…



All Blacks のスタメンは1週間前のトンガ戦から9人メンバーを替えて来た。 Conrad Smith 、Ma’a Noun らは Tri Nations でのレギュラーメンバーはスタメンだったが McCaw, Daniel Carter らはベンチにも入っていなかった。 Tri Nations の最終戦 Wallabies 戦のスタメンだった Tony Woodcock, Keven Mealamu ら9人がこの9人がスタメンだった。
一方の日本代表は初戦のフランス戦からメンバーを10人も入れ替えた。8月13日のイタリア戦に先発した選手は菊谷主将をはじめ宇薄、平、マイケルリーチら4人。ベンチ入りした選手達の中でもイタリア戦に出場したのは半分の11人だった。
All Blacks 相手に大丈夫だろうか…と本当に心配した。



日本のキックオフで始まったゲーム。何とか先制点を挙げられれば…との淡い期待もむなしく開始3分右から左に展開され Colin Slade にトライを決められてしまい conversion kick も Slade が難なく決めてしまった。 大歓声が沸き上がる。日本相手にそんなに喜ばんといてくれよ…と思う。 こりゅあ何点入れられるか…と思った。
更に8分48秒、反則を取られ PG を選択される。 もうPGを狙うのかよ…と思うと観客からもブーイングが沸き起こる。しかし Slade はこのPGを失敗した。あまり難しい位置では無いと思ったのに。 更なるブーイングが地元サポーター達から起こる。
そして10分48秒今度はAll Blacksに反則があった。日本はPGを狙わずタッチラインに蹴りだした。すると観客から大拍手が沸き上がる。本音はPGを狙って無失点を避けて欲しかったんだけど…
この影響か?14分28秒、また日本が反則を取られた時はAll BlacksはPGを狙わすに外にボールを出した。再び観客から拍手が上がった。 日本は先制トライを許してから結構ボールを繋ぐシーンが続き追加点を容易には許さなかった。ボールキープをする時間を長くして失点を防ぎあわよくば…と思った。



しかし16分またも右から左に展開され最後は Richard Kahui にトライを決められた。それにしても早いパス回しだなぁ….とTさんと感心してしまった。 そしてこの後のconversion kickは Slade は失敗してくれた。 日本もボールを繋ぐのであるが22mラインをなかなか突破出来ない。そしてスクラムも押されっぱなしだ。
7月にテレビで観た Tri Nations ではボール支配率は低くてもディフェンスラインを作るのが早いので 南アフリカ、オーストラリアに連勝していたのだ。Springboks、Wallabies でさえ突破出来ないD-Lineを日本が簡単に….と思った。
更に23分 Jerome Kaino、31分 Keven Mealamuにも連続してトライを決められる。 Kaino は Tri Nations 3試合、 Mealamu は2試合出場した選手。日本のディフェンスも最終ラインで必死に粘るのだけど最後は押し切られるといった感じだった。
更に35分にもAndy Ellis にトライを決められ、その後のconversion kickも決まり得点は 0-31 になってしまった。
何とかPGでもDGでも良いから日本の得点シーンが観たかった。 しかし37分に Ma’a Noun の突破から Conrad Smith, Isaia Toeavu に繋がれ最後は Slade に渡りトライを決められた。 さすがにAll Blacksのレギュラークラスのボール展開だった。
そしてconversion kickも決まり前半は 0-38 で終わった。いや済んだ…



両チーム選手交替無くAll Blacks のキックオフで後半に入った。先に点を取ってくれ、長い間オールをキープして失点を少なくしれくれ…と願うのだけど立ち上がりの10分足らずに3トライを喫し 0-59 となってしまった。 後半のAll Blacks は右から左に展開す事が多かったが後半の日本のディフェンスラインの真ん中を突破する様になる。 ボールを受け取りする選手だけでなく“第3選手の動き”が効果的でラインに穴が空いたところを素早く突破されてしまう。 日本も後半は前半よりかは良い動きを見せている様に見えた。そして53分に反則でPGを得ても狙わずに外とに出した事に地元ファンも拍手を送っていた。 46分には負傷した平浩二に替ってトンガ人の Alisi Tupuailai が投入されるのが 116kg のTupuailai が良く攻撃の起点になっていた。53 分にはラインアウトからチャンスを掴むが菊谷が惜しくもボールを奪われてしまった。

そして59分私達日本人達が最も沸き上がるシーンが。 All Blacks 陣の22mラインのやや前、All Blacksボールとなり左から右に展開されたが Colin Slade から Sam Whitelock へのパスがやや浮いたところを小野澤が見事なインターセプトそしてそのまま疾走しAll Blacks からトライを決めた。 これで小野澤は3大会連続トライを決めた事になったらしい。33歳ベテランの素晴らしいインターセプトだった。 このトライが無ければ自分はどうやって Hamiltonから帰っただろう…
そして conversion kick もMurry Williams が決めて 7-59 とした。
Tさんとトライを喜んでいると周囲の人達がハイタッチや握手を求めて来た。 おいおい Kiwi 達余裕だなぁ…と思っていると彼らは Scotland から来た人や Scottish 系の Kiwi 達だった。なんだそれなら最初から良いのに…特に隣の男性には試合前All Blacks の事ばかり質問してしまっていたではないか…それでもしっかりと全て答えてくれたなぁ…



日本ベンチは北川、バツベイが投入される。 何とかもう1トライを決めて存在を見せて欲しいなぁ…と T さんと話しだすが、日本のトライはその後のAll Blacks の猛攻を呼び寄せるものだった。 1987年All Blacks を迎えた時に沖土居が歴史的なトライを決めたその後の様に…..
キックオフ直後には右から左に展開され途中出場の Andrew Hora が、そして62分には 191cm 110kg のCTB Sony Bill Williams が右から左に日本のDF陣3人を跳ね飛ばし疾走し Ma’a Nonu のトライをお膳立て。 76分にはラインアオウトからあっさりと繋がれ Adam Thompson に決められ、78分には左タッチラインで Nonu からボールを受けた Cory Jane が中央に走り込んだ S.B. Williams にキックでパスを送りそのままトライを決められ 7-83となってしまった。 まぁ100失点には届かないから良いかなぁ..と自虐的におもった。ラグビーと言えば巨漢な選手の体力勝負と思っていたけどAll Blacksの猛攻を見ているとスピードと判断の速さが全く違う事が良く解った。更に S.B. Wiiliams の様に110kgもある選手でも手足が長くスピードがある。ちょっとこういう日本人はいないなぁ….とも思った。



けど最後に何とか意地を見せて欲しかった。日本だって猛攻を受けている間チャンスが無かったわけでは無かった。68分には日和佐が大きくゲインしチャンスを作るも今村がノックオン。 その直後にも左に展開し畠山がボールを背後に回して小野澤にパスを送る。完全にフリーになった小野澤がAll Blacks陣の最終ラインを駆け抜けるが惜しくも畠山の技ありのパスがスローフォワードにとられた。

デジタルが80分を示す S.B. Williams がボールを落としたところを大野が詰め寄りボールを奪い Webb 将武に繋ぐ。ウェールズ人の Nigel Owen 主審からのラストプレーとの声が聞こえる。 一旦はAll Blacksにボールを奪われ日本陣内に攻め込まれるがインターセプトで取り返し一気にゲイン。そしてキックパスをAll Blacksゴールラインの裏に蹴り込み大野が走り込むがその前にいた S.B. Williams が外に蹴りだしノーサイドとなった。 観客からはこのプレーにブーイングが沸き上がった…..

あぁ…これが世界のトップクラスとの差か…と思ったけどこの日のAll Blacksはベストメンバーでは無かったんだなぁ….
試合終了前の10分間は隣の Scottish の男性とずっと話していた。1989年に東京で日本は Scotland に勝った事がある。と話すとそれは Football か?と訊かれたので、いや間違いなくラグビーだ。 今なら Football だったら日本は充分に勝つ自信はあるしここ2試合負けていない。と言うと Scotland はもう3大会もワールドカップに出ていない…と首を振っていた。
一体Scotland はどうしてしまったんだ? 1970年代はEngland より強かったんじゃないか? 1974, 78年大会は UKから Scotland だけが地区予選を突破していた… ダルグリッシュは Liverpool でジョーダン、バッカンはManchester United の中心選手だったしあのアーチー=ゲミルもいた。と言うと、スーネスもいた。 Liverpool だった。とサッカー談議に花を咲かせていた。
それから Celtic でプレーしていた Nakamura はまだプレーを続けているか?と訊ねられたので今は日本でプレーしていると答えた。そしてストラカンは選手としても監督としても素晴らしかったと言うと、中村の Manchester United 戦のFKの話をしてきた。少し一矢報いた気がした…. 関係ないか??

この男性とその向こう側の御夫人と握手を交わし、周囲の Kiwi を含んだ人達とも握手を交わし席を立った。
ピッチでは日本選手達がスタンドに歩み寄りサポーター達に挨拶をしている。この試合ベンチ入りをしなかった James Arlidge が丁寧に写真撮影やサインに応じていた。彼としては出場したかったんじゃないかな…



点差がついたけど楽しかったですね…. T さんがこう言った。
そうですね、最後にもう1トライきまっていればなぁ….

帰りもTさんに車で Auckland まで送ってもらった。途中まで凄い渋滞だった。 
これみんなラグビー見た人ですね。こんなの初めてですよ… Tさんも驚いていた。

2時間半のドライブでようやく Auckland に到着。 T さんに何度も礼を言い握手をして車を降りてホテルに向かった。
この日は Public Viewing の前の通りである Quay Street は閉鎖されていた。多くの Kiwi 達が騒いでいた。 Friday Night だからなぁ….. でもこの試合とフランス戦を見る限り次のトンガ戦とカナダ戦には期待できそうだ…とこの時は思っていたんだけど….

ホテルの部屋に戻りAll Blacks 対日本戦の再放送をしていた。 風呂に入って寝ころんで見ていたので知らない間に眠ってしまった… 夢の中でもAll Blacks の猛攻を見ていた様な気がした…



でも我が代表は最後まで勇敢にプレーしてくれたと思った。 



North Harbour に響いたニッポンコール…. Japan 21-47 France 10.09 2011

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9月26日。会社を出てバス停で先月買ったばかりのスマホをいじっていた。
本当に便利になったなぁ… どこでも web site を見られる… 今夜ジャイアンツはどうなったかなぁ…この前の阪神3連戦は久し振りにみっちりテレビ観戦したしなぁ…と Yahoo のスポーツページを開いた。

アッッ と思った時はもう遅かった。 “日本20年振りの白星ならず。”こういう見出しが目に飛び込んで来た。

しまったぁ…この日の深夜、録画中継されるカナダ戦を結果を見ずにテレビ観戦する事を楽しみにしていたのだった。
あぁ結果が解ってしまった。 そして日本のワールドカップが前回と同じ1分3敗で終わった事も…..
振り返れば約2週間前のフランス戦で始まった Blossoms のワールドカップの挑戦はもう遠い昔の様に思えた。あの時は2勝してくれるかな…と期待出来たのだけど。

降雨で気温の下がったオーストラリアのシドニーからオークランド入りした日は大変な好天気だった。いつもオーストラリアからニュージーランドに入った時は逆なんだけどなぁ…



キックオフ前の国歌斉唱で君が代を精一杯歌いながらNorth Harbour Stadium でフランス戦の臨む日本代表 Blossoms の雄姿を見てワールドカップに母国が参加しているその幸福感を感じた。 しかしその後のフランス国歌 La Marseillaise の大合唱を聞いた時は“頼むから惨敗だけは喫さないでくれ。少しは形になってくれよ…” との哀感に変わった。
学生時代2年連続で ( 1984,85年 ) フランスと対戦したけど当然4戦全敗。スコアーも 0-52, 12-40, 0-50, 0-52 。1985年はフランスでテストマッチが行われたが1得点も挙げられず、当時フランス遠征をレポートしたスポーツ雑誌には当時の中心選手が上半身裸で踊っている姿の写真が“試合後のレセプションでは日本の勝ちと現地マスコミに報道された。”と言うキャプションの付で紹介されたとの記事があった。
私は当時“よくフランスが日本と試合を組んでくれたなぁ。前年にアームズパークで健闘したからかなぁ…” と思った。
だけど 2003年のワールドカップオーストラリア大会では 29-51と結構健闘していた。出来ればこういう試合を見たいなぁ…と思った。

日本のスタメンは?小野澤と? ルーク=トンプソン 以外は8月13日のイタリア戦と同じスタメン。現時点でのベストメンバーと言えると思った。日本人以外の選手が6人入っていた。
一方のフランス。? Servat, ? Mas ? Pierre ? Nallet ? Dusautoir ( C ) ? Harinordoquay ? Trinh-Duc そして? Rougerie らが今年の Six Nations でほぼレギュラーとして起用されたメンバー。 8月20日の Ireland 戦で起用された? Barcella, ? Heymans ? Estebanez らがスタメンに。Fabien Barcella はアキレス腱の断裂から復帰した PR。Cedric Heymans は2007年大会も出場した Cap数55 のベテラン。そして Fabrice Estebanez は Rugby League の大スター選手だったらしい。 こうして見るとややコマ落ちと言ったところか….



日本のキックオフで始まった試合は出来れば先制点を…と願うが開始早々フランスが日本陣内にライン攻撃を仕掛け攻め込みEstebanez が抜け出すが日本選手の好タックルで何とかストップし胸をなでおろす。タックルをしたのはベテラン小野澤だった。 
しかし4分、13分に連続してトライを決められ 0-14 とあっという間にリードを喫してしまった。しかもその流れが日本にとっては悪かった。 先制トライのシーンはターンオーヴァーされ Mas, ? Lakatia, ? Yachvili と繋がれ最後は ? マイケル=リーチ が追いすがるも Pierre にトライを決められた。しかし後で見たテレビの再放送を見ると一旦倒された Yachvili が倒れたままこぼれ球を拾って Pierre にパスを出していた。本来ならファールのはずだけど…このシーン何度が繰り返し映された。先制トライを喫した後、日本は良い位置でファールを誘い ? ジェームス=アレジ が当然PGを狙うが外してしまった。その約4分後にも日本は連続攻撃を見せ アレジを起点に?ライアン=ニコラス 再びArlidgeに渡り?平浩二に出したパスを Trinh-Duc にインターセプトされそのまま独走されトライを決められた。 これも リーチ が必死に追い掛けたのだけど….
アレジ がPGを失敗する前にも日本はフランスゴール前に迫ったがそのチャンスはニコラスがボールを落としてしまって行かせなかった。



18分日本はようやく日本は連続攻撃からファールを誘いPGを得て今度は アレジ が決めて3点を還す。よしよしこれから。このPGの前に日本選手の素晴らしいタックルがあり場内を沸かすシーンも…と思うもどうも我が日本代表はノックオンを冒す等落ち着かない。マイボールスクラムになってもそこから前のボールを繋げない。 それだけフランスのパワーが強いのか….




日本がPGで3点を還した直後の22分にもPGを決められ、その後しばらくはよく失点を防いだのだけど29分にも何度もフランスボールスクラムが続いた後に反則をとられ PG を Yachvili に連続して決められ 3-20 とリードを広げられていた。
このPGは共にスクラムの圧力から反則を奪われたもの。フランスのスクラムの強さを目の当たりにした見たいだった。
フランスのリードが広がる度に “ Allez France !! “ のコールが鳴り響いた。 
う〜ん、やっぱり世界ランク4位が相手では…このままジャブを的確に決められる様に徐々に点差を開けられるのを見るのも辛いなぁ…と思った。



しかし31分観客席の日本人サポーター達が沸き上がるシーンが。粘り強く前に出る我が Blossoms 。アレジがキックしたボールが相手ディフェンスに当たり、こぼれたボールを Alridge が拾いそのまま誰も遮らない前方を一直線に突き進む。
おぉ..と思うと後ろの Kiwi が私の背中をポンと叩く。そして Alridge が飛び込んでトライを決めた。 2006年FIFA ワールドカップ のクロアチア戦で見られなかった日本のゴール、いやトライがここで見る事が出来た。 
背中を叩いた後ろの Kiwi はちょっと年配のラグビー観戦歴ベテランといった紳士。 思わず握手を交わす。
周囲の Kiwi 達も拍手を送ってくれる。そして私とハイタッチをかわし、後方に座っていた日本の方々とも目を合わせてお互いに手を挙げた。しかしこのあとの Conversion を決めてくれたらもっと良かったのだけど…..
折角の日本のトライに冷や水を浴びせる様に3分後フランス ?Vincent Clerc にトライを決められた。それまで日本のディフェンスラインの中央を力で突破して来たフランスだったがオープンに回して右隅に決められた。 
さすがフランスやなぁ…とこだまする“ Allez France “ の叫びを聴きながらそう思った。そして36分 No.8 のホラニ龍コリニアシが怪我でベンチに下がってしまい?谷口が入った。ホラニはこの後ワールドカップでプレーする事は無かった。



だけど我が Blossoms は怯まない。 39分にアドヴァンテージを受ける中よくボールを繋ぎ最後は中央で反則を誘いPGを アレジ が決めて 11-25 とまた得点差を詰める。そしてその後のフランスのキックオフからもボールを繋ぎ攻勢に出るなか前半終了のホイッスルが鳴った。リードは許しているが最後に得点を挙げて終わる。前半の終わり方としては良い方だと思った。そして周囲からは“なかなかやるじゃないか..”と色々声を掛けられた。

ハーフタイムの間、“御近所”としばし歓談。みな異口同音にこれまでの日本の健闘を称える。だけど問題はここからフランスが更に調子を上げて点差が広がるのでは…ベンチのメンバーは…と思うが日本はほぼベストメンバー。フランスはどれだけ余力を余してのスタメンなのだろう….

フランスのキックオフで始まった後半。日本はいきなりファールを取られたり、ノックオンをしたりスクラムでファールを取られたり…
42分には Harinordoquayにゴールラインを割られるが何とかトライは食い止める。ちょっと大丈夫かいな…と思うもすぐに落ち着きを取り戻し素早いプレスを見せる。出足は前半よりは良くなっている様に思えた。フランスとほぼ互角に戦っている様に見えた。43分に?藤田が?畠山に替って投入されたのが良かったのか….? 44分には Nallet がゴールラインに迫るがリーチが今度はストップ。 観衆から拍手が沸き上がる。



そして49分、連続攻撃を見せて中央から再び Alridge がトライを決め今度は conversion kick を決めて 18-25 と 1TG 差に迫った。 この連続攻撃は中盤から上手く繋ぎ最後はラックから SH?田中が持ち出してアレジに繋げた見事なトライだった。
周囲の方々からは Kiwi から Aussie ( 翌日のイタリア戦も見に来るそうだ。)からも、後ろのフランスの御婦人を除いて祝福の嵐だった。
53分日本ベンチは CTB?平に替えて 110kg の巨漢22トンガ人アリシ=トゥプアレイが投入された。そして日本の粘り強い攻撃が続く。スクラムの度に、ラインアウトの度に、“ニッポン!ニッポン!!”コールが響き渡る。それは日本人からだけでは無かった。ハーフタイム中に“ ニッポンとはどういう意味ですか?”と訊ねて来た隣の隣の御婦人も一緒になって“ニッポン !ニッポン!!”と大声援を送ってくれる。 
私は彼女に“ニッポンとは Japan の事で我々日本人は祖国の事を Nippon と呼ぶ。”と漢字とアルファベットを交えて書いて説明した。
そのニッポンはピッチ上でも Six Nations 上位常連のフランス相手に引けを取らない。 特にトゥプアレイとリーチが良く効いていた。そして58分、連続攻撃からフランスから反則を奪いアレジがPGを決めて遂に21-25 と4点差に迫った。1トライ上げれば逆転だ。私はピッチに向かって叫んだ。

“おい、勝てるぞ、勝つぞ。この試合勝つぞ !! 負けたら勿体ない。勝つぞ !! “

いくら健闘しても後に残るのは記録だけ。負ければそれしか残らない。あそこまで健闘して惜敗した…なんて日本人以外憶えていない。だから勝ってほしかった。
日本ボールになると“行け!行け!!行け!!!”、フランスボールになると“止め!止め!止め!止めろ〜!!” と怒鳴りまくり周囲の人達には迷惑かけたかなぁ….後半に入りと言うよりももう何分間フランスに失点を許していないのだろう..
兎に角、マイボールの時間を長くしてくれ、そうすればチャンスがある…と願い続けた。



しかし、67分日本に反則があり ? SH Yachvili にPGを決められ 21-28 と7点差に広げられる。それでもまだ1TG差、希望はあると思っていたけど71分にNallet にトライを決められその後のゴールも決まって 21-35 になってしまった。
攻撃の中でオープンに展開しだしたフランスが一転して一気に中央突破をはかりだし最後は Nallet が正面から来た小野澤を弾き飛ばしながら決めたトライだった。Nallet 115kg、小野澤85kg。体重差30kgあってはちょっと…..
それでも73分連続攻撃から反則を誘い、ラインアウトを選択しボールを蹴りだすと会場からは拍手とニッポンコールが沸き上がる。 こうなれば最後に意地のワントライを還してくれ〜…と願った。
しかしトライを決めたのはフランス。77分と終了直前にもトライを許しそして Allez France !! の中ノーサイドのホイッスルが鳴った時はスコアーは 21-47 と前半終了前よりも得点差を付けられていた。
最後の連続トライもニコラスのノックオンを拾われてからとパスミスを取られて、と日本のミスからだった…..



それでも終了の笛が鳴った後は日本代表に暖かい拍手が送られた。 周囲の人達からも“ナイスゲームだった。下を向くな。”と言われた。 隣の紳士には
“日本には Six Nations も Tri Nations も、来シーズンから Four Nations か、もない。ワールドカップ以外世界の列強と戦う機会が無い。その差が出た….” と言うと、
“日本とニュージーランドは季節が逆だ。日本のオフシーズンに選手をどんどんこちらに送ってここでプレーさせればいい。”と言われたので
“日本選手を受け入れてくれるのかな?”と訊くと
“この日の選手達だったらどこでも受けてくれる。”といってくれた。 それも良い考えだなぁ….
周囲の人達と握手を交わし応援の御礼を行って席を立った。ある人には
“次は日本はどことやるんだ?”と訊かれたので
“ハミルトンで All Blacks だ。”と言うと何とも言えない表情をしていた….

立ち上がりの2トライ喫した事。そしてPGを失敗した事がやはり痛かった。 健闘はしたと思うだけど得点差を見れば8年前 ( 29-51 ) よりも開いた26点差だった。



翌日の新聞は日本の健闘を称える記事満載だった。 Blossoms bravery in vain。 Day of the Minnows。 Livermont worried about inconsistency …. こういう見出しが見られた。
“我々はハッピーでは無い。 失望している、最初に2トライを挙げた時、我々はもう満足していた。おそらくこの日はずっと楽だろうと考えたのだろう。 結果的にそれは警告であり、我々にとっては良い夜ではなかった。日本選手達は大変良くプレーしており恐らくこの得点差を喫するほどではなかったと思う。 試合開始直後、我々は相手よりずっと上回っている。そしてイージーだと思った。こういう考えが後で災難を招く。” Livermont フランス代表監督はこの様に語ったらしい。
そしてフランスのメディアから何が足らなかったのかとしつこく聞かれた時は
“我々は何も案じていない。なぜなら勝ったからだ。 しかし、我々はただ充分な事をやっただけだった。これは警鐘だ。しかし我々は勝った。” と落ち着きを失いながらも答えたらしい。
また地元の英雄 John Kirwan 日本代表監督は
“選手達は勇気を持って闘ったので観客は暖かかった。 我々は東北地方で津波の被害に遭われた方々に勇気あるプレーをすることに就いて話し合った。 結果は関係ない。リビングでテレビ観戦をする人々は何が勇気かを解っている。我々はプレーを続ける事、立ち上がり続ける事、タックルを続ける事で勇気を示す必要があった。 地元のニュージーランド人は解っている。後半は勝利の窓が見えた事を。それは勝てる試合であった。守備で、攻撃で勇気を見せただけでなく70分までフランスと互角に戦った。ニュージーランド人は称えてくれたと思う。” と結果を称賛しながらも
“このレベルので1インチに就いて何度も話した。いくつかの判断ミスやノックオンが重要な時間帯であった。”とミスを悔やんだ。そしてルーク=トンプソンに就いても記事が載っていた。妹の Anna がネットボールのニュージーランド代表 Silver Ferns のメンバーだと言う事や日本に来た経緯。そして次の All Blacks 戦に就いても….
そして日本の選手はフィジカルに限界があると掲載紙は述べていた……

試合後、夜の Auckland はフランス人達が大騒ぎだった。しかしジャパンのレプリカを着ていた私を見ると皆好意的に駆け寄ってきた。その表情は“負けたけど日本はなかなかやるじゃないか…”といったところか…私も心中思った。サッカーなら勝てる。女子は当然。男子も今のフランスなら自信がある…( あまり関係ないか…? )
あるフランス人の御婦人が言っていた。“日本人は素晴らしい。イタリア人は文句ばっかり言うけど。”と言うので
“あぁ… マテラッツィ〜〜。”と言うと大受けした。 一矢報いたか…? ( 関係ないか?)

このお祭り騒ぎを見てワールドカップに来たんだと言う幸福感が沸き上がって来た。そして少なくともトンガ戦とカナダ戦は期待できるだろうなぁ〜 とこの時は思った……..

試合は曇りのち晴れ 天気は雨のち晴れのち雨のち晴れのち… Australia 32-6 Italy 11th Sep.

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ワールドカップもいよいよ今日から準々決勝、所謂決勝トーナメントが始まった。
残った8カ国の顔ぶれを見るとこれといった波乱も無く予想通りの顔ぶれとなった。
しかし Ireland が Australia を破ってグループリーグ1位で勝ち残ったので南北半球4カ国がそれぞれ同じゾーンに入ったので比較的下馬評の高かったAll Blacks 、Springboks そして Wallabies が決勝戦までお互いに消しあう事となった。こうなると Wilkinson の調子があがらず苦戦続きだった England が俄然有利になった、しかし今大会台風の目 Ireland も面白い…これからが真のワールドカップと言える戦いが始まるのだと思っていた…だけど俺の予想はこうも外れるとはなぁ....

日本が健闘を見せた時間があったフランス戦の翌日、同じ North Harbour Stadium でWallabies は今大会初戦になるイタリア戦を迎えた。 
この日私は同じホテルには部屋が取れず移らねばならなかった。しかしチェックアウトの際にその事を話すと、
“そんな事は無い空室はたくさんある。宿泊を延長しますか?”と言われた。
しかし次に取ったホテルは徒歩10分もかからないところでキャンセルが効かないと思ったのでその好意には
“ No Thank you “ と言うしかなかった。彼も残念そうに“それではまたのお越しを。昨日の日本は凄かったですね…” と言われた。
滞在中はずっと日本代表のレプリカを着続けていたので街を歩いていると多くの Aussie 達がWallabies のレプリカを着て闊歩しおており彼らに“昨日はナイスゲームだったなぁ。”と声を掛けられた。 
それだけ彼らにとっては“健闘”だったのかもしれない….
次のホテルにチェックインしても Aussie や Kiwi 達にフランス戦の事で話しかけられた…..

街中から前日乗ったシャトルに乗って Stadium に向かったが車中は殆どが Aussie 達。そこにイタリア人が10人程度混じっており日本人は ( 恐らく ) 私だけだったと思う。 バスは北部に向かうのには欠かせない有名な橋 Harbour Bridge を通るのだけどその橋は日本人技師が設計したらしい。この日の地元紙にもこの地域で日本と言えばここの橋が日本人によって設計された事以外はだれも関心が無かったが前日の試合はそれ以来初めて日本に関心が集まった日だっただろう。 
日本ラグビー史で最も素晴らしかった瞬間であった可能性がある…と書かれていた。でもかつては 1989年に Scotland に勝った事があるし 1983年にはアームズパークで Wales に 24-28 と健闘し、かつては England 相手に 3-6 と大健闘した。
それらはワールドカップが始まる前の事であるが世界の列強からすれば小国日本がかつてどんな興隆を見せたなんて関心は無かったんだろうなぁと思った。 そしてサッカーだったら世界に知られているのになぁ….と関係ない事を思い出した……

スタンドはWallabies のサポーター達、 Gold and Green Army で覆われていた。それでもイタリア国旗を打ち振る人達もちらほら目に付いた。 Five Nations への参戦が認められ Six Nations と改められた大会に出場するもイタリアはこれまで Pool Stage を突破したことがない。今大会もWallabies と Ireland と同じ Pool と同組で苦戦は免れない。初戦のWallabies戦では負けるにしても7点差以内で何とか勝点1は上げたいところだっただろう。 
一方のWallabies。ラグビーでは最大のライバルである隣国開催のワールドカップで優勝を飾りたいところ。Robbie Dean 監督は地元ニュージーランド人。史上初めてWallabies 監督に就任した外国人監督となったらしいが、前大会終了後に当然All Blacks の新監督に迎えられると思われていた。しかしN.Z. Rugby Union 協会は準々決勝止まりだったAll Blacks監督であった Graham Henry の続投を決めた。 この発表に地元の人達は大反論を唱えた。当然次は Christchurch Crusaders で指揮を取る Robbie Dean 氏が就任すると思われていたがこの発表後彼は Wallabies の監督に迎えられた。
この一連の当時、私は Christchurch に出張中で、“ Robbie Dean が監督の間は Wallabies をサポートする。”と地元協会の決定に激怒を示すタクシードライバーに出会った。
その翌年の Tri Nations でWallabiesは ホームゲームでAll Blacks を破り Aussie 達が“ Kiwi からの best gift だ。”と Robbie Dean 監督の事を話していた。
それでも次に Auckland で行われた試合ではAll Blacks が勝利を収め、しばらくAll Blacks がWallabies よりも優位に立っていた。今大会の直前に開催された Tri Nations でも8月6日All Blacks は地元でボール支配率ではリードされながらもWallabiesを 30-14で破った。しかし翌週 Springboks とのアウェー戦で 5-18 で敗れると8月27日、最終戦、ブリスベンで行われた試合でWallabiesがAll Blacks を 25-20で破り久々に Tri Nations 優勝を果たした。
この快挙にオーストラリアのマスコミは大いに沸き3度目のワールドカップ優勝をライバル国ニュージーランドで果たす可能性を連日報道していた。



そしてこのイタリア戦のスタメンはブリスベンでのAll Blacks 戦と同じスタメン。? Dan Vickerman もスタメンに入り James O’Connor はベンチスタート。? Adam Ashley Cooper  ? Anthony Fainaga’a らがスタメンに入った。
そして? Quade Cooper の名前が紹介されると Kiwi 達から一斉にブーイングが浴びせられた。  Tri Nations 最終戦でAll Blacks のDaniel Carter へのラフプレーは大会前から地元紙にずっと報道されていた。
オーストラリアのテレビ局でも “ The worst public enemy と地元では紹介されている…” と報道されていた。



一方のイタリアは? Ghiraldini ? Van Zyl 以外は8月21日に行われたフランス戦と同じスタメンだった。そしてこの日のスタメンの中で日本戦でスタメン出場したのは? Benvenuti ?Parisse 主将、? Zanni ? Ghiraldini そして? Lo Cicero の5人だけだった。やはり日本戦はだいぶメンバー落ちだったのかぁ…と後で思った。

着いた席は前日とほぼ同じ2階の最前列。なかなか観易い席だった。そして左隣りには Kiwi の女性が右隣には 2世になるイタリア系 Kiwi 家族がいた。ご夫婦とも2世とのことで一緒にいた2人の御嬢ちゃん達はイタリアの国旗を顔にペイントしていいた。
“昨年のワールドカップでは All Whites と Azzuri とどちらを応援しましたか?”と訊くとどちらを応援したと言う訳ではないけどまさか引分けに終わるとは思わなかった。大会2連覇は難しいと思ったけど1次リーグを突破出来ないとは思わなかったと言っていた。

この日は朝から結構まとまった雨が降っていたが競技場に着いた時はすっかり上がっていた。しかしオーストラリアのキックオフで試合が始まる頃は雨がまた降り出して来た。



3分42秒。早速Wallabies がPGのチャンスを得る。だけどイタリアの? Garcia が倒れている。リプレーを見るとモールの中で? Parisse のかかとが Garcia の頭に当たっていた。距離はあるけどほぼ正面。 Quade Cooper がボールをセットすると会場からはブーイングの嵐。そしてそのPGが外れると今度は大歓声が上がった。数日後地元紙に彼の母親のコメントが載っていた。
元々はニュージーランド生まれの Quade Cooper だけど今大会中ずっとこういう目に会うのかなぁ…と思った。

立ち上がりはイタリアの出だしが良い様に思えた。 ? Semenzato が良いキックを上げている様にも思えた。
そして17分、?Vickerman がオーバーザトップの反則を取られイタリアがPGを得る。ここで決まれば試合が面白くなると思ったけどBergamosso はPGを外してしまった。 その直後、今度は Quade Cooperに入れたGhiraldini のタックルが Late Tackle にとられWallabies がPGを得ると今度はブーイングの中でも Cooper が決めてWallabies が先制した。



昨日のフランス対日本戦同様、プレースキックは大切だなぁ…と思った。
その後もイタリアは何とかWallabies の攻撃を凌ぎ続けたが32分にオフサイドを取られてPGを献上。それを確実に Cooper が決めてリードを広げた。 それにしてもWallabies はキックが目立つなぁ…と思った。
だけどここからイタリアが反撃に転じる。スクラムでもWallabiesを押し込むシーンが続いた。そして36分モールの中のボールを ?Vickerman が脚で掻きだしたとホイッスルが鳴りイタリアがPGを得る。今度は Bergamo が決めてイタリアが 3-6 と差を縮めた。隣のイタリア系家族がずいぶん喜んでいた。 しかし更に彼らが喜ぶシーンが。
前半終了直前、またもWallabies は反則を犯し Bergamo がPGを狙う。
“決まれば同点だ….” 隣の男性が呟くのが聞こえた。 そのPGが見事に決まりそれと同時に前半が終わった。イタリア系の観客達とハイタッチをかわした。 



“あの11番は誰だ? デルピエロか?トッティか?”と言うと結構受けた。 でも今のイタリアのサッカー代表チームにはかつてほど名前が通ったスーパースターがいなくなったなぁ…..
前半のWallabies はちょっとミスが目立った。そしてイタリアの方がシンプルに前に前に進出しようとしている気がした。そしてターンオーバーを取ると素早くワイドにボールを回している印象があった。

後半、何人か選手を入れ替えて臨むかと思ったけど両軍選手交替は無かった。47分に? Fainga’a に替って James O’Conner が投入された。オージーサポーター達からは大歓声が沸いた。 
そして50分にWallabies はワールドカップ初トライが決まった。 自陣からカウンター攻撃に転じ ?Digby Iona を起点に ? Beale, ? Samo と繋ぎ最後は? Ben Alexsander がトライを決めた。カウンター攻撃を食らってもイタリアDF陣もけっこう踏ん張ったんだけどなぁ….だけどこの Conversion Kick は O’Conner は決められなかった。しかしこれでWallabies は落ち着きを取り戻したか猛攻が始まった。55分には Quade Cooper から? Ashley-Cooper にナイスパスが決まりトライが決まり今度は O’Conner が Conversion kick を決め、その3分後には Cooper, Beale, Ashley Cooper と繋ぎ最後は Samo を経由して O’Conner がトライを決め、Goal Kick も自ら決めてあっという間に 25-6 とスコアーが開いてしまった。 
更に67分にもスクラムからの早いボールだしから Cooper、Ioane と繋ぎイタリアの Bergamasco, McLean が追いすがるもそのままトライを許し、O’Conner が Goal Kick を難なく決め 32-6 となった。これでWallabies はこの試合4個目のトライ。ボーナスポイントも得る事に。
隣の男性と言うか家族はすっかりおとなしくなってしまった。とはいっても元々静かだったけど….



何とか1トライを還したいイタリアは75分に Parisse が素晴らしいインターセプトを見せボールを前線に蹴りだす。 Bergamasco が先にボールに追いつくがすぐに捕まり最後は not releasing ball を取られてしまった。これが後半唯一イタリアサポーター達が沸いたシーンだった。



73分から雨がまた降って来て帰りが心配されたがその雨も試合終了までには止んだ。
その後何度かWallabies はチャンスを作ったが最後は反則で相手ボールになる事がありトライは上げられなかった。
そして 32-6 のままノーサイドの笛が吹かれた。 前半こそ苦戦を強いられたけど後半に本領発揮と言ったとろか。イタリアでさえこれだけやられてしまうのだからその強さを改めて認識した……



バスで City に戻りパブリックビューイングに行ってみた。ずいぶんと立派なパブリックビューイングだった。やはりラグビー大国なんだなぁ…と思った。2019年日本でワールドカップが開催された時はこれだけのパブリックビューイングは作れるだろうか….





そこでしばらく Ireland vs USA の中継を見ていた。開始からアメリカがずいぶん健闘していた。そして何度もアナウンサーは前日日本がフランスに健闘したことを話していた…..



この日宿泊したホテルは価格の割には設備は今一で部屋には Sky Sports が入っていなかった。ホテル内のバーの中と何故かReception の横のテレビでは Sky Sports が見られるようになっていた。宿泊客の一団がこの事を猛烈に抗議していた….
外は強い雨がまた降っていた。近くにあったフードコートで Take Away した中華料理を食べながらさっき見て来た Australia vs Italy の再放送を見た。そして試合終了とともにそのままベッドに雪崩込んで眠ってしまった…….. 翌日は Christchurch だった…

これぞワールドカップ !!! Ireland 15-6 Australia 17th Sep. 2011

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腕時計のデジタルはもう77分を過ぎていた。Wallabies はもう Ireland ゴールの数メートル手前まで何度も迫っている。スコアーは15-6 で Ireland がリード。ここでWallabies がトライを決めてもまだ追い付けない。すると Cooper のパスがこぼれてそれを拾った? Tommy Bowe が一気に右サイドを駆け上がる。周囲の Irish 達は大歓声を上げる。トライ寸前に何とか追い付いた? James O’Conner がタックルに入り食い止める。競技場内に大きな嘆息が漏れる。もうこの時点でWallabies の勝は無いと多くの人が思っただろう。席を立つ Aussie 達が出て来た。
そしてノーサイドのホイッスルが鳴った。グリーンの一団が狂喜乱舞する。あぁこれが世界のトップクラスの闘いかぁ… と少し羨ましく思った。

前日深夜にハミルトンから帰って翌日はもうチェックアウトせねばならなかった。シティのホテルにはもう空き部屋が無かった。Aussie達に占領された様だった。
でも次の日は早朝のフライトでニュージーランドを脱出せねばならなかった。だから空港近くのホテルに宿泊する事にしていた。
前日All Blacks に 7-83 で大敗したけどこの日も日本代表のレプリカを着て外に出た。例え負けてもレプリカを脱ぐ理由などどこにも見当たらない。負けて脱ぐなら最初から着なければ良い。それが私の信念。ワールドカップ参加国として堂々と着てればいいと思っていた。
中心街のお気に入りの寿司テイクアウェイ店で寿司を買って AIR BUS EXPRESS に乗る為バス停に向かった。ところがバスがなかなか来ない。 中心街の Quay Street が閉鎖されてしまったのでバスルートが大きく変わったらしい。30分近く待ってようやくバスが来た時はほっとした……
初めてチェックインした空港のすぐ前のホテルは完成したばかりのモダンなホテル。値段も City Down Town のホテルより少し安いくらい。これから街中なんか泊らずにここに泊ろうかなぁ…と思った。
ホテルで事務処理をしたけどあまりに快適過ぎてあっという間に時間が経ちここ出たくなくなった。 やっぱり職場環境は大切なんだなぁ…..
試合が行われる Eden Park は今回初めて行く競技場。一旦街まで出ねばならないと AIR BUS EXPRESS の停留所に向かった。バス停には Irish, Aussie そしてSpringboks のユニフォームを着た家族がいた。 男の子に“昨年のサッカーのワールドカップは楽しんだかい?”と訊くと“ Yes “ と言うので、”私は日本人だけど、日本は Last 16まで残ったのを憶えているかい?“と訊くと男の子は2人とも頷いていた。するとお父さんが”1995年のワールドカップの日本戦も憶えているよ…” と話しかけて来た。あの時日本はAll Blacks 戦で 145失点だったけど昨日は失点83で済んだよ。と言うと、今大会日本は良くやっている、と言われた…..
Springboks の初戦 Wales 戦の疑惑のPG に就いては触れなかった。前の日に Wales サポータに話題を向けるとに彼らは、
Fxxxing English Referee と吐き捨てる様に言っていた…..

バスに乗り込むと運転手が Eden Park に行く人は途中で下車して下さい…てなアナウンスを行った。 これはラッキーと思うも初めて行く場所なのでどこで降りるべきか解らない。そして乗客も殆どが外国から来ているので同じ事を考えていたようだ。しかしやがて車窓からそれらしい雰囲気が伝わって来た。



緑の集団が目に付く様になって来た。そしてバスが停車し運転手が“ Eden Park の行く人はここで下車ください…”といった内容のアナウンスをし、殆どの乗客が一斉に運転手の方に向かった。彼は丁寧に競技場の場所まで私達に説明していた。 でも本当にすぐ近くだった…



キックオフまでまだまだ時間があった。多くの Irish 達がバーでビールをあおっている。でも半分以上は Irish 系の Kiwi だろうなぁ…と思った。 腹が減っては….と3軒ほど並んでいた中華料理屋の1軒に入った。客はいなかったけど20分もしないうちに Aussi, Irish そして Kiwi 達で一杯になった。 Kiwi 達はAll Blacksのレプリカを堂々と着ている。ならば自分も日本代表を着ていても恥じる事は無いと本当に思った。 中華料理屋は世界中どこでもある。日本人にとっては有難い事だなぁ…..



外は強い雨が降って来た。自分の席は屋根で覆われているかなぁ… と心配になった。そしてこの雨はどちらに味方するのかなぁ…とも思った。
雨が小振りになって来たので店を出て競技場に向かった。 Eden Park を見てその素晴らしさに驚いた。ここがこの国でのラグビーの聖地なんだろうなぁ…と思った。そして競技場の周囲は民家で囲まれている事も驚いた。
中華料理屋ではお茶しか飲まなかったので喉が渇いてたまらならず席に就く前にコーラを買った。 600ml が NZ$4.50 約288円。
日本の定価のほぼ2倍。近所のロジャースの3倍だ…と思った。
席は Category 2 にも関わらず素晴らしく見通しの良いところ。やっぱりラグビー大国は違うなぁ…でも将来 All Whites が強くなったらここで海外の列強とも試合をするのだろうか…と思った。それとも North Shore か Wellington のCake Tin こと Westpac Stadium を使い続けるのか…と関係の無い思いを巡らしていた。



まだ試合開始まで40分近くあったので着席されているところはまばらだったけど私の隣には御婦人が1人で座っていた。どちらからともなく声を掛け合った。彼女は自分が日本から来た事がわかるとまず、地震と津波のことを案じてくれた。それは彼女自身が Christchurch に住んでいた為であった。幸い被災地からは離れていたので被害は皆無に等しかったらしいが、地震当日はかなり揺れて怖かった事や知人の多くが被災した事を話してくれた。 前の週に Christchurch を訪れたけど中心街が全く復興していない姿を見てショックだった。と話すと、復興対策が遅いと彼女も不満を露わにしていた。そして Christchurch での試合は全てキャンセルになって残念。 日本の Pool Match が本当は Christchurch で行われるはずだったんだけど…てな話をした。
彼女は緑のフラッグを持っていたので訊ねてみるとIrish 系の移民らしく、当然この試合は Ireland が勝つチャンスがある。と言っていた。 今年の Six Nations ではフランス、ウェールズに敗れて3勝2敗であったが最終戦の England 戦では 24-8 と快勝を御収めている。Tri Nations を久々に勝ったとはいえWallabies にとってもけっして Easy な相手では無かったはずだった。
スクリーンに映し出される南アフリカ対フィジー戦を見ながらそんな話をした。



Ireland のスタメンは前のアメリカ戦からメンバーを4人替えて来た。注目は? Rob Kearney。? Stephan Ferris と共に 今年の Six Nations では出場機会が無かった選手だ。 ただ Ferris はアメリカ戦でスタメンだった。アメリカ戦ではスタメンでなかった本来のレギュラー? Eio Reddan も? Cian Healy と共に起用された。SOはこの試合も Ronan O’Gara ではなくJonathan Sexton だった。
一方のWallabiesは James O’Conner が8月13日の南アフリカ戦以来スタメンに戻ったが、当初スタメン予定であった? David Pocock, ? Stephan Moore が怪我の為に離脱し替って ?Tata Polota-Nau ? Ben McClaman が起用された。思えばこれがこの試合の苦戦の始まりだったのだろう。結局Wallabies も前のイタリア戦から4人スタメンが替った事となった。
キックオフ時間が近づくにつれてだんだんと客席が埋まりだした。周囲の席も。ある男性が席を1つ詰めてくれ、と彼女に頼んだ。先ほども我々がある男性に頼まれて席を1つずらしたのだがその彼の連れだった。しかし彼女は今度は譲らない。何度も移動をさせられ我々が席を失ってしまうのを危惧してのことだった。 そして我々2人を含めた周囲10名ほど全員がチケットを差し出し座席を確認しはじめた。すると男性の1人が“あなた達の席は L だからもっと前だ。ここはLLだ。”と私達2人のチケットを指した。
あらら、これは形勢大逆転バツが悪い。慌ててこちらが退散する事に。そこで私は“彼女は Christchurch で私は日本から。共に Big Earthquake の被害にあったので、ここは御好意を。”と言うと他の人達も含め多くの人々に大受けした。彼女も笑っていた..そして私達は“本当の席”に着席した。 そこは更にピッチに近く選手達の動きが手に取る様に解る席。うわぁぁぁ〜っと2人で顔を見合わせた。それでいてピッチ全体も良く見渡せる。さすが本場の競技場だと思った。
キックオフが近づくがその前にブラスバンドの素晴らしいドリルが披露された。これは見事。彼女にはこれは地元の軍隊のブラスバンドだと教えてくれた。さすが、節度が違うなぁ…と思った。



そしていよいよ両チームが入場し国歌が斉唱される。 後方の Aussie 達が Advance Australia Fair を合唱し出した。
キックオフ直前になると雨が降り出したがこの席の上は屋根からはみ出しておりもろに雨粒が降り注ぐ。
“ Another problem が起こったわ…” と御婦人が苦笑いを….. 

Wallabies のキックオフで始まったこの一戦。雨のせいかボールもピッチも滑り気味4分には Ireland にノックオンがありWallabies ボールのスクラムとなった。そこから Cooper の早い玉出しからWallabies がボールを繋ぎだそうとするが ? Beale に ? Kearney が入れたタックルがハイタックルに取られWallabies がPGを選択しこの試合ではスタメンだった O’Conner がボールをセットする。隣の御婦人は “ Babe, Baby Baby…” と口ずさむ。これくらいは決めるだろう…と思われたPGを O’Connor はポストに当ててしまい先制のチャンスを逸した。この日も Quade Cooper がボールを持つと Kiwi 達から凄いブーイングが飛ぶ…O’Connor はイタリア戦も最初のキックを外した。



しかし9分に再びスクラムで反則を貰って得たPGは正面と言う事もあり難なく決めてWallabiesが先制した。 後ろの Aussie 達は “ Go!! Wallabies !! “ の歓声を送る。 
だがここから Ireland が優位に試合を進める。 Quade Cooper のキック、パスがうまくチャンスに結びつかない。その度に Irish やKiwi 達から拍手が沸く。 そして13分にはPGを得てSexton が決め、17分にはオーストラリア陣中央で得たマイボールスクラムをのチャンスに早い球だしから Tommy Bowe が DG を鮮やかに決めて逆転した。 このDGは大きかったと思う。

Wallabies は強固な Ireland の守備陣の前になかなか陣地をゲイン出来ない。そして Ireland のカウンターも鋭い。ラグビーはあまり解らないがWallabies は中央へ中央へと突破をはかるのに対し Ireland はよくボールを両サイドに散らしている様に思えた。それでも23分には Tommy Bowe のオフサイドの反則を誘い得たPGをO’Connor が決めて6-6 の同点に追いつく。
そしてラック、モールでWallabiesが押すシーンが続いた。このプレシャーが功を奏したか25分には? Jamie Heaslip がラックの中のボールを手で掻きだしたと反則を取られPGを選択する。これが決まればWallabies の再逆転と言うところであったが O’Connor が外してしまった。今大会は England の Wilkinson しかり、Press Kicker がPGや Conversion Kick を外すのが目立っている。

 

そしてこの時間から Ireland のスクラムを含めたプレッシャーの強さが目立ち始める。33分にはマイボールスクラムから反則を誘いPGを得るチャンスを。しかし今度は Sexton がPGを決められない。さっきの O’Connor のPGと言いあまり難しい位置でも距離でもないと思ったんだけどなぁ…雨もやんで上空はあまり風があるとは言えないんだけど…..
そして終盤のやく7分間はWallabies 陣営で試合が進み前半が終わった。  Irish 達の大歓声が沸き上がった。対照的に Aussie 達はちょっとこんなはずでは….といった表情。しかし後半は何とかなるだろう….とみな思っていただろう….

ハーフタイムの間に隣の御婦人や周囲の Kiwi, Aussie 達と話した。御婦人はルール説明の放送を聴くべくラジオを持っておられた。からりのラグビー通だなぁ…と思っていると御主人がラグビー関係の方らしく一般席でない関係者席で観戦されているとの事。Wallabies はオープンに早くボールを回そうとすると Ireland は上手く展開を遅らせている。この日のWallabies はスクラムが今一なので後半はそれが左右するかも…と教えてくれた。そして後半実際にその通りになったので本当に驚いた…
反対隣の老紳士はブリスベンからやって来たらしい。年齢を聞くと80歳。 Rugby League もけっこう見るらしい。
ブリスベンというと今年は洪水があったり大変だったと思うけどいかがでしたか? 3月に Suncorp Stadium で行われた A-League の Grand Final を観に行ったんですよ…てな話をしたんだけどなかなか通じなかった。だから御婦人が改めて説明してくれたら解った見たいだったけど A-League は御婦人も解らなかったらしく上手く伝わらなかった。
あぁさすが Native. それとも俺の勉強不足か….
御婦人はキックの応酬になると面白くなくなるのでそれを案じていた…

後半の開始早々はWallabies の早い展開が目立った。しかし Cooper のチップキックが相手にダイレクトでキャッチされる等この日の彼の出来は今一つ。隣の御婦人も“彼は好きでない…” と言っていた。




そして48分? J.Horwill がオフサイドをとられ Sexton がPGをきっちり決め遂にというかようやく Ireland が再びリードを奪った。
この時点ではまだ Aussie達も少し余裕があったかもしれないがピッチ上ではなかなか Ireland ゴールが遠い。
Ireland は自陣内でもモール、ラックに持ち込み時間をかける。それはWallabies の焦りを誘う為だったのか….



50分にはIreland の Ronan O’Gara が投入されたが SOには Sexton がそのまま残った。 O’Gara の投入が Ireland の勝利を呼び寄せたのかもしれない。 Six Nations では Sexton とO’Gara が共にピッチに立つ事は無かったが8月21日のフランスとのテストマッチは ? Sexton ? O’Gara が共にスタメン出場していた。
53分には Ireland のマイボールスクラムからPGを得たがここは Sexton が蹴りポストにぶつけてしまった。これが決まっていればWallabies は苦しくなるところだったがAussie サポーター達の安堵の声が良く聞こえた。
そしてWallabies の怒涛のオープン攻撃が始まった。Cooper, O’Connro が起点となりボールを展開するが Ireland もタフな守備を見せる。何度かゴールライン直前でストップするシーンがあったがその度に Irish 達が大歓声を上げる。そして スクラムになる度に Ireland ! Ireland !! の大歓声が競技場にこだました。



58分にWallabies は良い攻撃を展開したが最後は? S. Moore がオフサイドの反則を取られたり焦りは払拭できなかった。
翌日のオーストラリア地元紙ではこの日の地元 Kiwi の Lawrence 主審のジャッジを
 “非常に厳格だけど一定していなかった。それが両チーム主将のフラストレーションを呼んだ。”と書かれていたが試合も終盤に近付くとリードを許していたWallabies の選手達が審判の判定に不服そうな表情を浮かべるシーンが続いた。
62分この試合を大きく左右した次の得点が Ireland に決まった。  Ireland ボールのスクラムを3度やり直した末にとうとう Wallabies 側にScrum Collapse の反則が取られた。そしてこれを途中出場の Ronan O’Gara がPGを決めて Ireland のリードは6点となった。まだ時間は20分近く残っていたけど追い付くには 1TG が必要だった。
それだけにWallabies は容易にボールを蹴りだせなくなった。Ireland はボールキープの時間を長く長く取ろうとしている。
しかし Wallabies はマイボールスクラムになっても Ireland のプレッシャーがきつくてボールが上手く出して繋げない。68分またも スクラムでfront-row crumbles の反則を取られ Ireland にPGを与え O’Gara が難なく決めて 15-6 と決定的な得点差にしてしまった。この時点で勝利を確信したか Irish 達はもう狂喜乱舞していた。 



それでもWallabies は相手22m陣内でプレーし続けた。1トライでも還して負けるにしても7点差以内であればボーナスポイントが入る。前に試合で Ireland はアメリカにてこずり勝つには勝ったがスコアーは 22-10 。ボーナスポイントは入らなかった。Wallabiesはこの後アメリカ、ロシアといった格下との試合が続くので1勝点でも上げたいところだった。しかし74分、抜け出したと思った ?Faingaa のミスパスで絶好機を逃し、その直後に Drew Mitchell が投入され Faingaa が退き ? Ashley-Cooper が中央に入る。76分には Ireland ゴール1m手前に迫るが Ireland も必死に押し返す。77分Cooper のパスがこぼれて Tommy Bowe が拾い上げ一気に右タッチライン沿いを駆け上がる。 Irish 達が狂ったように送る歓声に乗って Bowe が疾走した…..



試合が終わって、幸福の笑みを満面に浮かべている隣の御婦人と挨拶をし別れを惜しみながら席を立った。
“地震は大変だったと思うけど good luck !!” と言われた。特に私は被災していないけど….
“ありがとう。 Nice Game でした。 Ireland が決勝まで進撃する事を祈ります。“

競技場の内外でそして街中に向かう電車の中でさらに街の中心街で….緑の Irish 軍団が喜びの宴を Kiwi達と一緒に繰り広げていた。 一方の Aussie サポーター達は、“これで準々決勝戦がSpringboks、準決勝戦がAll Blacks になってしまうだろう..” と消沈していた….



Down Town から空港に向かう Air Bus Express はなかなか来なかった。1時間近く待ってバスが来た時は涙が出そうに嬉しかった。そしてシャワーを浴びてベッドに潜り込んだのは午前1時を過ぎていた….

翌日、 Cairns 行きのフライトの中にはWallabies のレプリカを着た人達が10人程乗っていた。
亜熱帯のCairns は雨の Auckland と異なり過ごしやすく良い仕事も出来た。だけどホテルには何故か FOX Sports Channel 1,2 は入っていいたが3 が入っておらずワールドカップのテレビ観戦は出来なかった。でも疲れのせいか夜は早く寝てしまった。

Eden Park で観戦してから数日後に帰国したが日本はラグビーワールドカップの話題がさっぱり上がっていなかった。日本が出場しているにもかかわらず。まだ日本戦が2試合残っているにも関わらず…あの盛り上がりがものすごく懐かしく感じた…..

Wallabies は準々決勝で南アフリカを破って準決勝進出を決めた。次はAll Blacks 戦。事実上の決勝戦かもしれない。 Ireland は Pool League 最終戦でイタリアを退け首位で準々決勝に進んだものの Wales に 10-22 で敗れた。 
あぁ、本当は準々決勝あたりから見たかったんだよなぁ…..

準決勝戦、決勝戦。どんな試合になるのだろう。その前にテレビ観戦出来るかなぁ…



長谷部フル出場 その評価は… HSV Hamburg 1-1 Vfl Wolfsburg

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このスタジアムにはもう何度脚を運んだ事だろう…
欧州クラブの“地元”サポーター達は日本人選手が在籍している時は大挙して押し寄せいなくなると潮が引く様に来なくなる“日本人観光客”の事をどう思っているのだろう….
10年以上前に初めて来た時はイランのマハダビキアがいた。そして高原が入団し、彼が Frankfurt に去ってからも。ここには何度も来た。2006年のワールドカップの時には2度もここで観戦した。そしてそれからも…..
2004年シーズン開幕前に商用で訪れた時。この時はまだ高原が在籍していた。 Fan Shop に寄ってお土産を物色していた時全ての店員さんが私に。“ Takahara Olimpisch !! “ と非常に嬉しそうな表情で私に声を掛けて来た事。それは”我々の選手がオリンピックに出るんだ。“という喜びを感じているんだとすぐに解った。
この人達の事を思い出し、その後高原が会った事もない医師が五輪派遣には健康の保証が出来ない、と不可解な決定を降した事が残念でならなかった。
アテネオリンピック開幕時にそのシーズンの Budesliga が開幕した。高原は途中出場を果たした。それは当時の監督がこの決定に対し抗議をしているかのように思えた。私は少し溜飲の下がる思いがしたけど HSV のサポーター達はもっと胸がすかっとしたのではないか……
今、HSVはここしばらく見られなかった程に喘いでいる。 今シーズン9試合を消化して2勝1分6敗で最下位に甘んじている。まだリーグ戦4分の1強を消化しただけであるがこれまで二部リーグに陥落した事のないチームの低迷ぶりにドイツ入りした約10日前からほぼ連日チーム周辺の報道新聞紙上等に見られた。
そしてついに10月18日、Thorsten Finke 新監督を迎える事となった。しかし Finke 氏はスイスの強豪チーム FC Basel 1893 の“現役監督”であり今は UEFA Champions League に参戦中でもあった。
その Champions League の Benfica Lisbon 戦の日に HSV への“移籍”が発表された。 
“現役監督”に声をかけるクラブ幹部もそうだけどそれを快諾する Finke 氏の胸中もちょっと….と思ってしまう。
それが売った買ったのプロの世界と言い切ってしまえばそうなのかもしれないけど…
確かに今 Basel は11試合を消化して勝点19。首位 Luzern とは5勝点差の5位と“低迷”してはいるが…
キックオフ前なのにずいぶんTVカメラとマイクが集中していると思ったらそれは Finke 新監督へのインタビューだった。







スタジアムに向かう電車内は勿論 HSV サポーター達で埋め尽くされていた。それでも私の周囲には緑色のマフラーを巻いた Wolfsburg サポーターが数人。しかし HSV サポ達とは非常に平和的に会話がはずんでいる。
高原がいた時は HSV サポーター達から“タカハラ ! タカハラ!”と声を掛けられたが今は誰も声を掛けない。(当たり前か…)
女性のWolfsburg サポの1人と目があったので
“貴女は Wolfsburg から来たのですか?”と訊ねると
“Wolfsburg 出身だけど今は Hamburg 郊外に住んでいる。”と答えたので
“私は日本から来た。そして今日は Wolfsburg と Hasebe を見に来た。”と言うと周囲の Wolfsburg サポ達が一斉に私に親指を立てながら長谷部を称え始めた。
電車は停車駅ごとの混雑が増しある HSVサポが“ Wolfsburg は aussteigen ( 下車 ) してくれ。”と言うと話していた女性が “ Ausstigen ( 降格 ) はそちらのほうよ。“と返し車内に笑いが。
すると他の HSV サポが“こちらはまだ2部でやった事は無いぞ。”といったので彼女は“我々は2009年の シーズンのチャンピオンよ。”と返す。
彼女の耳元で“ 2008-09年は長谷部がプレーする Wolfsburg が優勝した。昨シーズン優勝した Dortmund は カガワがいた。日本人のいるチームは優勝する可能性がある。 HSV は今いない。”というと非常に受けて周囲の Wolfsburg サポ達に教えてだした。
彼女は前に週に私が Basel にいて Champions League を観戦したけど Basel の人達はみながっかりしていたよ、とか 38年前Alex Magath が現役時代 HSV のメンバーの一員として来日し TOYOTA CUP を戦った事等を話した。 もっとドイツ語がわかればもっと多くの人達ともっといろんな話が出来るのになぁ…いつもそう後悔する….
HSVのスタメンは前節 Freiurg 戦で2トップであった韓国代表の?孫興民と38.Zhi Gin Lam を2人ともベンチスタートとしペルーの? Paolo Guerrero とクロアチアの ?Mladen Petric を2トップに置いた。Freiburg 戦は孫興民の先制ゴール等で 2-1 で今シーズン2勝目を収めていたので孫興民が見られると少し楽しみだったのだけど….







その他はベネズエラの Tomas Rincon をスタメンに起用しボランチに置いていた。 Rincon はこの試合の前ワールドカップ予選でベネズエラ代表としてアルゼンチンを降した歴史的ゲームのメンバーでもあった。
Wolfsburg は前節 2-1 と勝利を収めた Nurnberg 戦のスタメンから選手を4人替えて来た。後半から途中出場であった?長谷部が右サイドバックのポジションにスタメン起用され、?韓国代表の具滋哲がなんと ?Mario Mandzukic と組む2トップに起用されていた。長身の Mandzukic のやや後方という感じではあったが…
日韓両選手本来のポジションでの起用では無かったがそこは Magath 監督の考えがあっての事だろう。
選手紹介の後で Finke 監督が映し出されると大きな拍手が沸いた。








HSV のキックオフで始まった試合は65秒、前節では出番のなかった2列目右の? Patrick Ochus がサイドをドリブルで上がり入れたクロスに中央で待ち構える長身の Mandzukic ヘッドで合わせてあっさりと Wolfsburg が先制ゴールを挙げた。 Ochus にも Mandzukic にも全くマークがついておらず練習でも見られない様な綺麗なドリブルからクロスそしてヘッドだった。 








HSVというよりもここの雰囲気はホームチームの選手達に試合への入りを遅らせる何かを作っているのか?と錯覚させられる。こういう失点は私でさえ3度は観ている….
その後は目が醒めた如く HSV のシュートシーンが連続して演出される。4分にはトルコ人の右MF? Gökhan Töre のFKにGuerro がヘッドで合わせるがゴール枠を外れ、9分40秒に後方からのパスに Töre が左SB? Marcel Schäfer と競りながら放ったシュートはSchäferの脚に当たり惜しくも外れ、その後のCKから Guerro が再びヘッドで狙うが惜しくも外れる。
だけど以降 HSV はシュートに持ち込めなくなってしまう。パスをやり取りする選手だけで動いているのでコースが簡単に読まれてしまう。だから何度も容易にパスカットされてしまう。 長谷部の動きを見ると顕著に上がる Ochus の後方を上手く埋めて、相手が攻撃に転じると自分のサイドに入ってくるボールを持たない選手でもうまくマークしている様に見えた。またCBの? Christian Träsh と連携して攻守の切り替えに対応している様だった。
そして時折見せるミドルパスも効果的に思えた。
20分を過ぎると再び HSV のシュートシーンが続く様になった。 23分にはCKのこぼれ球を拾ったTöreがミドルを放ち24分にはセルビア人ボランチの44.Gojko Kacar が撃ったミドルは GK ? Diego Benaglio が弾き出す。
左SB? Heiko Westermann がサイドを上がって来て攻撃の良い起点になっていた。25分には Westermann が左サイドを上がり入れたクロスに合わせた Petric が放ったシュートはGK Benaglio の正面に。26分には Westermann が自ら放ったミドルは惜しくもポストの右に外れ、27分には Westermann のクロスに Kacar が?Kyrgiakos と競りながらヘッドで狙うが Kyrgiakos に当たりCKに。
HSVの連続攻撃にスタジアムが沸くがシュートが外れたり止められたりする度に大きな溜息が洩れた。
30分を過ぎるとTöreが Ochus の上がった後の右サイドに流れて来る様になる。更に Rincon 、左SB Dennis Aogo らがドリブルで上がってくる。41分には二列目左の? Marcell Jansen がドリブルで上がってくると長谷部がマークに入る前に外から上がった Aogo に送る。 Aogoの入れたクロスに Guerrero がヘッドを放つがゴール枠を外れてしまったがこれまでで一番良い攻撃が演じられた。
先制後劣勢続きでシュートに持ち込めない Wolfsburg は何度もピンチを招いたがGK Benaglio がファインセーブを連発したりDF陣が必死のカバーを見せ HSV の決定力不足にも助けられ何とか前半は無失点で終える事が出来た。

後半に入り HSV ベンチはセルビア人 CB 23 Slobodan Rajkovic に替えて左 SB だった Westerman をCBに置きオランダ人 CB? Jeffrey Bruma と組ませ右SBに Aogo を左から回して来た。そして前半は足元へのパスばかりであったが後半は選手がスペースに入る動きや相手DFを引き付けスペースを作る動きが顕著に見られ開始から圧倒的に試合を支配し始めた。
そして55分遂に同点ゴールが生まれる。波状攻撃を見せ最後は Kacar からボールを受けた Petric が中央から放ったシュートがゴール右隅に突き刺さった。
失点後から攻勢を続けるも今一決定力に欠けていたHSV攻撃陣が遂に同点ゴールを奪った。








大歓声が場内を包む。そしてその余韻が残る1分後 Jansen がドリブルシュートを見せGK Benaglio が弾いてCKに逃れるとそのCKから Kacar がヘッドを放つが惜しくも外れる。 59分にはスルーパスを受けた Guerrero がシュートを撃つがDFに当たってこの時点で8本目のCKに。 Wolfsburg はこの時点でまだ2本しかCKを得ていなかった。その直後に右サイドでFKを得た HSV はTöreが直接狙うがここもGK Benaglio がパンチで弾き出す。 観客は逆転ゴールが決まるのが今か今かと Wolfsburg ゴールに迫る度に乗り出しては外れる度に大きな溜息と拍手も送っていた。








守戦一方の Wolfsburg は63分に具滋哲が中央からドリブルで突破そして Mandzukic にボールを送り久々のシュートを導き出すが GK Jaroslav Drobny がファインセーブを見せ大歓声を引き出す。
しかしこのシュートを機に HSV の一方的な攻撃の手が緩み始めた。同点ゴールの前に 2列目左の 24 Dejagah に替って投入された前節 Nurunberg 戦ではスタメンだった? Hasan Salihamidzic がフィットして来たのか中盤とDFがしっかりと2ラインを構成する様になり HSV のパスがこの“網”に掛かる様になって来た。そして Ochus が右から左に入っていたがこれは相手右SBに入った Aogo 対策だったかもしれない。
パスがカットされる度に場内のサポーター達からは大きな失望の溜息が洩れる。 HSV ベンチは79分に Kacar を下げて前の Freiburg 戦ではスタメンだった? Robert Tesche を投入し84分には Jansen を下げて孫興民ではなく Zhi Gin Lam を投入する。これで少し楽しみにしていた孫興民のこの試合の登場は無くなった......








試合は終盤になるにつれ両者当たりが激しくなりイエローカードも出される。HSV の選手にカードが出されたり Wolfsburg の選手に出されなかったり、倒れても起き上らないとものすごい口笛とブーイングが沸き上がる。
82分に映し出されたボール支配率を見ると HSV が51%であったが地域占有率でみると HSV が60% も占有していた。これだけ攻勢に出ているのだから観客は逆転ゴールを見たかっただろう。
87分にはDFのクリアーボールをそのまま Aogo がシュートを撃つが GK Benaglio がまたもやナイスセーブ。88分にはTöreからPaolo にボールが入り HSV サポーターは一斉に立ち上がるが Kyrgiakos, Träsh が必死に身体を寄せてシュートを撃たせない。ロスタイムに入りWolfsburg ベンチは具滋哲を下げて DF 23. Marcos Russ を投入し逃げ切りを図る。 そして久々に攻撃に転じた Mandzukic が倒されてなかなか起き上れない、大ブーイングを浴びてもいや起き上らない?
競り合いでは身体的強さを見せつけていたのに...








そして結局2分あったロスタイムも過ぎ試合は終わった。
HSVは前節に続いて勝利を挙げられそうな試合内容だっただけにサポーター達は少し不満が残るか...それとも上昇気流の兆しと考えるか....
Wolfsburg の Maghat 監督としてはアウェーとはいえ低迷する相手から勝点3を奪い、4勝ち点差で5位の Werder Bremen に迫り Europena League そして Champions League 争いに割って入りたかっただろう...
キックオフ前に試合を終えた Dortmund は 1FC Köln を 5-0 で粉砕し香川がゴールを決めた。そして長谷部は先発フル出場であった。
翌日以降の地元紙での長谷部の評価は何故か今一だった。 WELT am SONNTAG , Die Bild 紙は4.Kicker 誌にいたっては 4.5 であった。 確かに後半はあまり目立っていなかったけどなぁ.....
具滋哲は Kicker が3.5 で他は3だった。そして Kicker 誌が選ぶ Spieler des Spliels は当然のごとく Wolfsburg の GK Benaglio だった。試合終了後孫興民と具滋哲が何やら立ち話をしていた。









肝心の Magath 監督の評価はどうだったのだろう。次節 Wolfsburg は Herta Berlin をホームに迎える。
その試合で先発起用される事を願いながらスタジアムを後にした。いや、その前に怪我をしないでくれよと願うべきだろう。







11月にはワールドカップ予選が2試合あるから....


今度はアウェーの連戦だ。平壌に観に行きたいなぁ.........

アジアの女子サッカーは世界最高のレベル… Matildas にアジアの壁… ?

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世界タイトルを勝ち取りその1ヶ月半後厳しい日程を乗り越えて来年の五輪出場を勝ち取ったなでしこ達の姿を今やテレビでは見ない日は無い。本当に正当な評価だと思う。今世界一のタイトルを保持している競技、団体はプロ野球と女子サッカーだけだからだ。しかし女子サッカーは“世界一”になる前となった後での格差は激し過ぎるとも思った。
今のなでしこ達の素晴らしいところは先人達の残した事そしてこれまでの積み重ねに敬意を払い続けている事だ。それはその時代を良く知る代表に長く身を置く澤穂希がいるからだ。彼女の存在が先人達の功績を後世に伝承していく事だろう。 これは男子サッカーではあまり見られない事ではないかな…しかし代表が強くなった今、サッカーという商品価値が一気に上がった幸せな時代なのだ….

9月5日、その日は商用でシドニーの見本市に参加していた日だった。閉幕時間である午後5時が近づいて来た時、携帯電話で中国で行われていたロンドン五輪の女子サッカーアジア地区最終予選の結果を検索する為にヤフーサイトにアクセスした。そしてなでしこがオーストラリア代表 Matildas を 1-0 で破った事が解った。
おもわず拳を握りしめた。 タイ、韓国を連破したあとのこの Matildas 戦が1つの山場と思っていた。昨年の AFC Women’s Cup で優勝を果たしワールドカップでベスト8に残った Matildas と同じくワールドカップに出場した北朝鮮との直接対決で勝点を幾つ稼げるかがこの11日間で5戦を行う過酷な日程を勝ち抜くひとつのポイントと思っていた。
だから Matildas 戦の勝利で大きく予選突破に近づいたと思ってほっとした。
見本市後に現地日本人の方が経営する日本食レストランに行った。そこで働く日本人女性達に試合結果を教えてあげた。
“日本勝ちました。これでロンドン五輪に大きく前進です。”
彼女達は本当に喜んでくれた。そして私は付け加えた。“日本女性は素晴らしい。世界一です。”
だけど気になった事も。現地の人達の間ではあまりこの五輪予選が話題になっていなかったらしく、いつ予選が始まってどこで詳しい試合経過が解るのかなかなか解らなかったらしい。 オーストラリア女子サッカー代表チームは現アジア王者、いや女王なのになぁ……

West Field Matildas defeated by world champions Japan Australia 0-1 Japan 5th Sep.

何年にも亘って特に近い関係を持っている日本は強くて友好的なライバルである。 彼女達との戦いは常に特別なものとなるであろうと言う事は解っている。日本は我々の限界をテストしようとするだろう。我々は日本のプレースタイルに大変な敬意を払っているがそういった敬意はお互いに持っている事だろう。 日本が世界タイトルを勝ち取った後にこの予選にどの様に焦点を定めているか見るのが非常に楽しみである。 世界一に酔ったままか、変わらずプレーするか。 大きな大会での過去の対戦成績は対等である。トップチームとの対戦は引分けか1点差の勝敗だ。明日の日本戦ではこれまでの歴史通りになる事を希望する。そして次の日本戦で結果が出ればこの五輪予選突破に大きく前進できる。

試合前日 Matildas の Tom Sermanni 監督はこう語っていた。 ワールドカップでは若い選手を起用。1次リーグではそれが功を奏したが準々決勝戦ではミスから失点を喫しスウェーデンに敗れ準決勝進出はならなかった。だから最も警戒する相手と思っていた。この Matildas 戦に勝てれば北朝鮮戦は引き分けても、最悪負けても予選突破の2位以内が充分に射程内に収まると思っていた。 しかし Matildas は初戦で北朝鮮に敗れている。この日本戦に対する意気込みはなでしこ達以上ではないかと危惧もした。

この試合のなでしこは全員がワールドカップのレギュラーメンバー。一方の Matildasは前のタイ戦からスタメンを8人も替えて来た。しかし初戦の北朝鮮戦でスタメン起用された選手が8人。このなでしこ戦のスタメンがレギュラーメンバーであった。ワールドカップレギュラー選手を7人なでしこ戦に先発させた。ただGK はタイ戦で起用されワールドカップでレギュラーだった Anne Barbieri が起用されるかと思ったが北朝鮮戦同様に23歳 Lynda Williams が起用された。 Williams は175cm Barbieri は 166cm その違いだったのだろうか…. そして Sara Walsh も日本戦で今大会初スタメン起用された。
さすがにDFラインは? Kim Carroll 175cm, ? Polkinghorne 171cm ? Slatyer 174cmと長身選手が揃う。更にベンチには? Van Egmond 175cm , ? Sally Shipard 176cm そして緊急召集された 180cm のDF ? Gloria AllwayそしてFW ? Michelle Heymann 180cm らが控える。
Denmark Fortuna Hjorring でプレーするVan Egmond はワールドカップではレギュラーだった選手。ワールドカップではDFで起用された ?Caitlin Foord は本来の攻撃的ポジションで起用された。本来 FW 選手である Uzunlar もワールドカップでは Foord 同様守備的ポジションで起用され、この2人の連係ミスからピンチや失点を招くシーンもあったがこの予選大会では Uzunlar もFWで起用されていた。

開始早々日本ゴールに迫るのはアメリカ Magic Jack でプレーする 156cm の? Lisa De Vanne。右に左に動いて日本DFを撹乱しようとした。 De Vannna は2007年 ワールドカップ中国大会で4得点を挙げたストライカーだ。2006年アデレードで行われた Asian Cup ではこの Walsh と De Vannan にかなりやられた。 
しかし10分も過ぎるとなでしこ達のボール回しが上回る様になり永里らが決定的なシュートを放つが惜しくもクロスバーの左に外れる。 その後もなでしこのチャンスが続くが GK Williams がファインセーブを見せ得点には至らなかった。
後半に入りなでしこは?澤が比較的高い位置を取るようになり更に攻勢が続く。また美人選手?鮫島のサイド攻撃も顕著になって来た。そして62分、素晴らしいビルドアップから最後は?川澄が決めてなでしこが先制をした。前半の半ばからDF4人の前に MF 陣4人を並べ効果的なブロックを敷いていたがこのシーンはなでしこ達のボール回しが完全に上回った。
先制を許した Matildas ベンチは72分に DF Slatyer , ? MF McCllum を下げて FW の? Yesim Uzunlar ? Kyah Simon を投入する。 Uzunlar はワールドカップではレギュラーでこの五輪予選も北朝鮮戦、タイ戦とスタメン起用されていたのだがなでしこ戦はベンチスタートだった。 Simon がピッチに入って来た時永里に抱きついて健闘を誓っていたけどこの2人は過去にどういう接点があったのかな…
Matildas は同点ゴールを狙って前線にロングボールを多く起用する様になるがなかなかシュートに持ち込めない。なでしこは71分に川澄に替って?安藤梢そして82分には?大野忍に替って?丸山香里奈といった前線の選手達が投入されたので Matildas の両サイドバックはなかなか上がれなくなった。丸山は五輪予選初登場。彼女のゴールが見たかったけど….
85分には 160cm の FW ? Sarah Walsh に替って180cm の Heymann が投入され、最前線が4トップの形になるがなでしこDF陣もしっかりと対応し最後まで失点を許さなかった。

試合後 の記者会見でSemanni 監督はまず勝利を収めたなでしこに祝辞を送りこの様に述べた。
“我々は本当に日本に打ち負かされた。 日本はいかなる瞬時でも大変な自信と落ち着きを持ってプレーしていた。 我々はこの試合は予選の中でももっともタフな試合になると解っていた。そしてワールドカップ終了からどれだけ戻って来ているか常に考えながら大会に臨んでいた。 我々はよく準備と休息が出来て大会に臨んでいると感じていた。 それが分岐点になると思っていた。しかし今それが正しくない事が解った。今のキーポイントはまだ我々には2試合残されていると我々が思える事が出来るかどうかだ。 まだ五輪予選突破の可能性は残されている。可能性が残されている限り我々は前を向いて臨まねばならない。”

前に直接対決を見たのは2006年アデレードで開催された AFC Women’s Cup だった。この時なでしこは Matildas に 0-1 で敗れたのだけど今回は 1-0 の勝利。しかも試合内容を圧倒していた。ワールドカップを優勝した事でプレーに自信が植え付けられたと言う印象をテレビで見て感じた。
日本同様ワールドカップ終了後から短いインターバルで五輪予選に臨んだ Matildas の最も懸念されたのが選手達のコンディションだった。なでしこ戦をテレビで見る限りその心配が的中したと言えただろう。運動量で圧倒的な差があった。まだ肌寒さの残る南半球からの遠征ではこの日の気温28度は厳しかったかもしれない。
Semanni 監督が“格下”のタイ戦ではメンバーを大幅に替える等“ターンオーバー制”を敷いたのも選手達のコンディションを考えてなのかもしれない。
試合日程も Matildas にとっては少し不運だった。初戦で北朝鮮、第三戦で日本と当面のライバルと調子の出にくい序盤であたり連敗した事で五輪予選突破に大きくブレーキが掛かってしまった。 
しかし取りこぼしのきかない短期集中開催でしっかりと勝点を重ねるなでしこは本当に凄い、さすがだと思った。
集中開催…1993年のドーハの悲劇。そして1996年マレーシアで行われたアトランタ五輪予選の歓喜を思い出した……



Australia 0  Japan 1 ( Kawasumi 62' )

Westfield Matildas : GK ?Lydia WILLIAMS ?Teigan ALLEN ?Thea SLATYER ( ? Servet UZUNLAR 71’) ?Kim CARROLL ?Elise KELLOND-KNIGHT ?Caitlin FOORD ?Collette MCCALLUM (c) ( ? Kyah SIMON 71’)
?Clare POLKINGHORNE ?Heather GARRIOCK ?Lisa DE VANNA ?Sarah WALSH ( ? Michelle HEYMAN 83’)

日本 : GK ?.海堀あゆみ DF ? 近賀喬子、?岩清水梓、?熊谷紗希、?鮫島彩 MF ?阪口夢穂 , ? 宮間あや ,
? 川澄奈穂美 ( 71’?安藤梢 ) ? 澤穂希、FW ?大野忍 ( 82’?丸山佳里奈 ) ? 永里優季 



Westfield Matildas squad announced 18th August
なでしこ達が戴冠を受けた FIFA Womes’s World Cup から1カ月。約2週間後に迫ったロンドン五輪女子サッカーアジア地区予選のメンバー20人が発表された。
ワールドカップには怪我でメンバー入り出来なかった Sarah Walsh, Thea Slayter ( 共に Sydney FC ) の2選手が代表に復帰。そしてワールドカップメンバーに最後に漏れた Aviv Luik ( Brisbane Roar ) も五輪予選メンバーに入った。
ワールドカップメンバーの中では赤道ギニア戦に先発出場した Lauren Colthorpe が膝の怪我で、そしてスウェーデン戦でスタメン起用された Ellyse Perry , 赤道ギニア戦でスタメンだった Leena Khamis や Casey Dumount らが外れた。
“最終メンバーを決めるのは再び難しい決断であった。” Semanni 監督は胸中をまず吐露した。
“我々は多くの才能に満ちた選手達を抱えている。11日間で5試合を行う五輪予選にたった20名しか選出できないのでは選考過程で大変バランスを考慮する必要があった。柔軟性を持ってプレーするグループである事が大変短い期間で行う試合数のキーとなる。 Thea と Sarah の2人は共に特別な質をチームにもたらす。そして今チームはアジアの大きな大会に臨む彼女達の膨大な経験と知識が加えられた。 

Sara Walsh はこれまで代表出場歴64試合。 Thea Slayter は46試合。 共に27歳のベテラン選手。Walsh は代表通算29ゴールを上げており、7月のワールドカップに出場出来なかった事が非常に悔まれた。
平均年齢 21.9歳のワールドカップメンバーにWalsh, Slayter といった2006年Asian Cup の日本戦で好パフォーマンスを見せた彼女達が戻って来た事でなでしこも相当苦戦すると危惧をした…しかしその後 Matildas に災難が降りかかってきた。

Teigen Allen - Sydney FC - 17 - 9 (0), Laura Alleway - Brisbane Roar - 21 - 4 (0),
Melissa Barbieri - Melbourne Victory - 31 - 80 (0), Tameka Butt - Brisbane Roar - 19 - 23 (1),
Kim Carroll - Brisbane Roar - 23 - 44 (2), Lisa De Vanna - Brisbane Roar/magicJack - 26 - 71 (25),
Caitlin Foord - Sydney FC - 16 - 5 (1), Heather Garriock - Sydney FC/LdB Malmo - 28 - 125 (20),
Elise Kellond-Knight - Brisbane Roar - 20 - 25 (0), Samantha Kerr - Perth Glory - 17 - 18 (3),
Aivi Luik - Brisbane Roar - 25 - 12 (0), Collette McCallum - Perth Glory - 25 - 68 (11),
Clare Polkinghorne - Brisbane Roar - 22 - 49 (2), Sally Shipard - Canberra United - 25 - 5(4),
Kyah Simon - Sydney FC - 19 - 29 (7), Thea Slatyer - Uncontracted - 27 - 46 (2),
Servet Uzunlar - Sydney FC - 21 - 26 (1), Emily van Egmond - Canberra United - 17 - 8(1),
Sarah Walsh - Sydney FC - 27 - 62 (29), Lydia Williams - Canberra United - 23 - 26 (0)

Head Coach: Tom Sermanni, Assistant coach: Spencer Prior, GK coach: Paul Jones, Doctor: James Ilic
Physiotherapist: Kate Beerworth, Assistant physio: Lauren Cramer
Sam Kerr ruled out of 2012 London Olympic 29th August

初戦の北朝鮮戦を3日後に控えた28日。練習中に FW Samantha Kerry が膝を負傷し離脱を余儀なくされた。
Kerry は17歳ながらこれまで代表試合出場が18試合もあり3ゴールを決めており今年のワールドカップでもブラジル戦、ノルウェー戦そしてスウェーデン戦にスタメン出場したレギュラー選手だった。
“ Sam の怪我はごく普通の練習中に起きてしまった。残念だけどこういう事はスポーツでは起こりうることだった。 重要な事に Sam はこういう状況でも予想できる通り good spirits であった。 Sam は生き生きとしておりチーム内でも人気があった。そして彼女の存在がただ無くなっただけだという共鳴を創造できる選手だった。 我々全ての考えはこの瞬間も彼女と共にあることで、彼女がすぐに復帰する事を確信している。” 

Samantha Kerry の離脱により翌日 Michella Heyman が緊急招集された。
Canberra United の FW 選手 Heyman は昨年中国で開催された AFC Women’s Cup のバックアップメンバーであった。
“今大会で我々が求める柔軟性という点を考えれば Heyman は理想の選手だ。彼女がウィングや前線のポジションで見せるプレーはチームに何か異なったものを与えてくれる。 Michelle は今大会に必要となる素晴らしいペース、柔軟性そして器量を兼ね備えており、 Sam Kerr と同じ様な事をもたらしてくれるだろう。 我々は本日(8月29日)休息の必要な選手達と共に練習を休み、Heyman が合流する翌日の練習を見て初戦のメンバーを選考する。” 
この様に Semanni 監督は語った。 Heyman は昨年3月に行われた北朝鮮との試合で代表デビューを飾っている。

Matildas Ready for opener
“大変難しいトーナメントになるだろう。多くのタフなチームがありタフな試合があり最後に残る事も出来る。選手達が最善を尽くし有用性を得たチームが五輪に残る事が出来るだろう。 北朝鮮はアジアではアジアの戦いの中では決勝に進出するか予選を突破するかのどちらかを達成すると言う突出した歴史を残している。彼女達は五輪の為にここに来ている。 明らかに彼女達の準備は何人かの選手達が出場停止処分を受けた事で頓挫もしただろうが、彼女達は立ち直りが早く、また立ち直りも早い国を木曜日(9月1日)の初戦で相手にする事は非常に難しい事だ。 昨年Asian Cup で、そして今年の国際試合で見た Matildas がここでも見られる事を願っている。 それは選手達あポジティブなサッカーをするチームで、本当に集中をしたチームで、勝つ試合をフィールド上で演じるチームで五輪の本当に行きたいと言う野心をもったチームだ。 “ Semanni 監督はこの様に語った。
そして GK Melissa Barbieri 主将は “ 技術的に Asian Cup で準決勝、決勝戦に進出した時と同じ試合数で出来ない任務では無い。 ” と予選に臨むにあたってこの様に語った。

Westfield Matildas suffer narrow defeat to DPR Korea Australia 0-1 DPR Korea 1st Sep.
9月1日。これまでこれほど注目された事がなかった女子サッカーの五輪予選が開幕した。 
日本の初戦、タイ戦のキックオフの笛が吹かれたのとほぼ同時に斉南五輪スポーツセンターで Matildas は強豪北朝鮮との一戦に臨んだ。 この予選会の日程も開催国である中国が組んだのだろうか? 候補である北朝鮮とオーストラリアを初戦で直接対決となった。思い出すのは1980年3月マレーシアで開催されたモスクワ五輪アジア地区予選。たった一つしかない出場権を競い本命が韓国、対抗に地元マレーシアと日本が予想されていた。しかし当時の力からして韓国が最有力だった。( モスクワ五輪サッカーもアジアから出場枠が3カ国あったが予選は地域に分けて行われた。) 
大会日程は地元であるマレーシアが組み、初戦で日韓が対戦する事に。当時この予選を中継するテレビ局はさっぱりなく深夜に韓国のラジオ局から流れて来る中継を必死に聴いていた。 日本は善戦するもPKで先制され更に2失点を喫し終了直前に木村和司のアシストから高原が決めて一矢を報いたものの 1-3 で敗れた。 そして地元マレーシアはその後何と韓国を 3-0 で粉砕し予選終盤に行われた日本対マレーシア戦では碓井のゴールで日本が先制し期待させられたが後半ジェームス=ウォンに同点ゴールを決められ上位2チームが残る決勝戦に日本は進めず、決勝戦ではまたもマレーシアが終了直前にジェームス=ウォンのゴールで韓国を破りモスクワ五輪出場権を獲得した。
しかしモスクワ五輪はマレーシアもアメリカ、西ドイツ、日本に同調しソ連軍のアフガン侵攻に抗議しボイコットをした…..
今では考えられない事ばかりだった…..

おそらく地元中国は北朝鮮とオーストラリアを直接対決させて星を潰しあって貰って何とか上位2位以内に滑り込み五輪出場権を獲得したかったのではないだろうか…そういう意味ではなでしこの初戦はタイ戦で良かったと思った。もし初戦でタイか中国以外が相手だったらどうなっていただろう……

注目の初戦。北朝鮮のスタメンはDF 遊正煕 MF 李芝京、趙潤美、金淑京、FW 羅恩心 金明花ら6人のワールドカップメンバーをふくんでいた。ワールドカップ大会中にドーピングで陽性反応のあった Song Joung Sun, Sim Pok Jong らを含め13人のメンバーが入れ替わった。ベンチにはワールドカップで3試合出場した金恩珠はベンチスタートだった。 2010年AFC Women’s Cup の決勝戦のオーストラリア戦に出場した選手4人がスタメンに起用された。
一方の Matildas のスタメンは代表に復帰した Slatayer そしてワールドカップメンバーが8人が入っていた。 GK はワールドカップではレギュラーだった Barbieri ではなく Lynda Williams 。スタメンに起用されたワールドカップ経験者の中では怪我で交替出場が多かった Sally Shipardがいた。 レギュラークラスではVan Egmond そして代表復帰した Sarah Walsh がベンチスタートだった。そして Asian Cup の決勝戦に出場した選手7人がスタメン出場していた。
試合は開始早々 Ellis Kellond Knoght のシュートが僅かにクロスバーを越える等 Matildas が主導権を握るかに見えたが10分ワールドカップメンバーだった金淑京のゴールで北朝鮮が先制する。 
後半に入って 67分に Sarah Walsh , 74分に Kyah Simon そして78分に Michelle Heyman ら FW 選手が投入され、 Walsh がGK趙潤美と1対1になり出鼻をチップキックで浮かせてゴールを狙うが僅かにポストの右に外れ、 その後Simon が放った強烈なショットもGKの正面を突く等最後までゴールネットを揺らせず黒星スタートとなった。

   

“勝ち試合にはキーとなるチャンスがあるのだがこの試合の私達はそれを勝ち取れなかった。それが恐らく両チームとの差であっただろう。我々はタフで厳しい試合の続くこのトーナメントにやって来たのであるが、少しばかりがっかりさせられたパフォーマンスもあった。しかし考え方によっては我々は勝利に繋がるチャンスを多く造ったとも言える。それはまだ大会はこれからも試合は続くのだと示している。我々は次からの4試合に集中する代わりにこの試合の敗北に必要以上に失望したり集中を乱したりしてはならない。 ”
試合後 Semmani 監督はこの様に語った。 そして久々に Matildas に戻った Walsh, Slatayer そして緊急招集された Heyman らが強豪北朝鮮相手にある程度のパファーマンスを見せた事も Semmani 監督を喜ばせた。

Australia 0  DPR Korea 1 (Kim Su Gyong 10')

Westfield Matildas : GK ?Lydia WILLIAMS, ?Servet UZUNLAR ?Thea SLATYER ?Kim CARROLL ? Elise KELLOND-KNIGHT ?Sally SHIPARD ?Collette MCCALLUM (C) ?Heather GARRIOCK
?Tameka BUTT ( ?Kyah SIMON 75') ?Clare POLKINGHORNE ( ?Michelle Heyman 79') ?Lisa DE VANNA ( ?Sarah WALSH 65')

北朝鮮: GK ? 趙潤美 DF?金南煕、?風善花、?尹松美、?遊正煕 MF ?李芝京、?趙潤美 ( 89’?黄圣美 )
?金淑京、FW ?金英愛 ( 59’?金恩花 ) 、?羅恩心、?金明花 

Westfield Matildas put five past Thailand Australia 5-1 Thailand 3rd Sep.
中1日おいてのタイ戦。 北朝鮮戦のスタメン8人を入れ替え途中出場だった Michelle Heyman, Kyah Simon をスタメンに起用。そしてGK には Melissa Barbieri , MF Van Egmond らワールドカップレギュラーメンバーがこの試合にはスタメンに起用された。
タイのスタメンは日本戦で怪我の為に20分でベンチに退いた DF Sritala Duangnapa そして FW Nisa Romen の2人を除く9選手が連続スタメン起用された。初戦の日本に敗れはしたがある程度はやれると自信を持ったのではないか? 
しかしながらこの試合は立ち上がりからフィジカルで圧倒的に勝る Matildas の猛攻で幕を開けた。
12分、 Heather Garriock が直接ねらったFKは僅かにクロスバーを越えたが13分に波状攻撃から Kyah Simon が先制ゴールを上げるとその2分後には Michelle Heyman がゴールを決める。
Heyman はこのゴールを以前チームメイトで本来ならこの日が誕生日であった7月20日にトレーニングの帰りに交通事故で亡くなった元Illawarra Stingrays のAshleigh Connorに捧げたとの事であった。
それはSimon とのパス交換でDF陣を置き去りにし最後はヘッドで押し込んだゴールであった。
更に34分、Garriock と Polkinghome が相手DFを引き付けフリーの Heyman がタイゴールに蹴りみリードを広げた。 そして前半終了間際には Simon が相手PA付近で粘ってボールをキープし Heyman に送ると今度は後方から走り込んだ Tameka Butt に戻し、Butt が放ったショットがタイゴールに突き刺さり 4-0 で前半を終えた。
後半に入り Matildas ベンチは Garriock に替えて Polkinghorne , Kellond Knight に替えて Sally Shipard と言ったワールドカップメンバーを投入した。
58分 van Egmond が30mのFKを直接叩きこみ 5-0 とした。その直後にDFの連係ミスから Dangda Taneekarn にゴールを奪われ 1点を還される。
タイベンチは61分に5失点の GK Sudtavee Kanyawee に替えて Pannipa Kamolrat を投入した。
その成果があったのかその後は両チームとも得点は生まれず 5-1 で Matildas が勝利を挙げた。



試合後のインタビューで Sermanni 監督はまず Heymann のパフォーマンスを称えた。
“Michelle はこの2年間で自信を得た。 彼女が2ゴールを挙げた事は素晴らしい事だ。質の高いストライカーのゴールだ。我々が5ゴールも決められた事が嬉しい。” 
61分にはワールドカップで Young Player of the Tournament を受賞した17歳の Catlin Foord も今大会初めて投入された。
そして日本戦に向けたコメントも。
“ゴール数を増やす事はこのトーナメントでは重要な事だ。今やアジアのチーム相手のゴールを決める事は容易ではない。またこの試合を前半で決められた事が良かったと思う。後半は何人かの選手を替えて次の日本戦に向けて休ます事も出来た。
しかしながら後半のパフォーマンスは多くの要望を残した。 タイは後半我々にプレッシャーを掛けて来たので我々はリズムを失った。 失点は基本的な守備のミスからだ。もし我々がトップチームを目指すならこの様な失点は避けねばならない。 次の試合は改めて90分間の試合に臨むスイッチを入れ直す必要のある大変重要な試合である。

オーストラリア戦を前になでしこは2連勝しており勝点で上回っていたが日本が3点差をつけたタイ相手に4点差をつけた Matildas 。この次の日豪戦は負けると得失点差で差をつけられる。最低でも引分けを…とこの時点で願っていた。



Australia 5 (Kyah SIMON 14', Michelle HEYMAN 16', 34', Tameka BUTT 45', Emily VAN EGMOND 58')
Thailand 1 ( Dangda Taneekarn 59’ )
Westfield Matildas : GK ?Melissa BARBIERI (c), ?Teigan ALLEN ?Servet UZUNLAR ?Laura ALLEWAY
?Elise KELLOND-KNIGHT ( ?Clare POLKINGHORNE 45') ?Tameka BUTT ?Emily VAN EGMOND
?Aivi LUIK ?Heather GARRIOCK ( ?Sally SHIPARD 45') ?Michelle HEYMAN ?Kyah SIMON
( ? Caitlin FOORD 61')

Thailand : GK ?Sudtavee Kanyawee ( ? Pannipa Kamolart 61’ ) DF ? Darut Changplook ? Suphaon Kaeobaen ? Kwanruethai Kunupatham ? Saengchan Khwanrudi ( ?Kanjana Sung Ngoen 46’ )
MF ? Junpen Seesraum ? Warunee Phetwiset ? Sunisa Srangthaisong ? Anootsara Maijarern
? Wilaiporn Boothduang FW ? Dangda Taneekarn ( ?Nisa Romyen 64’ )

アジアの女子サッカーは世界最高のレベル… Matildas にアジアの壁… ?

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3試合を終えて Matildas は1勝2敗の4位。3連勝で首位を走るなでしことは6勝点、2位の北朝鮮とは5勝点の差がついている。更に中国が1勝2分で2勝点 Matildas を上回っていた。残りは2試合。次の中国との対戦はお互いに生き残りをかけたサバイバルマッチとなってしまった。
“五輪予選突破の為には残りの2試合はまさに勝利が必要とされる試合。選手達にとっては北朝鮮戦や日本戦と同じくらい難しいものとなる。物事がスムースに進んでいれば前向きにそして自信を持ってプレーできる。 いかに我々が困難な時に物事に対処するかと言う事がチームやスタッフにとって真のテストとなる。 次の2試合のキーは我々がいかに自分自身をコントロールするかである。通常、我々は大変立ち直りが早い選手団である。そしてこの信頼を完璧にする事が最後の2試合において我々のマニフェストとなるであろう。“Sermanni 監督は中国戦を前にこの様に語った。
サバイバルマッチのキックオフの約1時間半前に終わる日本対北朝鮮の試合では Matildas, 中国の両チーム関係者はひたすらなでしこの勝利を願っただろう。北朝鮮が勝点7のまま4試合を消化すれば中国はオーストラリア戦に勝てばその時点で中国が北朝鮮を上回る事が出来た。 オーストラリアが勝っても北朝鮮と勝点1差で3位に浮上する。
しかしながら北朝鮮の最終戦は格が落ちるタイ。タイには負ける事はまず考えられなかったので3試合を終えた時点で既に中国、オーストラリアに残されたチャンスは殆どなかったのかもしれない……

The Westfield Matildas defeated host team China   Australia 1-0 China 8th Sep.
サバイバルマッチに臨む両チーム。 Matildas は Garriok, Kellondo Knight GK Williams こそ名を連ねたが前のなでしこ戦からスタメンメンを7人も替え、 DF Polkinghorne Slayter , FW De Vanna, Walsh らはベンチスタートとなった。
一方ホスト国の名に掛けても最終戦まで“生き残りたい”中国は前の試合で 2-0 で大会初勝利を収めたタイ戦のスタメンからメンバーを3人替えた。タイ戦ではスタメンで起用された注目の美人選手韓端はベンチスタート。そしてタイ戦はベンチスタートで交代出場後ゴールを決めたエースストライカー徐媛はスタメン起用された。
これでの両国の直接対戦成績は中国の18勝8分5敗。試合は開始から地元中国が10,167人の観衆の後押しを受けて これまでの対戦戦績を示すかの様にMatildas ゴールに迫る。 6分馬君のクロスに徐媛が合わせるがショートはGK Williams の正面に。その直後には中盤からロングボールが左サイドを疾走する徐媛に送られそのままドルブルシュートに持ち込むがWilliams が再びブロック。 12分には古雅莎からのパスを受けた徐媛がまたも Matildas ゴールに迫るがここも Williams がブロック。 試合序盤は中国の攻撃を GK Williams そして DF Laura Alleway とKim Carroll が必死に跳ね返すシーンが続いた。
劣勢のMatildas は22分に左からのクロスを Simon がボレーで合わせるが僅かにボールを外れる。
その1分後またもロングボールが前線に送られフリーで徐媛が受けるが線審はオフサイドの判定。後でビデをみたらオフサイドではなかったらしい… 27分今度は左サイドを崩した Matildas が中に送るが Heymann がボレーシュートを外しチャンスを逃した。
その後も中国が攻勢にでるがゴールを割る事が出来ず前半は 0-0 で終えた。



後半3分中国ベンチは古雅莎に替えて美人選手韓端を投入する。 



しかし後半開始から徐々にペースを握ったのは Matildas 。 1対1での体格差が徐々に表れ始め、また試合開始当時から続いた中国MF陣ビルドアップが構築できないと言う現象は解消せず、前線の徐媛、尤佳の2人の個人突破頼みは変わらなかった。53分には右サイドから Simon にパスが通るが角度の無いところからの Kyath Simon のシュートは GK張挹茹の正面に。
そして61分右CKを得た Matildas は波状攻撃を見せ MF Laura Allway が2度立て続けにシュートを放つが相手DFにあたり跳ね返されるも最後はそのリバウンドを Van Egmond が直接蹴り返したシュートが中国ゴールネットに突き刺さり後半優勢に試合を進めていた Matildas が先制ゴールを決めた。



中国ベンチは66分尤佳を下げて馬暁旭、74分には周菲菲を下げて屈珊珊を投入し攻撃の枚数を増やすそして韓端と馬暁旭をトップに張らせ4トップ状態で同点ゴールを狙う。 Matildas も先制後の64分 Simon に替って De Vanna を入れて前線の運動量を増やし、屈珊珊が投入されると FW Heymann を下げて DF Polkinghorn を投入する。
中国はロングボールを多用し前線にボールを集めるが攻撃のバリエーションが乏しく Matildas は最後まで自軍ゴールネットを揺らさせなかった。 
ボール支配率では中国が 53.1% と上回ったが相手ゴール前 30m 内に侵入した回数が中国の22回に対してオーストラリアは27回と上回っている。シュート数を見るともっと違いが顕著に表れ Matildas 15 に対して中国が 6。枠内シュートは Matildas が7本もあったのに中国は僅かに1本。ボールはキープしても相手陣内深い地域には侵入できずなかなかシュートに持ち込めなかったという事だろう。



“私はこうやってチームが立ちなおった事が大変嬉しい。 重要ないくつかの試合に敗れ大会をあとは帰国を待つのみとなった状況ではたやすく負けてしまう事は解っている。しかしこの試合で選手達がいかに集中していたかと言う事がわかり本当に嬉しい。15分を過ぎて我々の方が勝っており勝てるチームである事が解った。試合の立ち上がりの中国チームは大変危険であった。一旦我々が落ち着くと彼女達のオプションを削除する事が出来た。我々は大変タフなトーナメントになる事は解っていた。我々は惜敗を2試合喫した。もし我々が勝点9を挙げて3位で終えられればそれは良いトーナメントで有ったと言えるだろう。 まだレース上に残っている事がこのチームにとってハイライトになるであろう。“ Sermina 監督はこの様に述べた。

この試合の前に行われた日本対北朝鮮戦は 1-1 で引き分けた。 オウンゴールで先制したなでしこはそのままリードを保ち五輪予選突破決定目前で交替出場の金朝蘭のゴールで同点に追いつかれロンドン五輪出場決定はお預けとなってしまったが、この金朝蘭の同点ゴールは中国、オーストラリアの選手達により大きなショックを与えただろう。
その中で行われた試合。地元中国を相手に勝利を収めた Matildas が一縷の望みを残せる結果となった。
そしてなでしこの五輪出場が決まった。3日前にはなでしこの勝利を在留邦人女性達に言いふらし回った私だがこの日は目の前を歩く Aussie Girls や Ladies に御礼を言わねば…と思った。( 勿論何も言わなかったけど… )
それにしても中国サッカーはどうなってしまったのだろう…男子はとっくに弱体していつけど女子も……
この試合は NHK BS で中継されたそうだ。なんで最初に言ってくれなかったのだろう。タイマー録画をしたのに…。韓端を見たかったなぁ…..

Australia 1 (Emily VAN EGMOND 62’) China 0
Westfield Matildas : Lydia WILLIAMS (gk), Servet UZUNLAR, Laura ALLEWAY, Kim CARROLL, Elise KELLOND-KNIGHT, Aivi LUIK, Emily VAN EGMOND, Teigen ALLEN, Heather GARRIOCK (c), Michelle HEYMAN (4. Clare POLKINGHORNE 75’), Kyah SIMON (11. Lisa DE VANNA 65’)

中国隊: GK ?張挹茹; DF?周高萍、?翁新芝、?袁帆?-李丹陽;MF ?古雅莎 (?韓端 ’48 ) ?馬君、?張娜
?周菲菲 ( ?屈珊珊 73’); FW ?尤佳 ( 馬暁旭) ?徐媛

Westfield Matildas ready for Korea
11日間の五輪最終予選も最終日を迎えた。既になでしこは予選突破を決めており。この時点で3位のオーストラリアまで可能性が残されていたとは言え2位の北朝鮮も最終戦はまず負ける事が考えられないタイ戦。 Matildas がロンドン五輪に出場する為には韓国戦の勝利だけでなく北朝鮮の選手達がまた大量にドーピングで引っかかってくれる事くらいしか可能性が残されていなかった。
“勝利は我々に3位の座を齎す。 この目標以外に我々は何も考えられない。この試合は北朝鮮戦や中国戦同様難しいものとなるだろう。 我々は中国戦に臨む前同様に前向きな姿勢を以ってこの任務に集中する事が大変重要である。”
Sermanni 監督は故障を抱える多くの選手が何とか最終戦でプレーできる事も望んだ。
“この大会では前のトーナメント(ワールドカップ)よりも選手達の故障に悩まされた。 Kyah Simon と Caitlin Foord は韓国戦はベンチ入り出来ないだろう。選手達は100%フィットしていないが Sarah Walsh, Sally Shipard らは起用出来る目処が立つだろう。 “
中国戦で途中交代した Kyah Simon はくるぶしを負傷しており韓国戦はベンチから外れるとの事であった。 
こうした状況下Matildas は韓国戦に臨む事となった。

Westfield Matildas come from behind to beat Korea Republic Australia 2-1 Korea Republic

初戦“格上”と思われた地元と 0-0 の引分けを演じた韓国であったが続く日本戦は一旦は追い付くも1-2で敗れ、第3戦の北朝鮮戦も5分に李賢英のゴールで先制するも3連続ゴールを喫し 2-3 で敗れ、第4戦の格下タイ戦では主力を休ませたがようやく 3-0 で勝利を収めた。既に予選突破の可能性は無くなっていたが最終戦のオーストラリア戦に勝てば3位が見えて来る。若い選手が多いので今後の為にも格上のオーストラリア相手に結果を出したいところだっただろう。
最終戦ではスタメン8人を入れ替え日本戦で起用されたスタメン7人を入れてレギュラーメンバーでスタメンを組んで来た。
一方の Matildas は怪我で離脱した Kyah Simon 以外全て中国戦でスタメン起用された選手達が連続して名を連ねた。
これまでの対戦成績は韓国の5勝5分2敗。これは意外な戦績だと思った…



韓国は INAC 神戸レオネッサでプレーする池笑燃のみならず2ゴールを挙げている李賢英も要注意選手。しかし先制ゴールは 27分MF権荷娜が決めた。 権は日本戦でも途中出場した選手。 Matildas は今大会先制ゴールを許した試合は敗れており
公式戦の逆転勝となるとワールドカップでの1次リーグ最終戦ノルウェー戦までさかのぼらねばならなかった。
しかもその試合は両チーム1次リーグ突破が掛かった試合であった。
しかし後半、 Sarah Walsh, Lisa De Vanna が投入されると一気に攻勢に転じる。 63分には FK を得ると Heather Garriock が Servet Uzunlar に流しそのまま Uzunlar が放った強烈なショットが GK Jun Min Kyung を襲う。 Jun Min Kyung は何とかその弾道を弾き出すがこぼれ球に詰めた De Vannna が押しこんで Matildas が同点とする。
勝利を狙う Matildas は69分に FW Tameka Butt をMF Teigen Allen に替って投入するとその7分後 Garriock のクロスを受けた Butt が逆転ゴールを決める。



逆転されてから韓国は同点ゴールを目指し 84分日本戦にスタメン出場し、INAC神戸でプレーする? Kwon Eun Som, 88分に? Lee Sea Eun を投入し Matildas ゴールを脅かすシーンも演じたが GK Williams , DF Kim Carroll を中心とした守りで最後まで失点を許さず2試合連続完封を達成。 3位以上の座を確保した。
同時にキックオフとなった北朝鮮 vs タイ戦は 5-0 で予想通り北朝鮮が圧勝。 なでしこに続いて北朝鮮が五輪切符を手に入れた…..
 
“今日は大変伯仲した難しい試合だった。私はこの試合の後半に逆転をした選手達の見せた気骨と奮闘を誇りに思う。最初の3試合で2試合も負けた事を考えてみれば容易に大会を投げ出してしまうことは単純に考えられる。この試合をひっくり返した事が選手達の気骨を示唆している。“
同時に Sermanni 監督はチームが怪我に悩まされながら力強く大会を終えられた事を誇りに思った。
“もし今大会の全てを見ていたのであれば我々が逆転勝を出来るとは考えられなかったはずだ。ワールドカップの最後の試合で我々はフィットして来た。2人の故障を抱えた、本来ならチームに合流できない選手達と共に大会に臨まねばならなかった。そして3人程の選手だけが故障を抱えていなかった。 我々の戦力は限られていた。私はいかにして選手達が奮い立ったかを誇りに思う。彼女達はピッチ上に何も残さなかった…



Australia 2 (Lisa De Vanna 63', Tameka Butt 76') Korea Republic 1 (Kwon Hah Nul 27')
Westfield Matildas : GK ?Lydia WILLIAMS ?Servet UZUNLAR ?Laura ALLEWAY ?Kim CARROLL ?Elise KELLOND-KNIGHT ?Aivi LUIK ?Emily VAN EGMOND ?Teigen ALLEN ( ?Tameka BUTT 68’) ?Heather GARRIOCK (c) ?Michelle HEYMAN ( ?Lisa DE VANNA 46’) ?Clare POLKINGHORNE ( ?Sarah WALSH 46’)

韓国:GK ?全?? ; DF ?李垠美 ?沈篼姸 ? 金度妍 ?柳志恩 MF ?田佳儿 ( ? 李世恩 )  ?権荷娜 ( ? 権恩松 ) ?李賢英 (?車妍喜71’) ?趙昭賢 FW ?池笑燃 ?柳英雅

4年前同様ワールドカップでは準々決勝に進出しながら五輪予選は突破出来なかった Matildas 。まだ AFC に加盟してから五輪予選の壁は破れていない。 
それだけアジアのレベルが高いと言う事だけど、五輪は全体の出場枠が12カ国なのでアジアからは2カ国しか進出出来ない。
ワールドカップの結果からもう1カ国増やしてほしいところだけど…. そうなると男子が減らされるか?
他国の事を心配している場合ではないが次のワールドカップ予選までの3年間、彼女達に選手強化の為に潤沢な予算は廻って来るのだろうか….
なでしこも来年のロンドン五輪後大きな世代交代を余儀なくされるかもしれない。その時に後任のなでしこ達が育っている事を祈る。今かつてない追い風、順風が吹き荒れているこの時期に…….

10月6日〜16日またも11日間で5試合日程が組まれたとベトナム、ホーチミンで開催された AFC U-19 Women’s Championship で日本 U-19 は見事優勝を果たし来年ウズベキスタンで開催される FIFA U-20 Women’s World Cup 進出を決めた。そして2位となった北朝鮮。3位に入った中国もFIFA U-20 の出場権を勝ち取った。
オーストラリアは6カ国中5位に終わった。  
なでしこ予備軍も順調に育っているみたいだ。 男子は今度こそ U-20 通過してくれよ…


遠い平壌のゴールネット  4試合連続無得点 北朝鮮 1-0 日本 15.11. 2011 平壌

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NHKのアナウンサーは何度も云っていた。日本代表は終了直前でもゴールを挙げて勝利を掴んで来た…..
しかし今度はどうかな…とテレビ画面を見ながらと思った。相手は約2か月前に同じ目に会っている。今度は想定内だろう、ここは相手のホームだ。そして同点でなくてリードされている…
訂正されて表示されたロスタイム4分を過ぎた。 GK リミョングックが痛んで治療していたのであと2分はあるかな..と思った。そしてこの大観衆を黙らせれば痛快だろうなぁ…と思った。しかし50分51秒。バーレーン人のシュクラーラ主審のホイッスルが鳴り響いた。
あぁぁぁぁ…負けた…と言うよりもまた無得点に終わったかぁ… それが最初に思った事だった。

ワールドカップ3次予選の組み分けが決まり、北朝鮮と同組になったと知った時に真っ先に“平壌でこの試合を見たいなぁ…” と思った。20年以上前、当時勤めていた会社のワルシャワ事務所の現地女性スタッフからどこの国に行ってみたいか…と訊ねられて話をした事があった。そして彼女は
“ North Korea に行ってみたい。今の体制の North Korea に。”と答えた。
当時はまだ金日成が主席だった。そして東欧やオーストリアのウィーンには金日成バッジを付けた北朝鮮の恐らく大使館員か領事館員と何度か顔を合わせた事があった。そして駐在所長とホテルのレストランで食事をしていたら
“ We are North Korean … “ と話しかけられた。そして彼らは我々を仲間に見立てて食い逃げをした…..
今から考えれば私だって拉致されていたかもしれない… と思うとちょっとぞっとする。

日本代表が初めて北朝鮮の地で試合を行ったのは 1979年。8月にソ連極東地域と北朝鮮に遠征。極東地区で3試合行い北朝鮮に渡り地元軍隊チーム等と2試合行った後に遠征のその締めくくりとして8月23日に平壌で北朝鮮代表チームと試合を行い 0-0 で引き分けた。当時日本ではワールドユース ( 今の FIFA U-20 ) が開催されておりかなり濃いサッカーファンでないとこの遠征は知られておらず専門誌でも結果が掲載されているだけだった。この遠征は翌年に日本代表は金田喜稔や落合、清雲、碓井、永井そして木村和司らがメンバーに居た。北朝鮮側のメンバーは今もってわからない。北朝鮮は前年バンコックで開催されたアジア大会決勝戦で韓国と引分け優勝を分け合う程のアジアの列強であった
この遠征はその年の秋に開催される予定であったモスクワ五輪予選に向けての強化合宿であったが予選は翌年3月に延期されマレーシアで開催された。そして日本、驚いた事に筆頭候補だった韓国まで地元とはいえマレーシアの後塵を拝した。そしてマレーシアは当時の西側諸国に同調してモスクワ五輪をボイコットした。



1985年2月翌年メキシコで開催されるワールドカップアジア地区予選が始まった。1次予選の日本はシンガポール、北朝鮮と同組だった。実力的に日本と北朝鮮の一騎打ちと思われたがやや北朝鮮有利と言われていた。
しかし当時私は北朝鮮は1982年インドのニューデリーで開催されたアジア大会の準決勝戦でクウェートに延長戦で敗れた後に判定に激高したコーチ陣が審判団に襲いかかると言う事件を起こし約2年間公式試合の参加停止処分をくらっておりその謹慎明けの試合がワールドカップ予選だったので日本にも大いにチャンスありと思っていた。初戦のシンガポール戦をアウェーながら 3-1 で降すと1カ月後国立競技場で行われた雨の中の北朝鮮戦で 1-0 と勝利を収め連勝のスタート。その1カ月後平壌で北朝鮮とのアウェーゲームをおこなったのだがその試合が行われたのが金日成競技場だった。あるスポーツニュースが数秒間伝えた試合結果でこの試合を引分け貴重な勝点1を得た事を知った。
それから数週間後にある友人の知り合いが何と実際に平壌に行ったらしくそこで撮影したこの試合のビデオを見せて貰った。雨、あられと放たれた北朝鮮シュートをGK松井清隆先輩(この方も京都西高校のOBです。)がことごとく止めていた。そして日本ゴール前に迫られる度にスタンドからの歓声は文字通り地響きを立てる様にボルテージが上がっていた。今振り返ればあの時土下座をしてでもこのビデオをダビングして貰えば良かったなぁ….と少し後悔している。
その後日本代表はあれよあれよと勝ち抜きワールドカップ1歩手前まで進出したが韓国の軍門に降った。
あの“メキシコの青い空”だった。

日朝両国は次のワールドカップ予選でも同組となる。東京国立競技場で先制されながらも水沼のゴールなので逆転勝利を収めた日本だが神戸で行われた香港戦で引分け最後のアウェーの北朝鮮戦は勝たねばならない試合となった。この試合はNHK地上波で中継録画された。だけどBSでは生中継されたかもしれない。開始早々長谷川健太がスルーパスに抜け出しGK と1対1になるチャンスがあったがこれを決められず以降は劣勢に。そして猛攻に耐えきれずに前半に先制を許し後半は日本が攻勢に出る時間も短くは無かったが終盤に追加点を奪われ前回の雪辱を果たされ最終予選に残れなかった。
両国に実力差がそのまま出た感じがした。そして中継を通して聞こえる大観衆の大歓声が非常に印象的だった…
その後両国はワールドカップ予選や Asian Cup 、東アジア選手権で対戦し戦績は日本が優位にたっているが平壌でのアウェーゲームはなかなか実現しなかった。そしていつの日が平壌での試合を現場観戦したいと思う様になった。



4日前ドシャンベのタジキスタン戦で勝利を収めた時は数時間後にタシュケントに遠征した北朝鮮の勝利をひたすら願った。
15日のアウェーゲームが消化試合になっては面白くない。アウェーとはいえこの試合に勝ってこそ日本代表のチーム力が向上した事が証明される…と思ったからだ。 しかし翌朝 AFC のホームページにウズベキスタンの勝利が確認されがっかりした。日本の最終予選進出は決まったのではあるが……
こうなると日本のスタメンはどうなるのだろう…この際欧州組は帰して国内組でスタメンを組んで経験を積ませても面白い。
いやベストメンバーでも良いかもしれない。情報統制の国で国民は自国の代表が既にワールドカップ出場の可能性が無い事を知らされていないのでは。あの完全敵地の雰囲気の中でプレーする事が最終予選への経験になるだろう、と勝手に想像していた。



そして待ちに待ったキックオフ。2005年にワールドカップ予選のイラン戦、バーレーン戦以来の平壌からの生中継をみるとわくわくしてきた。こんどこそどんなメンバーであれ日本がここで勝つ事を信じて疑わない自分がいた。
日本はタジキスタン戦からGKを含む6人のスタメンを替えて来た。CBには栗原を入れ左SBに伊野波。
ボランチには遠藤に替って細貝。2列目右は清武。ワントップにはハーフナーに替えて前田が久々のスタメンに入った。北朝鮮もけっこうメンバーが替った。“日本勢”は鄭大成こそスタメンに起用されたが梁勇基はベンチスタートで安英学は累積警告で出場停止だった。ウズベキスタン戦からスタメンを4人替えて来たが特筆すべきは今年コロンビアで開催された FIFA U-20 のメンバー Park Song Chol とJong Il Guan がスタメン入りした事。更にスイス FC Basel 1893 でプレーする Park Kwang Ryong もこの試合スタメン起用。 さいたまの試合では途中出場し退場となったPark Kwang Ryong も FC Basel に合流する為にFIFA U-20 こそ出場しなかったが昨年のAFC U-19 では中心選手。そしてシステムもこれまでの鄭大成の1トップからPark Kwang Ryong との2トップ。2列目に Park Song Chol, Jong Il Guan そしてテクニシャンの? Park Nam Chol を並べDFラインは3バックにし CB にはさいたまでの日本戦では起用されなかった長身の Jang Song Hyoku が起用された。 Jang Song Hyoku も FIFA U-20 のメンバーで前節ウズベキスタン戦からスタメン起用されていた。ボランチに Ri Kwang Hyoku と ? Park Nam Chol を置いた。ユンジョンス監督は早くも4年後を見据えてのスタメン構成か…と思った。

キックオフ前の国歌演奏で君が代は大観衆のブーイングと言うよりも悲鳴でかき消された。でも最後の1小節くらい前にはその悲鳴は止んだ。今時こんなことをする観衆もいるのか?と少し呆れた。韓国でもこういう事は無い。まぁここと中国くらいかなぁ…

日本のキックオフで始まった試合は北朝鮮の“猛攻”で幕が開けた。13秒にははやばやとシュートに持ち込まれ吉田に当たってCKとなった。3分52秒には憲剛が倒されてファールを貰ったがこのファールは既に3度目のファールであった。地元観衆の大声援に乗って出足の早い相手に後手に回らねばいいが…と思うも6分49秒にはJong Il Guan からボールを受けた鄭大成が強烈なミドルを放ちGK西川が弾いてCKに。12分50秒には中盤でボールを拾った鄭大成が前線にフィードし22. Pak Song Chol が正面から放ったミドルはクロスバーを僅かに越えた。更に16分17秒にはPark Kwang Ryong が強引にシュートを放つ。 北朝鮮は鄭大成とPark Kwang Ryong の2トップに加えJong Il Guan が積極的に攻撃に絡み左に? Park Nam Chol 右に22. Park Song Chol が両翼を上がり対峙する駒野、伊野波の両サイドバックは上がれない。長身のFW Park Kwang Ryong は身体の強さを見せる。北朝鮮に4本のシュートを撃たれた後、日本はようやく16分48秒シュートを放つ。前線でボールを繋いで憲剛が惜しいシュートを放ったが伊野波、駒野が前線に上がった事がチャンスに繋がったがこれで日本も落ち着きを取り戻し攻勢に出ると思ったけどここから更に北朝鮮の攻撃が続いた。
21分には右サイドでボールを持った岡崎にJong Il Guan が激しくマークに入りボールを奪われ? Park Nam Chol に繋がれカウンター攻撃を受ける。23分46秒には日本のPA付近に入れられたボールが跳ねて栗原の手に当たりハンドを取られいやな位置でFKを与える。22. Park Song Chol が直接狙ったFKは西川が右に倒れてセーブをしたが壁の右に3人北朝鮮の選手が入り22. Park Song Chol が蹴った瞬間に上手くしゃがんでコースを作った巧妙なシュートだった。33分にはテクニシャンの? Park Nam Chol が左サイドから上げたクロスにPark Kwang Ryong 、Jong Il Guan がなだれ込むが今野、栗原が必死の守りでシュートを撃たせない。
33分52秒北朝鮮ベンチははやくも選手交替を。 FIFA U-20 メンバーだった?Pak Song Chol が投入されるが下げられた選手は何と鄭大成だった。鄭大成、これが最後の代表試合とならない事を祈るけど。北朝鮮国家代表の試合は今後どれだけあるかなぁ…..
この交替でJong Il Guan がトップに入りPark Kwang Ryong と2トップを組み?Pak Song Chol がトップ下の位置に入った。そしてボランチに入っていた Ri Kwang Hyok が前線に上がってくるようになった。この試合がワールドカップ3次予選初スタメンの Ri Kwang Hyok は空中戦でも強さを見せ日本の選手が競り負けるシーンが目に付いた。前半の終盤になっても北朝鮮の攻撃は止むことなく40分には? Park Nam Chol からボールを受け、そして41分にはJong Il Guan からそれぞれボールを受けた?Pak Song Chol がシュートを放つが駒野がマークに入る等してシュートコースを消し失点を防ぐ。44分には右サイドを上がった Jang song Hyok から逆サイドの? Park Nam Chol にボールが送られシュートに持ち込まれるがここも駒野がマークに入ってシュートが外れた。
日本は27分51秒に右サイドを上がった駒野が Jon Kwang Ik をかわして入れたクロスに岡崎が飛び込む46分に長谷部がミドルを放った以外は北朝鮮ゴール前に迫る事が出来ず、相手の猛攻を凌いで何とか 0-0 で前半を終える事が出来た。 
この時点では引き上げる選手達を見て人工芝は思いのほか脚に来るので後半は北朝鮮の選手も脚が止まる。後半は日本が攻勢に出るだろう。と胸算用をしていた。
時折映し出される観客席には朝鮮頑張れの人文字が。結構練習したのかなぁ….そして何度か高校生くらいのかわいらしい女の子が数人映しだされた。身なりは日本の同世代とは変わらない。まさか彼女達の服装は撮影用に日本の朝鮮総連から輸入されたのだろうか……



両軍メンバー交替無しに後半にはいり開始早々の46分20秒憲剛のCKに前田がネアーサイドに飛びこむが惜しくも合わなかったが後半は日本が….と思うも50分に先制ゴールを喫してしまう。
中盤の左サイドでFKを与えゴール前に放り込まれると走り込んだPark Kwang Ryong が栗原に競り勝ち折り返すとこの試合ずっと日本を悩まし続けた走り込んだ? Park Nam Chol がそのままヘッドを放ち日本ゴールネットを揺らした。マークに入った駒野の対応が少し遅れて競り負けた形になったそして撃たれたシュートもGK西川が取りにくい位置でバウンドしたと言う不運も重なった。 
しかし時間はまだ40分もあるのでこれから挽回をしてくれるとこの時は思った。 だけど更に北朝鮮の攻撃にさらされる事に 51分 47秒にはPark Kwang Ryong にドリブルシュートを許し西川が右に倒れて何とかストップ。55分には?Pak Song Chol がドリブルからシュートを狙うが駒野がマークに入りCKに。 ?Pak Song Chol は投入されてから早い動きと運動量で日本の中盤をかき回していた。 日本は前半の25分過ぎから憲剛が少し位置を下げそこから起点を作ろうとするも前線の岡崎、清武にボールが入りづらくなってしまっていた。それに北朝鮮の早くて上手いカウンター攻撃にラインをなかなか上げられない様に見えた。
57分中盤でボールを受けた前田に? Park Nam Chol が肘を高く上げてマークに入る。それが原因で両軍の数選手が入り乱れて小競り合いとなり両選手にイエローカードが出される。北朝鮮は次でワールドカップ予選は終わるが日本はまだ10試合以上残っている。ここはカードが、とは思わなかった。劣勢の中でこういう“競り合い”には絶対に負けてはならないと思った。
61分伊野波のFKに岡崎が左に流れてシュートを放つとGK Ri Myong Guk がファインセーブで防ぐ。この試合初めてさいたまでファインセーブを連発したRi Myong Guk を脅かしたシーンだった。そして日本ベンチが動く。
憲剛を下げて内田を投入し 3-4-3 にシステムを替えた。 リードをしていればこういう交替も無かったかもしれないがこれで中盤でのボール支配が高くなり北朝鮮の攻撃はPark Kwang Ryong にロングボールを送る事に集約される様になった。それでもなかなか日本のシュートシーンが見られない。75分には長谷部が前に上がってくる様になり76分にはハーフナーが投入されたが下がったのは同じFWの前田。ツィンタワーではないが両者をトップに入れても面白くは無かったか?この戦術は1987年ソウル五輪予選で試されたがあまり効果なかった。でも今なら行けるんじゃないかなぁ….と述懐した。 
77分Jong Il Guan が内田にスパイクの底を見せてスライディングに入るとシュクラーラ主審は一発レッドを示す。
納得のいかない北朝鮮ベンチそしてJong Il Guan 。長谷部がJong Il Guan に声を掛けて退場を促すが何語で話したんだろう…? これで北朝鮮はPark Kwang Ryong の1トップとなり?Pak Song Chol のポジションを下げた。79分には内田がドリブルシュートを見せる。 GK Ri Myong Guk がパンチで防いぐ。内田が元気に回復している事が解った。所属先での活躍を期待した。
なかなか同点ゴールが生まれない日本は84分清武を下げて李忠成を投入した。勝っていれば原口だったかもしれない。
清武はずいぶんタイトなマークに苦しめられていた様に見えたが怪我でもされると来年の五輪予選が心配だ。だけどドイツに行かれると五輪予選に合流するのだろうか….と変な心配もした。
86分北朝鮮は激しく動き回っていた?Pak Song Chol を下げてさいたまでの試合ではスタメンだったMF Ri Chol Myong を投入し逃げ切りに入る。その1分後遂に北朝鮮ゴールにシュートが突き刺さったが主審はすぐにオフサイドの判定。
ハーフナーにラストパスを入れた李忠成がボールを受けた時のポジションが僅かにオフサイドだった。
88分からは栗原が上がってくる。こういう時にDFを埋めるのは誰だろう?細貝か…..
89分には Jon Kwang Ik が倒れてなかなか起き上らない。日本の選手が手当てをして試合再開を促す…
ロスタイムは5分….と出て4分に訂正された。4分なら同点、逆転は可能だ。この平壌で何とかゴールを。
金日成競技場に静寂を齎してくれ。 
競技場は違うが10月にはウズベキスタンが平壌でゴールを挙げて勝利を収めている。2005年にはイラン、バーレーンがここで勝っている。日本が勝てない理由は無い…..と思う様になった…

後日テレビで試合後平壌市民が喜びに沸いていたシーンが映し出された。 それを見ると悔しくなって来た。
勝ってほしかったなぁ〜という思いが沸き上がる。
でも北朝鮮は何故最終予選に残れなかったのだろう? AFC U-19 や U-16 そして女子五輪予選の様な集中開催であれば結果が出るがワールドカップ予選の様に長丁場そして敵地での試合となるとまた違うのだろう。
現体制が続く限りそういう経験を積むのは難しいだろう。 FW Park Kwang Ryong は今後 FC Basel でポジションを獲得できるだろうか…. 鄭大成ら“日本組”は今後メンバー入りするだろうか? 
次に日本代表が平壌で試合をする日は何年後だろう?その時こそかの地に行けるだろうか…. 試合後北朝鮮の事ばかり気になった。 それから女の子が着ていた服装の出どころも…



                  ↑↑↑↑↑↑↑↑ 
  この子たちはおそらく在日の娘たちで修学旅行でここに来られた娘たちでしょう。試合とは関係ありません。

アウェー連戦。 タジキスタンでの報道から… Tajikistan 0-4 Japan 11th November 2011

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ソ連邦が突然崩壊する数年前。私はようやく社会人にデビューする事が出来サラリーマン生活をスタートする事が出来た。
当時私の勤めていた会社は小さいながらもモスクワやワルシャワ、ブカレストに駐在事務所を持つ貿易会社でソ連貿易のボリュームの大きさに舌を巻いていた。
会社からは“若いんだからロシア語をどんどん勉強しろ。金は出してやる。”と言われたが、英語もまだまだおぼつかない自分はとてもそんな余裕はなかった。今となっては無理してでも勉強しておけばよかったと少し後悔している。
あの時大きなプロジェクトが決まったらしく、毎月多くの取引先の技師の方達がソ連邦に出張に出掛けていた。
当時でも(いや当時だからこそ)当然マルチビザを取得しない限りソ連の公団から invitation visa を貰わねばソ連各地には行く事が出来ず新人社員でロシア語も話せない自分はモスクワ所長といつもビザ発給の作業を手伝っていた。
そして様々な都市の名前を覚えた。ドシャンベと言う街の名前も初めて聞いた…..
それから僅か2年程でソ連邦は崩壊した。あれほどのボリュームのあった引き合いはまったく霧散してしまい旧ソ連邦は一気に“最貧国”みたいな扱いになった….この冬は餓死者がでるとか言われた…..
1992年タジキスタン共産党系の政府とイスラム系野党反政府勢力との間でタジキスタン内戦がおこり、1994年の暫定停戦合意およびエモマリノフ(現在はラフモンと改名)大統領の就任以来、国際連合タジキスタン監視団 (UNMOT)のもとで和平形成が進められてきたが、1998年には監視団に派遣されていた秋野豊筑波大助教授が、ドゥシャンベ東方の山岳地帯で武装強盗団に銃撃され殉職する事件が起こった。1997年に内戦は終結、その後ラフモン大統領の長期政権によって、ロシアや中国、米国との関係強化が行われ、日本を含む各国の手厚い支援や国連活動によって、21世紀に入ってからは年10パーセントの高成長率を維持しているようである。
しかし、タジキスタンのマクロ経済指標の状況はアフリカ諸国並みであり、将来にわたる世界不況に対する不安が残っている。特に、もともと資源・産業の多様性は乏しい上、所得の再分配がうまく機能せず、国民の大多数は年収350ドル未満の生活を送っている。旧ソ連各国の中でも最も貧しい国の一つであるが、近年のロシア経済の好転により、出稼労働者からの送金額が上昇したことから、公式経済データと実体経済との乖離、及び出稼労働者のいない寡婦世帯における貧困の深化が問題となっている。特に、ロシア語の話せない村落部出身の男性は、ロシアでの出稼先では低賃金肉体労働しか選択肢がなく、過酷な労働による死亡、AIDS若しくは性感染症の持ち込み、或いはロシア国内での重婚による本国家族への送金の停止など、都市部・村落部を問わず社会的問題は単純な貧困を超えた現象となりつつある。
2011年1月12日、タジキスタン下院は、中国との国境画定条約を批准し、パミール高原の約1000平方キロメートルが中国に割譲されることになった。 ( この部分 Wikipedia より抜粋 )

ワールドカップ2次予選では御周知の通りシリアに 1-2, 0-4 で連敗し3次予選進出はならなかったはずだがシリアが出場資格の無い選手を起用した事が発覚し失格となり繰り上がりで3次予選に進出したタジキスタンは第1戦のホームでのウズベキスタン戦、続くアウェーでの北朝鮮戦は 0-1 で連敗するもまずまずやるなぁ…と思ったが第3戦のアウェーでの日本戦は 0-8 で粉砕された。しかし楽観視するのは胸算用だと思う。ホームではウズベキスタンに敗れたとはいえ 0-1 だった。代表選手達は決して侮りはしていないだろう…



日本から120人のジャーナリスト達が同行  11月3日
11月11日ドシャンベで行われるワールドカップ予選。タジキスタン対日本戦に日本から約120人のジャーナリスト達が訪れる予定。
タジキスタン協会にAP通信から入った情報によると日本選手と報道陣は試合の2日前にカタールからチャーター便でドシャンベ入りする予定であるとの事。

ドシャンベの地元クラブ Istigol の Official Site によると Alberto Zaccheroni 監督が選出したウズベキシタン戦のメンバーは23人であり GK 3人、DF 8人、MF5人、FW7人の構成となっており日本国内でプレーする選手が11人。その他にベルギー ,クロアチア, イタリア、ドイツ, オランダ, イングランドでプレーする選手達が含まれている。との事であった。

メンバー発表。  11月5日
11日日本戦 ( Dushanbe ) 15日ウズベキスタン戦 ( Tashkent ) に向けての22人のメンバーが発表された。

メンバーの中にはワールドカップ3次予選初選出の4選手が加えられた。17人しかベンチ入りしなかったが日本戦からは MF Ortikov Ilhomzhon がそして北朝鮮戦でベンチ入りを果たした FW Rustamov Nazvruz らがメンバーアから外れたがいずれも出場機会は無かった。新たに加わったのは Dushanbe Energy でプレーするAktham Nazarov, Abdusamad Hodzhibaeva, Vahdat Hiram でプレーするIdibeka Habibulloeva そしてFW Tursunzade Regar-TadAZ のAktham Hamrokulova.
しかし今回も期待の MF Regar でプレーするJamshed Ismailov は怪我の為に召集は見送られた。

The national team in Tajikistan:

Goalkeepers: Alisher Tuychiev ("Istiqlol", Dushanbe), world Murodov ("Energetic", Dushanbe), Vladimir Sysoev ("Regar-TadAZ" Tursunzade);

Defenders: Davrondzhon Ergashev Eradzh Radjabov, Akmal Saburov Sohib Suvonkulov (all - "Istiqlol", Dushanbe), Farrukh Choriev ("Regar-TadAZ" Tursunzade) Idibek Habibulloev ("Khair" Vahdat), Ahtam Nazarov ("Energetic "Dushanbe);

Midfielders: Jahangir Djalilov Rabimov Ibrahim, Fatkhulla Fathulloev, Nuriddin Davronov, Dilshod Vosiev, Mahmadali Sadykov (all - "Istiqlol", Dushanbe), Khurshed Makhmudov, Jamshed Ismailov (both - "Regar-TadAZ" Tursunzade) Abdusamad Hodzhibaev (" Energetic ", Dushanbe);

Forwards: Komil Saidov (CSKA "Pamir", Dushanbe), Ahtam Hamrokulov ("Regar-TadAZ" Tursunzade), Farhad Tohir ("Istiqlol", Dushanbe.)


日本の Blue Samurai 達タジキスタンに到着  11月9日 16;59
本日 Alberto Zaccheroni 監督率いる日本代表チームがドシャンベに到着する。選手達を乗せた飛行機は本日20:00 に首都の空港に到着する。翌日10日にはAlimdzhon Rafikov タジキスタン代表監督と共に Zaccheroni 監督はHotel Tajikistan で行われる前日記者会見に臨む。同日日本代表選手は試合が行われる Central Republican Stadium で練習を行い、タジキスタン代表チームは引き続き The Aviator 競技場で最終調整に入る。

ザッケローニ監督ピッチ状態を懸念。 ラフィコフ監督汚いゲームにならない事を確認。 11月10日
11月10日 Hotel Tajikistan で両監督は試合前日記者会見に臨んだ。
両チームの監督はジャーナリス達の質問に応えドシャンベの Central Stadium で行われる翌日の試合はワールドカップ予選に置いて重要な試合になると答えた。日本選手団は11月9日水曜日カタールからチャーター機で到着した。
“勿論我々は既に日本で彼らと対戦しており我々のレベルも解っているが明日は地元ファンを喜ばせる為に良い試合を御見せする。そしてこの試合の Visitor ( 日本代表 ) にダーティーな試合をしない事を約束する。”この様に Rafikov 監督は語った。
イタリア人の Alberto Zaccheroni日本代表監督は翌日は良いサッカーを披露できる事を願っていると語った。
“我々はすこしばかり Central Stadium のピッチコンディションを懸念している。本日 Central Stadium を訪れ雨が降った後の状態を危惧したが問題は何も見られなかったという事が出来る。”と語り翌日の試合に就いては
“タジキスタンチームもしっかりと準備をしているのでそんなにイージーには行かないだろう。”と話した。

試合当日はよく晴れて雪も除かれピッチコンディションもかなり改善されていた。
日本は怪我で合流出来ない本田に替って中村憲剛がトップ下に入り怪我の長友に替って駒野が左SBにそして内田が故障からも戻って右SBに入った。
ホームの Tajikistan は10月11日の日本戦のスタメンからメンバーを3人替えて来たがフォーメーションは Saidov Kamil と Makhmudov Khurshed の2トップ。この試合では起用された3選手は日本には帯同しなかったCBの Vasiev Farkhodと2列目左の Vasiev Dilshod と左ボランチの Rabimov Ibragim。そして地元と言うこともあり東京には18人しかメンバーが帯同しなかったがこの試合は23人の選手がベンチ入りした。 2トップの Saidov ( CSKA Pamir Dushanbe ) 、Kharshed Makhmudov ( Regar TadAZ Turshunzade ) そしてCB Vasiev Farkhod (Regar TadAZ Turshunzade ) 以外の選手は全て地元 Dushanbe の Istiqlol の所属選手だった。
日本のキックオフで始まったこの試合は開始早々からタジクの選手達が積極的に前に出てきて MFの Dzalilov Dzhakhongir が粘ってCKを奪う。長居ではボール支配率が僅か28.3%だったタジキスタンであったがこの試合は地元観衆の声援を受け長居で晒された様なゴールラッシュだけはと言う思いが感じられた。
そしてスタンドには軍服姿が目立った。
ピッチではタジキスタンは長身FW Saidov にロングボールを集めていく意図がはっきり見え、長居では良い様にやられたハーフナーにはかなりタイトなマークを付けて来た。 やはり地元観衆は勇気を与えるのだろう、CK
数では10分迄に日本が得3本に対してタジキスタンは既に5本のCKを得ていた。 そして16分にはボランチの Davronov Nuriddin, Ibragim が連続シュートを放ち観客を沸かせた。長居ではシュート1本に終わったタジキスタンであったがこの試合は先制ゴールを奪うのではと言う勢いだった。
日本も21分41秒には左サイドからボールを受けた憲剛が前線の香川にワンタッチパスを送るがピッチに脚を取られてか香川はシュートが撃てない。23分には長谷部が中央をドリブルで上がりハーフナーに送りシュートに持ち込むが惜しくも外れる。
タジキスタンは守勢に回ってもPA内に多い時は8人の選手が入り必死の守りを見せる。長居では8失点を喫したが好セーブも見せたGK Tuychiev Alisher は駒野のミドルシュートをパンチで防ぐなど観客に期待感を持たせた。
そして31分57秒。ゴール前でこぼれ球を拾った FW Makhmudov が右の Dilshod にはたくと Dilshod が放った強烈なミドルはポストを叩く。最も地元観客が沸いたシーンだった。
このシーンを見て一瞬冷や汗をかきそうになったがそれでも“先制ゴールを奪われた方がいい。アウェーでリードされた状況で勝試合にすることも最終予選に向けていい勉強になる。”と勝手な事を思っていた。
しかしその直後に日本に先制ゴールが生まれた。長谷部が左前方の憲剛に渡しリターンを貰い再び憲剛に送り憲剛が放ったショットはGK Tuchiev が一旦は弾くがそこに詰めた今野がこぼれ球を蹴り込んだ。トップにいたハーフナーも上手く相手DFを背負って動けなくしていた。 
さっきまで“いい勉強になる”と思っていた自分だったがこのゴールでやはり安堵の嘆息を漏らした。
だけどこの直後にこぼれ球を拾った右SBの Ergashev が強烈なミドルを放った時はまたもひやりとした…..
前半は何とか先制ゴールを挙げたけどそれだけに終わったのは想定外ではなかったか…でもそれだけアウェーの戦いは難しいと言う事だろう。



後半は開始早々香川のドリブルシュートで幕を開けたが47分には FW Makhmudov のミドルが飛ぶ。55分には Vosiev のアーリークロスが前線に飛ぶが僅かに Saidov に合わない。前半からタジキスタンはトップの2人にアーリークロスを単純に放り込み続けているがそれが意外に効果的だった。ただこのこぼれ球を拾う選手がいなかったから得点に結びつかなかった。
追加点の欲しい日本は55分ハーフナーを下げて前田を投入。ワールドカップ予選初登場だ。ハーフナーもタイトにマークされると厳しいか?? タジキスタンベンチも57分に Dzalilov を下げて Fatkhuko Fatkhulloev を入れる。Fatkhuko は長居での日本戦にはスタメン出場したMFだ。しかし Dzalilov を何故下げたのだろうなかなか良い動きを見せていたのに。スタンドからは同点ゴールを求めて歓声が飛ぶ。
しかし日本にあっさりと追加点が入る。61分左サイドをドリブルで上がった香川が入れたクロスにファーサイドから走り込んだフリーの岡崎がヘッドで押し込んだ。 まるでシュート練習を見ている様なゴールだった。
これで2点差となり日本が負ける事がまず考えられなくなって来た。
それでもタジキスタンは“強豪”日本からの得点を目指してボールを追う。67分にはFW Saidov を下げて MF Turaev Lutfulla を入れ Fatkhuko を前線に上げる。68分にはMF Davronov がミドルを放つ。69分にはボランチの Rabimov を下げて FW Sadykov Makhmadali を入れ前線の数を増やす。MF Vasiev がクロスを入れるが Makhmadali には合わない。ゴール前で FW Makhmudovにボールが入るがシュートは撃てない。Makhmudov はその直後も身体をターンさせてシュートを放つがゴールに届かない。
80分を過ぎると日本が再び攻勢に出てきて82分に駒野からボールを受けた憲剛がスルーを前田に通すと前田は狙いすました様にミドルを放ちタジキスタンゴールに突き刺した。
これで3次予選突破に大きく前進した日本は86分に憲剛、内田を下げて清武、伊野波を投入する。この時は原口の出番は次の北朝鮮戦か…と思ったけど….
ロスタイムに入り清武のゲームメイクから岡崎が日本の4点目となるゴールを決めてタイムアップのホイッスルが鳴り響いた。

タジキスタンの抵抗もあったが終わって見れば 4-0 の快勝だった。



3次予選突破を決めた日本だけど最後の試合は敗れた北朝鮮戦。
1985年は力の差では上だった北朝鮮にまだ共に次のラウンドに進出の可能性が残る両者が対戦して引分けを演じた。
今回は力関係は日本がかなり上でしかも予選突破の可能性の無くなった北朝鮮に敗れたのだ。 最終戦に臨む前にこの悪い流れを払拭する為に2月のウズベキスタン戦はすっきりと勝ってほしいと思う。
だけどどこで試合をするのだろう?さいたまスタジアムかな…. 最終予選も全てここでやってほしいなぁ…….

正座してそして涙して見た あの伝説の名勝負そして FK 日本 1-2 韓国 26th Oct. 1985

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遂にまた見る事が出来たあの試合。メキシコの栄光を知らない私達が90年代の初め迄すがっていたあの試合、そしてあのFK.。
色々問題を起こしている NHK ではるが、サッカー中継に関してはここの右に出るテレビ局は無いと思っている。
民放局で合格点を与えられるのは70年代から“三菱ダイヤモンド・サッカー”を放映していたテレビ東京だけだ。
東大卒の岡野俊一郎氏とサッカーの実況では日本最高峰の金子勝彦アナウンサーとの抜群のやりとりを見た事のある世代は
今の絶叫マシーンと化した民放の実況放送は幼稚で、ただの雑音としか聞こえない時があると感じるのは私だけではないだろう。 J-League 発足前は誰も見向きのしなかったサッカー中継に敬意を払ってくれた放送局は NHK とテレビ東京だけだ。
そのNHKが11月18日に放映した特別番組 “伝説の名勝負「世界が見えた戦い ’86年W杯・アジア最終予選 日本vs韓国 ” を私は正座をして目を皿の様にしてみた。 遂にまた見る事が出来たあの伝説の試合……

あの時私は大学生だった。前年シンガポールで開催されたロス五輪最終予選で4戦4敗の惨敗に終わった日本代表サッカーチームはまさに“破産状態” そこから“更生”して過程を見ていた。 1984年ソウルで行われた蚕室競技場のこけら落とし行事であった韓日戦で木村和司のFKと水沼のボレーショートで勝利を収めた。この勝利は引き分けを挟んだが対韓国戦で初めて連勝を飾りしかも日本が韓国の地で初勝利を挙げた試合でもあった。(この試合の韓国のメンバーは若手主体でベストメンバーではなかったらしいが。)
この勝利をきっかけに破産した代表が復興の狼煙を上げ、翌年から始まったメキシコワールドカップ予選で快進撃を見せた。
1次予選では北朝鮮、シンガポールを抑え、“準決勝”では香港相手に2連勝 ( 3-0, 2-1 ) しあれよあれよと言う間に韓国との“決勝戦”に進出する事となった。
この予選には幸運もあった。まずアジアからの出場枠2が東西地域に1カ国ずつ与えられたことだ。これで前年の Asian Cup で優勝したサウジアラビアや1982年のアジア大会で優勝したイラク、そして前のスペイン大会に出場した強豪クウェートとは対戦せずに済んだ。
そして日本の“準決勝戦”の相手が予想された中国ではなく香港であった事。 日本が1次リーグ突破後に対戦するGroup 4A の勝者は中国が本命視されていた。 “開幕戦“の2月17日には早速香港政府大競技場で両国が対戦し0対0で引き分けた。 その後両国はそれぞれブルネイ、マカオ相手に勝ち星を重ね、5月19日、北京の工人競技場で行われた最終戦で再び両国は対戦した。この時点では両国共に4勝1分勝点9であったが中国はホームでマカオを 6-0 で破る等得失点差 +21 でリードしており最終戦は引き分けても次のラウンドに進出出来た。試合は26分香港が張志徳のゴールで先制すると中国は32分李恢のゴールで追い付く。そして60分に顧錦輝のゴールで香港が再びリードを奪いその後の中国の猛攻を凌ぎ香港が”準決勝“進出を決めた。
中国チームの体たらくに業を煮やした北京の観客は大騒ぎをし最後は人民軍が鎮圧に入ったと言う経緯は当時でも有名だった。
“準決勝戦”の相手が中国だったら日本も簡単に韓国との決勝戦に進出できたかは解らなかったと当時思った。中国は前年の Asian Cup で準優勝するほどのチームだった。日本は前回80年大会に続いて協会は Asian Cupにはエントリーをしなかった。
一方の韓国も1次予選では危ない橋を渡って来た。3月2日カトマンズで臨んだ初戦のネパール戦は勝利をおさめたが僅かに2点差勝利。3月10日 Kuala Lumpur で行われたマレーシア戦は Dallah Salleh に決められたゴールを挽回できずに敗れてしまう。当時韓国はミュンヘン、モスクワ五輪予選でマレーシアに敗北を喫するなど“史上最強”のマレーシアを苦手としていた。
しかしマレーシアは続く3月16日カトマンズで行われたアウェーのネパール戦をスコアレスドローに終わり、その後韓国は4月6日蚕室でネパールを 4-0 と粉砕。5月19日ソウル蚕室で迎えた1次リーグ最終戦も朴昌善、曹敏国のゴールで“苦手”マレーシアを破り1次リーグ突破を決め、インドネシアとの“準決勝戦”はアウェイのジャカルタで 4-1, ホームの蚕室では辺炳柱、金鋳成のゴールで楽々決勝進出を決めた。
マレーシアがカトマンズで3点以上で勝っていてくれれば蚕室での最終戦も…と当時思った。あぁカトマンズ〜と Godiego のまねをして口ずさんだ事を覚えている。

そして迎えた10月26日。直接対戦成績では日本サッカー代表は圧倒的に韓国代表に劣っていた。1959年から15年間。そしてその後5年間勝星が無い年が続いた。あの釜本を擁しても1974年の日韓定期戦しか勝利を収められなかった。
しかし直近3試合では日本の地以外で韓国戦初勝利となる1982年アジア大会では 2-1。1983年東京で行われた日韓定期戦では1-1で引き分けたが終了直前まで 1-0 でリードしており、1984年の蚕室のこけら落とし行事の日韓定期戦では 2-1 でソウルで初勝利を収めこれまでとは違うと期待させられるチームになっていた。この“森ジャパン”なら何とかしてくれる。ワールドカップも夢じゃないところまで来ていると当時のサッカーファンは期待していた。

東京・千駄ヶ谷の国立競技場の曇り空の向こうにメキシコの青い空が続いている様な気がします….

NHK山本アナウンサーの歴史的名セリフだ。私はこの試合の数週間前に行われた陸上競技の日本学生選手権に出場したのでこの試合更に特別な思いで見た。そしてスタンドは超満員だった。当時関西に住んでいた私はここでいつか代表の試合を観戦したいなぁ….と夢見ていた。両チームのスタメンは下記の通りだった。


GK 1 趙炳得 (ハレルヤ) DF 14 曹敏国( LG ), 5 鄭龍煥(大宇), 2朴景勲(浦項),12金平錫 (現代)
MF 10朴昌善 (大宇 ), 4 趙広来(大宇), 6李泰昊(大宇) FW 11辺炳柱(大宇), 9 崔淳鍋(浦項),16 金鋳成 (朝鮮大学)

GK 19松井(日本鋼管)DF 7都並(読売), 2 加藤(読売), 4 石神(ヤマハ),5 松木(読売)
MF 8西村(ヤンマー), 13宮内(古河), 10木村(日産)FW 14原(三菱), 11戸塚( 読売 ), 12水沼( 日産 )

曹敏国がスイーパー。朴景勲が3バックの真ん中で朴昌善と趙広来がディフェンシブハーフ。李泰昊がトップ下で崔淳鍋がCFW。

日本はDFラインは4バック。MFは西村がやや下がり目のディフェンシブハーフで木村がやや右寄りで水沼と組む形。宮内は左の2列目。FWは戸塚が真ん中に入り原が左で水沼が右に入った。   

ただ韓国は試合がはじまると ?崔淳鍋 は2列目に下がる事が多く実質?辺炳柱 と?金鋳成の2トップの様な形だった。
そして?李泰昊がしょっちゅう前線に顔を出していた。
11月18日の特番には当時の主将を務めた加藤久と?朴昌善がゲスト出演していいたが朴昌善氏は“日本を徹底研究して来た。”と話していた。 日本が東地区の“決勝戦”進出を決めたのは香港を政府大競技場で 2-1 で破った9月11日。
その40日以上も前の7月30日に韓国はインドネシアを破り“準決勝戦”を終えており十二分過ぎる程の準備期間があった。
しかも日本はこのワールドカップ予選をほぼ同じメンバーが起用され初起用だったのは出場停止の柱谷幸一に替って抜擢された戸塚だけで、また戸塚以外全ての選手が直近3試合の日韓戦でプレーした経験のある選手。木村、原、加藤、都並ら中心選手は3試合全てに出場していたが、韓国戦で対戦経験があると言う事は相手にも知られていると言う事だ。
この日のスタメン以外で起用された事のある選手は池内豊、内山篤、長沢和明(長澤まさみの父親)そして今話題の岡ちゃんこと岡田武史の4人くらいであった。
そして3月に北朝鮮と対戦する前にその準備として韓国に遠征し油公と大宇と練習試合を行ったが大宇所属選手5人がこの日のスタメンに含まれていた。今になればあらゆる角度から日本が研究されつくしていた事が良く解る。

一方の韓国はエース ?崔淳鍋 こそ対日本戦直近3試合全てに出場しておりこのワールドカップ予選も6試合全て出場していたがスタメン11人中対日戦直近3試合に出場しなかった選手がGK?趙炳得 、? 鄭龍煥、?金平錫、?曹敏国の4人。
ワールドカップ予選で日本戦の前6試合中4試合以上に起用された実績のあるのは7人でGK?趙炳得 はこの日本戦が予選初登場。対日戦では1981年の日韓定期戦そして大統領杯依頼の抜擢だった。それまでGKは崔栄仁とオユンキュが3試合ずつ起用されていた。そして翌年のワールドカップではオユンキュが3試合とも起用された。趙炳得は3年後の次の対戦となる国立競技場での日韓定期戦でも起用された。
1984年のシーズンまでオランダの名門PSV Eindhoven でプレーしておりワールドカップ予選全試合にスタメン起用されていた前の韓国代表監督でもあった許丁茂がこの試合はベンチスタートで最後まで起用されなかった。しかし次の蚕室での第二戦は交替出場で起用され決勝ゴールを挙げた。許丁茂はワールドカップでは3試合ともスタメン出場を果たす。
また現代表監督の?趙広来 は1980年3月マレーシアで開催されたモスクワ五輪予選のメンバーとして日本戦にスタメン出場した経験もあった。FW ?金鋳成は1984年の日韓定期戦こそ出場したがワールドカップ予選はインドネシア戦の2試合のみに起用された。しかしその後中心選手に成長し翌ワールドカップイタリア大会予選ではアジアトップクラスのドリブルを披露、大会後は Budesliga の Bochum でプレー。更にあのドーハでの日韓戦にもスタメン出場した。
こうしてみれば日本代表も素晴らしいチームだったが韓国代表も若手、中堅、ベテランががっちりと組みあった最強のチームだった。
そして非常に選手層の厚みのあるチームだった。

韓国のキックオフで始まった試合を見ると当時は開始から日本がかなり押していた様に思えた。それは韓国戦となると開始から押しまくられ何とか失点を防ぐ間にカウンターで得点を上げる事が日本の勝つチャンスと思われたのが定番であったからだ。
この試合後何度も聞かれた“韓国は日本を前半攻めさせて…” という方策は確かに取られていたが日本も韓国のDF陣を崩してシュートを放ったシーンは皆無に近かった。 木村には?趙広来 と?朴昌善が交替でしっかりとマークに入り、原には? 鄭龍煥が。原がCK時にもファーサイドに流れる事も調べられていた。初起用のテクニシャン戸塚はマンマークの得意な?朴景勲がしっかりと着いており、当時日産自動車で心境著しく木村と絶妙のコンビを披露していた水沼には?金平錫がマークに着き得意のドリブルを消した。金平錫もワールドカップでは”準決勝戦“のインドネシア戦から抜擢された選手だった。
大歓声に乗って健闘する日本だったが30分に先制を許す。25分頃から韓国が攻撃に転じ波状攻撃が目立ち始め、?朴昌善が左サイドを上がりクロスを入れると原がクリアーしたこぼれ球を? 鄭龍煥に拾われ左サイドに現れた ?崔淳鍋 に渡る、 ?崔淳鍋 はサイドを上がり再び原がマークに入るが低い弾道のクロスを入れられそのクロスが日本ゴール前に抜けて来た。それを石神がダイレクトでクリアーするが僅かにバウンドがかわったらしくクリアーボールが短くPAのすぐ外で待ち構えていた? 鄭龍煥に拾われそのまま撃たれたショットが日本ゴールに突き刺さった。 石神の周囲には韓国の選手は詰めていなかったがあそこでワントラップして…と求めるのは酷な事だと思った。
石神は更に失点に絡んでしまう。41分に西村へ出したパスが弱くそれを?朴昌善にインターセプトされ ?崔淳鍋 に送られドリブル突破を許す。必死に戻った加藤と石神の間を通ったパスが中央を上がった?李泰昊に入りそのまま撃たれたシュートが日本ゴールに吸い込まれ絶望的な連続失点を喫した。石神からの西村へのパスがイレギュラーした不運もあったが先制された後の日本は何とか同点にしようとかなり焦って混乱しているのが解った。このワールドカップ予選で先制されたのが初めてだった。その隙を突かれた様な気がした。その事を番組で朴昌善氏も指摘していた。
今でもブラウン管を通じて2点を先行されワールドカップへの淡い期待が一気に潮が引く様に醒めて行く雰囲気が良く解る。
しかしそれを振り払ったのがあの伝説のFKだった。2失点目直後のキックオフから戸塚が意地のドリブル突破を中央から図ると韓国選手が身体を寄せて戸塚を倒してFKを得る。距離は少しあるがゴール真正面の絶好の位置だ。GK?趙炳得 は木村のFK対策の為に起用されたのではと今では思う。だけど木村和司はワールドクラスのFKをゴール右上隅に捻じ込んだ。
木村和司が今インタビューで明かしたがあの時は一度ゴールの右に蹴る様な踏み出しをしてGKの重心をずらしてから右上隅を狙ったと話した。前に見た番組で当時の金正男監督が“ゴール前で絶対に反則をするな、と選手には何度も云って来た。”と話す程木村のFKを警戒していたらしく、壁に入っていた朴昌善氏も“見たことも無い回転だった。”と称賛していた。
私を含めた“メキシコの栄光を知らない”70年代からサッカーを見て来たファンはこのFKにすがって生きて来た。
当時陸上競技を続けていたが練習で苦しくなったらあのFKを思い出して乗り越えようとしていた。
後に商用で海外に出掛けて欧州の顧客とサッカーの話題に触れる度に心の中でこのFKを必死に思い出した。世界のどんなGKだってあのFKは止められないんだ、と心の中で叫んでいた。今でもあれ以上のFKを蹴れる選手はいないと信じている。
俊輔よりも本田圭祐よりも上だと勝手に思っている………




俺は今でのあの代表チームが一番好きだ……

勇気付けられたのは当時この試合を見ていた人達だけではなくピッチ上の選手達も同じだったらしい。
リードされているけど控室では“行ける。行けるぞ。”と言う声が多かったと加藤久は語っていた。このワールドカップ予選。それまで日韓両国は6試合をこなして共に14得点を挙げていた。そのうち韓国は前半に8得点後半に6得点。日本は前半に5得点後半に9得点挙げていた。だから日本が後半に得点を上げる好機があると思っていたというコメントも加藤久氏は語っていた。
実際に日本代表は後半の方が前半よりも良い動きを見せていた。開始から松木のオーバーラップや戸塚のポストプレーが見られた。そして水沼がマークに入った金平錫を振り切りボールを持つ時間が増えた。更に木村-水沼のコンビが機能しワンタッチパスが繋がる様になり59分には宮内のミドルシュートを導き出す。 こう言ったプレーは韓国は“持っていない武器”であった。実際にゲストの朴昌善氏は“韓国代表が最も警戒していたケースだった。”と語っていた。
大観衆の前でナーバスになっていたのはホームの日本代表イレブンであったがこれもプロ(韓国)とアマチュア(日本)の違いの一つであったと思う。 
またこれは韓国のフォーメーションの変化にも寄与していたと思う。前半は日本を“攻めさせる。”為に前線のラインを下げていたので
全体的にスペース入り込めるが少なかったが後半は比較的ラインが“間延び”してスペースが生まれていた。そこで日本はボールが回る様になり、こぼれ球も拾えていた。そして後半になると1対1でも負けない様になっていた。これは70年代にはなかなか見られない事であった。もし韓国が前半の立ち上がりの様に前線を下げてコンパクトなゾーンを維持しておれば後半の日本の優勢はなかったかもしれない。ただこの試合は日韓共に最前線とDFラインは大きく“間延び”してスペースは大きかった。どちらかと言えば1対1での優位性が試合を左右する時代だった。そして両サイドバックに攻撃参加があまり求められない時代であった。
63分27秒、木村のCKから加藤がバックヘッドですらして狙ったシュートはクロスバーを叩いてしまう。前半にも加藤は木村のCKをファーサイドで飛び込んで惜しくも合わなかったがこれはGK趙炳得が僅かに触れてコースが替ったためで後半のヘッドもいつものベストポジションを ?崔淳鍋 に消されていたと語っていた通り韓国に調べられていた事であった。
だけど振り返ると得点シーンを含めて決定的なシーンは全てセットプレーからで相手DF陣を最後まで崩せていなかった。
後半は押され気味の韓国も70分過ぎから主導権を握りだす。韓国選手は1人の選手が色々なポジションをこなせる技量をもっており日本の攻勢に試合中でも対応出来る様になっていた。日本ベンチも68分には戸塚を下げてスピードのある平川(順大)を入れて LW に置き原を CFW に置き、82分には木村を下げて遂にジョージ与那城(読売)を入れるが所属先でコンビを組んでいる戸塚は既にベンチに下がっていた。 朴昌善氏は“与那城選手の投入はもっと早くてもよかったのではないか。また木村選手とのコンビネーションがあっても良かったのではないか。”と指摘しているがまさにその通りだった。
1990年1月Bayern München が来日しJSL選抜と行った試合を観戦したがあの時見たラモスと木村和司のボールのやり取りはまさにピンボールの様にボールが動きBayern München の選手を翻弄する時間帯が短く無かった。
後に生前の当時の森監督が“戸塚と与那城をどこか練習試合でもいいから実践しておればよかった。”と述懐していた記事を見た。韓国ベンチも78分に?李泰昊を下げてモスクワ五輪予選の日本戦にスタメンで出場したベテランの趙栄増を入れて守備を固める。試合終盤になると再び韓国の攻撃が目立つようになり?金鐘夫が加藤のマークを背負いながら ?崔淳鍋 にボールを送りシュートに持ち込まれるが石神が必死にマークに入りゴールを割らせない、87分には右サイドから?趙広来 からボールを受けた?金鐘夫が石神のマークを振り切りシュートを撃たれるがGK松井がストップ。金鐘夫はこの年神戸で開催されたユニバーシアード(この大会に出場したいと頑張っていたのを思い出す。最も完全に無理だったけど。)のメンバーで翌年のワールドカップでもメンバー入りした選手。
そして45分43秒。無情のタイムアップのホイッスルが鳴った。 
翌日のスポーツ新聞でGK松井先輩が(この方の母校は私と同じ京都西高校です。)“ソウルで 2-0 で勝てばいいんだろ。”と言う力強いコメントが載せられており関西インカレ秋季大会直前の私は勇気付けられた。
しかし水沼、西村を外し柱谷幸一、与那城をスタメン起用して(あと安木に替って勝矢が起用された)攻撃的布陣で臨んだソウルでの第二戦は第一戦よりは試合内容も良くチャンスも作ったがゴールを上げられなかった。
ワールドカップ出場を決めてビクトリーランをする代表選手達に蚕室の大観衆は“あぁ大韓民国”の歌を合唱し。観戦に来ていた全斗換大統領は金正男監督の手を取って大きく上げて祝福した。 このシーンを見て日韓のサッカーの差を痛感させられた。
しかし日本もこれでサッカーのワールドカップが市民権を得られた4年後は必ず…と思ったが実際にワールドカップの舞台に立てるようになるにはドーハの悲劇を経てあと12年も待たねばならなかった。
ワールドカップメキシコ大会では1分2敗に終わった韓国。2年後の地元開催のソウル五輪ではこのチームをベースに車範根も入れて日本以来のアジアでのメダルか獲得を目指したが1次リーグで敗退し、翌年更にパワーアップし臨んだイタリアワールドカップ予選を楽々と突破したが本大会では3連敗。その後のワールドカップでもなかなか勝利を挙げられず日韓共催の2002年大会まで初勝利を待たねばならなかった。 サッカーの様に世界中、アジア中が筆頭スポーツに挙げている競技の強化、進歩には本当に時間が掛かるものだと今になった再認識させられた。
そしてこの番組を見てから今になって入手出来る資料をひっくり返して調べるといかに日本にとって難しい試合であったかと言う事も解った……
今、ワールドカップは出場して当たり前、本大会でどこまで進出できるかの国民関心事になっているがそれも先人の積み重ねが合った結果だ。3年後ワールドカップブラジル大会で日本がベスト8に残る事も夢ではない。

しかし私は今でもこう思っている。あの時の代表、私が何も見ないですらすらとメンバーを唱えられるあの代表チームが今でも一番好きだ…… だれかソウルでの試合のビデオ持っていないかなぁ……



2011年 J-League 柏戴冠 浦和 1-3 柏 3rd Dec. 2011

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11月26日夕方、私は得意のスマホ?で福岡レベルファイブスタジアムで行われている福岡対浦和の試合経過を追っていた。福岡が先制するも前半ロスタイムに柏木のゴールで追い付き、61分にはマルシオ=リシャルデスのPKで浦和が逆転した。それでもまだ時間は30分はあったので福岡が同点、そして逆転するチャンスもあった。
既にこの日に行われて試合が終わった上位3チームの星勘定を見るとこの試合は浦和が勝たない方が最終節は面白くなる。さいたまスタジアムで行われるシーズン最終戦は優勝と残留がかかった大一番になれば本当に面白くなる。
チケットは既に入手済みだ。5万人以上の大観衆の前でどんな試合になるのだろう…と期待していた。
しかし結局浦和は逃げ切り勝点を36に伸ばし15位に留まった。この時点で翌日に第35節の試合のある甲府とは6勝点差を付けた。翌日甲府が勝てば勝点差が3になるが得失点差で大きく浦和がリードしおりまず順位が入れ替わることは考えられ無くなった。浦和レッズの残留が事実上決まった。来季もJ2でプレーする事が決まっている愛する京都はもう何度こういう目に私を遭わせているので チーム関係者そしてサポーター達にとっては嬉しい瞬間だっただろうに、と想像がつく……
これで柏レイソルが優勝に大きく一歩前進したと思った… しかし浦和サポの息子は“今年こそシーズン最終戦に勝利を収める年”と信じておりむしろ柏の優勝を疑問視していた….

12月3日。朝から吹き荒れた暴風雨は午後1時ごろにはぴたりと止んだ。そして自宅からさいたまスタジアムの方向を眺めると青空がちらほら顔を出していた。これでスタジアムまでは自転車でいける…と安心した。

道中は当り前だけど赤いレプリカやマフラーを巻いた浦和サポーター達が多く目に付く。そして中には黄色のマフラーを巻いたレイソルサポーター達も。例年なら立場が逆なのになぁ…
それにしても今シーズンは昇格したばかりのレイソルの躍進を誰が想像しただろう。そしてシーズン序盤は被災にもめげず、いやそれを逆に糧にしたベガルタ仙台の快進撃もリーグを大いに盛り上げた。そして終盤は名古屋、ガンバ大阪の常連が地力を発揮し出し最終節を前に下記の通りに3チームに優勝の可能性があると言う混戦になった。

柏   22勝3分8敗  勝点69 +21
名古屋  20勝8分5敗  勝点68 +30
大阪   20勝8分6敗  勝点67 +25

前節セレッソ相手に何とか引き分けた柏は33節を終わって名古屋、ガンバに勝星数2つリードしているものの負け数が8で名古屋、大阪だけでなく4位の仙台と同じ負け数。これが最終戦まで優勝争いにもつれ込んだ原因の一つだろう。
この日の観客数は後の公式発表では 54,441 人。久々にJ-League でこれだけの観衆の1人となった。



柏サポーター席はきれいな一文字が出来ている。



そして浦和も試合前から上半身裸で声援を送るサポーター達も少なくなかった。



柏のスタメン発表はブーイングが沸き起こり、浦和のスタメン発表にはいつも以上に声援が湧き上がる。
優勝に王手をかけている柏であったが名古屋、大阪との勝点差、得失点差をみれば最終戦は勝たねば優勝を逃しかねない状況。対戦相手の浦和も勝たねばならないという状況であればどういう雰囲気になっていただろう….

ホーム浦和はFWエスクデロが前節福岡戦の試合中に負傷退場し更にエスクデロに替って投入された田中達也も怪我との事で誰がトップに入るかと思われた。原一樹が予想されたが山田直輝のワントップというよりもゼロトップの前線。その他は坪井がCBで起用される等前節と同じスタメン。坪井は堀監督に替ってからようやく起用され始め0-0 で引分けた第32節の仙台戦 では坪井こそ Man of the Match と現場観戦した息子が話していた。 
それに反してワールドカップ予選では5試合中4試合スタメン出場している Socceroos の Spiranovich が第28節のG大阪戦を最後にベンチウォーマーになってしまった。この柏戦もベンチ入りはしていたのだが。



一方のレイソルは右SBに酒井が五輪予選から“還って来た。” ボランチには大田ともう一人は栗澤ではなく前節は栗澤に替って投入された茨田。FWも工藤と田中順也がスタメン起用されたが。田中順也もセレッソ戦はベテラン北嶋に替って投入された選手。 ベテラン北嶋は優勝の掛かった一戦はベンチスタート。心情からすれば優勝の瞬間にはピッチに居させてやりたいと思ったけど彼が途中で投入されるのはむしろ得点の欲しい同点かリードされている時だろう、そのシーンはレイソルサポーターは望まないんじゃないかな…とスタメン発表後思った。



キックオフ前からのレッズサポーター達の We are Reds !! の大声援は 浦和レッズのキックオフで試合が始まると Allez Allez Allez !! Urawa !! に変わる。しかしキックオフ直後こそレッズがレイソルゴール付近に迫ったがその後は攻勢に出るのはレイソル。最も警戒すべきレアンドロ、ワグネルの両外国人選手が両サイドからガンガン切り裂いてくる。そして茨田と大谷のボランチ2人がラインを高く上げて浦和が反撃に転じてもなかなか相手PA近くに近寄れない。4分25秒にはレアンドロのシュートが浦和DFに当たりCKとなる。すぐ後ろに陣取るレッズサポーターからは大ブーイングだ。6分にはレアンドロとワグネルの縦パスの交換から工藤がシュートを放つが僅かにクロスバーを越えて行く。8分には右サイドから上がったクロスを一旦は浦和DFが跳ね返すがこぼれ球を拾った大谷が強烈なミドルを放つと啓太に当たってCKに。
レッズサポーター達からは柏がCKをセットする度にブーイングを飛ばすがピッチ上のレッズイレブンはなかなかリズムが出ない。
12分59秒にようやく原口がドリブル突破で柏ゴールに迫るがシュートには持ち込めなかった。
レッズは2列目の両サイド、梅崎か原口の個人突破が頼り。他では柏木にボールが入った時は一瞬何か期待できそうに感じるがレイソルの両サイドバック、酒井、橋本がレッズの両翼をしっかりとケアーし、ボールを奪うとすぐにレアンドロ、ワグネルにボールが転送されるので攻撃に転じるのが早い。だから平川、野田がさっぱり上がれなくなっていた。
25分頃他球場の経過をチェックするとガンバが清水に先制を許していた。 名古屋は0-0 のままだった。
ガンバも名古屋も共に敗れると言う事は考えにくいなぁ…と思っていると柏に先制ゴールが決まった。
29分CKを得るとレッズサポーターの大ブーイングの中ワグネルが入れた左CKに近藤がダイビングヘッドで合わせるがこれは梅崎にあたりこぼれるとこぼれ球を拾ったレアンドロがそのまま放ったショットはクロスバーを叩く。そのこぼれ球を撃ったワグネルのシュートがGK加藤の足に当たってレッズゴールネットが揺れた。




 
逆のサポーター席に陣取るレイソルサポーター達から大歓声が上がりそちらに目をやると文字通り“黄色い波”が揺れていた。
この先制ゴールで完全にレイソルが主導権を握ってしまった。レアンドロとワグネルと云った最も警戒せねばならない選手達はポジション取りが良いせいか自由にボールを持っていた、と云うよりも浦和のDF,MF陣があまりにも彼らをフリーにし過ぎていた。
そして38分またもCKから左SBの橋本が中央でDF3人に囲まれながらオーバーヘッドシュートをレッズゴールに突き刺しあっさりと追加点を上げた。優勝を目の前にしたチームと残留をようやく決めかけたチームとの差はこうなのか…と思わせる様なゴールだった。橋本のシュートも見事だったけどこの試合は立ち上がりからバイタルエリアでもレッズDF陣のマークはちょっと甘いかなぁ…と思っていた。



その後もレイソルは攻撃の手を休めない。39分42秒にはレアンドロが放ったミドルをGK加藤がナイスセーブで防ぐとこぼれ球を拾った田中が強烈に撃ったシュートはわずかにクロスバーを越える。42分にはPAの外でこぼれ球を拾ったワグネルが放ったショットがレッズゴールを襲う。45分には茨田がドリブルシュートを放つなどいつ3点目が入ってもおかしくない時間帯が続いた。
レッズはこの試合山田直輝がワントップに起用されるがポジションが少し下がり目で逆にターゲットが埋もれてしまっている感じであった。山田に入ってもDF陣の寄せが早くそこからなかなか繋げない。しかしこれだけ押し込まれていては直輝にボールが入る雰囲気も感じさせられない。30分を過ぎたあたりからようやく原口が最前線に立つようになったが原口がボールを受けるシーンは数度に限られた。 
前半のレッズは結局シュート0で終わった。 地元大サポーター達の前でレッズイレブンは後半見せ場を作れるのだろうか…と思った。

ハーフタイム中に他球場の途中経過が発表される。 名古屋は 0-0 のままだったけどガンバは 逆転しており2-1 とリードしていた。こうなればリードはしている柏もどうしても負けられない後半も先にゴールを上げて点差を広げたいところであっただろう。
後半は直輝がベンチに下がり前半終了間際からレッズサポーター達の“カズキコール”に押されてか原一樹が投入された。
これで原がワントップに入り、2列目はトップ下に柏木、左に原口、右に梅崎が配置された。原にボールが収まる事により2列目の4人が前に上がる時間が出来た為ボールが前線に回る様になった。こぼれ球も拾えるようになった。
55秒には中央から右の原口に出たボールが中央に戻される、僅かに柏木には合わなかったが早速攻撃の形を見せた。
49分3秒にはカウンター攻撃に転じたレイソルが最後はワグネルからパスを受けたレアンドロが右サイドからシュートを放ち僅かにポストの右に外れて行くシーンがあったがその後も前半とは打って変わって見違える様なレッズの攻勢が展開される。52分22秒には中央から右サイドの梅崎にボールが出され入ったクロスから柏木がシュートに持ち込む。 
そして53分右サイド中盤から平川がアーリークロスウを入れるとゴール正面フリーで走り込んだ柏木がヘッドで1点差とするゴールが決まった。周りの観客が一斉に立ち上がりこの日最大の完成がさいたまスタジアムに渦巻く。 
いつも思うのだけどゴールが決まる時はいともシンプルに決まるものだ。前半はシュートすら打てる気配が無かったレッズだったけど。それにしても浦和ベンチは何故最初から原をトップに置かなかったのだろう…とこの時思った。



更に試合はレイソルコートで展開され原口がドリブルでレイソルゴールに迫るなどすぐにでも同点に追い付く様な期待感を持たせた。これで試合はがぜん面白くなる。もしレッズが追い付けばレイソルイレブンは浮足立つのではないか…そうなったときベンチはどう動くのだろうと思った。
しかしさすがに優勝をするチームはこういう時間を凌ぐ。ここを乗り切れたのが優勝に繋がったと思う。次第にボール支配率を挙げシュートシーンを再演出する。57分野田のミスパスをカットした工藤がそのままドリブルシュートに持ち込むがここは永田がCKに逃れる。そのCKから近藤がフリーで放ったヘッドは僅かにポストの右に外れて行く。その直後にもCKを得ると一旦は跳ね返されるがこぼれ球を繋いでレアンドロの入れたクロスに田中が飛び込むが寸前でGK加藤がキャッチ。60分には酒井が左サイドを上がり入れた素晴らしいクロスをフリーのレアンドロが放つが僅かにポストの右に外れて行く。完全に1点もののチャンスだった。
そのGKからこから今度はレッズが繋いで啓太がドリブルでレイソルゴール前に迫るが惜しくもラストパスは僅かに原口に合わなかった…これがレッズの最後の見せ場だった…
65分レイソルベンチが先に動く。FW工藤を下げて澤を入れる。これで工藤のワントップになり澤が2列目と工藤の間に入り中盤を厚くする。すると今度はレッズベンチが動き68分に梅崎が下がりマゾーラが入る。 息子に言わせれば“マゾーラはスタミナが無いから途中からしか使えない。3往復もすれば走れなくなる。”と言っていた。 
レッズは何とか同点ゴールを目指して自軍サポーターの陣取るレイソルゴールに迫るがシュートは撃たせて貰えない。
74分には中盤からロングパスをうけた澤が坪井と競りながらシュートに持ち込むがGK加藤がファインセーブで防ぐ。
スマホで他球場の経過をチェックすると名古屋が既に先制ゴールを挙げてリードしていた。これでますますレイソルは負けられなくなった。1点差では次に失点をして同点にされれば残り時間から一気に窮地に追い込まれる…と思った。
しかし次にゴールを決めたのはレイソルだった。そのCKをレアンドロが入れると一旦はレッズDFがクリアーするもそのこぼれ球に走りこんだ茨田がそのまま放ったミドルがワンバウンドし一旦はGK加藤がファンブルするとそのままレッズゴールに吸い込まれた。
後方に陣取るレイソルサポーター達は狂喜乱舞する。加藤は呆然とする。バウンドがイレギュラーする不運があった。



このゴールでほぼレイソルの勝利、優勝が決まったと思った。そして私の興味は北嶋が投入されるかと言う事であったがまず次は林が田中に替って投入された。その直後にレッズは啓太が下がって五輪代表の濱田が投入された。濱田は高さを生かして前線でターゲットにするのだろうか。それならスピラノビッチの方がいいのではないか…と思った。まだ10分程度あるので再び1点差になれば解らないと思ったのだけど….
レッズは2点差になり余裕の出たレイソル守備陣を再び破れなくなった。82分には原口が酒井に倒された。ホイッスルが鳴り良い位置でレッズのFKと思われたが吉田主審は原口のファールを取る。血相を変えた原口が吉田主審に詰め寄る。思わず私は“危ない、危ない!”と叫ぶ。原口は吉田主審に体当たりをしそうな勢いだった。開始早々から原口と酒井は激しくマッチアップし続けやや酒井に軍配が上がって来た。そのうっ憤が爆発したか?もし原口が吉田主審に触れてしまえば退場どころか大事な五輪予選を控えて選手資格の停止処分も受けかねない。バルセロナ五輪予選中に当時近畿大学でプレーしていた山口が受けた様に…
そして2008年の A-League Grand Final のCentral Coast Mariners の Bukovich の様に….
そのままレッズは見せ場を作れず3分あったロスタイムも過ぎ柏レイソルの優勝を告げるホイッスルが鳴り響いた。
あぁ、北嶋の出番は無かったかぁ…

柏レイソルの優勝は史上初のJ2, J1 と連続優勝だ。1978-79 の Europe Champions Cup で England の Nottingham Forest が優勝したがこの優勝は二部、一部連続優勝の後の欧州制覇だった。もし来年ACLで柏が優勝するとそれに並ぶなぁ…と思った。試合後帰宅して観戦ノートを取り出し2009年8月30日に柏スタジアムで行われたレイソル対サンガのスタメンを見てみた。 GK菅野、 DF 近藤、林、FW田中の4選手が優勝を決めたこのレッズ戦にも出場した。更にCB増嶋はあの時はサンガの選手として右SBでスタメン出場をしていた。あの時のレイソルは降格の危機に直面しており試合内容も0-0だったがサンガが押していけた。
その試合の少し前から指揮を取り始めたのがネルシーニョ監督だった。就任直後は起用を巡って李忠成が広島に移籍するという事もあった。あの時京都フロントは何故忠成を取らなかったのだろう…そうしたら今の様には…

ネルシーニョに率いられた柏レイソルはそこからJ2陥落はあったものの見事にJ1昇格そして優勝を成し遂げた。
ネルシーニョと言えば思い出すのが1995年末の代表監督人事。サウジアラビアとの親善マッチを2連勝で終えた直後の記者会見の加茂周(当時)代表監督の表情は冴えなかった。加藤久強化部長からの報告でワールドカップ予選は他の監督で臨むべしとの報告が上げられており当時ベルディ川崎で指揮をとっていたネルシーニョ氏がほぼ内定していたらしい。しかし最後は長沼会長の一言で加茂氏の続投が決まった。ネルシーニョの年棒が問題だったとか報道されたがその件も含めてネルシーニョは激怒し“腐ったみかん”発言にまで及んだとされている。実際にネルシーニョとは年棒でほぼ合意されていたが通訳やブラジル人を含めた外国人で多く構成されるであろう“ネルシーニョ内閣”の経費が案じられたとも報道された。しかし私は加茂監督続投で良かったと思っている。苦戦して加茂監督自身も更迭されたが結局日本はフランスワールドカップに出場出来たのだから…

だが今回の快挙を齎したのを見ると代表監督にふさわしい潜在能力を持っていたと感じさせられる。それだけにACLが楽しみになって来た。
表彰式が始まり私は反対側の席に移動した。指定席だけど黄色いレプリカが目立つ。サポーター達の中には “ありがとう” を連呼する人達も少なくなかった。 私が愛する京都にこういう思いが出来るのはいつの事だろう…





一方柏レイソルの優勝表彰式を最後まで静かに見守り最後は拍手を送った浦和レッズサポーター達は橋本光夫球団社長の挨拶が始まるや否や怒りを爆発させブーイングの嵐を浴びせた。



最終順位15位は初めて同じ埼玉県をホームとする大宮アルディージャを下回った。J-League 発足時の弱い浦和レッズも見て来ているが今年もここ数年同様に優勝が期待されるシーズン。残留降格争いをするとは誰が想像できただろうか?
2007年にACLのタイトルを取った時は良い選手が揃っていた。FWワシントン、MFポンテ、小野、長谷部、細貝、阿部DF闘莉王…今から考えれば最後は個の力で局面を打開して得点を挙げピンチを凌ぎ勝利、勝点を重ねていたのではないか。
そういう選手がチームを去り、絶対的な個の力が薄れた今、それに対応出来ていない気もした。
しかしピンチは逆にチャンスでもある。ナビスコ杯の決勝に残るだけの戦力はあるのだしにまだ天皇杯も残っている。
天皇杯で優勝しACL進出となるとそれをきっかけにチーム力が上昇するかもしれない。最高のカンフル剤は何と言っても勝つ事だ。レッズのACL進出はアジア中が待っているのだから…



前の週と併せて2週間に亘ってJ2、J1そして五輪予選観戦をはしごした。欧州も良いけど日本には J-League がある、と言う事を再認識した。
そして…愛するサンガがJ1で優勝争いをするのはいつだろうか…と思った。でもまだ天皇杯には残っているぞ…

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