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日本五輪チーム3連勝で前半戦終了 日本 U-22 2-1 シリア U-22 27th Nov 2011

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五輪予選観戦に国立競技場を訪れるのは初めてだった。 どうも五輪予選と国立競技場との関係で言いもいでは無い。
初めて見た(テレビだけど)五輪予選は1976年3月のモントリオール予選の韓国戦。開始早々に失点を喫した。ゴールを決めた韓国人選手が膝ま付いて祈りを捧げているのを憶えている。中継していたNHKのアナウンサーは“金慎国のゴール”と言っていたけどずっと後に資料を見てそれが日本を苦しめ続けて来た李栄武だと解った。その後日本は猛攻を掛けるがゴールを割れず後半にも失点し 0-2 で敗れた。その後日本はソウルで韓国と釜本の2ゴールで引き分けたがイスラエルに連敗しあっさりと敗退した。
その後2大会はマレーシア ( モスクワ五輪 ) シンガポール ( ロス五輪 ) 海外で集中開催となり3大会ぶりにホーム&アウェー方式となったソウル五輪予選。引き分けても予選突破が決まるはずだった中国との予選最後戦は雨の中の国立競技場開催となった。開始早々抜け出した手塚がフリーでシュートを放つがGKの正面に飛び。以降は完全に中国ペース。前後半に1点ずつ失い 0-2 で敗れ中国に出場権をさらわれた。 そしてもう日本は永遠に五輪に出られないんじゃないかな…と悲観した。

7月7日ロンドン五輪アジア地区最終予選の組み合せが発表された時に私は4大会連続で組み合せが幸運に恵まれた事を感謝した。1996年3月マレーシアで集中開催されたアトランタ五輪予選を勝ち抜き28年振りの五輪出場権を手に入れて以来日本五輪チームはアジア予選を勝ち抜き続けて来た。しかしシドニー五輪以降の3大会は組分けに恵まれなかったとは絶対に言えなかった。
北京五輪では勝点を1つも取れずに1次リーグで敗退した為にロンドン五輪アジア予選はシードされないはずだった。
だが中国がオマーンに敗れてくれたおかげで日本は繰り上がりでシード権を獲得。しかも強豪のイラク、ウズベキスタン、カタール、サウジアラビアが全て他の組みに振り分けられてくれた。もし中国が最終予選に残っていたら日本は韓国かオーストラリアと同じ組になっていたかもしれない。まぁオーストラリア五輪チーム Olyroos は苦戦しているけど。そして日本がシードを外れていたとしたらシード国は日本が入ってくる事を最も恐れただろうけど。
日本と同組はマレーシア、バーレーン、シリア。 この組みなら勝ち抜ける。またそうでないと本大会で準々決勝には残れないと考えた。マレーシアとシリアはかつて五輪に出場経験があるがマレーシアはもうその力は無く、シリアとて出場したのはモスクワ五輪。
モスクワ五輪には思い出がある。元々この五輪にはアジア・オセアニア地区に3カ国の出場枠が与えられた。しかしオーストラリアは棄権しアジア諸国のみの争いとなった。
2月23日から3月12日まではシンガポールに6カ国(イラン、シンガポール、中国、北朝鮮、インド、スリランカ)が集って第3組の予選大会が行われた。総当たり後上位2カ国のイランとシンガポールが決勝戦を行いイランが 4-0 でシンガポールを降して出場権を得た。 そして3月22日から4月5日迄マレーシアで行われた第3組の予選はマレーシアが韓国、日本を抑えて出場権を獲得し、第1組は開催地、期間は解らないがクウェート、イラク、シリア、ヨルダン、イエメンの5カ国が出場権を競い2年後のワールドカップスペイン大会も出場を決めたクウェートが勝ち抜いた。
しかしアフガン侵攻に反対したアメリカ、日本、西ドイツの西側陣営はモスクワ五輪をボイコット。それに同調する国も少なくなくイラン、マレーシアも五輪をボイコットした。IOCは振り替え出場国として同じ組の2位、3位…の国に出場を打診するも日本を含めた国々は五輪そのものをボイコットあるいは振り替え出場は受けないという事で最終的に第一組の上位3カ国、クウェート、イラク、シリアがモスクワ五輪出場となった。 
当時のジミーカーター米国大統領は1980年初めから指定した期日迄にアフガニスタンからソ連軍が撤退しないとモスクワ五輪をボイコットすると言い続けておりソ連軍もさっぱり動く気配が無かったのでアジア地区予選が始まる前からこうなるのでは…とも言われていたのを思い出す…

11月22日。アウェーでバーレーンを破りロンドン五輪にまた一歩近づいたと思った。 次の対戦相手シリアはホームでバーレーンを 3-1で破っているけどイラン、サウジアラビア、イラクに比べたら難しい相手では無い。日本はホームでもあるのでシリアを破って3連勝で最終予選前半戦を…バーレーンよりも苦戦はするけど・・・と胸算用していた。

しかしその胸算用はキックオフ直後に霧散した….

5日前のバーレーン戦では52分にボランチの山本に替って山口蛍が投入され、シリア戦ではその山口蛍がスタメン起用されていた。シリアの方はAFCの公式資料が無かったので解らなかったがベンチスタートの Marder Mardkian は前節マレーシア戦ではスタメンだったらしい。そして唯一手元にあった9月21日のバーレーン戦のメンバーと比べると日本戦もスタメン出場を果たした選手は5人だけでバーレーン戦の登録メンバーの内で日本戦でもベンチ入りした選手はわずか10人だった。
日本のキックオフで始まったこの試合。序盤から攻勢にでるのはアウェーのシリアだった。4分35秒、FKを得ると? Mahammed Fares が入れたFKに?FW Nassouh Nakkdahh が酒井のマークを受けながらヘッドで合わせるがポストの右に僅かに外れて行く。もう1人のFW? Omar Al Suma が囮となりDF濱田のマークを引っ張ってスペースを作っていた。
この一連のシーンを見ただけでイメージされる“中東諸国 ” とはちょっと違うなぁと思った。そしてその後もシリアが日本ゴールに迫るシーンが続いた。? Yaseer Shahen のスローインを受けた Al Suma がシュートに持ち込むが扇原が何とかカバーに戻る。18分にはボランチ? Solaiman Solaiman からのパスを受けた Al Suma がDF?鈴木をかわしてシュートを放つが Solaiman のパスもなかなかのもの。その直後にも Al Suma が鈴木、比嘉に囲まれながら出したヒールパスを受けた MF ? Mahmoud Al Mawas がクロスを入れるが飛び込んだNakkdahh に僅かに合わない。19分にも左からのクロスを受けた Al Mawas が比嘉、山口をかわしてシュートを放つが僅かに外れてくれた。
シリアは個人突破のイメージがある湾岸諸国とは違う印象を受ける。全体的にパスできちっと繋いで来てFWの Nakkdahh, Al
Suma だけでなく2列目のAl Mawas, Fares らはなかなかいいパスも出すしシュートも撃ってくる上に “3人目の動き”も見せる。
トップの Al Suma にボールが入ると募る危機感は試合最後まで続いた。
日本は最前線の?大迫にボールが入り?山田が2列目からトップに上がって来た時に何とかチャンスが生まれる。
12分49秒には大迫のボールキープから?大津にパスが入りシュートに持ち込み、25分19秒には今度は大津からボールを受けた
大迫が? Shahen のマークから上手く外れてミドルを放つがGK Ibrahim Alma がナイスキャッチでストップ。
27分18秒には大迫が左に流れてチャンスを作るがこれも大津とからんだもの。相手の右サイドを執拗に大津と共に突いていたが
相手攻撃陣も攻撃の展開が早いので日本のボランチから後ろの選手の押し上げ、フォローがやや遅かった。
しかしシリア守備陣も日本の早いボール回しに疲れが出て来たせいか前半も終盤になると日本の“3人目の動き”に釣られてマークがずれ始めた。36分17秒にはボランチが攻撃参加し扇原から大津に渡り山口蛍がシュートを放つが ?Shahen が何とかブロック。ここも攻撃に絡んだ扇原、大津、山口蛍が上手く相手DFを引っ張る動きを見せた為に生まれたチャンスだった。
そして前半はこのまま 0-0 で終わるかと思われた44分30秒、CKのチャンスを得た日本はCKから扇原の折り返しにCB濱田が
相手CB ? Ahmed Al Salih と競りながらヘッドをシリアゴールに突き刺し日本に先制ゴールを齎した。
バーレーン戦に続いて前半終了間際の先制ゴールであった。 貴重なヘッドを決めた濱田は浦和REDSのCB. 2010年シーズンの
最終戦、神戸戦ではスタメン出場だったが失点に繋がるミスをするなどし途中でベンチに下がったが今年は奮起し今では
Socceroos の Spiranovich に替ってCBのポジションを奪っていると息子に教えてもらった。この五輪予選でもレギュラーだ。
日本リードで前半を終えたがシリアの攻撃を見ると先に次のゴールが欲しいと思った。




シリアキックオフで始まった後半開始早々、にはボランチの ? Mohamed Al Omari が山田のマークを振り切り ? Al Suma に
送ると鈴木と競りながらシュートを撃たれる。最後は濱田の脚に当たってGK権田に渡ったが濱田の脚に当たらねばゴールインした
かもしれなかった。
後半は2列目の ? Mahammed Fares が前線に入り3トップ気味になりDFラインも高い位置に上がって来た。
それでも55分を過ぎると再び日本も攻勢に転じる時間が出てきて両者“撃ちあい”が続いた。50分には山田の強烈なミドルが
飛び55分には大迫がドリブル突破でシリアゴールに迫り倒されるがノーホイッスル。 PKを貰っても良いシーンだった。
69分8には? Al Mawas が Al Omari のクロスを受けてミドルを放つが権田が右に倒れてナイスセーブ。 65分46秒には
? Fares が入れたクロスがフリーの ? Al Suma に渡る寸前に権田がキャッチ。
69分40秒リードされているシリアが先に動きボランチの ? Solaiman を下げて? Hamid Mido を入れる。その直後に日本にビッ
グチャンスが訪れた。大津が相手のパスをカットし大迫に送ると? Shahen ? Mohamed Daas をかわしてシュートを放つがGK
Alama が弾く。そのこぼれ球を東が放つがそれが山田に当たってしまいゴールは決まらなかった。絶好のチャンスだった。
このすぐ後にFW永井がベンチに呼ばれた。 誰と交替するのだろう… と思っているとシリアに同点ゴールを決められた。
中盤から前線に出たボールは一旦クリアーされるもそのクリアーボールが? Al Suma の脚に当たり更に濱田の脚に当たって再び? Al Suma のところに戻ってくるとそのままドルブル突破を許し?鈴木がマークに入る前に撃たれたシュートはグラウンダーでそのまま日本ゴールに“入ってしまった”。 クリアーボールがピンボールの様に選手達の脚に当たり最後は Al Suma のドリブルの位置にこぼれると言う幸運もあったがここは中東選手らしいドリブルシュートを決められた。



国立競技場は一瞬にして静寂に包まれ僅かに数人のシリア人の歓声が聞こえる。目を移すとアウェーサポーターゾーンには彼ら
数人しかおらず、別に代表のレプリカを着るわけでも無く騒ぐでもなかったのでロケーションも悪くないのでこちらでゆっくりと観戦しても良かったなぁと思った。試合前にこちらから争う声も聞こえた。そこに日本人が乱入でもしたのかと思ったけど後で国内情勢の不安の影響で現体制下の国旗と新体制を目指す国旗のどちらを掲げるかでもめていたらしい。改めて平和の有難さを感じた。



同点にされた日本は?大迫を下げて?永井を投入した。 あぁ大迫を下げるのか…と思った。引分けでは次のアウェーでのシリア
戦に得失点差から見ても勝たねばならなくなる。FWを増やした方がいいのでは..と思ったけどベンチの方は何か考えがあったのだろ
う。同点ゴールを決めた ?Al Suma はその直後にもDFのマークを引きずる様にシュートを放つ。その弾道に肝を冷やした。
そして80分15秒にはMF ? Fares を下げて?FW Mardek Mardkian を投入し ? Al Suma と2トップを組んだ。 Mardkian
は注意すべきFWであったがここでMFかDFを入れて守りに入られる方が嫌であった。
シリアベンチは何故アウェーなのにこの試合勝に来たのだろう…
81分に山田を下げて?山崎を入れて2列目左サイドに置く。?東が真ん中に入り?大津が左から右に回って来た。
この選手交替と言うよりもポジションチェンジが決勝ゴールを導く。84分酒井から大きく出されたロングパスは山崎の頭上を越えて逆サイドの比嘉に渡る。比嘉は胸でワントラップし ?Shahen をかわして前線にドリブルで上がり? Al Omari がマークに入る前に再び逆サイドの左に大きくボールを出すとそこに走り込んだ大津がスロービデオを見る様にダイビングヘッドを決めた。 
大歓声が国立競技場を包む。GK Alma が? Nakkadahh に何故大津が走り込むのに気付かなかったんだ、てな様相を向ける。



大津のバーレーン戦に続く見事な2試合連続ゴールは貴重な決勝ゴールとなった。この2連戦MVP級の活躍を見せた大津はこ
の五輪予選に参加できること自体が所属先のBorussia Mönchengladbachではさっぱり出場機会に恵まれていないと言う事なので
あるが、日本の為にはこの五輪予選では大活躍をしてくれた。
この試合後ドイツの顧客には“Mönchengladbachには是非大津を起用せずどんどん五輪予選に派遣してくれ。そうすれば来年の
シーズン前にはかれはもっといいクラブに移籍して行くだろう。“と電話で話した。
しかし彼はMönchengladbachのサポーターでもなければ五輪サッカーにもさっぱり興味が無いので何も反応は無かった….




追加点を決められたシリアは一気に前掛かりになる。終了直前には嫌な位置でFKを献上するがFKのスペシャリスト Mohammed
Fares は既にベンチに下がってくれているのでそれほどのピンチにはならなかった。 



そしてオーストラリア人の Green Peter Daniel 主審の試合終了のホイッスルが鳴り響き。辛勝ではあったが日本がロンドン五輪に一歩近づいた。 これで次のアウェーでのシリア戦には引き分ける事が出来ると思った。もっとも国内情勢不安定のシリアはホームゲームもシリア国外で行わねばならないけど…

国立競技場での五輪予選の翌日、外電はアラブ連盟のシリアへの経済制裁を決議したと伝えた。
その数日後、英国紙では今年の3月からこの9ヶ月間の国内情勢下での死者は5,000人にも登るとも伝えられた。
今でも Assad 現大統領を支持する人達と新体制を望む人達との争いそして軍隊からの弾圧は絶えないと伝えられている。

それでもこの日のシリアの戦いぶりには非常に好感を持った。2位通過して最後はプレーオフを勝ち抜いてロンドン五輪出場を決めて欲しいと願った。最も次の日本戦には勝ってほしくないけど…..



そして国立競技場からは驚くほどスムーズに帰れて早く家に着いた.....




KAZUゴールもサンガのゴールも見ていないけど…. 横浜 FC 1-2 京都サンガ 27th Nov. 2011

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11月27日、午後6時20分を少し過ぎた頃携帯が鳴ってSMSが入って来た。
“京都が90分にゴールしました。” 送り主は50分ほど前にニッパツ三ッ沢競技場で一緒だった横浜FCサポーターの S さんだった。 私はスマホで Yahoo サイトで試合の経過をチェックした。するとそこには 横浜FC 1-2 京都サンガと表示されているではないか… 私はそれが掲示ミスではないか…と思った。 するとまたSさんからSMSが入って来た。
京都が勝ました。この勝ち運を U-22 に持って行って下さい。 と書かれていた….



この日は愛する京都サンガがニッパツ三ッ沢競技場で横浜FCとのJ2戦があった。そして国立競技場では日本U-22 がシリア U-22とのロンドン五輪アジア地区予選の試合があった。 五輪予選の試合チケットを入手してから同日に愛するサンガの試合が横浜で行われる事を思い出した。しかもキックオフ時間は午後4時半。 この試合を見てからではちょっと7時半キックオフの五輪予選はキックオフから見られないなぁ…と思い、どうしようかなぁ..と思案した結果に出した結論は。

よし、はしごをしよう、両方観戦しよう、可能な限り…..

まず三ッ沢に向かった。そして途中で知り合いの横浜FCサポーターのSさんに席を取ってもらう様に頼んだ。
日本リーグ時代はよくここに日産自動車の試合観戦に来たなぁ….
この試合を絶対にはずしたくなかった理由は他にもあった。あのキングカズこと三浦知良が横浜FCシーズンホーム最終戦となるこの試合にスタメン起用されるとSさんからの情報があったからだ。
Sさんとは何回か一緒した事がある。その度にカズの雄姿を拝んだ。年齢を重ね出場機会も限られたがカズこそ、パフォーマンスにはお金を払っても見たいと思わせる選手だ。サンガサポーターでありながらカズ目的で競技場に脚を運ぶとは…とお叱りを受けそうだけど。そういえば6年前もSさんとここで横浜FC vs 京都サンガの試合を観戦したなぁ…あの時は夏だったなぁ。
ビールを飲みながらとポテトチップをかじりながら観戦した。試合は 1-1 で引き分けたけどスタメン出場だったカズゴールもカズダンスも見られた思い出の試合だった。

Sさん親子が確保していてくれた席に着いた時はキックオフ直後だった。地下鉄の中でSさんから ”カズさん、スタメンです。“と言う確認のメールを受け取っていた。そのキングが目の前にいた。
11月末だけどあまり寒さは感じなかった。横浜は前節、熊本戦からスタメンを2人替えた。その1人がカイオに替って起用されているカズだった。 今シーズン18試合目のスタメン出場だ。今シーズンはJリーグではまだゴールは無い。
それでも昨シーズンの出場試合数は前年度の3分の1の10試合。今年44歳の選手がこの年になって更に出場試合数を増やすのだから“さすが”としか言い様がない。カズにボールが入る度にスタンドの観客の視線が集中している様に思えた。
試合は横浜が主導権を握り攻勢に出る時間がやや長く、サンガはカウンターから前線のドゥトラ、宮吉に繋ぐ展開が続いた。
サンガは前節岡山戦に敗れてリーグでの連勝が6でストップした。開幕時は3バックであったがシーズン終盤から4バックにし遅きに失した気がするが連勝する様になった。 
11分には加藤弘堅からスルーパスを受けた中村充孝がシュートを放つ。 19分にもドゥトラが抜け出してシュートに持ち込む。横浜は攻めるがシュートを撃てず、逆にカウンターからシュートに持ち込むシーンが続いた。しかし横浜FCのDF陣は逆サイドを結構空けていたのでそちらに振ればなぁ…と見ていて思った。
すると24分、ゴール前中央に待ち構えるカズにボールが入った。カズは落ち着き払って左に送るとそこから上げられたクロスに難波が飛び込みゴールネットを揺すった。 Sさん親子を含めたサポーター達は一斉に立ち上がる。



京都DF陣はカズにボールが入った時にそのままターンしてシュートを放つと思ったのだろうか、そこを左サイドに流すプレーはさすがカズと言うよりもベテランだと思った。もしカズが代表時代だったら撃っていたかなぁ…



カズはその後ポジションをトップ下に下げ前線には藤田と佐藤が2トップ気味に。そして左サイドから野崎ががんがん上がってくる。 一方のサンガは前線にボールが入っても焦りからかシュートが撃てなくなって来た。工藤がちょっと上がれなくなって来た。
でもここはカズゴールが見たかった。 中盤からカズがドリブル突破で上がって来た。そして…と思ったら左サイドを上がった野崎にボールを出した。 Sさんから思わず “カズさん、撃っていいんですよ…” との声が漏れた。 恐らく私を含めて、サンガサポーターでさえそう思ったと思う…..

そうして前半はそのまま終了のホイッスルが鳴った….
国立のキックオフ時間が気になったが後半開始直前までいる事にした。そしてSさんと色々と横浜FCの話を聞いた。
2011年シーズンはサンガより低迷しており、2008年シーズンにJ2に陥落以来最悪の結局18位に終わった。 
2010年のシーズンはその前年、前々年の10位から6位に躍進していたのでもう少し上位を期待していたらしい。
そしてこの日スタメンの柳沢将之は2日前に2011年シーズン以降は契約を更新しないと2日前に発表された事も教えてもらった。そして岸野靖之監督は来期も指揮を執り続ける事も、カズも来シーズンプレーする事も教えてもらった。
でもカズがいなくなったらスポンサーがなぁ…と言うと、Sさんもそれは言えるんですよねぇ〜と言っていた。
シーズン最終戦にしては観客数 5,305 人と言う数字も気になった。なぁサンガも観客数に就いては人には言えないけど。
そうして後半が始まった。 残念ながらカズはベンチに下がって荒堀謙次が投入された。荒堀はMFに入り、そのまま藤田祥史と佐藤謙介がトップに残った。




そして…..来年また一緒に観戦しましょう… Sさんに挨拶して私は国立に向かう為に競技場を後にする事とした。
そう….来シーズンは横浜も京都もJ2だから… でもカズゴールを見られる可能性もまだまだあるぞ…





国立に向かう途中でサンガの逆転勝利を知った。嬉しかったけどやっぱり俺が見ない方がいいのかなぁ..とも思った。
そして国立の試合結果も 2-1 で日本の勝利だった。 

2010年シーズン。僅か4勝でJ2陥落が決まり(もう慣れてしまったけど) 1シーズンでJ1昇格を夢見て臨んだ2011年シーズンは監督をワールドカップではコーチを務めた大木武氏を迎え、イビチャ=オシム氏の信頼厚い祖母井秀隆氏をGMに迎え長期に渡り強いチーム作りを目指す体制が出来た。J1昇格なんて当たり前2012年はACL出場を決めて…と勝手な胸算用をしていた。
しかし3月5日開幕戦、アウェーの水戸戦では 1-2 で敗れた。それでも次のホームの岡山戦から…と思っているとあの大震災が襲って来て京都は被災を免れたもののJリーグ再開は全く見当がつかなくなる事態となった。幸い、約1カ月後からリーグは再開されサンガは岡山戦で 2-1 の勝利を収めたが以降栃木 ( A 0-1 ) , 鳥栖 ( H 0-0 ) , 徳島 ( A 1-2 ) , 富山 ( H 0-0 ) とJ1を経験したことないチーム相手になかなか勝星を挙げられない状態が続いた。
そして続くアウェーの北九州戦では94分にレオナルドに決勝ゴールを決められ敗れてしまう。 この負け方は非常にショックであり続く前年の最終戦での雪辱に燃えるFC東京には 西京極で1-4 と粉砕されてしまう。更に翌週の鳥取戦でも前半終了間際と試合終盤に失点を喫し終了直前に宮吉のゴールを還すも追い付く事は出来ずに遂に引分けを挟んで5連敗を喫してしまった。
次節の大分戦は中村充孝を前線から中盤に入れる等中盤を大幅に入れ替えシーズン初完封勝利を収めようやく両目が空き、続く草津戦では4ゴールを挙げ連勝を収めるも以降は勝っては負け、連勝しては連敗するの繰り返しで第29節を終了して9勝7分13敗。J1昇格なんて早々と諦めねばならなくなっていた。
J2を甘く見ていたわけではないがJ1経験チーム7チームに対してはFC東京には H: 1-4, A: 1-6 で連敗したが他の6チームには大分、千葉、湘南に連勝する等9勝3敗2分けだった。確かにシーズン序盤は北九州、栃木が上位に顔を出しシーズンを盛り上げていたがJ1未経験チーム12チーム相手に24試合で8勝しかできなかった。

確かに中心選手の多くがチームを去っていた。角田、渡邊大剛、水本、片岡、柳沢そしてシーズン直前に郭泰輝が。 そして新戦力は秋本(甲府)と工藤(千葉)くらい..J2は決して甘くは無かった…と痛感させられた。

シーズン開幕当初は郭泰輝が抜けた為か3バックで森下、染谷、内野、福村、アライールらを併用しての3バックのDFラインだったが、むしろ中盤が攻守に機能しなかったのかもしれない上に森下以外は昨シーズンではレギュラーではなく守備陣の不安はシーズン終盤まで解消されなかった。第30節以降工藤が中盤のポジションにきっちり入り福村、内野そして酒井が固定され4バックが確立し最後の9試合は失点を6に抑える事が出来た。

更に攻撃の方ではシーズン後半から宮吉とドゥトラの2トップが確立された。これで18歳の久保裕也がスーパーサブ的に使えるようになった。それにしても久保は今シーズン24試合もスタメン出場を果たした。それだけすごいのか、それとも人材が不足していたのか。 リーグ開幕時は久保のワントップにドゥトラ、中山、充孝、ディエゴらが2列目を構成していたがあまり効果的では無かったのかもしれない。2010年シーズンでも得点力不足は深刻だった….
それが先制された試合では2勝10敗2分。逆転勝利が2試合しかなかった。そして逆転負けが4回もあった。その逆転勝利も8勝1敗であった最後の9試合中に演じられたものだった。

優勝したFC東京は逆転勝が1試合、逆転負けが2試合であったが相手を完封した試合が20試合もありそのうち16試合が完封勝であった。本当に圧倒的な強さだったのだ。

鹿島倒して 天皇杯準々決勝進出!! 京都サンガ 1-0 鹿島アントラーズ 17th Dec., 2011

丸亀で行われた天皇杯の4回戦で愛するサンガは見事に鹿島を破って準々決勝進出を決めた。サンガのベスト8なんて優勝した時以来じゃないかなぁ….

サンガのスタメンはJ-League最終戦、岐阜戦と同じスタメン。鹿島は負傷で離脱していた岩政が戻って来てCBに入った以外はJ-League最終戦の横浜マリノス戦と同じスタメンであった。今シーズンは震災の影響もあり3位ガンバ大阪から20勝点も離されてシーズン5位に終わった鹿島であるが、4位に終わった2010年シーズンも天皇杯では優勝を果たしACL進出を決めた。今年もACL進出を目指して天皇杯にはかなりのモチベーションで臨んでいるはずであった。そして今シーズンで退任するオズワルド=オリヴェイラ監督への花道もあっただろう…



立ち上がりはサンガのプレスが目立った。特に前線からのフォアチェックが早く、ラインを高く、全体をコンパクトに保ち続けた。
しかしさすが実力者の鹿島は7分も過ぎるとサンガDFラインの裏を突く様になる。
11分にはカウンターから?興梠がシュートに持ち込むが?CB森下がしっかりマークをしてゴール枠と捉えさせない。13分には?大迫が?安藤淳のマークを外して中へ入れるが誰にも合わなかった。 
鹿島は攻守の切り替えが早く、ミドルパスを効果的に使い早い展開をみせるが京都はショートパスが多かった。そこが19分を過ぎてのシュートが鹿島3に対して京都は0であった事に表れたのだろう。21分にようやく?LSB 福村がサイドを上がり入れたクロスに23.中村充孝が走り込んで合わせたが初シュートを放ったがポストの左に外れて行った。
26分32秒には?宮吉が左サイドを上がり充孝が落としたところを?ドゥトラが放ったがGK曽ケ端にパンチで防がれてしまった。前線でドゥトラがボールを持つとチャンスが出来る。この日の最初のプレーでドゥトラは好調と見てとれた。
だが27分を過ぎると今度はボランチ?柴崎が上がって来て鹿島が攻勢に転じる。ヴァイタルエリアに飛びだしたかと思えば31分には決定的なスルーパスを興梠に送る。今シーズンに加入したばかりの柴崎のその片鱗を充分に見せつけてくれる。


後半、開始早々にはドゥトラが増田を外してシュートを放つがGK曽ケ端がファインセーブで防ぐ。立ち上がりは京都のフォアチェックが目立った。53分にはボランチ?チョンウリョンがミドルを放つ。56分には充孝が相手ボールを奪い中盤からドリブル突破をはかり最後は左サイドを上がった?福村がシュートを撃つがこれも曽ケ端がストップ。何とか攻勢を続ける間に先制ゴールが欲しいなぁ….と思うもこの直後に今度は鹿島の?CHF 本山がスルーパスを通してくる。56分に興梠に送ったスルーを出した時はオフサイドを取られたが58分に再び興梠にスルーを出し右サイドを上がった?新井場が強烈なショットを放たれるが今度はGK水谷がセーブ。 さすがに鹿島は役者が揃っていると思った。そしてますます先制ゴールが欲しくなった。
そして59分中盤でボールを持った?チョンウリョンが新井場、青木の間にスルーパスを通すとそこには宮吉が。宮吉は中央からやや右に流れてGK曽ケ端の動きと位置を見てゴール逆サイドになる左上隅に蹴り込み待望の先制ゴールを奪った。
宮吉の見事なドリブルシュートであったがスルーパスを出したチョンウリョンも見事であった。 



先制された鹿島は62分に本山を下げて小笠原を投入した。小笠原がベンチスタートか…とチームの層の厚さを感じさせられた。これで鹿島の最前線は興梠の1トップから大迫が加わり2トップになり2列目には左から野田、増田、柴崎と並び小笠原がDFラインの前のアンカーの位置に入った。
それでも京都はフォアチェックが良くボール支配率は下がらない。68分にはカウンターからドゥトラがアレックスを振り切りシュートを放つなど守勢一辺倒ではなかった。むしろ鹿島の攻撃が減退した様に見えた。
71分鹿島ベンチはタルタを入れて柴崎を下げた。タルタは2列目左に入り右には野田が入り、増田が小笠原とボランチを組む事に。柴崎が前半の様にゴール前に飛びだされる事を警戒していいたのでこの交替は有難かった。
この交替の直後に?工藤が右サイドをドリブルで突破して上がり中に入れると曽ケ端が?中山の直前で触ってコースを変えてシュートを撃たせなかった。 曽ケ端の手に触れねば完全に中山が押し込んでいたとことであった。
そしてここから鹿島が攻勢をかける。71分、右サイドでサンガのクリアーミスを拾った興梠が中に入れ野田を経由して大迫に渡るが何とか福村がマークに入りシュートを撃たせない。73分には興梠が秋本に倒されFKを得ると、そのFK に大迫がシュートを放つがGK水谷がナイスセーブで防ぎこぼれ球を興梠に撃たれたがサイドネットを直撃。 75分には大迫が右サイドからクロスを放り込むが逆サイドに抜けて行く。 77分には興梠がチョンウリョンに倒されて得たFKに CB青木がヘッドで狙うがGK水谷がキャッチ。79分、カウンターに転じた鹿島は左サイドで興梠が秋本をかわして戻したところをタルタが工藤がマークに入る前にシュートを撃つがここも水谷がファインセーブでストップ。
やや京都の劣勢に見えるが京都DF陣は戻りが早く落ち着いて鹿島の攻撃に対応している様に見えた。
京都ベンチは80分に駒井を入れて宮吉を下げる。90分には充孝を下げて加藤弘堅を投入する。弘堅は今シーズンを最後にサンガを去るらしい……
ロスタイムに入り鹿島は焦りからかファールが増えて来る、そして大迫もマークが厳しくなり次第に動けなくなってくる。
サンガにとってはいいことだけど次の五輪予選のシリア戦を考えればこれくらいで動けなくなるとは….とおもってしまう。
そしてドゥトラはボールを持つとキープを続け時間を潰していく。そして3分あったロスタイムも過ぎ廣瀬主審の試合終了を伝えるホイッスルが鳴り響いた。

サンガ会心の勝利…を見るのは何年振りだろう。
前に鹿島に勝ったのはいつなんだろう….


試合後、この試合がサヨナラゲームとなったオリヴェイラ監督の惜別の涙が印象的だった……

この試合後準々決勝戦の対戦相手は川崎フロンターレでは無く湘南ベルマーレで有る事が解った。
フロンターレは苦手中の苦手でしかも次の試合会場はフロンターレのホーム等々力競技場だ。まぁジュニーニョは抜けたけど…確かにJ2で2011年シーズンリーグ戦では2連勝している湘南の方が組みし易しと思ってしまうけど、ここは慢心は禁物。
なんて俺が思っても仕方ないか…
でも何故シーズン最初からこういう試合が出来なかったのだろう….と今言っても仕方ないので次の試合での勝利を願う。

いざ!国立へ!! 京都サンガFC 1-0 湘南ベルマーレ 24th Dec. 2011

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腕時計のデジタルは48分を過ぎようとしていた。そしてボールがタッチラインを割った。
ロスタイムは過ぎただろう。レフリー、時計だ、時計だ。私は観客席から叫んだ。 ベルマーレのスローインで試合が再開される。
サンガゴール前やや左に位置する田原豊にロングボールが入る。しかし安藤淳が身体を張ってそのロビングを跳ね返す。
ヨシッと思った瞬間そのこぼれ球は松尾の前に転がる。 当たりに行け、だれか当たれよ、当たれ!!私が叫ぶが松尾はそのままPAの外からミドルを放つ。よし高い!! 心の中で叫んだ。 ゴール裏の二階席で見ていた私はその弾道は高く浮いてゴールには入らないと一瞬安心した。しかしその瞬間、バーンと言うボールがゴールの角に当たった音が聞こえた。 そしてそのままボールはゴールラインを割って外れて行った。 GK水谷が両手を挙げてこちらのサポーターズシートに走り寄って来た。
東城主審が試合終了のホイッスルを吹いてサンガが準決勝進出を決めた瞬間だとその時は解らなかった。
瞬時に事情を理解した私と周囲の人達は躍り上がって喜びを爆発させた。 そして思った。

良かった。勝った。勝ったんだ〜。

後で冷静に考えればゴールフレームに当たってピッチに跳ね返らなかったので入らないシュートだったとも思った。しかしあの入らないと思ったシュートがゴール枠を叩いた事を思い出しぞっとした。 だけど、勝った事には間違いない。まだ天皇杯を“楽しめる”と言う幸福感がじわじわと沸き上がってくる。 昨年のワールドカップでカメルーン戦後に味わった様な…..

4回戦で鹿島アントラーズを降し準々決勝

12月17日に鹿島を破り準々決勝進出を決めた愛するサンガの対戦相手は川崎フロンターレを破った湘南ベルマーレだった。
川崎だったら散々えらい目にあわされて来た。しかも次の試合会場はフロンターレのホーム等々力競技場。ここで何度大負けしたのか…まぁ天敵ジュニーニョがもういないから何とかなるかも…と思っていた。
湘南は今シーズンのJリーグでは震災の影響で日程変更された為中3日で2連戦して2連勝だった。J1の川崎よりも湘南の方がやや組みし易しで有る事は間違いないが2010年のシーズンは1敗1分。
“過去の対戦”よりもJ1川崎を倒したもっとも直近の“実力”を見つめるべき、慢心は絶対に禁物と勝手に自分自身に言い聞かせていた。

準々決勝戦の行われた12月24日は前日と打って変わっての好天で温和な絶好の冬季サッカー観戦日和であった。
武蔵小杉駅に着くと等々力競技場方面に行くバス停に長蛇の列が出来ていた。 てっきりこの日も競技場までの臨時バスが出ると思っていたけど、この試合は“フロンターレのホームゲーム”では無いので通常のバスのみの運行であった。 フロンターレが勝残っていたら臨時のシャトルバスは出されていただろうか…
久々にキックオフ時間に“遅刻”せず競技場入りで来た私は1階席か2階席で観戦するか迷った挙句1階の立ち見席で観戦する事とした。後方から入り込む寒風が背中を直撃するのが閉口した…

まず愛するサンガからスタメンが発表された。予想通りに4回戦と同じメンバーだった。 湘南も川崎戦と同じスタメン。Jリーグ大戦時のスタメンからGKを含めて3人が入れ替わっていたがシステムそのものが4バックから“天皇杯仕様の 3-4-3 “ に替っているのは周知で Jリーグでの連勝が参考にならないと試合前から思っていた。そしてサンガは Jリーグの2連戦からDFが2人替っていたが( 酒井、内野に替って安藤淳、森下がスタメン起用)システムは 4-4-2 のままだった。だから気を引き締めて掛からないと…と思った。(あまり関係ないけど。)
選手紹介で湘南の田原がアナウンスされるとサンガサポーターからも拍手が沸き起こった。








サンガのキックオフで始まった試合、立ち上がりはサンガの時折ワンタッチパスを織り交ぜたショートパスが繋がり、また選手達の集散が早く相手ボールとなってもすぐに2人、3人と取り囲み次の展開の芽を素早く摘む。 3分36秒には充孝から宮吉にスルーが入り4分16秒にはドゥトラが右サイドでオーバーヘッドでボールを中に折り返す等チャンスを作る。特にファーストプレーが良いとその日はけっこう乗ってくれるドゥトラのオーバーヘッドはこの試合のパフォーマンスを期待させると思った。7分45秒には中盤から中央をドリブルで突破しバイタルエリアに侵入するもシュートは撃てなかった。そしてこぼれ球を遠藤に拾われ一気に前に出されそうになるとところは中山博貴がファールで上手く止めてくれた。そしてカードも出なかった。
9分には右サイド中盤から工藤のロングフィードが山口の頭を越えて宮吉に渡り、永木と縺れながらシュートに入るがここで出て来たGK野澤と交錯し倒れてしばらく立ち上がれない。昨年ここに観戦に来た時も開始早々GK水谷が相手FWと交錯してその時は交替を余儀なくされた。サポーター達は必死に宮吉に声援を送る。私は思わず“久保、早くアップしろ…” と言葉を漏らしたけど宮吉は立ち上がって一旦は外に出されたがチョンウリョンのCKの後は無事にピッチに戻って来た。 



宮吉が復帰してからもサンガのボール支配は続いた。だけどなかなかシュートが撃てなかった。
劣勢の湘南は18分9秒、左サイドで坂本からのパスを受けた高山が入れたクロスに田原が飛び込み後方のベルマーレサポーター達を沸かせる。そしてこの時間からサンガの集散の早さに対抗する為に4回戦で鹿島が見せた様なミドルパスを使ってサイドチェンジや行う。前線は187cmと長身で器用さも兼ね備える田原が(だから私は田原が好きなんだけど。)がターゲットになる。




そしてサンガはボールを持つ相手へのマークが後手になりだし反則で止めるシーンが目に付きだし、献上するFKから湘南にゴール前まで迫られるシーンが続く。



20分09秒にはFKをゴール前に入れられCKとなり、そこから山口からの折り返しに田原が飛び込む。27分8秒には?秋本がPAのすぐ外で?チハングギョルを倒して危ない位置でFKを与える。坂本が直接ゴールを狙うがこれはクロスバーを大きく越えた。
28分にもFKを献上し遠藤が高山へミドルパスを送りPA内に走り込んだ坂本に縦パスを通す。そして入れたクロスに田原が飛び込むが今度は秋本が何とかマークに着いてヘッドを決めさせない。遠藤が高山にパスを送る時クロスを上げた坂本が上手くスルーをする動きを見せサンガDF陣の動きを惑わした。31分臼井が粘って右サイドの菊池に入れたクロスにまたも田原がヘッドを狙うが今度は森下がクリアー。32分33分には連続してCKを許す。35分には森下がハングギョルを倒して献上したFKから坂本にシュートに持ち込まれるがこのシュートは外れてくれた。37分には中盤でチョンウリョンの田原へのチャージがファールにとられイエローカードが出される。チョンウリョンは30分にも坂本への激しいチャージがファールにとられ注意で済んだが今度はイエローが出てしまい次の試合は出場停止となってしまった。 その前の森下のファールにもイエローが出されていいた。 ちょっと、反則とカードが気になって来た。 
湘南は川崎戦からのシステム変更が効果的だったようだ。3バックに加えて両サイドの臼井(右)高山(左)がDFラインに入りサンガの攻撃を食い止める。序盤の攻勢後はドゥトラと宮吉のドリブル頼みだった。また高山が結構サイドを突いて来ては前線や逆サイドにミドル、ロングパスを出していた。
そして後でテレビ中継を見直した時に解ったのとだけど、キックオフ前のコイントスで勝ったのは湘南でエンドを取ったと事。それはサンガゴール側には西日が差しこみハイボールを入れたらGKがまぶしくて取りづらくなる事が解っていたからとの事でもあった。



39分26秒、宮吉が左サイドをドリブルで上がり後方から上がった工藤に送り上がったクロスは?山口にクリアーされるがCKを得る。サンガ久々のチャンスに身を乗り出す。 秋本、安藤らがPA内に入ってくるとウリョンが上げたCKに秋本がヘッドを放つ。ゴールネットには至らないがゴール前中央で待ち構えるドゥトラがアクロバティックな動きで浮球を捉えそのまま湘南ゴールに押し込んだ。GK野澤がCKの弾道に釣られて前に出て来てゴール前は空いていた。
一斉に周囲の人達と立ち上がりハイタッチをかわす。 セットプレーで押し込まれる時間が続いていたのだが逆にセットプレーで先制ゴールを挙げた。



先制ゴールを喫した湘南は42分にカウンター1本右からのクロスに田原が豪快にオーバーヘッドで狙うがここも安藤が身体を寄せてミートさせなかった。 
前半終了直前に山口がボールを失ったところをドゥトラがかっさらいドリブルで突破しそのまま遠藤がマークに入る前にシュートを撃つがここは決まらなかった。 右に宮吉がフリーでいたけど…
そしてサンガリードで前半が終わった。 控室に戻る選手達に向かって “京都サンガ !! “ のコールに続いて、 ”ドゥ〜!! ト〜ラ !! オレオレオレ !! “ の声援を送ることも忘れなかった….




30分過ぎから観戦を1階の立ち見席から2階席に移していた。この方がフォーメーションや選手の動きが良く解った。それに後半はサンガが向こう側に攻めに行くのでここで見続けようと思った。それに周囲の人達はみなサンガサポーター。階下から聞こえてくる声援にリズムをとりながら観戦を楽しめた…

後半に入る前に、湘南はリードされた事で前に出て来るだろう。そうすればその裏をドゥトラ、宮吉のドリブルでを取れる。相手はセットプレーさえ警戒すればいい。この日は秋本、森下のCBがしっかりとマークしているし安藤もよくマークに付いていると思った。後半立ち上がりからサンガのワンタッチパスが回るなど前半の入り同様サンガが主導権を握るかに見えた。
54分湘南ベンチは主将の坂本を下げて?石神を入れ高山を2列目シャドーに置き石神を高山が入っていた左SHFに入れた。
それでも次にチャンスを掴んだのはサンガ。65分に右サイドからボールを受けたドゥトラが強烈なミドルを放つがGK野澤がファインセーブで防ぐ。そのこぼれたところを詰めた宮吉がフリーで放つがクロスバーを大きく越えてしまった。ここで決めておけば…とばかりに宮吉が悔しがる…

67分今度は湘南がサンガゴール前に迫る。左サイド、ハングギョンがチョンウリョンのマークをかして田原に送り秋本がマークのマークを振り切りフリーの石神に送るそこに安藤がマークに入り石神が倒れる。一瞬PKかと思ったが東城主審はFKの判定で胸を撫で下ろす。しかしこの位置も湘南にとっては好位置。サンガサポーター達からは水谷コールが起こる。しかし遠藤が直接狙ったFKは大きく外れてくれた。そして水谷は大きくガッツポーズを取った。 



湘南は前線を田原の1トップから菊池との2トップにし、2列目右に高山、左には永木が上がって来て前線を厚くしていいた。それ
が攻勢に繋がっていたのかもしれない。71分にはハングギョンンからのスルーパスが高山に入りフリーでサンガゴールに迫るが水谷が前に出てきてストップ。
75分には更なるピンチを招く。湘南が左からのCKを得てゴール前に入れ一旦跳ね返されるがこぼれ球を拾った菊池が再び中に入れると高山が至近距離からヘッドを放つ。この時は“やられた!”と思ったけどGK水谷が素晴らしい反応で弾き出すとポストに当たってゴール正面にこぼれたところを今度はハングギョンがヘッドで押し込むがゴールライン直前でまたまた水谷が掻き出す。 ベルマーレの選手達はゴールインをアピールするが東城主審はノーゴールの判定。 水谷にサンガの選手が駆け寄る。こちらからも水谷に大声援を送る。だけど押し込まれ過ぎだなぁ…



80分湘南ベンチは最後の交替選手岩尾を投入しCB山口を下げる。 そして鎌田、遠藤がCBに入り4バックにしフォーメーショ
ンを 4-3-3にした。両SB、臼井と松尾もどんどん上がってくる。85分にサンガベンチは充孝を下げて守備能力の高い加藤弘堅を
入れる。田原も中盤に左右に動いてロングボールを受ける。 88分にはカウンターから菊池が松尾のパスを受けてサンガゴールに迫
るところを秋本がマークに入り阻止する。菊池が転倒して東城主審がGKの判定を降すが一瞬ペナルティースポットを指した様に見
えて一瞬驚く。ロスタイムは3分と表示される。 おいおいそんなにあったか…と思う。
そしてサンガベンチはCB森下を下げて内野を入れる。 何とか前線のドゥトラに繋いでボールをキープして欲しいと思う。

91分左サイドに流れた田原から岩尾に渡りミドルを撃たれるがGK水谷の正面に。 92分には永木からボールを受けた石神が左サイドから入れたクロスに岩尾に渡るも博貴がマーク。 博貴は後半、中盤の位置でよく相手の攻撃の芽を摘み取ってくれていた。
そして93分になった。ボールがサイドラインを割った。これで終わりやろう。 もう終わりやろう…と叫んだ…..

試合終了と同時に何人もの湘南の選手が倒れ込んでしまった。 反町監督をはじめこの日出場した選手の中では臼井、松尾そして田原豊が来シーズン以降契約を延長しないこととなっているらしくこの天皇杯準々決勝戦が最後の試合となってしまった。

後半はかなり押し込まれて危なかったけど、サンガの勝試合を現場で見られたのは何年振りだろう…

試合終了後、こちらに選手達が挨拶に来て、中山博貴が代表してショートスピーチをした。そしてインタビューから戻って来たこの日の殊勲選手、ドゥトラと水谷も遅れてやって来た。2人とも次も頼むぞ….



次は国立で準決勝戦。対戦相手は横浜マリノスだ。
“マリノスサポーターはもう決勝進出決まったと思っているんじゃないですか?”
隣席の方が声を掛けて来た。

確かにJ1 5位のマリノスは J1 6位の鹿島よりも強いかもしれない。今日みたいにPAのすぐ外でFKを与えたら俊輔の餌食になってしまう。 CBの中澤と栗原の牙城を崩す事は容易ではない。小野祐二を止めるのは並大抵の….チョンウリョンは出場停止だし..考えれば考えるほど重い気持ちになってしまう。
だけど考えようによってはマリノスサポーターにはどんどん楽観視してもらいその雰囲気をピッチ上の選手達に伝染させてほしい。そうすればサンガが勝てるチャンスも出て来る。 そうすれば元旦には….



いやいやそれを考えるのは止めておこう。まずは準決勝進出の余韻に浸ろう。 そして29日の事を考えよう…

帰途に着く途中、多くのコンビニ店の前でチキンとケーキが売られていた。私もケーキとチキンを食べに早く帰ろう…と思った。


120分の死闘制して元旦に !! 京都サンガFC 4-2 横浜マリノス 29th Dec. 2011

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仕事納めの翌日。冬晴れの29日。東京千駄ヶ谷の国立競技場に脚を運ぶ幸福を存分に味わいながらその目的地に向かった。サッカーだけでは無い、数々のスポーツドラマが演じられた国立競技場は私が学生の時も自身のあこがれの地であった。そこのトラックで公式大会に出場出来た事は私の人生の大きな財産となっている。
天皇杯の準決勝戦を観戦するのは4度目だ。残念ながらまだ長居競技場での観戦は無い。 
最初に見たのは1990年12月末に行われた日産自動車対古河電工戦であった。誰が決勝ゴールを決めたが忘れてしまったが 1-0 で日産自動車が勝利を収めた。
その2年後Jリーグ開幕を5カ月後に控えた1992年12月末に行われた川崎ヴェルディ対浦和レッズの試合は激戦の末PK戦にまでもつれ込みヴェルディが勝利を収めた。同点ゴールを決めた KAZU のカズダンスを見る事が出来た。 
そして何よりもたった2年しか違わないのに観客数、試合の迫力がこんなに違うものかと感じた。プロリーグの開幕が本当に楽しみに思えた。
そして2002年。ワールドカップが開催された年の末、自宅近くのさいたまスタジアムで開催された準決勝戦、愛する京都がサンガがフレッチェ広島を 2-1 で破った試合を観戦した。随分と観客が少なく、ワールドカップとはえらい違いだなぁ..と思った。
そしてサンガは天皇杯のタイトルを勝ち取り、あれからもう9年が経ったのだ……
9年振り決勝進出を掛けて準決勝戦の対戦相手は横浜Fマリノス。今シーズンはJ1で5位に終わった。マリノスの天皇杯決勝進出は何と第72回大会、19年前までさかのぼらねばならない、と言うよりもJ-League が開幕してからまだ1度も決勝に残った事が無いのだ。
日本リーグ時代、私のお気に入りは日産自動車だった。木村和司、金田、水沼、長谷川健太、松永、レナト、ロペス… 魅力的な選手達が溢れていた。そして71,72回大会の決勝戦では連続して読売クラブと対戦したが日産対読売こそ当時非常に稀であった日本で見られる金を出しても見たい試合であった。
恐らく多くのマリノスサポーター達は19年振りの天皇杯決勝戦進出を信じて疑わなかっただろう。私も半ば“今度は厳しいかなぁ….”と思っていた。



競技場に着くとキックオフ半時間前だと言うのに既に入口付近のゴール裏席に陣取るマリノスサポーター達の歓声が聞こえて来た。あぁ、約2時間後、俺はどういう心境でいるのだろう…とだんだん不安になって来ていた…



サンガ側のサポーター席に着くと準々決勝戦よりは多く紫のレプリカを纏った人達が着ていた。しかし向こう正面には更に多くのマリノスサポーター達が…関東地区で行われる試合だから仕方ないか…



サンガは累積警告で出場停止のボランチ、チョンウリョンに替って加藤弘堅が同じ位置に起用された。マリノスは森谷が名古屋戦で警告を受けこの京都戦は出場停止。しかし兵藤が出場停止から明けたので2列目左に入る。 警戒すべきはFW小野裕二と渡邉千真の2トップ。小野はスピードがあり渡邊は身長もある。渡邉千真はかつてサンガでプレーした渡邊大剛の弟だ。前にマリノス戦を見た時は兄弟対決だったなぁ…試合結果は弟に軍配が上がったけど…
そして何といっても2列目右に入る中村俊輔。欧州でプレーする時は彼の活躍が伝えられると嬉しく思い、代表では頼れるMFだったけど、ここはあまり活躍して欲しくないなぁ…が本音だった。



京都のキックオフで始まった試合は開始早々は京都がマリノス陣深くに侵入し工藤がクロスを上げる。これはボランチの小椋がクリアーする。2分53秒にはドゥトラがドリブルで切れ込む。ドゥトラは2010年のシーズンでマリノスからゴールを決めている。立ち上がりの攻勢にやや勇気付けられる。しかしすぐに主導権をマリノスに握られる。小野が下がってボールを受けると兵藤が上がり千真と共にサンガゴールに迫る。6分38秒には谷口からパスを受けた千真が弘堅がマークに入る前に放ったシュートがサンガゴールネットを揺するがこれはオフサイドだった。このチャンスは元々俊輔の素晴らしいワンタッチパスが谷口に入って生まれたものだった。9分には充孝が小野を倒してゴール前嫌な位置でFKを与える。栗原、中澤の長身CBが上がって来てファーサイドに立つ。このFKから栗原がヘッドを放つがここは決まらなかった。しかし秋本との競り合いでも頭一つ抜け出た高さに残り80分以上の事を考えると気が重くなった。その上中澤もいるし…。
サンガの中盤は俊輔を中心としたマリノス攻撃陣のマークに後手を踏み最終ラインで何とか身体を張って止めている。FW宮吉までセットプレー時には守備に腐心する。それもファールで止めざるを得ない時もあり与えてはいけないFKを俊輔に“与えてしまう”。



18分16秒には安藤が俊輔をファールで止めFKを与える。これも嫌な位置。そしてCB栗原、中澤がまたもファーサイドに入りまたも栗原が今度は森下と競りながらヘッドを放ちサイドネットに直撃する。
前半はマリノスがこちらに攻めて来るので俊輔がボールをセットするだけで得点になりそうな気がする。
29分52秒、ドゥトラが右サイドをドリブル突破を図り入れたクロスに中山博貴が飛び込む。僅かに合わなかったが個のプレーを境に京都が徐々にペースを握りだす。守勢に回っても中盤が、特に博貴がタフに守りPA付近に近寄らせない。
攻撃に転じても30分10秒に充孝の中央からミドルを放ち栗原に当たり跳ね返ったこぼれ球に詰めた宮吉がシュートを撃つがGK飯倉がストップ。31分30秒にはドゥトラのシュートが中澤にクリアーされたがこのシュートは中盤からショートパスを繋ぎ相手DF陣を崩してシュートに持ち込んだもの。
そして39分20秒、我々サンガサポーターが大きな歓声と溜息を洩らすシーンが。
小椋からのパスをカットした安藤が入れたクロスは中澤にヘッドでクリアーされるがこぼれ球を拾った充孝がそのまま放ったミドルは強烈にクロスバーを叩く。更にそのこぼれ球を弘堅が撃つが今度は左ポストを直撃する。
“ポストの当てる方が難しいンとちゃうんかいな〜〜…” と私は天を仰ぐ。
その直後、安藤の右からのクロスにドンピシャのタイミングで飛び込んだドゥトラのヘッドが炸裂するがGK飯倉が信じられない反射神経を見せて防がれてしまった。
我らがサンガやるではないか…と喜ぶ半面、これでも得点にならないとは嫌な予感もした。




そしてその予感が当たってしまった。 41分18秒、水谷のゴールキックを栗原がヘッドで戻したところを受けた俊輔が福村のマークを振り切り前線にスルーパスを送るとフリーの千真に渡りそのまま抜け出される。そしてゴール正面でGK水谷を落ち着いて外して追いすがる秋本がマークに入る前に落ち着いてサンガゴールにシュートを流し込みマリノスの先制ゴールが生まれた。
あぁ〜やっぱり甘くは無かったなぁ〜…。向こう正面から聞こえてくるマリノスサポーター達の歓声を聞きながら落胆した。
それにしても局面を変える一発のパスを出す俊輔はさすがだなぁ…と感心してしまった。



そして準々決勝の前半終盤と全くの反対の試合展開で1点をリードされて前半が終わった。
後半は何とか前半見せた様な猛攻をもう一度見せて今度はゴールを決めてくれよ…と期待も抱いた。

ハーフタイム中にこの日行われた U-15大会 の決勝戦で我が京都サンガFC U-15 が優勝した事が伝えられた。こちらのサポーター席から歓声が上がる。するとマリノスサポーター達からも拍手が沸き上がった。試合開始前のスタメン発表時にはいきなりブーイングを浴びせてくれた彼らだったけどここのみな有難く思った…

マリノスキックオフで始まった後半。 攻勢に出るのはマリノス。最初の一歩が早くサンガの選手はなかなか前を向いてボールをコントロール出来ない。49分にはドゥトラが主審に何か言ったせいかイエローが出される。ドゥトラへのマークも次第にきつくなる、それよりボールが出る頻度が減っているのか…



こりゃ、ちょっとすぐには同点には追いつけないかなぁ…と思っていると中盤でドリブルで上がった工藤がそのままミドルを放つとその弾道はGK飯倉を破ってマリノスゴールに突き刺さった。 谷口から小椋に送られた縦パスを工藤がカットしそのままドリブルで前線に上がるとその前を宮吉が左から右にクロスしながら上がりマリノスDFの注意を引いた隙に放ったミドルが決まり同点ゴールが生まれた。 工藤は今シーズンジェフユナイテッドから移籍して来た選手だったがシーズン前に膝の十字靱帯を損傷しシーズン中盤迄棒に振った選手。しかし彼が復帰してから京都の連勝街道が始まった。 そしてこの試合の同点ゴールは後半開始5分内のこの時間に同点に追い付いた事で試合の流れを大きく替える貴重なゴールだった。





これでサンガの選手に前半終盤の動きが戻って来た。 ショートパス一辺倒からミドルパスを加える様になりサイドチェンジが見られるようになってきた。1対1でも対等以上にやれていた。
マリノスも俊輔を中心に攻撃に転じる。しかし俊輔にボールが入っても2人、3人と寄って来て囲い込む。時折ファールで止める事もあるがシュートシーンは殆どセットプレーからとなって来た。それでも俊輔は落ち着いてボールをさばいていた。
70分工藤が谷口にファールで止められ早いリスタートから前線に送ると今度は小椋がドゥトラをファールで止め、マリノスゴール前の良い位置でFKを得る。倒されたドゥトラは蹴る気満々だ。



そのドゥトラが左脚を振り抜くと壁の右側から曲がり落ちた弾道は再びマリノスゴールネットに突き刺さり遂に京都がリードを奪った。 後方から見ていいて惚れ惚れする弾道だった。
思わずピッチに向かって、“俊輔。FKはこうやって蹴らなきゃ入らへんどぉぉ〜 !! “ とヤジを飛ばした。だけど本当に入る様に蹴られた方が困るんだけど…



リードを許した直後にマリノスベンチはFW小野を下げてMF松本を投入し兵藤をFWに上げて千真と2トップを組ませる。
そして松本は2列目左に入った。小野は後半に入って目立ったシーンは作れていなかった。そして松本が結構スピードを生かしてサイドを抉るシーンが見られた。 そして80分には右SBの金井が下がり青山が入り、81分には谷口が下がってFW大黒が入った。84分には松本が快足を生かしてサイドを突破し大黒にクロスを入れるがヘッドを撃てない。
そして85分を過ぎると栗原が前線に上がり3トップを形成しフォーメーションを 4-3-3 とした。サンガも88分に秋本を下げて内野を入れる。 秋本はイエローカードを貰っており決勝戦には出場出来なくなっていた。 
気になったのはピッチの暗さだ。照明が不十分でハイボールを入れられたらGKはミスをするのではないか?と懸念した。



サンガは攻められながらもゴール前をきっちりケアーしているのでこのまま押し切ってくれるかと期待した。ロスタイムが4分と表示される。そんなにあったのかよ…と思うがGK水谷、DF陣はマリノスの攻撃を跳ね返す。



92分21秒。 内野がバックパスGK水谷に戻した時にマリノスサポーター達から大ブーイングが起こる。バックパスくらいで…と思うと何人かのマリノスの選手が主審に詰め寄る。後で知ったのだけど内野が胸でトラップした後にボールが右腕に当たっていたのだった。
 そして93分になった。内野のクリアーボールを左サイドで拾った俊輔が逆サイドに大きくボールを降ると栗原が森下と競りながら折り返す。そこに走り込んだ中澤が正面から渾身のシュートを放つ。そのシュートは跳ね返される。出せ出せ、外に蹴り出せ、と叫ぶがその直後にマリノスサポーター達の大歓声が沸き上がり同点ゴールが決まった事が解った。
中澤の内野、森下、安藤の間を抜けてゴール前に飛んだ弾道は一旦はGK水谷がブロックするがこぼれたところに充孝のマークに入る前に飛び込んだ大黒と中澤が一緒に撃ったシュートがサンガゴールに入ってしまった。 
中澤が最初にシュートを撃った時が丁度94分だった。 ゴールインの前に何かホイッスルは無かったか…と向こう側のサンガゴールを目を凝らして見るがゴールインの判定は当然変わらず同点にされてしまい、そのまま後半が終わった。

あぁあ10秒だったのになぁ…
私はすぐにトイレに向かった。結構長蛇の列だった。 隣の女子トイレを並ぶ御婦人達の会話が聞こえる。
でもお姉さんPK戦に入るとやばい。J1は強いわよ。
いや、水本が止めてくれます。いや水谷でした。
私は後ろで待つ男性に“そうですね。水本はもう他のチームの選手ですから。”と言った。 水本怪我は大丈夫かな…
追い付かれたけどマリノスベンチは交替カードを全て使いきっている。それにDFの選手を下げている。だからサンガの得点機がまた有るはずだ。と自分に言い聞かせた。




サンガのキックオフで始まった延長前半。開始から攻勢に出るのはマリノス。 大黒と千真の2トップはそのままだが2列目に右から小椋、兵藤、俊輔と並べ、更に右サイドに小林、左サイドに松本をディフェンシブハーフバックに入れ、最終ラインは栗原、中澤、青山の3バックにした。その為に中盤の選手が増え、サンガの選手はボールを持てなくなり、持てても直ぐに取り囲まれて前に繋げなくなった。
94分21秒には俊輔のワンタッチパスから兵藤がシュートを放つが水谷がファインセーブで防ぐ。大黒の動きでDFが釣られてスペースを開けてしまった。俊輔が右サイドに回られた時の方が左サイドは松本が上がるのでちょっと嫌だった。
両者無得点に終わった延長前半が終わりマリノスのキックオフで延長後半が始まると今度はマリノスはしきりにハイクロスを入れて来る。高さだとマリノスが優位に立つ。
108分、110分と連続して松本がクロスを入れて来る。そして110分48秒には俊輔が博貴のマークを受けながら千真が出したパスをゴール右で受け弘堅のマークをかわしてシュートを放つ。そのショットはポストの右に外れて行ったがさすがのテクニックだった。 更に113分には駒井からボールを奪った俊輔が左サイドからクロスを入れると大黒がフリーでヘッドを放つ。あぁやられた、と一瞬思ったけどシュートはクロスバーを叩いてくれた。 中澤がファーサイドに逃げてマークを引っ張り大黒のスペースを作っていた。 
延長戦に入りシュートらしいシュートを撃てなくて劣勢続きだったサンガであったが115 分、中盤をドリブルで上がった工藤がそのまま前方にスルーパスを送ると栗原と青山の間を抜けて103分にドゥトラと替って投入された17歳の久保裕二に渡る。久保はそのまま我々の方にドリブルで中央から上がって来て松本がマークに入る前に放ったシュートがマリノスゴールに決まり再びサンガがリードを奪う。 狂喜乱舞する我々だけど、私は必死に“まだ早いです。まだあと5分あります。”と叫んだ。



そして119分、俊輔のネアーサイドを狙ったCKはクリアーされこぼれ球を拾った松本が再びクロスを入れるが栗原のヘッドは大きくクリアーされ左サイドの久保に渡る。久保は小林のマークを受けながらも前線にドリブルで上がる。
“キープだ!キープ!!。ボールを離すな。!!”私は必死で叫んだ。あと1分キープしてくれ…と。
しかし小林のマークを受けながらもゴールラインまでボールを運んだ久保は最後はマイナスのパスを出しそこには何と駒井がフリーで走り込んで来ておりそのままマリノスゴールに流し込み試合を決定付ける4点目が決まった。
スクリーンに大きく天を仰ぐ木村監督の姿が映し出された。



もう大丈夫だ。これで元旦だ。我々は心おきなく歓喜に沸いた。キックオフ後マリノスはサンガゴール前に迫ったがシュートは決まらず最後は水谷がGKを蹴った瞬間に試合終了のホイッスルが鳴り響き激闘にそして劇戦に終止符が打たれた。
我々の歓喜はいつまでもいつまでも続いた。まだ天皇杯は終わらない。我々の天皇杯は終わらない……
弘堅、もう1試合まだサンガのユニフォームを着られるぞ…..

試合後,横断幕を片づけるのを手伝った。そして皆口々に決勝戦のチケットの入手方法を話していた。
公式にはもう売り切れらしい。 マリノスサポーター席の後方で彼らから買い取れる…てな話をしていたので千駄ヶ谷門側に行こうとしたらそちらの方にはもう回れなかった。
だから外から回って正門の方に行くとサンガサポーターとマリノスサポーター達が混じって話をしていた。チケットの話だった。
あと数枚買い手を探していたらしいので自分の分を売って貰った。  そしてマリノスサポーター達数人が“お疲れさまでした。決勝戦、ガンバってください。”と言って去って行った。あぁこういう交流は最高だなぁ….

翌日。木村監督の解任のニュースが流れた。 我々の世代は彼は神様の様な選手だったけど、監督としてのマリノスサポーターの評価はどうだったのだろう…京都戦に負ければ解任すると告げられていたらしいけど…..

さぁ本当に決勝戦に進出したのだ。相手はFC東京。今シーズンは2連敗しているけど…

その前に元日に贔屓チームを応援できると言う幸福感を味わおう…

謹賀新年… 今年は昇格を…

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サンガ新年。と言いたかったのですが期待した天皇杯決勝戦は残念ながら 2-4 で敗れました。
勝てなかったのは悔しくて無念ですが、私達の願いはまずJ1昇格。 
今年は若い選手が多いので期待も出来ると思います。
京都から国立競技場へ参戦された方々本当にご苦労様でした。 それからこの日競技場に来られた方も、来る事が出来なかった方も。
今年始まるJ2に期待持てそうな気がします。 
詳しい報告はまたアップ致します。(誰も待っていないか??)

無念の…まずJ1昇格を 京都サンガ 2-4 FC 東京 1st Jan. 2012

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子供の時天皇杯の準決勝戦、決勝戦をテレビで見る事が年末から元旦にかけての1つの行事みたいだった。
それは父親がヤンマーディーゼルに勤めていたからだ。70年代初め日本を代表するチームだったヤンマーは天皇杯決勝戦の“常連”だった。同じ職場の“社員”達の活躍を楽しみにしていた様だった。そして決勝戦が終わったらよく仕事仲間と思われる人から電話が掛かって来ていた。 あの世界の“カマモト”も職場にいて何度も仕事上で話をしたとよく父は言っていた。
子供の時テレビで見た国立競技場にいつかサッカーを観に行きたいなぁ…と子供の時に思ったものだった。
J-League 発足前は天皇杯決勝戦が世間一般では最もサッカーに触れられる試合だった。

それから40年近くが経った。サッカーはプロリーグが発足しワールドカップ連続出場を果たし一般人の関心も取り巻く環境も劇的に好転している。それでも天皇杯決勝戦は私の中でサッカーの関心事としては高い試合だ。
そして人生で初めて決勝戦を現場観戦する機会に恵まれた。それもこれも愛する京都サンガFCのおかげだ。

2012年、平成24年の元旦の朝はやや雲の多い空だった。雨の心配はなさそうだったけど気温は低くなりそうだった。
幸運にも手に入れた決勝戦のチケット。 着て行く服は準々決勝戦の湘南戦そして続くマリノス戦と同じ服装にした。勝ち運が逃げない様に…しかし気温が下がりそうなのでアンダーパンツ、要するに股引は履いて行った。それが裏目に出なければ良いがと最後まで迷ったがよく考えれば自分の服装で試合結果が左右されるはずもないことであった….

千駄ヶ谷駅を降りた時はよく晴れた天気になっていた。しかしこの駅で降車した乗客の殆どはFC東京のマフラーやレプリカを纏っていた。やはり“地元”は違うなぁ…と思ったけどわたしは昔からどちらかと言えばアウェーゲームの観戦が好きだった。
競技場入りしたのは試合開始の約40分前。心配だったのは席が空いているかなぁ…と言う事だった。 家を出る前に見た女子日本選手権の決勝戦では両ゴール裏は結構人が入っていた。
京都サポーター席の方は東京側程ではないがもう満席に近かった。天皇杯決勝戦はやはり違う。でも関東にも多くサンガサポーターがいる事が改めて解りそれを嬉しく思った。
結構前の方の席で並びで5席ほど空いているところを見つけた。しかし座席には白色と紫色の紙のボードが置いていた。周囲の人に“ここ空いていますか?”と訊ねると“どうぞ”と言ってくれたので誰かが確保していたのならまたどけばいいやと思いそこに座る事とした。そしてそこは誰にも確保されていなかった。 人文字用のボードがあらかじめ置かれていたので多くの人がそこは空席ではないと思われていた様だった。



向こう正面にはFC東京のサポーター達が陣取る。マリノス戦では“アウェー席”がサンガサポーター席だったけど決勝戦では“地元”であるFC東京が“アウェー側”で京都が“ホーム側”の席が充てられた。
そして東京側からは“J1なんてララ〜ラララララ〜ラ♪”との合唱が始まった。今年からJ1なのになぁと思っていると、続いて“俺達J1 !! “ とのコールが始まった。おいおい昇格を自慢しているんかいな?と思っていると”お前らJ2 !! “ とのコールが始まった。サンガサポーター達からはブーイングが飛ぶがはっきり言って返せる言葉が無かった。



昨シーズンはJ2で2度対戦し 1-4, 1-6 の連敗と言うよりも惨敗。 しかしその後は工藤が復活する等システムを変更し最後の9試合を8勝1敗で乗り切っている。だから東京相手にどこまでやれるのか楽しみでもあった。
東京のスタメンは準決勝のセレッソ戦と同じスタメン。 9月10日J2リーグで対戦した時とほぼ同じスタメン。しかしあの時はGK は権田でなく塩田。そして石川直宏はベンチスタートで田邉が起用されていた。その時は開始11分に宮吉が先制ゴールを決めたが以降6連続失点を喫しFWルーカス には3ゴールも決められた。石川と並んでもっとも警戒すべき選手であった。
愛するサンガのスタメンは前の試合で警告を受けて出場停止のCB秋本に替って安藤淳がそのポジションに入り加藤弘堅が右SBに。そして中村充孝と組むボランチにチョンウンリョンが出場停止から還って来た。 安藤はCBでの起用は178cmという長身が買われたのかもしれないけど本来MFの選手。大丈夫か?と思ったけどこの試合がサンガでの最終試合となる弘堅のスタメン起用は本当にうれしかった。
そして選手達が入ってくる。天皇杯と書かれたところに並ぶのはどちらのチームだろう…と思った。そしてFC東京サポーター席の人文字に感心したけど、帰宅後テレビで見たらこちら側の人文字も鮮やかだった。



観客席から見ていると東京の選手の上背の高さが目に付く。
後で調べると羽生と左SBの椋原以外は 全て175cm 以上の選手だった。



東京のキックオフで始まった試合は開始早々の45秒、スローインを受けたルーカスが福村のマークを受けながらも素晴らしいミドルを放ち、2分50秒には高橋が森下のマークを振り切り縦パスを石川に通しドリブルシュートを撃つ。共に水谷がナイスセーブで止める。5分34秒には右SB徳永のクロスに石川がヘッドを放つがCB森下がCKに逃れる。開始から右サイドからの速攻に脅威を感じさせられる。そうかと思えば8分27秒には右サイドから谷澤が中に入れ高橋を経由して石川に送られクロスを放り込まれるがここは安藤がクリアー。マリノス、ベルマーレが見せなかった力強い“推進力”を見せつけられている様だった。



しかし先制ゴールはサンガに生まれた。 13分中盤からドゥトラがドリブルで上がると今野と梶山が挟み込むようにマークに入り、梶山に当たって前にこぼれるとそこには中山が。博貴がそのままドリブルで持ち込み東京ゴールにシュートを蹴り込んだ。
一斉に周囲が立ち上がる。よしナイスシュートだ。なるべくリードの時間を長く……と言う期待は長く持たなかった…..

東京は左CKを得ると石川がショートコーナーを送りそのリターンをファーサイドに送るとそこには今野がいた。今野がファーサイドをヘッドで狙う、ボールの先に飛んだウリョンはクリアーしきれずゴールインとなりあっという間に東京に追い付かれてしまった。
出来るだけリードをする時間を長く取りたいと思っていたんだけどなぁ〜、と一気に落胆してしまった。 
試合後今野が“先制されてちょっとパニックになった。”と語っていた様にこのゴールは東京イレブンに落ち着きを取り戻したと思う。そして同点ゴール後石川が再び2列目右に戻った。



19分26秒にはFKからルーカスに安藤と弘堅のマークを受けながらもシュートに持ち込まれ水谷が右に倒れて何とか止める。 
サンガの攻撃は前線の宮吉とドゥトラのドリブル頼みであるがドゥトラにボールが入ると中盤がフォローに入る前に2人、3人と囲みに来るのでボールがキープできずすぐに東京に攻撃が移ってしまう。東京の前からのプレスも厳しく、ボランチの高橋、梶山が高い位置に張り続けられクリアーボールも拾われたり跳ね返されてしまう。 やはり圧倒的な強さでJ2を制するチームは違うなぁ…と思っていると何やら椅子が揺れ出した。その揺れは大きくなり小さくなってもけっこう長く続いた。周囲でおびえる人達も少なくなかった。
電光掲示板上のポールを見ると結構揺れていた。 今年も地震の恐怖に悩まされるのだろうか…..
しかしピッチ上では何事も無かった様に試合は続いていた… こんな時の試合判断はどうするのだろう…と思っていると電光掲示板に地震の事が伝えられた。 試合終了後帰途に着くときに交通機関が問題なく動いていればいいんだけど…と思った。
25分過ぎからまた石川が左サイドに回って来て、27分26秒には羽生からパスを受け中央に送りルーカスのシュートを引き出す。これはGK水谷の正面に飛んだ。 石川のマークを何とかしないとなぁ….と思うと30分頃にまた右サイドに戻って来た。 
そして35分12秒、サンガPAすぐ外でFKを与える。 サンガDF陣は上背が…誰かに合わすのかな….と思っていたらCB森重が蹴ったFKは直接目の前のサンガゴールネットに吸い込まれる逆転ゴールとなってしまった。


 
あぁひっくり返された…と狂喜するピッチ上の東京の選手達を見て9月10日の試合結果を思い出しながら呆然とそう思った。
逆転した東京は右の徳永、左の椋原と言った両SBまでどんどん上がって来ていた。そしてワンタッチパスがどんどん回りサンガDF,中盤のマークをずらして更に攻勢に出て来る。36分47秒には羽生からのパスを受けた石川がルーカスに送り、リターンを貰って放った強烈なミドルはクロスバーを僅かに越える。39分左サイドに回った石川が逆サイドに送り徳永が放ったシュートは水谷がセーブ。 
何とかこのまま持ちこたえてくれよと願うが42分9秒、GKを高橋が森下と競りながら前に跳ね返すとそこにはフリーのルーカスが。そしてルーカスには安藤が必死に戻ってマークに入ろうとするもそのままドリブルシュートを決められリードを広げられてしまった。



安藤の位置がちょっと前過ぎた。しかし安藤は本来MFの選手。CBのポジションは…と言う不安を露呈させてしまった。
終了直前、石川が中央のルーカスからボールを受け左サイドから放ったミドルはゴール枠の角を叩いてくれて前半はそれ以上の失点を防げた。 あぁ、やっぱりこれが両チームの力の差か…と重い気持ちでハーフタイムを迎えた…



サンガのキックオフで始まった後半も開始37秒には東京がサンガゴールに攻め込む。最後はルーカスはシュートを撃てなかったが、サンガはどうやって状況を打開するのだろう。久保はいつ投入されるのか…と思った。 
京都はショートパスを繋いで東京PA付近に迄来るのだがそこから奪われた時にロングパス1本で一気にサンガゴールを脅かされそうになってしまう。なんだか不経済だなぁ〜と思っていると53分58秒、遂に久保裕也が投入された。下げられたのはドゥトラ。この試合はタイトなマークに苦しめられ見せ場は作れなかった。だけどここは思い切って3トップに….は無理だったか…



しかし57分44秒、宮吉のドリブルが止められルーカスが左サイドをドリブルで上がり入れられたハイクロスをウリョンがヘッドでクリアーするが羽生に拾われ石川に送られる。石川は上がって来た今野に送り今野はヒールで石川に戻しそこから放たれたシュートがポストの左をかすめまたもひやりとする。 2点リードもあってか東京は次から次に前線に選手が上がって来て分厚い攻撃を続ける。
58分サンガベンチは充孝を下げて19歳の駒井を入れ、博貴を中に入れ駒井は2列目の左に入れた。
中に入った博貴が64分44秒、左サイドを突破して来た福村のクロスをオーバーヘッドで狙う。シュートは大きく外れたが博貴が中に入った事によりボールキープが出来てパスが前線まで繋がる様になった。しかし最終ラインをなかなか突破出来ない。
そして65分49秒、カウンターから羽生、そして左サイドの椋原と繋がれそこから前線に走り込んだフリーのルーカスにまたも渡り福村がマークに入る前にファーサイドにシュートを入れられてしまった。
これで3点差がついてしまった。 この時点でサンガの勝利は…と思うのはなぁ〜と力なく思いながらピッチでの展開を目で追った。
70分41秒、東京ゴール前に迫った福村が梶山に倒されて良い位置でFKを得る。 左サイドの方だけど距離はそうはなれていない。ウリョンがセットをし直接狙ったショットはGK権田が素晴らしい横っ跳びのファインセーブで弾き出してしまった。 あぁあと少しだったのになぁ…よし解った権田。その調子で五輪予選も相手シュートを止めてくれぃ…・ 五輪予選で言えば韓国代表のチョンウリョンのFKを日本代表の権田がストップしたと言う事か…



その直後のウリョンが入れたCKに久保が飛び込みヘッドを捻じ込み1点を還した。



FK を止められ落胆した後のゴールだったので喜びも2倍以上だった。 それにしても久保は何と素晴らしい選手なのだろう。このヘッドも高橋に後方からマークを付かれながらのヘッドだった。 残り時間は20分ある。次にサンガがゴールを決めて1点差とすれば面白くなる…ととたんに希望を持つ様になった。



東京ベンチは71分に羽生を下げて鈴木を入れ75分には谷澤を下げて FW ロベルト・セザーを投入する。 鈴木は羽生のいたトップ下にそのまま入ったがセザーは1トップに入りルーカスが2列目左の谷澤のいた位置に入る。 
サンガベンチも76分に弘堅を下げて下畠を入れた。下畠も若い選手だ。サポーター達からはピッチを後にする弘堅にコールを送る…



そしてサンガがボールをキープする時間は更に長くなる。しかしDF陣はラストパスを通させない。 86分40秒工藤がルーカスに倒されて得たFKはクロスバーを越える。 87分20秒、久保が森重からボールを奪い工藤、宮吉と繋ぎ再び久保にボールが入るが東京DF陣は3人がかりでストップ。90分迄に1点を返せばロスタイムで…と胸算用すると今度は東京がカウンターからサンガゴールに迫る。 セザーが右サイドから切れ込み中に入れると鈴木と下畠が縺れながらゴールに雪崩込みそこに水谷が身体を投げ出す。ボールはこぼれて戻った安藤がクリアーを。 



ロスタイムは3分と表示される。 3分で2点は…



91分13秒スルーパスを受けた駒井がクロスを送るが森重がクリアー。 ドゥトラが退いたサンガは高さがない…
91分53秒 久保が下畠からパスを受けたところを今野がファールで止めてFKに。ウリョンがボールをセットする。さっきと距離は同じそして今度は右サイドから。もう時間的に同点は不可能だ。でも最後に決めて俺達を喜ばせてくれ….と思うがファーサイドを直接狙ったウリョンのショットはバーに当たりピッチに跳ね返る。



こぼれ球を拾った宮吉が工藤に送りミドルを放つがルーカスがヘッドでクリアー。そのこぼれたところを拾った森下が東京ゴール前に放り込むがここもルーカスがヘッドで跳ね返す。
そして試合終了を告げる西村祐一主審のホイッスルが鳴った。

あぁやっぱり甘くは無かったなぁ〜。 これが正直な感想だった。


 
昨シーズン、最後は連勝したけど結局J2リーグの7位に終わっているのだ。そんな結果で ACL に出場すること自体甘い考えだったのかもしれない。 確かに鹿島、マリノスを連破したけどこの東京戦を見るともし仮に来シーズンJ1に入っても直ぐに降格してしまう可能性は低く無い。 じっくりと鍛えて力を付けてまずはJ1に昇格をして欲しいと強く願った。
幸い若い選手が多くまだまだ発展途上段階、もっと強くなれると手応えを感じるサポーターも多いだろう。

表彰式を終えた両チームの選手達がそれぞれ場内を回る。サンガの選手達が東京サポーター席の前で挨拶をし拍手を浴びてこちらにやってくる。 鹿島戦は貴重な決勝ゴールを決めたが以降は3試合無得点に終わった宮吉は悔し涙を流している。 
弘堅、金成勇ら今シーズンを最後にサンガを去る選手達に声援を送る。



次に東京の選手達がやって来た。 こちらから拍手と“東京!東京!”と声援を送る。
“ACL 頑張れよ !! 1次リーグなんかで負けるなよ !!”と 私は叫んだ…



後片付けを手伝い、何人かのサポーター達に挨拶をして帰途に着いた。 国立競技場前から地下鉄に乗車すると中は全て東京サポーター達。あらら完全アウェーだわ…と思っていると1人のサポーターと目があった。
“そちらは強すぎたですね。こちらは弱すぎましたね。”私が言うと
“いえいえ、是非昇格して下さい。今度はJ1でやりましょう。”といってくれたので
“ACL頑張って下さい。観に行きますから。”と答えたら、結構受けた….

確か Brisbane Roar と同じ組になるはずなので楽しみなのは変わらない。また Warren のユニフォームを着て行こう。
息子もACLなら観に行くだろうか…



今年何回サンガの試合を見られるかな….. 帰って録画した試合を見ていたら前半の途中で寝てしまった…..

みなさん本当にお疲れさまでした  そして俺も。


うつむくなよ、振り向くなよ、高校生よ  第90回全国高校サッカー選手権大会

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何度でも言った事があるしこれからもこう言うだろう…… うつむくなよ〜ふりむくなよ〜君は美しい、戦いに敗れても〜….
あのテーマ曲が流れだすと正月が始まり、聞こえなくなると冬休みが終わる。そして3学期が始まる。中学の時はまた級友達と再会できると思い、高校の時はまたあの制服を着て通学せねばならない、暗黒の学校生活が始まる。
大学生の時は…そんな事を思っていた当時の事は今は良い思い出だ。

その全国高校サッカーが今週の初めに幕を閉じた。 今年も様々なドラマがあっただろう。そしてそれは年月を重ねたらどれだけの人達にどの様の記憶に思い出に残るのだろう……

関西勢はベスト8止まりしかし…
昨年は滝川第二と久御山が決勝に残り、一昨年は関大一高が準決勝に残った。しかし今大会は関西勢は準決勝に残れなかった。しかしながら唯一準々決勝に進出した兵庫県代表の市立西宮高校の躍進は素晴らしいものだった。
サッカー漬けの高校生活を送らせ、学校の名前を宣伝する“拡材”に仕立て3年後に“高校卒業証明書”と言う名の“領収書”を発行し世に大量の“スポーツ馬鹿”を排出する数多くの私立高校の現状を見てはうんざりしさせられてきた。
“プロ化”が進む高校サッカー界では希少価値の“普通の”公立高校。 しかも多くの部員は大会終了直後に施行されるセンター試験を受ける“受験生”。更に志望校は京都大学とか大阪大学といった名門国立大学。 
私は学歴化社会が好きではないが不要とも思わない。うちの会社を見ているとむしろ必要だと思う事も。
サッカーをする全ての高校生がプロや日本代表を目指す“義務”などない。こういう舞台の出場権を勝ち取り、一流大学に進学し、立派な社会人になる。 子供を持つ親からすればそれが一番の理想だ。
市立西宮の初戦は一昨年の覇者で優勝候補の山梨学院大付属。誰もが山梨学院大付属の勝利と言うよりも清水エスパルスに入団の決まっている白崎君が何ゴール挙げるかに興味を持った人も多かったのではないか?18分に山梨学院MFの萱沼君が先制ゴールを決めた時はその思いを強くした人が多かっただろう。ロスタイムでPKを得て市立西宮が追い付き、後半10分に後藤君が逆転ゴールを挙げてもまだ山梨学院の巻き返しを信じていた人もいただろう。しかし77分に追加点となる後藤君のゴールが決まり白崎君が爆発する事なく堂々の3回戦進出を決めた。 
市立西宮は兵庫県大会準決勝戦では滝川第二を破っており、選手権では昨年、一昨年の優勝校を連破した事になった。
殊勲の2ゴールを挙げた後藤君はJリーグからの注目される逸材らしいが、他の“サッカー名門高校”の指導者達は一体何をやっているんだろう??といつも疑問に思うのである。



3回戦では市立西宮 vs 近大付属と言う関西勢同士という勿体ない組み合せだったがPK戦を勝ち抜いた市立西宮が準々決勝進出を決めた。それにしても関西勢同士が消し合うとは勿体ないなぁ…と思った。
続く大分高校との準々決勝戦では2ゴールを先取した時は4強入りを期待したが3連続ゴールを許し進撃もストップ。しかし彼らの躍進は本当にさわやかだった。 14日から始まるセンター試験の受験者数を大会参加校と照らし合わせれば面白いと思う。



大分一矢報いるも市立船橋に追い付かず…..  準決勝第一試合 市立船橋 2-1 大分
大分は10年前に準々決勝に進出した事がある。今大会は1回戦で北陸高校を 10-0 で粉砕した。2回戦浦和東を 3-1 で降し、3回戦ではここ最近の“上位常連高校”となっている青森山田高校を 1-0 で破り俄然注目を浴び出した。(もっと早く注目されていたか?)それにしても青森山田は“柴崎”を擁しても優勝できない。そろそろ全国制覇しても良い頃なんだけどなぁ…..
大分の持ち味は韓国人の朴英雄監督が指揮する大分の掲げるサッカーは“フリーマンサッカー”。相手がボールを持つと複数で囲い込み奪い取ると素早く全選手がピッチに広がるその集散の早さ。 テクニックに勝る市立船橋相手にどこまでやれるか楽しみにしていた。
7年振り準決勝進出を果たした市立船橋は80年代終わりから全国高校サッカーの上位常連校だった。サッカーだけでなく陸上競技も強く野球でも1993年の全国大会では準々決勝で我が母校京都西高校を破った。 
サッカーではここ数年流通経済大柏の台頭等で連続して全国大会出場を果たすのは容易では無くなっている。
今大会では3回戦で清水商との対戦が実現。第67回大会の決勝戦の再現となったが 3-0 と快勝を収め、優勝の可能性が高くなったと思った。 それにしてもなぜこういうゴールデンカードがテレビ中継されないのだろう???



試合は開始から一進一退。個人技で勝る市立船橋がやや優位となる展開か?と思われた。
22分ゴール前正面で市船橋エースの和泉君にボールが入ったところを主将のCB若林君がマークに入り倒したところで笛が鳴る。
市船橋にとっては絶好の位置でのFKこれを渡辺君が直接右上隅に決めて先制ゴールを挙げた。渡辺君はまだ2年生のDF。初戦、長崎日大戦では2列目右のポジションに入った。



29分今度は大分が距離は少しあるが正面の良い位置でFKを得る。小松君が直接狙った FK は壁に当たり再び小松君がこぼれ球を狙うが GK 積田君がファインセーブで防ぐ。 以降大分が何度か船橋ゴール前に迫るが船橋は選手を集めて守勢にまわりボールを奪うと一気に前に出て来る。大分の集散の早さのお株を奪う展開だ。
前半を 0-1 で終えた後半。先のゴールを奪って同点に追い付きたい大分であるが56分クリアーボールに追いついた池辺君が左サイドをドリブルで猛然と突破してあっという間に大分PA内に侵入すると相手DF4人に囲まれながら中央の岩渕君に送り更に右から走り込んだ和泉君に送り、ボールを受けた和泉君が放ったドリブルシュートは大分ゴールネットに突き刺さる。池辺君がボールを持って和泉君のシュートがネットに突き刺さる迄わずか17秒だった。
これで船橋が試合の主導権を完全に掴み以降大分ゴールに何度も迫る。ワントップに入った岩渕君が2度惜しいシュートを放つなど3点目は時間の問題と思われた。
しかし75分過ぎから大分は前線に上がる選手を増やしプレスを掛けて来る80分には小松君が正面からフリーで放つがGK積田君がここもナイスセーブ。その直後コーナー付近で得たFKから長身CB清家君が高い打点からのヘッドを決めて1点差とした。



準決勝戦から45分ハーフとなった事が走力の高い大分に味方するかと思った。しかし船橋は岩渕君以外は全て自陣に戻って守備を固めシュートを撃たせない。長身CB清家君を上げる等大分の怒涛の攻撃と思われたがそれは船橋がラインを下げていたからで決定的な仕事はさせてもらえなかった。そして試合終了のホイッスルが鳴り市立船橋が7年振りの決勝戦進出を決めた。
2点目を決めた和泉君ら攻撃陣がクローズアップされるがファインセーブを見せたGK積田君を中心としたDF陣が失点1に抑え主導権を渡さなかった事も勝利に繋がったと思う。 
それにしても市立船橋、やっぱり強いなぁ。強いチームは試合を重ねる度に調子を上げて来るなぁ〜と思った。
しかし私はかつて4年連続で別府大分毎日マラソンを走ったこともあるので大分県の代表校を応援してしまうのだった。
(あんまり関係ないか??)



これからもがんばれ福島県勢 !! 準決勝第二試合 四日市中央工 6-1 尚志
後半37分。左サイド中盤から金田君が前線にロングボールが入る。それを四中工藤山君が福永君と競りながらヘッドでクリアーするがこぼれ球を拾った山岸君が正面から放ったミドルが四日市ゴールに突き刺さる。全校応援の大応援団からそして尚志高校を応援する人達から更にニュートラルにこの試合を観戦する人達からこの試合最も大きな歓声が上がった。 これで1点返して 1-4。 3点差となった。
ベンチの仲村監督から“あと10分!!”という指示が叫ばれる。1点返す前からDF大貫君を前線に上げて攻撃の枚数を増やしていた。木村君が放ったドリブルシュートは四中工DFに当たってコーナーに。次に早い時間に尚志がもう1点取れば面白くなるかなぁ…と思った。しかし44分に四中工浅野君がクリアーボールを中盤で拾ってそのままこの日2ゴール目となるドリブルシュートを決め、更にオウンゴールを献上してしまいリードを広げられてしまった。 そして47分11秒。試合終了を告げるホイッスルが鳴り四日市中工高校の20年振り決勝進出が決まり、史上初めて準決勝に進出した尚志高校の進撃が終わった。
テレビでは何度も“被災地からやって来た。”とか“被災地を勇気付けた。”とかばかり言っているが被災地でないところからやって来た高校も被災を受けていない選手も負けたくない気持ちは一緒では無いのだろうか……

準決勝第二試合は3年連続出場となる尚志高校と4年連続出場の四日市中央工業。準々決勝戦迄浅野君、田村翔太君合わせて9ゴールの四中工がやや有利かなぁと思ったが8分にワンタッチパスを繋いで金森君からパスを受けた山森君がシュートに持ち込むが惜しくもゴールポストの左に外れる。11分には今度は山岸君がパスを送り受けた高君がシュートを撃つがGK中村君の正面に。
四中工も16分に浅野君が中盤からドリブルで上がり尚志DFを引き付け右から上がった田村翔太君にボールを送り田村君のシュートを引き出すがここはGK秋山君が右に倒れて掴む。
20分には尚志が攻撃に転じ左サイドから金田君が中に入れ正面から高君が再び撃ったショットはGK中村君の正面に。
やや優勢に試合を進める尚志。先制ゴールが決まると試合展開は面白くなると思いだしていた33分58秒、左サイドで藤山君からのパスを受けた松尾君から絶妙のスルーパスが送られ田村翔太君に通る。田村君はそのままシュートを放つがGK秋山君が見事にストップ。完全に四中工の先制ゴール物だった。しかしそのからのCKを浅野君が戻し走り込んだ国吉君がそのまま尚志ゴールに叩きこみ遂に均衡が敗れた。 セットプレーからのサインプレーによるゴールだったらしいが国吉君が良い位置に走り込みそこにDFを引きつけた浅野君が上手く戻した。
攻勢だった尚志にとっては痛い失点だった。そして更に41分。右サイドから寺尾君がゴール前に放り込んだところを走り込んだ田村翔太君が蹴り込み追加点を決めた。 GK秋山君とDF峰島君の間に上手く落として寺尾君のロビングだった。
あっと言う間に2点差を付けられた尚志はその直後にFW後藤君が中央から右に流れて放ったシュートはポストの左に惜しくも外れる。すると今度は田村翔太君が抜け出してフリーでスルーパスを受けシュートに持ち込む。しかしここはGK秋山君がキャッチ。
そして前半はこのまま 2-0 四中工リードで終えた。 



後半に入って先にゴールを上げたい尚志だったが先に四中工が追加点を上げる。65分に浅野君のシュートを一旦クリアーされたがこぼれ球を拾った松尾君が放ったミドルがまたも尚志ゴールに突き刺さる。 試合序盤からボランチの松尾君と国吉君は攻守に渡って良い位置に顔を出し続けていた。それがこの試合結果の要因だったと思う。
3点差を付けられた尚志ベンチは遂に負傷が完治しないエースの福永君を皿良君に替えて投入する。 盛岡商の藤村君といい選手権本番を怪我で充分にプレー出来ない選手を見ると本当に胸が痛くなる。そんな選手こそどんな形で良いから将来本当に幸せになって欲しいと思う。
ここから尚志はサイドを上手く使って四中工ゴールを目指す。すると四中工ベンチはボランチの松尾君を下げて生川君を投入してサイドを固める。 そして左サイドの川本君からボールを受けた浅野君がドリブルで中央に切れ込み大貫君のマークを振り切り放ったショットが決まり4点差となってしまった。 
さすが四中工。組織力ありそして個人能力ありを見せつける。 
4点差をつけられても尚志だがそのキックオフからボールを繋いで金田君が送ったヒールパスを受けた山岸君が放ったシュートはクロスバーを強烈に叩く。残り時間は20分程度。4点差をつけられても次のゴールを狙う姿は高校スポーツのいい所だと想う…
だから次のゴールは尚志が…と思った。

尚志高校が福島県勢としては史上初めて準決勝に進出した事と被災地であったことを結びつけたがるマスコミだけど例えそれが復興の全てに繋がる事ではないが。彼らの躍進に力を貰った被災者は少なくないだろう。 
そして試合終了後尚志高校の選手が四日市中央工のロッカールームを訪れ自分達のベンチに飾っていた“志”の文字の千羽鶴等を手渡し決勝戦での健闘を願ったシーンがテレビで紹介された。涙が出そうなシーン。高校スポーツの素晴らしい一面だった。



大会後朝鮮日報に下記の記事が掲載されているのを見つけた。

サッカー:日本の高校選手権決勝に4万人超
地区予選には4174校、15万人の高校生選手が夢見る「冬の国立」

「ベストを尽くす姿に感動」

韓国はわずか137チーム
 韓国代表と日本代表によるサッカー韓日戦がしばしば開催される東京・国立競技場には9日、4万3884人の観客が集まった。定員5万5000人の観客席がほぼ埋まったこの日の試合は、日本代表の試合でもなければプロチームの試合でもない。第90回全国高校サッカー選手権大会の決勝戦だ。
 韓国より暖かいとはいえ真冬に開催される高校チームの試合を、入場料3000円を払って見に来た観客たちは、高校生が死力を尽くしてプレーするたびに一斉に息をのみ、歓声を上げた。高校サッカーだけにミスもたびたび見られたが、日本人たちは全く異なる目でこの試合を見ているようだった。特に、終了直前の劇的な同点ゴールに続き、延長戦で逆転ゴールが飛び出すというドラマチックな幕切れを迎えると、スタンドのあちこちから「やはり高校サッカーは予測がつかなくて面白い」「90回という歴史にふさわしい名勝負だった」という声とともに、拍手喝采が沸き起こった。
 この日の試合は、千葉県の市立船橋高校が延長戦の末に三重県の四日市中央工業高校を2−1で破った。会場で会った韓国高校サッカー連盟のチョン・ウンシク理事は「驚いたという以外に言葉が出ない」と語った。韓国からやって来た高校サッカーの関係者約20人も、韓国の高校サッカーとの大きな違いに「信じられない」という表情を見せた。韓国の高校サッカーは、選手の親や出場校の生徒以外、ほとんど注目する人がいないからだ。ある指導者は「昨年8月に韓国代表が日本に0−3で敗れたときよりも、きょうの方が衝撃的だ」と語った。
■日本全国の4174校が地区予選に参加
 1917年に初回大会が開催され、今年で90回目を迎えた日本の高校サッカー選手権は、毎年12月30日に開会式が行われ、全国各地の代表校48校がトーナメント方式で優勝を目指す。大会は、最高の権威を持つ「選手権大会」の形で行われる。日本の行政区域である47都道府県から、代表校が1校ずつ(東京は2校)地区予選を経て選ばれる。今年の大会には日本全国から4174校が参加した。参加校のサッカー部員を全て合わせると15万人に達する。つまり、1月に国立競技場で行われる高校選手権の決勝でプレーすることを、日本全国の15万人の高校生選手たちが夢見て、日々練習に励んでいるのだ。
高校サッカー選手権が「冬の国立」と呼ばれるのもこのためだ。高校サッカーの熱気と人気は、感激の涙が流れる「夏の甲子園」こと全国高校野球選手権にも全くひけを取らない。高校サッカー選手権の決勝戦は平均観客数が4万人以上、決勝以外の試合でも平均2万人ほどが試合を見に訪れる。これは、日本のプロサッカーにも劣らない数字だ。全国大会は全試合がテレビで生中継される。この日の決勝戦は日本テレビで放映され、視聴率は6%だった。公式スポンサーにはトヨタ、コカ・コーラ、プーマなどの大企業6社がついている。
 毎日新聞スポーツ専門記者の斉藤雅春氏は「日本人は、実力が不完全でも、高校生がベストを尽くして奮闘する姿を見るのが好きだ」と語った。これには、就職などのために故郷を離れた首都圏在住の地方出身者たちが、後輩たちを応援しながら故郷に思いをはせるという情緒も大きく作用しているという。韓国も1980年代半ばにプロサッカーとプロ野球が発足するまでは、同じような光景が見られたが、日本は依然としてこうした伝統を大切にしており、今や世界的にも珍しいケースとなった。
■韓国と日本のスポーツの「真の違い」
 この日会った韓日両国のサッカー関係者たちは、互いに驚いた様子だった。韓国には高校チームが137チームしかないと話すと、日本サッカー協会の関係者は「本当なのか? そんな状況でなぜ韓国代表は実力が高いのか」と驚いた。一方、韓国の関係者は「高校チームだけで4000チームを超えると聞いて、とても信じられなかった」と語った。
 韓日の高校サッカーの違いは、まずサッカー部の構成の差にある。今大会に参加した48校のサッカー部の平均部員数は80人ほどで、中には140人という高校もある。韓国が30人前後の少数精鋭で「プロチーム」のように運営されているのに対し、日本では趣味のサークルのように活動しているチームも少なくない。高校時代にサッカー部で活動し、大学受験を経て名門大に進学する生徒も多い。日本の高校選手権が冬に開催されるのも、生徒たちの学習する権利を保障するために、授業のない冬休み期間を利用するからだ。こうした日本のやり方は、競技力の向上という点では効率性に欠けるが、サッカーや野球などのスポーツの底辺を拡大するという意味では効果がある。日本では、このように厚い底辺を基盤としてプロスポーツが発展する。韓国も最近、サッカーや野球などを中心に小・中・高校別のリーグ制を導入するなど、変革を試みているが、依然として練習だけに集中し、選手に全く勉強をさせないチームが少なくないのが実情だ。
今でも韓国には“4強制度”が残っているのだろうか??
指導者から見ても大分高校の朴英雄監督の様に日本の高校生を指導する方が結果のみを求められ、高校生の行く末を心配する母国よりもやりがいがあるのではないか?
前に日本の高校に“野球留学”に来る韓国人高校生のドキュメンタリーを見た。そして彼らが言っていた。
“韓国で高校野球を続けていたら野球選手になるしかない。日本だと色々な職業を選択できる。日本語を勉強して将来に生かしたい。”
この記事、ドキュメンタリーを見て自分は日本に生まれてよかったと思った。

これから日本のサッカーを背負うであろう1人中京高校1年生の宮市剛君が最後の号泣していた
“先輩ごめんなさい。もっと一緒にやりたかったです。”こう云うシーンは日本以外では見られるのだろうか?



決勝戦に続く….( 誰も見ないか?)

強豪対決制して市立船橋9大会ぶり5度目の優勝  市立船橋 2-1 四日市中央工

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あと4分で試合は終わるはずだった。今度こそ,あと少し市立船橋の猛攻を凌いで四日市中央工の単独優勝…と感じ始めた人もいたのではないか…
86分から市船左SBの鈴木君がトップに残る時間が長くなる。87分、四中工の生川君がベンチに下がり川島君が投入される。出場停止の主将、国吉君に替って起用された生川君はベンチ前で泣いている。3年生の生川君、この試合を最後にスパイクを脱ぐらしい。最後の公式試合でスタメン出場出来て良かったなぁと思った。
88分11秒、右サイドに回った市船杉山君が入れたクロスの米塚君を越えてファーサイドに走り込んだ188cm長身の岩渕君がヘッドを撃つが1年生GK中村君が弾き出す。88分50秒には市船、途中出場の池辺君が左SB藤山君と縺れながら粘ってCKを得る。
そのCKはクリアーされるがこぼれ球を繋いだ市船はもう全員が四中工ゴール前に雪崩込む。そして2年生の渡辺君がドリブル突破を見せるが四中工DFで唯一3年生の西脇君が何とかCKに逃れる。
CKの度に市船応援団から沸き上がる“ゴール、ゴール、ゴ〜ル、ゴール、ゴール、ゴ〜ル、ゴール、ゴール、ゴ〜ル、ゴォ〜〜ル !!”
のボルテージがもう悲鳴に近い。男女共学高校なので女子生徒の声が目立つ。 男子校出身の私はその度に、
“とめよ。GKとめろよ。決めさすなよ。”と呟く。



四中工ゴール前には市船の選手が8人、9人の四中工のフィールド選手とGKが犇めく。恐らく最後のプレーか、もうワンプレーあるかなぁ、と思った。
そして入れられたCKがゴール前に落ちる、その混戦の中から一瞬早くボールに触れたであろう和泉君の脚でそのボールを四中工ゴールに蹴り込みまさに起死回生の同点ゴールが生まれた。



狂喜乱舞する市船の選手達そしてベンチ。スタンドでは抱き合って泣いている部員も。3年生かなぁ….
そして四中工ベンチ付近で待機していた主将の国吉君の呆然とした表情が映し出された。あと少しだったのになぁ…



“大丈夫。まだある。あだあるぞ。まだあるから….” 画面の四中工選手達にこうつぶやいた。
そして再開されたキックオフ後、またも市船がCKのチャンスを掴む。91分58秒になっていた。ロスタイムは2分だったけどゴールシーンがあったのでもうワンプレーあるかな..と思った。 池辺君からのCKが和泉君に渡る。しかしここは西脇君がクリアー。
そして四中工ベンチはFW田村翔太君を下げる。あぁ大会6ゴールの彼を下げるのか…と思うと投入されたのは3年生の金平君。同点に追い付かれたのは残念だったけどそのおかげでベンチの3年生に出場機会が回って来たことに“3年生、良かったなぁ。”と呟いた。
92分58秒、渡辺君と杉山君のパス交換で市船は四中工ゴールに迫るがここは藤山君がコーナーに逃れる。“ゴール、ゴール…” の声援を受けて入れられたCKはクリアーされて48分25秒、木村主審の長い笛が鳴り響き勝敗は延長戦以降の委ねられることに。
四中工DF陣、必死に頑張ったなぁ〜。でもあと少しやったのになぁ〜…



6年前に滋賀県の野洲高校が優勝を果たしてから以降優勝校は全て初出場。しかし今大会は共に優勝経験のある高校の決勝戦となった。
四日市中央工を初めて見たのは38年前の昭和48年大会だった。 1回戦で当時強豪だった神戸高校と対戦して 1-2 とリードされていた。試合終了時間が近づきアナウンサーは神戸高校相手に四日市中央工はよく戦ったと彼らの“健闘”を称え出した。そして当時から指揮を執っていた城監督の“オフサイドも知らない選手を集めてチーム創りを始めた”という苦労話も話していた。小学生だった私もオフサイドの意味は知らなかった。
しかし試合終了直前に四日市中央工は同点に追い付き、“勝敗はPK戦に。”とアナウンサーは言った。
前年度まで同点で終わった時は“抽選”によって次のラウンドへの進出校を決めていた。だからPK戦とは何だろう?と思った。
そのPK戦で四日市中央工は神戸高校を降し、続く本郷高校(東京)もPK戦で制し準々決勝に進出。 秋田商を今度は 3-0 で降し準決勝に駒を進めた。そこでは準優勝した藤枝東高校に 0-2 で敗れたがこの躍進で高校サッカー界に名を知らしめることに。
翌年も選手権出場を決めたがここでは初戦で優勝した帝京高校にPK戦で敗れた。
次に選手権出場を果たしたのは3年後の昭和52年度大会。前年度の準決勝戦で激突した、帝京と浦和南が準決勝に残り決勝戦はその再現かと見る人が多かった。帝京は北陽を降し決勝進出を決めたが前年度の覇者で後に日産自動車、日本代表で中心選手となる水沼を擁する浦和南の前に立ちはだかったのが今の四中工監督の樋口士郎そして今年から横浜Fマリノスの指揮を執る樋口靖洋兄弟を擁する四日市中央工。2-1で勝利を収め戦後初めての大会3連覇の期待がかかった浦和南を抑えて決勝進出を果たした。
決勝戦では前年度でも中心選手だった早稲田、2年後のワールドユース代表メンバーとなる金子、名取、宮内らを擁する帝京に 0-5 で敗れたがこの時は準決勝で浦和南を破った事が印象的だった。
以降ベスト8が3回 ( 1978, 1986, 1988 年度 ) ベスト4が2回 ( 1983、1987年度 )を含め1985年度大会では後に古河電工、ジェフ、名古屋でプレーした阪倉を擁して決勝に進出するもGK真田を擁する清水商業に 0-2 で敗れまたも優勝を逃した。南宇和( 1988 ) 国見 ( 1986, 1987 ) 清水東 ( 1983 ) と強豪校との対戦に屈すると言う印象も持った。
しかし遂に1991年度には小倉隆史、中田一三そして中西永輔を擁し進出した決勝戦では終了直前に小倉の伝説のダイビングヘッドで同点に追い付き帝京高校と優勝を分け合った。



既に4度の優勝を果たしている市立船橋高校の初出場は1985年度。 
その数か月前の夏のインターハイ5000mで優勝し12月の全国高校駅伝1区で区間賞を取ったのが当時市立船橋高校2年生の仲村明。この頃大学生だった私は陸上競技選手でこちらの方で先に市船の存在を知り年末に行われた全国高校サッカーに出て来た市立船橋を見た時は“あぁここはサッカーも強いのか。”と言うのが印象。
初出場の時は2回戦で五戸(青森)に敗れたが以降連続出場を重ね1987年度には準決勝に進出し昭和の最後の大会となった1988年度は遂に決勝進出を果たした。決勝戦は清水商に 0-1 で敗れたがこの決勝戦はかなりハイレベルであり(そういう人は当時多かった。)五輪もワールドカップも遠かった日本代表にこの世代が入ってくると世界への挑戦権を得られるのではないか?と期待させられた。
参考までに上述した仲村明は後に順天堂大で箱根駅伝で優勝し、実業団に進んでからはバルセロナ五輪の3000mSCに出場した陸上選手としてだけでなく指導者となっても母校の順天堂大を箱根駅伝で優勝させる等誰もが羨む戦績を残している。
更に現早稲田大学競走部の渡辺監督も市立船橋出身。
市立船橋高校はサッカー部が平成に入り4度の選手権制覇を収めているが他のスポーツでも陸上をはじめ多くが全国クラス。だからせめてサッカーは四日市中央工に勝たせたいと思った。それに男子校に通っていた私はどうしても彼らに肩入れしてしまうのだった。
選手権では出場する度に上位に進出するのだが1993年度は我が郷土からやってきた高槻南が2回戦でPK勝ちを収めてくれた。
この時は本当に嬉しかった。 参考までに?愛する京都サンガでプレーする中村太亮、昨シーズンまでプレーていた加藤弘堅、そして柏に移籍した増嶋竜也は市船のOBだ。他にも多くのJリーガー達が四中工、市船の卒業生だ。

前日までの寒風は収まり快晴となった3連休最終日の1月9日。気温は8.8% 湿度35% の絶好のコンディション。公式観客数は43,884人だった。80年代には6万人入る事もあったが相変わらずすごい人気だ。
20年ぶりの優勝を狙う四日市中央工の不安は小倉隆史以降エースナンバーとなる17番を背負うボランチ国吉主将が累積警告で出場停止であること。準決勝の尚志高校戦でも攻守に渡って勝利に貢献していた。攻守のキーマンの穴はなかなか埋め難いと思った…..
スタメン注目の田村翔太君と浅野君を含めた11人中8人が1,2年生。DFラインはCB西脇君以外が1,2年。GK中村君は1年生。
一方の市立船橋は準決勝戦からスタメンを2人替えて来た。 池辺君に替えて杉山君が中盤の左に入り、菅野君が磐瀬君に替って2列目右に起用された。 フォーメーションは 4-3-2-1 。2007-08 のシーズンで UEFA Champions League で優勝したAC Milan を思い出す。試合中にどういうポジション取りをしてくるのだろう…と思うと現場で見て見たかったなぁとも思う。しかし寒いしなぁ…

両校校歌演奏に続いて市船のキックオフで始まった決勝戦はその直後に右SB川本君のロングフィードが寺本君に渡るり、粘った寺本君がCKを得る。 高木大樹君が入れたCKに西脇君が鈴木君と競りながら落としたところを田村翔太君がシュートを放つ。これはGK積田君がセーブするがこぼれ球に詰めた浅野君が市船ゴールに押し込み四中工に先制ゴールを齎した。これで浅野君は今大会7得点目で単独トップに。まだキックオフから1分も経過しない時間帯であった。



先制した四中工は出だし良くまたリズムよくボールを回す。 13分には川本君からパスを受けた寺尾君が市船DF2人をかわして中央の浅野君にボールを送るが2年生CB種岡君が何とかクリアー。立ち上がりは先制ゴールの様に右サイドをSBの川本君と2列目の寺本君で突破をはかるシーンが何度かあった。 そして相手DFの裏に2トップの田村翔太、浅野の両君が走り込み、また川本君(右)藤山君(左)の両SBも押し上げが早く、その度に2列目の寺尾君(右)と田村大樹君(左)が中を絞るのでこぼれ球もよく拾えていた。何といっても2トップのドリブルは非常に驚異また脅威であった。
先制ゴールを喫した市船は鈴木君(左)米塚君(右)の両SBが徐々に上がってくる様になりリズムを掴みかける。25分を過ぎると中盤でもボールが回るようになり四中工はなかなかシュートに持ち込めなくなるが市船エースの和泉君にはしっかりと生川君がマークに着く。国吉君が出場停止で出場機会が生川君に巡ってきたがこの試合が県大会から通じて初のスタメン出場だったらしい。
準決勝戦まで9得点中6得点がセットプレーからという市船はCK時に選手がかたまりCKが上がった瞬間に選手がポジションにさっと散る方策を取るがこれが見ていて面白い。しかしワントップ長身188cmの岩渕君にクロスが入っても1年生GK中村君が果敢に飛び出しゴールを許さない。30分を過ぎるとこの日スタメン起用された杉山君の立ち上がりはむしろ彼のポジションを狙われていた様に見えたがドリブルが目立ち始める。堅守速攻が持ち味の市船であるが四中工3年生の西脇君、生川君に統率されたDFライン、ボランチは失点を許さず樋口監督が“100点満点の出来”と称賛した前半が終わった。 

両チーム選手交代ないまま四中工のキックオフで始まった後半の最初のシュートは49分28秒市船米塚君のクロスを受けた菅野君のシュートだった。このシュートはクロスバーを越えたが前半30分頃から主導権を握り続ける市船の攻勢で後半も始まった。
2列目の和泉君と菅野君が左右にワイドに開きそのスペースに杉山君、松丸君そして渡辺君の3人が押し上げて来て数的優位を造り続ける。時折和泉君が下がって来てボールをキープしそこを起点に次の攻撃に転じる。
それでも四中工DFラインは西脇君を中心にしっかりと守り失点を防ぐ。
四中工は先制をしたが30分過ぎから2トップの田村翔太君と浅野君のドリブルだけが頼りになってくる。しかし市船の3列目の3人は戻りも早前線にボールがなかなか入らない。2年生CBの小出君も次第に浅野君のスピードに慣れて来たかタイトなマークで容易にボールを持たせない。



それでも61分13秒には川本君が中央やや左からゴール前に入れた所に田村翔太君が小出君と競りながら飛び込むがGK積田君がクリアー。その後も四中工は右サイドから攻勢に出て主導権を奪い返すかと思われた。 だが69分に市船ベンチは菅野君を下げて準決勝の大分戦でスタメン起用された池辺君を投入する。 72分には右からのクロスに岩渕君がヘッドで狙うがGK正面に。 その直後にも杉山君が中央をドリブル突破。生川君と西脇君を引きつけ右に流れた岩渕君に送ると藤山君がマークに入る前に放たれたショットはポストの左に僅かに外れた。70分を過ぎた頃から四中工はもう防戦一方となって来る。76分、岩渕君が西脇君と競り合いながら四中工に迫るがここはこの日5つ目の市船CKに。CKの度に市船応援団から“ゴール、ゴール…” の大声援が後押しをする。
78分米塚君のクロスが四中工DFに当たりCKに。そのCK から松村君がヘッドを撃つがポストの左に僅かに外れる。CKになると長身の岩渕君にマークが気を取られるがキッカーの杉山君も良いボールを入れて来る。四中工DF、1年生GK中村君は必死に市船の攻撃を跳ね返すがこぼれ球をその度に拾われてまた守勢にまわる。
84分21秒、市船の攻撃を防ぎ一転田村大樹君がドリブルでどんどん突破して最後は中央やや左からドリブルシュートを放つが弾道はGK積田君にまっすぐ収まる。 右サイドで田村翔太君が完全にフリーだった。こちらに出しておれば試合は終わっていたかもしれない…しかしあの場面ではピッチの声は聞こえないか….
その直後にまたも杉山君がドリブルシュートを放つがこれは1年生CB坂君がクリアー。 試合時間はあと5分を切った。何とか四中工逃げ切れないかなぁ〜と思い始めた….

延長戦に入っても市船の勢いは止まらなかった。残っているスタミナを考えると長身の岩渕君のいる市船が有利だ。ロングボールを彼に放り込んで来る。開始早々ロングフィードが岩渕君に入り落としたところを池辺君が放ったショットはGK中村君がストップ。91分28秒には今度は岩渕君はドリブル突破を見せ杉山君のシュートを引き出すがここは西脇君がマークに入りコーナーに。そのCKから岩渕君が放ったシュートはDFがクリアーする。


 
延長戦に入っても劣勢続きの四中工だったが延長後半に浅野君が相手DFが一瞬重なりボールがこぼれた所を見逃さずこぼれ球をかっさらいドリブルシュートをやや右から放つがGK積田君が後ろに下がって弾きだす。 攻撃参加していたCB西脇君が大声を出して選手達を鼓舞する。さすが3年生だ。
猛攻がゴールに繋がらない市船ベンチは102分39秒に杉山君を下げて2年生の宇都宮君を投入した。杉山君のドリブルは冴えていたんだけど…この交替で恐らく渡辺君が左に回って来て宇都宮君が右に入ったのではないかな…
その直後に今度は四中工、金平君が浅野君にナイススルーを送るが小出君がクリアー。 3年生の金平君から2年生の浅野君にメッセージが込められたスルーパスか。そしてこの試合何度もマッチアップした小出君も2年生。これから何度か直接対決だあるだろう….てな事を考えていたら渡辺君が左サイドでクリアーボールを受け前線の中央やや左の宇都宮君へ。そこに川本君がマークに入るが右後方から左前に走り込んだ和泉君にスルーパスを通す。踵を返して川本君がマークに入るが追い付かず必死に戻った坂君がマークに付く前に放った和泉君のショットが四中工ゴールに突き刺さり遂に市立船橋がリードを奪った。
必死に守っていた四中工だったのだが…それにしてもここで決めるとはさすがエースだ、とも思った。



“まだある、あと5分。まだあるぞ….” テレビに向かって四中工イレブンに呟いた。
しかしリードを奪った市船はドリブルを使ってボールをキープする。 四中工は前線にロングボールを入れるしかない。109分29秒ロングフィードを金平君が受けるが市船DF陣に囲まれシュートが撃てない。 そして111分9秒、木村主審の試合終了を告げるホイッスルが鳴り響いた。



今年の大会も様々なドラマがあったと思う。テレビでは何度も市船のメンバー入り出来なかったスタンドで応援を続けた3年生とメンバー入りした3年生との“絆”をクローズアップする。しかし全ての出場校にベンチ入り出来ない3年生がいる。 彼らを見る度に彼らこそもっとサッカーを続けて欲しいと願うのである。 多くの高校3年生がもう夏前に引退を決める。 レギュラーでない3年生なら尚更そうだ。それは何も悪い事でも非難される事でもない。 だがそういう3年生が応援に来ることもチームの総合力の表れだろう。
選手権に出られなかった高校生達の多くがこれからも競技を続けるだろうが彼らは選手権に出られなかった事がまたバネになるだろう。
今大会のポスターに採用された SC Schalke04 の内田(元清水東)は静岡県大会を勝ち抜けなかった。
私は息子に“インターハイなんかには出られなかったけど大学時代はここ(国立競技場)で全国大会に2度出たんだぞ。”と云ったら
“何度も聞いたよ。”と云われてしまった。そうだった。彼はもう高校生だ。小学生の時から云い続けていたんだよなぁ….

J-League が発足しクラブチームが充実し今や全国高校サッカー選手権大会はこの年代の最高の大会ではなくなったらしいがそれでも
“高校生”の大会は色々な事を思い出させてくれる。
3月に行われるゼロックスサッカーの前座試合で高体連選抜チームとJ-League U-18 選抜チームとの Exhibition Match がある。
今年は見に行こうかな…3月なら暖かくなっているし。だけど花粉が舞っていない事を祈るよ。

松井大輔 Legia Warszawa 入り…..

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全国高校サッカー選手権大会が終わって非常に興味を持つニュースが飛び込んで来た。 松井大輔ポーランドの強豪クラブ入りか…
フランスの League 1 Djion に所属していた愛する京都サンガの卒業生、松井大輔が何とこの移籍市場が締まる前に出場機会を求めてポーランドの強豪チーム Legia Warszawa に移籍をする為に練習に参加をする事となったのだ。

Legia Warszawa と言えばポーランドでも屈指の強豪クラブ。1990-91 UEFA Cup では準決勝戦まですすみ Manchester United に敗れた。 1995-96 シーズンは Champions League に出場し1次リーグを勝ち抜き準々決勝に進んだ。
1970年代ポーランドサッカーが全盛期の頃は代表チームの主将を務めていた Kazimierz Deyna がLegia に所属していた。そして DF Gadocha も Legia の選手だった。しかしサッカーはどちらかと言えば LKS Lodz や Widzew Lodz のあったLodz の方が良い選手が多かった様に思う。
GK Tomaszawski ( LKS ) , Bulzacki ( LKS ) そして英雄 Boniek ( Widzew ) 。私が海外で初めてサッカー観戦をしたのがあの Legia Stadium 。競技場前にその数年間に自動車事故で亡くなった Deyna の現役時代の写真が掲示されているのが印象的だった。そして駐在していた1995年に何度も Legia の試合に脚を運んだ。
München 五輪で金メダル、モントリオール五輪で銀メダル。ワールドカップ西ドイツ大会、アルゼンチン大会、イタリア大会で上位に入る等強豪だった頃、そして駐在をしていた頃、更に最近のポーランド代表チーム。今年の EURO2012 のホスト国。
色々な思いが混ざり、Legia Warszawa にしかも愛する京都サンガの卒業生が入団するなんて本当に時代の変化を感じる。今すぐワルシャワに飛んで行きたいなぁ…

1月16日 松井大輔 キプロスに到着 
1月16日 20:30 松井大輔を乗せた航空機が Lamaca の空港に到着し、その1時間後キャンプ地の Ayia Napa 入りした。松井はここで2試合を含んだ練習に参加しチームにとってチームにとって有用な選手か見極められると Marek Jozwiak スポーツディレクターは語った。  松井大輔は 2011-12 のシーズンはフランスの Dijon に所属し、2004年に Le Mans 入団以降欧州でプレーを続けており4年後には Saint Etienne に移り2009年には Grenoble に移り Tomu Tomsk にローン移籍した。松井は日本代表にも召集されており2010年のワールドカップでは“日出ずる国”の選手の一人として4試合プレーし決勝トーナメント進出に貢献した1人である。

Season 2011/12
3 matches in Ligue 1

Season 2010/11
16 matches in Ligue 2, 1 Goal, 1 Assist, 3 yellow cards
4 matches in the representation of Japan

2009-10 29 matches in Ligue 1, 4 goals, 5 assists, 5 yellow cards
2 matches for the Cup of France, 1 goal
A League Cup match
7 matches in the Premier League
10 matches in the representation of Japan Season

2008/09 22 matches in Ligue 1, 1 goal, 2 assists, 3 yellow cards
2 matches of the UEFA Cup, 1 yellow card
2 matches for the Cup of France
A League Cup match

Season 2007/08
34 matches in Ligue 1, 5 goals, 6 assists, 3 yellow cards
4 matches in the representation

Season 2006/07
27 matches in Ligue 1, 4 goals, 5 assists, 6 yellow cards S

eason 2005/06
33 matches in Ligue 1, 3 goals, 8 assists, 7 yellow cards
1 game in the representation

Season 2004/05 25 matches in Ligue 2, 3 goals, 1 yellow card

1月16日 チームのホームページインタビューから 環境を変えたかった。Dijon でのレギュラーゲームでは問題があったので何か新しい事にトライする事を決めた。 Legia の一員に慣れる様に全てを尽くしたい。Danijel Ljuboja がいるのでクラブの事は知っていた。
なぜなら彼とは Grenoble 時代一緒にプレーしたからだ。最近彼と話した。そしてこのポーランドのクラブを絶賛していた。彼の推薦で充分だ。それで私はここに来る事を決めた。 Legia から招待を受け取った時にすぐにクラブの事を調べた。
そして現在チームは2位で Europe League にも参戦中と言う事が解った。それが私を非常に肯定的にさせた。



1月17日:Danijel Ljuboja 松井を紹介
16日に Larnaca 国際空港に到着した松井はチームに就いて多くを Raphael Janasコーチに聞いた。翌日17日には彼と話す時間はあまりなかった。朝食後我々はすぐに午前練習に向かわねばならなかったからだ。
彼は本当に良い選手だ。私達は Grenoble で一緒にプレーをした事がある。そして彼は何が出来るか話す事が出来る…
その様にセルビア人ストライカーはレポーター達にミステリアスに話した。

大輔はワームアップ中は Daniel と組んでウォームアップを行ったせいかピッチ上の練習ではお互いに理解をしあっていた。
大輔はゲーム形式の練習でも良い動きをしており Ljuboja とのコンビだけでなくMiroslav Radoviciowi とRaphael Wolski らと共にPA前に進出していた。そして何度もPA前に顔を出していた。最初のシュートはポストをやや外し、次のショットは正確にゴールを捉えクロアチア人 GK Marijan Antolović は止める事が出来なかった。Maciej Skorza 監督は手放しで喜んだ。その次のシュートもゴールネットを揺らしたがオフサイドの判定であった。

Serbia 人MFの Danijel Ljuboja は Ligue 1 のNice でもプレーしたセルビア代表歴もある。かつての同僚である彼がチームに居る事が松井にとっても心強いであろう。



1月17日:30歳のフランス Dijon 所属のMF松井大輔がクラブのテストを受ける
数日前キプロスのトレーニングキャンプで Skorza Ljuboja と Matt は長時間話し合った。
技術的にもMFとしてもウィングとしても良い選手だ。そのセルビア人選手はコーチに話した。
Grenoble 時代に僚友だったMF松井は Ligue 1 13位の Dijon でプレーするが今はポジションがない。
そして Mark Jozwiak スポーツディレクターにコンタクトをして来た。 1月17日: 松井はチームを改良しうるか?

16日 Ayia Napa でトレーニング中の Legia Warszawa に2010年ワールドカップメンバーであった日本の松井大輔が練習に合流した。これまで何人かの日本人選手がポーランドにやって来た。
2004年、Gornik Zabrze の練習にKimitoshi Nogawa が参加した。そしてそのままチームと契約をし 2003-04 シーズンの残りをこのチームでプレーし3試合出場した。翌シーズンから彼はルーマニアの FC Municipal と契約し更にカメルーンの Canon Yaound でもプレーをした。

もう1人の日本人選手は Nakaokaも Gornik Zabrze の練習に参加したが最終的には契約はせず後にイタリア、フランスそしてカナダでプレーをした。
その後 2009-09 のシーズンに Wolbrom でプレーし、何ヶ月かしてからそのDFはラトビアの Blazma SK でプレーした。

Kimitoshi Nogawa ( 直川公俊)はかつて U-17 代表にも収集された実績を持ち2009 年のシーズンから今はポーランドリーグ2部のZKSスタル・スタロワ・ウォラでプレーするらしいが今はどうしているのだろう? 
Nakaoka に就いては解らなかった。 Blazma SK のホームページは見つけたけど。上述された2人の日本人選手に就いてもっと調べて見なければ。

1981年1月下旬に来日した“ポーランド代表”チームに日本代表は 0-2, 2-4, 1-4, 0-3 と4連敗してしまう。
その“代表メンバー”には当時の中心選手、 Boniek らは全く含まれておらず若手中心の“選抜メンバー”と見られ日本協会はAマッチとは数えていないらしいがポーランドではAマッチに勘定している。
駐在時にワルシャワの本屋で見つけた記録集にもこの試合の事が記されて、 “当時はフルメンバーでなくても楽勝できたが1996年にポーランド代表は香港で日本代表に 0-5 で敗れた!! “ と結ばれていた。 
その事は当時多くの取引先の人達から言われた。更に2002年にはワールドカップ前に Lodz で行われた親善試合ではベストメンバーのポーランド代表を 2-0 で破っている。
1973年にEngland を初めて欧州地区予選で敗退させたのがポーランド。 今、ワールドカップで日本がポーランドと当たっても勝星が充分に計算できる相手だ。本当に隔世の思いがする…. 今年開催される EURO2012 に向けてどの様な強化をしているのだろう?

2010年10月 Mohamed Elsamni と言う選手が Legia のテストを受けた日本人とされている。その選手は少ししてからオランダの Deen Haag に移り結局飲酒が原因でオランダ人コーチに帰国を命ぜられたと記されている。誰のことだろう??

1月17日。 Apoel 戦に出場。
Matthias コーチは試合後下記の様に話した。キプロス国内リーグ2位の Apoel に対して我々は攻撃面で実践的な練習が出来た。
殆どの時間相手のコートでプレーする事が出来た。Cuba Kosecki の良い素質が確認出来た。そしてBart Olek , Zurek Jagiello らが良い動きを見せた。彼らに並んで日本の松井大輔らが素晴らしかった。松井は何度も非常に興味を引くプレーを見せた。
松井大輔にとってこの日の試合は練習でチームに馴染んで貰う為の機会だ。松井は明日の Aris 戦でもプレーして貰いチームに必要な選手かどうかを査定させて貰う。

1月18日:Legia Warszawa Aris Limassol を 3-1で降す。
キプロス合宿中の Legia Warszawa は Łazienkowska Jacob と Michael Wawrzyniak Gyro の2ゴールでAris Limassol を 3-1 で降した。 Aris の1点は Luke Sosin のPKによるものであった。
Maciej Skorza 監督はベストメンバーをピッチに送り出し、負傷を負ったIvica Vrdoljakaと Janusz Gol は途中でベンチに下げた。
そしてこの試合は松井大輔の最初のテストの場でもあった。 20分に“疑惑の”PKを得た Aris はLuke Sosin が決めて先制する。
その直後、Aris が主導権を握り掛ける。前半終了5分前には Aris が決定機を掴むが Legia のスロヴァキア人正GK Dusan Kuciak がナイスセーブで防ぎ前半は Aris 1-0 リードで終わった。
後半開始数分後に Michael Gyro がチャンスを掴んだがシュートはクロスバーを越えた。しかし59分に Maciej Rybus のクロスに合わせて Jakub Wawrzyniak がシュートを N’Djemie Gilbert が守る Arisゴールに蹴り込み Legia が同点に追い付いた。
74分には 後半から松井に替って投入された Rafal Wolski のアシストを受けた Michael Gyro が逆転ゴールを決め、84分には 後半から投入された Michal Feldman がPA内で倒されPKを得るとそれを Gyro が決めて 3-1 でLegia が勝利を収める事となった。

Aris Limassol - Legia Warsaw 1:3 (1:0) Goals: Lukasz Sosin 23 '- Jakub Wawrzyniak 59', Michael Gyro 74 ', 84'

Aris Limassol (first half): 29 Zoltan Kovacs - 2 Marko Barun, 3 Andrei Stepanov, 55 Maros Kimpl, 5 Dragan Radosavljevic - 30 Costas Markou, 20 Christos Charalampous, 13 Dusan Kerkez, 19 Giorgos Vasiliou - 10 Silvio Gonzalez Pulpo, 7 Lukasz Sosin

Aris Limassol (second half): 51 Gilbert N'Djema - 25 Panayiotis Ioannous, 5 Dragan Radosavljevic, 69 Carl Lomb, 77 Menelaous Aristeidou, 18 Elias Elia, 23 Andreas Theofanous, 4 Comboio, 22 Pedrag Lazic, 16 Gelson, 8 Vladan Grujić Reserve: Alberto Louzeiro

Legia Warszawa: 12 Dusan Kuciak - 25 James Rzeźniczak, 15 Inaki Astiz, 6 Michael Żewłakow, 14 Jakub Wawrzyniak - 5 Janusz Gol (81 '23rd Albert Bruce), 16 Ariel Borysiuk (81 'Daniel Lukasik 34th), 31 Maciej Rybus (81 '26th Maciej Gorski), 3 Daisuke Matsui (46 '27th Rafal Wolski (88' ninth Kamil Kaminski)), 32 Miroslav Radovic (46 '18th Michal Feldman) - 28 Danijel Ljuboja (38 '33rd Michael Gyro)

Subs: 82 Wojciech Skab, 9 Kamil Kaminski, 23 Bruce Albert, 33 Michael Gyro, 34 Daniel Lukasik, 27 Rafal Wolski, 18 Michal Feldman, 26 Maciej Gorski

1月18日Skorża監督: 戦術的な成就がなされなかった 私は大変不服だ。なぜなら120kmも移動してこんなピッチでプレーさせられたからだ。この試合で出来た事と言えばただ足元を地に付けることだけであった。当初ゲームはメインスタディアムで行われるとの事であったが何故かサブトラックで行われた。
Raphael Wolski ( 松井と交替で後半から出場 )の怪我は心配でどれだけ深刻なのかわからない。 Danijel Ljiboja も怪我が深刻にならぬように途中で下げた。私は 基本的にこの Aris との試合は満足していない。松井大輔の将来に就いて決めねばならない。

その議論に就いては頭が痛い。大輔の練習は非常に良かった。しかしその能力を実戦で見てみたい。Lokomotive Moscow Youth Team まで待っていられない。今その実戦で試して貰う機会がないが金曜日の試合で何か見つけられるかもしれない。私はもう1人ストライカーが欲しかったらもう時間がない。

UEFA European League の Sporting Lisbon 戦に向けて普遍的に強化する事を忘れてはならない。

Maciej監督は1月15日に Ajax Amsterdam U-21 チームに 3-0 で勝利を収め1月18日に Apoelu Nicosia のリザーブチームを 5-1 で破った後に日本の松井大輔をテストする場を欲していた。その攻撃的MFの45分間のテストは非常に肯定的なものであった。

1月19日:キプロスで Aris Limassol 相手に3-1で勝利しかしピッチコンディションはスキャンダラス。
Aris のカメルーン人GK BayihaN'Djema Gilbertはベンチに座り Legia Warszawa のウォームアップを凝視していた。
その視線の先には松井大輔がいた。 2人は一緒にピッチに立った事は無かったが共にフランスの Grenoble に所属していいた時期があった。松井は18日の Aris との練習試合で Legia Warszawa 行きのチケットをほぼ手中にした。彼はライバルや Maciej Skorża 監督に充分なパフォーマンスを披露した。しかし試合後は殆ど彼に就いて話す人はいなかった。

1月20日:橙緑戦(紅白戦)に参加
キプロス合宿最後の練習となった橙緑戦(紅白戦)に緑組みのメンバーとして出場した松井は背番号3番をつけフル出場を果たした。
試合は 3-1 で緑組が勝った。前半15分に橙組 Michael Gryo がPKを決めて先制するもその2分後に今度は緑組がPKを得て Marcin Komorowski が決めて同点とする。そして主導権を握った緑組は後半15分には Marcin Komorowski  が逆転ゴールを決め、その後も Maciej Gorski がゴールを決め緑組の勝利に貢献した。
この試合は松井大輔のテストとしての場としても使われた。 松井は勝利を収めた緑組のメンバーとして起用されゴールに絡む活躍をし、ボールポゼッションを高める動きを披露し、自身もロングシュートを放った。

Orange - Green 1:3 (1:1) Goals: Michael Gyro 15 '- Marcin Komorowski, 19', 55 ', Maciej Gorski 58'

"Orange": 82 Wojciech Skab - 2 Jędrzejczyk Arthur, 15 Inaki Astiz, 23 Bruce Albert, 14 Jakub Wawrzyniak - 32 Maciej Rybus, 20 James Kosecki, 34 Dominik Furman, 18 Michal Feldman, 24 Bartosz Zurek - 33 Michael Gyro

"Greens": 29 James Szumski - 25 James Rzeźniczak, 4 Dickson Choto, 17 Marcin Komorowski, 11 Thomas Kiełbowicz - 5 Janusz Gol, 16 Ariel Borysiuk - 3 Daisuke Matsui, 27 Rafal Wolski, 22 Alexander Jagiello - 9 Kamil Kaminski (31 '26th Maciej Gorski).

Legia Warszawa には代表に召集されている選手も少なくない。何と言っても中心は35歳のベテラン DF Michael Rzeniczeak 。
ワールドカップも2002、2006年大会に代表メンバーとして出場している。
更に DF Kommorowski, Wawrzyniak, MF Gol, Maciej Rybus, Zewlakowa, Borysiuk, FW Kucharczyk らが代表に召集されている。この中から何人EURO2012メンバーに選ばれるか… 194cm 長身正GK Dusan Kuciak はスロヴァキア代表GKでもあり2010年ワールドカップメンバーだったがこの時は第3GKだった。こうして見ると結構面白いチームだと思う…

 



1月20日:松井大輔将来を決める。
紅白戦(オレンジ、緑戦?)は良い出来であった。出場した選手達はみなベストを示した。
Antalya 行きのフライトはまだ空席がある。ワルシャワに残る選手手、トルコに行く選手は今日20日にわかる。
週末はフリーで月曜日にŁazienkowskaに集合しグループ分けを行う。その際に Machowski 医師のメディカルチェックにパスをした日本の松井大輔と将来に就いて話し合う予定だ。
松井とはコーチ達ともあって貰って最終的な決定を決めるであろう。大輔はフランスで数シーズンを過ごした事があり日本代表でも何試合もプレーした事のある大変興味のある選手だ。

1月20日: 松井に就いては何も無い
Matt Skorza コーチは松井大輔の Legia Warszawa での将来はまだわからない、と語った。
彼は経験を積んだ選手で興味がある。今はそれ以上のことはその日本人選手に就いては何も言えない。
キプロスキャンプで2試合の練習試合と紅白戦を終えても松井はまだチームに帯同している。

1月22日 Dijion は Coupe de France ベスト16進出を伝える報道があった。松井は“ベンチ外”と云う“扱い”らしい。 Legia Warszawa のホームページを連日覗くがまだ松井と正式契約したという発表はなされていない。サポーターからの書き込みにはチームは一体何をしているんだ…との批判が相次ぐ。
中には“ Matsui のTシャツを早く発注したいのに”という業者らしきサポーターからの書き込みも。

そして地元紙も松井獲得の可能性には決して青信号を示していない。

私はこの議論には頭が痛い。彼はトレーニングでは大変良かった。しかしもっと手応えのある相手で彼の能力を見たかった。水曜日の Aris 戦の後で Maciej Skorza 監督はこう語った。 今やもう彼はそこにいない、そして Legia には戻って来ない可能性もある。なぜならもうテストの場もそれから獲得の資金も無いからだ。
Skorza監督は皮肉を持って “選手達が脚を折らなかった事に満足している。泥のひどいピッチコンディションで Aris とプレーしたが戦術に関しては問題にもならなかった。 Legia はこれまで Ajax のユースチーム(これには松井はプレーしなかった) APOEL との誌試合では松井は45分プレーした。しかしこんなピッチコンディションでプレーした Aris 戦はものの数にも入らない。 27日金曜日には Lokomotive Moscow のユースチームとの対戦か実現せねば紅白戦を行う予定である。 次のトレーンングキャンプはトルコで行われる予定であるがそこでトゥルクメニスタン代表と Steaua Bucharest との親善試合が組まれているがもう松井はそこにはいない。 
2年前に董方卓はその様にテストが出来たのだけど。
その上 Dijon で払われていたであろう€25,000から€35,000 ( 250万円〜350万円)と言われている月給を捻出出来るだろうか?
確かに Legia はManu, Kostiantyn Machnowskiego そして Moshe Ohayon らを放出し資金は浮いているだろうが。

Skorza 監督はセルビア人ストライカー Danijel Ljuboja のパートナーを探しているが松井はゴールを量産するというストライカータイプというより技術をピッチ上に披露するタイプの選手だ。

元中国代表の董方卓は2010年に少しの間だけ Legia Warszawa に所属した。
1月31日に Legia はルーマニアのかつての欧州王者 Steaua Bucuresiti との親善試合が組まれているらしい。
Steaua と云えば私が欧州のクラブチームで最も好きなチームだ。
Legia vs Steaua 。こんなに私を興奮させる組み合わせがあるだろうか。
そこに松井がプレーをする事は出来ないのだろうか….

そして2月から再開する UEFA European League に松井が出場する事を願ってやまないのだが松井大輔は果たしてLegia の一員となるのだろうか…

Daisuke Matsui の去就は….

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今年に入り松井の去就から目が離せない。アメリカの松井も欧州の松井も。
ネットニュースで下記の記事を見つけた。

松井、レギア・ワルシャワ移籍の可能性高まる? FWコケの交渉破談
SOCCER KING 1月24日(火)13時14分配信

ポーランドのレギア・ワルシャワの練習に参加したディジョンの日本代表MF松井大輔が、同クラブに移籍する可能性が高まったと、ポーランドメディア『sport.pl』が報じている。

ワルシャワは、松井と同じく練習に参加していたスペイン人FWコケの獲得を検討していたが交渉がまとまらず破談に。同紙によれば、コケとの交渉が不調に終わったことで松井獲得の可能性がさらに高まっているという。ただ、金銭面がネックとなっているため、移籍実現のためにはこの問題を解決する必要があるようだ。

レギア・ワルシャワは国内リーグで8度の優勝経験を誇る強豪で、今シーズンも17試合を終えて2位につけている

今週に入り現地での報道は下記の通りだった。 

1月23日。 Koke は Legia と交渉を始める。
Legia Warszawa は今月末日で Rayo Vallencano との契約を終える28歳のスペイン人ストライカー Sergio Contreras Pardo “ Koke “ と交渉する事を確認した。
2010年ワールドカップに出場を果たした日本代表選手は Legia にやってくるのだろうか?
Koke は契約条件を詰める為にやってくるがもしMarek Jozwiak ディレクターとの交渉で合意に達してメディカルチェックにパスすれば Sergio は Legia のメンバーとなる。

Koke は9月に Liga Espana のRayo Vallecano と契約したいが今秋は5試合しかプレーしてお有らずいずれの試合も途中でベンチにひっこめられている。 PKによる1ゴールを決めている。
それまで彼は多くのクラブでプレーした。 Malaga で選手生活をスタートし20歳の時に Olympique Marseile に移り2006年レンタル移籍で数カ月 Sporting Lisbon でプレーしそのデビュー戦の Gil Vicente 戦で2ゴールを決めたがその後はノーゴールに終わった。 そのシーズンの夏にはギリシアの Aris Thessalonoki に移り昨年の初期までプレーしたがその期間が彼のキャリアーの中で最も良い時期であった。
2011年春迄175試合に出場し38ゴールを決めた。 2011年春にアメリカMLSの Houston Dynamo に移り、9月に Vallecano と契約をした。

Legia は今冬の移籍期間中にこのスペイン人の様な選手を探していた。
もし彼との契約が締結すれば Ayia Napa での合宿に参加していた日本人MF 松井大輔とは恐らく契約しないだろう。 コーチ陣にとっての評価は高かったが財政的に2選手と契約する事は難しい。

このスペイン人選手に興味を持つのは Legia だけでは無い。 Koke は1月に2度ギリシアに赴いて Thessaroniki との契約交渉をしていた。 Koke は古巣でプレーしたいと言う願望を持っている事も隠さない。しかしクラブと彼の間には財政的な問題がありまだ契約は締結されていない。 彼には Cypros の Apoel と Omonia も興味を持っている。

そして下記の通りの報道も見られた。

28歳のスペイン人ストライカー Koke は本日23日メディカルチェックにパスをし、契約締結されるであろう。
日本の松井大輔は Legia でプレーしないだろう。
今冬最優先されるのはFW選手の獲得で、28歳のマラガ出身の Sergio Contreras Pardo Koke はチームの得点力不足を解消してくれるだろう。



しかしながら現地時間24日になると。

交渉決裂 松井入団の可能性は….

Legia Warszawa は WEB SITE でスペイン人FW Koke との契約交渉は締結にまで至らなかった事を発表した。
月曜日にその28歳のストライカーと行った交渉はまとまらなかった。

長時間に渡る交渉にも関わらず資金的な事で契約には至らなかった。
Koke はスペインにもどるであるだろう、と球団の Spots Director であるMark Jozwiak Sportsは語っている。
彼は22日、日曜日の夕方にワルシャワ入りし月曜の午後まで契約交渉の為に留まっていた。

シーズン再開まで3週間を切ったのだが Legia の攻撃陣問題はまだ解決しない事となっている。
チームの次の合宿地トルコにはふくらはぎを痛めているセルビア人ストライ会― Danijel Ljuboja は参加できない。そしてシーズン前半をアキレス腱の故障で殆ど出場できなかったチェコ人の Michal Hubnik が戻ってくる。
Matt Skorza 監督は11月に冬の移籍シーズンが解禁になると新たな攻撃陣の獲得を熱望していた。

Kokeは今 Legia が最も望んだ選手であった。確かに Koke との契約締結に至らなかった事が攻撃の問題を未解決のままにしているが、日本人の攻撃的MF松井に契約のチャンスが出て来た。

Kokeとの交渉決裂はキプロス合宿に参加し、コーチ陣の評価も高かった攻撃的MF松井との契約を近づけるものであったが、まず Legia 首脳陣は今松井の契約が 2013年迄残っている所属先のフランスの Dijon と交渉を始めねばならない。恐らくレンタル移籍の話となるだろうが、Legia は彼に(月給 3万ユーロ、約300万円)高いサラリーを支払わねばならない。確かにそれは松井や他の選手との契約交渉の障壁とはならないが、今最も欲しいのはFW選手だ。



今シーズンほぼ毎試合出場していた Ljuboja はトルコ合宿には参加せず怪我の手術の為にパリに行く。
そしてもし足の状態が良くなれば Antalya で行われているチーム合宿に合流する。

アキレス腱の故障で出遅れているチェコ人の Michal Hubnik の練習が再開されそうだ。 コーチも監督も彼の回復を認めているがもう少し時間が必要であろう。

シーズン開幕前でさえコーチたちはFW選手の増加を願っていた。それは Legia にも予想出来た事だった。
Ljuboja はワントップで起用され両サイドにチャンスを作ってもらっていた。そしてトップ下には Miroslvav Radovici が起用されていた。時折相手PA内に侵入する選手があまり多くない事があった。
Ljuboja は相手陣内深い位置に待ち構えていてボールを受けてから動きだすタイプのFWで早い動きをするカウンター攻撃の出来るFWに欠けていた、

Skorza は数日前には“故障をしている選手はいつ戻ってこられるか解らない。我々は解決策を考えねばならない。” この様に語っていた。
トルコ合宿ではFWのMichael Kucharczykと Kosecki Gyro の攻撃力を試す。彼らのどちらかは2月11日に行われる Poland Cup の試合と UEFA European League で起用されるだろう。 彼らはこの試合ではFWとして起用されるだろうがそれ以降は従来のウィングで起用されるだろう。誰も Sporting Lisbon の様な強いチームと対戦した事は無い。 それに.Feldman Kosecki は今シーズン、これまでベンチスタートが多かった。

1月17日に松井が出場した APOEL FC との練習試合のメンバー等は下記の通りだった。


APOEL FC - Legia Warszawa 1:5 (0:1)

得点者: Georgios Kyprianou 79' - Marcin Komorowski 40', Daniel Łukasik 57', Kamil Kamiński 71', Dominik Furman 81', Jakub Kosecki 83'

APOEL FC: Anastassios Kissas - Andreas Christofidis, Chrístos Gavrilidis, Andreas Themistokleous, Iakobos Theofilou, Evgenios Antoniou, Diogenis Sergidis, Chrístos Konteetis, Markos Charalambous, Pantelis Vassiliou, Kyriakos Vassiliou

Legia Warszawa: 82. Wojciech Skaba (43' 1. Marijan Antolović) - 2. Artur Jędrzejczyk, 17. Marcin Komorowski, 4. Dickson Choto, 11. Tomasz Kiełbowicz - 23. Albert Bruce (43' 35. Daniel Łukasik), 34. Dominik Furman, 20. Jakub Kosecki, 3. Daisuke Matsui (43' 22. Aleksander Jagiełło), 24. Bartosz Żurek - 26. Maciej Górski (43' 9. Kamil Kamiński)

その他のベンチ入りした選手: 1. Marijan Antolović, 22. Aleksander Jagiełło, 35. Daniel Łukasik, 9. Kamil Kamiński

松井はFW、ストライカータイプの選手ではないが攻撃的な能力の持った選手だ。もし金銭面の問題が許すなら損はさせない選手に違いないと思う。今月末迄には松井入団の情報が入ってくる事を祈る。



日本代表選手達の情報が続々と入る。

阿部レスター退団!!浦和VIP合流へ 1月24日(火)

イングランド2部のレスターは23日、日本代表MF阿部勇樹(30)の退団を公式サイトで発表した。阿部は1年半ぶりの浦和復帰が目前で、30日まで行われる浦和の宮崎合宿を免除されることが分かった。
阿部はこの日早朝、ロベルト佃代理人とともに帰国。「浦和とは契約の細部の詰めを残すだけ」と関係者が説明する通り、年俸1億円の3年契約を提示している浦和側と最終交渉に突入した。クラブ側は25日にも大々的な復帰会見を行う手はずを整えた上、VIP合流を認めた。チームはこの日から宮崎県内で1次キャンプを開始したが、リーグ戦真っ最中の英国から帰国したばかりの阿部には約10日間の休暇を与える方針を固めたという。鉄人ボランチは、来月の第2次キャンプから雄姿を見せる。

ヴォルフスブルクが長谷部を放出か 1月24日(火)

ヴォルフスブルクの日本代表主将、MF長谷部誠(28)が、クラブから放出される可能性が浮上した。23日発売のドイツの専門誌キッカーが報じた。
長谷部はリーグ再開となった21日の1FCケルン戦(ホーム)でベンチ外。同誌によれば、長谷部とMFジョズエ(32)、MFポラク(30)が放出要員として検討され、現在はポラクが競争相手を押しのけて残留に一歩近い状態。クラブを去るのはジョズエか長谷部だと伝えた。
長谷部のクラブとの契約期間は2014年6月末まで。08年1月に浦和から加入し、08〜09年季にはリーグ初優勝に貢献。今季は本来のボランチ以外にも右サイドバック、右MFなどで起用されリーグ19試合中14試合に出場している。

CSKA本田、ラツィオ移籍秒読み…伊紙が報道 1月25日(水)
 
CSKAモスクワのMF本田圭佑(25)のラツィオ移籍が秒読みとなったと、24日付のコリエレ・デロ・スポルト紙が報じた。18日にモスクワで行われたクラブ間交渉では金銭面で折り合わなかったが、その後に双方が歩み寄り、一両日中にも移籍が成立する可能性が高いという。 最初の交渉で、ラツィオは半年後の完全移籍のオプションが付いた期限付き移籍で、レンタル料と移籍金の総額1200万ユーロ(約12億円)でオファー。CSKA側は1600万ユーロ(約16億円)を要求したためまとまらなかったが、同紙によると、その後に両者が譲歩。最終的に1400万ユーロ(約14億円)で成立する可能性が高いという。

さらに同紙は、かつてローマなどで活躍した元日本代表MF中田英寿氏らと比較して、トップ下からボランチ、FWまでこなせる本田の多才ぶりを絶賛した。「ラツィオ本田」誕生がいよいよ現実味を帯びてきた。



REDSサポーターの息子が何よりも喜ぶのが阿部の復帰だ。これで一気に優勝を狙える…彼はそう思っている。

セルジオ越後氏が最近専門誌にこう述べていた。
Jリーガー達の欧州進出も考えないといけない。欧州に渡る時は移籍金が発生せず日本に帰ってくるときには移籍金が発生する。
槙野がその例。槙野の日本復帰自身は出場機会を得ると言う意味で悪い事では無い。しかしこれではチーム経営が成り立たない。全く以ってその通りだ。 移籍金が発生しないから一応契約する。 そしてまた日本に返せば移籍金が入る…..

完全にJ-League は舐められているのか….. 10年ほど前あるアフリカからJ-Leagueにやって来た選手が言っていた。

“J-League はもう確立されたリーグ。ここでの成功が既にサッカー選手としての成功だ。”

まだ欧州の移籍市場が天文学的数字が並ぶ少し前の時代だったか….

松井よ、もし所属先が見つからなかったらいつでも古巣に帰ってこい。 そう古巣の京都サンガに。

五輪予選後半戦開幕を前に Olyroos の正念場 1

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いよいよ来週からロンドン五輪アジア地区最終予選の後半戦が始まる。
12カ国を3組に分けたアジア地区予選は北京五輪に出場した日本、韓国がそれぞれ首位を行くがオーストラリアは3戦3分けでグループ3位となっている。まだ3試合を残しているが日本同様これからアウェーの2連戦に臨む Olyroos は今や崖っぷちとまでは行かないがもうすぐそこに崖が見えているという立場だろう。

Vidmr 監督 U-23 代表チームを発表

オーストラリア五輪代表 Olyroos の Aurelio Vidmar 監督は2月5日のロンドン五輪アジア地区予選のウズベキスタン戦、22日のUAE 戦に臨む20人の選手を発表した。その中にはAdelaide United のDF Antony Golec そしてMelbourne Victory のMF Isaka Cernak らがこの五輪予選で初めて選出され、ハムストリングの負傷で五輪予選には招集されなかったBrisbane Roar のMF Visconte がその負傷から完治し初選出された。
しかし Sydney FC のMF Terry Antonis は最終的なメディカルチェックにパスせずバックアップメンバーの Central Coast Mariners の Mustafa Amini がチームに入った。
更に特筆すべきは2010年 AFC-19 準優勝の立役者で昨年の FIFA U-20 にも出場したチェコ共和国 FK Mlada Bolesav でプレーする Kerem Bulut が選出された。
他の海外組に就いては Aaron Mooy ( St Mirren ), Tommy Oar ( FC Utrecht ) そして Matthew Leckie (Borussia Monchengladbach ) らのチーム合流は所属チーム先と協議中であるが5日のウズベキスタン戦の合流は厳しく、せいぜい22日の UAE 戦からの合流になるのでは無いかと考えられる。
殆どの選手達は1月29日にキャンプ地の UAE に出発し2月5日現地時間午後8時に JAR Stadium で行われるウズベキスタン戦に臨み、その後再び UAE に戻り22日現地時間午後5時半に Mohammed Bin Zayed Stadium で開催される UAE 戦に臨む。
そして2月16日 にドバイの Zabeel Stadium でフィリピン代表チームを招いて練習試合を行う。
今回選出された五輪代表チームのメンバーは下記の通り。

Qantas Australian Under 23s squad
GK Mark Birighitti ( Adelaide United ) Mathew Ryan ( Central Coast Mariners )

Aziz Behich ( Melbourne Heart ) Oliver Bozanic ( Central Coast Mariners ) Kerem Bulut ( FK Mlada Bolesav, Czech Republic ) Isaka Cernak ( Melbourne Victory ) Mate Dugandzic ( Melbourne Heart ) Diogo Ferreira ( Melbourne Victory ) Matthew Foschini ( Melbourne Victory ) Antony Golec ( Adelaide United ) Jason Hoffman ( Melbourne Heart ) Matthew Jurman ( Brisbane Roar ) Ben Kantarovski ( Newcastle Jets ) Daniel Mullen ( Adelaide United ) Mitch Nichols ( Brisbane Roar) Dimitrios Petratos (Sydney FC ) Sebastian Ryall ( Sydney FC ) Adam Taggart ( Perth Glory ) Rocco Visconte ( Brisbane Roar ) Mustafa Amini ( Central Coast Mariners )

Stand-by Players Bernie Ibini ( Central Coast Mariners )

アウェー2連戦を前に日本同様欧州組を招集出来ない Olyroos は20人中19人が A-League 所属の選手となった。
現在シーズン中の A-League の首位を走る Central Coast Mariners から選出されたのが3人だが他に Adelaide United, Melbourne Hearts, Melbourne Victory, Brisbane Roar から3人ずつ選出されている。最下位に低迷しているGold Coast United
からは誰も選出されなかった。
11月27日に Parramatta で行われたウズベキスタン戦のスタメンの中から MF のJames Brown 以外の全てのスタメン選手が召集された。 11月22日、アウェーのイラク戦にスタメン出場し途中で怪我でベンチに下がり次のウズベキスタン戦にはベンチ入りしなかったAziz Behich も召集された。 Aziz Behich, Antony Golec, Isaka Cernak , Rocco Visconte, Sebastine Ryan, Mate DugandzicそしてKerem Bulut ら7人が前節ウズベキスタン戦ではベンチ入りしなかった選手達。


不発を続ける Olyroos その任務を Bulut に賭ける。

翌月行われる“生きるか死ぬか”のウズベキスタン戦に、 UAE 戦を前にオーストラリアのロンドン五輪予選突破の希望は若い Kerem Bulut のチームの得点力問題を解決させるというダイスを転がす事に委ねられた。
Olyroos は最終予選3試合を終えて全て無得点引き分けとなっている。
現役時代は代表チームの為にゴールを量産した Vidomar は自分のチームがゴールに枯渇している事を終わらせねばならないと言う事をよく解っている。
“確かにイラク戦もウズベキスタン戦も相手陣内の良い位置に何度も侵入し多くの決定機を創ったがゴールを決める事は出来なかった。 出来れば我々はそのチャンスを後の試合の為に取っておきたかった。なぜならチャンスはそんなに創れないからだ。このグループの試合も僅かなゴールによって勝敗が決まっている。そして引分け試合が多い。”

恐らく我々は最初のウズベキスタン戦の前には攻撃陣の為の準備をする時間が多くは無いだろう。しかし次のUAE戦の前には第三の前線の構築の為の時間を費やせるだろう。
19歳の Bulut の召集は最大のサプライズであろうが、その才能のあるストライカーは所属するチェコのクラブ FK Mlada Boleslavでの出場機会を得る為に自身の我儘さを後ろに置いて来たのだろう。それがこのレベルでのデビューのチャンスに結びつけた。
彼は自分のハートを袖に付けてプレーする選手だ。そして大変良いプレーをする選手だ。彼はこの3週間実戦でプレーをしていないのでまずは彼の状態を見なければならないだろう。彼はゲームのキーとなり得る選手であろう。そして彼はゴールゲッターだ。 彼はU-20 のレベルではきわめてすぐれたプレーをした。そして所属先のクラブでもよくやっている。 次の2試合はまさに生きるか死ぬかの試合で、大変タフな試合となるだろう。ウズベキスタンとのアウェーゲームは決してイージーではないが私はまだこのグループを勝ち抜けると思っている。“

Olyroos の得点力不足を解消すべく Kerem Bulut がついに召集された。2010年中国で開催された AFC U-19 では決勝戦の北朝鮮戦で2ゴール(北朝鮮はジョン=イルガンの3ゴールで優勝を果たした。) 準決勝のサウジアラビア戦でも2ゴール。準々決勝戦の UAE戦でも先制ゴール。 1次リーグでも3試合で2ゴールを挙げ大会得点王に輝いた。翌年コロンビアで開催された FIFA U-20 ではチームは1次リーグで敗退したがスペイン戦で1ゴールを決めた。
翌年カタールで開催されたAsian Cup のメンバー入りも噂されたが選出はされなかった。 
Bulut の FK Mlada Boleslav 入りは前に所属していた Sydney FC のVítězslav Lavička 監督氏の推薦らしい。 
いよいよというかようやく召集出来た Bulut は Olyroos の救世主となるだろうか…..



Vidmar Olyroos との板挟みに従事

ロンドン五輪予選を突破する事がオーストラリアでどれだけ重要なのであろう?
Aurelio Vidmar 五輪チーム監督は疑う余地も無い。シーズン中に貴重な選手達を数人長期に渡って失う事となる A-League の監督達はそうでもない。確かな事は結果次第で誰がこの議論の勝者であるかを決めると言う事だ。
そして9月21日のアデレードで UAE 戦を皮切りに始まるアジア地区五輪予選B組は Vidmae のコーチ歴にとって大きな挑戦となる。彼は楽観的だ。
“ここには良いスピリッツがある、選手達は大変素晴らしく仕上がっており、私が最も好む事は選手達は本当によく纏まった良い集団であると言う事だ。重要な事は良いスタートを切る為にこのホームゲームで白星を飾る事だ。”
何にものA 代表メンバーを含む UAE 戦を軽く見られないと言う事は当然である。対照的に Vidmar のチームは18人のメンバーの中でA 代表経験はたったの1人だけである。その代わりに彼は殆どを A-League でプレーする選手達を選出した。何故なら試合日は FIFA が定めた代表Aマッチデ―に行われないからだ。
Vidmar の任務の為には、彼は“絶対に”5-6人の欧州でプレーする選手達、Brent McGrath, Aaron Mooy そして Matthew Leckie らが必要だった。
しかし地元の選手達を起用するにしても全てが丸くは収まらない。 A-League のコーチ達と、ウズベキスタンやイラクの様なチームが入ったグループを勝ち抜く為に Vidmar 監督の“外交手腕”が問われる、
特に五輪チームの中心選手である Sebastian Ryall (Sydney FC), Marko Jesic ( Jets), Mitch Nichols, Matthew Jurman (Brisbane Roar), Oliver Bozanic (Mariners), Aziz Behich ( Melbourne Heart ), Matthew Foschini ( Melbourne Victory) そして Daniel Mullen ( Adelaide United ) らは今シーズン、所属チームのレギュラー選手となるであろう。
私もかつてはあちらの側に( 元 Adelaide United のコーチ )にいた。だから皆をハッピーにするのは難しい事だと理解している。 しかし所属クラブにもコーチ達にもメッセージはクリアーにしている。一旦選手が代表チームに選抜されれば、彼は代表に必要な選手だ。 それは明らかでシンプルである。私は全てのコーチ達に話をしているそしてこれまで彼らはずっと協力的である。 選手達はおよそ8試合はリーグ戦から離脱せねばならない。これはチームにとっては明らかに理想的な事ではない。だが FIFA の Non-Match Day に行われる予選ではこれ以上出来る事は無い。
Vidmar の最も要を得た問題は21日に行われる Hindmarsh Stadium で行われる試合で勝点3を得る事だ。その監督は自分のチームは“どの方策も選択できる”と云う事を異にして安定していると言っている。

Olyroo のむらのある開幕戦

オーストラリアは初めてアジア予選を勝ち抜いて北京五輪出場権を得た。しかしロンドン五輪最終予選の開幕戦で UAE と引き分けた事実によりその任務は少し難しいものであると言う事に気付いただろう。
Aurelio Vidmae 監督は全試合FIFA non-Match day に組まれた予選を戦わねばならない。 彼は昨日の UAE戦を欧州でプレーする選手を1人も招集できずに戦わねばならず、続くウズベキスタン戦、イラク戦もAaron Mooy ( St Mirren ), Tommy Oar ( FC Utrecht ) Kerem Bulent ( FK Mlada Bolesav ) , Matthew Leckie (Borussia Monchengladbach ) そしてRyan McGowan (Partick Thistle F.C )ら欧州組を使える目途が立っていない。
UAE 戦に出場した選手達は U-22 レベルでも first choice の選手たちでは無かったが彼らは良く戦った。
そして前半は UAE が主導権を握ったがオーストラリアは後半、効果的に試合を支配した。
UAE の最初のチャンスは前半終了間際に Olyroo の Oliver Bozanic がボールを Ali Mabkhout に奪われ前線へ突破を許し GK の Andrew Readmayne と1対1にされた時であった。Mabkhout のショットを放つ前に必死に戻った Bozanic がタックルに入り先制ゴールは阻まれた。



Olyroo 達は線審に感謝せねばならなかっただろう。 開始早々に Ahmed Khalil のシュートがゴールネットを揺らしたが線審はフラッグを上げた。 そして以降 Khalil は脅威を見せ続けた。
Olyroo 達はその前にもピンチを迎えていた。 Mabkhout が放ったシュートは DF Matt Jurman がゴールに入りクリアーした。
オーストラリアも一方的に攻められてはいなかった。セットプレーからベストチャンスを掴んだ。20分にCKから CHF の Jurman が放ったヘッドは惜しくも外れ、 素晴らしいビルドアップアからのBozanic のショットは横に外れた。
Amer Abdulrahmanはもう一人の UAE の中盤での中心選手でありオーストラリアの Bozanic と何度もバトルを展開した。 Amer は UAE 代表でもプレーをした経験があり( Ahmed Khali 同様に ) チームの動きの中心となっておりボールを持つと落ち着きと技術の高さを示していた。
オーストラリアも後半は次第にペースを握りだし60分少し前にチャンスを掴んだ。
Aziz Behich がUAE PA 内に侵入しラストパスを送る。そのボールは GK ASHOORI AHMED MAHMOUD MOHAMED JUMA を破ったが滑り込んだMitch Nicholos の脚には当たらずゴールを割れなかった。
その10分後、今度は Nichols が Marko Jesic のクロスからダイビングヘッドで狙ったが相手DFに当たりコーナーに。 
その後も UAE の Khalil, Australia の Hoffman が惜しいシュートを放ったがゴールネットには至らずスコアレスドローとなった。11月には中東に遠征しイラクと戦わねばならないオーストラリアの任務はとても容易には進みそうにない。




世界ランクでは113位の UAE はこのグループでは最も格下とみられていた。
各組の FIFA ランクは下記の通り。

オーストラリア20位    ウズベキスタン 67位   イラク 73位 UAE 113位
日本17位  バーレーン 95位   シリア 117位  マレーシア 148位
韓国 29位  サウジアラビア 87位 オマーン 90位   カタール 97位
                                ( 2011年9月発表時)
こうして見ると日本は組み分けに恵まれている様な気がする。
ただシリアの実際の実力は FIFA ランクよりは上だと思うのだけど….
世界ランクでは差があったが UAE は2010年アジア大会準優勝のメンバーが6人スタメンに並んだ。 GK Juma Ahmed Mahmoud はアジア大会では控えのGK。 FW Aljenaiby Ahmed , MF Al Musabi Theyab , Alhammadi Amer らがいた。
後半からは Olyroos が主導権を握ったらしいが、欧州組みと国内組の“格差”はオーストラリアの方がやはり顕著か。
しかしこの時点ではまだ Olyroos の前途はそれほど…でもなかったか。  続く

五輪予選後半戦開幕を前に Olyroos の正念場 2

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Olyroos 地元選手達を頼りに 11th November

Aurelio Vidmar はオーストラリアがロンドン五輪予選を突破出来るかどうはは地元選手達の才能に委ね場ならなくなった。 Olyroos の監督は来るイラク戦、ウズベキスタン戦に臨む19人のメンバーを発表した。
これら試合は FIFA Match Day には行われない為に欧州組の召集は出来なかった。
Central Coast MarinersのGK Matthew Ryan そしてBrad McDonald がこの予選で初めて招集されGold Coast United のDylan McGowan, Sydney FC のMF Dimitrios Petratos そしてPerth Glory のAdam Taggart らU-20 Young Socceroos のメンバーも選ばれた。 “ 私は選手達はやってくれると自信がある。“と Vidmar 監督は語った。


Olyroos イラク経由でロンドン行きの旅に.. 22nd November

Olyroos は今日ドーハでイラクと相対した時に良く年のロンドン五輪予選突破の最大のテストに相対するであろう。
9月にアデレードで行われた五輪予選の初戦、UAE 戦を引き分けたオーストラリアはもう躓くわけにはいかない。
FIFA ランクで 113位であったUAEは同じグループ内では最も戦いやすい相手と考えられて来た。イラクは初戦のウズベキスタン戦で 0-2 で敗れた。そしてウズベキスタンは UAE と対戦しその翌日 Parramatta Stadium で行われるオーストラリア戦の為にシドニーに飛び立つ。
選手達は11月15日火曜日に到着し、私は Socceroos のワールドカップ予選の試合を終えて16日水曜日の朝に到着した。だからここでは本当に良い練習が出来た。全選手が素晴らしいスピリットを持っており準備は出来ている。日中の気候は本当に高く恐らく33〜34度はあるのではないか。しかし午後4時半ごろから気温は下がってくるのでキックオフ時の午後5時15分には完璧な気温になっているだろう。
ここで勝利を得られれば本当に素晴らしい事になるが最初の10分から15分で勝負は付けられない事は解っている。試合の入り方そして出来るだけ長い時間主導権を握れる様にスマートでなければならない。我々はイラク対ウズベキスタン戦を見た。その試合では確かにファンタスティックな戦闘能力をイラクは持っていた。彼らは終始ウズベキスタンにプレッシャーを与え続け、0-2 で敗れはしたが試合を支配続けようとした。彼らはその時持っているもの全てを見せたと思う。
今回も A-League のみの選抜メンバーであるが各チームの中心となる選手が招集された。
Brisbane Roar の Mitch Nichols, Matt Jurman 。Melbourne Heart の Mate Dugandzic 。Central Coast の Oliver Bozanic , Matt Ryan 。Sydney FC のDimi Petratos, Sebastian Ryall そして Rhyan Grant らがチームに招集された。
しかし今回も欧州組は招集出来なかったが“私は招集された選手達も可能性を秘めた集団であると信じている。”
この様に Vidmar 監督は語っている。

イラク GK Olyroos のロンドン行きの夢を挫く  23rd November

オーストラリアチームは22日のイラク戦で引分けロンドン五輪予選突破に向けて更なる困難に直面した。
9月に UAE と引き分けた Olyroos は再び相手GK Jalal Hassan の連発する好セーブにより再び勝点を分け合わねばならなかった。
Hassan はオーストラリアの創った4度のチャンスを全て防ぎ、初戦ウズベキスタン戦を 0-2 で落とした後に勝点1を上げる事となった。
オーストラリアは中盤から攻撃をよく構築し前線の選手を押し上げた。そして数秒の間に2度の決定機を掴んだ。
39分James Brown がドリブル突破で上がり相手DFをかわし約6ヤード前からの至近距離からフリーで放ったショットは GK Hassan に阻まれ、そのリバウンドをそのまま Brown がシュートに持ち込んだが再び Hassan が信じられない反応のファインセーブを披露した。
その後もオーストラリアは攻勢を続け1分後に Sebastian Ryall が放ったヘッドは Hassan が掴んだ。
イラクは何とかオーストラリアを窮地に追い込もうとしたが後半もまた Hassan の手に頼らねばならなかった。
57分にはMarko Jessic のショットを弾きだしその後も何度か自陣PA内に侵入を許すも最後の砦となりウズベキスタン戦に続く連敗を阻止した。 オーストラリアの次の相手ホームで行われる27日のウズベキスタン戦で UAE はイラクと対戦する。



ノーゴール、未勝利 。ウズベキスタン戦での結果無しにOlyroos には希望が無い 25th November

風の吹く夜、空席のスタンド。中立の開催地。ドーハでオーストラリアとイラクの間で行われたロンドン五輪予選は感興をそそらない22日に行われた単調な試合に終わった。アジア地区最終予選2試合を終えて Olyroos は動揺を隠せない。27日にシドニー Parramatta Stadium で行われる試合の結果でそれは明らかになるだろう。2試合を終わってノーゴール。
“しかし我々はまだ負けたわけではない。我々の事をまだ駄目だと見るべきではない。”指揮官はこの様に語る。 
オーストラリアのオリンピックにおけるサッカーの戦績はここ20年で急速に顕著になっている。
1956年メルボルン五輪では1回戦で日本を 2-0 で破り2回戦ではインドに 2-4 で敗れた。
以降エントリーそのものをしなかったらしく次に五輪に出場したのは1988年のソウル五輪。ここでは1次リーグでブラジルに敗れたもののストイコビッチらを擁したユーゴを Frank Farina のゴールで勝利を収め準々決勝進出を決めた。 年齢制限が制定されたバルセロナ五輪では現 Adelaide United の監督である Kosmina らの活躍で準決勝にまで進出し、それが五輪での最高の結果となっており以降全ての大会で出場を果たしている。
そして最近の五輪では Ronaldinho ( Sydney, 北京 ) や Lionel Messi ( 北京 )ら世界の列強のスーパースター達もプレーするようになり容易に上位に進出出来なくなって来た。
Vidmar は Al Arabi Stadium での引き分けを悔やんだ。 イラクの GK Jalal Hassan が立ちはだかった。
James Brown や Sebastian Ryall らのフラストレーションが高まった。
“機会を逸してしまった。もし勝てていれば全てが上手くいった。しかし出来なかった。それが残念だ。だけどまだ終わった訳ではない。日曜日のウズベキスタン戦後にはより良い状況になっているかもしれない。
私はまだそれらを信じている“
その他はあまり確実ではない。 オーストラリアの発展プログラムに於いて若い才能ある選手達が輩出されているがこの世代はそのコンベアーの“ブラックホール”と云われている。普通 U-23 代表チームからは何人もの選手が代表チームの選手も兼ねるのであるがドーハでのイラク戦から帰国した18人の中では Brisbane Roar のMF Mitch Nichols とAdelaide United のDF Daniel Mullen の2人だけである。
同じ週に Socceroos の Holger Osieck 監督は2月に行われるサウジアラビア戦に就いて次世代の選手達に“冷や水”を浴びせた。 既にワールドカップ予選では次のラウンド進出が決まっておりサウジアラビア戦は消化試合となるが“私は常に才能ある若い選手達に代表への扉は開けている。しかし代表は常に最高の布陣で無ければならない。私は今若手育成には気を付けて従事している。何故ならそれは選手達にとっての教育課程となるからだ。そしてもしあまりに早くそれを進めてしまうと後で良くない結果を招く。”と語ったのだ。
Osiek 監督と新しい代表候補を見つける為に頻繁に連携している Han Berger 技術部長は、“正直言って 2010年のワールドカップ終了後は我々は心配であった。しかし今は1年前ほどではない。 Olyroos の中にも多くの才能ある選手がいるが他の世代にも高い潜在能力を持った選手はいる。全ての世代に才能のある選手がいるがその成長過程は非常に興味がある。何故なら本当に誰が出て来るかは解らないからだ。”
Olyroos を今救えない問題は Vidmar 監督がMatthew Leckie, Brent McGrath, Tommy Oar そしてAaron Mooyと云った欧州組を招集できない事でそれが得点力不足にも繋がっている。ならば U-20 で顕著な活躍をしている Bernie Ibini-Isei, Mustafa Amini そしてTerry Antonis ら技術の高い選手達を起用する事は考えられないか?
Berger は解っている。“もし我々が予選突破できなければそれはその世代の選手強化には絶対に否定的な効果しかもたらさない。五輪に様な大会は普通の大会よりも2段階も3段階も上のレベルの大会である。 この様な大きな大会に出場する事は選手達にとって偉大な教育の場となり、本当に開眼出来る。それが予選通過の価値である。” と語った。



政情不安定の為にイラク国内でホームゲームが開催できないイラクではあるがこのグループでは最難関と考えられていた。ドーハで開催されたアウェーのイラク戦で引分けられた事は本来想定内のはずと思った。
しかし初戦ホームの UAE 戦を引き分け勝利が必要だったと思う。そして初戦のウズベキスタン戦を落としたイラクの方こそオーストラリア以上に勝利が必要だっただろう。 
北京五輪予選でも両国は同じグループとなりこの時の直接対決ではオーストラリアが1勝1分け ( ホーム 2-0 アウェー 0-0 ) でこの直接対決の結果が大きく寄与して、勝点1差でオーストラリアが五輪出場を決めた。
黒星スタートのイラクはスタメンを5人入れ替えてオーストラリア戦に臨んだ。そして Olyroos は3人の選手を替えた。
GKを Central Coast Mariners の Mathew Ryan 。MFに Dugandzic Mate ( Melbourne Hearts ) FW に Petratos Dimitrios ( Sydney FC ) をスタメン起用した。
それでもゴールは遠かった。 そして勝点も1止まりだった。実際に試合は見ていないけど報道からオーストラリアが優勢に進めていたらしい。 それだけに Vidmar 監督はこの試合で勝点3を確実に挙げたかっただろう。 初戦のUAEにさえ勝っていればこの引分けは Olyroos にとって貴重な勝点1になっていたに違いない。


  

Parramatta Stadium でウズベキスタンに 0-0 の引分け Olyroos の五輪予選突破に危機 28th November

ゴールへの枯渇が延長され Olyroos のロンドンへの道のりが急勾配に差し掛かってしまった。
3試合連続のスコアーレスドロー。今回は首位を行くウズベキスタン相手にホームの Parramatta Stadium で。この引分けにより中間点にさしかかりオーストラリアはまだ予選突破に向け厳しい戦いを強いられている。 Olyroos はこれで4時間半の間得点が生まれていない事になる。そして首位ウズベキスタンに勝点2差を付けられたまま Olyroos は2月のアウェー2連戦に臨まねばならなくなった。
“恐らく我々はフォーメーションの練習を止めてシュート練習に集中せねばならないだろう。 攻撃面であと少しの改善が足らなかったと思われる。 我々は何度もPAの付近まで押し寄せたが壁パスが長すぎたりスルーパスが走り込んだ選手の前に行く代わりに選手の背中にあたったりした。我々は小さな事でがっかりさせられた。
Vidmar はGK Matt Ryan in goal, 前線でのDimitri Petratos の動き、そしてman-of-the-match 級の活躍をした Matthew Jurman の守備をそれぞれ称賛した。 
前半はウズベキスタンが攻勢に出てオーストラリアDF陣を翻弄し Musaev Fozil 主将が2度中盤からミドルを放った。
1度は GK Matt Ryan がセーブ。もう1度は CB Matthew Jurman がクリアーをした。
Mitch Nicholas のシュートを GK KUVVATOV SANJARが掴めずこぼれ球に詰めたPetratos のショットはゴールネットに突き刺さったがこれは明らかにオフサイドであった。 Nicholas はその直後も左足からシュートを繰り出したがこれはクロスバーを大きく外れた。 Olyroo はボール支配率、地域占有率は高かったがラストパスが繋がらなかったり試合を決めるに必要な充分なチャンスが創れず、勝ちたくてたまらなかった試合を勝てなかった。 そして予選突破を確実にするチャンスを逃してしまった。 



ウズベキスタンは前節のUAE戦のスタメンからメンバーを3人替えた。Olyroos はAdelaide United のDF Daniel Mullen が初めて最終予選登場となった。
ウズベキスタンは最も難しいと考えられていたアウェーのオーストラリア戦を引き分けられて貴重な勝点1を得た。
更に同日数時間後に Al Ahin で行われた UAE 対 イラクの試合でイラクが勝った事により残り3試合中2試合のホームゲームを残すウズベキスタンが圧倒的に有利になった。 そしてウズベキスタンを勝点1差で追う2位のイラクもドーハでの“ホームゲーム”を2試合残している。いよいよ Olyroos は厳しくなって来た。

しかし次のアウェーのウズベキスタン戦で勝てば状況は一気に改善される。その為にはゴールを挙げねばならない。
Kerem Bulut の初召集がゴールにそして勝利に結びつくだろうか。

私も他国の事を案じている場合では無い。今回は日本も欧州組と言うよりも11月のバーレーン、シリアの2連戦で活躍した大津を召集出来ない。次の試合は最難関とも言えるアウェーのシリア戦だ。試合はヨルダンで行われるけど。
それでも日本には J-League がある。そして永井、原口、清武らがいる。 楽観はしていないけど状況はオーストラリアよりも良い。シリア戦で引き分ければその次はアウェー戦とは言えマレーシア戦だ。 まずシリア戦でしっかり結果を出して…..と思うのだ。

でも何とかしてウズベキスタン対オーストラリアが見られないかなぁ…..

Daiki Ito 札幌で快挙

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1月29日。楽しみにしていた FIS World Cup Ski Jumping 札幌大会2日目のテレビ中継。2日目は中継は民放だった。
この日も前日に続いて HS134 。もう 70m 級、いやNormal Hill はやらないのかなぁ…と思った。

札幌の 70級、忘れもしない子供の時に見た札幌五輪の日の丸飛行隊の表彰台独占…あれを見て“俺もオリンピック選手になりたいなぁ…” と思った。 全然届かなかったけど。



あの 70m級は宮森シャンツェで行われ、そして90級がこのワールドカップでも使われた大倉山で開催された。その90m級ジャンプは確か学校が休みの日に行われ、トライアルから中継された。1回目で2位に着けた笠谷選手の2回目が待ち遠しくてたまらなかった。 優勝した70m級が行われた時は学校がありその快挙は帰宅してからニュースで知った。それだけに目の前で金メダルの瞬間が…と期待していた。しかし2回目は振るわず7位に沈みものすごくがっかりしたのを憶えている。

前日は1回目トップだった伊東。この日の1回目は前日第3位だったStoch Kamil ( Poland ) 115.3 , Peter Preva ( Slovenia ) 112.5に続いて 109.0 で3位だった。
Word Cup ポイント首位の Andreas Kofler ( Austria ) 105.8 は5位。Anders Bardal ( Norway ) 86.0は25位。Thomas Morgenstern ( Austria ) 101.6 は 6位だった。札幌の雪質は欧州と異なるのかワールドカップポイント上位陣は ポイントを伸ばせなかった。 100.0 を越えたのは7位の Rune Velta の100.2 までだった。前日は1回目上位18位までが100.0 を越えたがそれは Gate の違いがあったからかもしれない、と思ったら 28日は7,8番ゲートが使われ 29日は10,11 番ゲートが使われた。
28日は“ Large Hill でこれだけ低い位置から飛び出した事は記憶にない….” とテレビ解説者に云わしめる位置だったらしい。
それだけ大倉山シャンツェは難しいのかもしれない…
そして Kamikaze 葛西は33位で2回目に進めなかった。 長野五輪の英雄岡部も47位に終わった。葛西は1回目30位のKrzystof Mietus ( Poland ) とは5ポイント差。距離にして約 3m 差だった。しかし今後の奮起に期待したい、と思った。

2回目が始まり、1回目あまり良い風を貰えず16位に留まった Slovenia の Peter Prevc が 129.5m を飛んだ。しかも Window Compensationは僅か -9.1 だったのでトップに出て来た。前の週、Poland の Zakopane 大会では6位と4位に入った選手だ。
そしてその3人後に飛んだ竹内拓が128.5m を飛んだが残念ながら Prevc は抜けなかった。結局竹内はこの日は8位に終わったがいつ表彰台に立ってもおかしくない選手となったと原田解説員は連呼していいた。
1回目11位の Vegard Houkoe Sklett ( Norway ) が2回目に 131.5m を飛び Prevc を抜いてトップに。 
今シーズン前半は Continental Cup に出場をしていた選手。 Norway も人材に事欠かないなぁ…と思う。 
その後に飛んだ選手はなかなか距離を延ばせない.。1回目8位、前日 0.1pt 差で伊東に優勝を譲った Anders Bardal ( Norway) は2回目115m に終わりこの日は 14位に留まった。
1回目6位だった昨年のワールドカップ総合王者 Morgensternが登場した。昨日は16位に終わっているが2回目の跳躍次第では上位に食い込める。しかし向かい風僅か 0.79m の中 123.5m に留まりこの時点で4位。最終的に竹内に続く9位に終わった。 
そして1回目5位の現在ワールドカップポイントトップの Anders Kofler ( Austria ) が出て来た。1回目は向かい風 0.27m の中 122.5m に留まった。2回目も風はあまり良くなく向かい風 0.6m だったが 135m まで距離を伸ばし2人の審判員が飛型点 19.0 を出した。そしてこの前まで 220.8 で首位だった Sklett を抜いて 241.3 でトップに立った。 この風でここまで飛んでくるのか…
さすがだなぁ…と思う。
こうなると伊東を含めた残り4選手の心境はいかに…だ。 次に飛んだ Roman Koudelka ( Czech Rep. ) は気負ったか 129m 。総合ポイントも 220.8 で Kofler を抜けず、この時点で2位。最終成績は4位だった。 今シーズンはまだ表彰台に立っていない。チャンスだったんだけどなぁ…昨日も5位だった。
そして1回目3位の伊東大輝が登場した。 お起きた期待を受けての2回目のトライアル。 飛び出しはあまり高くは見えなかったがランディングバーンが近づけば近づくほどぐんぐん距離を伸ばす大飛行。 飛距離は Kofler の 135m を越して 137m 更に飛型点も4審判が 19.0 を出した。 案じられた Window Compensation を含めても合計134.7ポイント。総合 243.7 pt で Kofler を 2.4pt 上回り首位に就けた。この時点で表彰台も決まった。 



こうなったら不謹慎だけど続く2選手のジャンプは…と思ってしまう。 その願が通じたか?1回目2位の Richard Freitag ( Germany ) はK点越えがやっとの 120m 。もっと飛ぶかと思われたけど失速してしまい最終的に6位に終わった。前日も1回目5位に就けて2回目伸びずに8位に終わった。 前の週の Zakopane 大会では2日間とも2位だっただけに狙っていたんじゃないかなぁ….
そして1回目トップの Kamil Stoch がスタートに入る。 1月20日の Zakopane 大会初日で地元優勝を果たした。翌日は7位に終わったが。 12月3日 Lillehamer 大会で3位。 12月18日のスイス Engelberg 大会では2位。前日も伊東、 Bardal に続いて3位に入った実力者2週連続で優勝する為には、伊東を上回る為には1回目飛んだ131.5m よりも飛ばねばならない。その飛行は 130m を越えたが飛型点で4審判が 18.5 を出した。そして最終成績で….. 2位と出て伊東の連勝が決まった。
やった〜。良かった〜…と声を出して喜んだ。  札幌で2連勝。 あの笠谷選手でも出来なかった快挙だ。この二日間。なんて幸せな気分に浸れたのだろう…



札幌五輪以来ずっと興味を持ってジャンプを見続けて来た。 欧州勢に唯一対抗出来るのは日本勢かカナダの Horst Bulau くらいだった。ワールドカップ、世界選手権で上位に入ると日本が勝ったと言うよりも欧州勢を破ったと言う事が嬉しかった。勿論オリンピックでも。 
長野の栄光は翌年オーストリア Ramsauで開催された世界選手権 LH で表彰台を独占した事でピリオドが打たれた。
以降、2003年イタリア Vel Di Fiemme で開催された世界選手権にて Kamikaze 葛西が1人気を吐き L120, K95 でそれぞれ銅メダルを勝ち取った以外、五輪、世界選手権でのメダルは 2007年札幌大会、 2011年 Liberec 大会での Team Jump の銅メダルのみ。
ここ数年、世界のジャンプ界ではオーストリア勢とポーランドの Adam Malysz らがジャンプ界のハリーポッターことスイスの Simmon Ammann を追い掛ける、そこにドイツ勢、ノルウェー勢のかなから好調だった選手が“参戦” すると言った状況だった。
ワールドカップでは日本選手がたまに Top 10 に入ってくる事もあったが驚愕なのはかつての王国フィンランドの凋落。
トリノ五輪 NH で Hautamaeki が銅メダルを勝ち取って以来、目立った戦績は世界選手権札幌大会 HS134 で2位に入った Olli Harri くらいだ。
昨シーズンが終了し Malysz が引退した。 残念ながら札幌五輪 LH でWojciech Fortuna が勝ち取って以来の金メダルには手が届かなかった。 Simmon Ammann の壁は高かった。最後の地元 Zakopane でのワールドカップで Kofler, Ammann を抑えて優勝した時は嬉しかっただろう…。しかし彼の出現は Fortuna 以来30年間眠り続けていたポーランド Ski Jumping 界を掘り起こさせるものだった。そして五輪金メダルの夢は Kamil Stoch に託されている。



Simmon Ammann はバンクーバー五輪のシーズン以降また飛距離が落ちている。 目立ったのは 2011年 Osloでの世界選手権 HS134 で Schlirerenzauer , Morgenstern に次いで3位に入った事くらい。この時でも3位 Morgenstern とは30pt 以上も開けられた。 今年の札幌大会は参加しなかった。2010年大会は優勝を果たした…



今シーズンも強いのはオーストリア勢。 Kofler ( 1) Schlierenzauer ( 3 ) Morgenstern ( 4 ) らが上位に並ぶ。そして2位には Anders Bardal ( Norway ) が3強に食い込んでおり Norway 勢は11番目に Vegard-Haukoe Sklett が入っている。
5番目に Stoch ( Poland ) ドイツ勢 , Richard Freitag ( 6 ) Severin Freund ( 10 ) スロヴェニア勢 Robert Kranjec ( 8 ) Peter Prevc ( 13 )  チェコ勢 Roman Koudelka ( 9 ) Lukas Hlava ( 15 ) が。そして伊東は大会直前は10位だった。
今回の札幌大会ではTOP15 の中から3位の Schlierenzauer と 12位の Ammann 以外は全て参戦してくれた。

午後4時半にスタートした札幌大会の初日。3番目にベテランの岡部が登場した。飛距離は 112.5m . 33位に終わり6.8pt 差で2回目に進めなかった。 しかし Kamikaze 葛西は1回目に 126m を飛び 17位に入り、2回目のトライアルに進んだ。
39番目に飛んだ竹内拓は 110.5m 92.9pt とK点にも届かなかった。風が悪すぎた。この時点で18位。1回目は26位になり何とか2回目進出を決めた。
伊東の1人前の Prevc が 111.5m に留まり 35 位に沈み2回目に進めなかった。 ここまでのトップは何と10番目に飛んだ
Anders Fannemel ( Norway ) 。 131m 123.8pt の素晴らしい跳躍でこの前までトップだった同じ Norway の Andreas Stjernen を一気に 36.5 pt も上回ってしまった。 2人とも Continental Cup 転戦組で1月20日の札幌大会にも出場しそのままここの留まりワールドカップ挑戦権を得た。
Norway 勢の選手層の厚さが見られる。
しかし伊東は134m 123.9pt の大飛行で Fannemel を抜いてこの時点でトップに立つ。大倉山に大歓声が沸き上がる。久々に日本人選手がこの順番でトップに立ったのを見た。 出来ればこの順位のまま2回目に…と皆願っただろう。
その願いが通じたか?ワールドカップポイント TOP 10 の選手達は伊東どころか Fannemel の記録にも届かない。 46番 Stoch が 130m 122.0pt を飛んで Fannemel を抜くが伊東には届かない。 47番 Freitag は 137m の最長不倒を見せるが飛型が悪く3審判が 16.0 を出し、 Windows Compensation が -24.5pt で 119pt 5位に。 Window Compensation が無くてもぎりぎり伊東が上回っていたけど….
続く Morgenstern は反対に風を貰えず 114m 96.2pt で23位に沈む。 49番 Bardal は伊東と同じ 134m を飛び 19.0pt の飛型点も出たが Windows Compensation が -23.2pt 。得点は 122.0pt に減額され伊東、 Stoch そして Fannemel を上回れなかった。
そして1回目最後に登場したのは Anders Kofler 。昨年はここで優勝している。しかし今度は風を貰えず 117.5m 105.8pt 18位に沈み伊東の1回目トップが決まった。 それにしても大倉山の風を味方にするのは容易じゃないんだなぁ〜と思った。



30人に絞られた2回目。5番目に早々と竹内が登場したがここは意地の大ジャンプ。 129.5m まで距離を伸ばし総合 211.0 でこの時点で文句なしのトップ。これが2本揃っておれば…と本人は悔やんだだろう。この日は18位に終わった。
しかし2年後のソチ五輪まで間に合わせてくれ。
竹内の3人後に Morgenstern が2回目に臨むがこれも 132.5m まで距離を伸ばし Window Compensation -13.0pt を含めても総合 213.3 で竹内を抜いた。しかし最終順位は16位。 
13番目に Kofler が登場する。向かい風 1.21m の中 129.5m の“本来”の跳躍を見せ 122.9 pt が追加され総合 228.7pt で当然の様に首位に立った。 最終的には9位。この日オーストリア勢では最高の成績だった。
16番目にKamikaze 葛西が大歓声に包まれてスタートラインに着く。 この時点でトップの Morgenstern を上回るには…と言うよりも1回目以上のジャンプを見せて上位にと留まる事を…と願うが 122.5m 104.4pt と1回目に届かない。総合 213.4pt で 0.1pt Morgenstern を上回ったが最終結果は15位。それでも今シーズンワールドカップ最高の成績で World Cup Point もゲットした。
以降の活躍を期待したい。
1回目の Top 10 がいよいよ出て来る。 この時点での 1等は Anders Kofler. 1回目9位の Sklett が何と 138.5m 133.2pt の素晴らしいジャンプを見せ総合246.1pt で Kofler を大きく引き離しこの時点で首位に。 やっぱりこのクラスは違うなぁ…と思わせられる。 しかし続く Severin Freund は104m 71.4pt の失敗ジャンプで27位に沈む。 1回目7位 114/7pt の Kranjec ( Slovenia ) は130m 123.8pt を飛ぶ。しかし総合 238.5pt で Sklett を上回れない。 Koudelka ( Czech ) も 130m 122.0pt の飛行を見せるが 240.0pt で Sklett に及ばない。 続く 1回目137m のFreitag は 128.5m と今一伸ばせず 235.4pt 。
そして1回目134m 4位の Bardel は135m 130.5pt のジャンプを見せ 252.2pt でトップに躍り出る。さすが実力者。今シーズンワールドカップは3勝している。 続く同じ Norway の Fannnel は 125.5m 113.9pt と伸びず、総合 237.7pt で7位に終わった。
しかし見事ワールドカップポイントをゲットした。 続く Stoch は風に恵まれない中 127m まで伸ばして来たが 120.6pt で総合 247.2pt で Bardal を上回れずこの時点で2位。最終順位は3位に。
そして最後に伊東大輝が登場する。 優勝する為には 123.8pt が必要だ。しかし Window Compensation が加算されるので何m 飛べばいいのか….風が結構強くなってきた。ここで地元の風が…と思うも風が強すぎて仕切り直しとなっていまった。
あぁ集中切らさずにいてくれれば..と思う。 あの時は、札幌五輪の時はもっとすごいプレッシャーだっただろうなぁ…..
仕切り直しの後、伊東のアプローチにから飛び出し 86.1km とスピードが表示される。距離は伸びて行きテレビに映し出される青色のラインに着地する。 微妙なところだ。 しばしの静寂の後大歓声が沸き上がり伊東の優勝が発表された。2回目は 130m 123.9pt 総合で Bardal をわずか 0.1pt 上回る 252.6pt で首位の座を守った…..あぁ、良かった。本当に良かった〜。と思った。



見事な伊東の地元での2連勝だった。ここ数年低迷する日本ジャンプ界に光が差して来た。
今シーズンは札幌大会の前迄でも Garmisch-Partenkirchen , いわゆるジャンプ週間の1戦 HS140 で3位に入ったのをはじめ3度表彰台に立っている。札幌では2010年大会でも3位に入っていた。これまで何度も表彰台には立っていたが遂に頂点に立てた。それも2日連続で。
それは昨シーズンより導入されたルール変更にも寄与しているかのかもしれない。 Gate の位置と跳躍時の風の方向、風力によりポイントが加減される事となったが、もし初日の戦績にこの compensation が加減されていなければ伊東は 273.2pt となり134m/135m を飛んだ2位の Bardal の283.2pt、4位の Sklett ( 129/138.5m 280.5pt ) に及ばず3位と言う事となる。 
3位の Stoch は 259.6pt ( 130/127m ) は7位になるところであった。 
しかし2日目は Gate, Window Compensation を除いても伊東を含めた Top 5 は変わらなかった。 
今のところこの Compensation point は日本勢には“順風”となっている様だが、五輪前にまた変えられないか心配だ。

翌日、オーストリア、ドイツの新聞 WEB SITE を覗いて見ると写真付きで伊東を称える記事が並んでいた。




“3位に入った事は素晴らしい事だ。この日は素晴らしい大会だった。札幌で勝つには少し幸運が必要だけどここに遠征に来た甲斐は充分にあった。” Kofler はこの様に語った。そして“初日は少しアンラッキーだった。”と風の事も悔んでいた。それでも“ フォームはよくなって来ている。だから次の大会が楽しみだ。ここでの伊東はとても太刀打ちできる相手では無かった。”とも述べた。
オーストリア勢は2日間で表彰台に立ったのは2日目3位の Kofler だけだった。
それから初日3位の Poland の Kamil Stoch が2日目も2位に入り伊東と並んで連日表彰台に立った。

“素晴らしい週末だった。日本に来られてとても嬉しかった。ここで貴重なポイントを稼げたからだ。
この日(2日目)の出来は満足している。特に1回目のジャンプは。この日の競技は非常に拮抗していてハイレベルなものだった。“ この様に語っていた。

ドイツ紙の方では初日 8位に終わったRichard Freitag が3試合連続で表彰台に立てなかったことを報道。
“飛行距離からしてこの順位は妥当だろう。” Freitag 自身は語っている。1回目137mを飛んでいながら…とも書かれていた。 また、ベテラン Martin Schmidt が怪我の為に札幌遠征に参加出来なかった事も…

翌週イタリア Val di Fiemme で行われたワールドカップではオーストリア勢が奮起した。
札幌大会に参加しなかった Schlirerenzauer が初日で優勝を果たし、今シーズンワールドカップ個人戦5勝目を上げた。翌日は2位となったが表彰台は9回目だった。 初日は2位に Severin Freund ( ドイツ ) が入り Morgenstern が3位に入った。
翌日は 初日7位に終わったKamil Stoch が優勝を果たし、 Norway の Bardar が3位に入った。 
期待の伊東は初日は11位に終わりニッカネン以来のワールドカップ3連勝は果たせなかった。 伊東は翌日は順位を少し上げ8位に入った。 竹内は初日14位、2日目12位だった。
ワールドカップポイントトップを行く Kofler は初日は6位に入ったが翌日は16位に終わった。  日本はあまり報道しないなぁ….

でも私は信じている。 次の五輪では Kamikaze 葛西が大飛行を見せてくれることも…



終了直前 手痛い 失点そして敗戦…. Syria U-22 2-1 Japan U-21 5th Feb., 2011

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あと数分だった。数分凌げば勝点1が入りロンドン五輪に大きく前進するはずだった。
87分シリアベンチは FK の名手 Mohammed Fares を外して FW Mohamed Wael Alrefai が投入されてた。イラクベンチは11月の国立競技場での試合も終盤に Fares を“ベンチに下げてくれた“。 そしてこの時も相手の”飛び道具“がベンチに下がり安心をした。 87分54秒、左 SB Yasser Shahen が入れたロングスローを跳ね返し、88分30秒、今度は左SB の Mohamuad がロングスローを入れるとそのまま日本ゴール正面に抜けて来る。あっ..と思ったがここもクリアー。 そしてクリアーボールがシリアの選手に当たってからCB Al Salih Ahmed の前にこぼれる。 Al Salih はヘッドでトラップしてボールを前に押し出し、日本ゴール前に放り込む態勢をとる。あぁちょっと入れられたら危ない、誰か当たりに来ないと…と思うと山田があわててマークに入るがそれより一瞬早く Al Salih が蹴った弾道がそのまま吸い込まれる様に日本ゴールネットに突き刺さってしまった。
狂喜乱舞するシリア選手達。 スタンドからは“スゥリアァ !! スゥリアァ !! “ と国名を連呼するサポーター達の歓声が響く…
この試合でイエローカードを受け次の試合は累積警告で出場できない Al Salih の意地の一発だった。

これでまたシリアがリードをした事に….

テレビ画面では呆然とするGK権田が映し出される。しかしまだ時間は数分あるはずだ。同点に追い付くチャンスだって…
左サイドをドリブルで上がった永井が入れたクロスにファーサイドで大迫がヘッドで狙うがシリアDFがクリアー。 競り合いで交錯したのかボランチの Solaiman が倒れて起き上らない。 しかし本当に Thaer Krouma と替ってベンチに下がってしまった。 
92分50秒。東が倒されてFKを得る。最後のチャンスになるかもしれない。山田と扇原がボールに寄る。直接狙うには少し遠すぎる。山田が前線で張っていた比嘉にゴロのパスを送るが比嘉の手前でイレギュラーしシュートが撃てない。右サイドに走り込んだ鈴木に送りそこから送られたクロスに永井が飛び込むが GK Ibrahim Alma がしっかりとキャッチ。そのままゴールラインを踏んだかもしれないけど…. 今度は Alma がボールをタッチラインの外に出して倒れて立ち上がらない。 まだ時間はあるかな…..と思うもようやく試合が再開され、入れたスローインはシリア人選手に奪われそのまま大きく前に蹴りだされ、シンガポール人の Abdul Bashir 主審の試合終了のホイッスルが鳴り響いた。   あと少しだったのになぁ…..手痛い、失点そして敗戦となってしまった….



11月の国立で劇的な勝利を収めロンドン五輪に向けて一歩前進した日本五輪代表チームはこの予選最大の山場となる“アウェー”のシリア戦に臨んだ。 政情不安のシリアでは試合が出来ないのでシリアのホームゲームは全て隣国ヨルダンで行われる。
大一番と云っても東京で勝利を収めているので勝たねばならないのはシリアの方で、日本は引き分けでもロンドンへ大きく近づく事が出来たのだった。
11月のバーレーン戦、シリア戦で活躍した大津が招集できない。欧州組と云うよりもシーズン中の選手を呼べない事の方が厳しくは無かったか…しかも試合直前に清武が怪我で離脱。 この大事な一戦を前に…思えばこの時点で災難は始まっていたのだろう。勝たねばならないシリアは11月の日本戦のスタメンからメンバーを2人替えた。CB を Mohammed Dass からAbdu Al Nasek Hasan に。そして交替で出場した Mardek Mardkian が Nassouh Nakkdahli に替ってスタメン起用された。 11月の日本戦で途中から入ったMardkian はなかなか良い動きを見せていたので要注意だった。だけどあの時は FK 得意のMohammed Fares と交替で投入されてたので Fares と交替で下がった事の方を喜んだ。
日本はこの日は永井がワントップに入ってスタメン。大迫がベンチスタート。山口蛍と組んだもう一人のボランチは扇原ではなくて山村。 大津に替って山崎が2列目左でスタメン起用された。 大迫はいつ投入されるのだろう…とキックオフの前に思った。



さすがに中立開催地。観客は少ない。熱心な日本からのサポーターと在留邦人は何人くらい来ていたのだろう….
そしてこちらも在留だろう。シリア人も100人くらいいたのかなぁ….大きな声でそして Asaad 大統領の顔写真の入ったシリア国旗を打ち振る人達も….わざわざシリアから応援に….とは考えにくいなぁ…

観客が少ないとかえって試合への集中に時間が掛かるらしい…とこの日のNHKの解説をした宮本元代表主将は話していた。
コイントスで勝った日本は太陽の角度を考えたらしくコートの方を選択した。 そしてシリアのキックオフで始まった試合は立ち上がりから“ホーム”のシリアが早くそして強い当たりで前に出て来る。勝たねばならないのはシリアの方だからそれは当然だった。
開始56秒最も警戒するべくエース Omar Al Suma から Mohamad Al Mawasにスルーパスが入る。比嘉が追掛けるがその前に Al Mawas が転倒しPKが与えられるのではと案じられたが、ここは Al Mawas が足をとられたとの事でホイッスルは鳴らない。
4分6秒には相手ゴールキックを酒井がヘッドで落とすがこれがシリアの Mardkina の前に転がりそのまま拾われシュート体勢に入られる。酒井が後方から追掛けシュートに入る前に Mardkina は転倒するがここもノーホイッスル。酒井のプッシングを取られても…と云うシーンだった。 シリアは12分50秒にも Al Suma が浮球を上手くコントロールしてシュートを放つなど序盤ピッチコンディションとなかなか試合に“入れない”日本イレブンを圧倒するかのような積極性が目立った。
そして14分26秒。スローインを受けた鈴木が前線の山崎にロングフィードを送ると山崎は Yasser Shahen と競り合って落ちた時に腕を傷めてそのまま立ち上がれない。 結局そのままベンチに下がりこの時点で早々と大迫の登場となった。

  

ちょっといやな事が続くなぁ…と思うと試合再開後に Al Suma が力強いドリブルで上がる。そこを山口と比嘉が挟み込むように倒してFKを与える。 距離はあるので直接は狙わないだろう。 Al Suma, Mardokian らのマークは…と思っていると Mohammed Fares が蹴ったFKはそのまま日本ゴールに入ってしまった。 クリアー仕様とした大迫の頭にかすって僅かにコースが変わり、悪いゴール前のピッチで変に弾んでGK権田が抑えきれなかった。
スタンドからが“スゥリアァ ! スゥリアァ ! “ とシリア人達からの歓声が飛ぶ。 不運と云えば不運だけど、開始からシリアの2列目は高い位置を取り中盤でも日本はなかなかボールがおさまらず試合に入りきれない日本イレブン達の隙を突かれた様な失点だった。
失点で目が覚めたか日本選手達も動きが早くなって来た。そしてなかなか上がれなかった東が前に出てこられる様になった。それは相対する MF Fares と SB Mohammed Zbida が出てこなくなったからだ。 そして酒井も前に出て来るようになった。
それでもシリアは Zakairia Al Omari, Solaiman と云ったボランチが攻守に良く動き中盤でのパス交換に絡み日本のマークを外して来る。また日本がシーズンオフと云う事もあって一歩の出だしがシリアの方が早い。 酒井や東が上がった後ろのスペースにボールを入れて来るようにも思えた。
31分には Al Suma と Mardkian の2人で一気に日本ゴールに迫る。 39分にはカウンターから左サイドに流れた Mardkian に
ボールが入りいれたクロスに Al Suma がオーバーヘッドで狙うがここはGK権田の正面に。 シリアのFW  Mardkian と Al Suma の2人でやられ過ぎだなぁ…と思う。
特に Al Suma 止めるのにマークが2,3人は必要だ。 この試合の後に行われた Kuwait Permiershipではゴールを決めて所属先の Al Qadsia に勝利をもたらしている。

劣勢の日本は41分にようやく永井から右サイドに上がった山村にフォードが入りヘッドで中に折り返したところを大迫が CB Al Salih を背負いながらシュートを放つがポストの右に外れて行った。この試合初めて見せた攻撃だった。
まぁこれ以上失点してくれなければいいか….と思った45分中盤でボールを受けた大迫が前線に走り込んだ永井にスルーパスを送るとフルスピードで走り込んだ永井が CB Abd Al Naser Hassan のマークを振り切り逆サイドを狙ったシュートがそのままシリアゴールに決まりロスタイムに入って同点ゴールを決まった。 大迫の見事なスルーパスそして永井の走り込みであったが、それよりも同点にした時間帯が最高であった。 
そして前半は 1-1のまま終える事ができた。内容はともかく、日本にとってはこの時点で最高の前半だった。だけど同点にしてから1度ピンチも迎えた…



日本のキックオフで始まった後半も立ち上がりは49分にカウンター攻撃から大迫、永井と繋いでシリアゴールに迫った以外はシリアが攻勢に出る。 51分には Solaiman から Al Mawas にパスが繋がり比嘉がかわされシュートに持ち込まれるが山口がクリアー。そしてそこには Mardkian が詰めていた。その直後のCKも一旦はクリアーするがスルーパスを通され Al Suma にシュートを撃たれるがGK権田がストップ。60分にはPAのすぐ外しかも正面で濱田が Al Suma に入れたチャージがファールに取られてFKを与えてしまう。 シリア選手達が日本ゴールに迫る度にスゥリアァ、スゥリアァと歓声を送っていたシリア人達の歓声がひときわ高くなる。彼らの家族は無事なのだろうか…
この危ない位置からのMohammed Fares のFKは日本選手の壁に当たり事無きを得た。 
69分久々 CK のチャンスを得た日本はファーサイドに鈴木がヘディングで狙うが叩きつけたヘッドはやや弾み過ぎて惜しくもポストの左に外れて行く。 55分過ぎから日本もボールが回る様になったがなかなかラストパスが通らない。こういう時はセットプレーで…と期待はするのだけど…
72分。勝たねばならないシリアは FW Mardkian を下げて 11月の日本戦ではスタメンだったNassouh Nakkdahli を投入すると75分に日本ベンチはボランチの山村に替えて扇原を投入した。 これで日本にボールのおさまりどころができた様で次第にペースを掴み出す。78分には山田から永井にスルーパスが通るがここは Yasser Shahen がクリアー。80分には扇原からパスを受けた山口が中央の山田にボールを送る。壁パスの様に山田が右に走り込んだ大迫に送り大迫はファーサイドを狙ってシュートを放つが惜しくもゴールポストの僅かに左に外れて行った。 これで決まれば大きくロンドン五輪に近づいたのだけど….
82分には永井がドリブルシュートを見せるが惜しくもクロスバーを越える。 それでも終盤になって日本のペースとなり、得点は入らなくても良いからこのままシリアを抑えてくれれば。勝点1が入れば予選突破が大きく開けてくる…そう思いだした…..

ショックの残る負け方だった。これでシリアが蘇生してしまった。
前回、北京五輪でも確か4試合目はアウェーのカタール戦で終了直前にPKを与えて敗戦を喫した。しかし続くベトナム戦では 4-0 で快勝を収め最終戦のサウジアラビア戦を引き分けて五輪出場を決めた。
幸いなことにシリアが次に対戦するバーレーンはマレーシアを破り勝点6となった。これでバーレーンのモチベーションが上がる中、次節はホームにシリアを迎える事となる。 
またこの試合には敗れたがシリアとの直接対決は1勝1敗得点、失点が3ずつなので当該同士以外の対戦成績が結果を左右する事になった。 こうなると次のマレーシア戦はアウェーとはいえシリアがアウェーのマレーシア戦での戦績 2-0 以上の勝利が要求される。 山田が怪我で離脱の報道が入って来た。 欧州組は招集できるのだろうか….清武は起用できるのか….

心配は尽きないが結果を出してくれる事を願う。でもマレーシアは昔はと良かったんだよなぁ….( また云ってしまった。)

だけどシリア国内の情勢はどうなるのだろう?国連の制裁決議案は中国、ロシアが拒否権を発動し、英国をはじめ西側の報道は連日政府軍の砲撃で何人の死者が出た...と報じられている。こういう国だからこそ五輪出場は必要なのだろう...だけでプレーオフで勝ってくれよ。






そして私はシリア戦の翌々日39度の熱が出た。1日で回復し、医者にはインフルエンザではなく風邪と診断された。

あぁ良かった

5大会連続出場に王手 !! Malaysia U-23 0-4 Japan U-23 22nd Feb.

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2月25日、起床するや否やスマホで AFC のサイトをアクセスした。 約4時間ほど前に終了したはずのバーレーンの首都 Manama で行われた Bahrain U-23 と Syria U-23 の試合結果を調べる為だ。
そして私の目には Bahrain 2-1 Syria の文字が飛び込んで来た。

Bahrain は Mohamed Tayeb Al Alawi の2ゴールで Syria に2-1 で勝利を収めた。
Al Alawi は前半12分に先制ゴールを決め、86分にシリアの交替出場選手 FW Ahmad Aldouni のゴールで同点に追いついたが
終了直前再び Al Alawi のゴールで再びリードを奪い、勝点3を挙げ勝点でシリアと並んだと報道されていた。
この試合結果により最も恩恵を受けたのがマレーシアを 4-0 で破った日本でシリア、バーレーンに勝点で3上回り、しかも得失点差で大いに優位に立つ事となった、とも書かれていた….

この結果は本当に多くの日本人を安心させた事だろう。私も日本がマレーシアを破った後よりもこの試合結果を知った時の方が嬉しかったし、大きな安堵感を憶えた….まだ予選は終わっていないけど…



2月初旬シリア相手にショッキングな敗戦を喫した後、マスコミはこぞって“日本は崖っぷち。” “大量得点しかない。”ってな
見出しや“合言葉”が発信され続けた。 山崎、山田、清武らが怪我で離脱していく事でその危機感を煽ってばかりだった。
何点をもって大量得点とするのかは誰も定義しない。それよりも日本が“大量得点”を奪っても対抗馬であるシリアの最終戦は“ホーム”でのマレーシア戦。日本以上に得点を挙げられることも充分に考えられる。ならばなぜ同じ第5節で行われるバーレーン対シリア戦の事を誰も触れないのだろう? まだまだ真のスポーツジャーナリズムが根付くのは遠いと思ったし、その方が自分で色々調べる必要が生じて面白いだろうなぁ….と思うのである。

マレーシアの地と言えば90年代以降は日本サッカー界にとっては“縁起”の良い地であろう。28年振りに五輪出場を決めた最終予選が行われたのがKuala Lumpur のシャーアラーム競技場。 そして初めてワールドカップ出場を決定した地がジョホールのラルキン競技場だった。
マレーシアは一時日本よりも“サッカー先進国”。アジアの列強を招いて Merdeka Tournament が60年代から行われたり、競技場も Merdeka Stadium 、シャーアラーム競技場等日本の国立霞ヶ丘競技場クラスの立派な競技場が建てられていた。
そしてこの五輪予選で使われたBukit Jalil Stadium は 2007年のAsian Cup で使われたがここも周囲には公式の Field Hockey 競技場もある素晴らしい Sports Complex の中にある。
今、もしマレーシア代表チームが70年代の様に韓国も日本も打ち破るだけの実力を維持しておればこの国のサッカー人気は計り知れないものになっているのではないかなぁ…..いつも私はそうおもうのだけど。今はマレーシアでサッカーと云えば Premiership の話題ばかりだ。

注目のスタメンは

怪我人が“続出”する日本 U-23 は GK 権田、 DF ラインは前節シリア戦と同じスタメンであったが中盤から前は負傷者もありかなり替えた。山口蛍と組むボランチはシリア戦では途中出場だった扇原が11月のシリア戦以来2試合振りにスタメンに。ワントップは永井ではなく大迫。高温多湿で試合が進むにつれて相手の脚が止まって来た時に永井のスピードを生かすのではと思われた。2列目は左に原口元気がホームのマレーシア戦以来4試合振りに起用され、前節シリア戦では2列目右だった東がトップ下に。そして2列目右には斉藤が今大会初起用された。 
シリア戦のスタメンとはかなりメンバーが替ったが9月のマレーシア戦と比較すると斉藤と左 SB の比嘉以外の9選手がスタメン起用されていた。

ホームのマレーシアは前節バーレーンに敗れグループ2位以内の可能性も無くなった為かこの試合はメンバーを大きく替えて来た。
最終予選初登場でボランチに起用された Muhammad Nazmi Faiz は17歳。他にも3選手が前節ではスタメンで無かった選手だったがその3選手、 CB Mohammed Fadhli, MF Mohammad Faudi , FW Thamil Arasu は9月の日本戦に出場した選手達。他にも20歳のMF Wan Zaharu Inizan Zakaria をはじめ合計7人の選手が9月の日本戦経験者だった。
前節バーレーン戦で同点ゴールを決めた FW Ahmad Hazwan Bin Bakri はベンチにも入っていなかった。
注目は GK Khairul Fahmi Bin Che Mat. A代表でもゴールを守ることもしばしば。9月の試合でも日本に26本のシュートを浴びながら失点を2に抑えた。彼からはそう容易に大量得点は取れるとは思わなかったが... 
また今年から始まる AFC U-22 大会に向けて GK Khairul Fahmi 以外は20歳以下の選手を多く登用していたらしい。
この AFC U-22 は2016年リオ五輪以降はアジア地区の五輪予選も兼ねるらしく私は非常に楽しみにしている大会だ。

先制 !! そして追加点 !!

日本のキックオフで始まった試合は地元のサポーターの歓声も高くその声援に押される様に開始80秒、左 SB ?Muhammad Zurib からのロングフィードが FW ? Ahmed Shakir に入る。オフサイドの笛はならずあわやのシーンであったがシュートまでは撃たれなず事な気を得た。もしここで決められていればけっこうパニックが起こったのではないか….
その後も柔らかいピッチに脚を取られてか3分4秒には原口から大迫へのスルーパスは長すぎてGK Fahmi が難なくキャッチ。4分46秒には斉藤から送られたパスが大きく跳ねて大迫の足元に収まらない。 キックオフ時の気温が 28.9度、湿度 72% 。“極寒”の日本からやって来た選手達(酒井も寒いドイツから)には堪える気候だっただろう。だから相手が主導権を握る前にペースを掴んで欲しいと願った。 
立ち上がりはマレーシアの守備陣の頑張りが目立った。守護神 Fahmi は7分44秒、山口が放ったシュートが相手DFに当たりこぼれ球を斉藤が拾い放ったショットを左に飛んでナイスキャッチ。16分28秒にも酒井のシュートをファインセーブで防げば、8分14秒東からボールを受けた原口に ?Zurid, CB ?Mohammed Amer がマークに入りCKに逃れ得点を防ぐ。 11分32秒には大迫がスローインを受けた扇原が入れたクロスに ?Zurib, ?Fadhli と競りながら放ったヘッドでゴールを狙うが僅かに外れる。
11分32秒には今度はマレーシアが攻撃に転じ ?Mohamad Faudi からボールを受けた FW ?Thamil Arasu がポスト役になり走り込んで来た 17歳のボランチ ?Nazmi Faiz に戻しシュートを引き出すがゴールの右に外れて行った。 
マレーシア選手が日本ゴールに近づくと大歓声が沸く。そして開始から“マレーシア! マレーシア!”と声援が絶えない。マナマでのバーレーン戦よりも観客のボルテージは高いのではないかと思った。



しかし18分マレーシアにアクシデントが起こる。 右 SB ?Mahalli Bin Jasulが倒れて起き上れない。 結局 ? Affize Faisal Bin Mamat と交替せねばならなかった。 この交替はマレーシアベンチにとっては想定外だっただろう。 以降は地力に勝る日本が優勢に試合を進める。しかし大迫のループ気味の正面からのミドルシュートが外れる等マレーシアゴールネットが遠い。 そんな中23分には酒井の権田へのバックパスが弱くそれを追い掛ける ? Arasu が最後はスライディングで迫り権田と交錯しそうになる。 立ち上がりにも似た様なシーンが見られへんな形で失点しないか時間が経つにつれて少し心配になった。
34分、右サイドMF? Zaharulnizam Zakaria からパスを受けた ? Nazmi Faiz が中にロブを送ったところを酒井がヘッドでクリアーすると大迫が更にヘッドで落とし斉藤が拾う。そして中央を上がった東にボールが渡り、前線に走り込んだ原口にスルーパスが通る。? Amer がマークに入りボールが原口の足元を離れ右に流れたところを走り込んだ酒井がマレーシアゴールに蹴り込み待望の先制ゴールを挙げた。 GK Fahmi は原口がシュートを放つと予測していた様だった。そしてようやく決まった先制ゴールだった。



しかしシリアがアウェーのマレーシア戦では 2-0 で勝利している。 1-0 でまだ不充分だと思った。ただマレーシアもゴールを上げないとはこの時点では言えなかったけど。
36分22秒には原口からボールを受けた東が放ったショットがポストの右に外れるとその2分後今度はの ? Mohad Irfan のスルーパスを酒井が追い付かずに ? Arasu に通る。しかしここは権田がストップ。40分4秒には酒井が ? Shakir へのチャージにイエローが出されFKが与えられる。FK はともかくイエローは厳しいなぁとこの日のUAE人の Mohamed Ismail Alzarooni主審 に対して思った。そのFKは ? Shakir がゴール前の ? Arasu を狙って入れるが鈴木がマークに付いてシュートを撃たせずそのままGK権田が掴んだ。それでもマレーシアが攻撃を始めると大歓声が後押しをする。
何とか先に次のゴールをと思っていた43分27秒、酒井への ? Zurib のチャージがファールにとられFKを得る。その FK に大迫が ? Fahdi のマークを受けながら放ったヘッドがマレーシアゴールに突き刺さり貴重な追加点が決まった。 しかも前半終了間際の良い時間帯であった。 これでバーレーン戦から4試合連続で前半終了間際にゴールが決まった。それがこのチームの強さかもしれない。 そして大迫はこの五輪予選初ゴール。 それも意味のあるゴールだった。

早い時間に追加点。しかしもう1点取れ無かったかなぁ….

後半に入り気温、湿度は下がったのだろうか…と気になる。今年の日本の冬は寒かったからなぁ….
46分大迫が? Amer と空中戦で競り合った後に頭部を地面に叩きつけてしまった。 その後大迫は数度プレー中に座り込むシーンがあり 59分に永井と替ってベンチに下がった。 
49分に酒井が ? Zurib ? Fandi をかわして中央の東にパスを通し更に折り返したところは GK Fahmi にキャッチされた。DFラインは簡単にかわせても GK Fahmi を破るのはやはり容易ではない。 しかし55分、3点目が決まる。右サイドから酒井が上げたクロスにファーサイドから飛び込んだ原口がボレーを叩きこんだ。 “謹慎明け”の原口にとっては嬉しいゴールだっただろう。
中央でダミーとなって飛び込んだ大迫が CB ? Amer と GK Fahmi を引き付け原口を楽な態勢でシュートを撃たせた。
更に5分後の60分には比嘉からのパスを受けた扇原のシュートをGK Fahmi が一旦は弾いたがこぼれ球を斉藤が押し込み遂に4点差となった。 4失点目を喫した GK Fahmi の悔しそうな表情が印象的だった。ここまで必死に孤独のゴールを守って来たのだけど….



後半に入って日本は斉藤が中に入って来る様になった。そして酒井が何度も上がって来る様になった。 そしてこの試合ではトップ下に起用された東が何度も攻撃に絡んだ。 シリア戦では右サイドで起用され対峙する Omar Al Suma, Mohammed Fares の攻撃の前に前線に出て来る機会がそれほどでもなかった。 またボランチ扇原も守備から攻撃に転じる時の起点に何度もなっていた。前の試合で起用されなかった選手がしっかりと結果を出していた。
マレーシアイレブンの脚は4失点目を境にがっくりと止まってしまった。 55分に MF ? Zakaria が怪我で下がった事も影響したと思われるが個人能力からしても攻撃時は数的優位を保たねばならないのに前線とDFラインが間延びしてしまい攻撃に転じてもシュートに持ち込めずゴールはますます遠のくばかりであった。 
選手のポジションも時間が右サイドの選手が中央や左サイドに出て来る事もだんだん増えて来たがそれは時間が経つにつれて能力の高い選手の個人能力に頼る傾向となった為の様であった。同じ選手ばかりが特に攻撃時に絡んでいた様だった…



日本は予選突破も考えるとまだまだ追加点が欲しいところであった。濱田のヘッドはクロスバーを越え、東のシュートはサイドネットを直撃。 頑張っていたDF陣も最後のマークが徐々にずれて来た。 85分には5点目の決定的なチャンスを迎えた。
右サイド酒井から永井に縦パスが通るそして? Infan を振り切り入れたクロスに交替出場の杉本がヘッドで合わせる。 GK Fahmi を破るがゴールに戻った CB Amer がクリアーし5点目は阻止された。

終了間際にはマレーシアも意地を見せ86分46秒には交替出場の? Syhrul Azwari Bin Ibrahim がドリブルで長躯右サイドを上がるが最後はボランチ山口がマークに付きクリアー。 91分32秒には CK から ? Fadhli がフリーでヘッドを放つがゴール枠を捉えられない。
そしてMohamed Ismail Alzarooni主審の試合終了のホイッスルが鳴り響いた。 



日本が快勝だったと思えたのは翌日のバーレン対シリア戦の結果を知ってからであった。 むしろ終了直前の決定機を逃した事の方が気になった。 シリアならホームで(とはいってもヨルダンで行われるのだろうけど)ならマレーシア相手に4点くらい取りそうだなぁ..と思い続けていた。
4年前も第4戦、アウェーのカタール戦で終了直前のPKで敗れた次のベトナムとのアウェー戦で 4-0 で勝利を収め最終戦のサウジアラビア戦を引分け北京五輪出場を決めた。

次節、国立競技場でのバーレーン戦で五輪出場を決めてくれる事を願う。

その頃にはもう暖かくなっているだろう。それにしても今年の冬は強烈な寒さだ。 

もう地球温暖化の妄言を吐く専門家も見当たらなくなって来たなぁ… 今日は雪が降って来たぞよ。



連敗で最終予選へ  Japan 0-1 Uzbekistan 29th Feb.

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54分、攻撃に転じていた日本だが香川が浮かしてウズベキスタンゴール前に入れたボールは CB ? Filiposyan がカットし MF ? Magdeev に繋ぐ。 Magdeev は中央から爆発的なドリブルで一気にハーフウェーラインを越えると右サイドを上がった ? Hasanov に送る。 そしてファーサードに入れたクロスに FW ? Nasimov が飛び込みヘッドで合わせる。 GK 川島がそのヘッドをブロックするもリバウンドがFW ? Shadrin の前のこぼれ、そのまま日本ゴールに押し込まれてしまった。 



北朝鮮戦に続いて先制ゴールを許してしまった。しかしこのウズベキスタンのカウンターは見事だたなぁ。まぁゴールが決まる時はいつもそうなんだけど。 ? Magdeev が ? Hasanov にパスを出す時ボランチ ? Kapadze が右から中へ切れ込み遠藤のマークを上手く遅らせていた。 
この失点で日本イレブンの目が醒めると思った。( 北朝鮮戦でも醒めなかったけど ) そして日本がウズベキスタン陣内でボールを回し続ける。 
71分、日本が素晴らしいボール回しを披露する。長友がボランチ ? Haydarov からボールを奪い、中の遠藤に繋ぐ。そして前線の香川に送ると香川がワンタッチで乾に送り更に右サイドの岡崎に戻す。 岡崎は CB ? Filiposyan 左SB? Rakhmatullyev に囲まれながら左の李忠成に送る。 李は中央やや右に走り込んだ乾に戻しゴール前に走り込んだ香川にスルーパスを送る。香川がシュート体勢に入るが右 SB ? Inomov がスライディングでブロックをしゴールに至らない。
73分には遠藤から右サイドの内田に大きく展開されると内田は中の香川に送るとワンタッチで右サイドの岡崎に送るが何故かオフサイドフラッグが上がる。 この約2分間がこの試合最高に沸いたシーンだった。
80分を過ぎるとウズベキシタンイレブンの球際の強さが目立ち始める。スタンドも多くの視聴者も宮市の投入機会を今か今かと心待ちにするが長友が負傷を訴え駒野がアップを始める。そして83分遂に長友がベンチに下がってしまい宮市の出番は無くなってしまった。 




87分30秒、ウズベキスタンはカウンターから ? Rakhmatullyev からボールを受けた ? Nasimov がシュートを放つが僅かにクロスバーを越えてくれた。 今野、吉田がそれぞれマークに付いていたのだが….
88分17秒には ? Shadrin が ? Nasimov に送り撃たれたショットはゴールの右に外れる。 88分33秒、右サイドを上がった内田に岡崎からボールが入るがまたもオフサイドフラッグが上がる。 ロスタイムに入り吉田が前線に上がってくるが91分47秒には? Nasimov から? Hasanov にパスが通り GK と1対1になるがシュートは川島の正面を突き追加点は決まらない。
ウズベキスタンはロスタイムに入っても時間を稼がずにシュートを撃ってくれる。まだツキは残っているなぁ。これが“消化試合”でなければこうはいかなかっただろう。
92分36秒には乾から香川にスルーが入るがここもシュート体勢に入るが ? Ismailov が身を挺して阻止。 これが最後のチャンスだっただろうなぁ…と言う予想は当たった。 

  

94分24秒、前線でボールを持った乾が遠藤に下げ前線の香川にめがけて放り込まれたがその前に ? Filiposyan がヘッドでクリアーしたところでロスタイム4分が過ぎカタール人のバリデー主審の試合終了のホイッスルが鳴り響いた。
ホームで、半分以上レギュラーのいないチームを相手に黒星。 ちょっと予想外の結果だった…..

日本のスタメンはほぼベストメンバー。本田圭祐の不在は香川がトップ下に入り今回は清水エスパルスの藤本が2列目右に入り、岡崎が左に起用され埋められた。 
ウズベキスタンは前節タジキスタン戦で 3-0 で勝利を収めたが7選手がイエローカードを受け、うちDF Shavkatjon, Tuhtahu, MF Tursunov, Galiulin, Djeparov FW Geynrikh ら6人が累積警告2枚となり日本戦は出場停止となっていた。
特に Djeparov, Geynrikh が出場出来ないとはそれだけで戦力は半減するはずだった。 9月の日本戦にスタメン出場した MF Victor Karpenko はこの試合はベンチにも入っていなかった。前節タジキスタン戦ではベンチ入りしたが出場はしなかった。
かつてのスーパースター Maksim Shatskikh はタジキスタン戦に続いてベンチ入りしなかった。 昨シーズンは所属先の Arsenal Kiev では今シーズンは17試合の出場に留まっている。 
1997年、あのワールドカップフランス大会予選でも 出場をしていた Shatskikh はこのワールドカップ最終予選も出場してくるのだろうか…
日本戦のスタメンで “レギュラー” だったのは GK Nesterov, DF Ismailov そして MF Haydorov そしてKapadze くらいで、FW Shadrin 以外の前のタジキスタン戦、その前の北朝鮮戦ではベンチ入りすらしなかった選手が6人もいた。
FW Shadrin はこの2試合ではベンチ入りをしたが出場機会は無かった。

あまり日本では報道されていなかったがウズベキスタンは試合の4日前、日本入りする前の2月25日、韓国代表とアウェーで“練習試合”を行っていた。しかも韓国はベストメンバー。韓国はこの時点ではまだ3次予選突破を決めておらず最終戦のクウェート戦で敗れたら予選敗退の危機もあったので結構真剣勝負であっただろう。
この試合は 4-2 で韓国が勝ったがこの試合のスタメン8人が日本戦のスタメンに名を連ねた。そして結局 Haydorov 以外の日本戦に出場した13選手が韓国戦に出場していた。
日本も25日にはアイスランド戦が組まれたがその試合に出場してウズベキスタン戦にも起用されたのは藤本、遠藤、今野、駒野の4選手だけだった。
その上ウズベキスタン代表は1月17日にクウェート戦, 29日にUAE 戦をアウェーで行っておりそれぞれ 0-1 で敗れているが、国内リーグも終わっている現状を踏まえてかその時期から始動を始めていた。
また日本戦に出場した選手達の中でも Ismailov ( 長春亜泰 ) Magdeev ( 青島中能 ) らが東アジアに馴染みがあり (出場機会が無かった K. Todjiev も中国 江蘇瞬天所属 ) Haydorov ( UAE Al Shabab ) , Hasanov ( Qatar SC ) らシーズン中の選手もいた。そしてこの日は出場停止だった中心選手の Geynlich は水原三星の所属だ。
こうして考えればウズベキスタンのコンディションは試合前日に来日する欧州勢が多かった日本とは比較にならないほど上回っていたと思われる。




それでも前半の日本は何度かチャンスを掴んだ。
16分、香川からのスルーパスが右サイドに流れたハーフナーに通りクロスを入れるとウズベキスタンDFに当たりあわやオウンゴールとなるところだった。中央に走り込んだ岡崎のマークに付いた? Andreev が手で岡崎を押したがホイッスルは鳴らなかった。
22分には決定機を迎えた。 香川からのスルーパスがDF ? Ismailov の股間を抜けて岡崎に通る。そして? Inomov をかわして放ったシュートはファーサイド、左上のクロスバーを叩き惜しくもゴールにならない。 25分には長友が長躯ドリブルで左サイドを上がり中に切れ込みながら右サイドにゴロでラストパスを送るが滑り込んだハーフナーには僅かに合わなかった。
前半ロスタイムに入るとCB吉田が上がってくる。そして ? Hasanov と競りながら放ったヘッドはクロスバーを越えてしまった。

前半は香川のスルーパスが目立った。所属先の Dortmund でも HSV 戦の様に先制ゴールをアシストするなどナイスパスを連発し Die Kicker の ベスト11にも選ばれる等の活躍だったが後半に入ると、特に乾が投入された後はその乾が香川の役を担い香川が“ラストパス”を受ける側に立った。 
敗戦の中でも乾は収穫では無かったか?さすがに所属先の Bochum で結果を出している選手と思いその抜擢にもさすがと思った。

  

宮市が起用されなかったのはただ不運だった。 長友の怪我がなければチャンスはあっただろう。今週行われる Manchester City 戦でも出場機会があるだろうか…..

それからマスコミを筆頭にウズベキスタンを過小評価しすぎていなかったか?
昨年の Asian Cup では日本、オーストラリアに次ぐ3位に入った実績を持つ国だ。 今行われているロンドン五輪予選でも出場チャンスが充分にある。2010年 FIFA U-17 では準々決勝に迄勝進んだ。
同国サッカー界のスーパースターは2010年 FIFA World Cup の開幕戦南アフリカ対メキシコ戦で主審の笛を吹いたRavshan Irmatov 審判。同国の Rafael Ilyasov 審判も線審を務めた。
また首都タシュケントには Real Madrid Football School が開設される事が同意されたが、この“事業”にはIslam Karimov大統領の令嬢 Gulnara Karimova 氏が1枚噛んでいるがかつて彼女は在スペインウズベキスタン大使館で従事しておりその際は FC Barcelona の Joan Laporta 元社長とも交流があったらしい。
そこは元共産圏。官を上げての強化が容易になされる。 今年行われるオリンピック、そして次のワールドカップの出場権を勝ち取れば国から報奨金が出る事は必至だ。
ソ連邦時代、首都タシュケントはモスクワ、レニングラード(サンクトペテルブルグ)、キエフに続いて4番目の大都市だったが当時から存在するクラブ、パフタコールは全ソ連リーグでは中位に位置していたクラブだった。しかし“ソ連代表”には選手は選ばれていただろうか? 当時の中心選手は Dinamo Kiev の選手が多く他には Dinamo Moscow や CSKA, Supartak, Locomotiv 1982年大会にはシェンゲリア、チバーゼと言ったグルジアの選手もいたけど…

翌日主将の長谷部が最終予選前に“緊急合宿”を提言したらしい。
最終予選は6月に始まり3試合行われる。欧州組みは数週間前にシーズンが終わったばかりでコンディションが心配、と言う事だろう。 J-League との調整がどうなるかだ。
またこの敗戦で第1シード権を失ったという報道が広くなされている。これで韓国かオーストラリアと同じ組になる事となったが、この2カ国も日本とは同じ組になりたくはないだろう。 しかし前回のワールドカップの結果から日本と韓国がシードされるかもしれない。
第2シードとなったとしても恐らくイランも第2シードとなり同組になる事が避けられる。 そうなると第3シードのウズベキスタンかイラクのどちらが同じ組になるだろう……

消化不良に終わったウズベキスタン戦であったがその直後に中継されたなでしこの試合でそれが一掃された。
現地入りしたのは2日前。時差が残り気候も変わり調子が上がらない中欧州でも列強のノルウェーに先制される苦しい立ちあがり。しかし前半終了直前に鮫島からの縦パスを受けた宮間が左サイドを上がり入れたクロスに逆サイドの永里が身体で押し込み同点。後半は阪口からボールを受けた川澄が放ったミドルが相手DFに当たってノルウェーゴールに飛び込み逆転。以降は主導権を握り見事勝利を収めた。 立ち上がりはリズムが掴めずも終わってみたら勝利を手にしている。まさに強いチームの試合運びだった。
そして私は家内に云った。

日本女性はすばらしい。

Iceland 代表。遥かなる思い出。 Japan 3-1 Iceland 25th Feb.

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ワールドカップ予選、ウズベキスタン戦の4日前。その“準備試合?”としてIceland を招いて親善試合が行われた。Iceland と言えばサッカーではなかなか馴染みが無いが Handball では欧州でも列強。そして日本と同じ捕鯨容認国として Norway と共に欧州では叩かれる事がしばしば。
ただし私は何故捕鯨問題がこれだけ世界で叩かれるかのは不思議でならない。 今年初め英国紙に“欧州での捕鯨高は日本のそれよりずっと高い。”と言う記事があった。イギリス人から言わせれば“それは Norway と Iceland のみの漁獲高で英国は関係ない。”と言う事らしいが…..
2008年10月。リーマンショックの最初の影響を受けたのが Iceland 。しかし2月17日の英国紙には
“ Iceland’s Viking Victory “ と言う見出しがあった。そして文頭には “ Congratulations to Iceland. “ と言う行で始まっていた。
一時は同国の GDP と同額の債務があり同国の国債の格付けも BBB+ であったのが BB- に格上げされたとの事。そして OECD の発表によると年間経済成長率は 2011年は 2.9% であったと発表され、 2012年は 2.4% となり2連連続のプラス成長となる見込みで2010年は 7% だった失業率は2011年は 2.9% となり 2012年は2.4% に下がると見られている。
そして対外債務は 2010年は GDP比 11.2% であったのが今年は 3.4% に下がり更に翌年は無くなる見こみとの事であった。
その要因は色々あるが EU に加盟していながら通貨は €を採用せず Icelandic Kroner を採用を続け Kroner 安になった事から輸出製品の国際競争力が付いた事となり輸出が伸びた事等が要因となっているらしい。ギリシア、スペインと異なり輸出アイテムがある国はやっぱり強いと言う事か…..

Iceland 代表と言えば70年代日本が“対戦する事が出来た”数少ない欧州の代表チームだった。
1971年7月に2カ月後にソウルで開催されるMünchen 五輪予選の強化合宿として日本協会は代表を欧州に遠征させ当時欧州でも列強だった Borssia Mönchengladbach や Southampton 等と7試合を行い Copenhagen ではデンマーク代表(メンバーは五輪代表であるがデンマーク協会では A マッチとして認定 ) との試合も組まれた。デンマーク代表戦では世界の釜本が2ゴール で健闘するも 2-3 で惜敗する。
そしてこの遠征は6戦6敗であったがデンマーク戦の好勝負がアイスランド協会に評価され予定されていた遠征が終わり帰国する前にアイスランドに招待されAマッチが組まれた。
そして日本は杉山隆一の2ゴールで Iceland 代表を降したのだった。
この様子は当時、専門誌で報道された記事を立ち読みして知ったのを思えている。もう40年以上昔の話だ。

この試合に就いて Iceland ではどの様に報道されたのだろう….

Experienced players of Japanese team ( 遠藤はスーパースター )

今日の試合で日本代表は国内リーグでプレーする選手達で臨むがそれでも大変経験に富んだ選手がいる。

世界をリードする男 Yasuhito Endo は同国でも屈指の選手だ。 ガンバ大阪でプレーする彼は代表試合出場数 112 を数える国際的な選手だが日本のクラブチームでしかプレーした事が無い。 遠藤はワールドカップ 2006年大会と2010 年大会にメンバー入りし2010年南アフリカ大会ではデンマーク戦で貴重なゴールを決め決勝トーナメント進出の立役者の一人となった。 
遠藤はこれまで歴代日本代表出場100試合以上を記録した4選手のうちの1人だ。

遠藤は Mainichi Daily News 紙に2月29日にワールドカップ3次予選の最終戦ウズベキスタン戦を控えているが
その試合はあまり気にかけていないと語った。

“2月29日の試合はあまり気にしていない。我々は Iceland 戦に集中し好結果を残す事に集中している。この試合には多くの新しい候補選手が選ばれている。彼らはまだ未経験だが経験を重ねる事は良い事だ。 彼らはコーチが彼らに期待する事を理解するのに時間が必要だ。” 31歳の遠藤は語った。



そしてビッセル神戸でプレーするストライカーの Yoshito Okubo は久々の代表選出となった。しかしかれは2010年ワールドカップ南アフリカ大会でプレーしている。  その後彼はドイツの Wolfsburg でもプレーをした。
29歳の大久保はこれまで日本代表で53試合出場を果たし, Wolfsburg では9試合に出場しその後スペインの Mallorca でもプレーをした。

“選手とされた事を知った時は驚いた。 これは私にとってはまさにラストチャンス。しかしそういう事は考えずにただ出来る事をアピールしたい。” 大久保は The Mainichi Daily News に語った。

イタリア人のAlberto Zacchereoni 日本代表監督は25人の選手の中で5人の初選出の選手を選んだ。 その中の1人が昨シーズン J-League で12ゴールを上げた10代の Hidetake Kanazono だった。

世界ランク30位の日本は既にワールドカップアジア最終予選に進出を29日に対戦するウズベキスタンと共に決めている。しかし次の試合はグループ1位を決める試合となる。
Iceland 戦に出場した選手の何人かはウズベキスタン戦にも起用されるだろうがその試合には欧州でプレーする14選手が合流すると考えられる。

この試合は日本代表との3回目の対戦となり40年以上前の夏に Reykjavík の Laugardalsvellinum 競技場で対戦した時は日本が 2-0 で勝利を収め、2004年 England の City of Manchester Stadium で対戦した時も日本が3-2 で勝利を収めたが当時ここでプレーする ( Manchester City 所属の ) Heidar Helguson が2ゴールを挙げた。

当時のメンバーは下記の通りだった。

In 1971: Thorstein Olafsson, John Atlason (captain), Olafur Sigurvinsson, Gudni Pham, thru Stephen's son, John Edvaldsson, Matthias Excellency, Eyleifur Hafsteinsson (Steinar Jóhannsson 85th), Hermann Gunnarsson, Asgeir Eliasson, Thomas Palsson.

In 2004: Arni Arason, Ivar Ingimarsson, Peter Marteinsson, Hermann Hreidarsson, Out: 'John Karl Gudjonsson, Brynjar Bjorn Gunnarsson, Arnar Gretarsson, Indriði Sigurdsson (Marel Baldvinsson 77th), Heidar Helguson, Eidur Gudjohnsen (captain).


Iceland のある中心選手が日本代表では遠藤を知っていると話していた事がテレビ中継で報じられたがそれは地元紙が遠藤を取り上げたからか? しかし改めて彼の偉大さが解る気もした。
更に 1970年代初めの釜本、杉山の偉大さも。
1971年対戦時の日本代表のメンバーはよく解らないらしいが2004年対戦時のメンバーは下記の通りだった。

GK 楢崎、 DF 坪井、宮本恒、中澤、加地、稲本 ( HT 福西 ) 小野 ( 60’ 遠藤 ) 三都主、中村俊輔 ( HT 本山 )
FW久保 ( HT 鈴木 ) 玉田 ( HT 柳沢 )
0-1 5’ Hreidarsson , 1-1 21’ 久保、2-1 36’ 久保、2-2 50‘ Hreidarsson , 3-2 58’ 三都主 
82’ Gunnarsson 退場

この試合の翌々日同じ競技場で欧州選手権前の England と対戦し日本は小野伸二のゴールで 1-1で引き分けた。England のゴールはオーウェンだった。

歴史を紐解くには対戦相手の報道を調べた方が良い事も再認識した。



Japan - Iceland 3-1
Iceland 代表チームは大阪で行われた日本代表との親善試合に 1-3 で敗れた。日本のゴールは全て Iceland のDF陣を破ったもので Iceland はArnor Smarason のPKで1ゴールを還したに留まった。この試合はLars Lagerbäck監督のデビュー戦でもあった。

Iceland イレブンは開始わずか94秒で悪夢を見た。 Ryoichi Maeda が Gudmundur Kristjánsson と競りながらヘッドを Iceland ゴールに捻じ込んでしまった。



Iceland イレブンは前半日本に脅威を与えられなかった。目立ったビルドアップが出来なかったが何度も危険地帯ではボールを奪ったがゴールは遠かった。

Icelandは前半を 1-0 で終えた。フィールドプレーでは対等にプレーしたが空中戦では主導権を握られた。
後半Iceland は良い立ち上がりを見せたが、いけないミステークを犯した。
中盤で Steinthor Frey がボールを奪われ右サイドにワイドに開いた Jungo Fujimoto にボールを送られた Arnor Sveinn Adalsteinsson は誰も藤本にマークに付けずシュートを許しスコアーを 2-0 とされた。
その直後から Iceland も攻撃に転じる場面が創られ何度も CK とスローインが見られたが得点には至らなかった。

79分に再び攻勢に出た日本は3点目を決めた。 FKがPAの右外にいた Tomoaki Makino に送られそのまま槙野が放ったショットが Iceland ゴールに突き刺さってしまった。
後半は調子よく試合を進めていた Iceland イレブン達にとってこのゴールは堪える失点であった。



試合終了間際に PK を得た Iceland はArnor Smarason が決めて 3-1 として試合が終わった。

Iceland の選手達はよくファイトし突破もここ大阪で見せた。Olaf Johannsesson の突破からよくチャンスを掴み掛けたがそれはよく見られる試みでこの試合は結果に結び付かなかった。
Lagerbäck 監督の目指すところはまだ浸透していない様であったがこの試合だけでは判断できないだろう。

両チームとも “B代表チーム”であった事は注視すべきで日本はほぼ全員が国内でプレーする選手で Iceland も
昨秋ポルトガル戦で 3-5 で敗れた試合に出場したHallgrímur Jonasson のみがこの日の代表レギュラー選手であった。
右サイドバック選手の発掘が急務であるがこの日開始94秒に失点の原因を創った Gudmundur Kristjánsson はDFの選手とは言い難く後半から投入された Skuli Jon の方がやや良いプレーを見せ今後のオプションとなると思われた。



結果は 3-1 で日本の勝利であったが、出来れば完封勝をして欲しかった。
しかし相手もわざわざ日本に遠征に来ているので“手ぶらで帰りたくない。”と言う気概はテレビを見ていても伝わって来た。それが最後のPKに結びついたか。
当初、Iceland も国内クラブチーム所属の選手で来日の予定であったが数人の北欧でプレーする選手も召集した。
欧州選手権予選でレギュラーだった FW Gudmunsson ( AZ Holland : 7試合 ) H. Helguson ( QPR England : 5試合 2ゴール ) R. Gislasson ( QB Denmark : 5試合 ) MF B. Bjarnason ( Standard Liege Belgium 6試合 ) A> Gunnarson ( Coventry City England 5試合 ) G. Sigrudsson ( Swansea Wales 5試合1ゴール )
DF : Saevarsson ( Braun Norway 7試合 ) Sigrudsson ( Honefoss Norway 7試合 ) E. Johsson ( Wolves England 5試合) I. Sigurdsson ( Viking Norway 5試合 ) らは来日しなかった。
もしアウェーでフル代表と試合をしたらどんな結果になっていただろう?
Arnor: Would show me and prove
“試合開始時は我々は前に出ようとはしなかった。ゴールに向かうには時間が掛かった。” MF Arnor Smarason は試合後に語った。

Gardar Johannsson がPA内で(槙野に)倒されて得たPKを決めた Smarason はこの試合、 Iceland の選手の中では最高のパフォーマンスを披露した。彼の得点は代表13試合出場で2得点目となった。

“前半の中盤迄もっと我々はやれると思ったが日本は素晴らしいチ-ムだった。後半は日本とは何とか対等にやれるシーンもあったが前半の2失点は大きかった。 この日は経験に乏しいメンバーが主体だったので勝負どころで上手く出来ない場面があった。” Smarason はこう語った。

新監督にこの試合でアピールする事は出来たか?の問いに就いては。
もちろんだ。 完璧に準備を行った。私は自分自身に証明したかった。 昨年は減退した年だった。しかし長期間に渡りコンディションを上げて良いフォームを固め完璧に復帰して来た。この試合の雰囲気は大変良く、こう言う機会を持てた事を充分に楽しめた。 こう言うムードを充分に楽しめた。“  新監督に就いてはの問いには
“新監督と共に良くやれたと。彼は良き仲間達を準備した。 彼は何をやりたいか解っている。そして選手には良いメッセージを発信し、私は将来良くやれるとだろう。” と語った。


Lagerbäck: true overall

試合後の記者会見で Lars Lagerbäck 監督は日本のメディアにチームと個々のパフォーマンスと何故若手中心のメンバーとしたのかと言う問いにこの様に回答した。

Lagerbäck 監督は守備的に試合に入ったばかりの開始2分の失点を悔やんだ。

“開始の20分〜25分のプレーには満足していない。しかしその後は徐々に試合に順応して行けたと思う。そして最終的には選手達のパフォーマンスには満足している。 もちろん我々は敗れたくは無かった。 
しかし我々は殆どの選手達がこんな大観衆の前でプレーした事が無い事に注意せねばならなかった。 何人かの選手はパフォーマンスの高い日本チームを相手にした代表デビュー戦であった。“

Arnor player of the future

日本では後半から登場したFreyr Thorsteinsson とスタメンで MF だった Arnor Smárason の評価が高かった。

“いや、我々はハンドスプリングスローの練習は特にはしない。しかし彼が必要な時は試合中に半戸スプリングスローを行う。観衆の反応は楽しかった。そして試合には良いスパイスとなった。しかし我々はエンターテイナーでは無い。 試合中は可能な限りボールをキープしていたい。そしてもしこう言う事が必要であればハンドスプリングロールをやらせるだろう。それはコーナーキックの様によく飛ぶからだ。  Arnor はゲームでは新鮮感があった。彼は将来のある選手だ。いかなる攻撃のバリエーションも恐れずにトライしていた。

スウェーデン人のLagerbaeck 監督の代表監督デビュー戦は黒星となった。
これで Iceland 代表監督のデビュー戦は3連敗となったらしい。


Olafur Johannesson - 0-3 loss to Denmark (outside)
Young Lions - 0-2 loss to Trinidad (outside) Dwight Yorke の2ゴール !!
Asgeir and Blaze - 2-1 victory over the Faroe Islands (home)
Atli Edvaldsson - goalless draw with Norway (outside)
Gudjon Thordarson - 0-1 loss to Norway (home)
Logi Olafsson - 1-7 loss to Slovenia (outside)
Asgeir Eliasson - 2-0 victory over Spain (home)
Bo Johansson - 2-1 victory over Luxembourg (outside)
Sigfried Held - 1-2 loss to Bahrain (outside)
John Atlason - goalless draw with Kuwait (outdoor)
Gudni Pham - 0-4 loss to Wales (home)




この試合の4日後 Iceland は Montenegro と対戦し 1-2 で敗れた。日本戦が参考になったのかな?
また Montenegro 戦もこの試合の詳細を探す事としよう。

日本がアジアの壁に阻まれていた時代、マレーシアは

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確か後半もう42分頃だったと思う。スコアーは 1-1だった。中盤右サイドでFKを得た韓国はマレーシアゴール前に放り込むがマレーシアDFがヘッドでクリアーそしてそのこぼれ球を拾った Hassan Sani が中央を素早いドリブルで一気に上がって行く。1人、2人と韓国選手が置き去りにされ遂に韓国PA内に侵入して来た。そしてそこに3人目の韓国選手がマークに入ると彼の左にはフォローに入っていたジェームス=ウォンがフリーで待っていた。 Sani はJ. ウォンにパスを送ると J. ウォンはそのままシュートを韓国ゴールに蹴り込み再びリードをマレーシアに齎した。

http://www.youtube.com/watch?v=S4aKMUYdWBY&feature=related

これでマレーシアのモスクワ五輪出場がほぼ決まった。
この予選、韓国が絶対本命視されていたのに勝ったのはマレーシアだった。
J. ウォンは予選リーグの日本戦でも後半に貴重な同点ゴールを決めていたストライカーだった。
何度でも言おう。 今から32年前、1980年3月にマレーシアのクアラルンプール、 Merdeka Stadium で開催されたモスクワ五輪アジア地区第3組予選は今でも忘れられない。 
当時はマレーシアで集中開催されたサッカーの五輪予選なんてテレビ中継してくれなかった。だから私は韓国のラジオ局が中継する試合の模様を必死で聴いていた。 韓国語はさっぱりわからないけどサッカー用語は同じだった。 スローイン、フリーキック、ペナルティーキック。そして得点が決まった時、アナウンサーはゴールイーン!!と叫びその後に選手の名前を言う。 
韓国戦( 1-3 で敗れた)の 0-3 からの木村のゴール。そしてマレーシア戦 ( 1-1 で引分け)の碓井の先制ゴールはそのアナウンスで解った。 韓国はマレーシア対日本戦までラジオ中継をしていたのだった。 
もちろんマレーシア対韓国の試合も中継され聴いていた。 予選リーグで韓国はPKを失敗する等 0-3 でマレーシアに完敗。
そして1位、2位が直接対決で予選突破チームを決める云わば決勝戦でもマレーシアが先制し韓国が追い付く展開だった。
韓国には李栄武、趙広来、許丁茂らを擁していた。そしてこの予選会は絶対の自信を持っていた。
しかし最後のジェームス=ウォンのゴールに沈んでしまった。 J.ウォンが決勝ゴールを決めてから試合終了までの数分間、韓国ラジオ局のアナウンサーはすっかり声を失い、地元大観衆の大歓声が良く聞こえた。

予選会終了後の韓国の関係者達の落胆ぶりは大変なものだったらしい。 絶対の自信があったから。
勝ったのは地元のマレーシアだった。8年前ソウルで開催されたミュンヘン五輪予選で韓国、日本を降したマレーシアが2大会ぶりに五輪出場を決めたのだった。
しかし…..マレーシアはモスクワ五輪に出場しなかった。
ソ連軍のアフガニスタン侵攻に抗議する為にアメリカ、西ドイツ、日本と言った西側陣営に同調し選手団を送り込まなかったからだ。 このボイコットはマレーシアサッカー界にとって大変なマイナスとなってしまった…..

まだまだ我々は追い付く為にはやらねばならない事がたくさんある

昨日(2月22日) National Stadium で行われたロンドン五輪予選で 日本に4-0 で敗れたマレーシアはアジアのベストチームに追い付くにはまだまだ長い道のりが残っていると言う厳しい現実を突きつけられた
この五輪予選9試合目で最も点差の付いた敗戦を喫し 最終予選Group C の戦いでも5連敗中のマレーシア U-23 チームはイマジネーションに欠け、1対1の球際も強さを見せられなかった。
Ong Kim Swee 監督は日本の様なチームと互角にやる為にはもっと多くの事をやらねばならないと言う事を認めた。
“私は誰もが私達は多くの事をやらねばならないと言う事を見る事が出来たと思う。我々は最初の日本戦(昨年の鳥栖での試合)よりも良いチームに敗れた。 多くの人は我々を 2-0 で破った時の日本と比較できると思う。
“この試合で我々は多くの攻撃オプションを試したがそれがいけなかった。我々は90分間コンスタントに闘う必要がある。我々には日本の様な能力が無かった。そして我々は罰を与えられた。
我々はこのレベルに到達する為には何が必要かを学ぶには良いレッスンだった。 それは我々と良くて、更に熟成されたチームとを隔てるものであった。“ 試合後 Kim Swee 監督はこう語った。
これで1999年以来マレーシアは日本五輪チームには7戦7連敗となった。
そしてこの試合のターニングポイントとして前半終了間際に決まったスコアーを 2-0とする大迫のゴールを上げた。
“あのゴールが我々を終わらせた。 2点差を追いつくのは至難だ。あれがターニングポイントだった。選手達は何とかしようとしたが我々は良いプレーをさせて貰えなかった事を認めねばならなかった。”



2007年4カ国共同開催で行われた Asian Cup 。開催国の中でマレーシアだけが勝点0に終わった。
そして4年後のAsian Cup には本大会に進めなかった。(それは他の3カ国も同じ) 
何故マレーシアはこんなに弱体してしまったのだろう。 

原因の一つにこの国にある“民族問題”があげられる。 1970 年代には人口の大多数を占めるマレー系のみでは無くインド系、華僑系、サバ系そしてサワラク系らが融合したチームだったらしい。それが今ではほぼマレー系のみとなっているらしく、この事は2007年 Asian Cup 終了後、代表選手選考を巡り地元のマスコミに報道されていた。
その他にも賭博に絡んだ八百長問題は後を絶たず最近は衛星放送やペイパーヴューの発達で England の Premiership が
多くの人が容易に楽しめる様になった為に誰も“マレーシアサッカー”に興味を持たなくなってしまったらしい…
それでも国内リーグには多くの観客がスタジアムに詰めかけ、優勝の掛かった試合はスタンドが満員になる。そういうシーンを何度も商用でマレーシアに訪れた時にテレビで見た。(テレビ中継もされる。)
J-League 発足前には日本協会の役員がマレーシアに視察団を送ったらしい。それほどマレーシアはアジアでも屈指の“国内サッカー熱狂国”でもあるらしい。
それにしても代表はいつになったら昔の栄光を取り戻すのだろう。

Mokhtar Dahari, R Arumugam , Soh Chin Aun....
1970年代には親善試合で Arsenal をMokhtar Dahari の2ゴールで 2-0 で破っているらしい。Shukor Salleh, Santokh Singh, Wong Choon Wah, Hassan Sani, Chow Chee Keong, Reduan Abadullah, Isa Bakar, Bakri Ibni, Lim Teong Kim, James Wong , そして Abdula Ari ….
彼らの様な選手が揃う事はも無いのだろうか…



AFC U-22 開幕

今年からアジアで新しい大会が始まる。それがAFC U-22 だ。2年毎に開催され、2015年大会はリオデジャネイロ五輪予選も兼ねるらしい。 
今年6月下旬から2013年決勝大会の予選が始まる。 この予選は東西アジアを2つのグループに分け西アジア23カ国を4つのグループに。日本、オーストラリアを含めた18カ国を3つのグループに分け上位2カ国と一番成績の良かった1カ国そして大会ホスト国の16カ国が決勝大会に進出する。
だけどホスト国はどうやって決めるのだろうか??
日本はオーストラリアと同じ Group E 。予選が6月下旬と言う J-League がシーズン中に行われるのでどういう人選で臨むのだろうか? マレーシアはこの前の日本戦から既にこの大会をにらんでの選手選考であったらしい…..

はやくこの大会の概要が完全に決まらないかな….Group E の予選が日本で行われる事を祈るけど…

原発問題がここでどう影響するか….なんだわなぁ…

キタ---------------------ッツ Soccerooooooooos !!!!!

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先週初めから商用でオーストラリア大陸を訪れている。
寒い日本を離れて最初に降り立った地が西の端の街パース。 連日40度近い気温に閉口しながら過ごし次の訪問先 Brisbane に到着しチェックインをするや否やこの日に AFC の本部がある Kuala Lumpur で行われたワールドカップ最終予選の組み分けをチェックした。
日本は前回同様オーストラリアと同組。そして私が最も避けたいと思っていたイランは別の組みに振り分けられた。
オーストラリアの地でオーストラリアと同組になる事を知る。 両者が最初に対戦する6月が非常に待ち遠しくなって来た。
日本ではその組み分けを歓迎する報道が流れているらしいが、北朝鮮、ウズベキスタンに連敗中の日本は現時点で2年後のワールドカップに就いては出場が決まったわけでは無い。



Socceroos to resume Japan rivalry in qualifying group for Brazil

Socceroos は日本と共に2014年ワールドカップブラジル大会のアジア地区最終予選で同じ組に組み分けられ新たに始まる競争に臨む事となった。
Socceroos は他にイラク( FIFA ランク 76位 )ヨルダン ( 83位 ) オマーン ( 92位 ) と同じ組となり FIFA ランク20位で AFC 加盟国の中では最高位のオーストラリアの予選突破は大変期待できるものとなっている。

もう一方のグループではアジア諸国の中では2番目にランクの高い韓国がオーストラリアと共にシードされイラン、ウズベキスタンそしてレバノンと同組となった。

Socceroos の Holger Osieck 監督は日本との対戦まで時間が短い事を気に掛けてはいるがこの組み合わせには大変喜んでいる。

“移動の観点から見ればこのグループでOKだ。イラクに就いてはカタールか UAE での試合になるだろうしヨルダンもオマーンもアクセスはOKだ。そして明らかに日本に就いてもである。 ビザの発給に就いても心配する必要はない。

我々は組み分け抽選のずっと前から我々は中東諸国と開幕戦を迎えるであろうと解っていた。だからデンマークとの親善試合を組んだ。そこから中東諸国へのフライトは6時間程度だ。それはオーストラリア人にとって何の問題も無い。 そしてヨルダンからブリスベンに戻らねばならない。おそらくそれが移動に就いては最も懸念されるところだろう。そこ以外は問題ないと思う。ただそれを(移動を)をこなせばいいだけだ。

もし我々が予選を突破したいならばいかなるチームでも倒さねばならない。今や我々は対戦相手が明らかになった。そして我々はそこから始まる。
疑うまでもなく Blue Samurai との2試合にはもっとも注意が注がれるであろう。そして Alberto Zaccheroni
サイドとしても Soccoeroos がリーグトップの地位を賭けて闘う相手であろう。
この両者は2006年のワールドカップでオーストラリアが忘れられない 3-1 での勝利を収めて以来、お互い侮り難い対戦相手で昨年の Asian Cupではオーストラリアを撃破しそれに応じた。
ワールドカップ2010年大会でも両者は同じ組となり日本の試合では 0-0 で引き分け、 MCG では 2-1 でオーストラリアが勝利を収めた。
しかし日本は昨年の Asian Cup 決勝戦の延長戦で 1-0 で勝利を収め最後に- これまで最も高らかに - 笑っている。
現在の FIFA ランクではオーストラリアは日本より13位上回っているが、実際に対戦する段になるとそれは参考には出来ないだろう。

日本、イラク、オマーンとはここ数年で少なくとも3度ずつ対戦している。ヨルダンだけは対戦実績が無い。ヨルダンは3次予選では中国とシンガポールを退けイラクに次いで2番手で最終予選に進出して来た。

“私でさえヨルダンや彼らの football のスタイルは解らない。Asian Cup で彼らを見たがその時は対戦相手の日本の方に関心が偏っていた事を認めねばならない。しかし彼らは大変良くプレーをしており、真剣に闘わねばならない相手だ。そして彼らに関する情報を収集せねばならない。”



Socceroos face arch-rivals Japan in World Cup qualifying group

トップシードのオーストラリアはアジア王者の日本、同様にイラク、ヨルダンそしてオマーンと2014年ワールドカップブラジル大会アジア地区最終予選で対戦せねばならない。
“それはタフなグループとなるだろう。特にアウェーの試合では。” Holger Osieck 監督は金曜夜のクアラルンプールでの抽選会の後で語った。
しかし Osieck 監督は1年間に亘る8つの予選試合をこなして上位2位内に入り3大会連続ワールドカップへの出場権を勝ち取る事に自信を覗かせている。
“遠征に就いては対戦相手の地へのアクセスは容易である。そしてビザ発給の問題は無い。
“我々は何をすべきかが今や明らかになり、何を齎すべきかを解っている。 我々はスタートから適所から始めねばならない。最初の1分から。”
Socceroos にとってその最初の1分は6月8日のオマーンで始まる。そこは最後の Melbourne での Saudi Arabia 戦で勝利を収め6試合中5勝を挙げ1位で通過した3次予選の戦いで我々を唯一打ち破った国のホームである。
Osieck 監督はいかなる突破の期待が非常に高い予選でも最初の試合が最もタフになる事を熟知している。
アウェーでオマーンに 1-0 で敗れた試合は今でも彼らの記憶に新鮮に残っている。
World Cup hat-trick hopes high
アジア最終予選の組み分けが発表されてそれが好まれるものとなりオーストラリアの3大会連続ワールドカップ出場の希望はかなり高くなって来た。

Socceroos が日本、イラク、ヨルダンそしてオマーンと同組になった事はHolger Osieck代表チーム監督に微笑みを齎した。
オーストラリアは最終予選の開幕戦を6月8日にオマーンとのアウェー戦で迎え6月12日にはブリスベンで日本を迎える。

“遠征に就いてはもっと大変になるかと按じたが、この組み合わせをみて良かったと思った。
日本戦に就いてはいつも良い。 彼らは我々をよく扱ってくれる。我々を非常に尊敬してくれて練習場も素晴らしいものを与えてくれる。 我々の様な客でも荷物等丁重に扱ってくれる。“

しかしながら彼はこの予選はピッチ上で多くのチャレンジが演じられる事も認めた。
“私はこの予選会の予想に就いて大変エキサイトしている。我々は何をすべきかが今や明らかになり、何を齎すべきかを解っている。それが今はわかっている。 多くの”しかし“や言い訳はもう出来ない。

“我々は準備を行い、(最初の試合に)集中せねばならない。 我々にはレベルの高い、充分な経験のある選手がいる。彼らはそれら全てを熟知している。なぜならずっと予選を戦っているからだ。
イラクと言う常にタフな相手がいるが Socceroos は Group B の2位内に入る事が予想れれている。
イラクに就いては

“イラクはイランと似た様なスタイルの football をする。彼らは強く、技術も高く戦術にも長けている。昨年の Asian Cup の決勝戦を振り返ってもあれはタフな試合であった。我々は延長戦で勝ったが90分以内で勝つべきであった。” 
日本に就いては
日本に就いては全てを知っている。そして彼らがいかに素晴らしいかも。彼らは大変技術が高く、質の高い選手が多い。“ 
ワールドカップでの戦績では日本は1998年に最初に出場を決めて以来2002年大会2010年大会で決勝トーナメント進出を決めているがオーストラリアは 2006年大会1度のみだ。
Oseick 監督は 2000年代の初めに J-League の浦和レッドダイヤモンズを指揮している。
Socceroos にとって重要な事は彼らは最後の2試合を、7月11日にヨルダンと18日にイラクとそれぞれホームで迎えると言う事だ。

Pim Verbeek 前監督時代のワールドカップ予選は2年間に亘り14試合を行いワールドカップ2010年大会の開催国である南アフリカに進出した。 Socceroos は8試合行われた最終予選で日本に5勝点差をつけて首位で全日程を終えた。そして2試合を残してワールドカップ出場を決めた。
しかし今回の予選はそう簡単には行かないと予想されている。

Socceroos にはMark Schwarzer, Lucas Neill, Tim Cahill, Harry Kewell そしてBrett Emerton ら今回のワールドカップ予選が最後になるであろう高齢者を含んでいる。



オーストラリアの日程は下記の通り。

June 3, 2012 - bye
June 8 - away v Oman
June 12 - home v Japan
Sept 11 - away v Jordan
Oct 16 - away v Iraq
Nov 14 - bye
March 26, 2013 - home v Oman
June 4 - away v Japan
June 11 - home v Jordan
June 18 - home v Iraq.

日本同様、オーストラリアもスタートダッシュに失敗はしたくないところだろう。
最も懸念されるのが最初の2試合。オマーンで試合を行い中三日でブリスベンに戻り日本と対戦せねばならない。
ホームとは言え同じ中3日でも時差のない日本からやってくる Samurai Blue を相手にするのは容易でないはず。
日本はそこにつけ込みたいところだ。
直接対決は共に6月。欧州組みの召集は問題ない時期であるが Socceroos は3月にホームでオマーン戦がある。
この試合にどれだけ欧州組みが“ベストの日程”で召集出来るだろうか….
ただ最後の2連戦がホームでおこなえる日程は羨ましい気がするけど….

Osieck 監督は来年6月どの様な心境でかつてここをホームとしたさいたまスタジアムに“凱旋”するのだろう?
もしかして Brosque, Carney と言った元 Sydney FC の選手達が再びこのピッチに立つのだろうか?
個人的には今度こそ Kewell が日本でプレーする姿を見たいなぁ…




Socceroos to face Scotland in Edinburgh

Socceroos はこの抽選会の前に Edinburgh で8月15日に Scotland と親善試合を行う事が決まっている。
両者の対戦はこれまで4回あるらしく、両チームともこの試合をそれぞれのワールドカップ予選への準備試合と位
“昨年の Wales 戦同様にこういう時期にこの様な試合が組まれる事は新しいシーズンを切るにあたり大変良い機会となる。我々はこの試合を9月から始まるワールドカップ予選の為に選手のクオリティーを上げる試合とするだろう。 Scotland は常にタフな相手である。特に彼らのホームで試合を行う時は。” この様に Osieck 監督は結んでいる。

Craig Levein スコットランド代表監督はも同様にこの試合を重要視しており下記の通りに語っている。
“オートラリアと試合を組むことを確認し、大変喜ばしい。 そしてこの試合を9月のワールドカップ予選への準備試合としたい。昨年オーストラリアはワールドカップ予選で我々と同組の Wales を Cardiff で破っている。そしてそれ以降ワールドカップ予選では好成績を収めている。従ってこの試合が我々にとってタフなテストになる事は疑いの余地は無い。“

両チームが最後に対戦したのは2000年11月15日の Glasgow の Hampden Park 。
その時のメンバーは下記の通りだった。

Scotland 0  Australia 2 (Brett Emerton 12’,David Zdrilic 66’)
Referee: Pascal Garibian (France) Crowd: 30,985

Scotland line-up: Jonathan Gould, David Weir (Matt Elliott 46’), Tom Boyd, Brian O'Neill (Colin Hendry 58’), Christian Dailly, Craig Burley (Paul Dickov 63’), Barry Ferguson, Colin Cameron (Neil McCann 46’), Dominic Matteo, Don Hutchison, Billy Dodds
Coach: Craig Brown (Scotland)

Australia line-up: Mark Schwarzer, Tony Popovic, Shaun Murphy, Kevin Muscat, Stan Lazaridis, Brett Emerton, Josip Skoko (Kasey Wehrman 75’), Paul Okon, Daniel Tiatto (Jacob Burns 67’), Paul Agostino (Mile Sterjovski 46’), David Zdrillic (Clayton Zane 89’)
Coach: Frank Farina (Australia)

オーストラリアは懐かしい顔が並ぶ。しかしこの時からもう Schwarzer, Emerton が代表入りしていた。
’86 ワールドカップメキシコ大会の大陸間予選でも両チームは対戦しておりこの時は Scotland が Australia を破っている。
それが今では….日本だって今では例えアウェーでも Scotland なら良い勝負すると思う。本当に隔世の思いだ。
日本はこの頃どういう対戦相手と試合を組むのだろう。

この頃はきっとかなり気温が上がって冷房の設定温度にも制約が掛けられ暑い夏になっているやろうなぁ〜

兎に角楽しみなオーストラリア戦。 俗に言う“サッカージャーナリスト”諸氏達との“対戦”が一番楽しみ。

彼らがどれだけその無知ぶりを晒すだろうか。 とくとご覧あれ、と言いたいけど誰も見ないか ……


Olyroos 史上初の五輪地区予選落ち…..

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日本列島が5大会連続の男子サッカー五輪出場を決めた3月14日。 オーストラリア Gosford の Central Coast Stadium で行われたアジア地区最終予選B組の最終節、オーストラリア対イラク戦はスコアレスドローに終わりオーストラリア五輪チームこと Olyroos は最終予選を4分2敗。無得点で全日程を終了した。オーストラリアの男子サッカーが地区予選を突破出来なかったのは史上初めて。

“この日はGK, 4人のDF人そして中盤の真ん中の選手達らの力強いパフォーマンスが見られた。この厳しい環境の中で Chris Harold はよくやってくれた。決して楽な試合では無かった。 この最終戦に向けては一緒に練習する時間が限られた中で我々は高貴な仕事をこなしたと思う。”

全日程を終えた Olyroos のAurel Vidmar 監督はこの様に語った…..
他にUAEとウズベキスタンが入ったB 組は同日タシュケントで行われたウズベキスタン対UAE戦でアウェーの UAE が終了直前に Haboush=Salbookh の決勝ゴールで勝利を収め同組1位となり1990年ワールドカップイタリア大会以来の“メジャー大会”出場を決めた。2位になったウズベキスタンは3月25日からベトナムのハノイで開催される“アジア地区プレーオフ出場決定戦”に回る事となった。

2006年ワールドカップドイツ大会で Socceroos がベスト16に進出しオーストラリア大陸でも football と言えば “ Soccer “ と認知され始めて来たがこの五輪予選敗退、そして近年見られる A-League のチーム消滅が今後のこの大陸での football の立ち位置に影響しないか….と勝手に1人で懸念している。

今回の五輪予選は FIFA  International Match Day に試合日程が組まれておらず欧州組みを召集出来なかった事が敗退の最大の原因とされている。それにシーズン中の A-League から各チームからの召集選手が3人迄と決められていた事も苦戦の原因となった….

彼らはどの様に闘って来たのだろう…..

遠のくロンドンの灯 Uzbekistan 2-0 Australia 5th February

日本U-22 がシリア U-22 に痛恨の敗戦を喫した数時間前、Olyroosことオーストラリア U-22 は極寒の Tashkent でウズベキスタン U-22 に敗れいよいよ1988年ソウル五輪から続いて来たオリンピックの連続出場が厳しくなってきた。

Olyroos' London shot all but on ice

2月5日日曜日の夜にタシュケントで Olyroos がウズベキスタン U-22 に敗れた事によりオーストラリアは28年振りに五輪にサッカーチームを送る事が出来ないと言う危機が持ち上がって来た。メルボルン五輪(この時は1回戦で日本を 2-0 で破っている。)以降ロス五輪までの24年間7大会に亘り五輪予選にすらチームを送らなかったオーストラリアは1988年ソウル五輪以降, 毎回地区予選を突破しサッカー競技にチームを送っていた。しかし今回は既に女子代表チーム Matildas はアジア地区予選で敗退している。

ウズベキスタン戦の敗戦によりウズベキスタンは勝点を8まで伸ばしグループの首位に立ち、オーストラリアは勝点3のままグループの最下位に沈み予選突破にはとてつもない危機に瀕する事となった。
先制ゴールを決めたのは27分、ウズベキスタン FW Kenja Turaev のロングシュート。更に終了5分前に MF Oleg Zoteev が強烈なボレーをオーストラリアゴールに叩きこみ試合を決めた。
この試合のキックオフはタシュケントを襲った寒波の為に気温が急激に下がった為に午後8時の予定時刻から午後3時に変更された。それでも気温は既にマイナス12度にまで下がっていた。
雪で覆われたピッチは凍結しパスやボールタッチを難しくした。そしてそれは決して自由なボールの流れやテクニカルなゲームでは無くなっていた。
Olyroos の立ち上がりは悪くなく Mate Dugandzic, Oliver Bozanic のシュートがウズベキスタンゴールを襲った。 
しかしウズベキスタンは27分に Oybek Kilichev からボールを受けた Kenja Turaev のロングシュートが Olyroos ゴールを襲うも GK Mat Ryan は止める事が出来なかった。
その直後 Jason Hoffman のシュートがウズベキスタンゴールネットを揺すったがこれはオフサイドポジションからのショットであった。
後半に入り両チームともチャンスは創ったがビルドアップやラストパスはピッチコンディションの影響で容易なものでは無くなっていた。
60分には Mitch Nichols のシュートがウズベキスタンゴールに決まり同点ゴール…と思われたがシュートの前のプレーが反則に取られ、またもゴールは取り消された。
86分に Oleg Zoteev のPA外から放たれたボレーシュートがクロスバーの内側に当たってオーストラリアゴールに突き刺さり試合を決めてしまった。
この時間の後に行われた試合で UAE がアウェー(と言っても第三国のカタールで行われた)でイラクを 1-0 で破った事で少しロンドン五輪に向けて希望が出て来た。




3試合連続無得点無失点の Olyroos はスタメンを3人替えてタシュケントでのウズベキスタン戦に臨んだ。
FWには Visconte Rocco Joseph が初めて起用されたが注目の FW Kerem Burutはベンチスタートだった。 
1点ビハインドの76分に Visconte Rocco に替って Burut が投入されたが同点ゴールは生まれずにその約10分後に Zoteev にボレーシュートを決められてしまった。



これで首位を行くウズベキスタンとは勝点差5となり、Olyroos は残り2試合を勝ってもウズベキスタンが残り2試合で1勝を挙げれば勝点で追い付けなくなってしまい、3月25日から29日までベトナムのハノイで開催される各組2位の3カ国で行われるプレーオフに回らねばならなくなる。(ただし2位で日程を終えられれば。)
現状、1位通過出来る可能性は限りなくゼロに近く。最低でも2位に入り込む事を考えねばならない。
しかし3月25日は A-League の最終週に入りその後には Final Series に入る。 所属チームの中心選手となっている五輪代表チーム Olyroos 達を所属クラブが離してくれるだろうか….
オーストラリア協会FFA は再び欧州組Aaron Mooy (St Mirren), Tommy Oar (FC Utrecht) and Mathew Leckie (Borussia Moenchengladbach) らを次の UAE 戦に召集する為に各所属先チームに打診をする事としたが試合はまたも FIFA Match day に行われるのでは無いので召集出来る保証はどこにも無かった。



そして更にオーストラリアに追い打ちを掛ける様なニュースが飛び込んで来た。

Iraq sanctioned for ineligible player イラク資格の無い選手を起用した為に制裁

2月8日。FIFA は11月27日ドバイの International Stadium で行われた試合を 3-0 で UAE の勝利とし UAE に勝点3を加えると発表した。この試合ではイラクが 2-0 でUAEを破っていたが、本来この試合は出場停止で起用出来ないはずのDF Jasim Faisal をスタメンで起用した為。 Jasim Faisal は前のオーストラリア戦では終了直前に警告を受けたが2次予選のイラン戦でも警告を受けており累積2枚の警告を既に受けていた。
そしてイラク協会は FIFA から制裁金 SFR7,000 ( 約 US$7,600 約57万円 ) が果たされる事となった。

そしてこの結果 UAE の勝点は8となり勝点でウズベキスタンと並んだ。そしてイラクの勝点は1になりグループ首位の可能性が無くなり、2位になる可能性も極めて低くなった。
また残りの日程を見ると次節でオーストラリアが UAEを降してもまだ2勝点及ばずオーストラリアが2位に入る可能性も非常に低くなってしまった。
この査定がこの組の最終結果を大きく左右事になった…..

Nichols and Ryall out of U23s squad
Qantas Australian U23s Head Coach Aurelio Vidmar は次節 UAE戦に向けてメンバーチェンジを行った。
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ウズベキスタン戦で警告を受け累積警告の為にUAE戦が出場停止となった FW Mitch Nichols そしてハムストリングを負傷した DF Sebastian Ryall がオーストラリアに帰国となり替りに Gold Coast United の Dylan McGowan が召集された。
UAE 戦に向けて当地で合宿を張る Olyroos は2月16日にフィリピン代表チームを招いて Al Nasr Stadium にて親善試合を行う。 
22日の UAE戦に向けての最終メンバーは下記の通りとなった。

GK
Mark Birighitti (GK : Adelaide United ) Mathew Ryan (GK: Central Coast Mariners )

DF
Oliver Bozanic ( Central Coast Mariners ), Aziz Behich ( Melbourne Heart ), Antony Golec ( Adelaide United ), Dylan McGowan ( Gold Coast United ), Daniel Mullen ( Adelaide United )

MF
Mate Dugandzic ( Melbourne Heart ), Ben Kantarovski ( Newcastle Jets ), Dimitrios Petratos ( Sydney FC ), Matthew Foschini ( Melbourne Victory ), Isaka Cernak ( Melbourne Victory )

FW
Mustafa Amini ( Central Coast Mariners ), Kerem Bulut ( FK Mlada Bolesav, Czech Republic )
Diogo Ferreira ( Melbourne Victory ), Jason Hoffman ( Melbourne Heart ), Matthew Jurman ( Brisbane Roar ), Adam Taggart ( Perth Glory ), Rocco Visconte ( Brisbane Roar )

19人のメンバーの中で FW 登録の選手が7人も含まれている。果たしてゴールは挙げられるのであろうか…

Qantas Australian Under 23s defeat Azkals Friday, 17 February

極寒のタシュケントからドバイに戻った Olyroos は2月16日、当地にフィリピン代表こと Azkals を呼んで勝たねばならない UAE 戦に向けて“練習試合”を行い 11分にJason Hoffman が挙げたゴールで先制。
その後も攻勢を続けた Olyroos だが Dimitri Petratos の決定的なショットを Fulham 所属のNeil Etheridgeがファインセーブでストップする等追加点は生まれすそのまま 1-0 で試合は終わった。

しかし UAE の地でわざわざ練習試合を行い相手に手の内を見せる様な事は必要だったのだろうか…..



Player limit is not the number that matters

日本がマレーシアとのアウェー戦に臨んだ2月20日、オーストラリア紙にあるコラムを見つけた。 当地ではにわかに Olyroo の苦戦の原因が一般で話題になっていたらしい。
その中心は欧州組を召集出来ない事と A-League から1チーム3人迄と言う制約が設けられている事。 それらの事は予選が始まる前から解りきっていいたことでそれがなぜオーストラリア協会 FFA は事前に対応策を練っていなかったのか….と言う事らしい。
Tommy Oar, Brent McGrath そしてMatthew Leckie, と言った欧州組のFW選手が召集出来ておればこの時点で4試合連続無得点と言う得点力不足は改善されていたと思うのは当然であろう。

また最終予選の第4戦タシュケント、第5戦ドバイのアウェーの連戦の17日の期間チームはUAE のドバイを本拠地にし連戦に備えたが何故 UAE なのであろうか….という論議もあるらしい。 ウズベキスタンは極寒の地。UAEは ”灼熱の砂漠” それが試合結果に影響しなかったか?と思われるのも自然であろう。
Vidmar 監督はタシュケントへのアクセスを考えて。との事であったらしいがそれならフランクフルトか旧ソ連邦のどこか(ビザの問題はあるが )でも良かったのではないかと思われれる。設備や生活環境そして練習時の気候を考えれば旧ソ連邦は疑問だがウズベキスタン戦前の合宿地はフランクフルトでも良くは無かったか….
ウズベキスタン戦後はドバイに戻りそこをホームにするUAE戦に備える事となったが丁寧に練習試合 ( フィリピン戦 ) まで行った事により UAE のスカウティングを楽にしなかったか…..

全ての批判はUAE戦の勝利に掛かっていた、と言うよりもまずゴールを決める事が必要であったか…..


Vidmar’s charges maintain optimism

Qantas Australian Under 23 のAurelio Vidmar 監督は予選突破に向けて厳しい任務を突きつけられていながらまだ悲壮感を漂わせていない。
“我々は目の前に何があるか解っている。 まだやらねばならない事はたくさんあるがこの試合で勝てなければ全てが終わりだ。ファイティングスピリットは我々の中にも対戦相手に対してもまだ多くある。


Vidmar 監督は16日のフィリピン戦には前後半でそれぞれ選手を入れ替えて臨み 1-0 の勝利を収め良い感触を得たと語っていた。
“我々はウズベキスタン戦では非常に不運であった”極寒のアウェーの地で2度のゴールがオフサイド、ファールで取り消された事を示唆した。
しかし最後まで望みを託した Mathew Leckie に就いては結局所属先のBorussia Mönchengladbach が召集を承諾しなかった。 ( 大津もそうだった。)

日本がマレーシアを破った数時間後、UAE 対 Olyroos の試合結果を調べるべくAFC の Web Siteにアクセスした…

 

                  続く
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