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EURO2012 残すところ僅か2試合  やはり欧州は面白い

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ワールドカップ最終予選開始とほぼ同時期に始まったサッカー欧州選手権 EURO2012 もあっという間に準決勝戦と決勝戦をを残すのみとなってしまった。スペインの決勝進出が決まり、世界王者スペインへの挑戦権を得る為に今夜前回の雪辱に燃える?ドイツがイタリアと対戦する。
それにしても EURO は本当に面白い。1次リーグからドイツ対オランダ、ポルトガル対オランダ、スペイン対イタリアといった対戦がある。今やワールドカップでは出場国がかつての2倍に拡大された事から(だから日本も出場出来る様になった?)これだけのレベルの試合がそう多く望めない。ただ日本は当然だけどこの大会は部外者。 大会の“中”に入って行けない寂しさはあるけど。
それだけに傍観者の一人としてただ楽しむ事は出来る。だけど Asian Cup だってもっと全アジア的に盛り上がって欲しんだけどなぁ….
それからポーランドとウクライナが開催国というのも隔世の思いだ。 初めて行った外国がポーランド。(その前日にパリでトランジットスティしたけど。)それは80年代の末。あの時の事を思い出したらここで欧州選手権が…想像出来なかった。
昨日ドイツの地元紙にイタリア戦に望むドイツ代表 Joachim Löw 監督のインタビューが掲載されていた。準々決勝のギリシア戦のFW3選手総入れ替えの事等にも触れられていたなかなか面白かった。



"Die Zeit ist reif, gegen Italien zu gewinnen" イタリアに勝つ為の機は熟した

独占インタビューの中でJoachim Löw監督は Bastian Schweinsteiger が起用出来るかどうか、リスクを覚悟でプレーをすることを続けること等に就いて語った。 Joachim Löwは最初のエスプレッソをブラックでのみ、少なくとも5人のコーチ達は1日1杯はエスプレッソをのむよと語った。チームのホテルには自前のエスプレッソマシンが持ち込まれている。Löwは EURO2012の準決勝戦を前にあたかも地元 Freiburg のカフェに居る様であった。
前夜彼はPK戦に迄縺れ込んだイタリア対イングランドでイタリアがドイツとの準決勝戦に勝ちあがってくるのを見た。
6年前にアズーリと対戦した時、Löwは Jürgen Klinsmann のアシスタントコーチだった。そしてその試合後Löwは監督に昇格した。

‐ Mr.Joachim Löw、率直に最初に準決勝でイタリアとの対戦が決まった時最初に何を思いましたか?2006年の夏、ドイツの夢物語が終わった時の事を思い出しましたか?

Löw:全く思わなかった。2011年2月 1-1 で引き分けたイタリア戦の事を思い出した。そこで相対したて見たのは新いイタリアだった。 それはそれ以前では見られなかったイタリアだった。 Cesare Prandelli 監督のもとイタリアは全く違っていた。今のイタリアは予想されるかつてのイタリアよりもずっと攻撃的だ。

‐ イングランド戦のPK戦で見せた Andrea Pirlo の巧妙なPKに就いてどう思いますか?

Löw:素晴らしいの一言だ。 PK戦で劣勢に立っているチームを立ち直らせる、まさに目を見張るものだった。

‐ ドイツの選手達も同じ事を許しますか?

Löw:ボールがゴールに入る限りは。 普通ボールをゴールの中央に蹴り込む事を試みる事でさえ安全なオプションとなる。Pirlo のは単に強いシグナルだった。“まだまだ我々は挽回出来るんだ。”と云う。 その直後のイングランドの選手はショットをクロスバーにぶつけ、 Ashley Young のPKはセーブされてしまった。それはその前には考えられなかった。




‐ イタリアはドイツの天敵であると思いますか?これまでワールドカップ、欧州選手権では7回対戦してまだ勝った事がありません。そして今(親善試合を含めて)3連敗中です。

Löw : 我々がいつもイタリアに苦戦しているのは事実です。しかし今は違います。イタリアに勝つ為の機は熟しました。

‐ Prandelli 監督は今回は苦戦必至と考えている様です。 ドイツの方が2日間インターバルが多かったとかで。

Löw:これまでイタリアはフィジカルの点では不利であると思った事がありません。彼らはよくプレーしました。イングランドとの準々決勝戦でも彼らは明らかに相手を支配していました。彼らは決して脚がふらついていたり調子が悪かったとは感じませんでした。中3日あれば充分に疲労から回復できます。だから我々が明らかに有利だとは思えません。

‐ ならば Prandeli の戦術的な試合になるのでしょうか?

Löw:それは解りませんし気に掛けていません。 Prandelli はかつてドイツの様な攻撃的で年齢バランスの取れた若い選手を多く使うチームが理想と語っています。 彼はよく成功しています。そして準決勝戦ではどちらが有利かと云う定義は有りません。 イタリアは強固な守備と攻撃とを続けられる非常にバランスの取れたチームです。

‐ 攻撃選手の一人 Mario Baloteli は予測不能な選手です。 アイルランド戦ではゴールを決めた後に他の選手が Balotelo がチームのコーチに侮辱的な言葉を吐くのを防ぐために彼の口を塞ぎました。 もしドイツチームにこの様な事態がおこればどうなりますか?

Löw: 解りません。我の事に就いては新聞で読んだだけです。こう言う問いに答える為には彼の人間性を知らねばなりません。サッカー選手としては彼は大変良い選手です。素早くゴールを上げます。特別な才能を持った素晴らしい選手でしょう。

‐ しかし明らかに難しいキャラクターですが。

Löw: そうですね。明らかに彼はコーチが望まない事を引き起こす選手でしょう。しかし私は Pandelli と Balotelli の関係は常に順調と信じます。



‐ 悲しい事にあなたはまだ彼の様な選手がチームに不在であると思われますが。

Löw:勿論。チームを統一させるのはメンバーを選抜するのに重要な要素となりますが特別な選手が入る余地が無いと言う訳ではありません。

‐ 専門家達は欧州選手権のレベルに就いて悲観的です。 あなたはスペクタクルな試合は今やそれほど重要で無いとお考えですか?

Löw: (しばらく考え) これは私を難しくさせる瞬間だ。 1次リーグではハイレベルのチームが敗退しました。 ロシアの様に私が予想しなかったチームが敗れました。 準々決勝戦に進出したチームでそれほど高いクオリティーを持っていなかったのがギリシアでした。 準々決勝戦では試合のペースは速いと思いました。 トータル的にレベルは良いと思いましたが、スペクタクルとは思いませんでした。

‐ ドイツは1次リーグ全勝でギリシア戦も4-2 で勝ちました。 これには満足ですか?
Löw:全ての試合に批判は受けました。 ギリシア戦では相手のプレッシャーを受けず5,6回のミスパスをしピンチを招きました。2失点を喫する前にも我々はあまり良くはありませんでした。 全体として我々は早くに主導権を握り、対戦相手により多くのプレッシャーを与え続けようとしています。 しかしギリシア戦の攻撃陣に就いて言えば前のデンマーク戦よりはずっと良い動きでした。 だから少しは改善出来たと思います。しかし初戦から4連勝は明らかに嬉しい結果です。

‐ 悪いパスからくる問題は Bastian Schweinsteiger から起こっていた様に見えました。そして彼自身しきりに自己批判を繰り返していました。しかし同様に足首の怪我が彼を悩ませているとも話してました。 彼に就いてはどうですか?

Löw: 彼はいま2日間練習を休みました。足首は今はかなり小さな問題になっています。 基本的に彼のスタミナには納得しています。彼は長い距離を走れます。 最近の試合で Schweinsteiger の欠けているのはスピードとダイナミズムです。それらは次の試合でやって貰わねばならないことです。
‐ 彼は同じ様にもしあなたが決めたならベンチに座るだろうと言っていました。

Löw:いいえ。もし彼の脚が問題がないのであれば、彼をあきらめはしません。もし彼が練習量を減らさねばならないのであれば別の決定をせねばならないでしょう。

‐ギリシア戦では Lukas Podolski とThomas Mueller をスタメンから外すと言うサプライズを見せました。 替えられない選手は何人いますか?

Löw:今あなたにはメンバーリストは見せられない。 遂に何人かの選手をある試合で試す事が出来て嬉しい。 他の試合でh他の選手を使えた。 それは常にその時の事情による。 ギリシア戦では異なった質を持った Marco Reus と Andre Schuerrele の2選手を Podolski と Muller の替りに両サイドで起用した。 

‐ どの様にしてこの様なスペクタクルな起用を決めたのですか?

Löw デンマーク戦後に考えた。“今我々は何をしているのか?” 他の攻撃のハイライトに就いて長い間考慮しており早い段階で計画を立てていた。 そして対戦相手がギリシアと解った時にすぐにギリシア選手達のプレーがより抽象的になった時に。 ギリシャ選手達は専守に終始するだろう。それはゴール前では殆どスペースが生まれないと言う事だ。 我々は限られたスペースでプレーせねばならない。どういうタイプの選手が必要だったか?例えば Marco Reus は俊敏な動きを見せる。 Andre
Schuerrle は1対1に強い。 Miroslav Klose は Mario Gomez よりもコンビネーションプレーを得意とする選手だ。 私は彼ら攻撃的な3選手を前線に置いた。

‐ 4選手も替えるのは普通ではなくあなたはリスクを取りました。もしこれが失敗したらどうなるかと訊ねられませんでしたか?

Löw : それは私にとってリスクではありません。トレーニング中の選手を見て彼らは信頼できると解りました。 例え1人のコーチがその後何が起こるかを案じようともこの時はそれを振り払わねばなりません。 私は常にそれが起きたらどうなるのかと自問します。そしてもし自分が止めた時に何が起こるかと。 もしギリシア戦に敗れたら。とにかく、批判されていたでしょう。

‐ どれだけの間あなたはコーチをやっていられますか?例え解雇されても。

Löw;まず経験を積む事だ。 私は前にリスクを冒す多くのコーチに仕えて来た。 それは私の中で常にそういうコーチであれと促すものだ。 私はリスクを冒す事を好む。何故ならそれはそんなに悪い事ではないからだ。 

‐しかしそれは批判を受ける易い事でもあるとわかっていますよね。

Löw ; 私は常に批判を受けやすい。何をやっても。しかし私はミスをするコーチと共にこの仕事を行わねばならない。しかし今大会中にメンバーを替える事は多くの考えの下に決めた事だ。私は誰をいつどういう状況で起用するかを考え続けている。

‐ Lukas Podolski やThomas Mueller の様な選手にどうやってスタメンから外す事を教えたのでしょうか?

Löw : 両選手とも大変なプロフェッショナルだ。何故なら彼らはまだ自身を伸びる余地があると思っているからだ。  Mario Gomez は恐らく少しはがっかりしただろう。 彼はそれまで3ゴールを上げていた。そしてこの瞬間にも100%スタメンであると信じていただろう。 しかし彼はベンチスタートを受け入れた。

‐ このリスクを楽しむのはどのコーチをベースとしていますか?

Löw: 選手として私は多くのコーチがミスをすることを案じる2部リーグの選手だった。それは常に不機嫌な私をクレージーにさせた。 これは信じがたいセキュリティーな考えだ。 私は常にそれに押し込められていた。 それで私は個人で決定すると言うリスクを持って試合に臨んでいた。選手としてでさえ私はハイリスクと楽しみを持っていた。 つい最近私の意見は確認された。
私は選手達にはもっとリスク覚悟で試合に臨んで攻撃的になって欲しいと思う。我々のCBは常にリスクの高い縦パスを出す。横には出さない。 さもなくば私がそこに入り隣にパスを出すだろう。(笑い)

‐ 準々決勝戦で見せた様なサプライズを準決勝戦でも準備していますか?

Löw: 勿論試合のプランは持っている。 選手達のやり方は替える気はない。 重要なイタリア戦に向けて我々の哲学通りに臨む。問題はどの選手がこれに合っていて、イタリアの弱点は何であるか?そして我々の中で誰が有利を齎してくれるか?
あなたは驚く事だろう。

‐ EURO2012 で優勝すればベルリンでセレモニーを行いますか?

Löw : まだ Oliver Bierhoff とその事に就いて話していません。 後で話ましょう。

イタリア戦のキックオフまであと数時間。 スペインの決勝戦の相手はドイツかイタリアか??


EURO2012 Final 数時間前….

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欧州選手権 UEFA EURO2012 も決勝戦を残すのみ。3位決定戦というのが無いのがこの大会の好きなところの1つ。決勝戦に進出して来たのはスペインとイタリア。 連覇を狙うスペインの決勝進出は多くの人達が予想していたけどイタリアは少なかったんじゃないかな? 決勝戦を前に英国紙から気になる見出しを見つけた。

Spain and Italy suffer new economic setbacks

借入金額は跳ね上がり株式市場は下げ止まり。投資家は安全な避難場所を求めて

スペインとイタリアの財政悪化は6月26日借入金額が跳ねあがり株式市場が下がっている事から泥沼化している。そして政治家達はこの状況の責任に就いて非難しあっている。スペイン政府は銀行破綻を防ぐために€1兆( 100兆円) の財政援助を申請した為に同国の借入金が跳ねあがってしまった。
スペインでは銀行の先行き不安から3カ月と6カ月の短期国債の金利は2倍に跳ね上がった。
Angel Merkel 首相は私が生きている限り欧州は負債をため込まないとの発言を受けて投資家達がより安全な方向に走る様になった。
スペインとイタリアそして他のEUから直接資金を受け得いるアイルランド、ポルトガルそしてギリシアに関心が集中している間にフランスにスポットライトが当たっている。 大統領選挙を先月に終え再び金利が上がり始めている。 

“薄っぺらい、惨めなスペインとイタリアを加えた後、次のターへっとはフランスになるだろう。 私は大変少人数の国際研究所のメンバーがフランス債を買っているのを見ている。人々は大変神経質になっている。”

Hollande 大統領はそれは税収入の激減と公共雇用60,000人を捻出する為に数週間のうちに予算を組み替えると思われる。
フランス銀行の10年国債の金利はEURO 時代に入ってから最低であった6月1日付けの 2.071%から 2.63%に上がると見られている。5月15日の Hollande 大統領が執務に着いた時は 2.902% であった。
欧州の株式市場は Brussels Summit に先駆けて落ち着きを見せている。 スペイン IBEX 35 は1.5% 下がりイタリア MIB は1.1% 下げている。

この2日間の“欧州首脳会議”は欧州を支配している金融危機を解決する為の結論には達さないと見られていた。
この問題はドイツと他の3カ国、フランス、イタリア、スペインとは絶対的に埋まらない温度差があると言われているがそれは当然で金を貸す方と借りる方では立場も言い分も異なりその上借りる側の方の見解は本当に援助して貰うのかいな?と思ってしまう。

銀行破綻が懸念されるスペインやギリシアの銀行は欧州中央銀行からの直接資金注入を欲しているがドイツというよりもメルケル首相はあくまでも政府を通じての資金援助しかするべきでないと主張。ジャーナリスト筋ではドイツが外交的に優位に立つ為と言っているが“金を貸す方”から言えば当然の主張だと思う。

まぁ中国みたいに借りた金で宇宙開発をしたり軍備を強化し貸した国の領土侵犯をはかったり途上国に援助をして貸した国より国際舞台で優位に立ったりするよりかはましか?それにそんな中国にお人好しに国民の税金を簡単に援助してしまう国の外交の方が問題か?

予想以上のポルトガルの健闘。そして勝ったのは連覇を狙うスペイン

Spain 0 ( PK4-2 ) 0Porutgal   26th June Donetsk

大きな炭田がある炭鉱で有名な街 Donetsk 。旧ソ連邦時代からここは同国のエネルギー源となっており“ソ連貿易”を専門に行っていた私が前にいた会社ではキエフに続いてウクライナ共和国では頻繁に出張者が訪れていた。残念ながらロシア語を話せない“東欧担当”だった私はキエフこそ行った事があるがドネツクには行った事は無かった。

ここで準決勝戦が行われた。 

                    GK 12 Patrica ( Sporting )

      21 Pereica      3 Pepe      2 Alves       5 Coentrao  
     ( Sporting )   ( R. Madrid )    ( Zetit )       ( R. Madrid )

                       4 Veloso ( Genoa )

           16 Meikeles               8 Moutinho 
            ( Chelsea )                ( Porto )

   17 Nani ( Manchester United )            7 Ronaldo ( R. Madrid )

                       9 Almeida  ( Besiktas )

                      11 Negredo ( Sevilla )

     6 Iniesta ( Barça )                   21 David Silva
                                     ( Manchester United )

          14 Xabi Alonso              8 Xavi
          ( R. Madrid )               ( Barça )

    18 J. Alba      15 S. Ramos    3 Pique         17 Arbeloa
   ( Valencia )      ( R. Madrid )    ( Barça )       ( R. Madrid )

                    GK 1 Casillas ( R. Madrid )

スペインは4年前の決勝戦でプレーした選手が6人。4年前はギリシア戦しか出場機会が無かった Alvaro Arbeloa が右SBに。
Puyolが大会前に怪我で離脱したDF陣で前回の決勝戦経験者はCB Sergio Ramos のみ。ワントップに起用されたのは Fernando Torres でも Cesc Fabregas でもなく Negredo 。予選でも1試合しか召集されておらず今大会も出場時間は短かった。 決勝戦は誰がトップに入るのだろうか?

ポルトガルはスタメン9人が前回の EURO もメンバー入りしており Cristiano Ronaldo, Joao Moutinho ら6選手が主力選手だった。左SBの Fabio Coentrao はワールドカップ2010で台頭して来た本来はFW選手。EURO2008、ワールドカップ2010 では1ゴールずつに終わった Ronaldo は今大会これまで4試合で3得点。スペイン相手にゴールが奪えるかも楽しみだった。しかしポルトガルはワールドカップ2010では4試合で僅かに1失点。守備の強さが印象的だった。その1失点が決勝トーナメント1回戦のスペイン戦で David Villa の決勝ゴール。今回はその雪辱に燃える。スタメンの中でこの試合の経験者は12人だった。そして Real Madrid でプレーする選手が7人、Barça所属の選手が4人、Manchester United が2人。
特にDF陣は両チームに2人ずつ Real Madrid の選手がおりレアルの守備はスペイン、ポルトガル連合軍か?と思った。

スペインのキックオフで始まった試合。開始早々 Miguel Veroso がミドルを放ち GK Casillas がCKに逃れる。9分27秒にはスペインが左サイドでパスを繋ぎ Arbeloa がシュートをに持ち込む。その直後にも Iniesta が中央からミドルを撃つ。この試合の天候はポルトガルに味方した。30分過ぎまで水分補給する選手が目立たない。それだけ運動量が上がりスペインはパスを繋ぐもポルトガルの選手達がすぐに詰めて来るので相手のバイタルエリアになかなか近付けない。パスは繋がるもシュートに持ち込めず最後は Iniesta, David Silva 頼りであった。こう言う時、 Torres や Cesc のどちらかが好調ならそこに繋いで局面を打開してくれるのだけど。

個人の力と言えば Cristiano Ronald 。この試合でもドリブル突破は健在だった。26分には波状攻撃を見せるがその際は Ronaldo は中に入って攻撃の中心となっていた。31分には Meikeles のインターセプトからSergio Ramos, Pique のマークを掻い潜りシュートに持ち込むが惜しくもポストの左に外れる。そして左SBの Fabio Coentrao の上がりも効果的であった。

しかし後半に入るとスペインの選手のパスアンドゴーが見られるようになりパスも足元ばかりでなくスペースで受けられる様になった。そして54分には Negredo が下がり Cesc ( Barça ) が投入される。そして60分を過ぎるとポルトガル選手の脚が徐々に止り出したせいかスペインがポルトガルPA付近まで何度も迫る。

こうなるとポルトガルは Ronaldo の個人能力。72分に得たFKはクロスバーを越えた。 81分には Xavi のファールでFKを貰い直接狙い壁に入った Arbeloa の手に当たり更に前の26mの位置で再びFKを得るがシュートはクロスバーを越える。

そして終了直前、カウンター攻撃から77分に Alemeida に替って投入された Nelson Oliveira ( Benfica ) が中央をドリブルで上がって行きエリア付近で左に走り込んだ Ronaldo に送る。フリーの Ronaldo が Pique のスライディングタックルの直前にシュートを放つがクロスバーを越えて試合は延長戦に入った。 90分間でボール支配率ではスペインは 53% であったがシュート数はポルトガル10に対してスペインは6だった。

スペインのキックオフで始まった延長前半、左SBの Jordi Alba が良く上がって来ていた。そして103分には Alba の上がりから Iniesta が決定的なシュートを放つがGK Patrica が好セーブでストップ。その後ポルトガルが Meikeles に替って Silvestre Varela ( Porto ) を入れて2列目左に置き、 Nani をトップ下に入れ右にMoutinho を置き前線を Ronaldo と Oliveire の2トップにする。しかし Sergio Ramos らスペインDF陣を最後まで敗れずEURO2008準々決勝戦イタリア戦から続く EURO, World Cup の決勝トーナメントでのスペインの連続無失点記録が9試合となった。

PK戦では先攻のスペインが1番手 Xabi Alonso のPKが Patrica に止められると、 Casillas がポルトガルの先鋒 Joao Moutinho のPKを止める。この試合殆ど仕事が無かった2人が早速存在を見せた。

その後 Iniesta, Pique, Nani ( 順番が変わった?) Sergio Ramos と決めた次のポルトガル4人目 Bruno Alves のショットがクロスバーを直撃。そして Cesc Fabregas が最後に決めてスペインの2大会連続決勝進出を決めた。 蹴る順番が回って来なかった Cristiano Ronaldo の最後の表情が印象的だった。これまで相手チームの決定的なシュートが“ポスト”や“クロスバー”に助けられる事は無かったがこの試合はクロスバーに阻まれた。

Man of the Match はポルトガルの攻撃をそして時には”僚友“ Ronaldo を止め続けた CB Sergio Ramos。 UEFA Champions League 準決勝戦の Bayern München 戦ではPKを失敗したがこの試合ではきっちりと決めた。

地元開催以外ではポルトガルはどうしても準決勝の壁を破れない。 ワールドカップでは1996、2006。EUROでは 1984, 2000 そして今回。 それでもこの試合を見る限り、もう Ronaldo 一人のチームで無い事は良く解った。スタンドに Luis Figo はいたのだろうか。



Paul Bento 監督は試合後 “我々は決勝戦に進出する為にやった。ほぼ90分間我々は素晴らしいパフォーマンスを見せた。しかし延長戦に入りミスに付け込まれスペインに支配を許した。我々は栄誉と誇りを持って偉大なチームに屈した。大会5試合で敗れたのは1試合だけだった。 3連勝の後に我々は欧州、世界王者に対して自滅して敗れた。 我々は2度目の決勝進出に近づいた。ポルトガル国民は代表チームを誇りに思ってくれるだろう。 そして9月にはワールドカップ予選が始まる。” この様に語った。

Cristiano Ronaldo: "We left a little frustrated"

PK戦はいつも同じだ。我々はよく戦ったそして決勝戦に残れるだけのチームだった。単にPK戦で幸運が無かっただけだ。我々は誇りを持てる、しかし勿論フラストレーションを感じながら大会を去る事になった。 私はいつもの様に全力を尽くした。そして自分のプレーには満足している。我々は誇れるはずだ。

“いかなるチームに対してやる様に全力を尽くしたが敗れてしまった。我々よりの幸運であったスペインにはおめでとうと云いたい。” Nani はこう語り Pepe はPK戦に就いてそれは“くじ引きである。試合中の我々は大変良く組織化されよく動いていた。我々は強固なチームだった。不運にも我々は得点出来ず大変な悲しみと共に去らねばならない。” こう語った。

"Balanced game," says del Bosque

Bosque スペイン監督はポルトガルとの準決勝戦を“拮抗したゲームだった。後半は僅かに我々がポルトガルに勝った。おそらく彼らは少し疲れたのだろう。彼らのDF陣を破るのは容易ではない。”この様に語り、イタリアが来てもドイツが来ても決勝戦は拮抗するだろうと語った。




Champions League でPKを失敗したSergio Ramos はこのPKを“大変に望んだ。”と語った。“大変なスリルだった。私は勿論ハッピーだ。スペイン人であることを誇りに思える。そしてまた新たな成功に挑戦できる。”

Casillas は“PK戦はロータリーの様なものだ。我々はキックオフ直後はあまり良く無かったがスペシャリストがいる。  Xavi のPKはセーブされたがこの次は私の番だと思った。我々は歴史を創りまだそれが続いている。”この様に結んだ。

これまでのスペインのPK戦の戦績は下記の通りだった。

 EURO 1984     (準決勝)   : 5-4 デンマーク

ワールドカップ 1986 (準々決勝 ) : 4-5 ベルギー

EURO 1996      (準々決勝)  : 2-4 デンマーク

ワールドカップ 2002 (準々決勝 ) : 3-5 韓国

EURO 2008      (準々決勝)  : 4-2 イタリア

EURO 1984      (準決勝)    : 4-2 ポルトガル

決勝戦はどうなるだろう??

スペイン戴冠 あぁやっぱり…そして終わってしまったぁ  Spain 4-0 Italy 1st July 2012

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決勝戦はあっけなかった。あんなに点差が付くとは思わなかった。スペインは準決勝のポルトガル戦が山場だったのかもしれない。それでも Cristiana Ronaldo のワントップよりも勢いのあった Baloterri, Cassano の2トップのそして Andrea Pirlo のいるイタリアの方がスペインにとっては難敵だと思った。 

4年前と3週間前に対戦
両国はEURO2008 の準々決勝戦と3週間前の1次リーグで対戦している。 
スペインは今大会の1次リーグと同じスタメン。イタリアは3選手が入れ替わった。 Thiago Motta ( PSG ) Emmanuel Giaccherini ( Juventus ) そしてドイツとの準決勝戦が累積警告で出場停止だったCristian Maggio はこの試合もベンチスタートだった。そして Antonio Cassano  ( AC Milan )  Andrea Barzagli ( Juventus ) そして Ricaardo Montolivo ( Fiorentina ) の3選手がドイツ戦に続いてスタメンで起用され、Ignazio Abate ( AC Milan ) がFederico Balzaretti ( Palermo ) に替わって決勝戦ではスタメンに起用された。
4年前、スペインがイタリアをPK戦の末に破った激戦にはスペインは GK Casillas ( Real Madrid ) , Iniesta, Xabi Hernandez, Sergio Ramos そして Cesc Fabregas が出場していた。4年前はエースだった Ferrnad Torres ( Chelsea ) はこの試合もベンチスタート。 スペインのワントップにはポルトガル戦の Negredo に替わって Sesc Fabrigas が起用された。そしてワントップ以外はイタリアは GK Buffon , DF Chiellini ( 共に Juventus ) Cassano そして De Rossi ( AS Roma ) の4選手が4年前の経験者。 De Rossi, そしてこの日はベンチスタートだった Di Natale ( Udunese ) の2人が4年前はPKを失敗した。

過去の対戦、そして1次リーグではイタリアが Di Natale のゴールで先制し今大会スペインから唯一のゴールを奪っていることそして Balotelli が準決勝戦で爆発していることから今大会の出場国ではスペインに対して最も戦えるチームと考えていた。
ドイツよりもいい勝負をと期待したけど。

両者は1920年のアントワープ五輪で初対戦しておりこの時はスペインがイタリアを 2-0 で降している。

ワールドカップを4度制しているイタリアはともかく、EURO2008 から始まるスペイン王朝以前はReal Madrid ,  FC Barcelona こそサッカーの世界を圧巻していたが代表レベルとなるとフランコ総統下の1964年の欧州選手権での優勝と EURO1984での準優勝そしてバルセロナ五輪での金メダルくらいが目立った戦績。ワールドカップ1970、1974年大会そして EURO1992 は地区予選を突破できなかった。ここ4年の“急速な圧倒的強さ”は数十年間サッカーを見てきた者にとってはサプライズのひとつだ。というよりも EURO2008 以前のスペインの方が意外な見られ方をしているのか?

 

                             GK 1 Buffon ( Juventus )

           7 Abate      15 Barzagli     19 Bonucci     3 Chiellini 
         ( AC Milan )   ( Juventus )   ( Juventus )   ( Juventus )

                 8 Marchisio    21 Pirlo       16 De Rossi 
                ( Juventus )  ( Juventus )  ( AS Roma )

                                   18 Montolivo
                                   ( Fiorentina )

               9 Balotelli                             10 Cassano
           ( Manchester C. )                      ( AC Milan )

                                   10 Cesc ( Barça )

       6 Iniesta ( Barça )                                  21 David Silva
                                                             ( Manchester United )

                     14 Xabi Alonso                   8 Xavi
                       ( R. Madrid )                   ( Barça )

                                   16 Busquets ( Barça )

           18 J. Alba     15 S. Ramos      3 Pique           17 Arbeloa
           ( Valencia )    ( R. Madrid )      ( Barça )        ( R. Madrid )

                                    GK 1 Casillas ( R. Madrid )

 

 

スペイン先制 イタリアは疲れが….

スペインのキックオフで始まった試合は2分に左サイド Cassano からのパスを受けた Pirlo が中央からミドルを放つ。 イタリアが先制すれば面白いと誰もが思うところだろう。 5分には期待の Balotelli にボールが渡るがここは Sergio Ramos がマークに入る。
しかしそんな“期待”はすぐに霧散していく。左サイドを Sergio Ramos が突破しJordi Alba に繋いでクロスが上がる。ここはBonucci がCKに逃れ、そのCKに Ramos がヘッド強烈なヘッドを放つ。9分を過ぎるとスペインのパスが回りだしサポーターたちから“オーレ”に掛け声が上がる。4年前はレギュラー選手ではなかった David Silva そしてXavi 、Alvaro Arbeloa らががんがん攻め込んでくる。11分には Cesc からのクロスに Xavi が放ったショットがクロスバーをかすめる。

いずれもゴールネットには至らなかったがポルトガル戦と異なりスペインの“先制攻撃”を見せられイタリアの先制ゴールよりも“早い時間に失点してくれるなよ。”との願いに替わってくる。
だが14分 Iniesta が前に送るとXavi がやや右サイドからChiellini と競り合いながらも折り返しDavid Silva が放ったヘッドがBuffon の守るゴールにあっさりと突き刺さった。 

イタリアが勝つためには絶対に先制点、と思っていたのでこのゴールでも試合が決まってしまったと思った。
しかし16 分からはイタリアが反撃を再び試みる。Ballotelli がArbeloa に倒されてFK を得る。 Balotelli がまたいで Pirlo が直接狙ったFKは Xavi の背中に当たってCKに。再び Pirlo がゴール前に上げるとCasillas が指先に当たってDe Rossi に当たってゴールラインを割る。 Casillas の指先に当たらなかったらドンピシャで De Rossiのヘッドが決まっていただろう。

その直後にスローインを得ると Abate がゴール前の Balotelli にロングスローを入れるもマークに入った Busquets がヘッドでCKに。 Pirlo が右から入れたCKに Barzagli がヘッドでコースを替えるが Ramos がヘッドでコーナーに。今度は左から Pirlo が入れたCKに Chiellini が飛び込むがわずかに合わずにGK Casillas が弾き出す。この連続CKにイタリア同点ゴールの予感が芽生える。

しかし20分守備に戻った Chiellini が膝を抑えて動けない。スペインは攻撃を続けるが最後は Pirlo が Iniestaからボールを奪って外に蹴り出す。アイルランド戦で膝を痛め途中でベンチに下がり準々決勝のイングランド戦は欠場し準決勝のドイツ戦は出られないんじゃないかと思われていた Chiellini だが決勝戦は20分でベンチに下がり Bonucci が投入されることに。 Chiellini の負傷退場によりイタリアの勝利がかなり遠のいたことだろう。

試合前、最も懸念されたのはイタリア選手のコンディション。 決勝戦はスペインより1日短い中2日のインターバル。それだけでない、スペインは準々決勝、準決勝とドネツクで2試合行い約600kmの移動距離を経て決勝戦の地キエフに、1次リーグを終えてずっとウクライナに居座れたのに対しイタリアは準々決勝のイングランド戦をポズナンからキエフに移動し120分間+PK戦まで行う激戦の後国境を越えて中3日でワルシャワに戻りドイツ戦に臨み再び約770kmの移動を経て再びキエフに。 国境を越えた移動、移動距離そしてインターバル、イタリアにとって最大の懸念であった疲労が大きくのしかかっていたであろう。スペインのパスワークに対抗するためにはポルトガルが見せた様な運動量で早く詰め寄りスペースを与えないことと思っていた。この日のイタリア選手たちのコンディションを考えれば試合前から勝負はほぼ付いていたのかもしれない。もし1次リーグでスペインが2位通過であったなら優勝はどこになっていたかもわからなかったかもしれない。

それでもイタリアは同点ゴールを求めてスペインゴールにシュートを放つ。27分には Balzaretti が左サイドを突破しスペインゴール前に送り Balotello が頭で合わせるが惜しくも外れる。29分には Cassano のシュートは Casillas の正面に。 30分の Pirlo が狙った直接FKは右に外れ、33分 Cassano の 20m のショットはまたも Casillas がセーブ。 
アズーリ達のエネルギーが残っているうちに同点に….と思うが41分スペインはカウンター攻撃から最後は中央やや左の Jordi Albaへ Xavi が送り導き出されたシュートが Buffon の守るゴールの左下隅に突き刺さりスペインがあっさりと追加点を決めた。  Casillas のGKからの見事なカウンター攻撃だった。
この時点でスペインが3失点するとは考え難くイタリアの勝利はPK戦以外にないと思われた。

悪夢の様な Motta の負傷退場。

後半からイタリアベンチは Cassano を下げて1次リーグスペイン戦でゴールを決めた Di Natale を投入するが、何故 Cassano を下げたのだろう。大会最後の試合、攻撃選手を華麗に並べて捨て身で一縷の可能性に掛けるというのは日本のジャーナリスト諸氏が嫌う体育会的と批判を浴びるか?だけどジャーナリスト諸氏達の何人がスポーツに汗を流したのだろう?
Di Natale は後半開始早々に早速ヘッドを放つがわずかにクロスバーを越える。 51分にも Di Natale が Montolivo の左からのセンタリングに合わせて10mの至近距離からシュートに持ち込むが Casillas がはじき出し、こぼれダマが Di Natale の足元に転がり Baloteeli に送りヘッドを放つがここも Casillas がストップ。 なかなか Casillas の牙城を崩せない。
57分イタリアベンチは最後の交代選手 Motta を Montolivo を投入する。しかし4分後 Motta は脚を押さえてうずくまる。ハムストリングを傷めて結局担架に乗せられて運ばれてしまった。 既に交代枠を使い切りしかも最後の交代選手が Motta だった。 プランデリッツ監督の心境は…



59分に先制ゴールを決めた Silva が下がり Pedro Rodriguez ( Barça ) が投入された。試合開始から何度か Iniesta が右サイドに入り事があったけどこれで Pedro が左に入り Iniesta が右に張りつく事になると思った。
64分 Balotelli が倒されてFKを得る。 Pirlo がファーサイドの Bonucci に送るが Busquets のマークがきつくてシュートに持ち込めない。 この日は Pirlo が中盤で厳しくマークされ頼みの Balotelli もボールが渡っても幾重に取り囲まれ思うように動けない。 一人少なくなったイタリア選手達の脚もだんだん止まってくる。中2日の疲れがのしかかっているのだろう。
そして75分ついに Fernando Torres がCesc Fabregas に替って投入されトップに入る。フランス戦以来2試合振りの出場。投入目的もフランス戦同様相手の攻撃を“カウンター攻撃”で抑える為だろう。 それでなくてももう試合はイタリア陣内でしかボールは回っていなかった。 そして85分ついに Xabi のスルーパスを受けた Torress がBuffon の守るゴールに蹴り込み3-0 とした。このゴールを喜んだのは Chelsea の首脳陣だろう。欧州選手権の決勝戦で2大会連続でゴールを決めた選手は過去誰がいただろう?欧州選手権で3点差が付いたのは 1972年の欧州選手権決勝戦の西ドイツ 3-0 ソ連以来。ワールトカップではフランス大会の決勝戦がフランス 3-0 ブラジルだった。

そしてその“記録”が塗り替えられる。 88分に Iniesta が下がり Juan Manuel Mata が投入される。これで Chelsea の選手が2人ピッチに立つ事に。 Mata はUEFA Champions League 決勝戦ではトップ下。準決勝戦と準々決勝戦では2列目右で起用されたけどこの試合は…と思っていたら Arbeloa のスルーパスを受けたTorres がお膳立てしたチャンスからイタリアゴールに押し込んで4点差とした。 欧州クラブ王者の FW でさえ6試合目にして初めて残り3分になって出場機会が回ってくるとはそれはスペインの選手層の厚さか? Torres は得点王を狙ってシュートを撃つという選択肢は持っていなかったか?しかし今大会から?設定された出場時間を考慮するという規定も知っていたのかなぁ?

ロスタイムが3分と表示される。あとはスペインが5点目を入れるかどうか…と思う。その反面、早くイタリアの為に笛を吹いてやってるれと Pedro Proenca 主審に願ってしまう。 そしてようやく終了の笛が吹かれスペインのゴールフィエスタも終わりこの4年間でスペインが3度目のビッグタイトルを手に入れた事となった。 

決勝戦が行われた Olimpiysky National  Sports Complex , もう20年以上前商用でキエフを訪れた時にあこがれのこの競技場に来た事がある。あの時は共産圏の雰囲気いっぱいであったが2008年に大改修され今はどんな雰囲気なのだろう?

4年前はカエサルスペイン国王夫妻が競技場にお見えになっていたけど今回はフェリペ皇太子がキエフに来ておられたとか。
レテシェ皇太子妃も同行したのかな?
今回はテレビ画面を通してみた決勝戦そして試合後のフィエスタを見ながらそんな事を考えていた。

そして思った。 FIFA Confederations Cup で日本はスペインと対戦するのだろうか? そして4年後の2016年、俺はフランスに渡って EURO を楽しめるのだろうか……



ロンドン五輪 日英サッカーメンバー決定…  物議を醸す男子の選考

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7月2日、日本サッカー協会はロンドン五輪に臨む男女18名ずつの代表選手を発表した。
女子はワールドカップ優勝メンバーで構成され、23歳以下という年齢制限のある男子五輪チームは前回に引き続き今回も選手選考結果に物議を醸す事になった。

大迫、原口の落選
発表された男子メンバーは下記の通りであった。 

GK 権田 修一(23)(FC東京) , 安藤 駿介(21)(川崎)      
DF★徳永 悠平(28)(FC東京) ★吉田 麻也(23)(VVVフェンロ) , 山村和也(22)(鹿島)
鈴木 大輔(22)(新潟), 酒井 宏樹(22)(ハノーバー), 酒井 高徳(21)(シュツットガルト)
MF 清武 弘嗣(22)(ニュルンベルク) 村松 大輔(22)(清水) 東慶悟(21)(大宮), 山口 蛍(21)(C大阪)     
    扇原 貴宏(20)(C大阪) 宇佐美貴史(20)(ホッフェンハイム)
FW 永井 謙佑(23)(名古屋), 大津 祐樹(22)(ボルシアMG) 斎藤学(22)(横浜M)杉本健勇(19)(東京V)

北京大会では起用されなかった Over Age が2名、徳永と吉田が選ばれた。 他に村松、宇佐美がアジア地区予選の出場暦がない。村松は2次予選のクウェート戦で1試合途中出場を果たしたが最終予選には出場暦は無かった。 Bayern München に所属していた宇佐美はドイツ滞在の為か召集もされなかった。彼らだけではなく4年前同様にアジア地区予選時にはレギュラーで出場暦の乏しい選手が選抜されるという選考結果が気になる。ポジション別に見ると下記の様になる。

GK
権田の選考は誰が見ても予想できたこと。安藤が五輪予選同様第二GKに選ばれたが、2年前のワールドカップの事もあるので本番直前までまだ誰が五輪でゴールを守るかは確実ではない。 
北京五輪予選では最終予選の開始時は山本海人が起用されていたが第五戦で西川周作が起用され最終戦のサウジアラビア戦でも西川がゴールを守り、五輪でも西川が3試合ともゴールを守った。西川は代表の第二GKにまでなっているが山本海人は今シーズン所属先の清水ではまだJ-League では出番が無い。何とか奮起してほしい。

DF
北京五輪では最終予選フル出場だった青山直晃がメンバーから外れた。青山は2009年9月のヤマザキナビスコ杯で大怪我を負って以来満足に試合に出場出来ていない。今シーズンから完全移籍した横浜FMでもまだ1試合2分間しかJ-League の試合に出場していない。まだ26歳、奮起してほしい。そして北京五輪予選ではレギュラーのCBだった伊野波も北京五輪にはなぜか選出されなかった。しかし伊野波は今や代表のCBのポジションを奪おうかという選手。次のイラク戦には起用されるかもしれない。 
長友、森重直人そして吉田麻也が予選では召集暦すら皆無なのに北京五輪メンバーに選抜された。 そして安田理大も4試合ベンチ入りを果たしたが起用されなかったのに選ばれた。安田、森重は“黄金世代”と呼ばれた FIFA U-20 2007 のメンバー。長友は五輪予選時、まだ明治大学の学生であったが五輪前にはFC東京でぐんぐん頭角を現していた。 その後の長友、吉田の活躍を見れば選考は間違って無かったのかもしれない。
今回は左SB比嘉(横浜FM)濱田(浦和)ら予選ではレギュラーだった選手が外れた。 比嘉はタレントが豊富なサイドバックのポジションで Bundesliga で香川に次ぐ著名日本人選手となった酒井高徳が五輪メンバーに浮上して来るにつれて厳しいかと思われた。
濱田は選ばれると思ったんだけど、吉田麻也、SBもCBも出来る徳永ら over age 選手が選考された為に外されたのかもしれない。そして比嘉、濱田ともに所属先では出場機会が少なかったことも寄与したかもしれない。比嘉は1試合14分のみの出場時間。 山村も鈴木も所属先ではレギュラーだ。 しかしこれから両名は代表を目指してがんばってほしい。

MF
4年前に続いてサプライズ選考結果のあったポジション。ただ日本はこのポジションには候補選手が多すぎるから最後に選手を絞るのはいつも難しいと思う。 北京五輪では青山敏弘(最終予選3試合スタメン)、水野晃樹(6試合スタメン)家永昭弘(2試合スタメン、2試合途中出場)そして柏木陽介(5試合スタメン1試合途中出場)ら4選手がメンバーから漏れた。家永は最終予選最後の2試合には召集されず、五輪前には怪我をしており、水野は Glasgow Celtic に移籍が決まっておりそちらへの合流に気を使われたのかもしれないが青山と柏木の(当時)サンフレッチェコンビの落選は本当に驚きだった。 
北京五輪では本田圭祐、梶山陽平、本田拓也、谷口博之そして香川真司がメンバーに選ばれた。 本田圭祐は五輪予選でも5試合スタメンフル出場という実績があったが、梶山は最終予選最後の3試合には召集されず、本田拓也も第4戦のカタール戦は累積警告で出場停止となりその後の2試合も召集されていなかった。 また谷口、香川も北京五輪予選には召集されていなかった。 香川は予選時はまだ18歳であったが 2007 FIFA U-20 には既に出場しており五輪前は所属先のセレッソではほぼフル出場のレギュラー。その後の活躍を見れば選ばれて当然の選手だった。谷口は2006年アジア大会のメンバーでそのシーズンは所属先の川崎フロンターレでフル出場、ベスト11にも選ばれていた。
ただ3連敗で終わった直後には柏木くらいは入れても良くは無かったかなぁ〜と思った。
今回は清武、東、山口、扇原らアジア地区予選のレギュラーは選ばれた。宇佐美はその才能はだれもが認めるとこころ。ただチーム戦術、特にコンビネーションがフィットするか心配。 原口、濱田の落選に多くのレッズサポーター達が失望し怒りを露にするが気持ちは良くわかる。 原口は9月のイラク戦を目指し “ホーム”さいたまスタジアムで胸のすくようなゴールを決めて欲しい。 濱田も競争は厳しいがCBのポジション争いに参戦して欲しい。



FW
永井、大津は予想通り。最終予選2試合98分出場の斎藤、1試合7分間の杉本の選出そして大迫雄也の落選は驚きだった。永井、大津よりも大迫の選出の方が可能性高いと思っていたのに。 確かに斎藤は欧州遠征で結果を残し、杉本は高さという選択肢を与えてくれるが大迫が外れるとしたら香川と宮吉が召集されたときと思っていたのに…
( 但し宮吉は代表は1軍、五輪は2軍と発言したので関塚監督は招集しないと予想したけど。) 
永井はスピードを生かすためかスタメン起用は2試合のみだった。大津も招集は3試合のみだったがそれは所属先の Moenchengladbach が使いもしないのに召集を拒否したため。
北京五輪当時でもFWは人材不足で予選に出場した選手で五輪にも選出されたのは岡崎慎司、李忠誠のみ。李忠成こそ4試合スタメンで2得点(アウェーのベトナム戦だけだけど。)を決めたが岡崎の予選でのスタメン出場は最後の2試合、ベトナム戦とサウジアラビア戦のみだった。そして召集暦のない森本貴幸、豊田陽平が選出された。豊田が五輪ではナイジェリア戦で唯一のゴールを決めた。 李、森本、岡崎、惜しいシュートはあったんだけど…
星陵高校時代は本田圭祐の1年先輩だった豊田は北京五輪の翌シーズン愛するサンガに移籍してきた。得点力が大いに期待されたが出場試合数は21に限られ1得点を決めただけで翌シーズンにはJ2だった鳥栖に移っていった。しかしそこで再びゴールを量産、2011シーズンは23ゴールを決め得点王となりJ1昇格の原動力となる。今シーズンも16試合に出場し5得点。更なる飛躍を期待したい。

北京五輪では18人中実に7人がアジア地区予選には出場しなかった選手。今回は Over Age の2選手と宇佐美の3人。正念場だったアジア地区最終予選の後半には出場しなかった選手が更に4選手(酒井高徳、村松、杉本、斎藤)。

4年前は“厳しいアジアの戦いを勝ち抜いた同じ釜の飯を食った選手の団結”を危惧すると“それは日本の体育会の弊害でサッカーには関係ない。”という人もいた。 体育会の弊害って何だ? どんだけスポーツやったことあんのか?って“ジャーナリスト”達一人ひとりに訊きたくなった。 そして3連敗に終わった。 その時はそれ見たことか?と思ったけど、本田圭祐を筆頭に内田、長友、吉田麻也、香川、岡崎、李といった現在の中心選手達は北京五輪経験者という事実を見ればあの五輪は良かったのかもしれないと思う次第だ。ロンドン五輪では1試合でも多く試合が出来ることを願う。



Stuart Pearce 'sorry' for David Beckham over Team GB snub

日本でも話題になっていた64年ぶりに結成された英国サッカー五輪代表チーム Team GB のメンバーが7月2日発表された。そのメンバーは下記の通りだった。

The Great Britain men's football squad for the London 2012 Olympics:
Jack Butland (Birmingham), Jason Steele (Middlesbrough); Ryan Bertrand (Chelsea), Steven Caulker (Tottenham), Craig Dawson (West Brom), Micah Richards (Manchester City), Neil Taylor (Swansea), James Tomkins (West Ham); Joe Allen (Swansea), Tom Cleverley (Manchester United), Jack Cork (Southampton), Ryan Giggs (Manchester United), Aaron Ramsey (Arsenal), Danny Rose (Tottenham), Scott Sinclair (Swansea); Craig Bellamy (Liverpool), Marvin Sordell (Bolton), Daniel Sturridge (Chelsea).


最も焦点となっていた David Beckham は Stuart Pearce五輪チーム監督が3度 Beckham のプレーを生観戦した上で五輪チームにから外される事となった。
“ 私がこのチームの監督の任務を与えられた時には選手達のフォーム、フィットネスそして利用の可能性を見て来た。その点から言うとこの五輪には最高のチーム編成で臨む事だと思う。私は David に対してそして彼が五輪をこの地にもたらす為に行ったことに就いては大変な敬意を払っている。“こういった後に続けてこう付け加えた。 ”私が決める事は football のグランド内に起こりうる事に対してであり、誰が好みか等という個人的な事は関係がない。 これは選考でき得る最強のメンバーである。チケットの売り上げや商品の販売の観点から言えば私は football に関わる人間だ。自分の意見に忠実でなければならない。 David には気の毒な結果となった。これが彼にどういう意味か良くわかっている。私はそれを充分に理解している“ と語った。



Pearce 監督の選んだ18選手の中には5人のウェールズ選手がいた。そして北アイルランド、スコットランドの選手はいなかった。 Pearce 監督は国籍は選考の対象にはなっていないと語った。

Beckham の選考、Gareth Bale の負傷による離脱を経ての最終メンバー18選手の選考は Pearce 監督にとっては“ not been easy task : 辛くて骨の折れる任務”だったとの事で over age 3選手はRyan Giggs, Craig Bellamy そして Micah Richards とした。そして23歳以下の選手の中で所属クラブでのスタメンレギュラー選手はほとんどいなかった。 

Manchester UnitedのTom Cleverley, Chelsea の左SB Ryan Bertrand, Swansea のMF Joe Allen そしてArsenalのAaron Ramsey らは選考から外された。そしてSwansea から3選手が選ばれChelsea の Josh McEachran は昨シーズンローンで Swansea でプレーしたが五輪メンバーからは除外された。

兄の Martin がパラリンピックに出場するScott Sinclair もメンバー入りし兄弟での五輪出場を決めた。
この大会に自分の選手団を決める事は容易な任務では無かった。そしてこの大会のステータスとユニークさは私が行った全ての選択の重要性を強調させている。“とも語った。
チームは7月8日にメキシコと親善試合を行い7月20日にはブラジルと親善試合を行う。

Ryan Giggs wrecks David Beckham's Olympic dream

発表の4日前既に Stuart Pearce 監督は最後の Over Age 枠を Ryan Giggs か Beckham かの選択の結果David Beckham の Team GB 入りの可能性が無い事を決めていた。最後は Manchester United の元チームメイト同士の争いとなったらしい。
その結果を受けてBritish Olympic Association の私の尊敬する Lord Coe こと Sebastian Coe 会長は早速 Beckham にはフィールドの外で五輪の為に色々役立って貰おうとその機会を探る事にしたとの事。
4月に Pearce 監督はアメリカに赴き Beckham と話し合い彼をチームに入れる事は何の保証も無いと話した。“彼は偉大な親善大使であったがチームに入れると言う保証は何もない、フォームやチームに入れるメリットだけを考える。 David Beckham も他の選手と全く同じ様に over-age か若い選手かと選別される選手の一人だ。”と言われていた。

Pearce 監督が Beckham 18人で構成されるチームに入れる余地が無かった理由は攻撃と守備のオプションを考えるとManchester City のMicah Richards とLiverpool のCraig Bellamy の2人を over age として選出し最後の over age 枠を Beckham と Giggs で“争う”事となった為だった。
Lord Coe 会長は Beckham をロンドン五輪の number one サポーターと言っていたそして Beckham の代表漏れに何の警告を発しなかったロンドン五輪委員会はすぐに彼を親善任務に含める、 Beckham を7月27日の開会式に出席して貰うと語っている。
Beckham と Coe は2012年の五輪開催地を決める2005年シンガポールで開催されたOlympic Congress そして2018年のワールドカップ開催国を決めた FIFA の総会で共に開催権利を得る為に共に闘った。
“ David は大変なサポーターだ。恐らくナンバーワンのロンドン五輪サポーターだ。まさに開会直後から最後まで熱狂的にサポートをしてくれるだろう。 彼はロンドン東部の出身だ。そして五輪の重要さと若者にどれだけスポーツが重要かを知っている。彼は偉大な任務のモデルで我々は彼の様な支持者を得られて幸運だ。私は彼と出番に就いて話し合うだろう。



Beckham が Pearce からチームに入れない事を知らされた時は大変失望していた事を認めた。
Pearce 監督は充てにしていたDF選手達が怪我や EURO に選ばれた為にDF選手のカバーが急務であった。
Phil Jones, Martin Kelly, Kyle Walker そして Chris Smalling らが候補選手であった。Richards は長い間 Pearce 監督が欲していた選手だった。Richards は EURO2012 の前のオランダ戦を前に代表から外れたので今回の選出の運びとなったらしい。
また Hodgson 代表監督が Daniel Welbeck を EURO2012に選んだのでストライカーの over age 選手が必要となった。そして Pearce 監督の選手のコンディション具合を重要視するという事から Joe Cole, Adam Johnson そしてFrank Lampardらも対象外となった。Manchester United のWelbeck は EURO ではワントップのレギュラー選手だった。
Spurs のGareth Bale, Chelsea のFW Daniel Sturridge そしてBirmingham City のGK Jack Butlandらはチームの中心選手と予想される。
Everton のMF Jack Rodwell は怪我の為に Team GB には選ばれなかった。
英国五輪代表は開会式の前日の7月26日にOld Trafford でセネガルと初戦を行い29日に UAE を聖地 Wembley に迎える。 
“誰もが祖国の為にどれだけ闘うかが常に私にとってどういう意味かと云う事を皆知っている。だからこのユニークな Team GB に選ばれる事は栄誉であった。勿論私はがっかりしているが恐らく私ほどチームをサポート出来る選手はいないだろう。他の誰もが願う様に私もチームが金メダルを勝ち取る事を願っている。
ロンドン出身者としてオリンピックを祖国に持ってくる事に少し従事出来た事を誇りに思う。そして開幕が待ちきれない。“
以上の様に語った。



London 2012: Chelsea put health of Daniel Sturridge first

EURO2012 が終了し発表された Team GB のメンバーを見て UEFA Champions League のタイトルを勝ち取った Chelsea の Roberto Di Matteo 監督は心配がシーズンを終わらせれくれないといった困惑。
EURO2012 に選出されなかった Chelsea でプレーする21歳のFW Daniel Sturridge が五輪代表に選ばれたが Sturridge はその前の週からシーズンの疲労からか床に伏せていたらしい。

“最も重要なことは健康状態だ。 彼が100%健康状態で Sturridge 自身が五輪チームに合流できるのであればわれわれは Stuart Pearce 監督に全面的に協力したい。Daniel も Ryan Bertrand も召集されている。そして五輪チームに選ばれることは選手達にとって偉大な機会である。チームの監督としてはシーズン開幕前には選手達を手元に置いておきたいが、何人かの選手は五輪にいて選手達もそれを望んでいる。スペイン五輪チームには Oriol Romeu とJuan Mata が召集されると言われている。選手達にとっては逸したくない機会だ。多くのクラブが我々と同じ状況下にある。選手達の所属するチームがどこまで勝ち上がるかによるが常に代表チームとの兼ね合いのジレンマに陥る。そして8月には国際親善試合も組まれている。( England は8月15日にイタリアとスイスのベルンで親善試合が組まれている。”
Oriol Romeu とJuan Mata の召集はワールドカップ、欧州選手権に続く五輪金メダルの“3冠”を狙うスペインにとっては必至であると思われるらしい。

Daniel Sturridge may have to withdraw from Team GB

Team GB はLoughborough で7月6日ごろから合宿に入りその後スペイン合宿に入り7月20日にはMiddlesbrough のRiverside Stadium にブラジル五輪代表を迎えて親善試合を行う。
まだ Sturridge の Team GB からの辞退は決まっておらず Pearce 監督はリザーブメンバーとの入れ替えが可能な7月25日まで最終決定を延ばすつもりだ。
最終メンバー発表のあった翌日の7月3日時点では Sturridge はまだ病に伏せており Chelsea のクラブドクターと専門家が様子を見て経過を報告する事となっていた。 彼の状態は24時間後には回復していると信じられていた。



7月3日時点では公になっていなかったが Standby List に入っている4選手はNorwich City のDF Ryan Bennett, Reading のGK Alex McCarthy, the Huddersfield Town FCのストライカー Jordan Rhodes 、Crystal Palace のウィング Wilfried Zaha と思われた。 Rhodes か Zaha が Sturridge と替わって選ばれる候補と考えられている。
Standby List の候補選手だった Tottenham Hotspurの Gareth Bale は背中の負傷で、また Bale のチームメイトであった Kyle Walker とManchester United のDF Chris Smalling も相次いで負傷で離脱して行った。



Ryan Giggs to captain Team GB's Olympic football team



Pearce 監督は Team GB の主将に38歳の Ryan Giggs を任命した。
ウェールズ国籍のGiggs にとって選手キャリアーの中でもロンドン五輪は最高の国際舞台。
“明らかに五輪チームに選ばれたことは偉大な名誉である。 Stuart Pearce は私にキャプテンを任命してくれた。これは更に私にとって良いことで良い事で、非常に楽しみでもある。 それはユニークな経験で私がこのチームの一員になれればと思った時に考えたことだ。五輪が近づくほどにエキサイトして来て、メンバーの発表があった時に本当にチームの一員になれたことに誇りを持った。我々は金メダルを勝ち取ることを臨む。それは他の選手達が望むことでもある。選手達は勝者になり、好成績を残したいと思う。みんな金メダルを願う。それはタフなことだ。なぜなら他の国も優秀な選手を集めて大会に臨むからだ。タフな大会になると思うけど我々にもチャンスはあると思う。 ”
落選した Beckham については“ Devid には残念なこととなった。友人として彼を気の毒に思う。 選手としてはこの得られた経験とやろうとしたことをただ楽しみたい” と語った。



Chelsea's Juan Mata in Spain's preliminary squad

日本の初戦の対戦相手スペインのメンバーはかなり強烈である。
Juan Mata, Jordi Alba そして Javi Martínez といった EURO20120 優勝メンバーが候補に入っている。
Mata はChelsea のMF, フルバックの Albaは来シーズンから Valencia からBarcelona に移籍金€1,400万 ( 約14億円 ) で移籍が決まっている。共にEURO の決勝戦でゴールを決めている。
Athletic Bilbao でプレーするJavi Martínezも EURO2012 の Ireland 戦に出場しており FIFA World Cup 2010でもメンバー入りし1次リーグのチリ戦で Xabi Alonso に替わって投入され20分間プレーした実績を持つ選手。 
“五輪チームを代表チームと同じ潜在能力があると見積もるのはちょっとフェアーではない。チームはフル代表チームと同じ概念と特徴を持っているが、代表とは異なったチームでまた違ったプレッシャーを受けるだろう。 ”と語るのは Luis Milla スペイン五輪チーム監督。 現在候補選手22名を選抜し18名に絞り込むが、候補選手の中にManchester United のGK  David de Gea, Chelsea の MF Oriol Romeu そしてFC Barcelona 所属の Martín Montoya, Thiago Alcãntara そしてCristian Tello らが入っている。 



所属クラブを見ると名前負けしそうであるが、日本五輪チームには是非健闘を期待したい。
1979年日本でワールドユース大会、今の FIFA U-20 が開催された。初めて自分が見る日本が参加するFIFA 主催の大会を非常に楽しみにしていた。その日本の初戦の相手がスペインだった。個人の技術では圧倒的に差があるのは試合を見ていてすぐにわかった。それでも日本はグラウンドを良く走り回りスペインに決定機を作らせなかった。しかし後半にミドルシュートを決められそれが決勝点となった。 日本は決定機を作れず 0-1 という得点差以上の差を見せられた気がした。
丁度日本のワールドカップデビュー戦、フランス大会のアルゼンチン戦を見終わったときにワールドユースのスペイン戦を思い出した。 その後日本はアルジェリア 0-0 メキシコ 1-1 と引き分け目標だった準々決勝進出はならなかった。 準々決勝にでられたらマラドーナ、ラモン=ディアスらのいたアルゼンチンとの対戦が待っていたのだけど。
7月25日、 Glasgow で日本はスペインと対戦する。スペインの最終メンバーはまだ決まっていないけど出来れば日本も中村俊輔を使えないか? 彼なら Glasgow でばんばん直接FKを決めてくれるぞ??

オセアニア2強とのダブルヘッダー。これはこたえられない。 New Zealand Oly Whites

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オーストラリア、ニュージーランドと仕事で関わる様になり15年近くが経った。当地を訪問し始めた時はこれだけサッカーで関わり合いが出来るとは思わなかった。2005年オーストラリア大陸で Hyundai A-League が立ち上がり、2009年11月にはニュージーランドがバーレーンを降して28年振りにワールドカップに出場を決め、この国の人達とサッカーに就いて話す機会が激増した。そしてこの両国の代表チームが来日しダブルヘッダーを行う。こんな素晴らしい試合が組まれるなんて想像すら出来なかった。 

ニュージーランド五輪代表 Oly Whites はタレント揃い。
6月21日、北京五輪に続いて五輪出場を決めていた Oly Whites ことニュージーランド五輪代表18名のメンバーが発表された。Neil Emblen 五輪チーム監督は3名の over age 選手に Ryan Nelsen, Shane Smeltz そして Michael McGlinchey 達を選んだ。
Nelsen は前回の北京五輪に続いて2大会連続の over age 選手としての選出。ただ北京五輪では当時の所属先であった Blackburn Rovers との兼ね合いから1次リーグ最終戦はプレーせずに北京を後にした。そして特筆すべきは3人ともワールドカップ南アフリカ大会のメンバー。 Nelsen は守備というよりもチームの要で見事にDFラインを統率。3試合3分2失点と大会で All Whites 旋風を巻き起こした立役者の一人。 McGlinchey は出場機会が無かったが Smeltz は3試合全てにスタメン出場を果たした。メンバー18人の構成は下記の通り。

Goalkeepers
1-Jake GLEESON (Portland Timbers, USA) 18-Michael O'KEEFFE (Fairfield University, USA)

共にアメリカでプレーするGK. オセアニア地区予選では Gleeson が Vanuatu ( 準決勝 ) Fiji ( 決勝 ) とゴールを守った。このチームでも彼がレギュラーであろう。Glesson は昨年6月のオーストラリア戦で後半 Glen Moss に替わって起用されて以来ほぼすべての代表戦でゴールを守っている。 Moss, Paston に替わって代表でもレギュラーGKの座に就くことが出来るか?所属先の Portland Timbers には日本人DF木村光祐が今月からプレーする。がんばれMLSの日本人代表!!

Defenders
3-Ian HOGG (Auckland City), 4-Tim MYERS (Waitakere United), 5-Tommy SMITH (Ipswich Town, ENG)
6-Ryan NELSEN* (Captain, Queen’s Park Rangers, ENG), 12-Adam THOMAS (Waikato FC) ,14-James MUSA (Team Wellington)



Nelsen と Smith 以外は地区予選でレギュラーだったDF陣。 予選は3バックだったけど Nelsen が入った事により3バックとなるだろうか?ワールドカップでは Nelsen が真ん中で Smith が左だった。Ian Hogg は北京五輪に続く2大会連続の五輪メンバー入り。18歳で出場した北京五輪は3試合ともスタメン出場。
今年に入りワールドカップ予選等のフル代表戦7試合に出場している。 21歳の Tim Myer も今年に入りワールドカップ、オセアニア選手権に出場している。 James Musa、Adam Thomas は FIFA U-20 2011 メンバーで3試合フル出場。Thomas は FIFA U-17 2009 にも出場をしいている。 

Midfielders, 8-Michael McGLINCHEY* (Central Coast Mariners, AUS) 13-Alex FENERIDIS (Auckland City), 15-Cameron HOWIESON (Burnley, ENG), 17-Adam McGEORGE (Auckland City) 11-Marco ROJAS (Melbourne Victory, AUS),

Feneridis と McGeorge がオセアニア地区予選経験者。他は海外でプレーする選手。McGeorge は5月のホンジュラス戦で試合終了1分前に投入されて All Whites デビューを飾ると以降代表に召集されベンチ入りはするもなかなかピッチに立てずワールドカップ予選のソロモン諸島戦で途中出場を果たしたのみ。
20 歳のRojas はワールドカップ後ほぼすべての All Whites の試合に出場している。FIFA U-20 2011 ではウルグアイ戦とポルトガル戦にスタメン出場。所属先の Melbourne Victory では23試合に出場した。




Forwards
7-Kosta BARBAROUSES (Alania Vladikavkaz, RUS), 9-Shane SMELTZ* (Perth Glory, AUS) 10-Chris WOOD (West Bromwich Albion, ENG), 16-Dakota LUCAS (Team Wellington ) 2-Tim PAYNE (Blackburn Rovers, ENG)

予選経験者は Dakota Lucas のみ。ただワールドカップ経験者の Smeltz, Wood そして今やフル代表でもレギュラーであるBarbarouses らが選ばれている。MFと異なりタレント揃い。長身 Wood のワントップにやや下がり目に2選手が配置されるか?そうなると誰が選ばれる?All Whites でもレギュラーである Barnarouses と Smeltz か?
Barbarouse は2010/11 のシーズンは Brisbane Roar でプレーし12ゴールを挙げて A-League Grand Final 優勝に貢献した。 昨シーズンに移籍した Alania では出場試合は13試合のみ。うち6試合がスタメン出場だったが来シーズンから Panathinaikos でプレーするが彼はギリシア系の Kiwi でギリシアのパスポートも保有している。ただ7月末には Panathinaikos が UEFA Champions の予選があるのでロンドン五輪では途中で離脱するかもしれない。
20歳の Dakota Lucas は FIFA U-20 2011 のメンバーで3試合にスタメンを果たした。まだ代表デビューはない。30歳ベテランの Smeltz は昨シーズンは所属先の Perth Glory で17ゴールを挙げ A-League Final Series 進出の立役者に。 長身191cmの 20歳のChris Wood は18歳で選ばれたワールドカップメンバーでイタリア戦ではカンナバーロのマークを振り切りあわやのシュートを放ったのが今でも忘れられない。
昨シーズンは前半は Birmingham City に、後半はBriston City にローン移籍し合計12ゴールを挙げた( Birmingham 9 Briston 3 ) 来シーズンは West Bromwich Albion に戻ると思うがレギュラーポジションは
確保できるだろうか? 五輪では(代表でもそうだけど)ワントップに入ると思う。
Tim Pyne は19歳。FIFA U-17 2011の日本戦にも出場し、翌月開催された FIFA U-20 にもメンバー入りした。残念ながら出場機会は無かったが今年5月27日のホンジュラス戦では75分から Bertos に替わって投入され All Whites デビューを飾った。以降はワールドカップ予選のソロモン諸島戦でスタメン出場を果たすなど代表定着が期待される若手のホープ。



Standby
Michael EAGAR (Team Wellington) Cameron LINDSAY (Wellington Phoenix) Luke ROWE (Team Wellington)
Scott BASALAJ (Team Wellington)

ニュージーランド五輪委員会の Kereyn Smith 理事長はメンバー決定にあたり
“北京五輪以降、ニュージーランドのサッカーは強化され続けている。この競技の参加者は多い。我々は選手達のパワーを感じる。とりわけ Ryan Nelsen の様なリーダーは勢いを続けさせる。 我々はこのU-23 のチームはタフな五輪の試合を通して自分たちの存在意義を示してくれることを楽しみにしている。 と Smith 女史は語った。
また Emblen 監督は

非常にタフな決定をがあったことを意味する資質をもった大会に向けての小さな選手団である。 オーバーエイジの選手達はチームの背骨に良いバランスと経験をもたらしてくれる。我々は All Whites の最高の守備選手、なくてはならない中盤選手
そして最も得点力の高いFW選手をたとえ所属先のチームが拠出することを打診しなかったが選出をした、

特にRyan の影響は17歳そこそこの年齢の選手を含んだチームには計り知れない。そういった選手がチームに含まれることは通常ワールドカップでのベストな状態が起こりうるチャンスがあることが考えられる。
Smith, Barbarouses, Wood, Rojas そして Gleesonの様な選手がチームの中心となることは信頼の出来ることである。しかし我々は選手独り独りがタフな試合に対してベストであることが必要である。




Oly Whites は9日にアジア経由でロンドンに向かって出発する。11日に日本五輪チームと14日には韓国五輪チームとそれぞれアウェー戦を行い19日には欧州合宿先で UAE との試合が予定されている。
ロンドン五輪は27日 Belarus ( Coventry ) 29日Egypt ( Manchester ) そして8月1日に Glasgow でブラジルと対戦する。 ワールドカップスペイン大会でも All Whites が Zico, ソクラテス、ファルカン、セレーゾ、エデルらのいたセレソンと対決した。本当にブラジルと縁のある国である。
Oly Whites こと五輪代表チームには All Whites のメンバーが多く含まれているが今年6月ソロモン諸島で開催された Oceania Football Championships ではニューカレドニア何と 0-2 で敗れ、続くソロモン諸島戦には勝利を納めるも3ゴールを先行したあとに連続3失点を喫しロスタイムで Smeltz のゴールでようやく勝利を拾うという戦績に終わり FIFA Confederations Cup 出場を逃すという体たらく。 Nelsen は参加していなかったがSmith, Barbarouses, Wood, RojasそしてJeremy Brockie ら中心選手がプレーしており、ちょっと最近の代表のレベルが怪しくなっている。 11日の日本五輪代表との試合で今の代表の実力が測れるかもしれない。 それも楽しみだ。
ロンドン五輪のサッカーで男女共に出場しているのは地元英国とブラジルそして日本とニュージーランドの4カ国のみ。
キックオフが楽しみだ。

オセアニア2強とのダブルヘッダー。これはこたえられない。 Australia Matildas

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昨年9月中国でロンドン五輪女子サッカーアジア地区最終予選が行われていた。日本が3連勝で迎えた第4戦の相手は北朝鮮。相手のオウンゴールで日本リードのまま試合が進んでいた。しかし北朝鮮の金朝蘭が終了直前に日本ゴールに押し込みそのまま試合は引き分け、この時点で次の試合を待っていた中国とオーストラリア女子サッカー代表のロンドン五輪出場の可能性が果てしなくゼロに近づいてしまった。そして続く中国対オーストラリア戦はオーストラリアが van Egmond のゴールで中国を破り6カ国中3番目に浮上し、1試合を残して2位北朝鮮に1勝ち点差に迫った。 しかし北朝鮮の最終戦の相手は格下のタイ。ここで北朝鮮が負ける事は考えられず、北朝鮮が日本と引き分けた時点でオーストラリアに五輪の可能性は潰えていたと言えた。

7月11日の日本戦を前に Westfield Matildas ことオーストラリア女子代表の Tom Sermanni 監督は IOCの決定に不満を隠さない。2011年ドイツで開催された FIFA Women’s World Cup で北朝鮮の選手2名がドーピング検査で陽性判定を受け失格処分になった。この結果を受けて FIFA は北朝鮮女子代表チームは2015年のワールドカップには出場停止処分としたが、 IOC と WADA (World Anti-Doping Agency ) は何の処分も下さなかった。ただ FIFA も女子 U-20 チームにも同様の処分は適用せず今年9月に日本で開催される FIFA Women’s U-20 に北朝鮮チームが韓国、日本と共にアジア代表で参加する。



“FIFA は北朝鮮を2015年のワールドカップに出場停止とするという正しい判断を下した。しかし驚いた事に IOC と WADC は北朝鮮に何のアクションもとらず北朝鮮は五輪予選に選手団を送った。我々が予選会に臨んだ時、我々は、恐らく、中国も韓国も3位の国もチャンスがある、なぜならIOCが何らかのアクションをとり北朝鮮を五輪に行くことを許さないのではと思ったからだ。 しかし状況はまったく逆で我々は初めてドーピングテストを受けない大会に参加することとなった。 他のいかなる大会で我々は薬物検査を受けた。 北朝鮮に何の処分が果たされなかっただけでなく、ドーピング検査さえ行わない大会が開催された。“
薬物検査がなされなかったのは恐らく中国の圧力かもしれないけどそれでも中国女子は結果が出なかった。
オーストラリアは2006年に AFC に加盟して以来女子代表はオリンピックアジア予選を突破できていない。
Sermanni 監督の言い分もわかるけど、五輪予選で北朝鮮は主力選手5人が落雷にあったとかで五輪予選には来ていなかった。それでも中国、オーストラリアに勝って2位に入ってくるんだから大したもんだと思った。

Goalkeepers
Melissa Barbieri (c) (unattached) Brianna Davey (Melbourne Victory)
Defenders
Laura Alleway (Brisbane Roar / Lincoln Ladies) Danielle Brogan (Sydney FC) Stephanie Catley (Melbourne Victory)
Thea Slatyer (Sydney FC) Brooke Spence (Brisbane Roar / Colorado Rapids) Servet Uzunlar (Sydney FC / Pali Blues)

Midfielders
Teigen Allen (Sydney FC) Tameka Butt (Brisbane Roar / Boston Breakers) Katrina Gorry (Melbourne Victory / Ottawa Fury) Alanna Kennedy (Newcastle Jets)

Attackers
Ashley Brown (Melbourne Victory) Caitlin Foord (Sydney FC) Emily Gielnik (Brisbane Roar / Liverpool)
Kathryn Gill (Perth Glory) Kyah Simon (Sydney FC / Boston Breakers) Sarah Walsh (Sydney FC)

6月24日、27日 Wollngong で隣国ニュージーランド女子代表 Ferns と2連戦を行い 1-1. 2-0 の1勝1分であったがその際に選出された Steph Catley とAshley Brownの両名が引き続きメンバー入りしまだ代表歴の無い
Emily Gielnik とKatrina Gorryら遠征メンバーに入った。
Westfield Matildas のスター選手 Kyah Simon, Tameka Butt そしてServet Uzunlar といった海外でプレーする2011年ワールドカップメンバーも招集された。ワールドカップメンバーは7人。私のお気に入りの Sally Shipard はメンバー入りしなかった。

良いレッスンだった 五輪前で良かった   日本五輪代表 1-1 Oly Whites 11th July

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ロスタイムは4分と表示された。そして Oly Whites  Barbarous が左サイドで酒井と競りながらCKを取った。“これ後半最初で最後のチャンスでしょうね〜。” ずっと一緒に New Zealand Area で観戦していた日本人の人と話をする。そのCKは日本DFがヘッドでゴールラインの外にクリアーする。 Smelz が下がっているしなぁ。 191cm の長身FW Chris Wood または186cmのDF  Tommy Smith らは日本遠征に帯同していない。次のCKを Howieson が入れるがGK権田が跳ね返しこぼれ球を Howiseon が拾うけど最後は米本がカットし日本が繋いで斉藤がドリブルシュートに持ち込むが惜しくもボールポストの左に外れる。こう言うシーン、今夜は何度めだろう?そして再会後 Payne と酒井が交錯して倒れるとパラグアイ人のアリアス主審は酒井の反則を取った。

“もう1回こっちまでこれますかねぇ〜。”

日本のプレスを何とか掻い潜ってゴール前迄運んでくるが右サイドで Rojas がキープするも徳永と山崎がマークに入りボールを奪う。やはり上手いなぁと思う。



もう48分を過ぎた。あとはボールを繋いでタイムアップまで…と思った。そして山村から村松に繋ぐとそこに Barbarouses がマークに入りあっさりとボールを奪ってしまう。あぁこれは…と思うと Barbarouses は中に入れるとそこに Rojas が走り込む一瞬だけど山村、米本が Rojas にだけ目を奪われたが Rojas が見事にスルーをすると右から走り込んだ Dakota Lucas にフリーで渡る。 Lucas は権田の飛んだ反対側にダイレクトで撃ったNew Zealand 後半最初のシュートが日本ゴールの右隅に転がりこんだ。残り時間はもう15秒程度だった。

10人程度のKiwi と10人程度の私を含めた日本人は狂喜乱舞をする。Kiwi の1人がビールの入った紙コップを放り投げたので警備員に連れて行かれない様に他の Kiwi が同じ事をしない様に制止に行くと数人が私に抱きついて来た。そしてテレビカメラがこちらの様子を映しに来る。  さっきまで大歓声が続いていた国立競技場は物音ひとつしなくなり我々の歓声が競技場に響いているのが解った。 

再開のキックオフ後日本がニュージーランドゴールに迫る。“危ない、危ない、look ! look ! “と Kiwi 達に指さして云うがすぐにタイムアップのホイッスルが吹かれ、更に Kiwi 達が歓声を上げる。 日本人と Kiwi 達でハイタッチをかわし合う。 そしてスタンドに目を向けるともう半分くらい空席が見られた。  Kiwi 達と色々話す。 これはものすごく良いレッスンだった。五輪の試合でなくて良かった。 こう言うと彼らは、日本は殆ど試合を支配していたしパスワークが素晴らしい。我々は五輪で大丈夫だろうか…. こう語った。
試合が終わって数日経った今でもこれは私の正直な感想だ。

7月11日の男女五輪壮行試合、ダブルヘッダーが国立競技場で行われる。なでしこの相手はオーストラリア女子代表 Matildasu 。男子五輪代表の相手は New Zealand Oly Whites 。これは堪えられない。試合だ。自分にとっては El Clasico と Milan Derby を一緒に見られる様なものだった。昨年3月ニュージーランド代表 All Whites が日本代表と国立で親善試合が組まれていたが残念がら震災で中止となった。それ以来この試合の再戦を望んでいたけど、五輪代表同士であるがそれが実現したのだ。 
なでしこの試合が終わり私は“ Australia 応援席” から ”New Zealand 応援席“ に移った。ここも Kiwi らしき人はいなかった。すると係員の人がやって来て。“ここの席に座って頂いても結構ですが、日本サポーターの人にも開放しますので、ニュージーランドを応援するなら前の方の席に移って下さい。”ってな案内を受けた。 まぁ“ニュージーランドを応援しようとする人は10人もいなかったのでそれも仕方ないか。と思った。それに Kiwi らしき人もいないしなぁ。
ニュージーランドの国旗を持った日本の人が一人いたので“下におりますか…” と声を掛けて下のゾーンに降りた。
しばらくするとイタリア代表のユニフォームを着た白人男性がやって来た。声を掛けると Kiwi だった。そして日本人女性と結婚していてお子さんも2人おられて日本で暮らしているらしい。 私もしょっちゅう仕事でニュージーランドに行く事や昨年ラグビーのワールドカップ観戦に行った事、それから All Whites の事なんかを日本語と英語を混ぜて話した。 そして今回の来日メンバーの事も。 だけど息子さんが日本代表のユニフォームを着ているのでこちらのゾーンには来られないと言い残して“戻ってしまった。” 
だけど入れ替わりに白人の男女が8人程やって来た。勿論みな Kiwi だ。そしてもう1人Kiwi 男性が流暢な日本語を話すと思ったらすぐに日本人女性の奥さんがやって来られた。御夫婦らしい。旦那さんは Christchurch 出身。ご家族は震災には巻きこまれなかったとの事であった。昨年ワールドカップの時期に Christchurch に仕事で言った事と“お願いだからもう日本人女性を連れて行かないで下さい。私はもう結婚しているけど息子はまだ17歳。女の子のストックが無くなってしまうから。”と彼を含めた Kiwiの人達に云うと大受けした。 
するとChristchurch の彼が日本語で“うちの奥さんまだ17歳だから大丈夫。”と日本語で答えた。意味は通じないけど結構受けた。 
そして先ほどの Kiwiも子供達を連れて“戻ってきた”息子さんはAC Milan のユニフォームを着ている。そしてちょっと大きめだ。“このユニフォームに着替えさせて連れて来たよ。”と言って我々と合流。さっきのなでしこのしあいと異なり Kiwi の男女、日本人を含めこちらには20人程度の“サポーター”が陣取る様になり俄然、国際試合の雰囲気が沸き上がってきた。Kiwi女性のなかにはおなかの大きな妊婦さんもおられる。大丈夫かな..とおもうけどいざとなったら私が主導権を握って対応すればいいんだと勝手に責任感をもってしまった。Wellington  からやって来た人や東京に数カ月在住している Kiwi カップルらがいた。中には黄色いTシャツを着た女性も。私の宝物 Ricki Herbert との2ショット写真を見せたらみんな驚きと大喜びだった。 Wellington Phoenix 等キックオフ前に色々話せて楽しかった。
観客席を見るとなでしこの試合よりも観客数は増えて、ほぼ満席。一緒に見ていた日本人の方に“これ何とか逆に出来ないですかね?なでしこの方が世界一でしょ?そっちを後の試合にするべきとちゃいますか?”と勝手な持論を述べるも、結局は視聴率とスポンサーとの兼ね合いでしょうね。と言っておられた。まぁそうだなぁ…



日本のスタメンはOAの徳永が左SBに起用された以外はアジア地区予選の主力選手。ベンチ入りした選手もバックアップメンバーが入っており吉田麻也はベンチにいたらしいけど登録はされておらず、宇佐美は合流していなかった。五輪までの日数、残り試合を考えれば1人でも多く1試合でも多く起用した方が良かったのではないか?
ワントップには大津が入った。五輪予選では永井か大迫が入っていたが最終戦のバーレーン戦では大津がワントップだった。

ニュージーランドの方は OA 3人とも起用されていた。 その Oly Whites は北京五輪に次いで2大会連続男女サッカー代表は五輪への出場を果たしているがこれはオーストラリアがAFC に移籍したことが大きい。 オリンピックのサッカーは16カ国しか出場枠が無い中オセアニア地区には1カ国の出場枠が保証されており、オーストラリアが抜けたこの地域ではニュージーランドの独断場と云いたいところであるがオセアニア地区予選も決して圧倒的な強さで勝ち抜いたわけでは無かった。
準決勝戦の Vanuatu 戦はロスタイムにゴールを決められ何とか 3-2 で逃げ切り、決勝戦の Fiji 戦はGreg Draper のPKで 1-0 での辛勝だった。原因はU-23 レベルでも代表クラスの殆どは選手はプロリーグの無いニュージーランド国内ではプレーしておらず欧州またはオーストラリアのA-League ( Wellington Phoenix もふくむ。)でプレーしてけっしてベストメンバーを組めないと言う事情がある。従ってロンドン五輪最終メンバーはオセアニア地区予選に出場したメンバーからは8人しか選ばれておらずPKを決めた G.Draper なんかは選出されなかった。

五輪メンバーには OA 選手3人を含め既にニュージーランド代表としてプレーした選手や FIFA U-20, U-17 に出場した選手が多く含まれており侮れる相手でも無かったと思ったけどワールドカップ地区予選の1部を兼ねたOFC Nation’s Cup では New Caledonia にまさかの 0-2 の敗戦を喫して2013年にブラジルで開催される FIFA Confederations Cup 出場権を逃してしまった。日本との対戦があるかもと楽しみにしていたが残念。代表のレベルもなかなか向上出来ていないのかもしれない。

GK Gleson は日本の木村光佑と共にアメリカMLS Portland Timbers でプレーする。ここ数試合フル代表の試合でもスタメンで起用されている。 All Whites は3バックだったが Oly Whites は4バックで統率するのはニュージーランドの重鎮 Ryan Nelsen ( QPR )。彼のプレーを見られだけで入場料は半額以下になった価値があると言うもの。共に組むCB James Musa ( Team Wellington ) と右SBの Adam Thomas ( Waikato FC ) はFIFA U-20 2011 のレギュラー選手。 右SB Ian Hogg ( Auckland City ) は北京五輪に続いての選出。ボランチの Adam McGeorge と Alex Fenerdis は共に Auckland City に所属し五輪予選のレギュラー。この試合でもそのコンビがスタメンに。 2列目左の Kosta Barbarouses はかつて Brisbane Roar でプレーしチームの優勝に貢献した。そして今シーズンからギリシアの Panathinaikos でプレーするAll Whites でもほぼレギュラー選手。2列目右の Tim Payne はFIFA U-17 2011 の日本戦に出場した経歴がある。所属先はPremiership の Blackburn Rovers 。トップ下の Michael McGlinchy ( Central Coast Mariners ) は OA 選手でワールドカップにも出場した。ワントップの Shane Smeltz (Perth Glory ) はOA 選手でワールドカップではイタリア戦でゴールを決めた選手。日本のDF陣は彼をどうやって止めるか?というよりも彼にボールが入りるかなぁ…とも思った。




                     1 Gleson


    12 Thomas    6 Nelsen    14 Musa     3 Hogg

          13 Fenerdis          17 McGeorge

      2 Payne        8 McGlinchey   7 Barbarouses

                   9 Smeltz

                    7 大津

      11 永井       10 東         17 清武

           3 扇原              16 山口

     2 徳永       8 山村      13 鈴木      4 酒井

                    1 権田



日本のキックオフで始まった試合は立ち上がりから予想通り日本が押す展開。2分36秒にはニュージーランドPA内でボールを回し最後は東が上げたクロスがゴールラインを割るがだれもマークに付けていなかった。 4分10秒には Barbarouses から Hogg に縦パスが通りクロスが入り Smeltz が飛び込むが惜しくも当たらず Payne がシュート体勢に入ろうとするが徳永がクリアーしCKに。このシーンからしばらく試合はこちら側、ニュージーランドゴール前で展開され続ける事に。

8分30秒には清武のスルーが東に通るがニュージーランドDF陣はサイドを走った酒井に完全に注意が引き付けられていた。10分には永井が Thomas をかわしていれたクロスに東がダイレクトで撃つが Musa が何とかクリアー。11分には清武から今度は酒井にスルーパスが入りクロスを入れると中央でMusa がヘッドでクリアーするとそのこぼれ球が大津の手に当たった。得点には繋がらなかったがここで何故こう言うクリアーの仕方をするのかと思った。13分26秒にはまたも清武から酒井に縦パスが入り中央に入れられるがここは Nelsen が大津の前でクリアーそのこぼれ球を扇原がミドルを撃つがゴールを外れた。15分、扇原からボールを受けた永井が中へ折り返し Musa がクリアーするがこぼれ球を拾った東が永井とのワンツーで抜け出すがここも Nelsen がマークに入ってCKに。そのCKからこぼれたところを大津が放ったショットはGK Gleesonがナイスクリアーで再びCKに。そのCKを繋いで扇原が入れたクロスに山村が飛び込んでフリーで放ったヘッドは僅かにゴールを外れた。
19分、清武から今度は大津がボールを受けシュートに持ち込むがまたも Nelsen がクリアーしCKに。 立ち上がりから日本の連動した動きに、2列目の清武、永井が左右のポジションを変えたりするので完全にニュージーランドMF,DFは翻弄されNelsen がいなかったら20分で2失点は喫していただろう。
そして目立ったのが清武。立ち上がりから素晴らしいラストパスを入れていた。 24分には大津、26分には永井がシュートを放つが共に清武のパスを受けてからのシュートだった。

29分36秒には徳永がこの日初めてサイドを上がり Payne を振り切り中へ入れると大津が胸でトラップし Nelsen の前で豪快なオーバーヘッドシュートを放つがGK Gleeson の正面に。目の前で見た大津のシュートにはこちらのKiwi 達も驚きの感嘆の声を上げていた。 前半は目の前がニュージーランドゴールだったので日本の迫力ある攻撃に誰もが日本の先制ゴールは時間の問題とおもっていただろう。34分には東のインターセプトから永井に繋ぎそのまま Hogg, Musa のマークをふりほどきドリブルシュートを放つがGK Gleeson がナイスセーブでストップ。 

“もう Moss, Paston は要らないね。Gleeson で充分だ。”と Kiwi 達に言うとみな頷いていた。 
劣勢続きの Oly Whites はDFラインが防いでも中盤でまったくボールが収まらないので日本ゴール前迄ボールが運べない。38分相手のミスパスを拾った Smeltz がドリブルで日本ゴール前に迫る。こちらが一斉に立ち上がるが山口がファールでストップ。イエローカードが出される。そして絶好の位置でFKを得た。

“千差一偶のチャンスですね。なんとかモノにしたいですね。その方が試合は面白くなるんですけど。”と隣の日本人と話す。
“誰が蹴りますかねぇ。” “そうですね、蹴れる人いますかねぇ〜。”

そして McGlinchy が直接狙ったFKは権田が右に倒れ込んで弾き出した。 一斉に天を仰ぐ。 惜しいシュートと思ったけどレプレイを見たら権田はしっかりとコースを読んで弾き出していた。 しかしその前のミスパスは頂けない。五輪本番はこう言うミスはしないでくれよ。と思った。そして前半はスコアレスで終わった。 圧倒的に攻め続けられたニュージーランド。これだけ攻めてゴールに結び付けられなかった日本。どちらの方が問題は深刻なのだろう…

ニュージーランドの五輪での対戦相手は26日ベラルーシ、29日エジプトそして1日ブラジル。(日付は現地時間)確実に日本と対等かそれよりも強い国が相手だ。前回は中国と引分けブラジル ( 0-5 ) ベルギー ( 0-1 )には連敗だった。
今回もこの調子では勝利を上げるのは容易ではない。しかし日本遠征には Chris Wood、Tommy Smith といった既にフル代表でもレギュラーである選手が参加していないのでもう少しチーム力が上積みされるかもしれない。
そういう意味ではスペイン、モロッコ、ホンジュラスを相手にする日本は親善試合とはいえ Wood, Smith 抜きの Oly Whites 相手に前半無得点というのも心配になってくる。

両軍選手交替の無いまま Oly Whites のキックオフで始まった後半は開始25秒に酒井からボールを受けた永井が右サイドから素晴らしいシュートを撃つが左ポストを直撃。ゴール裏の大サポーター達から嘆息が漏れる。

Kiwiの一人に“ ゴールポストの色が White だったから入らなかったんだよ。”と云うと大いに受け、“我々は日本より2人多い選手がいる。”と言われ更に受けた。
そして隣の人には“後半はずっとあちらで展開されるみたいですね〜。”と云うと、“そうですね。何回かこっち来ませんかね。”と答えた。 双眼鏡持ってくるべきだったかなぁ、それとも観戦用の眼鏡無いかなぁ〜と思った。
そして我々の危惧した通り試合はずっと遠くで展開され続ける。47分には徳永のドリブルシュートが、49分には清武から大津に縦パスが入るも GK Gleeson が何とかコーナーに。そのCKから山村がヘッドを撃つが再び Gleeson がパンチで逃れる。再び得たCKはネアーサイドの永井が囮となってとびぬけて来たところをファーサイドの扇原がシュートに持ち込むがGK Glesson がブロックこぼれたところを鈴木がシュートに入ろうとするが McGlinchy が何とかカット。日本サポーター席から大歓声があがるがコールには至らない。
55分先に交替カードを切ったのは優勢に進めいていた日本。東を下げてサプライズ選出となった杉本を投入しワントップに置き大津をトップ下に下げ、63分には山口蛍を下げてアジア地区予選ではレギュラーで無かった村松を投入した。

Oly Whites も65分ようやく McGeorge を下げて Cameron Howieson が投入された。 Howieson はまだ17歳。昨年のFIFA U-17 2011 の日本戦に出場した経歴がある。2015年にはニュージーランドで FIFA U-20 が開催される。 Howieson はこのまま順調にいけばその大会には主力選手として出場出来る可能性がある。もし欧州のビッグクラブにスカウトされなければ…
65分を過ぎるとニュージーランドの守備もだんだんファールでないと止められなくなってくる。68分にはミスパスを拾った大津に Nelsen が反則覚悟のタックルを入れてストップしイエローが出される。しかし日本のシュートシーンもそうそう続かなくなって来た。サイドからクロスを入れるがこちらは容易に跳ね返される様になる。 69分日本ベンチは永井を下げてバックアップメンバーの山崎亮平(磐田)が投入される。五輪本番は永井のスピードを生かす為にスーパーサブとして起用されるか?しかし今の永井は調子いいから長時間起用しないと勿体ないしな…

70分ようやく日本がゴールを上げる。左サイド投入されたばかりの山崎から縦パスがオーバーラップした扇原に入り折り返す。ここはカットされるが Thomas のクリアーボールが徳永の足元に入り後方から Payne,がマークに入る前に放ったドリブルシュートはNelsenが必死に滑り込むも届かず Glesson が何とか左に倒れ込んで防ぐがボールがこぼれて詰めていた杉本が押し込み待望の先制ゴールが決まった。 やっと決まったゴールに大歓声が沸く。

“あぁぁ〜、決まりましたね〜。” “これで決まりですか〜。”とふたりで声を漏らす。



これで日本ベンチは選手を交替選手を投入できるようになった。76分には扇原を替えて米本を、81分には永井を下げて斉藤を投入するけど投入されたのはまたバックアップメンバーの米本だった。
82分に右サイドの清武から中央に走り込んだ大津にパスが入るがここは Nelsen が強烈なタックルでストップ。しばらく大津は立ち上がれず Nelsen に2枚目のイエローが出るかと心配したけど大津は何とか立ち上がりカードも出なかった。
この正面、絶好の位置で得たFKを清武が直接狙うが惜しくもクロスバーを越えた。この時点でも Oly White の同点ゴールの匂いはこの時点では全く感じられなかった。そして直後に Nelsen がベンチに下がり Dakota Lucas が投入される。 Lucas はメンバーのFW登録選手の中で唯一オセアニア地区予選に出場した選手。 Nelsen が下がった時点で更に失点する事を危惧したけど後にこの交替がドラマを呼ぶとはこの時は想像出来なかった。
ニュージーランドベンチは88分についに Rojas を投入する。 Rojas はまだ20歳だがワールドカップ後は既に All Whites のレギュラー選手だ。Kiwi達から “ Go ! Rojas !! “ と歓声が飛ぶけど私は” too late , too late “ と彼らに話す。しかも下げられたのが同じFWの Smeltz 。もう少し早い時間に投入出来たんじゃないかな?Smelz と Rojas のFWを残した方が….てな話をした。
“後半はシュート打ってないんじゃないですか?”隣の人ともこんな話をした。

ロスタイムが4分と表示される。同点よりも日本の追加ゴールが予想される。Oly Whites  Barbarous が左サイドで酒井と競りながらCKを取った。 “これ後半最初で最後のチャンスでしょうね〜。” 私は隣の人にこう声をかけた…….

 
試合が終わって一緒に観戦した Kiwi や日本の人達と何度も写真を撮ったり、色々話をしたり。 Kiwi 達はしぶとく引分けに持ち込むも圧倒的に押しまくっていた日本を称賛していた。そして私も彼らに“これがオリンピックで無くて良かった。”と話した。 そして Wellington から来たカップルには“次は Cake Tin で会おう。”と約束した。すると大いに受けた。
スタンドから競技場の出口まで私達はまるで“勝ったかのように”胸を張って凱旋気分で色々話したり歌声を上げたりして歩いて行った。

私は何度も心の中で“こんな試合展開オリンピック前で良かった。”と思った………

試合後 Niel Emblem 監督は日本の質の高さと自分達の改善点がある事を指摘するコメントを残した。 Emblem 監督は2008年に Waitakere のメンバーとして FIFA Club World Cup でここ国立でプレーした事がある選手だ。Oly Whites では誰よりもここを知っていたか? 

      

日本戦の3日後 Oly Whites はソウルで韓国五輪代表と試合を行った。この試合には Chris Wood が合流しスタメン起用されたが韓国には 1-2 で敗れた。Oly Whites は19日に合宿先のオーストリアで UAE と試合を行い26日 Coventry での初戦 Belarus 戦に臨む。 ニュージーランドはC組。日本はD組。準々決勝で当たる可能性があるが今は両国ともそんな胸算用はしていないと思う。

 もし五輪で当たる様な事があれば今度は100% 日本を応援しようと思っている。

 

 

Oly White 戦後.....

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7月11日、国立競技場で開催された壮行試合後、 Kiwi や日本の人たちとの記念撮影写真です。

この試合が終わってU-23, なでしこは欧州で”調整試合”をこなしています。男子U-23 はベラルーシに勝ちましたがなでしこはフランスに 0-2 で敗れました。しかしなでしこの事は心配しておりません。 
またこの試合について、そしてなでしこが出発前に戦った Matildas 戦に就いて順次レポートします。(誰もみないか?)

 

キシ様写真これだけですが良いですか?? 


Matildas 4年前に続いて来日…. なでしこジャパン 3-0 Australia Matildas 11th July

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なでしこのキックオフで始まった試合は、開始早々鮫島のスローインを受けた川澄が左サイドからドリブルでしかけるが Slatyer がマークに入りCKに。宮間が入れたCKに澤がネァーサイドに飛び込みGKBarbieriと競りながら頭に当てたボールは後方の Slatyer の肩にあたり Matildas ゴールに。これを Uzunlar が蹴り出し最後は Barbieri が抑えた。このシーンを見た時に以降はなでしこが主導権をもって試合を進めるだろうなぁ、と思った。

New Zealand Ferns に1勝1分

昨年9月中国で開催されたロンドン五輪女子サッカーアジア地区最終予選で3位となり2大会連続で五輪出場を逃したオーストラリアサッカー女子代表 Matildas は北京五輪前にも神戸でなでしこジャパンと壮行試合を行う為に来日した。この時も男女五輪代表の壮行試合のダブルヘッダーで男子もオーストラリア代表 Olyroos だった。 なんで関東で開催してくれなかったんだろう….と当時悲しく思った。
この試合はなでしこが Matildas を 澤、大儀見(当時は永里)そして丸山佳里奈のゴールで3-0 で降した。当時のなでしこメンバーでロンドン五輪メンバーにも選ばれた選手はGK福元、安藤、近賀、岩清水、澤、宮間、阪口、矢野、大儀見、そして丸山佳里奈、海堀(途中から出場)。当時の試合に出場した Matildas のメンバーで今回は GK Melissa Baribieri, Kathryn Gill, Servet Uzunlar, Brooke Spence, Kyah Simon の5人が遠征メンバーに入っていた。

2011年のワールドカップでは2007年大会に続いてベスト8に進出したが連続して五輪出場を逃した Matildas は今若返りを図っている来しいが監督はワールドカップ、五輪予選と同じ Tom Sermanni 監督。 
来日前に New Zealand Ferns 事ニュージーランド女子代表とキャンベラで2試合行い1勝 ( 2-0 ) 1分( 1-1 )であった。
6月24日に行われた初戦では50分にニュージーランドの Hayley Moorwood に先制ゴールを許し、このまま1994年以来そしてオーストラリアの地では1991年以来、ニュージーランド女子代表が Matilodas を破るのかと思われたロスタイムに Thea Slayter がヘッドで同点ゴールを決め何とか引分けに持ち込んだ。



この試合には GK Barbieri を始め Teigen Allen, Clare Polkinghome, Laura Alleway, Catitlin Foord, Elluse Perry らワールドカップ2011メンバーと Sara Warsh らが出場していた。
終了直前の Slayter のゴールで何とか引き分けたが Sermanni 監督は“ 引分けと云う結果は大変に素晴らしい。これは新たにメンバー入りした選手には多くの自信を齎しただろう。”と肯定的なコメント。 
“多くの代表デビュー選手や代表歴の少ない選手がチームにいたので、その将来は明るいものと思われた。与えられた環境下であまり一緒にトレーニングをする機会が無い中多くのチャンスを創れた事は喜ばしい事だった。五輪前の準備期間にあるニュージーランドのコンディションはピークにあり、大変組織化されていた。これは良いドリル(練習)となった。” とも語った。

3日後の6月27日に行われた New Zealand Ferns との第二戦は Sarah Walsh の2ゴールで Matildas が勝利を収めた。
これで Walsh は代表でのゴール数を31とし Cheryl Salisbury のもつ代表での38得点まであと7と迫った。
Sarah Walsh はアテネ五輪、ワールドカップ2007中国大会そして 2006, 2010 AFC Women’s Asian Cup にも出場している。
昨年のワールドカップは残念ながら怪我で出場出来なかった。 Sarah が出ていれば準々決勝のスウェーデン戦に勝って日本と準決勝戦であたっていたかもしれない。そのほうが面白かったかもしれない。 FIFA World Cup 2006 で日本がオーストラリアに敗れた地、ドイツでなでしこが仇を討つ、と云う事を楽しみにしていたんだけど。

そしてゴールポストやクロスバーに助けられはしたが GK Barbieri の無失点試合数も34に伸ばした試合でもあった。
“あなた達は我々がたやすく勝利を得たとおもっているだろう。確かにいくつかの素晴らしい football を見せて試合が進むにつれてチャンスを多く作った。我々はここにまだ試した事のないコンビネーションで試合に臨みロンドン五輪の為に最終調整をおこなっているチーム相手に1勝1分を納めた。であるからこの結果には大変満足している。数日かけて翌月の日本遠征を選抜する” この様に Sermanni 監督は語った。 
殊勲の Walsh は “元 Matildas選手達からはニュージーランド戦の不敗試合を続けることへのプレッシャーを受けた。18年も負けていないチーム相手に敗戦を喫するメンバーに入りたくないという事には一般の人には理解できないプレッシャーがある。五輪を前にしたニュージーランドの選手達は我々よりもよく準備が出来ていた。だからプレッシャーも大変だった。若い選手達はこの試合が良いステップアップになっただろう。 スコアーシートを見ると最初の Ellyse Perry のクロスが良かった。私は普段はヘディングはあまり得意ではないが上手く合わせられた。前半にはいくつかチャンスをミスしてしまった。だから後半は何とか決めねばと思った。 丁度足元の良い位置にボールが来て中にまさにシュートを撃ちたい位置に切れ込む事が出来た。特にこの様な試合で1試合に2ゴールできると言う事は大変な安堵となった。” 日本遠征を前にこう語った。

    

若手中心の日本戦遠征メンバー

来日メンバー18人中、ワールドカップ2011メンバーだったのは GK Melissa Barbieri , DF Laura Alleway, Teigen Allen, MF Tameka Butt,  Servet Uzunlar  FW Caitlin Foord, Kyah Simon の7選手。 Uzunlar, Butt, Simon はニュージーランド戦には召集されなかった様で反対に Kyah Simon, Clare Polinghome, Ellyse Perry といったニュージーランド戦に出場していたワールドカップ 2011メンバーは来日しなかった。 
“日本の様なそして特に昨年素晴らしい偉業を達成したチームと対戦すると言う事はもし勝つ事が出来れば素晴らしい事だと思うがそれは非常に困難なこととも思う。しかし五輪前に招かれて日本と試合をするという事は大変な名誉である。“ Sermanni 監督はこう語った。 DF Daniel Brogan はニュージーランドとの違いを語る。” ニュージーランドの質の高いチームであるが世界王者の日本との対戦となると全く異なった試合となる。早い展開となるだろうし90分間まさにファイトせねばならない。そして日本をプレーさせてはいけない。我々は自分自身を振り返らねばならない。我々は世界のトップ10に位置しているので自分達の能力を低く見るべきではない。日本をリスペクトしたくなるが自らの墓穴を掘る程には敬意を払わない。“ と話した。

メンバーには Emily Gielnik, Katrina Gorry と云ったまだ代表出場歴の無い選手も帯同している。昨年開催されたAFC U-19 のメンバーが5人選ばれていた。ただ Teigen Allen, Caitlin Foord はワールドカップメンバーであったけども。 Emily Gielik は初戦のベトナム戦でハットトリックを演じ、勝利 ( 4-3 ) に貢献したが以降北朝鮮 ( 0-1 ) 日本 ( 0-1 ) 中国 ( 1-3 ) そして韓国 ( 2-4 ) と4連敗で6チーム中5位に終わり今年日本で開催される FIFA Women’s U-20 大会への出場権を逃してしまった。

Gielnik はその後国内リーグW-League の Brisbane Roar でも頭角を見せ来シーズンは FA Women’s Super League の Liverpool でプレーする事となった。

Walsh ベンチスタートの Matildas . なでしこは大儀見と安藤の2トップ。

両チームのスタメンは下記の通りだった。

                                  GK 1 Barbieri 

     7 Foord       13 Slatyer       19 Catley       19 Cately

                10 Uzunlar                      23 Kenedy 

     16 Butt                      17 Simon               3 Brown 

                                      12 Gill

                        7 安藤                    17 大儀見

       9川澄                                                   8 宮間

                         6 阪口                    10澤

      5 鮫島          4熊谷             3 岩清水          2 近賀

                                    GK 1 福元




競技場のオーストラリオ側に来るとオージーらしき人は誰もおらず、日本人の方が4名ほどおられた。その中でオーストラリア代表のレプリカや黄色の帽子を被った人も。 私も尊敬する Warren のユニフォームに着替えたけど….
しかし多分 Socceroos の試合だったら着なかったと思う。
話しかけると昨年の五輪予選の観戦に出掛けられたそうだ。う〜ん、羨ましい。 我々だけというのはちょっと寂しいですねてな話しもした。

なでしこは開始早々のチャンスに続いて2分42秒には大儀見がシュートを放つなど強さを見せる。その後 Matildas が攻撃に転ずるもここは澤がうまくカバーをしてシュートに持ち込ませない。 5分には Brown が左サイドをドリブル突破するシーンが見られた。
8分には川澄が右サイドで Catley を振り切り入れたクロスに宮間が長身の Slatyer とFoord の間に割って入りヘッドを撃つがポストの左に外れて行く。10分には近賀のロングパスに抜け出した大儀見が Slatyer を振り切りシュートを放つが今一ヒットせず GK Barbieri の正面に。だけど Barbieri はちょっとファンブルを。 Barbieri もボールに手が付かない模様。
なでしこは立ち上がりロングボールを多用している様に見えた。そしてフィールドを広く使っていたが結構トラップミスもあった。合宿中で身体にはかなり負荷をあたえられていたのでコンディションはまだ100%には上がっていないのでそれも仕方ないとおもう。



しかし Matildas の方は更に動きに切れがみられない。 寒い南半球からやって来たので暑さ厳しい東京での試合は厳しいか?
13分46秒阪口のミスパスを拾った Simon が左サイドを突破し近賀がタックルに入る前に上げたクロスが熊谷と競り合いながらワントップの Gill に当たるがGK福元の正面に。 絶好のチャンスだったけど以降前半終了まで Matildas がなでしこゴールを襲うシーンは見られなかった。21分には Matildas PA 前でボールを回して澤からボールを受けた大儀見がダイレクトでシュートを放つが Foord の脚に当たってGK Barbieri に。 
そして25分、川澄が Foord と競りながらCKを奪い、ショートコーナーを受けた川澄を後ろから Butt が引っかけてしまい川澄が倒れるとシンガポール人のアバイ・ナ・イドゥ主審はペナルティースポットを指した。 ちょっと厳しい判定だとおもったけど。 
これを宮間が落ち着いて左側に決めてなでしこに先制点を齎した。 




先制を許した Matildas は試合再開後 Brown が左サイドをドリブルで上がり近賀、岩清水の間から中央に突破してくるがここは阪口がクリアー。その直後にも Butt がドリブルで上がりCKを奪うなど気候に慣れたか徐々に動きが良くなって来たように見えた。
しかしシュートシーンはなでしこばかりが見せる。31分には宮間のアーリークロスから澤がフリーでヘッドを放つがクロスバーを越える。
32分30秒には川澄が左から中に切れ込んでドリブルシュートを見せるも GK Barbieri がCKに逃れる。そのCKから岩清水がフリーでヘッドを放つがゴールは捉えられない。 
36分には右サイド宮間が Catley, Brogan をかわして低いクロスを中にいれると安藤を越えて大儀見がシュート体勢に入るが僅かに合わなかった。 Matildas DF陣はやはり暑さが堪えるのか30分を過ぎるとマークに付けなくなって来た。41分には正面遠い位置からゴール前に入れると GK Baribieri が脚にあててしまう中途半端なプレー。失点には結び付かなかったが危ないシーンだった。

しかしロスタイムに入った46分、またも右サイド宮間からオーバーラップした近賀に縦パスが入り、中に入れると中央に走り込ん大儀見が押し込んでなでしこが追加点を挙げた。 何度もチャンスを逃していた大儀見だったがここで4試合連続ゴールをきめたところは流石だと思った。大儀見は五輪でもまた得点を決め続けてくれる事を期待したい。

Matildas は後半からついに Warsh を投入する。後半からは気温も下がって来るので Matildas の身体も切れが出て来るだろうと思った。51分にはなでしこPA内で Simon が粘って Uzular に戻し、なでしこゴール前にハイボールを送ると中央で飛び込んだのは184cmの Kate Gille。しかし近賀が身体を預けて思う様なシュート体勢を取らせずゴール枠を捉えさせない。五輪ではカナダ、スウェーデンという長身選手がそろったチームを相手にせねばならない。 しかし後半の Matildas の挽回を期待するも58分になでしこは3点目を挙げる。CKのこぼれ球を中央から澤が強烈に、というよりも狙いすました様に Matildas ゴールの右下隅に蹴り込んだ。 
澤自身昨年ワールドカップ決勝戦以来の代表でのゴールらしい。それよりも彼女のコンディションが上向いている事が大事だろう。そして御役目御免とばかりに直後に田中明日菜と替ってベンチに下がった。



Matildas ベンチは60分に Emily Gielnik を Kate Gill に替えて、 Katrina Gorry を Alanna Kennedy に替えてそれぞれ投入し2人の Matildas デビューをさせた。 しかしなかなか Matildas はシュートシーンを創れない。 競技場に来ればなでしことの違いは一目瞭然だ。 パスは足元ばかりで3人目の動きが無い。更にパスアンドゴーがなかなか出来ていない。そして Kyah Simon にボールが入った時しか何か起こりそうな気がしない。 後半から入った Walsh も思う様なプレーが出来ない、と云うよりもなでしこ達がそれをさせない。 2006年に Adelaide で行われたAFC Womes’s Asian Cup でなでしこは Matidas に敗れたがその試合では Matildas 選手達のキックのレンジの長さの違いに驚かされた。そしてゴール前や中盤での当たりの強さも。しかし今はなでしこ達もキック一発でサイドチェンジが出来るし、この試合でも Matildas とは互角以上のあたりの強さをみせいていた。



Matildas は71分に Simonが放ったミドルが GK 海堀の正面に飛んだ時くらいしか国立競技場を沸かせられなかった。
なでしこの方は次々に選手を交替させる。71分には大儀見に替って丸山佳里奈を投入した。我が故郷高槻市の市長からも激励を受けた写真を見た…。



76分に宮間が下がって高瀬が投入されたのでこの試合でのマラドーナ岩渕の出番は無くなった。
88分に近賀のクロスを正面で受けた田中明日菜が Matildas ゴールに蹴り込んだけどこれは明らかなオフサイド。そして2分あったロスタイムも過ぎタイムアップとなった。

試合後かつてサンフレッチェ広島でコーチの経験のある Tom Sermanni 監督は “恐らく今日感じた事はボール支配率を上げるのには大変難しいスペイン代表やBarcelonaを相手にした時と同じだろう。我々は大変なプレシャーを受けた。正直レベルの違うチームを相手にした様だった。そしてこの試合の日本は素晴らしかった。我々はただそれに付いていけなかった。 何人かの若い選手にとってはこのレベルの試合を経験した事が良いチャンスであっただろう。(日本、ニュージーランド戦の)3試合で6人の選手が代表デビューを飾った。我々はまさにチーム再建の始まりにあるが、何人かの才能ある選手がやってきた事を今夜示す事が出来た。”この様に語った。

次回日本が Matildas と対戦する時はなでしこのメンバーが大きく変わっている事だろう。

キックオフは明日。英国紙を賑わすなでしこ

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 いよいよ明日。ロンドン五輪、日本選手団の先陣を切ってなでしこ達がカナダと対戦する。
北京五輪とは大違い。 あの時は地元中国を破って準決勝に進出したなでしこ達を称賛するマスコミはほぼ皆無だった。むしろメダルを1歩手前で逃した事ばかりがクローズアップされた。
ロンドン五輪では他の競技よりもまるでワールドカップの様にサッカーが非常にクローズアップされ過ぎている気がする。
しかし大会前に彼女達がある“使命”を負う様な記事が地元紙に。

Japan's female athletes fly economy while men's team sit in business 男子チームがビジネスクラスに座る一方で日本の女子アスリート達はエコノミークラスで飛び立つ

彼女達は世界女王天災に見まわれた自国に希望を齎した。しかし日本の女子五輪サッカーチームは欧州への疲れるフライトをエコノミークラスでの移動させられその一方であまり祝福されない男子チームはビジネスクラスでリラックスしていた。
ドイツで女子ワールドカップを掲げ挙げたなでしこジャパンを取り巻くこの問題は東京から日航機が到着すると過ぎに明らかになった。

“反対だと思うんですけどね。年齢的にも私達の方がシニアなのに。”チームのスーパースターである澤穂希が日本のメディアに冗談っぽく語った。

こう言う行で始まった記事は澤自身が4度目の五輪挑戦である事、昨年のワールドカップで優勝した後の帰国路はビジネスクラスで帰らせて貰った事も語ったと述べられている。そして彼女達はメダルが期待できると言うおかげで少し脚が伸ばせる Premium Economy クラスが準備されたとも書かれていた。 
ワールドカップでの優勝に就いては“なでしこジャパンは昨夏ドイツから帰国した時は英雄的に出迎えられ、その勝利は3月11日に起こった約20,000人の犠牲者と福島での原子力発電所事故を出した津波を引きずっていた日本人達にめったにない貴重な光であった。”と表現され、ワールドカップ後、日本で最初にチームとして政府からの栄誉(国民栄誉賞)を受けたおかげで澤を始め他の選手達がコマーシャルやテレビへの出演が増えた事も書かれていた。

またロンドンに向けて出発する前に国立競技場で行われた試合で女子チームがオーストラリアを難なく 3-0 で降した一方で男子はニュージーランドと 1-1で引分け好印象を与えられなかった事。そしてなでしこはロンドンで金メダルを期待されているのに対して男子は初戦は難敵スペインと相対し以降モロッコ、ホンジュラスと対戦が続きメダルは期待できないと書かれていた。

日本オリンピック委員会は柔道やレスリングの様な体格の大きな選手以外は殆どがエコノミークラスで開催地に向かっていると語っている事も書かれており最後に澤が “我々がワールドカップで優勝した時、帰りのフライトはビジネスクラスにアップグレードしてくれた。五輪でも良い結果を残して再び同じ様な事が出来る様に希望している。”という彼女のコメントで締めくくっていた。

しかしこれに関連する記事はまだ続いた。

Japan, Australia and organisers face sexism claims  日本、オーストラリアそして主催者側は性差別に直面している。

オリンピック行きの航空機に乗り込むともしあなたが男性ならば左側に案内され女性ならば右側に行かされる。
要するに男性は機内前方のビジネスクラスに。女性は後方のエコノミークラスにと云う事らしい。

記事はなでしこ達がエコノミークラスでのフライトを強いられた事だけでなく、同様の事はオーストラリアの男女バスケットボールチームの事でも起こっていたと書かれている。
オーストラリアバスケット協会も Boomers として知られる男子代表チームはシドニーから比較的リラックス出来るビジネスクラスで出掛けた一方で Opals と言われている女子代表はエコノミークラスで飛び立ったと書かれている。オーストラリアの Sydney Morning Herald 紙には男女それぞれ予算がある為にこの様な事となったとスポークスマンは語っていると書かれていたと報道。

 “まず第一に我々は常に選手達の健康を意識している。代表チームの移動の準備に就いては異なった要因が考慮される。身長や身体のサイズ等が優先して考慮される。男子バスケットの平均身長は 200.2cm で女子は 183cm である。 とスポークスマンは語ったらしいが女子選手のLiz Cambage は203cm で男子のAdam Gibson は 188cm でPatrick Mills は183cm である。と同紙は述べているとの事。

また矛先は LOCOG ロンドン五輪パラリンピック競技委員会にも向けられている。それはスラロームカヌー競技で男子はカナディアンシングル、ペア、カヤックシングルと3種目あるのに女子はカヤックシングル1種目しか採用されていないと言う事だ。今の女子カナディアンシングルの英国チャンピオンであるSamantha Rippington は LOCOG がこの種目を除外した事に就いて
 “私が訊ねたい事はただ LOCOG に二つの単純な質問に答えて欲しいと言う事だ。それは男子にはある5種目のオリンピックカヌー競技が女子には無いのは差別ではないのかと云う事とこう言った事が続くのかと云う事だ。”
12歳からカヌーを始めた27歳の Reading 出身の彼女はロンドン五輪を邪魔する気は全く無いが、彼女は LOCOG の公平な再調査の下での決定が次のリオでの競技委員会にプレッシャーを与える事を希望していると述べている。

戦前、あの人見絹江選手が活躍していた頃は女子だけの五輪があった。多くの女子選手、役員の努力の積み重ねにより多くの女子選手が五輪で活躍出来る場が出来た。世界的にスポーツのプロ化が進む事により五輪種目に採用されているかいないかは競技自身の死活問題になる。

なでしこフランスに完敗でも心配は無用….

7月20日、Paris Charlety 競技場で行われたフランスとの試合で 0-2 で敗れた。  

この試合はオーストラリア戦から少しメンバーを替えたスタメンで臨んだ。大儀見と組む2トップは安藤では無くオーストラリア戦では2列目左だった川澄がFWに上がり、宮間が右から左に回り2列目右には大野がスタメンに入った。 そしてGKはこの試合も福元が先発だった。

対戦相手のフランスは欧州でも1,2を争う強豪。昨年のワールドカップでも準決勝に進出した。スタメンも代表出場数177、18ゴールを数える38歳大ベテランの Sandrine Soubeyrabd こそ出場しなかったが、代表36ゴールの FW Marie-Laure Delie 、代表出場 150 試合のベテラン Sonia Bompastor らがスタメンに起用されスタメン11選手の出場数をトータルすると817試合にもなるほぼベストメンバー。7選手が Lyon 所属の選手だった.



試合は地元の声援を受けるフランスが開始から押す展開。なでしこたちは移動の疲れとこれまでの合宿の練習疲れからか最初の一歩がいまいち。ワントップの Delie ががんがん上がってくる。更にトップしたの Necib もなかなか良い縦パスを Delie に通してくる。なでしこでは大儀見がさすが die Bundesliga 所属といわせるあたりの強さを見せるけど頼みの宮間、大野が厳しいというよりも早いチェックに合いボールをうまく出せない。澤へのマークも当然の様に厳しい。



昨年のワールドカップでは準決勝まで進出しアメリカに敗れている。そのアメリカと五輪では初戦に当たる。 なでしこが1位でグループを通過するとおそらく2位になるかもしれないフランスと当たることも。 最近は男子代表チームではアフリカ系の選手が減ったけど女子には何人かアフリカ系の選手が。さすがに縦のスピードは速い。 Wendie Renard は185cmもあり右サイドの Corine Franco はがんがん上がってきてまた日本の左サイドにボールを放り込むあたり鮫島を上げささないということからかよく研究しているなぁと思った。
なんとか持ちこたえてくれよと思うも24分 Nacib のスルーパスがなでしこDF陣の間に通され Marie Laure Delie が走りこみ福元の守るゴールに蹴りこみフランスが先制をした。ちょっとDF陣がみなボールを目で追っていたか? 前半終了間際に宮間のシュートがゴールポストを叩いたのがGK Bouhaddi を唯一脅かしたシーンで前半は 1-0 で折り返した。

後半開始前に行われた選手交替はGK福元が海堀に替わっただけだった。そしてフランスの方が52分意先に Delie に替わって Eugenie Le Sommer を投入する。これでピッチ上に Lyon 所属の選手は8人となった。 なでしこベンチは67分に川澄を下げて安藤ではなくマラドーナ岩渕をついに投入する。脚は大丈夫か、そしてドリブルで切り裂いてくれ…と思うも大きな選手に体を寄せられて押さえ込まれてしまう。



そして74分右CKにあわせた Wendie Renard のヘッドがなでしこゴールに突き刺さりリードを広げられてしまった。大野が下がって安藤が入った直後だった。 そしてなでしこは時折映ったパリの日本人学校の子供たちを沸かせるシーンは少なく最後までゴールを奪うことが出来ずに完封負けを喫してしまった。彼女たちが完封されるなんて何試合ぶりだろう…



この勝利にフランスは25日のアメリカ戦を前にかなりの自信を持った様でフランス各誌は “アメリカ戦を前に多くの自信を…” てな見出しが見られた。 

MFのGaëtane Thiney はこの試合結果を“明らかに我々に大きな自信を与えた。しかしこれはまだ我々自身のフィジカルや戦術、守備の連携を調整する為の準備試合に過ぎない。我々はもっとゴールに出来るチャンスがあった。自身のゴールはオリンピックに取っておこう。フィジカルは徐々に良くなってきており五輪本番では更に良くなるだろう。” と語り終了直前に投入された DF Laura Boulleau は“DFとしてトッププレーヤーと相対するのは非常に興味があることだ。ワールドカップ以降守備能力は上がってきていると述べた。しかし Catala は”これは重要な試合ではない。他の国同様まだ試合はある。“と語ったらしい。



フランスの初戦はアメリカ戦でどうしてもこちらにピークを持っていかざるを得ない。陸上の長距離をやっていた経験から言わせて貰うと(あまり関係ないか?)試合の4日前から練習量を落として競技に備えるので5〜6日前は疲労がピークだ。運動量を必要とする彼女たちにフランス戦でベストコンディションを要求するのは少し酷だ。
夕刊紙等は大げさに“内部崩壊”とかの見出しを付け、スポーツ新聞でも否定的な見出しを付けていた。
日本も初戦は大事であるがこの試合の出来上がりは当然100%ではなくそうである必要も無い。この試合からコンディションを上げて行くことだろうから今夜行われる緒戦のカナダ戦には当然結果は出してくれると信じている。

4年前私達に感動を与えてくれた女子ソフトボール種目は五輪競技から外されいつ再採用されるか解らない。そして日本のマスコミもソフトボールを全く取り上げなくなってしまった。

第13回世界女子ソフトボール選手権の決勝戦に進出した日本は宿敵アメリカを延長10回の末 2-1 で破り42年振りの世界選手権優勝を果たした。 あの上野由岐子がまたアメリカ打線を1失点に抑えたのだ。

こう言う報道をもっとしろよ。そして五輪選手団に伝えろよ!彼女たちの無言のエールじゃないのか…..と思ったよ…..

 

 

 

 

 

 

ロンドン五輪開幕  メダルラッシュ…となって欲しいなぁ 

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現地時間の7月27日、ついにロンドン五輪が開会式を迎え各競技、種目が順次始まった。
共に白星発進だった男女のサッカー競技が開会式の前から始まったていたので、あの2010年ワールドカップ南アフリカ大会の時の様にものすごく幸せな気分になり、あたかもサッカーのワールドカップがまた始まった様な感覚だったけど、本格的に各競技が始まりそれぞれの結果に一喜一憂する事となるのか〜と思った。

三宅宏美3度目の正直で銀メダル
初日の競技結果で最も感動したのは女子重量挙げ48kg級で銀メダルを勝ち取った三宅宏美選手だ。
大会前あまり話題にならなかったけどアテネ五輪で9位、北京五輪で6位に入った後に3度目の五輪挑戦だった。
北京五輪では2年前、サントドミンゴで開催された世界選手権 48kg で銅メダルを勝ち取ったので期待していたけどメダルに届かず試合後のインタビューを見た時はもう引退知るかな〜?と勝手に思ってしまった。
北京五輪後出場クラスを 53kg に上げたけど2010年広州でのアジア大会では優勝した中国の Li Ping に40kgの差を付けられて7位。 昨年パリでは6位 ( それでロンドン五輪が内定した。) と表彰台に登れなかった。 どの時点で48kg 級に戻したのかは知らないけど、見事な銀メダルだった。



この種目は中国が強く広州アジア大会2010 では王明娟 ( Wang Ming Juan ) が2位の Pensiri Laosirikul ( タイ ) に18kg ( 192kg ジャーク 83kg スナッチ 109kg ) の大差を付けるアジア大会記録となった210kg ( スナッチ 95kg ジャーク 115kg ) で優勝した。昨年の世界選手権では中国の王明娟ではなく田原( Tian Yuan ) が207kg ( スナッチ90kg ジャーク110kg ) で優勝した。この時の銀メダルもタイの Pensiri Laosirikul ( 187kg スナッチ 80 ジャーク107) だった。ロンドン五輪では王明娟が代表となり205kg ( スナッチ 91kg ジャーク114 kg ) で金メダルを勝ち取った。
そして銀メダルの三宅は197kg ( スナッチ 87kg ジャーク110kg ) 銅メダルは北朝鮮のリャンチュンファ ( 192kg スナッチ 80 ジャーク 112 ) が勝ち取った。 アジア大会、世界選手権で2位だった Pensiri Laosirikul はリャンチュンファのわずか1kg及ばない 191kg ( スナッチ 82kg ジャーク 109kg ) で4位。メダルに届かなかった。



五輪でアジア勢が表彰台を独占するのも見ていて悪くはないと思った。 そしてこの際この競技を世界選手権、アジア大会の戦績を見ながら楽しんでみようかと思った。 
またこの種目に出場したもう1人の日本人選手水落穂南選手が6位 ( 176kg スナッチ 80kg ジャーク 96kg ) で6位入賞した事も下記落としてはならない。

内村大丈夫か?これは協会の責任。

金メダルラッシュが期待された男子体操と云うよりも内村航平だけどミスを連発し本人も“何しに来たんだか….”とのコメントを残したらしい。個人総合では89.764 に留まり9位で決勝進出を決めたけどトップのダネル・レイバ(アメリカ) 91.265 から1.501 差、3位のファビアン・ファンブッケン 90.765 とは 1.001 差。 これをどこまで詰めてくれるか? 普通どおりの演技さえ出来ればと思うけど、
この時点で種目別決勝に進めたのは床運動、平行棒の2種目だけで得意の鉄棒は決勝に残れなかった。
そして団体でも日本は270.503 で5位に留まり1位のアメリカ 275.342 から 4.839, 272.420 で3位のイギリスから1.917 点差を付けられた。 ただ日本の最大のライバルと見られた中国もミスを連発。 団体では日本を下回る 269.985 で6位での予選通過だった。
原因はおそらく器具だと思う。 聞いた話では今大会はフランス製の器具を採用されているとの事であるが内村を始め選手達がその器具を使って練習をしたのは日本チームがロンドンの向けて旅立った五輪直前合宿。 その時の模様がテレビで伝えられ、内村を始め日本選手が器具がしならないと漏らしていたのを見た。 



本当に体操協会は一体何をしているのだろう?どこの器具を使うかと云う事くらい一早く情報をキャッチしそれと同等品を輸入し選手達に早く慣れさせるという事を何故しなかったのだろう?まさか使用する器具が発表されたのは大会直前と云う事はあるまい。
昔あるスポーツ雑誌で日本が五輪5連覇を成し遂げている最中でもある著名ジャーナリストは“ 協会は誰も何もしない。ライバルソ連は役員を世界体操連盟に送り込んだり国家を上げて日本対策を行っている。だけど協会の役員は4年に一度五輪で勝った勝ったと喜ぶだけだ…..”
今、内村航平達のおかげで1990年代初めに停滞した日本体操界はまた体操人気が出て来て世界でもトップを走れる様になった。選手達の血のにじむような努力だけでなく協会の役員達が何をすべきかを考えなければならないと思うであるが….
兎に角選手達の奮起を祈る。



昨日はなでしこが準々決勝進出を決めて、男子 U-23 は今晩モロッコ戦に臨む。
サッカーに就いては改めて解説します。(誰も読まないか?)  
そして今日も滅茶苦茶暑い。 朝10時前からクーラー掛けたら嫁はんに怒られた。でもスイッチは入れたままだったぞ!!

それから開会式の Paul McCartney は恰好良かった。一番恰好良かった。

スペイン相手に白星発進。これで首位通過の可能性も…

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ロンドン五輪もサッカーに日本が出場をしている。これで5大会連続だ。しかも3大会連続で男女が出場している。
日本の五輪がサッカー競技で始まるのが定番になるなんてバルセロナ五輪前迄考えられなかった。

日本選手団の先陣を切って出場したなでしこジャパンは恐らくいつもよりも多くの日本人が注目したであろうこの試合でカナダを 2-1 で降し白星発進。さすが世界女王と言いたくなる。それでも試合後、佐々木監督へはインタビューの中で“我々は確かにチャンピオンにはなりましたけど、オリンピックではチャンピオンではないので我々はチャレンジャーとして選手一丸となってやっていますので……。” というコメントには泣かせられた。

そして日本は何と何とスペインを破っての白星スタート。まるでサッカーのワールドカップの様な気がして来た。

初戦スペイン戦.....

この言葉を懐かしく思い出す人はかなりベテランのサッカーファンじゃないかな....
1979年 ワールドカップやオリンピックではアジアの壁が高すぎて世界の舞台なんて遠くからしか見られなかった時代、自国開催でないと日本が“サッカーの世界選手権”には参加できないと考えられていたその時代に第2回FIFA ワールドユース大会が日本で開催された。自分が記憶に残る始めて日本が世界レベルの公式大会に出場した大会で1年位前からこの大会を楽しみにしていた。最終的に誰が選ばれるのか、とか対戦相手が決まったらどうやって1次リーグを突破するのだろう...とか。

最終メンバーは後に die Bundesliga でプレーする尾崎和寿夫そして柱谷幸一、水沼貴史、宮内聡(元日本女子代表監督)、当時現役高校生だった風間八宏(当時清水東)名取篤(帝京)鈴木淳(仙台向山 -元大宮監督)ら3選手が選ばれた。名取は出場機会が無かったが翌年始めに行われた全国高校サッカー選手権で帝京を優勝に導くなど活躍し自分も同じ高校生なのにえらい違いだなぁと思った。関西勢も選考の時から気にしていた。GK鈴木康仁(摂津-国士舘)、そして猿沢茂(大阪体育大)らが最終メンバーに残った。監督は松本育夫氏だった。 当然候補に上がりながら最終メンバーに入らなかった選手の方が当然多かった。自分が期待していた佐々木博和(枚方クラブ-松下電器-ヴェルディーセレッソ)や樋口靖洋横浜Fマリノス監督(当時四日市中央)今回の五輪代表の関塚監督もその一人だった。

だから最終メンバーに選ばれた選手達は世界を相手にするのでものすごく上手いんだろうなぁと思った(当たり前か?)。

今は FIFA U-20 と呼ばれているけどそのワールドユース大会、日本の相手は初戦がスペイン、第二戦がアルジェリアそして第三戦がメキシコ戦だった。 どこも強豪だった。何とか初戦のスペイン戦は引き分けて第二戦のアルジェリアに勝って最終戦のメキシコ戦は引き分けて上位2カ国が進出できる準々決勝戦に....と願っていた。そうすれば恐らくマラドーナやラモン=ディアスのいるアルゼンチンとの対戦になると思ったけどとにかく1次リーグ突破だけを願った。

夏休みも終わりかけの8月25日、国立競技場で行われたスペイン戦はテレビで観戦した。もちろん優勢に試合を進めるのはスペインだけど日本選手がボールを持つと大歓声が上がった。だけど今も覚えているけど日本はほとんどシュートまで持ち込めなかったんじゃないかなぁ.... 0-0 で迎えた後半スペインの Zuniga が放ったミドルシュートが日本ゴールに突き刺さりそれが決勝点となった。まだ残り時間は35分以上あったけど、その1点が挽回できるとはテレビを見ていて思えなかった。何とか0-0 のまま試合が終わってくれと思っていた。 そして日本ユース代表は続くアルジェリア戦は押し気味に進めながら 0-0 で引き分け、第3戦のメキシコ戦はついに水沼のゴールが決まり先制をするも同点に追いつかれ引き分けに終わった。

メキシコ戦の前に行われたスペイン対アルジェリア戦でアルジェリアが既に1次リーグ突破を決めていたスペインに 1-0 で勝っていたので日本はメキシコ戦を前にして1次リーグ敗退が決まっていた.....

そしていつの日か日本がアジア地区予選を突破して世界の大会に...と願ったがそれが実現したのはそれから14年後、またも地元開催の FIFA U-17 大会まで待たねばならなかった..... でもその2年前に女子代表が第一回ワールドカップに出場していた。

            

アジアとは異なり欧州では五輪サッカーの位置づけが著しく低く、欧州のサッカーファンの中には“オリンピックにサッカーなんてあるのか?”と思っていた人にも多く出くわした。 “地元”英国開催の五輪で最も注目されるのは64年ぶりに結成された英国代表 Team GB とスペインがワールドカップ、EURO2012 に続いてメジャーな大会で“3連覇”を納めるかどうかということ、というのが地元紙を見ても良くわかった。

David de Gea dreams of more Spanish football success 

Manchester United のGKは更なるスペインの偉業を楽しみにしている。
“我々はフル代表の様にプレーをしている。15歳の時から常にそうしている。それがスペイン人のやり方でそうして勝利を得て来た。”こう語ったのは David de Gea だ。

想像をして見ると良い。表彰台の上に立ち、国家が流れる。金メダルが選手のクビに….それが夢だ。“スペインは世界王者で欧州チャンピオン。昨年夏は欧州U-21 で優勝しこの夏には EURO U-19 で優勝したばかりだ。そして今彼らは五輪のタイトルを欲している。

もしあなたがスペインは成功に満ち足りているのか?と考えた時に、もう一度考えてみよ。もしオリンピック何て関係無いと考えているのであればあなたは間違っている。 南アフリカとウクライナでの成功は彼らの望み、そしてプレッシャーとユニークな世界へと繋がって来る。それはワールドカップ、 EURO そして五輪のタイトルを同時に勝ち取ることだ。

スペインは1992年地元開催のBarcelona五輪で金メダルを勝ち取った。決勝戦の相手はポーランド。前半に Wociech Kowakczyk のゴールでポーランドが先制したがこのゴールはBarcelona五輪でスペインが6試合目にして喫した初失点だった。しかしスペインは Abelardo Fernandez のゴールで追いつく。このゴールはこの試合を観戦に来た Juan Carlos 国王とその家族が着席した4分後に決まったゴールだった。そして同点ゴールから6分後 Kiko こと Francisco Narvadez がゴールを決めて逆転をするも72分ポーランドは Ryszard Stanieck の同点で追いつく。試合は延長戦に入るかと思われた89分、最後は Atlético Madrid のKiko のゴールで 95,000人の観衆を集めた Camp Nou での激闘に終止符を討った。この時のスペイン代表は同年スウェーデンで開催された EURO1992 には何と予選で落ちて本大会に残れなかった。それだけにこの五輪での勝利は少し溜飲を下げられたのでは無かったか?

それよりもこの時は久々にハイパフォーマンスを見せたポーランドの方が気になった。大会得点王となった Andrzej Juskowiak や Wojciech Kowalczyk ら優秀な選手が出て来て以降のワールドカップや欧州選手権が期待されたけどその後ポーランドがメジャーな大会に進出すしたのは10年後の FIFA ワールドカップ2002 だった。

そしてスペインはバルセロナ五輪前迄に出場した16回のオリンピックで勝ち取った金メダルは意外にわずか4個であった。そしてこのバルセロナ五輪で13個の金メダルを勝ち取りその1つがこの五輪から年齢制限の設けられたサッカーだった。小学校の時に開催された札幌五輪で Fransisco Fernandez Ochoa の男子回転競技で金メダルを勝ち取ったがそれがスペイン史上最初の金メダルと当時報道されたのを憶えているが、夏季五輪はもっと金メダルを取っていると思っていた。
運動神経ある子供はみんなサッカー選手になるのかなぁ〜と思った。

          

   

スペインが五輪に掛ける意気込みとして over age に Juan Mata, Jordi Alba そして Javi Martínez ら EURO2012 のメンバーを入れている。 Sergio Busquets も大会参加をほのめかす程であった。“これが全てを物語っている。 彼らはフル代表では全てを手に入れた。しかしまだ我々と共にプレーをする為に五輪にやってこようとしている。”
De Gea の様にMataも UEFA U-21 2011 のメンバーでこの五輪チームのベースとなっている。 その当時のU-21のスタメンの中でDidac Vila と怪我で参加を見送った Thiago だけが五輪メンバー入りせず Didac Vila に替って召集されたのが Jordi Alba であるが彼でさえ23歳である。  

Atlético Madridの Adrián Lopez は昨シーズンの UEFA Europe League の大会得点ランク2位で Athletic Bilban の Iker Munian はEurope League と Copa del Rey のファイナリストだ。 Malaga の創造的 FW Isco は同世代 ( Isco は20歳 ) の中で最も才能があると前のスペイン連盟のスポーツディレクターに言われた逸材。

昨シーズン Premiership のタイトルを逃した Manchester United のメンバーはシーズン終了後おのおのの生活に入ったが Ryan Giggs は De Gea に “ See you in the final “ と云ったそうだ。

21歳のスペイン人選手が8月11日にウェンブリーで試合を行う事を想像すると言う事はまことしやかなことであろう。“決勝戦で英国と対戦したい。しかし大事な事はそこに我々がいるかと云う事だ。 もしそこに Beckham がいれば彼を見に来る人にとっては良かった事だと思う。しかし Giggs がそこにいる。 彼は一流の兵士だ。 彼は素晴らしい人間で偉大な選手だ。率直にいえば質素でつまらない。信じられない事に彼は38歳でプレーしている。彼は才能を持って生まれた。そして本当に自分をケアーしている。我々はまた Old Trafford でプレーをする。(第三戦のモロッコ戦)”それは私にとってはより特別な事で、それだけに我々の方を応援するファンがいると期待させられる。 私はいつも England ではスペインサッカーは人気があるといつも感じている。それがここは第二のホームと思わせられる事だ。“

Spain's Juan Mata wants Olympic gold after Euro 2012 win

“恐らく我々は苦戦する事も無く金メダルを勝ち取らねばならないと思われているだろう。しかしそれは容易ではない。 タイトルを狙う大変強いチームを構成した国が参加している。我々は勝利しかないと予想されている。私達も出来る限りそうありたいがそれは難しい事だ。スペインはここ数年勝ち続けているがその背景には犠牲と多くのハードワークがあったからで、以降に続く良き道であると思う。 個人的には大変ファンタスティックなシーズンだった。そしてもし五輪で勝つ事が出来れば完璧な夏となり、これ以上求める事のない England での最初のシーズンとなるだろう。“

“我々は長い間共にプレーして来た。お互いにどの様にプレーし、どの様に取り組むかをよく若手いる。 だから早く一緒にプレーするのが楽しみだ。我々は代表チームの様にプレーし、そのスタイルはどういう年代レベルでも同じだ。ボールを後方から前に運びポゼッションをキープしチャンスを創る為に協力する。 U-15 レベルからそのスタイルは変わらずそれがスペインのやり方であり、栄誉を創り続けている。
“フル代表の方は我々が望もうと望まないともレベルを高く上げ我々にプレッシャーを与えている。それが我々にもモチベーションになっている。 我々はフル代表と張り合おうとして来た。 それは容易では無かったが我々が良いチームであった事を知っている。 人々は大会の最優秀選手になりたいかと訊ねる。 私はどちらかと言えば攻撃的選手の一人だ。”

こう語ったのは Juan Mata だった。
Juan Mata はロンドン五輪で金メダルを勝ち取り "perfect summer" を成し遂げたいとの事である。

今シーズンの Mata は Chelsea のメンバーとして UEFA Champions League, FA Cup そして EURO 2012 で優勝を納めた。そしてそのタイトルに五輪の栄光を添えたいと思っていた。

しかし Mata が EURO2012 でプレーしたのは決勝戦のイタリア戦の最後の3分だけ。そこでゴールを決めたとはいえ良い思い出は無いと思われる。それだけに五輪のタイトルには並々ならぬ思いを寄せていると思った

英国の報道を見てもスペインの初戦の相手が日本であるとは皆目報道されておらず、スペインの方も真剣に日本をスカウティングするなんてしなかったと思う。それでも勝てると思っていただろうし、キックオフ前はむしろそれを私は望んでいた。
例え1%に満たなくてもそれが勝点に繋がるとおもったからだ。

 こんなメンバーどうやって…

なでしこがカナダを降した翌日 U-23 五輪チームはスペインと対戦する事に。 

7月11日に国立競技場で行われた New Zealand Oly Whites との壮行試合を見たときには“こりゃまた3連敗とちゃうか?”と思わされたけど、以降ベラルーシ戦 2-1 , メキシコ戦 1-0 をテレビで見るとチームの状態は上がっているなぁと思った。

何と言ってもメキシコに“勝った”事が大きいと思った。 それでもスペインに勝てる保証にはならない。 スペイン相手には何とか引分け、負けても1点差負けまでと云うのが願いだった。両チームのスタメンは下記の通りだった。

                         GK 1 De Gea( Manchester United )

       12 M. Montoya   3 A. Dominguez     5 I. Martinez     6 J. Alba
        ( FC Barça )   (Mönchengladbach )  ( R.Sociedad )   ( FC Barça )

                          4 J. Martinez ( A. Bilbao )

               15 Isco                          11 Koke
              ( Malaga )                       ( A. Madrid )

        10 J. Mata                                 9 Rodrigo
        ( Chelsea )                               ( S.L. Benfica )

                           7 Adrian Lopez( A. Madrid )

                            11 永井

          7 大津              10 東                17 清武

                  3 扇原                16 山口

         2 徳永        5 吉田            13 鈴木         4 酒井宏

             
                          GK 1 権田




GK De Gea, DF Montoya, A. Dominguez MF J. Mata そして FW A. Lopez ら5選手が UEFA 2011 U-21 のメンバーだった。CBの Javi Martinez そして Iker Munyain ( 共に Athletic Bilbao ) らはベンチスタートだった。

日本はover age の徳永と吉田以外はアジア地区予選のレギュラーメンバー。 2列目左に大津が宇佐美に替って入っただけであとは21日のメキシコ戦と同じスタメン。個人的にはワールドカップ南アフリカ大会の初戦の様にアンカーを入れてゼロトップにするのではと想像していた。 それはSBは右に酒井宏樹、左に高徳。CBは吉田と徳永の over age でアンカーに鈴木か山村を入れてボランチは扇原と山口蛍。2列目は右に清武、左に東を入れてトップには大津。守備で頑張れる選手を入れて何とか無失点で防いで終盤に永井のスピードと宇佐美のドリブル。または杉本の高さ…と想像していたけど、流石に関塚監督は違った考えというよりも選手の能力を信頼したスタメンとなった。( 当たり前か??)  
                                                                続く…..

開幕早々の北朝鮮旋風 そして私は重量挙げにはまりだした

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開会式に続いて競技二日目が終わった。日本はまだ金メダルを勝ち取った選手はいない。出だしが良くなかった男子体操や5位に終わった北島康介の次の巻き返しに何とか期待したいところだが、男子サッカーがスペインを破るなど2連勝で早くも準々決勝を決めたり女子重量挙げで三宅宏美選手が銀メダルを取ったり女子アーチェリー団体戦で史上初のメダルを獲得するなどこれまであまり話題にならなかった競技でのメダルが続いている。

そして何より目を引くのが北朝鮮が早くも金メダル2個を勝ち取っていることだ。
それは韓国の地元紙にも載せられていた。

'괴력'의 북한, 초반 메달 돌풍 怪力の北 序盤のメダル旋風

ロンドン五輪開幕当初に "北朝鮮旋風"が荒々しく吹いている。

北朝鮮はロンドンオリンピック大会二日目の29日(現地時間)だけで女子柔道の男子重量挙げで金メダル2個を勝ち取り国別のメダル順位6位に跳躍している。

大会初日の金メダル獲得戦線では4番目の韓国(金2、銀1、銅2)と比べると銀メダルと銅メダル各1個を下回っただけである。 せいぜい銀メダル1つだろうと予想した米国のスポーツ専門誌 "スポーツイラストレイテッド"の展望を台無しにする成績である。

偶然にも韓国が二回も珍しい判定翻意の犠牲になったのとは別に、北朝鮮が予想を破った金メダルラッシュでロンドン五輪の序盤関心が "Korea "に集まる雰囲気だ。

1972年のミュンヘンオリンピックから選手団を派遣して以来、北朝鮮が同日に金メダル二つを収穫したのは初めてだ。
北朝鮮は、2008年の北京大会まで計8回の夏季オリンピックで金メダル10個を獲得した。
1992年のバルセロナ大会では男子体操の鞍馬で Pae Gil Su 、レスリングフリースタイル 48kg級 Kim Il , 52kg級で Li Hak Su ボクシング 51kg 級で Choi Chol Su 達四人の金メダリストを輩出するなど、銅メダル5個を加えて最高の成績を出した。
1996年アトランタ大会では女子柔道48kg 級で桂順姫とレスリングフリースタイル48kg級の Kim Il が、北京大会では女子体操競技の鉄棒で洪恩貞 女子重量挙げ 63kg 級で朴賢淑女の2人が金メダルを獲得した。

今回、大会開幕直前になり選手団の出場規模(56人)が明らかになったほどにベールに包まれた北朝鮮は、いざ蓋を開けると期待以上の怪力を発揮している。

この日の女子柔道52?級で金メダルを首にかけた安琴愛(アングムエン :32)は比較的メダル圏内にいた、男子重量挙げ56?級で世界を驚かせた Om Yun Chol (21)は "初心者"に近い新人だ。
2008年北京五輪で惜しくも銀メダルに終わった安琴愛はこの日の決勝でキューバのヤネト・ベルモイを相手に延長接戦の末に有効勝を納め金メダルを勝ち取った。 北朝鮮の選手としては唯一、柔道に出場した安琴愛はたくましい体格とずば抜けた実力、疲れを知らない体力を誇ってついに悲願を達成した。

世界ジュニア選手権大会優勝者ではあるが、シニアの国際舞台ではあまり知られていない Om Yun Chol ( オムユンチョル )の金メダルはさらに驚くべきだ。
昨年シニアの世界選手権大会に初めて出場して、合計267?で6位にとどまった Om Yun Chol は今回の五輪ではジャークオリンピック新記録(168?)をマークしトータル293?を記録し、余裕を持って祝杯を挙げた。

わずか1年の間に自己記録を26?も更新した点が目立つ。
北朝鮮は重量挙げだけで最も多い8人の選手を送り大量のメダルを期待している。
もう1人の金メダル候補選手は62?級の金恩国 ( ギムウングク : 24 )である。
彼は昨年のパリで開催された世界選手権大会で合計320?の記録で銀メダルを獲得した。
その記録は1位に 1? の差であるほど、彼の技量は世界の頂上に近づいている。

そして世界選手権大会女子58?級5位に上がった Jong Chun Mi ジョンチュンミ(27)も異変を準備中だ。

五人の選手が出場するレスリングでも、予期せぬメダルラッシュが起こることも。

北朝鮮の最大の利点は、選手一人一人が世界に出ることがまれで対戦相手が作戦を立てることができないということだ。
そのため、情報が飛び交う現代のスポーツで、北朝鮮の選手だけがその情報戦に漏れる難しい相手になるのだろう。

メダルレースで印象付けられた北朝鮮がどこまで信じられないほど躍進するか注目される。


柔道女子 52kg 級の1回戦では地元期待の Sophie Cox を破り2回戦では中村美里を破りそして金メダルを勝ち取った安琴愛は世界選手権2005カイロ大会で銅メダル。ドーハアジア大会 2006 で金メダル。そして世界選手権2007リオ大会では再び銅メダルを獲得しての北京五輪だった。北京では準決勝で中村美里を破り決勝に進出し銀メダルを獲得した。
その後広州アジア大会 2010 では銅メダルに終わっている。 この時に金メダルを勝ち取ったのが中村美里だった。だけどこの時は直接対決は無かったんじゃないかな…..北朝鮮から男女通じて唯一エントリーした安琴愛が五輪の舞台で金メダルを勝ち取った。



男子重量挙げ 56kg 級金メダルのオムユンチョルの記録 293kg ( ジャーク 168kg スナッチ 125kg ) は昨年世界選手権金メダルの吴景彪 ( Wu Jung Biao ) の優勝記録 を 1kg 上回る記録。 ロンドン五輪では銀メダルに終わった吴景彪 は289kg だった ( スナッチ 133kg ジャーク 156kg ) 。このクラスのエントリーされたもう一人の北朝鮮選手はシン・チョルボムという選手で彼は258kg ( スナッチ115g ジャーク145 kg )で10位に終わった。 このクラス北朝鮮には車金鉄 ( Cha Kum Chol ) という北京五輪で5位に入り、アジア大会 2010 では吴景彪 についで2位には入った選手がいたけど、車金鉄はどうしたのだろう??
若い20歳のオムユンチョルが派遣を決めた協会役員はどんな褒美を国家から貰えるのだろう?
しかしオムユンチョルはBグループに入りながら金メダルなのだから恐れ入る。

またこの種目、4位にベトナムのルクオクトーン・トランが 284kg ( スナッチ 125kg ジャーク 159kg ) に入賞した。銅メダルのワレンチン・リストフ ( アゼルバイジャン ) とはスナッチで 2kg の差がついただけだった。そしてアジア大会 2010で銅メダルだったインドネシアの Jadi Setiadi が 277kg (スナッチ 127kg ジャーク 150kg ) で5位入賞を果たした。
アジア勢頑張っているなぁ....

本日登場する男子重量挙げ 62kg 級の金恩国も北朝鮮のメダルが期待できる選手。ライバルは中国の張杰 ( Zhang Jie ) でアジア大会 2010、昨年の世界選手権で共に張杰が勝って金メダルを勝ち取っているがその差は下記の通りに迫ってきている。



2010アジア大会 張杰321 kg ( スナッチ145kg ジャーク 176kg ) 金恩国 317kg ( スナッチ147kg ジャーク 170kg)
2011世界選手権 張杰321 kg ( スナッチ145kg ジャーク 176kg ) 金恩国 320kg ( スナッチ150kg ジャーク 170kg)



またインドネシアの Eko Yuli Irawan がアジア大会 2010 310kg  , ( スナッチ147 ジャーク 170 ) 世界選手権 2011 310kg ( スナッチ139kg ジャーク 171kg) で共に3位に入っており、アジア勢で表彰台が独占されるかもしれない。 



北朝鮮選手の活躍もさることながらこれまで行われてきた種目のクラスにも由るのだけど重量挙げ種目でのアジア勢の上位独占が目立つ。 ロンドン五輪では女子48kg級で三宅宏美が銀メダルを勝ち取ったけど昨年の世界選手権そして2010年の広州アジア大会の重量挙げ競技で日本勢はなんと誰も表彰台に立っていない。 女子69kg級で谷綾乃が6位に入ったのが最高だった。

もっともっと重量挙げで日本は強いと思ってたんだけどなぁ。 まぁ俺が言うことでもないか? 

昨日の八木かなえは12位に終わったけど可愛かった。その可愛さは少し前から定評があったらしい。
そして目をひいたのはパプアニューギニア代表の Dika Toua 。 シドニー五輪では48kg級に出場。これはパプアニューギニアから初めてオリンピックに出場した選手だった。 4年後のアテネ大会では 53kg 級で出場し177.5kg の記録で何と6位入賞を果たした。 彼女の挑戦は尚も続き北京五輪では184kg で8位。そして4回目の五輪出場となったロンドン五輪では174kg ( スナッチ 79 ジャーク 95 ) で12位だった。

どこの国にもアスリートはいるのだ。 ということを再認識した。 今夜も重量挙げにはまりそうだ。 

スペイン戦の勝利の勢いをそのままに.....  Japan 1-0 Spain 25th July at Glasgow 

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ECB 欧州中央銀行のイタリア人 MarioDraghi総裁は26日ロンドンでの講演で “欧州中央銀行はユーロを守る為、権限の範囲内であらゆる手段を講じる用意がある”と述べた。金融市場では ECB が国際の買い入れを再開するとの見方が広がり、スペイン等の国債が買われて金利が急低下しユーロ高になった… と27日の日本の各紙朝刊にはこう報道された。
スペインの10年物国債の利回りは 7.4% と云う“危険水準”を大きく上回る数字から 7.0% へと急低下。 イタリア国債も 6.6% から6.0% に下がった。 そして為替も@\94.93 / € から 96円台に“円安”が進行した。
日本の10年固定利付国債の利回りは何%なのだろう?1.00% を上回るのだろうか??

欧州経済の先行き不安が募る中、 Football の世界だけは欧州市場無くして語れない。今やワールドカップ出場国で欧州でプレーする選手が一人もいないのは北朝鮮を除いて考えられない。いや北朝鮮だって Park Kwan Ryong がスイスの FC Barsel でプレーする。そして鄭大成も。 
不思議に思うのはあれだけ ECB に資金援助を依頼している国のサッカークラブがどうやってサッカー選手の移籍金に数十億円単位の資金を出せるのだろう?? 

今回の五輪男子サッカー競技で話題になっているのは64年振りに結成された英国代表こと Team Great Britain とスペインがワールドカップ、 EURO に続いてメジャー大会3冠を達成できるか?そして王国ブラジルは史上初の金メダルを勝ち取れるか…であった。 優勝候補スペインの最初の対戦相手が日本だなんてキックオフの30分前までどれだけの Scotch を含めた英国人が知っていただろうか….

日本のキックオフで始まった試合は開始1分47秒にスペインPAにめがけて放り込まれた清武のミドルパスを永井がボレーでこの試合両軍最初のシュートに持ち込む。 GK De Gea が難なくキャッチするがなかなかやるじゃないか、と思うも以降は世界中がお手本にするであろうパスワークが冴えて果たして試合終了まで日本が何回ボールに触れるのだろうか?と思わせられる。
そして次にシュートを放ったのが Rodrigo だったがそれは中盤で細かいパスを繋いで日本DF陣をひきつけてからのシュート。あと何本撃たれるやら?と思うも結局前半スペインが放ったシュートはRodrigo のシュートと25分に Mata の放ったのと合わせた2本だけだった。ただし、Mata の右から中央に切れ込んでのドリブルシュートは最後は権田が左に飛んでファインセーブで防いだもの。さすが Chelsea と思いながらもひやりとしたシーンだった。
しかし日本DF陣は吉田麻也を中心に冷静にスペインのパスワークに対応するが1対1でも充分に対応しボールを奪う事もしばしば。おいおいスペインってこんなに下手だったか? それとも日本が上手いのか?と思った。
34分に右CKを扇原がファーサイドに入れそれまで何度もユニフォームの引っ張り合いをしていた Montoya のマークを振り切り大津が押し込んで日本が先制する。


 
しかしこの時点ではこのままのスコアーで試合が終わるとは世界中の誰もが思えなかっただろう。 41分には永井が中央からドリブルで突破しようと振り切られそうになった Inigo Martinez が抱き付いて永井を止めて一発退場。ガイガー主審がカードを出す前に、素早くボールを出してスペインゴールネットを揺らすと言った頭脳プレーを見せるもゴールは認められなかった。しかしこの退場でスペインが徐々に劣勢に立たされて来る。だけどまだまだこの時点ではスペインには余裕はあったのではないか?一人少なくなった方が試合が面白くなる。と考えたスペイン人もいるんじゃないかな??
だけどこの Martinez の退場はもともとスペインのバックパスを永井が掻っ攫おうとしたもの。そしてそのバックパスも日本MF陣のプレスが訊いていたいから。 スペインが一人少なくなった直後のFKは扇原が直接狙ったが惜しくも外れた。ここで代打中村俊輔とはいかないか?




後半に入ってまずこちらが驚かされる。 大津が怪我で下がってしまった。替わりに投入されたのが宇佐美でなく斎藤学だった。宇佐美のドリブルがどこまでスペインに通じるかとちょっと想像していたけど、ドリブルなら斎藤だって面白いと思った。
開始早々の47分にはロングフィードを受けた Foisco が吉田を抜いてシュート体勢に入ろうとするがすっ飛んできた徳永がマークに入りシュートを撃たせない。スペインようやく本領発揮か?と思わせられる。しかしここから再び攻勢に出るのは日本だった。50分には東が中央から素晴らしいミドルシュートをドリブルから放つがここも Manchester United のGK De Gea がファインセーブでストップ。 GK が De Gea でなければあと何点入っていただろう?
54分には酒井宏樹が右サイドから上げ永井が飛び込むがわずかに合わせられない。
スペインベンチはたまらずトップの Adrian Lopez に替わって Ander Herrera ( Athletic Bilbao ) を投入する。
しかしスペインにはボールがなかなか渡らない。前線の永井が高い位置からプレスをかけ、走り回って相手の出所を押さえる。 あんまり走らないでくれよ〜、攻撃時にとっておいてくれよ〜と思うと56,58分と連続で永井がシュートを撃つ。 58分のシュートは山口、東と繋がり裏に走りこんんだ永井に送られPA内左からフリーで放ったもの。 わずかにゴールポストの右に外れていった。
60分には斎藤が中盤でボールを奪い、右サイドの清武に繋げると清武は Dominguez, Javi Martinez を リブルで振り切り突破しシュートを放つがゴールの右に外れる。
63分スペインは2人目の交代選手 Oriol Romeu を Isco に替えて投入する。Romeu は UEFA U-21 2009、2011に出場する Chelsea 所属の選手。ここからしばらくスペインがボールを持つ時間が増えるがMF,DF陣がすばやいチェックで66分に Herrera がCKから撃った以外はシュートを撃たせない。このまま粘って…と思うと今度は酒井宏樹が脚を傷めてしまう。
一旦はピッチに戻ったけど自ら×印を出してピッチに下がった。替わって入ったのが佐藤高徳。左右も出来るSBがいるのは心強いけど本当は左で使いたかったなぁ〜と思う。しかしけが人で交代枠を2人使ってしまうのはもったいないと思う。
そして何分頃からか斎藤と清武がポジションチェンジをしていた。これで相手の左サイドの攻撃を斎藤の縦へのドリブルで蓋が出来るようになった。 
71分スペインは最後の交代選手 Cristian Tello ( Barcelona ) を Koke に替わって投入する。 Tello は攻撃的選手。これで前線を増やしてきた。そしてショートパスからロング、ミドルの縦パスが増えてきた。72分、ちょっと嫌な位置でFKを与えるが直接狙った Mata のFKはゴールを大きく外れてくれた。 85分 Mata から絶妙の縦パスが入るが権田が飛び出してクリアー。86分日本ベンチは扇原を下げて山村を入れる。これで逃げ切り体勢か?と思うけどあとロスタイムを入れて何分あるのだろう? 87分永井が Romeu からボールを奪ってドリブルシュートに持ち込むがこの1対1のシュートは GK De Gea にセーブされてしまう。 あぁ絶好のチャンスだったのに。さすが De Gea だったけど….
そしてロスタイムが4分と表示される。 おいおいそんなにあったのかよ?と思う。 91分更に天を仰ぐシーンが。終盤から目立ちだした東がボールを奪い中央突破をはかる。“東!撃てっ!!”と叫ぶが左に走りこんだ山口に流す。 フリーの山口が走りこんで撃った弾道はクロスバーを越えてしまった。 “何しとんのやぁぁぁぁぁ〜” これが入っていれば試合は終わっていたのに..と思う。スペインはCBの Alvaro Dominguez をトップに上げてパワープレーに出てくるが吉田もヘディングの強さを見せる。
そして49分を過ぎ最後は清武がスペイン陣内左サイドの深い位置でボールをキープしアメリカ人の Mark Geiger 主審のホイッスルが鳴り響き、日本がシドニー五輪以来の貴重な初戦勝利を飾った。
よ〜しっっ !! ナイスゲーム !! と膝を叩いた。

これで1次リーグ最終戦まで楽しめる…と思った。ワールドカップと同じだ〜と幸せな気分になった。

翌日の朝刊各紙には“奇跡”という文字が躍っていた。たしかに優勝候補相手の勝利は金星だ。しかし試合内容は互角以上だったとおもう。ボール支配率は40%程だったけど。
アトランタ五輪でのブラジル戦の勝利。“マイアミの奇跡”と照らし合わせるマスメディアも多いけどあの時ほど押されてはいなかたし決定機はむしろ日本の方が多かった。 2001年マラガに遠征した当時の日本代表がスペイン代表と親善試合を行い  0-1 で惜敗したけどそのときよりはスペイン人に日本にもサッカーはあるのだと存在を見せられたと思う。



翌日のスペインの新聞から….
インターネット時代(この言葉も古いか?)の今日、電子版であるが世界各国の新聞を読み比べられる。そして翻訳ソフトさえ使えばかなり読むことが出来る。英語に訳せば。

Marca 紙から….

オリンピックで躓く
スペインチームは日本の一撃にやられた。 Luis Milla のチームは疑っていた日本にロンドン五輪の初戦で敗れてしまった。
Hampden Park で大津がゴールを決め Inigo Martinez が41分に退場となった。
スペインチームは日本に驚きを与えられ五輪初戦で敗戦を喫した。 Luis Milla のチームはゴール直前を含むポジションで
守備面であまりにも多くのミスを犯した。唯一の得点となった大津のゴールは Montoya のミスからだった。 41分に退場で Inigo Martinez を失ったスペインは後半はずっと10人でのプレーが強いられた…..

という行で始まった記事は日本のことを“大変威勢の良いチーム”と表現し、Luis Milla のチームはゲームを支配する為にボールをコントロールしたかったが関塚監督が送ったチームの相手のボールを持たせないというクリアーな考えで試合に臨んだ。スペインはDF陣の裏を取られない様に腐心させられた。

試合は開始早々は Juan Mata の様なチームを活性させる選手が中心となりスペインが主導権を握ると思われたが、よくプランを練った日本が Luis Milla のチームを悩ませ始め主導権を奪われ始めた。永井の示した度重なる脅威の後に得たCKから大津がマークに着いた Martin Montoyaに競り勝ち放ったシュートが決まり日本が先制した、
と書かれておりその後 Martinz の退場で状況は悪くなった、56分にようやく Milla 監督は動いて Adrian を下げて Ander Herrera をと投入するなどして捕まえられない日本に対応しようとしながらも決定機を作ったのは永井、清武にあわやのシュートを撃たれるなど日本で更なる改善を求めて Rojita Isco を下げて Oriol Romeu を投入したことや Koke に替わって終了10分前に Tello を投入したこと、そして Jordi Alba の絶好機が決まらなかったとも書かれていた。
そして初戦を終えてスペインは Group D の最下位スタートとなったと言う行で閉められていた。

Los campeones de Europa no pudieron con la velocidad nipona
欧州王者、スピードのある日本に対応出来ず
Mata, Javi Martinez そして Jordi Alba の3人は日本戦にスタメン出場し90分間プレーした。 Chelsea 所属のその選手はオリンピックのデビュー戦では最も鋭い動きをしていた。  Javi Martinez は守備面で慎重にプレーした。 Jordi は40分に警告を受けた。

その3選手はLuis Milla のチームをリードした。 彼らはスタメンで起用され最後までプレーしたが彼らの経験はスピードのある日本には通じなかった。Mataは最も精力的に動いたがデンジャラスゾーンではスペースを見つけられなかった。 関塚隆史監督のチームの組織されたDF陣はプレスと囲い込みをベースとしたシステムで Mata のいる中盤に対応し、Mata はボールを失い中盤でのプレーに終始した。スペインは正確性を失っていた。

この様な事が書かれていた。そして Javi Martinez は Koke と共にDF陣の守備を助ける事に終始させられ続けたこと、そして EURO2012 でセンセーショナルな活躍を見せた Jordi Alba には多くを期待過ぎていたと書かれていた。

Justa expulsión de Iñigo Martínez ただ Iñigo Martínez の退場が

CB でスタメン出場したInigo Martinez の物議を醸すプレーは Mark Geiger 主審がレッドカードを示した後にロッカールームへの道を示した。
スペインチームのディフェンダーは日本の永井謙介の素早い動きを止め切れずに GK De Gea と1対1になるのを防ぐために反則を使った。
Milla は次のホンジュラス戦に向けて Martinez を出場停止で欠く為にCBの変更を強いられている。

Martiznezの退場はあの時の Beckham の退場と同じくらい、いやそれ以上に痛かったか….



Milla: "Este equipo tiene crédito" Milla このチームは信頼がある

“私は試合後ロッカールームで肯定的に務めた。それはあと2試合チャンスがあるからだ。” Milla は語った。

Luis Milla 五輪チーム監督は敗戦となった日本戦の後で“日本は素晴らしいゲームを行った。目的に向かって我々はターゲットに向かって比較的に容易に行えて来た。前向きに。二つの改善すべき、本当に改善すべき要素がある。 控室では肯定的にと務めた。何故なら我々にはもう2試合あるからだ。 選手達は信頼がある。次の試合迄3日間ある。 あれこれする時間はないが、多くをメンタルや集中力の強化に裂かねばならない。何故ならこのレベルではもう少し詳細にそしてボールへのアクションを挙げねばならない。 我々はより強くコンパクトにならねばならない。”と答えて、五輪に就いてのプレッシャーはあるのかと云う問いに就いては“我々には当然それがあった。私はいま次のホンジュラス戦に就いて考えている”と答えた。


Milla 監督は他紙では選手達を予定通りに開会式に出席させる、それは人生でも一生の思い出となるからであると語っており、大会前に受けた El Pais 紙のインタビュー記事ではインタビュアーの“スペインは表彰台に立つ事を期待されているが..とお質問には、まだ始りもしないのにもう表彰台の話しをされる、それがプレレッシャーになると語り、選手達にプレッシャーを与えない様にというコメントも。
そして日本の勝利を祝うコメントも発していた。 
また大会直前に日本チームとの初戦についてはと訊かれたときは“大変難しくなるだろう。日本は早くて質の高い選手が多く、何人かは Budesliga でプレーしている。”と語っていた。 そして決勝戦がスペイン対ブラジルと予想されていることについても、“まだ大会は始まっていない。今は日本そしてホンジュラス、モロッコについて案じるだけでブラジルやイギリスそしてウルグアイに就いては何も考えられない。” と語っていた。 

そして期待はありがたいがそれが重荷にならないようにともインタビュアーに語っていた。
更にフル代表チームの成功との比較についても同様に語っていた。また Javi Martinez, Jordi Alba らに就いてはチームと核になることを期待しているが UEFA U-21 でプレーした選手もいるが欧州選手権を戦い終えたばかりだと案じていた。
また怪我で離脱した Thiago の穴埋めに就いては替わりに個人選手ということではなくあくまでもチームでカバーしていきたいとコメントしていた。



EL PAIS 紙にはUna soberana derrota de España en Glasgow ( 王朝スペイングラスゴーで敗れる )
という見出しが。
ここには日本戦の敗戦後はまだ、“ロンドン五輪で優勝候補である”という形容詞が使われていた。

この失望はスペインにとってたいへんなもので、この試合は Hampden Park において厳粛なステージで日本の様な小さな相手に行われた….と書かれており、Thiago , Munianin の離脱を嘆いていた。

スペイン戦の勝利の最大の要因はなんと言ってもスペイン国民を含めたほとんどの関係者が日本五輪チームを知らなくそれこそ“自分達のサッカーをすれば…” と思っていたからに違いない。
そしてこの時点ではスペインが次のホンジュラス戦も敗れてモロッコ戦も無得点引き分けに終わり大会を無得点で去るとは誰も想像しなかっただろう。

そして日本は明後日 Manchester Old Trafford でエジプト相手に準々決勝戦に臨む。
Sir Alex Ferguson 、香川を貸してくれないかなぁ….でも今の五輪チームには必要ないか? 


ESPAÑA, 0 - JAPÓN, 1
Japón: Gonda, Tokunaga, Yoshida, Suzuki, Sakai (Yamamura, m.85), Yamaguchi, Ogihara, Otsu (Saito, m.45), Higashi, Kiyotake, Nagai. No utilizados: Ando, Muramatsu, Sugimoto y Usami.
España: De Gea, Montoya, Domínguez, Íñigo Martínez, Jordi Alba, Javi Martínez, Koke (Tello, m. 80), Isco, Mata, Rodrigo, Adrián (Herrera, m. 56). No utilizados: Mariño, Botía, Azpilicueta y Muniain.
Gol: 0-1. M. 33. Otsu supera a Montoya y bate por bajo a De Gea.
Árbitro: Mark Gieger amonestó a Jordi Alba, Domínguez y Saito. Expulsó con roja directa a Iñigo Martínez.
Estadio: Hampden Park, unos 45.000 espectadores.



なでしこ2大会連続 Semi Finalist への挑戦

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もう20年以上前、J-Leageu がまだ存在していない時代。King KAZU があるスポーツ誌に掲載されていた彼のインタビュー記事の一節を今でも覚えている。

ブラジルから帰国する直前(1989年)前の年のオリンピック(ソウルオリンピック)があってブラジルは決勝戦でソ連に敗れたけど銀メダルを勝ち取った。だけどそんなことブラジル人は誰も憶えていないんです。だから20年以上も前にメキシコで日本が銅メダルを取ったことなんて誰も知らない。 ブラジルじゃ日本人がボールを蹴るだけで笑いが漏れてくる....
ブラジル人に日本のサッカーを憶えてもらう為には何度もワールドカップに出場しなければ憶えて貰えない....

そんな内容の行があった。 日本がアジア地区予選を勝ち抜いてワールドカップに出場したことが無いときだった。

ソウルオリンピックであのロマーリオを擁したブラジルは決勝戦に進出するも同年欧州選手権で活躍したミハイリチェンコ率いるソ連に 1-2 で敗れた。大会得点王になったロマーリオは五輪後 PSV Eindhoven に移籍した。

今でもブラジルでは“サッカーが下手な人間”の代名詞として“ジャポネーゼ”と呼ぶのだろうか? 

アトランタ五輪で“マイアミの奇跡”を演じた日本五輪代表チームのこと、そしてその試合の事を憶えている、または知っているブラジル人はいるのだろうか?
ワールドカップ2006で 日本は1次リーグ最終戦でブラジルに 1-4 で敗れた。その試合を知っている人はいるかなぁ....

ブラジル国内で女子サッカーの位置付けはどうなのだろう?男子ほど人気(というよりも生活の一部?)は無いだろうけど一般の人の感心はどの程度なのだろう? 逆にブラジルでサッカーをしている女性達こそ男子との待遇の違いを痛感し“女子サッカー振興”の義務感に燃えているのかもしれない。

2大会連続銀メダル。

90年代前半の世界の女子サッカーの勢力図は欧州諸国が中心でそこにアメリカが対抗しており後は中国が何とか中国が追いすがっていた。そしてアジアの勢力は中国と台湾が日本や北朝鮮よりも強かった。

記念すべき第一回 Women’s World Cup は中国の広州を中心に開催され、日本女子もアジア代表で出場しその初戦はブラジルだった。 その試合の様子は専門誌で報道されただけだった。J League 発足のたった2年前だったけどまだサッカー自体がまったく注目されていない時代だった。 
大会前の予想ではブラジルには何とか勝てそうだとのことだった。試合は開始4分に Elane に先制を許すも以降試合内容は日本が優勢だったらしい。しかし主審の不可解な判定などもあり日本はブラジルゴールを割ることが出来ずそのまま 0-1 で敗戦を喫した。以降日本は Sweden ( 0-8 ) USA ( 0-3 ) そしてブラジルも USA ( 0-5 ) Sweden ( 0-2 ) と共に連敗を喫し1次リーグで敗退した。

両国は4年後のワールドカップスウェーデン大会でも同じ組になりこの時は日本が Pretinha のゴールで先制されるも今は日テレベレーザの監督を務める野田朱美の連続ゴールで逆転勝を納めた。男子より先にワールドカップで勝利を挙げたのである。そしてこの試合に背番号7番を付けて出場していたのがわれらが澤穂希であった。 
この大会でもブラジルと日本は共に1次リーグで敗退し両国は同じ歩みを続けていた。 

しかし翌年の女子サッカーが初めてアトランタ五輪で正式採用されるとブラジルは1次リーグでは日本を破りノルウェー、ドイツと引分け準決勝に進出。準決勝では中国に逆転負けを喫し、銅メダル決定戦でもノルウェーに敗れたが一気に世界の列強に踊りでる。4年後のシドニー五輪でも1次リーグは突破した準決勝にアメリカに、3位決定戦ではドイツに敗れ2大会連続で4位に終わった。

そしてワールドカップ1999 アメリカ大会でブラジルは準決勝戦でアメリカに敗れたものの3位決定戦ではPK 戦の末にノルウェーを降し3位にはいる躍進を見せる。 日本は1次リーグで1分2敗で敗退していた。 
その4年後のワールドカップ2003アメリカ大会からはスカートを履いた Pele といわれる Marta がメジャー大会にデビューし大会では3ゴール(うち2ゴールはPK)を挙げチームもベスト8に進む。以降女子サッカーが五輪の正式種目に採用されたアテネ五輪では Cristiane がメジャー大会デビューを果たし大会4ゴールを挙げるなど大会得点王に輝く活躍で銀メダル。 ワールドカップ2007中国大会では Marta 7ゴール、Cristiane が6ゴールで決勝まで進出。残念ながらドイツに Prinz, Laudher のゴールを決められ 0-2 で敗れたがアテネ五輪に続く決勝進出となった。
こうなると次の目標は優勝、金メダルとなる。北京五輪でも Marta, Cristina は絶好調。特に準決勝のドイツ戦は Cristina が2ゴール、 Marta もゴールを決めて Prinz や Garefrekes, Bajramaj を擁した次の3位決定戦でなでしこを2-0 で破ったドイツを 4-0 で粉砕し前年のワールドカップ決勝戦のリベンジを果たし決勝に進出。

しかしアテネ五輪の再現となった決勝戦では4年前同様延長戦に縺れ込む死闘となり98分 Carli Lloyd にゴールを決められ再びアメリカの軍門に下った。 アメリカとは2011年のワールドカップ準々決勝戦でも対戦。ロスタイムに入った92分 Marta のゴールでブラジルが追いつき試合は3年前の決勝戦同様に延長戦に入る。PK戦かと思われた122分、アメリカが劇的な決勝ゴールを決めてブラジルはまたもやメジャー大会優勝を達成できなかった。その決勝ゴールを決めたのが Abby Wambach だった。 Wambach はアテネ五輪の決勝戦でも延長112分、決勝ゴールを決めてブラジルを沈めている。

ブラジルはこれでアテネ五輪決勝戦、北京五輪決勝戦そして昨年のワールドカップ準々決勝戦でアメリカにすべて延長戦まで縺れ込んで敗れている。

ロンドン五輪では、Marta, Cristiana が得点を決めているのでちょっと嫌な気がしていた。 

 

2連勝の後に Team GB に敗れる。

Brazil の出だしは好調だった。緒戦でカメルーンを 5-0 で粉砕し、第二戦は New Zealand Ferns の粘りにあうも Cristiana が86分にゴールを決めて2連勝スタート。最後の英国戦は敗れたがこれはトップ下の Formiga を起用しなかったことを割り引かねばならない。  Forminga は34歳の大ベテラン。これまで五輪、ワールドカップ5大会ずつ出場しておりワールドカップ 1995 , アトランタ五輪での日本戦に出場している。そして澤穂希も出場している。

予想スタメンは....

          10 Malta               11 Cristina

                   8 Formiga

  12 Rosana                           6 Marine

            13 Francielle        7 Ester

    16 Renata Costa    5 Erika       14 Bruna

                  GK 1 Andreia


2トップの Malta と Cristina は強力だけど彼女達に良いボールを繋いだり一旦タメを創るベテラン Formiga がトップ下に入る。Marta 、Cristina は3回目の五輪出場となりこれまで通算得点は Marta が8。Cristina は12得点にもなる。

2列目左の Rosana は30歳のベテランMFで4回目の五輪。 1次リーグでは初戦のカメルーン戦、続くニュージーランド戦は“温存”された。 2列目左の Maurine、CBの Erika の2人は16歳の時にFIFA U-20 Vancouber 大会に出場し U-20 大会に3度出場した実績がある。北京五輪、ワールドカップ2011 にも出場している。 
GK Andreia 4回目の五輪となる35歳の大ベテラン。 その他DFの Bruna CB の Erika 以外は全て北京五輪を経験している。 

なでしこもそうだけどこの五輪を最後に代表を退く選手達もいるんだろうなぁ〜と思った。

1次リーグ最終戦の英国戦で敗れた事によりブラジルは準々決勝は世界王者の日本と対戦する事となった。ブラジルの Correio Braziilense 紙は日本は昨年のワールドカップ決勝戦でフランスを破り今や五輪でも優勝候補であると表現されていた。決勝戦で対戦したのはアメリカなんだけど。

Jorge Barcellos 監督は選手達にイギリス戦の敗戦は日本戦のパフォーマンスに影響しない事を説いた。何故ならブラジルは金メダルを取れると信じているからだと語った。

 “我々はイギリス戦には敗れたがメダルの夢が敗れたわけではない。 我々は前回と同じ結果に辿りつくにはまだやらななければならない。だから我々は今度は勝利が必要だと知らねばならない。" と語った

我々は敗戦から学ばねばならない。特にせめながらもゴールを挙げられない試合をした時は。 それはイギリス戦でさえも起こった。日本の様なチームを相手にした時はそれがもっと深刻になる。しかし我々はこれまでよりもずっと良いサッカーをしていると感じている。我々は勝利を齎すだろう。  こう語ったのはエースの Marta だった。

O Estado de S. Paulo 紙には Baroellos監督は日本はブラジルや英国、アメリカの様に大変強いチームだ。日本とプレーするのは大変面白い、そして我々を難しくさせるからだ。 日本はワールドカップ王者であるが我々も自信を持っている。そして準決勝に進むみたく思っている。 

Martaは“試合は先制点が欲しい。そうすれば敗れる事はない。次の試合には全力を尽くす。”と語っていた。

 

女子サッカーでは少なくともブラジルで日本は一目置かれている様だ。

 

しかしなでしこ達が勝利を納めてくれる事を願う.....


腹が立ったなぁ〜 ドロー狙い批判に試合内容批判   Japan 2-0 Brazil 3rd August

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この数日間腹が立って仕方が無かった。 バドミントンの無気力試合が女子サッカー1次リーグ最終戦のなでしこの試合にまで飛び火している。 ドロー狙いの何が悪いのだろう? テレビで見たバドミントンの試合は共に勝ちたくなくてわざとサーブを失敗したりシャトルをネットに当てたり。これは中国、韓国ペアー双方共に勝利を放棄した戦いぶりだった。

だけど日本対南アフリカの試合、少なくとも南アフリカは勝ちに来ていた。試合内容は全く異なるものだ。

メキシコ五輪でサッカー日本代表は引分け狙いの試合をした事がある。1次リーグ最終戦日本はスペインと引分けを“演じた”がこれは所属するグループBで2位通過をすれば準々決勝は地元メキシコとの対戦となり引き続きメキシコシティーに居座れるが首位通過となれば地元メキシコと対戦するばかりでなく数百キロ離れたブエブラ市に移動せねばならないという事からだった。首脳陣はもう一つのグループリーグの最終戦ブラジル対ナイジェリア試合経過を見ながら試合途中で引分け狙いの指示を送ったらしい。
同じ事は対戦相手のスペインも考えており後に釜本氏が“ボールを持ったら相手DFがみなドリブルコースを開けよるんや。”と語っていたの憶えている。 試合は引分け狙いの指示が徹底されず森孝滋や杉本隆一らのシュートがポストやバーを叩き日本ベンチはその度に肝を冷やし、長沼監督は“勝つなと思って見ていたのは生涯ただ一度だった。”と述壊していた。

その後日本が準々決勝でフランスを破り以降の戦いで銅メダルを勝ち取った事は誰もが知ることだ。

この試合の事を批判する人は誰もいない。それは批判されるものではないからだ。それともこういう歴史を知る人がすくないからか?

批判される過去の事象はワールドカップスペイン大会1次リーグのGroup 2 の最終戦だ。 このグループの初戦はアルジェリアが2年前の欧州選手権で優勝していた列強西ドイツを 2-1 で破る波乱の幕開け。 西ドイツは続くチリを 4-1 で降すもアルジェリアは第二戦のオーストリアに 0-2 で敗れたが最終戦チリ戦は 3-2 で勝利を納め、3戦終わって2勝1敗勝点6、得失点差±0 で1次リーグを終え、西ドイツはオーストリアとの最終戦に臨んだ。 この時点で西ドイツは勝点2得失点差 +2、オーストリアは2戦2勝勝点4、得失点差 +3 。最終戦は西ドイツが3点差以内で勝てば西ドイツ、オーストリア両国揃って2次リーグ進出となるところであった。試合は西ドイツの巨漢 Hrubesch が先制すると後はお互いボールを後ろで回し観客の大ブーイングの中シュート何て殆ど見られず、西ドイツ、オーストリア共に揃ってめでたく2次リーグに進出し初戦で西ドイツを破ったアルジェリアは惜しまれつつ1次リーグで大会を後にした。そして西ドイツは決勝まで進みイタリアに敗れた。
この試合は当時大問題となり英国専門誌には “残ったオーストリアと西ドイツは次のラウンドに進む為にはどうすればよいか正確に知っていた。 ”と表現された。両国ともドイツ語を母国語とする国であった。

この試合の反省から次のワールドカップを含めた多くの国際大会の1次リーグ最終戦は全て同時刻キックオフと決められた。

もし諸外国がなでしこの引分け狙いを批判するのであればその尻馬に乗るのではなく過去にこう言う事がありながら何の御咎めも無かった事を世界に発信し皮肉る事は今の日本人ジャーナリストには出来ないのだろうなぁ〜。 と思った。

 最も難しい準々決勝戦 奇襲にでたか4バックのブラジル

北京五輪では当時地元ではメダルが期待されていた中国女子代表に完勝し競技場に静寂をそして私に痛快感を齎したなでしこジャパンの今回の対戦相手は2大会連続銀メダルを勝ち取っていたブラジルだった。
そのブラジルのスタメンフォーメーションは1次リーグとは異なるもの。それまで3バックで Cristiane, Malta の2トップに Farmiga をトップ下に置く布陣だったのが 4-3-3 の布陣。 まず攻撃的に、なでしこから先制ゴールを奪うというゲームプランか?それは五輪前のフランス戦を見ての作戦か?

                   GK 1 Andreia

    2 Fabiane     14 Bruna     5 Erika      12 Rosana

         13 Franceielle          16 Renata Costa

                     8 Formiga

        10 Marta       9 Thais       11 Cristiane

            17 大儀見          11 大野

      9川澄                            8 宮間

             6  阪口          10澤

    5 鮫島         4 熊谷      3 岩清水      2 近賀

                     GK 1 福元




英国戦からスタメンを2人替えて来た。英国戦では起用されなかった Fabiane が右SBでスタメンに起用され、3トップながらも Farmiga がCHFで起用された。そしてベテラン MF の Rosna はベンチスタートだった。
なでしこは GK 福元をはじめ7人の選手を入れ替えというよりもレギュラー選手に戻しこのブラジル戦に備えた。

3トップ全開のブラジルだったけど....

試合は37秒に大野が最初のシュートを放った後はブラジルが支配する展開。 Cristiane はドルブルだけではく上背もある。
3分20秒には澤が Malta を倒して正面でFKを与える Franceille が直接狙ったFKは壁の間を抜けるがGK福元の正面に。8分11秒、 Franceille が入れたCKに左SB Rosana が飛びこむがここはDFクリアーで再びコーナーに。
16分には左から Rosana が上げたクロスに Cristiane がヘッドで落として詰めた Renata Costa にフリーで撃たれるがクロスバーを超えてくれた。 19分には Farmiga の強烈なミドルが飛ぶが福元がパンチで防ぐ。この20分足らずでブラジルの放ったシュートは6本。 Malta がやや中盤に下がりボールをキープし Cristiane, Thais がPA内に侵入してくる。そして両SBが上がって来て何度もサイドチェンジを試みていた。
CK時には福元の前に上背のある Cristiane 、Tahis が遮る様に立つ。数本のCKの後にようやくフィンランド人のジョケラ主審がようやくファールを取ってくれた。



しかし20分少し前になると今度はなでしこが連続してシュートシーンを見せる。22分には澤のスルーパスが川澄に通り粘って大儀見に折り返し大儀見が放ったシュートはブラジルDFに当たり跳ね返りを大野がシュートに持ち込むがバーを越える。しかし見事な波状攻撃だった。23分24秒は左サイドからのパスを受けた宮間が Rosana をかわして放ったシュートはポストの右に僅かに外れる。 25分にはMalta のハンドで得たFKを宮間が絶妙の位置にピンポイントで入れて走り込んだ大儀見がヘッドですらすがシュートはクロスバーを越えて行く。これでシュート数が6対6で並んだ。
なでしこはワンタッチパスが多くブラジルDFが翻弄されるシーンが続くが、ブラジルはワンタッチパスが無くボールを受けるとドリブルに自身があるのが球離れが悪く、次第になでしこDF陣にボールを取られる様になって来た。
そして27分中盤左サイドでFKを得ると澤がすぐさま縦パスを送る。するとそこに走り込んだ大儀見がそのままドリブルでPA内に侵入し追いかける Erika, Franceielle がマークに入る前に放ったシュートがブラジルゴール右隅に決まり日本が先制ゴールを決めた。 この澤のプレーはまさにブラジルのお株を奪うプレーだった。そしてあれだけ攻めまくっていたのに失点を喫した事はブラジルにとってショックだったに違いなかった。

そしてそれ以降なでしこの選手達はブラジル選手にボールが入るとすぐさま2人、3人と囲い込みが早くなりボールを繋がせない。 32分には late play で Cristiane が鮫島をファールで倒すなど焦燥感が募っていた。 ファールをする事により日本ボールとなりプレーが止まるのでそれはブラジル自身首を絞める事となった。 ブラジルは1次リーグではファールが37あり準々決勝進出8カ国ではワースト記録だったらしい。 
36分にはゴール前でブラジルがFKを得る。それを Malta が直接狙いクロスバーを大きく越えるがちょっと直接狙う距離ではないと思った。それだけ焦っていたのかもしれない。
前半30分以降にブラジルは4本のシュートを放ち前半だけで12本のシュートを放ったが(日本は7本)日本ゴールネットを揺らせなかった。 

後半に入り48分 Malta が阪口を倒して警告を受ける。まだ焦る時間じゃないのに、と思う。それとも無得点に終わった英国戦の流れを案じたのだろうか?それでもシュートを放つのはブラジルばかり。後半だけで Cristiane は6本もシュートを撃った。63分にはアーリークロスの中央からほぼフリーでヘッドを撃たれる。一瞬やられたと思ったが弾道はクロスバーを越えてくれた。岩清水が身体を入れて万全の態勢では撃たせなかった。 この試合、 Malta,  Cristiane をバイタルエリアでマークに付き思う様なボールコントロールをさせなかった。
そしてなでしこは大儀見を残してみな中盤に下がり守備を固める。 73分中盤で日本ボールになると大儀見が左サイドを上がりそこに一発のパスを入る。大儀見がサイドを上がり中央に走り込んだ大野に入れると落ち着いて Erika のマークをかわした大野がブラジルゴールに蹴り込み試合を決めるゴールを決めた。これが後半なでしこが撃った2本目のシュートだった。この試合大儀見そして大野の2トップが得点を決めたと言う事となった。

2点差を付けられたブラジルベンチは80分右SBの Rosana を下げて Ester を投入し85分には MF Renata Costa を下げて Graiella を入れて総攻撃を掛けるが中盤でボールを持ってもなでしこのマークが早いので前に運べなかった。Cristiane や Malta がボールを持っても直ぐに囲まれてしまいそれ以上何も出来なかった。
そしてタイムアップ。 なでしこが2大会連続で五輪準決勝進出を決めた。何よりも評価されるべきは4試合連続で無失点と云う事だろう。

翌日のブラジルの新聞から....

この敗戦は次回五輪のホスト国となるブラジルにとってはショックだった様だ。

Marta diz que eliminação da seleção brasileira de futebol foi injusta
ブラジルが負けるなんてアンフェアーだ。 Marta は語った

私からすればこの結果はアンフェアーだ。何故ならブラジルより日本の方が良いプレーをしていたからだ。日本戦は最高のパフォーマンスを見せた。しかしゴールを許したその二回だけ注意を怠った。 “
2016年のリオ・デジャネイロ五輪時には30歳になる Malta だが次回の五輪に就いては、“フィジカルがフィットしていてまだ体力があれば考えても良いが、後進を若い選手に譲らねばならない。




また昨年ワールドカップで優勝したここ数年の日本に就いて Cristiane は “長期プランにおけるチーム造りの結果今日の日本がある。何年もかけて試行錯誤の後に今やワールドカップ優勝を果たした。 この日の日本が行った様に、何故我々が出来なかったのだろう?我々には才能のある選手がいるが、それだけでは不十分だ。” と話しており、ブラジルには日本の様な強化プランが見られないと地元紙に語っていた。

          

Brasil é eliminado pelo Japão nas quartas de final
ブラジルは日本の準々決勝戦で敗れ五輪5大会目で初めて準決勝に進めなかった  O Globe

女子サッカーが五輪に採用されて以来初めてブラジルは準決勝に進出出来なかったと言う事が書かれていた。

Emocionada, Marta coloca em dúvida sua presença nos Jogos Olímpicos de 2016
Mata  2016年五輪には言及せず

Cardiff での日本戦に敗れた後に 2016年リオ大会の参加に就いては何も言わなかった。
“今回、我々は万全の準備を持ってここに来た。 しかし今は何かを替えなければならないだろう。そしてそれを続けねばならないだろう。4年後自分が五輪でプレーしているかは解らない。しかし五輪メンバーを夢見る少女達が多くいる。 ”この様に涙目で語った。

Mata や Barcello 監督のコメントばかりが日本では紹介されているが Cristiane の様なコメントもあったらしい。

4年後地元開催となるブラジル女子代表の強化はどうなるのだろう?そしてその時なでしこのメンバーは。なでしこは U-20 でもアジアのトップだから大丈夫だろう。しかし今は次の準決勝戦の事を考えよう。

 

次は聖地 Wembley だっ !!

起来〜、起来〜、起来〜、前進、前進、前進

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このオリンピックも中国国歌を何度聴くのだろう?大会中日を過ぎて金メダル獲得数はトップを行く。
子供の時はいつもアメリカとソ連がメダル争いをしていたけど最後は State Amateur で構成されたソ連が金メダル数でアメリカを上回っていた記憶があった。 ヘルシンキ五輪からオリンピックに参加し始めたソ連はアメリカの40個に続く22個の金メダルを獲得し2位に入ると4年後のメルボルン五輪では37個の金メダルを勝ち取り32個のアメリカを抑えて1位に。 4年後のローマ五輪でもソ連の金メダル獲得数はアメリカの34個を9個上回る43個に。しかし続く東京 ( アメリカ36 ソ連 30 ) メキシコ五輪 ( アメリカ45 ソ連 29 ) ではアメリカがソ連を上回る。そして12年振りに欧州で開催されたミュンヘン五輪では東ドイツが台頭して来て事もありアメリカの金メダル数は 33 に激減、ソ連は50に伸ばした。欧州で開催される五輪ではソ連の強さが目立ったがそれは選手亡命の危機が薄いからか? 
だが4年後のモントリオール五輪では東ドイツが40個の金メダルを獲得しアメリカの34個を上回りソ連の49個に続く金メダル獲得数で2位に入った。 Korniel Enderが金メダル4つを勝ち取る等女子水泳で13種目中 らのいた東ドイツは11種目の金メダルを勝ち取り、アメリカの金メダルは最終日の 4 x 100m リレーのみとなった。この時は中学生で最後にアメリカチームが大喜びしているのを憶えている。



この優劣は12年後、東西両陣営が揃った1988年ソウル五輪でも続き36個のアメリカはソ連(55個)東ドイツ(37個)の後塵を拝した。 女子水泳種目で東ドイツのKristin Otto が個人で3つ、リレーで3つのあわせて6個の金メダルを獲得したのを始め14種目中10種目の金メダルが東ドイツ選手で占められたのを憶えている。 



そしてこの翌年誰もが想像しなかった共産圏の崩壊が起こり東ドイツはドイツに吸収され、ソ連は翌バルセロナ五輪こそ独立国家共同体と云う国体で出場しアメリカの37個の金メダルを上回る45個の金メダルを勝ち取ったが、次のアトランタ五輪からは旧ソ連邦は各共和国が独立し、アメリカが金メダル獲得数では首位を走っていた。 そして東ドイツを吸収したドイツはそれほど金メダル数を伸ばせず、むしろ旧東ドイツが前から噂されていた国家での薬物体制が明らかになった。
アメリカに対抗する国として中国が台頭して来たのはシドニー五輪からでこの時はアメリカ(40個)ロシア(32個)に次ぐ3番目となる28個の金メダルを獲得した。
4年後のアテネ五輪ではアメリカが中国が32個の金メダルを勝ち取り40個の金メダルを勝ち取ったアメリカに次いで遂に金メダル数で2番目に上がると前回、2008年、中国は地元開催の北京五輪でアメリカの36個に15個も差を付ける51個の金メダルを獲得する。 競技種目数の違いはあるが、東西両陣営が揃った五輪で1カ国で50個以上の金メダルを勝ち取ったのはソウル五輪のソ連以来であった。
そして今年のロンドン五輪。 大会12日目を終えた時点で金メダル数をみると首位は中国の34個。 次いでアメリカが30個獲得しており序盤なかなか金メダリストが生まれなかった地元英国が12個で3番目に付けている。 そして韓国が12個も金メダルを勝ち取り4番目に付けており、北朝鮮が既に4個の金メダルを獲得している。 ロシアが10個(しかし銀メダル18個、銅メダル20個)しか得ていない。連邦は崩壊したけどかつての勢いは….
日本は金メダルがまだ2個(柔道松本、体操内村)のみだが銀メダル13個、銅メダル14個も勝ち取っておりメダル数だけで言うと5番目である。 

Chinese Taipei, Hong Kong China….

オリンピックで選手達の紹介後に国籍も当然アナウンスされる。台湾や香港の選手はこういうときどう思うのだろう? 女子重量挙げ 53kg で銀メダルを勝ち取った淑浄許 Chun Kuo Hsing は表彰台に上がり国旗が掲揚されるときにどう思ったのだろう。“それは多くの人が思うことだ、たとえそれが容易でないにしても。事実我々は別の国である。 Chinese Taipei は地理的というよりもむしろ政治的な用語。我々は好きではないが受け入れねばならない。それはアスリートにとってはフェアーではない。 我々はそれを説明し、なぜこういう国名と国旗を使っているかを解って貰っている。そしてその国旗を見ているがそれはただ政治的なことだけだ。“ 彼女はそう語った。 
この記事は英国紙で見つけた。 日本の新聞でどこか報道したかな? テレビである中国人が台湾人も香港人もみな中国人。台湾も香港も中国の一部。といって台湾人を怒らせていた。 
1976年モントリオール五輪では台湾呼称問題で開会式の前日に台湾選手団が引き上げてしまった。
この五輪、中国は台湾(当時は中華民国と広く呼ばれていた)が参加をすることに抗議し早々と不参加を表明していたが、大会が開催される5年前には既に国際連合総会が中国の唯一の合法的代表は中華人民共和国であり蒋介石の代表である中華民国を即時追放するという内容の国連総会決議2758を採択したことにより、中華民国は国連脱退を宣言していた。
そして1970年にカナダは中国と国交を樹立したことをはじめとして、中華人民共和国は西側諸国との関係改善を続け、中華民国とこれらの国との国交断絶が相次いだ。
そしてモントリオール五輪で、開催国のカナダは、「R.O.C.=中華民国」の呼称とその国旗である青天白日満地紅旗を使う限り、台湾からの選手団を受け入れられないとの方針をとった。IOCは1969年に交わした取り決めに反するとして非難したが、カナダは態度を変えず、この問題によりモントリオール開催の中止も検討された。IOCが示した「台湾」という呼称を使い五輪旗を掲げる妥協案を台北の中華奧林匹克委員會(R.O.C.オリンピック委員会)は受け入れず、アメリカでカナダ入国を待っていた選手団を呼び戻した。 モントリオール五輪が開催される前年に蒋介石はこの世を去っていた

永遠に経済大国であるという幻想に酔っ払っている政府、役人そして大企業のえらいさんはいつになったら夢から覚めるのでしょう? がんばれ石原東京都知事!



他国の金メダルまで取るなよ….
大会序盤カザフスタンの女子重量挙げ選手が金メダルを連取した。 しかしこの金メダルも中国に帰属するものであると中国では報道されたらしい。

重量挙げ女子63キロ級で金メダルを獲得したマイア・マネザ(カザフスタン)。一方的に“中国出身”と主張され、当惑しているという(ロイター)
 【北京=川越一】ロンドン五輪の重量挙げ女子で金メダルを獲得した2人のカザフスタン選手について、国営新華社通信など中国メディアが「中国人」だと言い張り、物議を醸している。2人は中国メディアが主張する「国籍変更」を否定。他国の金メダルまで中国に関連付けようとする姿勢に、中国国内でも失笑が起きている。
 「中国人」とされているのは、53キロ級の金メダリスト、ズルフィア・チンシャンロ(19)と63キロ級を制したマイア・マネザ(26)。中国メディアは、2人とも中国語ができ、それぞれ「趙長玲(または趙常寧)」「姚麗」という“本名”を持っていると報じている。
 ロンドン五輪公式データでは、チンシャンロはカザフスタン最大の都市アルマトイ出身。清代に中央アジアに逃れた回族の末裔とされる東干族で、伝統的に中国語を話すことができるという。マネザは、彼女自身によると、キルギス生まれで両親とともに10年ほど中国で暮らした経験がある。
一方、中国メディアによれば、チンシャンロの出身地は湖南省の山村。マネザは遼寧省で生まれ育ち、後にコーチに従って湖南省に転籍したという。ともに、競技の普及計画によりカザフスタンに送り出されたというのが中国側が唱える説だ。マネザは「中国で重量挙げの練習をしたことはない」と反論している。
 中国メディアは、マネザに中国語での取材を拒絶され、英語で質問するよう要求されたことに憤慨。「祖国を裏切った」と批判し始めた。ただ、中国のインターネット上では「裏切り」という表現をいさめる声が多い。「汚職にまみれた指導者の下、どれだけの選手が埋没しているのか」などと逆に中国に批判の矛先が向かう結果を招いている。

53kg級でジャーク131kgの五輪記録で優勝したザフスタンの Zulfiya Chinshanlo はカザフ語ではЗүлфия Чиншанло; ロシア語ではЗульфия Чиншанло と表記されるらしく趙常寧 Zhao Changning という中国名も持っているらしい。
1993年7月25日にカザフスタンの首都アルマートィで生まれたとされているが中国メディアは湖南省永州市の生まれとしているらしい。 新華社通信は Chinshanlo は中国で育ちロシア語よりもカザフ語よりも中国語を流暢に話すと報道し、彼女は2008年に湖南スポーツ省の容認を受け 63kg 級で金メダルを勝ち取ったMaiya Maneza と共にカザフスタンに移民したとされている。

Zulfiya Chinshanlo は韓国・高陽で開催された2009年の世界選手権で 219kg ( ジャーク 129kg スナッチ90kg )の記録で中国Chen Xiao Ting の記録を 1kg上回って優勝。翌年、広州で開催されたアジア大会でも 219kg の記録を出しながら中国の Li Ping が230kg ( ジャーク127, スナッチ103:WR ) の世界記録を出して優勝を果たした。そして翌年、パリの世界選手権では今度は Chinshanlo がジャークで130kgの世界新記録を出して 227kg で優勝した。
ロンドン五輪ではジャーク131kg の五輪記録、トータル226kg で金メダル。2位は台湾の淑浄許に7kg差( 219kg : 96, 123 ) をつけてた。 中国からエントリーされたのは Chen Xiao Ting も Li Ping でも無くて周俊がエントリーされ記録無しに終わった。

国際重量挙げ連盟及びロンドン五輪の公式登録では彼女はカザフスタ国籍としているのであるが2009年の世界選手権、2010年のアジア大会で彼女は新疆で2年間中国語を勉強した経験から中国人記者やマスメディアに中国語で
インタビューに答えていたことがあったらしい。それが彼女の“出生”に枝葉が突き出した発端になったらしい。
そしてロンドン五輪で金メダルを勝ち取ってからは多くの中国メディアが彼女は中国湖南省永州で生まれ育った、大会の1週間ほどまえに湖南省スポーツ省役人で元重量挙げのナショナルチームのコーチであった 馬文輝Ma Wenhui 氏が語ったとされる2008年の始めにカザフスタン側の要望により選手を5年間に渡り移民させたと云々という話を引用し始めたらしく、 Chinshanlo はカザフ人のふりをして暮らしていると言われ始めたらしい。
そして Chinshanlo は“もし自分が中国人だったら、こういうチャンスはなかっただろう。”と語り中国側で増大するこの問題については“非常にプレッシャーがかかりどうしていいかわからない。”と困惑しているとの事であった。



Maneza は63kg 級で2010年アジア大会でも 241kg ( 135, 106 ) で 韓国Kim Soo Kyng 240kg ( 133, 107 ) 中国Chen Aichan 233kg ( 125, 108 ) らを抑えて優勝している。
彼女は世界選手権では滅法強く 2009年は246kg ( ジャーク 141 スナッチ 105 ), 2010年は248kg ( ジャーク 143 スナッチ 105 ) で連続優勝を果たした。2011年は248kg ( 139,109 ) を出すも、ロシアの Svetlana Tsarukayava 255kg ( 138,117 ) の後塵を拝したもののロンドン五輪では 245kg (135、110 ) の五輪記録でTsarukayava 237kg ( 125, 112 ) を破り見事金メダルを勝ち取った。 

国際重量挙げ連盟の公式記録では彼女は旧ソ連邦キルギスタン Tokmok で生まれ北京に長年住み2007年にカザフスタンに移民したことになっているが中国メディアは Maneza は元々中国籍を持っており姚麗という名前で遼寧省の阜新市の新蒙古族の自治区である富子村で生まれ育ったと報道されており、2002年遼寧省チームに入り2006年に湖南省チームに移ってからカザフスタンに移民したとも報道された。

しかし Maneza 自身はその報道を否定しており“私はキルギスタンで生まれた。中国では重量上げの練習など一切していない。両親と一緒に中国に10年ほど住んでいたが私のハートはカザフスタンにある。”と答えている。 

あれだけ金メダルを取り続けながらまだ他国の金メダルも取りたいのだろうか???

Zulfiya Chinshanloが出場した53kg級では上述したが中国人選手の選出において問題が発生しているらしい。Chen Xiao Ting でもなく Li Ping でもない周俊が選ばれた背景が見え隠れする。

中国五輪チーム内に“いじめ疑惑” 関係者は火消しに躍起
2012.8.1 06:52 [中国]
 【北京=川越一】ロンドン五輪の重量挙げ女子53キロ級で記録なしに終わった中国の17歳、周俊に対するメディアの心ないバッシングが、国民の批判を浴びている。チーム内での“いじめ”疑惑も浮上。関係者らが火消しに躍起になっている。
 周は7月29日の試合で、スナッチの試技3回すべてを失敗。ジャークの試技を行うことなく敗退した。重量挙げは中国のお家芸の一つだけに、一部の中国メディアは「恥辱」などと表現した。
 実は周の選出には出身の湖北省体育局の利益が絡んでいた。同局は、選考会で勝った同省の選手よりも周が金メダルを獲得する確率が高いと踏み、代表に押し込んだ。
 試合では自己ベストよりも軽い重量から始めるのが鉄則だが、コーチは練習で挙げているギリギリの95キロからのスタートを指示。最初の失敗で動揺すると、経験の浅い周は修正できなかった。
 背景が明らかになると、インターネット上で周への同情論が高まった。メディア側は慌てて謝罪文を掲載。選手村では相部屋だったベテランの王明娟を1人にさせるため、リビングルームで寝かされていたとの報道も流れた。
 国営新華社通信によると、関係者は「試合前日は1人で眠り、しっかり休ませるのが中国チームの伝統だ」と説明。周の試合前日には、王がリビングルームで就寝したなどと、“いじめ”を否定した。


中国でも出身地により差別があるということは聴いてはいた。
しかし選手達の引退後はどうなのだろう? 1960年代〜70年代に女子体操でメダルを独占し続けていいた旧ソ連の女子選手達の引退後は誰もがいい生活を送っていたのではないらしい。 
メキシコ五輪個人総合であのチェコスロヴァキアのベラ=チャフラフスカに次いで銀メダルとなったソ連のZinaida Voronina はアルコール中毒に悩まされ同じ体操選手だったご主人の Mikhail Voronin と32歳の時に離婚。その後工場で働いていたがある中は克服できずそれが原因で2001年に53歳で亡くなっている。 
ミュンヘン五輪で個人総合金メダルだった Tamara Lazakovich も引退後はアル中に陥り窃盗罪で逮捕されたりし長年刑務所に入り1992年11月、38歳で亡くなっている。 そして同時期、ミュンヘン五輪では平均台、床運動で金メダルを取り、段違い平行棒で脚が床についてしまうという失敗さえ無ければ個人総合も金メダルのはずで、モントリオール五輪でも団体金メダルのメンバーでミュンヘンの恋人と言われ大人気を誇った Olga Korbut は1991年にアメリカに亘った後に離婚を経験し再婚をするも2002年 US$19.35の万引きをしたとのことで逮捕され本人は否定するも最終的に US$600 の保釈金を払い釈放されたらしい。
そして彼女は現役時代コーチのセクハラに悩まされたことを1999年にプラウダに告白。「コーチの暴力を恐れ、抵抗することができなかった」と語り、セクハラ被害は数年間続いたという。他の女子選手も同様の被害を受け、刑事告発騒ぎまで起きたことを明らかにした
メキシコ五輪平均台で金メダルを勝ち取ったNatalya Kochinskaya は引退後も地元で体育教師をするなど堅実な人生をおくっているらしいが、ソ連邦崩壊後にある雑誌で“自分を含めた体操選手達の人生は厳しかった。 五輪が終わって引退後普通の学校生活に戻れない。他の女の子が読んだ本や見たことのある映画なんてまったく知らなかった。”そう語っていた。


1978年ストラスブールの世界選手権個人総合で優勝しモスクワ五輪でも金メダル候補だった Yelena Mukhina は五輪直前に首の骨を折る重傷を負い重度の身体障害を抱えた。その後懸命のリハビリを続け1984年には24歳で大学を卒業し、IOCから勲章を授与されるなどしたが2006年に亡くなった。その原因は明かされていない。もし彼女がモスクワ出身でなかったら負傷後こんなに立ち直れなかっただろう。



1970年代後半にコマネチの好敵手として活躍したNellie Vladimirovna Kim はモントリオール、モスクワ五輪で団体、個人合わせて
5個の金メダルを勝ち取った。彼女はその後順調な人生を歩み韓国や南アフリカの代表チームのコーチを歴任し国際体操連盟(FIG)・女子体操技術委員会長のポストに着いている。Nellie KimやKochinskaya 彼女の様な人生を旧ソ連邦の体操選手が引退後歩んでいるのは非常にまれなことなのであろう。
しかし Nelie Kim は名前から解るように父親は朝鮮系で母親はタタール人で生まれはタジキスタン。その後もしソ連邦が崩壊していなかったらその出自から今の様なポストに着くことは困難だっただろう。 



スポーツ選手は引退後が長い。だからその後の人生が…..この様に納得するのはオリンピックなんて夢のまた夢だった挫折者の負け惜しみなんだろうなぁ〜 





サンガ首位戦線に。そして隔世の思い。  東京ヴェルディ 0-1 京都サンガ 12th August 2012

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蒸し暑かったこの日。吉田寿光主審の試合終了を告げるホイッスルが味の素スタジアムに鳴り響いた。

よ〜〜っし。ナイスゲェェェ〜ッッッッム 。私はロンドン五輪男子サッカーで銅メダルを逃したというよりも韓国に敗れた悔しさを少し晴らす事が出来た。と思った。 しかし2位のベルディを破ってのこの勝利はサンガにとって大きな勝利。 これで第29節を終わって首位を行く甲府から勝ち点4差、勝ち点52で順位を6位から4位に上げた。同じ勝ち点52には他にベルディとベルマーレがいる。

昨シーズンは天皇杯決勝に進出するもJ 2League では7位に終わり2シーズン連続でJ2でプレーする事となってしまったのだ。
今シーズンは出だし好調で開幕戦から湘南、千葉と云った昇格候補チームを連覇する等一時は首位に立つも第12節の富山戦から19節の千葉戦迄7試合で3分4敗と急ブレーキがかかった。そして以降4連勝を続けているが対戦相手は熊本、愛媛、町田、鳥取と中位のチームが相手。自動昇格、首位戦線に残る為には上位を走る東京ベルディには絶対に勝ちたいところであった。

そして東京ベルディであるが…ベルディサポーターには失礼だけど、本当にどうしてしまったのだろう?と心配してしまう。
日本リーグ時代、1978年に1部リーグに昇格しいきなり4位に入り以降は日本リーグを牽引して来た。 80年代の後半、日本リーグでの読売クラブ対日産自動車戦はゴールデンカードで当時でも他の試合の2倍以上は観客が入っていた。(と言っても2,000人から多くても3,000人くらいだったかなぁ。) 
J League が発足する前年、日本リーグの最後シーズンの最後の試合、読売クラブ対日産自動車の試合は2万人近くの観客が国立競技場に集まったんじゃ無かったかな?今でも当時の読売対日産に試合を生観戦出来た事を幸福に思う。

1993年5月15日に待ちに待ったプロサッカーリーグ J-League が遂に始まった。開幕戦はベルディ対横浜マリノス。 この試合も現場観戦できると言う幸運に恵まれた。 その開幕戦こそ敗れたもののラモス、KAZU , 武田、北澤、柱谷哲二、ビスマルク、菊池新吉らのいたベルディは強かった。 他のチーム、そしてサポーター達からは常に標的になる程強かった。 

しかし栄光は長く続かなかった。 1997年にビスマルクが退団すると急速に弱くなった印象がある。そして推定3億5千万円の破格の移籍金で入団して来た前園は機能せず、シーズン末にはチームの呼称問題から渡辺恒雄御大と川渕チェアマンとの代理戦争の様な形で読売新聞社と読売ランドが経営から撤退しチームの財政事情が一転。チームの主力選手であった柱谷哲二やKAZUと云った高給取りを次々に手放さねばならなくなり優勝争いに絡めないチームとなってしまった。

2004年に天皇杯で優勝を飾ったが2005年には遂にJ2に陥落。 ラモスを監督に据えるなどしたがすぐにJ1昇格は2008年のシーズンまで待たねばならなかった。しかし3シーズンぶりに復帰した2008年のJ1は甘くなく、川崎にレンタルしていたフッキを復帰させたがわずか3カ月でFC Porto に移籍されてしまうなど戦力が整わず1シーズンでJ2に戻ってしまった。

そして再び陥落したJ2でも3シーズン連続で昇格争いに絡めなかった。 かつてはJリーグブームに乗って1試合平均 25,000 人以上の観客動員を誇った人気チームも今昨シーズンは 5,710 人/試合。 まぁJ1に復帰すれば1試合平均14,000 人程度は集められるチームなのだから早くJ1に復帰したいと言うところなのだろうか?

そしてこの日の京都戦も観客数は 4,824 人だった。 お盆休みで帰省する人も多かったと思うけどJ2とは言え昇格争いをするチーム同士の対戦なのでもっと入ると思ったんだけどなぁ〜。

4連勝でベルディ戦に臨むサンガはFW 久保裕也が SBSカップ国際ユースサッカーの U-18 代表に召集されている為にこの遠征には帯同出来ず宮吉のワントップ。 ただ裕也はまだ今シーズン1ゴールしか決めていない。
ベンチにはスーパーサブ原一樹が控えるけどもっとスタメンで使って欲しんだけど。これまでスタメン起用は3度。ここ3試合は起用されていない。 大木監督はしばらくワントップを敷いているからなぁ…

CBには染谷とバャリッツァが。安藤淳は右SBだった。

前節富山を 1-0 で降したベルディはDFラインと中後、柴崎のボランチは同じメンバーだったけど前線をトップ下の和田以外の3人を替えて来た。これまで14得点で得点ランク2位の阿部拓馬が出場停止明けで帰って来た。ベルディ首脳陣としては前節富山戦から怪我で離脱した西紀寛が還ってくるまで何とか上位に踏みとどまりたいところだろう….
ホームのベルディが写真付きで紹介されるが右SBの森勇介が紹介されるとサンガサポーターからはブーイングが飛び左SBの中谷勇介が映し出されると拍手が沸き上がった。 

 




                                  GK 1 土肥 

       19 森勇介       21刀根        4 高橋       6 中谷  

                  8 中後              7 柴崎

       14 小池      22 和田       15飯尾  

                    9 阿部

                   13 宮吉 

        22 駒井     23 充孝        10 工藤  

          15 中山               4 秋本  

     16 福村   20 バヤリッツァ  3 染谷    8 安藤  

                   GK1 水谷

 

京都のキックオフで始まったゲームは開始早々はベルディが押してくる。 阿部のボールキープはなかなか取れない。 3分にはCKを与え最後はGK水谷がエリアの外に出てようやくクリアーする。 7分には阿部にボールが入りバヤリッツァがファールで止めてFKを与えるがそのFKは水谷がパンチで弾き出す。 立ち上がりのベルディは阿部が左右に動いてボールを受けると2列目の3人がどんどん押し上げて来きてはサンガDF陣が身体を張って何とか止めていた。 

ようやく13分、京都は宮吉がドリブルシュートを見せる。惜しくもポストの左に外れて行ったがその前にDFに当たったのかCKとなった。
しかしそのCKからカウンター攻撃に結び付けられ和田からの縦パスを受けた阿部がシュートに持ち込むがここは水谷がファインセーブでストップ。 何とか阿部は止められないものか….と不安になる。

サンガは連敗中(と言ってもテレビで2試合ほど見ただけであるが)はボール繋ぎに固執するあまり片方のサイドに選手が集まり相手チームはボールを奪うと逆サイドに振りそこからカウンター攻撃を仕掛け得点チャンスを見出していた。 
この試合もそれが心配だったんだけど…..しかしヴェルディの阿部の動きの方がこちらには心配を増長させていた。
14分にはカウンター攻撃を受け最後は工藤が阿部をファールで止める。そしてイエローが出された。 23分にはバヤリッツァが相手の攻撃をファールで止めて嫌な位置でFKを与える。そのFKから繋がれ最後はGK水谷までかわされたがサンガDF陣は必死のカバーでゴールを割らせない。 そしてこの時間帯から阿部がサンガの右サイドをどんどん突いて来る様になった。そこにCBのバヤリッツァが釣り出され2列目真ん中の和田が前線にせり出して来る。 
29分には左サイドに流れた阿部が上げたクロスに和田が飛び込むが中山と福村が必死に身体を寄せ良い態勢でヘッドを撃たせなかった。 その後もなかなかシュートに持ち込めないサンガとは違いヴェルディがこちら側に、サンガゴール側に押し寄せて来るシーンが続く。
41分には中谷が左サイドを上がり入れたクロスに和田が飛び込むが福村が競ってなんとかCKに。 そのCKに再び和田にヘッドであわされたがここはシュートが外れてくれて胸をなでおろした。 そして前半終わりころになるとヴェルディはロングボールを多用してサンガの左サイド、福村の後ろにボールを入れて来た。 しかしここは福村、そしてバヤリッツァが身体を張って攻撃を凌いだ。3分あったロスタイムも過ぎ前半は両者無得点で終わった。 



高温多湿の中でも試合、選手の疲労度は、そしてどれだけスタミナが残っているのか…..それにしても荒れたピッチだなぁ〜と思った。 ほぼ全日程を終了したロンドン五輪。 2020年東京五輪を再び誘致しているが実現すればここでサッカーは行われるのだろうか?と荒れたピッチを見ながら思った。 そうなったらサッカーの試合をどんどんハシゴしたいなぁと思ったけど日本人は世界でも屈指の五輪好きな民族なのでどんな試合でもチケット入手は厳しいだろうなぁ〜、2002年のワールドカップの時の様にと思った。

後半何とか打開策は、と思うも48分カウンター攻撃から阿部にフリーで抜け出される。あぁやられた!!と思ったら福村が後方からタックルで阿部を倒してストップ。 あぁ、このプレーは….と思った通りに吉田主審は一発レッドを福村に出した。 あぁ〜福村退場かぁ〜。 彼がいてもあれだけピンチを招いていたのに、いなくなると….と気分が重くなった。しかもFKは非常にいやな位置。このFKはヴェルディがトリックプレーを使ったけどシュートは大きく外れてくれた。 

このプレーが終わるや否や、サンガベンチは宮吉を下げて酒井隆介を投入し左SBに入れる。そして中村充孝をややワントップ儀見に上げるが実質ゼロトップと言えた。 そして楽しみにしていた原一樹を見られる可能性はこれで激減したと思った。
1人少なくなったサンガ相手にベルディは小池と飯尾がワイドに開きボランチの柴崎と中後がどんどん上がって来る様になった。中盤に人数を掛けられサンガはボールが繋がらなくなってくる。 51分には和田から阿部に縦パスが入りシュート体勢に入られるがバヤリッツァが必死のクリアーでなんとかCKに逃れた。 
62分には中盤で工藤が接触プレーで倒れて起き上れない。ここで工藤がピッチから消えたらちょっとこの試合は….と思ったけど何とか戻って来てくれた。 しかしこの直後に我々が狂喜乱舞する。 中央で起き上ったばかりの工藤からボールを受けた充孝が狙いすまして放ったミドルが低い弾道でヴェルディゴールに向かって飛びGK土肥が右に倒れ込むもその下を掻い潜ってヴェルディゴールネットに突き刺さりサンガの先制ゴールとなった。 ゴール裏に陣取る我々の方に向かって飛んできた弾道は見事一言。 劣勢の中での素晴らしい先制ゴールであった。 

ビハインドを負うベルディベンチは 68分 中後に替って元日本代表、184cmの巻誠一郎が投入され阿部と2トップに。そして和田がボランチの位置に下がった。 74分には中谷が下がり梶川が。おそらく3バックにして中盤に入ったと思われた。 

しかしここから駒井のドリブルが冴え出し、対峙する小池を振り切るシーンが。77分には充孝が駒井とのパス交換から抜け出しシュートの持ち込むが梶川に倒される。しかしホイッスルは鳴らなかった。 PKだと思ったんだけどなぁ….

ピッチの上では選手達が給水するシーンがだんだんと増える。 相当な暑さだろうなぁ。やっぱしサッカーは冬にしないとなぁ….
こうなると運動量というよりもロングボール主体のゲームにどうしてもなるだろうぁと思った。

 

78分にはベルディMF小池が下がり19歳のFW南秀仁が入る。これで前線は3トップか?サンガベンチは79分に中山博貴が下がり内藤、83分に工藤が下がり倉貫が入るが共にMF陣をフレッシュにする交替。 これで中盤の運動量が相手より勝る様になり更に駒井のドリブルが冴える様になってきた。87分には相手DFを2人かわして素晴らしいドリブルシュートを放つも3人目のDFに当たってCKに。 終了直前にも駒井が粘って内藤のシュートを引き出すもGK土肥がストップ。   
ベルディは巻の長身を生かすべくロングボールをもっと多用するかと思われたけどそれほどでもなかった。

そして5分あったロスタイムも過ぎ、吉田主審のホイッスルが鳴り響いた。
立ち上がりから押されっぱなしで、しかも退場で一人失うも先制ゴールを決め後はしっかりと守り追加点のチャンスも作った…
会心のゲームとは言いにくいけど2位のヴェルディ相手に貴重な勝ち点3を上げる事が出来た試合だった。



ヴェルディのホームでの連勝記録は7でストップした。

 

そしてサンガは翌週の横浜FC戦でも 2−1の勝利を納め2位に浮上して来た。 この試合あの King Kazu がスタメンだった。

まだ今シーズンは10試合以上残っている。 しっかりと勝ち点を積み重ねJ1に復帰して欲しい。

それが切なるサポーターの願いだ……  しかしオリンピック終わって気が抜けてもうたわ…..

 

旧友達との再会  第43回全国中学校サッカー大会    高槻九中 1-0 総社東中  19th August

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やっと見に来る事が出来たなぁ…..

我が母校、大阪府高槻市立第九中学校はサッカーの名門。 今年も3年連続で全国大会出場を決めてくれた。
今年の全国大会はてここ関東地方の茨城県で開催された。 ようやく九中サッカー部の全国大会での試合を見られる事が出来た。 前のブログで書いたけど私はサッカー経験者ではありません。 中学、高校時代は水泳部。そして大学に入って陸上競技を始めた。 中学のサッカー部は超が付く程の強さ。1学年上の先輩達が全国大会に出場した。同級生達も強かったけどさすがに2年連続は….と思っていたけどあれよあれよと勝ち進み遂に2年連続での全国大会出場を果たした。
ある3年の7月の試合だった。運動場でまたサッカー部が試合をしている。 まぁどうせ勝つんだろう?と思って見ていた。
圧倒的に試合内容で押しまくりながらなかなかゴールが決まらない。 終盤GKと1対1になるチャンスがあった。しかし、グランドに脚を取られてシュートをミスった。 おいおい、と思った。当時は土のグランドだったからなぁ〜。そしてPK戦にまで縺れ揉んだ。
最初のうちの中学のキッカーが外してしまった。見ていた女の子や同級生達からは驚愕の悲鳴があがった。あいつが外したのか?
しかしGKが頑張って相手のPKを止めてこの試合は何とか勝った。 そして最初にPKを外した奴とGKが抱き合っていた。
なんだ、やっぱり勝ったんじゃないかぁ….と思った。 しかし、今から考えればもしGKが頑張って相手のPKを止めなかったら、彼らの全国大会は無かったのだった。 それは後になって思いだして解った…

当時私はサッカーが大嫌いだった。 理由は簡単、強いサッカー部を妬んでいたからにすぎない。 女の子達は強いサッカー部や練習試合で勝った事さえない野球部員にキャーキャー言っていた。 我が水泳部だった高槻大会総合2位の実績であったがサッカー部の栄光にはとても太刀打ちできない。 
中学を卒業してもいつの日かスポーツで成績を上げて女の子達にもてたいなぁ〜っと思い、全国大会に出場するサッカー部はやっぱし過ごいんやなぁ〜と常に思っていた。

高校に進学して続けた水泳はさっぱりだったけど大学で始めた陸上競技はあっという間に強くなりついに全国大会、日本インカレの出場権も手に入れた。 初めてインカレの出場権を得た時は中学校のサッカー部に追い付いたと思い嬉しかった。 そして自分は彼らが中学時代に全国大会に出場したのを見たからここまでこれたんだと思った。 今では妬んでいた彼らを本当に感謝している。

母校の試合の前に行われた試合を観戦した。 東北学院中学対鹿児島育英館中学。 共に私学同士の対戦だ。
中学生の試合を生観戦するのはほぼ初めてだ。 やっぱり中学生。高校生とは絶対的な体力、パワーの違いがある。 ボールの飛ぶスピード、距離が違う。そして遠くに蹴る時にはどうしても“せ〜の”と反動のタイミングが入って来る。 
試合は東北学院が早々と先制するとすぐに育英館が追い付く。だけど同点ゴールはちょっとGKのミスっぽかった。
以降はどちらかと言え育英館がボールを繋ぐのだけどシュートに迄は持ち込めない。
そして東北学院が追加点を上げる。右サイドで得たFKを中央でヘッドで合わせて育英ゴールに叩きこんだ。
ヘッドも見事だったけど東北学院の14番のFKが素晴らしかった。



この14番の選手が他の選手よりも能力が頭一つ上回っていると思い、彼のプレーに注目をする事に。 実際にボールの繋がりが今一つの東北学院であるが14番にボールが入った時は何かが起こりそうだった。 
鹿児島育英館はこちらも右サイドの14番の選手が切れのあるドリブルを見せる。しかしボールは繋がるのだけどゴール前での正確性がやや欠けていてシュートに持ち込めない。  そうして追加点を上げるのは東北学院で更に2点を追加し 4-1 となった。 試合内容はそんなに変わらないのに。やっぱりサッカーは相手ゴールにシュートを決める数を競う競技と再確認してしまう。
後半、水飲みタイムを過ぎると鹿児島育英館の14番が中央に入って来る。 東北学院も疲れが出て来たのだろう、14番そして育英館FW陣を捕まえられない。 ここで頼りになったのが東北学院のCB背番号15番。 この15番体格も大きく今はあまり聞かれないストッパー的な役割をしPA内に侵入する選手を止めていた。  
試合終了時間が近づくが鹿児島育英館も何とかもう1ゴールを必死にボールを前に運ぼうとする。この炎天下、中学生をこんなに走らせて大丈夫かと思う。 しかし2点目は生まれず東北学院が 4-1 で勝利を納めた。 
両チームの選手とも丁寧に挨拶をし、御父兄方々からも温かい拍手が。
35年前同級生達が全国大会に出た時はどれだけの人が見に来たのかなぁ〜と思った。 
敗れた鹿児島育英館の選手達も多くがそのまま付属の高校に進学し同じメンバーでサッカーを続けるのかなぁ….と思った。そういう意味では私学は良いかもしれない。 サッカーのスキルアップも同級生と続けられると言う事も。



母校の試合迄1時間以上あるのでとりあえず清涼飲料水の自動販売機を探す事に。 競技場には屋根が付いていないのでこんな炎天下試合を見るのも大変だけどこんな試合をする方も大変だなぁと改めて思った。

少しぶらついていると母校でコーチをしている同級生とほぼ30年振りで再会した。試合前の忙しい時間に立ち話をした。
最近は中学生とて私学がスポーツにも力を入れ出し、サッカーも例外ではないらしい。 元Jリーガーをコーチとして雇用したり、特に高校と併設されている中学は施設、設備も充実している。 
彼は“私立だけ別の大会を作って欲しいくらい。”と話していた。 今大会も出場32校中11校が私学。 全国優勝となるとずっと私学が続いている。 高槻九中はこれで全国大会が6度目であるがそれは大阪勢では最多出場とのこと。 母校の様に普通の公立中学が連続して大阪府、近畿地方様な学校の多い地区を勝ち抜くなんて本当に奇跡に近いらしい。それだけに頑張って少しでも長く大会に残って欲しいなぁと思う。
またJリーグが創設されて以来、各チームがジュニア・ユースチームを持つようになってから中体連とクラブチームとの差が広がり始め、今や全国中学校大会はこの年代の最高の大会とは言えなくなっているらしい。それは高校サッカーにもあてはまるらしい。

すると見憶えのある顔が数人、同級生達が高槻から観戦に来たのだった。 懐かしい彼らと色々話しが出来た。 当時の試合の話し何かをしていた。そこには私は入っていけない。改めてサッカー部員が羨ましく思った。 
1人は最近結婚したばかりで奥さんと一緒に来ていた。ずいぶん若々しい奥さんだなぁと羨ましく思った。 1人はまだ独身。こいつは高校でも大阪選抜に選ばれるくらいの選手で女の子には一番人気があったなぁ。 高校の時大阪選抜対京都選抜の親善試合を観に行ったんだぞ、お前が出ていたんだぞというと、そんな試合に出ていた事を憶えていなかった。 おいおいと思った。
1人は家族で柏に住んでいて今は単身赴任で仙台。敬虔な柏レイソルのサポーターらしく、“この前は仙台でレイソル戦行ったンやろ?よくぞ引き分けてくれたってレッズサポーターの息子が言っていたぞ。”と言ったら笑っていた。 昨年、さいたまスタジアムでレイソルが優勝を決めた試合は当然見に来たらしい。水泳部の友人の近況を知っていて驚かされた。 そして1人は今でも高槻在住。今でも中学の同級生達とはどこかでばったり出会うそうだ。高槻も変わったぞ…と言われた。もう何十年離れたかなぁ…..
そして1級上、2級上更に数年上の先輩も。でもサッカー部員で無い私はだれだか解らなかった。 4級上の先輩は今は引退したけど国際審判員も務められたらしい。
そして1級下ではJリーガーだったのも。今では彼も高槻九中でコーチをしているらしい。

そうこうしているといよいよ母校の試合時間が近づいてきた。 午後2時半キックオフであるが太陽が雲に隠れる事もありやや気温が下がったみたいだ。 出来れば良いコンディションでプレーさせてあげたいなと思う。
対戦相手は中国地方・岡山県代表の総社東中学校。前の試合と異なり公立中学同士の対戦だ。こちらが勝手に緊張をする中、キックオフの笛が鳴った。総社東のキックオフで始まった試合、全国大会とはいえ選手は中学生。メンタルな部分がかなり支配する。はやく緊張が解けないかと思う。しかし心配をよそに主導権を握るのは我らが高槻九中。
開始早々14番がヘッドを放ち、9番からボールを受けた11番がシュートを放つ。3分には14番が今度はシュートを撃つがここはGKがキャッチ。 サイドでボールを受けると後方の選手がサイドラインぎりぎりのところを掛け上がったり、ダイレクトパスを繋いだりまたボールを出し受けする選手だけでなく第3の選手の動きが多い。比べるのはよくないが前の試合よりはレベルが高そうだ。その後も 相手PA内に侵入するが大事に行こうとなかなかシュートを撃たず相手DFに身体を入れられてしまう。 
“OB達”からは、立ち上がりなのだからちょっとは強引に行けば…. との声が出る。 しかしシュートシーンも徐々に増えて来る。中には決定的なチャンスも。 
相手ボールになってもパスコースを切ったり中に入れささず外に外にと出させる。
“あの10番が前線に張られた方がこっちは脅威なんだけどなぁ” と同級生の1人が言った。
上背のある総社東中の10番はキックオフ前からどんな選手だ?と警戒していたが以外に中盤に居る事が多かった。 
主導権を握れない総社東ベンチは18分に早々と1人目の交替カードを切る。 
ここで出て来た18番はスピードあるドリブルを見せていた。それでも高槻九中は前半は最後までシュートを撃たす事はさせなかった。 20分にはカウンターから波状攻撃をしかけ11番がシュートを、22分にも11番がドリブルシュートを放つが決まらない。 前半終了間際には14番がシュートを撃つがGKがストップ。 攻勢が続くもあとはこちらがシュートをゴールにいれるだけなんだけどと思った。

 

後半に入り高槻九中は選手を右サイドバックの選手を替えた。その3番が後半開始早々にサイドを上がりそこから波状攻撃を作る。しかしゴールは決まらない。 40分に掴んだCKのチャンスも決まらない。
“そろそろ決めないとちょっと嫌な展開になるでぇ。”後ろに座っていた同級生が漏らす。 
46分またもCKのチャンスを得る。 “ここは決まりそうな気がするなぁ〜。”同級生の1人が呟く。 するとそのCKに飛び込んだ11番がヘッドが総社東ゴールネットに突き刺さり待望の先制点が決まった。 一斉に立ち上がり大歓声を送る。 なかなか決まらなかった11番のシュートがやっと決まった。 やったぁぁぁ〜と云うよりも安心感の方が大きかった。



以降も高槻九中が主導権を握り続け総社東ゴールに迫る。 しかしGKが素晴らしくなかなか追加点が奪えない。 相手DF陣をかわしてフリーでシュートに持ち込むもGKがファインセーブを連発する。 
こんな時心配なのがカウンターから同点ゴールを決められてしまう事。 そしてPK戦に….まだ独身の同級生は2年の時からレギュラーで1級上の先輩に混じり全国大会に出場したけどその試合はPK戦で敗れたらしい。 相手は鹿児島県の桜島中学。そして対峙したのが帝京高校でも活躍し今はたまにサッカー解説もする川添だったらしい…



そう考えていいたらカウンター攻撃を受け最後は8番の選手にシュートを許す。その弾道は大きくクロスバーを越えたけど見ているこちらは一斉に胸をなでおろす。 “ヒヤっとするな〜。”誰かが云った。 私もそう思った。

しかし結局総社東中が放ったシュートはこのシュート1本のみ。 1分あったロスタイムも過ぎ、我が母校高槻九中が見事に1回戦突破を果たした。  

試合終了後、敗れた総社東中学がスタンドに向かって丁寧に挨拶をするのを見てこちらも感動を覚える。
同級生達も“ 偉いなぁ。”と感心する。そしてこの試合一番ボルテージの高い拍手が送られた。 



旧友達とはまたいつか再会したいな…と言葉をかわして別れた。

そして自分が陸上競技であれだけやれた事を今になって良かったと思った。もしそうでなければ私は今でも彼らを妬んでいただろう。こういう場所には出て来なかっただろう。 やっぱり俺は小心者なんだなぁと思った。
でももっともっと練習すればよかったなぁ。そうすれば陸上で、もっと上に行けただろうなぁとも思った。

だけどやっぱりサッカー部員のあいつらは羨ましいなぁとまた思った。

翌日高槻九中は千葉県代表の中学に 0-1 で敗れたと友人から連絡があった。 あぁそうか、残念。 一昨年は準決勝、昨年は準々決勝まで進出した。 同級生達は1回戦で惜敗したけどその相手は千葉県代表だった。 千葉県代表は鬼門なのか?
だけどここまでこれた事は人生の糧になるぞ。 これからもがんばれよ。そして試合に出られなかった3年生、ベンチ入り出来なかった3年生、君たちこそ高校になっても続けろよ。 チャンスはまだまだあるぞ。 

そして高槻九中からサッカー部の活躍に刺激を受けて頑張る中学生が1人でも多く出て来る事を望む。35年前の俺の様に。

だけど俺みたいな半端な人間になるなよ…



ヤングなでしこ日韓対決制して準決勝へ  日本女子 U-20 3-1 韓国女子 U-20 30th August 2012

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昨年ワールドカップをなでしこが制して以来長い閉塞感から抜け出せない日本列島における女子サッカーの見られ方はまさに劇的に変わった。 ロンドン五輪では金メダルが期待された。北京五輪で史上初めて準決勝に進出した事を知るマスコミはほぼ皆無に等しかったのに。 その前から2008年ニュージーランドで開催された FIFA 女子 U-17, 2010年ドイツで開催された FIFA 女子 U-20 更に同年トリニダードドバコで開催され決勝に進出した FIFA 女子 U-17。 どの媒体が取り上げた事があるのだろう? 

ロンドン五輪と入れ替る様に FIFA Women’s U-20 大会が開幕した。 もともとこの大会はウズベキスタンで開催される予定だったが FIFA の基準を満たしておらず開催地が日本に変更された。 選手の、特に20歳以下の女子の大会と云う事を考えれば2年前(ドイツ)や今年の様に先進国で開催された方が圧倒的に良いと思う。

対韓国戦と言えばロンドン五輪の男子サッカー3位決定戦では敗れ、女子バレーボールでは雪辱を果たし、そして三度の対戦となった。李明博大統領の竹島上陸、更に天皇陛下の戦争責任を示唆する非難発言を受けて今日韓関係はかなり悪くなっている。
個人的にはそれを修復する必要はないと思っているし日本が困る事は何も無く早く竹島を実行している韓国軍を追っ払って欲しいと思うところだ。 そしてその感情はもちろんスポーツの世界に持ち込むべきではないと思っている。 多くの人がそう考える様に。

両国は2年前の FIFA U-17 の決勝戦でも対戦しておりその時は韓国がPK戦で日本を降している。 その大会の経験者が日韓共に多くを含んでいるが、ヤングなでしこ達の思い出は準優勝に終わったにもかかわらずみな異口同音に“悔しい思い出しかない”との事らしい。

韓国のスタメンを見ると今大会ずっとゴールを守っていいたGKは FIFA U-17 2010 でも控えGKであった Shim Dambi でなく全ハヌル。FIFA U-17 2010 でレギュラーだった決勝戦ではPK戦で殊勲のセーブを見せた Kim Minah はメンバー入りしていなかった。
CB の金池恵、申譚詠共に 170cm 。申譚詠はU-17 メンバーで張セルギ(左)徐賢淑ら両SBもU-17 メンバー。ボランチは 共にU-17 メンバーであった李定垠と李永周。?の李永周はFIFA U-20 2010のメンバーでもあった。 ワントップの金銀河も同じく 前回のFIFA U-20, U-17 に選ばれたメンバーであった。 2列目には左に U-17 メンバー李金玖と右に崔ユリ。そしてトップ下に1次リーグのナイジェリア戦で負傷して以来出場していなかったエースストライカーの余?智が3試合振りにスタメンに起用された。余?智はU-17 2010 では8ゴールを挙げた選手。 今大会、もしナイジェリア戦での負傷がなければ韓国もグループ首位で抜けていたかもしれない。
ヤングなでしこ達も経験者揃い。 この試合は2列目左で起用された、今大会の“アイドル”となった田中陽子は左SBの愛する高槻でプレーする浜田遥と共に2008, 2010 年のFIFA U-17 メンバー。他にも2年前韓国との決勝戦でプレーした選手が GK 池田咲紀子、右SB高木ひかり、ボランチ猶本、MF田中美南ら4人が含まれており、この試合もベンチスタートとなった仲田歩夢もそのメンバーだった。 他にはボランチの藤田のぞみとCB木下栞がU-20 2010 のメンバーだった。



日本のキックオフで始まった試合は開始そうそう柴田から西川にスルーパスが送られるがシュートには至らない。 立ち上がりから韓国は FW 全銀河のボールキープが目立った。 
5分には花火が打ち上げられ観客はそちらに注意をひかれる。 何の花火だったのだろう??



その花火の効果があったのか8分に日本が先制ゴールを決めた。 全銀河から李永周へ送られたパスをカットし田中陽子に送られ、中央の西川に。そして走り込んだ柴田にスルーパスが通りボールは申譚詠が触れられず柴田にGK全ハヌルが前に出て来るがその前に放ったシュートが韓国ゴールに決まった。 日本の最初のチャンスが先制ゴールに繋がった。


 
その後も日本のパスがリズムよく回りチャンスが続いた。 9分52秒には田中陽子から美南にサイドチェンジのボールが渡り折り返したところを西川が走り込みシュートを放つがGK全ハヌルが何とかストップ。 12分には西川明花からパスを受けた美南が張セルギをかわしてシュートに持ち込むが惜しくも外れる。 
これで追加点は時間の問題と思った15分、李永周からミドルパスを受けた李金玖が左サイドを上がる。 高木ひかりがマークにはいるが李金玖は態勢を崩しながらも藤田のぞみがマークに入る前にしぶとくクロスを上げると走り込んだ金銀河がフリーでヘッドを放ち日本ゴールネットを揺らされてしまった。 猶本のマークがわずかに及ばなかったがここは李金玖の粘りが全てだった。
2年前にPK戦で敗れている事を思い出す。 



しかしすぐに日本は追加点を上げる。 19分猶本から右サイドの美南にミドルパスが繋がり中に折り返し中央の柴田が放ったミドルが韓国ゴールに左ポストの内側に当たって突き刺さった。柴田の見事な連続ゴールだった。これでヤングなでしこ達は落ち着きを取り戻したと思った。
その後もヤングなでしこのワンタッチパスが回り出す。 21分には好位置でFKを貰う。観客が田中陽子の直接FKに期待を送るがここは壁に直接あたった。 
30分には韓国が右サイドを使う。 徐賢淑がサイドをオーバーラップしてくるが浜田遥がスライディングでCKに逃れる。そのCKを李周永が全銀河とのパス交換でシュートを放つがGK池田がパンチでクリアーするとそのこぼれ球を李金玖がシュートを撃つがクロスバーを越えた。 ここで決められていたらちょっと試合展開はどうなっていただろう? そして浜田が脚を引きずっている。気になるところだった。 



33分韓国ベンチは早くも李定垠を下げて文美羅を投入する。文美羅は前のブラジル戦ではスタメンだった。 
だが次にゴールを決めたのもヤングなでしこだった。 高木ひかりがオーバーラップし美南の縦パスを受ける。ドリブルで中に切れ込み文美羅のマークを受けながらも中に折り返すと田中陽子が蹴り込み追加点を決めた。
“た!な!っか!ようこ〜!ららら〜ららららら〜”とスタンドからは大歓声が沸き上がる。 田中陽子のシュートも見事だったが中央で上手く徐賢淑のマークを引き付け田中陽子をフリーにした西川の動きも見事だった。


 
2点のビハインドとなった韓国は前線に余?智を上げて全銀河との2トップ。 しかし余?智、今一つ調子が上がらないみたいだった。 そして日本ベンチは前半終了間際の44分に高木ひかりを下げて中村ゆしかを投入した。 中村は前のスイス戦ではスタメンでフル出場をしていた。 そして前半が終了した。 
この日も相当な蒸し暑さ、気温というよりも湿度が高いのが辛くかっただろうなぁ〜。 と選手達が水分補給をするのを見て思った。



後半に入っても日本のパスワークは韓国を圧倒。更に1対1でも韓国選手に勝ち目はなかった。 おそらく70年代のある時期の日韓の男子代表の差はこれぐらいあったのかもしれない。
韓国はボランチの李永周のパス、ドリブルと前線の全銀河のボールキープ、シュートだけが頼りだった。
52分には李永周がミドルを放ったがポストの右に外れて行った。
この日は24,097人の観客が詰めかけたが以外にも韓国側のサポーターが少なかった。 劣勢を予想される試合では応援に来ないのかなぁ〜と思った。 2010年 U-17では決勝戦で日本と激闘を交えた韓国であったがその時の選手が中心となった両チームが激突したこの試合はそんな片鱗は見られなかった。 それは恐らく韓国女子サッカー界の体制に有ると思う。
選手の所属先は高校か大学。 文美羅、FW 崔ユジン、DF徐賢淑らがクラブチームに所属しているようであった。一方のヤングなでしこは FW道上彩花(常盤木学園 )、中村ゆしか( 関東学園大 ) そして高木ゆかり(早稲田大)以外はなでしこリーグのクラブチームに所属する選手達。 女子サッカーが韓国でどの様な位置付けになっているかわわからないが日本よりは環境が良いとは言えないかもしれない。 7番を付けていた李永周はなかなか私好みの顔であるので漢陽大学を卒業したらなでしこリーグにはいってくれぃ〜。 



69分には李金玖を下げて U-17 2010メンバーの李ソンダムが投入されるが状況はあまり変わらなかった。

日本ベンチは60分浜田遥を下げた。やはり脚の具合が。そして投入されたのがFWの横山久美。彼女もU-17 2010組だ。
これで前線を西川と柴田の2トップにし左サイドに横山を入れて田中陽子を左SBに置いた。 
日本はサポーターが陣取側の韓国ゴールに何度も攻め込むが後半はなかなかゴールが割れ無い。 75分の西川のミドルはポストも左に外れ、80分はゴールインと思われたがその前のプレーでボールがゴールラインを割っていたとの事でノーゴール。



85分、西川が大歓声に迎えられベンチにさがり道上彩花が投入され柴田が2列目に戻り再びワントップに。 
終了間際、ロスタイムに入り韓国ベンチはCB申譚詠を下げて崔笑美を投入した。崔笑美は前のブラジル戦でも残り4分で投入されたけどこの試合の投入はどういう意味だったのだろう?
そして3分あったロスタイムも過ぎタイムアップのホイッスルが鳴り日本の準決勝進出が決まった。 
もうすこし韓国が頑張るかとおもったけど……
地元開催とはいえ前回は1次リーグで敗退したヤングなでしこは今回は準決勝に進出した。そしてあと2試合出来る事となった。

競技場を1周する選手達と観客を観てこれからも女子サッカーが発展していく事を願った。 



マスコミは次なるヒロインを見つけられてほっとしているだろう….



そして帰宅後私は次の出張準備にかからねばならなかった。

出張先でヤングなでしこは準決勝のドイツ戦に敗れてその後ナイジェリアを破って3位になった事を知った。
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